2011年1月31日月曜日

鹿男PART8

ワタシ、ずっと茨城県鹿島の古豪族、「カウラザメ」のことが気に掛かっていて、「カウラザメ」とは「甲羅鮫」と書くのかな・・・?などと想像しつつ、


甲羅をつけた鮫?ナンじゃそら?


・・・と自嘲していたのですが、それでもこの思い付きがあきらめ切れずアチコチをググってみたところ、気になる一節に突き当たりました。


<転載>

防衛省OB太田述正の日本はアメリカの属国だ

<抜粋>

 シチリアの西岸のマルサラ(Marsala)沖の海底に横たわっているカルタゴの様々な船の残骸を研究した海洋考古学者達は、複雑な設計にもかかわらず、それが容易かつ迅速に組み立てられるよう、船のパーツ一つ一つに文字が記されているのを発見して驚愕した。

 カルタゴは、要するに、組み立て式(flatpack)戦艦を開発したのだ。

</抜粋>

</転載>



▲ポエニ戦争で沈没したカルタゴ船 【マルサーラ(イタリア)】



カルタゴと主な周辺国

 つまり、カルタゴ(現在のチュニジア)の船は、分解して陸上移動も可能だったらしいという事実から、鮫(海洋民族)が甲羅(分解した船のパーツ)を背負うという、合理的な見方も生まれるワケですわ。もしかしたら、本来住んでいた駿河国富士山麓から常陸の地まで、分解した船を担いで移住して来たのかも知れません。それに遭遇した先住民が「甲羅のついた鮫」だと揶揄したのが、古老の言う「カウラザメ(甲羅鮫)」・・・と?

オイオイ!マジですかmmm?

・・・とばかりに更に調べてみると、カルタゴの前身であるフェニキアについての記事を発見。


タルシシの船

<抜粋>

 弥生時代の出土品の中には、貝紫染めの絹の断片や、ソーダガラス製のビーズなど、フェニキアの交易品を連想させるものも僅かながらあるのだが、タルシシ船が日本に来ていたと言う人たちの大きな拠り所のひとつに大分県の国東半島にある重藤遺跡がある。この遺跡は出土した炭化物が九州大学の坂田武彦氏によりB.C.695±40年のものと鑑定され(1977年9月23日朝日新聞)、鉄滓や鉄剣も見つかったということから、鉱物資源を求めてタルシシ船でやって来たフェニキア人たちが鉄製品の生産加工拠点にしていた場所だという話になっていった。

 ところが、事の顛末はわからないが、国東市の文化財課に問合せたところでは、この重藤遺跡は実際にはそんなに古いものではなく古墳時代のものというのが現在の公式見解になっている。初めは皆が間違えたということだろうか、あまりの差に驚かされる。だがこの年代の真偽はともかく、確かにB.C.700年頃の中東情勢にはこのような渡来人の話を生みやすい状況があった。鉄器時代の担い手として活躍しながらも、かつての勢いを失い始めていたフェニキア人や、ソロモン王の没後200年ほど経って、イスラエル王国分裂(B.C.721年)の憂き目にあっていたユダヤ人たちが共に活路を求めて日本のどこかに入植し、鉄や他の金属を生産していたということは、時代背景から可能性としてあり得ることだった。

</抜粋>

そうなると、「カウラザメ」の推察もまんざらではないなmmm。・・・と。

 で、実際問題、フェニキア人(カルタゴ人)や、古代ユダヤ人が日本に来た証拠があるのか?・・・と、ここで思い当たったのが、沖縄の与那国島の海底に存在する巨大な石の神殿?ですmmm!

ワイドレンズで撮影した与那国海底遺跡



 確かこの遺跡を追跡取材していたTV番組では、古代のフェニキアの神殿と構造が酷似しているという結論だったように記憶しているのですが、そうなると、「カウラザメ」=「フェニキア人(カルタゴ人)」or「古代ユダヤ人」という可能性が見えてくるワケです。

 今回は「鹿」とはテーマが離れてしまいましたが、まあ、「鹿」だけが日本の歴史の全てでは無いワケで、何度も繰り返しますが、


日本人はハイブリット


・・・という事実をみんなが共有することが大事なのではないか?・・・と。

 最後に「鹿」ネタ?をひとつ。福井県の敦賀(つるが)ですが、古名は「つぬが」だったそうで、由来はこちら・・・


<転載>

「つぬがあらしと」


 むかしむかし、朝鮮からの渡来人、『都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)』という、額に角を持つ、朝鮮・任那の王子が当地の国司になりました。その彼の名にちなんで、「角鹿(つのが)」という地名がつけられました。これは、「つぬがあらしと」とは「つのがあるひと」という意味から由来したものだそうです。その後、文字のみが改められて現在の「敦賀」になったそうです。

</転載>


 この人も「鹿族(扶余系)」だったのか?まあ、現在日本に暮らすワタシたち(ワタシはベトナムですが・・・)には、か様に様々な渡来人の血が混ざっているという事ですわ。「純潔の日本人」なんて考え方自体が、荒唐無稽で陳腐ですわなmmm。ただ日々を真っ直ぐに生きる庶民がいるだけです。


でわっ!

2011年1月30日日曜日

どこに本当があるのか?

 この辺りかも知れませんなあmmm。

<転載>

国民一人当たりの国の借金は存在しない.
2009年11月12日07時00分
提供:PJオピニオン16ツイート ..

写真拡大
国債発行残高:財務省サイトより引用
【PJニュース 2009年11月12日】11月10日の財務省の発表で、わが国の債務残高が864兆5226億円と発表した。これを受け大手メディアでは国民一人当たりの「国の借金」が約678万円 となったと報じている。だが現実的に考えてみれば、この数字は何の意味も持たない。「国の借金」の貸し手や「国の資産」のことを考えなければ、「国の借金」の現実は見えてこないのだ。実際に計算してみれば、一人当たりの借金など存在しないのだ。


 まず、貸し手を考えてみよう。わが国の国債の約93%は国内保有、言い換えれば国民の資産である。つまり、678万円のうち630万円は国民の資産だということにほかならず、仮に国民が政府の借金を返済しなければならないとするなら、その部分は相殺されるため、残額、すなわち海外に対して返済しなければならない額は一人当たり48万円となる。

 一方で、政府が保有している金融資産が約475兆円(今年6月末速報値)であるから、一人当たり372万円の「国の資産」を保有する計算である。つまり、この両者を相殺すれば最終的に国民は一人当たり324万円得ることができる。

 もっとも、国家の借金をすべて返済する、つまり国家を清算するなどという事態が発生することはまずありえないことであるし、そうなった時点でのわが国の財務状況は現状とは異なる訳だから、現状を基にしたこういった計算の意味は極めて小さい。第一、他国と比べればわが国の状況はまったくもって問題はないのだ。

 例えば、アメリカを見てみよう。連邦政府の借金は7.20兆米ドル、約644兆円相当である。米国の人口3億406万人で割れば、一人当たり212万円相当となるだろう。だが、米国債の国内保有比率は40%弱であるため、一人当たりの負担額は127万円相当となる。一方米国政府の保有資産は1.92兆ドル、すなわち172兆円相当であるからにして、米国民一人当たりでは50万円相当に過ぎない。つまり、ここで一人当たり70万円相当以上のマイナスとなっている。

 イギリスはどうだろうか。DMOのデータによれば、国債発行残高は8550億英ポンド、約128兆円相当である。人口は6097万人となっているので、一人当たり210万円で、国内保有比率が65%前後であるから一人当たりで73万円前後である。英国政府の資産が1430億英ポンド程度であるから、こちらは一人当たり35万円、つまりこちらも一人当たり40万円近いマイナスである。

 このように、わが国の額面上の一人当たり債務額が大きいとはいえ、真に返済義務のある分、つまり国外で調達されている額ベースで考えればわが国は極めて小さく、またさらにいえば一人当たりの政府資産額はけた違いに多い。というより、政府資産が莫大(ばくだい)で、かつ政府の債務の大半が国内で調達されているわが国は世界的に見て異例の好状況なのだ。

 そのわが国において、あたかも政府の借金を国民が背負っているかのような誤解を与え、いたずらに財政危機を煽(あお)ることは明らかに誤りであるといわざるを得ないであろう。【了】

</転載>



ムフmmm・・・この記事を信じるならば・・・日本はきっと・・・

ダイジョーV(ブイ)!!

 ・・・でもそうすると、連日TVで財政危機だの国家破綻だの「暗mmmい」顔して煽っている、MのMんたとか、YしきTかじんとか、KたのTけしとか、増税派の政治家とか、経済学者とか、評論家とか、みmmmんな・・・

庶民を騙しているワケ?
何の目的があって?


 ああいった連中が黙ってた方が、みんなが安心して、景気が良くなるじゃないの?連中って早い話が、

狼少年?

 存在しない狼が来たと騒ぎ、いざ本物の狼が現れたら全く役に立たないんじゃなかろか?ま、かわら版屋と一緒で、世間を騒がせることでオマンマ食べてるんだろmmmなmmm。


でわっ!

2011年1月29日土曜日

鹿男PART7

 飯山さんのトコでいよいよ「拓跋(たくばつ)」に触れだしたので、ワタシも少し混ぜてもらおうか?・・・と。
 
で、以前紹介した「ルーツのツール」さんによれば、ワタシの故郷である
「多摩」は、「拓跋」の勢力圏であったこと、そして更に遡れば「拓跋」のルーツは中国に現在も暮らす「ダフール族」であること。

 
「ダフール」の意味が「耕す者」であることから、多摩の百姓は、正に「ダフール族」の伝統?を綿々と受け継いでいると言えますなmmm。
 
 更に更に、ダフール族曰く、彼らのルーツは
「遼国スキタイ族の子孫」ということですが、スキタイのシンボルと言えば「鹿」です。で、スキタイ=>ダフール=>多摩の流れを推測させる物証?のひとつとして、奥多摩の「海沢獅子舞」の写真を見ると獅子頭に「角」があるのが判りますが、おかしいと思いません?獅子=ライオンだとしたらですよ?ライオンの頭に「角」が生えているでしょうか?

 日本庭園などに見られるあの、「カコーン」と音の鳴る竹の仕掛け。
「ししおどし」といいます。字は「鹿(しし)脅し」とも、「獅子脅し」とも書きますが、要は、「鹿」を「しし」と読む事実があることです。してみれば、奥多摩の「獅子舞」は恐らく「鹿(しし)舞」であり、その意味するところがスキタイの「鹿のトーテム」に繋がる可能性はあります。

 さて、ここで矛盾が生じます。ダフール族が自らの先祖をスキタイに求め、部族のシンボルを「鹿」とするならば、後世そのシンボルを受け継いだのは、
飯山さんもご指摘のように「扶余」なのです。となると、「拓跋系」と「扶余系」は不可分な関係となるのでしょうか?

 さらにずっとこだわり続けている、
「藤原鎌足」、「藤原不比等」に始まる藤原一門ですが、「鹿」と関係が深いのはそのルーツが「扶余系」にあるからなのか?

 で、
スキタイは古代ギリシャでは「サカ」と呼ばれていたそうですが、どうも古代ギリシャ人が接していた「サカ」=「スキタイ」はペルシャ系の人々であったようで、中国の歴史書には「月氏」として現れ、この月氏が後に満州にて「扶余国」を建国したらしいのですが、してみると「扶余族」とはペルシャ系の人々であったと?ということは、藤原一門にはペルシャ人の血が流れていることですなあ。

 で、ふと思い出したのが、
飛鳥の宮の建設に多くのペルシャ人が関わったらしいというTV番組ですが、もうね?ワケが分らなくなってきたので、続きはまた別な機会に。


でわっ!

2011年1月27日木曜日

おや?まだ辞めてなかったの?

<転載>
小沢氏の週刊誌発言 宮内庁長官「悲しい」
2011.1.27 15:40

 天皇陛下と中国の習近平国家副主席との会見が平成21年に特例的に行われた問題で、民主党の小沢一郎元代表が週刊誌のインタビューで「ほかのどうでもいいような日程を外せばいいことでしょう」と発言していることについて、宮内庁の羽毛田信吾長官は27日の定例会見で、「個人的な気持ちとしては、悲しいおっしゃりようという感じはある」と述べた。記者の質問に答えた。

 小沢氏のこの発言は、週刊文春2月3日号の記事の中で述べられている。小沢氏はインタビューに答える形で「宮内庁の長官が、陛下はお疲れだとか、他の日程があるとか屁理屈(へりくつ)をつけた」「陛下のご体調が優れないというのであれば、ほかのどうでもいいような日程を外せばいいことでしょう。この日程を外しますからご会見はいかがでしょうか、と陛下にお伺いをたてれば、そうすると仰(おっしゃ)るだろうと思いますよ」などと発言したとされる。

 陛下と習氏の会見は、外国要人が陛下との会見を希望する場合は1カ月前までに申請してもらう慣行(1カ月ルール)を破る形で、21年12月に行われた。

</転載>


 おやっ?まだお辞めに(首に)なってなかったの?
ノーパンしゃぶしゃぶ長官mmm

 随分ツラの皮が厚いですなあmmm。厚さ10cmくらいはあるんじゃないですか?
ノーパンしゃぶしゃぶ大好き男が陛下の側近かと思うとねえ・・・。何か・・・切ないですなあ。

 まあ、男ですから?ノーパンしゃぶしゃぶが大好きでもね?それは個人の自由ですけど、女の色香に狂う男に、ロクなヤツはいません。何せ正気を無くしちゃっているワケですから。ましてや、公人の任に就くなど論外。ノーパンしゃぶしゃぶが大好きだという、己の身の程をわきまえ、一人のエロ爺として、堂々と・・・好きなだけ・・・
自腹でノーパンしゃぶしゃぶ行け!

・・・と、思う次第です。はい。

 ああ・・・それなのに、それなのに。
何故?色狂いのスケベエ爺が、我が物顔で宮中をのし歩いているのか?そして陛下のなされることにいちいち口を出すのか?ワタシでさえ非常に不快な思いを抱くというのに、恐らくワタシ以上に陛下をお慕いする右翼の方々は、この現状に腹が立たないんですかねえ?
不思議だわmmm!

 なmmmにが、
「悲しい」・・・だ?ノーパンしゃぶしゃぶ大好き男が陛下のお側に居る事の方が、

よっぽど悲しいわmmm。

ノーパンしゃぶしゃぶ「楼蘭」 顧客名簿

● 日銀
福井 俊彦 (日銀副総裁)
永島  旭 (理事)
本間 忠世 (理事)
米澤 潤一 (理事)

● 大蔵省
橋口  収 (大蔵元次官)
長岡  寛 (大蔵元次官)
保田  博 (大蔵元次官)
西垣  昭 (大蔵元次官)
松尾 直良 (元関税局長)
吉田 正輝 (元銀行局長)

● 厚生省
山口 剛彦 (厚生次官)
近藤 純五郎(厚生官房長)
田中 泰弘 (厚生総務審議官)
伊藤 雅治 (審議官)
谷  修一 (健康政策局長)
小島 比登志(総務課長)
小林 秀資 (保健医療局長)
木村 政之 (企画課長)
小野 昭雄 (生活衛生局長)
羽入 直方 (企画課長)
宮島 俊彦 (指導課長)
中西 明典 (医薬安全局長)
吉武 民樹 (企画課長)
鶴田 康則 (審査管理課長)
安倍 道治 (安全対策課長)
間杉  純 (監視指導課長)
羽毛田 信吾(老保福祉局長)
水田 邦雄 (企画課長)
青柳 親房 (老人福祉計画課長)
江口 隆裕 (老人福祉振興課長)
横田 吉男 (児童家庭局長)
伍藤 忠春 (企画課長)
渡辺 芳樹 (家庭福祉課長)
畠山  博 (育成環境課長)
小林 和弘 (保育課長)
小田 清一 (母子保健課長)
外口  崇 (血液対策課長)
山本  章 (麻薬課長)
高木 俊明 (保険局長)
中村 秀一 (企画課長)
霜鳥 一彦 (保険課長)
矢野 朝水 (年金局長)
紺矢 寛朗 (企画課長)
大谷 泰夫 (年金課長)
高橋 直人 (企業国民年金基金課長)
塩田 幸雄 (資金管理課長)
皆川 尚史 (運用指導課長)

● 農林水産省
高橋 政行 (事務次官)
東  久雄 (審議官)
堤  秀隆 (官房長)
石原  葵 (総務審議官)
鈴木 信毅 (技術総括審議官)
加藤  孝 (審議官)
小畑 勝裕 (審議官)
小高 良彦 (審議官)
竹中 美晴 (審議官)
西藤 久三 (審議官)
田原 文夫 (企画課長)
上谷 敏博 (情報化対策室長)
城  知晴 (秘書課長)
関川 和孝 (総務課長)
須賀田 菊仁(文書課長)
熊澤 英昭 (経済局長)
林  正徳 (総務課長)
佐藤 正明 (調整課長)
白須 敏朗 (金融課長)
宮本 昌二 (国際部長)
山本  徹 (構造改善局長)
岡本 芳郎 (次長)
川村 秀三郎(総務課長)
小林 新一 (農政部長)
石原 一郎 (農政課長)
高木  賢 (農産園芸局長)
高橋 徳一 (総務課長)
皆川 芳嗣 (企画課長)
坂野 雅敏 (農産課長)
中須 勇雄 (畜産局長)
梅津 準士 (畜産課長)
本田 浩次 (食品流通局長)
田中  誠 (総務課長)
上原 勝美 (企画課長)

● 食糧庁
高木 勇樹 (長官)
川口 将志 (次長)
樋口 久俊 (総務部長)
米田  実 (総務課長)

● 通産省
渡辺  修 (事務次官)
中川 勝弘 (審議官)
村田 成二 (官房長)
中島 邦雄 (総括審議官)
今井 康夫 (審議官)
北村 俊昭 (秘書課長)
前野 陽一 (参事官)
北畑 隆生 (総務課長)
原山 保人 (参事官)
増田  優 (参事官)
松島  茂 (企画室長)
伊佐山 建志(通商政策局長)
佐野 忠克 (通商政策局次長)
柴田 治呂 (審議官)
大慈弥 隆人(審議官)
藤岡  誠 (審議官)
田中 伸男 (総務課長)
小川 恒弘 (通商企画官)
大木 勝雄 (通商渉外調整官)
鹿島 幾三郎(国際経済部長)
石毛 博行 (国際経済課長)
日下 一正 (経済協力部長)
鈴木 善統 (経済協力課長)
今野 秀洋 (貿易局長)
北爪 由紀夫(貿易局審議官)
安達 俊雄 (貿易局審議官)
青木 宏道 (総務課長)
松倉 孝男 (管理審査官)
星  政志 (貿易為替検査)
新木 雅之 (農水産室長)
守谷  治 (貿易調査課長)
桑山 信也 (輸出課長)
江崎  格 (産業政策局長)
杉山 秀二 (審議官)
望月 晴文 (総務課長)
鈴木 英夫 (知的財産政策審議官)
中村 雅弘 (管理審査官)
斉藤  浩 (民間活力推進室長)
板東 一彦 (知的財産政策企画室長)
並木  徹 (環境立地局長)
岡本  巌 (審議官)
石海 行雄 (審議官)
作田 頴治 (基礎産業局長)
入野 睦則 (審議官)
林 由紀夫 (総務課長)
広瀬 勝貞 (機械情報産業局長)
河野 博文 (機械情報産業局次長)
水谷 四郎 (生活産業局長)
土屋  博 (審議官)
吉海 正憲 (総務課長)
中村  薫 (工業技術院総務部長)
稲川 泰弘 (資源エネルギー庁長官)
太田 信一郎(資源エネルギー庁次長)
林  康夫 (中小企業庁長官)
中村 利雄 (中小企業庁次長)

● 運輸省
黒野 匡彦 (事務次官)
戸矢 博道 (審議官)
梅崎  壽 (官房長)
和田 敬司 (総務審議官)
土井 勝二 (運輸政策局長)
辻  道明 (運輸政策局次長)
小幡 正人 (鉄道局長)
縄野 克彦 (鉄道局次長)
荒井 正吾 (自動車交通局長)
金澤  悟 (総務課長)
岩崎 貞二 (企画課長)
梶原 景博 (旅客課長)
桝野 龍二 (貨物課長)
大野 裕夫 (保障課長)
岩村  敬 (海上交通局長)
柴田 耕介 (総務課長)
山本  孝 (海上技術安全局長)
楠木 行雄 (航空局長)
羽生 次郎 (航空局次長)

● 郵政省
五十嵐 三津雄(事務次官)
楠田 修司 (審議官)
天野 定功 (官房長)
濱田 弘二 (総務審議官)
長谷川 憲正(郵務局長)
池田  仁 (郵務局次長)
安岡 裕幸 (貯金局長)
松井  浩 (貯金局次長)
金澤  薫 (簡易保険局長)
中山 治英 (簡易保険局次長)
木村  強 (通信政策局長)
谷  公士 (電気通信局長)
品川 萬里 (放送行政局長)

● 労働省
野寺 康幸 (総務審議官)
渡邊  信 (官房長)

● 建設省
伴  襄  (事務次官)
小野 邦久 (官房長)
小鷲  茂 (総務審議官)
橋本 万里 (総括監察官)
三沢  真 (審議官)
山本 繁太郎(文書課長)
五十嵐 健之(建設経済局長)
澤井 英一 (審議官)
風岡 典之 (審議官)
山中  敦 (技術調査官)
関川 紳一郎(総務課長)
木下 博夫 (都市局長)
倉林 公夫 (審議官)
伊藤 英昌 (審議官)
尾田 栄章 (河川局長)
吉井 一弥 (河川局次長)
平口  洋 (総務課長)
阿部  健 (水政課長)
佐藤 信彦 (道路局長)
板倉 英則 (道路局次長)
松井 邦彦 (道路公団、本四連絡道監)
峰久 幸義 (道路総務課長)
小川 忠男 (住宅局長)
那珂  正 (審議官)
亀本 和彦 (監理官)
小神 正志 (総務課長)

● 水資源開発公団
近藤  徹 (総裁)
安橋 隆雄 (副総裁)

● 地域振興整備公団
工藤 敦夫 (総裁)
柳   晃 (副総裁)

● 森林開発公団
塚本 隆久 (理事長)

● 石油公団
小松 國男 (総裁)
公文  宏 (副総裁)

● 新東京国際空港公団
中村  徹 (総裁)
佐々木 建成(副総裁)
永井 隆男 (理事)
皆合 達夫 (理事)
大山 克巳 (理事)
高橋 四郎 (理事)
小坂 英治 (理事)

● 首都高速道路公団
三谷  浩 (理事長)
岡本 堯生 (副理事長)

● その他
黒木 武弘 (福祉医療事業団理事長)
森  仁美 (年金福祉事業団)
木下 博生 (中小企業事業団理事長)
白井  太 (簡易保険福祉事業団)
尾崎  護 (国民金融公庫総裁)
安部  彪 (国民金融公庫副総裁)
坂本 龍彦 (環境衛生金融公庫理事長)
柳澤 健一郎(環境衛生金融公庫理事)
鶴岡 俊彦 (農林漁業金融公庫総裁)
藤原 和人 (農林漁業金融公庫副総裁)
角谷 正彦 (中小企業金融公庫総裁)
角南  立 (中小企業金融公庫副総裁)
望月 薫雄 (住宅金融公庫総裁)
伊藤 博之 (住宅金融公庫副総裁)
児玉 幸治 (商工中金理事長)
茶谷  滋 (元厚生省)


スゲmmmなmmm!コイツラみんな・・・

税金でノーパンしゃぶしゃぶ

行ってるワケでしょ?そんなヤツらがよ?庶民のことをマジメに考えると思えます?ワタシは正直・・・思えません。

くらっ!税金ドロボーめらがっ!


でわっ!

2011年1月26日水曜日

我々は、我々なのだ 2


 飯山さんのトコで、古代中国史から現代の皇室のルーツを解き明かす記事を読んだのですが、「まぁ、そんなもんだろう・・・。」とは思っていたので、格段驚きはしませんでした。他にも日本各地の「地名」から、歴史を紐解こうとしているお方もいます。


◆2011/01/26(水) 金王朝の “深い深い謎” -60-


ルーツのツール


 概ね、お二人の論には賛同するのですが、お二人には「海から来た日本人」の視点が欠けているようにも思えるワケです。過去記事「鹿男PART5」で触れた
茨城県鹿島の古豪族、星神香々背男(ほしかかせお?)は、明らかに海洋民族であり、後から日本の地を踏んだ騎馬民族(皇祖?)を、一度は戦いにおいて退けているのです。

 そういった史実?からして、ワタシは大陸視点だけではなく、大陸系のように後世に言葉は残せなかったものの、確実に海洋民族系の日本人の血も残っていると考える次第です。はい。

 実際、「鉄器」は大陸から伝えられたと一般には考えられていますが、
紀元前4世紀のベトナムには既に「鉄器文化(ドンソン文化)」があり、それが海を渡って来たルートだって十分考えられます。

 ついでにワタシの記憶が確かならば、古代の製鉄において、質の良い鋼を造るために魚の「鰯(イワシ)」を使ったらしいのですが(曖昧な記憶)、そんなアイデアを、内陸を走り回る「騎馬民族」が持ち得るでしょうか?ひょっとしたら、製鉄技術は案外「海洋民族」の方が優れていたのかも知れませんな。

 日本人は単一民族だ・・・等とは、ごく一部の、「庶民を支配したいグループ」の戯言に過ぎないのは、最早誰の目にも明らかなワケで、それでも、同情的?に見るならばですよ、江戸幕府から明治政府に代替わりし、欧米の列強と伍していくに、国=国体が一丸となる必要があったのは否めないと思うのです。それ故、「天皇制」を柱として「日本国」をまとめる為に、


「全ての国民は天皇の子である!」


 ・・・と、単一民族思想を庶民に植え付ける必要があったのも、まぁ、判らないではないです。はい。

 しかし時代は下り、昔の庶民に比べ遥かに多くの知識を得られるようになった現代においてですよ?十分欧米諸国と伍していける国となった現代においてですよ?今更・・・「日本人は単一民族である」などという、虚勢?を張る必要があるのでしょうか?

 それにこれだけ科学が発展し、DNAという動かない証拠を目の前に着き付けられてなお、「地球は平らだ!」と言い張ることが出来るでしょうか?


Y染色体の亜型分化





 過去何度も紹介しましたが、日本に暮らす庶民のDNAには、アフリカから分派した4グループ全ての情報が含まれており、そんな国は世界中でも日本ぐらいしか存在しないこと・・・。これは翻せば、「日本に世界が凝縮されている。」という事なのですよ。

 スゴイ事だと思いませんか?スバラシイ事だと思いませんか?大げさに言えば、日本に暮らす庶民の一人一人に、「全人類の記憶」が記録されているんですよ?


日本人はハイブリット


 ワタシ的にはこの事実を明確に理解することで、反中だの、嫌米だの、国益だの、戦争だの、世界政府だの、そんなものが・・・


イッタイ、ナンボのもんじゃい!


 ・・・という気もするワケですが、ちなみに前回、「淘汰」という言葉を使いましたが、これは「進化」、もしくは「深化」と考えてもイイのです。

 文明とは何か?便利な暮らしであったり、新しい娯楽であったり、教育の普及であったり・・・。で、総体的に見れば、「文明とは、脳内のイメージを具現化する作業。」とも言えるワケです。つまりそれは、「肉体から離れる方向(バーチャルな世界)」に向かっているとも考えられるワケです(養老先生談)。その最たるものが「お金」なのかも知れません。

 しかしどう足掻いても、「人間は人間でしかない」ワケで、疲れたり、お腹が空いたり、眠くなったり、生物としての本能から逃れることは出来ないワケです(いまのところ)。
「精神は肉体を越えられない。」というのは、お腹が空けば・・・睡眠不足が続けば・・・考えることも儘ならないからです。

 ワタシたちはこの地球上に存在する「ヒト科」の、一種です。で、どういうワケか?「ヒト科」の「人類」だけが、「大脳新皮質が異常に発達」し、今日の文明を築くに至ったワケですが、それでもベースは「ヒト科」>「人類」という、いち生命体=に過ぎません。地球の視点から見れば、人間もその他の動物も一緒です。

 で、ワタシが
「淘汰」という言葉を用いたのも、「人類」という種族がこの地球上で継続的に生存する為に、人類の「個体としての本能」を越えて、「種全体としての本能」が目覚めつつあるのではないか?という漠然とした思いがあるからです。

 つまり、「個体としての本能」に囚われすぎて、「種全体としての本能」を無視する場合は、種から排除=淘汰されるというのが、まあ、「自然界の掟」とも言えるワケで、簡単に言うならば、



世界の富の90%は
10%の人たちの手の中に在る。



という世界の現状に対して、「種」の大部分である90%の人たちが危険を感じたら人類の「種全体としての本能」がどちらに向くか?は、バカでも判るんじゃあるまいか?ジャマイカ?・・・と。

 それが判らない程、
「欲=個体としての本能」に突き動かされているようなら、「種から排除=淘汰」されても仕方がないんじゃあるまいか?ジャマイカ?・・・と。

 そんなワケで、
チュニジアでの騒ぎが簡単に他の国に伝播するのも、「種全体としての本能」の成せる技ではないかと思ったりするワケです。「種全体としての本能」ですから当然、日本だろうと、中国だろうと、アメリカだろうと、世界中の90%の人たち=庶民の心に共鳴しているのではないか?と思う次第です。

 したがって、いままでクドクド繰り返してきた「庶民が、庶民としての生活を全うすることの出来る社会」とは、詰まるところ・・・


種としての生存本能


に裏打ちされた当然の要求、行動と考えられるワケです。そして、それをより深く理解する為に、庶民ひとりひとりの「個人革命」が必要だろう。・・・となるワケです。はい。


でわっ!

2011年1月22日土曜日

革命すら、もう古い

 最近「革命」という文字をメディアで見かけない日はなく、ネット上にも氾濫しているような気がします。ワタシも常々「個人革命」を唱えてはいますが、「個人革命」と「社会革命」とは違うように思うのですよ。

 
現在、チュニジアで「革命」が進行中?らしいのですが、「革命」>>「体制転覆」の過程とは、力と力のぶつかり合いだと思うワケです。つまり、従来勢力(権力?)が革命勢力よりもより強大な力を持っていたら、「革命」は成就出来ないワケです。ま、60年安保、70年安保は、まさに「力と力」のぶつかり合いであったと思う次第です。

 当時の記録などを読んでも、一丸となるべき革命勢力からして内部で「内ゲバ」(内気なゲバラではありません)や、権力闘争、粛清を繰り返し、まあ・・・当時子供だったワタシから見ても、「なんだかなぁmmm。」・・・と思えました。「闘う相手が違うんじゃないの?」・・・と。

 この年になって思うのは、当時の若者はイデオロギー(思想)に凝り固まっていたのではないか?・・・と。その思想とは何か?といえば、みなさんご存知のマルクス・レーニン主義=共産主義ですよね?で、共産主義のテーゼは何か?といえば「階級闘争」になるわけです。つまり、資本家階級と労働者階級の闘争の果てに、理想的な社会が築かれると・・・。で、あってます?

 しかしねぇ・・・。ワタシの僻(ひが)みかも知れませんが、インテリってやつもひとつの「権威」のように思えるワケです。つまり、「優れた人間」が「その他大勢の愚衆」を指導する。・・・ってのがね?どうも肌に合わない性分でして。その・・・平たく言うと、

お前より偉いんだぞ!

 ・・・てふんぞり返っているのが、いわゆる「権威」ってヤツでしょ?


 過去において、庶民が無知であった時代なら、情報を独占するインテリやらエリートやらが、社会の指導的な役割も果たせたのでしょうが、現在のように情報が共有される時代においては、彼らの立ち位置も変わらざるを得ないように思うワケですよ。それを頑なに、従来の「権威」を守ろうとしているのが、現代のマスメディアの姿のようにも思えます。

 「権威」とか「権力」とかを、闘争、革命の道具に使っているうちは、権力の移譲が行われるだけで根本的な変革には至れないんじゃないか?というのがワタシが言わんとするところで、その点「個人革命」なら、「権威」もヘッタクレもないですからねmmm。

 一時の激情に身を委ねて表に飛び出し、力任せに「革命」をしたところで、よしんばその場は「革命」が成し遂げられたとしても、その後は?

革命の後も日常は続く。

 ・・・ですよね?で、あれば、「権力」の移動を「革命」などと持て囃すのはやめて、社会とか、人間とか、自分とか、未来とか、徹底的に考えに考え抜いて行動すればイイんじゃないでしょうか?それが「個人革命」の本質であり、その為の情報は十分にある時代に生きている事を、インターネットが使える人であれば十分承知しているハズです。

 ワタシの目から見れば、いま世界に起こりつつある事は「革命」などという前時代の残滓ではなく、これから世界が新しい時代に移り変わろうとする前の、「淘汰」に近いものかも知れません。したがって、「新しい時代=庶民が庶民の暮らしを全とう出来る時代」を受け入れられない人たちは、その居場所を失い「淘汰」されるしかないのでしょうなあ。これは政治家だろうと、学者だろうと、評論家だろうと、既存の「権威」にしがみ付く人たちは、軒並み「淘汰」される事でしょう。
全体の10%

 これが、庶民が許容できる限度なのでしょう。来るべき時代の枠組みの中で。そして、世界を変えるのは一部の政治家や企業家や学者や官僚などではなく、きっと
「覚醒した庶民」なのでしょう。

 で、「覚醒した庶民」としてはどういった行動を取ればいいのか?・・・正直よく分かりません。それに、これといって決める必要もないのかも知れません。
自分に出来ることをやればいいのです。政治を志す人はそれもアリでしょう。新しいタイプの政治家が必要なのは確かです。また、「税金」という権力者側の資金源を断つことも、ワタシたち庶民が出来る有効な世直しかも知れません。何せ庶民の為に有効に使われていない以上、政治家、役人は「憲法違反=犯罪」を犯しているのと同じワケでしょ?つまり・・・

税金ドロボー!

 ・・・と、非難されて当然なワケです。いや全く・・・、税金ドロボー税金振り込み詐欺ばかりが幅を利かす、イヤな世の中になったものですなmmm。


でわっ!

2011年1月20日木曜日

キシさんの死を悼む

え?マジですか?

 と、驚いたのなんのって、
「ベトナム ホーチミン生活だより」というブログを書いていらっしゃる、秀さんの最新記事を見てびつくりしましたわmmm。

 事故ですかmmm。ご本人、バイク移動が多かったようで、キシさんのブログ
「ベトナム便所の落書」にも、これまでに見舞われた事故の話なんかがあったのですが、ワタシと違い豪快な性格からか、そんな目にあってもバイクには乗り続けていたようで、ワタシもキシさんは事故などではなく、酒の飲み過ぎで逝くのだろうと勝手に思っていましたが・・・。

 キシさんとは二~三度面識がある程度で、ワタシなんぞは普段は空気のように存在感が薄いので、キシさんはワタシの事なんぞは覚えていないでしょう。

 翻ってキシさんは、彼のブログがそのまま外に飛び出して来たような人物で、ブログを読むとキシさんの生活振りが手にとるように伺えました。言うなれば、ブログの中のキシさんと、現実のキシさんとの間に裏表が無く、匿名性で守られたインターネットの世界においては、「稀有な存在」でありました。

 ワタシとキシさんの間には、恐らく・・・というか、絶対に・・・見解の相違が山ほどあります。ですから、キシさんの記事を読んでも、「ウン、ウン、ソウダヨネmmm。」と、共感することはまずありません。・・・が、彼の歯に衣を着せない実直な物言いには好きでした。

 漢(おとこ)だな。

 ・・・と。そして、お互いの意見が違おうと、ストレートに物を言う彼を認めていました。彼に比べたらワタシなんて、ただの臆病者です。

 かれこれ10年前、レタントン通りに新しくオープンしたカフェ「ひろば」で、キシさんと初めて邂逅したワケですが、その当時彼はもう既にブログを立ち上げていましたから、ワタシなんぞの大先輩です。(年下ですが)

 何れにせよ、キシさんの「死」を図らずも知ることとなり、僭越ながら心よりご冥福をお祈りいたします。彼のような強烈な個性を持った人物が、このサイゴンから姿を消してしまったのかと思うと、とても残念でなりません。カレがそこに居るだけで周囲には、「キシ・ワールド」のオーラが立ち上っていましたからねぇ・・・。つぎはあの世で、「天国便所の落書」というブログでも始めて下さい。行けるようでしたら、そのうちワタシも逝きますんで・・・。

 さて、ひとしきりキシさんの事を思い出した後で、じゃあ「生き残ったワタシ」はこれから先、いつまでサイゴンで暮らせるのだろうか?とか、死ぬ前にやっておくことは何か?・・・などと、神妙な気持ちになりましたわ。

ヤラレてたまるかっ!


でわっ!

2011年1月17日月曜日

百術不如一誠

 「百術不如一誠」・・・文芸評論家の山崎センセイのトコで目にしたのですが、百の術(策謀)も、ひとつの誠意には及ばない。という意味らしいのですが、ワタシね?この言葉から、今まで何度か取り上げた、トルストイの「光あるうちに、光の中を歩め」が思い浮かべました。・・・はい。

 ざっと繰り返しますが、パンフェリウス(という名前だったか?)が信仰に目覚め、信仰の道を歩もうとするのを、彼の年老いた友人が諭すワケです。曰く、「世渡り上手になりなさい。」と。

 そしてパンフェリウスも、自分が今手にしているものを捨て去ることが出来ず、何度か信仰の道を進もうと決意?はするものの、その都度思い直して元の生活に戻っていくワケです。

 そしていよいよ彼、パンフェリウスの人生も中盤に差し掛かった頃、人生とか、生命の炎が、いずれはその光を失うという事を実感し、「光あるうちに、光の中を歩む」ことを決意する。

 ・・・そんな物語だったと記憶しているのですが、人には何かしらの「信念」があるものです。「世渡り上手最高!」というのもまた、ひとつの「信念」でしょうが、ワタシから見るに、「世渡り上手」とは、あくまでも自分の周りの状況に則する、「生き方」としての一方便であり、苦難を避けるためだけの受身の発想のようにも思えます。

 逆に「信念」とは、自分の行動の「起爆剤」のようなもので、苦難に立ち向かうことも厭わず、同時に自分という人間の「核(コア)」になるとも考えられるのではないでしょうか?

 テレビドラマとかで、「自分をごまかすな!」とか、「自分に嘘はつけない!」とか、「自分を曲げるな!」とか、登場人物がよく口にしますが、この、「自分」という言葉の中には「信念」も含まれていますよね?

 ところで「信念」自体には善も悪もありません。悪いことでも「信念」を持って行うことができます。そのことは「情熱」という過去記事の中で少しばかり触れましたが、では何故?「悪(利己的な信念)」は長続きしないのか?


「善」は調和をもたらし、
「悪」は不調和をもたらす。


 ・・・と、以前ワタシの持論を述べました。わかりやすく言えばこれは、みんなが共存可能な社会を目指すのか?それとも、一部の人間の為だけの社会を目指すのか?という選択でもあります

 「心の種」のハナシもそうですが、どんな善人の心にも「悪」の種が在り、どんな悪人の心にも「善」の種が在る。このことは善人にしても、悪人にしても、「信念」はグラつき易いという事を意味します。従って悪人は悪人なりに、自らの「信念」を護るために悪魔信仰(サタニスト)への道を進むのだと解釈できます。

 確かに過去ワタシたちは、厳しい生活環境の中を生きて来ました。従って、「先ずはわが身を守る。」という考え方は排除できません。・・・ていうか、当然の権利です。広い目で見れば、「善人」だろうと「悪人」だろうと、

生きている

 ・・・事においては平等です。同じ人間なのですから。世界中の全ての人間が、「生きる」という存在行為において100%平等です。

百術不如一誠

 ・・・の、「百術」はイイとして、「一誠」は人によって、国によって、時代によっても、考え方が分かれるところでしょう。・・・が、もし、普遍的な「誠(真理?)」があるとしたら、ワタシたちがこの世界で生きてる事が・・・日常の生活が・・・善も悪も含めた真理そのものであり、次に、この生活を・・・暮らしを・・・「守る」という行為を、「誠」と呼べるのではないでしょうか?

 利害の対立が存在するのは仕方のないことです。それは自分という「存在」の証明でもあります。しかし、過剰な自己利益を求めるが故に、他者(弱者)を犠牲にし、時には「死」に追いやるような世界、社会は・・・

「誠」の道から外れている。

・・・と思えるのですわ。ワタシには。


でわっ!

2011年1月15日土曜日

タイガーマスク一揆

 これはもう、政府、政治、内閣に対する「レジスタンス運動」=「一揆」と呼べるんじゃないんでしょうかね?
「タイガーマスク」「Silent Bomb」…匿名で目立ちたがる日本人

 ま、上記の様な見方をする方もいますが、まあ、確かに日本人の基本的な気質として、「揉め事は好まない。」「その場は丸く収める。」という気質があるのは、同じ日本人ですから、よmmmく解ります。

 この日本人気質が匿名性を求めるのは、当然の成り行きなのでしょう。歴史を振り返れば庶民、農民が木っ端役人をスッ飛ばして領主に直訴する際、
「唐傘連判状」といって、誰が直訴、一揆の首謀者か解からないようにした連判状を作成しました。

 不満を抱いているのはみんな一緒なのです。だから「直訴状」提出の責任を、誰か一人に負わせることは出来ない。勿論
「大塩平八郎」のように、率先して矢面に立ってくれる英雄も時には現れますが、そんな英雄の出現をただ待っていたら、英雄が現れる前にこっち飢え死にしてしまうかも知れませんよね?

 従って庶民は自力で行動=一揆を起こすしかなかったのですが、その知恵として、「みんなで責任を分け合う」という目的で、先の「唐傘連判状」が生まれたと思うのですよ。それにしても恐らく相当の覚悟が必要だったでしょう。
ヘタしたら連判状に署名した全員にお咎めがあるかも知れない時代だったのですから。

 つまり日本人が「匿名性」が好きなのは、過去の歴史における、権力者からの庶民に対する弾圧から身を守る為の知恵。・・・であったとも考えられます。はい。

 さて、現代の政治はどうなのでしょうか?日本は民主主義を掲げていますが、庶民の声が政治の場に届いているのでしょうか?権力者の弾圧は止んだのでしょうか?庶民の代表者たるべき人物が、国政を担っているのでしょうか?もしそうでないなら、ワタシたちは不適切な代表者を、即刻交代させる事が可能なのでしょうか?

 ワタシにはどうもそのようには思えないのですが、であれば、ワタシたち庶民はこれからも「自ら行動しなければならない=一揆が必要とされる世の中に在る」ように思えます。

 昨今日本全土に広がる「タイガーマスク運動」は、政府が庶民を助けないのなら、庶民同士で助け合うしかないという、無血のレジスタンス運動に近いものかも知れません。

 そして、一揆であればこそ「匿名性」を求め、しかも全国規模で広がっている事実から、国中に「タイガーマスク一揆」賛同する庶民が増えているのでしょう。つまり、全国規模での「無血反政府一揆」と見做せるかも知れません。

 日本が大きく変わるかも知れませんなあ。


でわっ!

2011年1月13日木曜日

「食」を守るというコト

 ネットゲリラさんトコで、以前こんな記事があったんですケド・・・。
アメリカで「野菜栽培禁止令」発令!

 なんか、FDA=アメリカ食品医薬局が、トンデモ法案を通過させようとしていると、一時騒がれた(ネット上で)のですが、上院が可決しても下院を通過できないだろうとの話に落ち着いたと思ったのです。

 ところが!いつの間にか下院も通過し、年明け早々オバマ大統領が署名、成立してしまったそうです。

 アメリカの国内の法律だから日本には関係ない・・・と思ったら大間違い。件の「上院510法案(食品安全近代化法)」の中の、第305条・「食品の安全に関する外国政府の能力の構築」では、「FDAに在外事務所を設置する権限と、外国政府の食品安全計画を指揮する権限を与えている。」とのことで、えええぇ?!っと。

 FDA=アメリカ食品医薬局が、何で?日本の食品安全計画を指揮できるワケ?そんな事態になったら、アメリカに都合のいいように日本の食品安全基準がイジられるだけでしょ?ヘタすりゃ・・・いや、ヘタしなくでも危険な食品(狂牛病牛肉とか、遺伝子組み換え野菜)が合法化され、「食」の安全が脅かされるんじゃないの?

 さらに、第308条・「FDAの在外事務所」の項目には、「長官は、この法律制定の日より2年以内に、米国に食品を輸出する外国の政府および食品産業の技術・科学・規制面での食品安全能力を拡張するため、包括的な計画を策定する。」とありますが、この法案が制定されたのはつい最近、1月4日です。そこから2年以内・・・2013年までに、計画を策定するそうで・・・。

 つまり、アメリカ以外の国の、食品安全計画を指揮する計画を作るということは、実質、「アメリカが世界中の食品安全計画をコントロールしますよ。」と、言っているのに等しいワケですよね?

 更なる詳細は、
「BEYOND 5 SENSES」さんトコでご覧頂くとして、この、FDA=アメリカ食品医薬局がやろうとしている事は、ワタシが常々心配している「流通の独占」に他ならないように思うワケです。

 世界がどうなろうと、自分の力で「衣食住」さえ確保できれば、庶民の集まり=社会は必ず再生できます。しかし庶民からその自由、権利を奪い、強制的に何かに依存しなければ生きられない状態にしてしまったらどうなるでしょう?

 そこには最早社会とは呼べない、「奴隷の群れ」、「家畜の集団」が在るだけです。そして「畜群」の管理者の意のままに生きる事、死ぬ事しか許されなくなるでしょう。ワタシたちが「家畜」に対して行ってきた行為のように。
飄(つむじ風)
家畜の惨劇、家畜産業の変容が人類の課題だ!!




 ついでに前回のエントリー、
TPPに絡めて考えれば、関税の撤廃はイイとして、輸入食品に関わる法律の問題はどうなるんですかね?例えばですよ?ベトナムアメリカに米や野菜を輸出するとしますワナ、しかしアメリカの食品安全近代化法に適合していないと輸入を拒否された場合、これはもう、どうしようもないワケですよね?

 で、アメリカに食品を輸出する為には、件の「食品安全近代化法」に適合させなければならず、その為に膨大な費用を払って検査機材を購入したり、在外事務所?の書類審査を通す費用を払ったり、果ては、作付けする農作物の「種」「苗」から管理され・・・アメリカの意向に従うしかなくなった場合、諸々の経費を考えても、国内の農業の健全な育成を考えても、割に合わないように思えるんですケド・・・。

 まだワタシ自身、この「食品安全近代化法」を良く知らないのでこの位にしておきますが、TPPにしてもね?何故アメリカがチリだの、ブルネイだの、アルゼンチン?だのの、ささやかな協定に割り込んで来たのか?考えられる可能性は、「食品安全近代化法」を盾に取り、ハナッから輸入なんてする気は無かったんじゃないのか?

 それどころか、輸入するにしても「食品安全近代化法」に適合させる為に、高額の検査機器やら、安全基準やら、農業に関わる全ての資材を売りつけようと画策したんじゃないか?・・・と。

 ま、一庶民のワタシでさえこの位はスグ思いつくわけですから、高学歴のお役所の皆さんや、政治家の方々には、くれぐれも日本の将来を熟慮した上で、諸外国の関係を築いていただきたいものですなあmmm。

 陛下の田んぼに「モンサント」の農薬が撒かれるような事が起きないよう、くれぐれもヨロシクお願いしたいものですなあmmm。


でわっ!

2011年1月11日火曜日

自由貿易の罠

 ヒロシさんトコのツィートに面白いと言ったら失礼ですが、重要と思われる動画が紹介されていたので、僭越ながらワタシも拡散させていただきます。

中野剛志先生のよくわかるTPP解説―日本はTPPで輸出を拡大できっこない!



 つまり、経団連やらの金儲けできればそれでイイという、あまりに自己中心的な考え方に政府が同調しようとしているらしいことは、何となく分りましたmmm。

 でも、それってどうなの?自分さえ儲かればイイの?じゃ、やってる事は「バード・カフェ」と変わらんでしょ?
お客様あっての商売

・・・という、商人の基本から逸脱してるでしょ。お客様(消費者=庶民)を大切にするという、商売人のモラルは何処へ行っちゃったワケ?

 経団連とかいう、商売人のトップに君臨?する、本来、全ての商売人の規範でもあるべき様なお方たちが、率先して自分の利益のみを追求するあさましい姿を見れば、ま、「バード・カフェ」に見られるような商道徳の堕落も、起き得るべきして起きたと言えますかねmmm。あぁmmm情けないわ。自分の同胞さえも、「お金」の為なら進んで見殺しにしようとわ。

 何度でも言いますが、日本がこの先、激動の時代を生き残るには、
チームジャパン

・・・として結束しなければならないように思うのですよ。

 ワケあって、現在ベトナムに身を寄せている身ではありますが、それでも日本の地元のことを思い出さない日はありません。何しろ、
生まれ育った場所

・・・なのですから。その大切な思い出の詰まった場所、さらに広げれば日本という場所が、「経済戦争=お金儲け」の為だけの修羅場になってしまうなんて、切なすぎます。

 尤も、ワタシ個人の感傷と言われれば、それまでですが、前に話した
「レッド・オーシャン」の話に立ち戻れば、スポーツの世界が「レッド・オーシャン」であってもみんなが好きなのは、そこに「切磋琢磨」、競い合うことでお互いを高め合うという、ある種の「人間の理想」を見るからではないか?・・・と。

 これがね?単なる生存競争で、檻の中でただ殺し合う、食い合うだけのショーだったらどうでしょうか?ボクシングや柔道の重量級の差別が無く、巨漢の選手が軽量級の選手や、ましてや男女混合で競技されたら、みなさんはスポーツが好きになれますかね?

正々堂々

 使い古された言葉ですが、この言葉は紛れも無く「世界中で通用する」普遍的な庶民の価値観です。だからこそみんなスポーツに熱中するワケです(サッカーのワールドカップとかオリンピックとか)。当然、正々堂々と立ち向かってくる来る相手に卑怯な真似をすれば、世界中から批難されることになります(今回の「おせち」のように)。

 闘うことから目を逸らしていては、社会の実体は見えて来ないでしょう。闘うことが善い悪いではなくて、生きることそのものが闘いなのだと、心得る必要があると思ったワケです。しかしその闘いにおいて、ルールがなければケダモノと一緒です。

 人間は何かとルールを作ります。そのルールは、全ての人に公平でなければなりません。・・・よね?トラがウサギを捕食するのと違い、ワタシたちは人間であり、白人だろうと有色人種だろうと、「ヒト科」としては同類であり、同じルールに従うことができます。

 そして同じルールの中で正々堂々と闘うから、世界中の庶民が「スポーツ」に熱中するワケですが、もしオリンピックがですよ?「白人に有利なルール」を採用してたら、白人以外の諸国はオリンピックに参加しますかね?しないですよね?

 TPPの話に戻りますが、その内容、ルールが日本にとって、日本の庶民にとって不利なものならば、正々堂々と「不参加」でいいじゃないですか。
それを「開国」だの、「鎖国」だのという話にすり変えるのは、じゃあ、あんた達は不公平なルールの中で、日本選手がボロ負けする姿をワザワザ見たいのか?・・・と、逆に聞き返してみたいですわ。


でわっ!

2011年1月10日月曜日

グーグルの陰謀・・・と、言ってみる

 いやあmmm案の定、叩かれてますなあmmm
グルーポン

 ナンかみんな、鬼の首を取ったかのように騒いでますが、まあ、落ち着いて構図を理解してみましょう。

 そもそもグルーポン、グルーポンとネット、マスコミで連呼していますが、正しくは
「グルーポン・ジャパン」が正しい名称で、早い話が「日本マクドナルド」のようなものです。

 で、例えば日本のとある駅前の「マクドナルド」で、食中毒患者を出してしまった。・・・と。

 その時どう考えますか?食中毒事故を起こした「マクドナルド」と、日本全国の「マクドナルド」は同罪なのですか?ましてや、「日本マクドナルド」の不始末は、「本家マクドナルド」が負うべきだ・・・一蓮托生だ・・・と考えますか?

 システムが巨大化すれば構成も複雑になります。「マクドナルド」が巨大化すれば、各店舗の質にもバラツキがでます。それを是正するために、各店舗共通の「マニュアル」なんぞも必要になるわけです。

 しかし・・・ひとつの業種、仕事だけならまだしも、巨大スーパーのように様々な種類の小売業者が混在している場合、各店舗に共通の「マニュアル」など作成不可能です。したがって、最終的は各店舗の「良心」に委ねるしかありません。

 ここまで、よろしいでしょうか?

 「グルーポン」というシステムも、この巨大スーパーのようなものじゃないんですか?インターネット上の。「グルーポン・ジャパン」はこのシステムの一員に過ぎません。ましてや、今回騒がれている「バード・カフェ」なんぞは、システムの一員の、そのまた一員に過ぎません。

 もちろん「バード・カフェ」のした事は批難されて当然であり、その杜撰な仕事振りは、商売人として顧客を舐めきっており、商売人、商人の風上にも置けない最低の行いです。こういった輩は、一刻も早く廃業してくれた方が「社会のため」です。はい。

 そして「グルーポン・ジャパン」がその行為を誘発させたのであれば、「グルーポン・ジャパン」も即刻廃業すべきであり、更には、「グルーポン本家」もそういった行為を誘発する体質であるならば、これもまた社会にとって、「害悪」でしかありません。

 で?実際はどうなんですかね?もしアメリカ本土で「グルーポン」の加盟店?が今回の事件と同じような問題を度々起していたら、ここまで「グルーポン」は成長しなかったんじゃないでしょか?



 そもそもアメリカにおいて「クーポン券」は、地域社会と密接であったものでしょ?そんな顔見知りの多い環境の中で、今回の「バード・カフェ」のような仕事をすれば、その後に何が待っているかは自ずと分るはずだし、そうなるとどうなるのかも商売人なら充分理解できるでしょう。

 つまりこれは、アメリカの「グルーポン」の加盟店の方が、日本の「グルーポン」の加盟店よりも、モラルがシッカリしているとも取れるワケで、日本人としては我が身を恥ずべき事ではないでしょうか?ひょっとしたらアメリカの「本家グルーポン」に・・・

日本人はダメだなあmmm

・・・と、馬鹿にされているかも知れませんmmm

 そういった事情を知らないのか無視しているのか、グルーポン、グルーポンと、連呼しているマスコミやネット住民を見ると、

こいつら「Google」の工作員か?

と、思ったりしてしまうワケです。・・・はい。

 一番大切なのは、ネット上だろうと街中だろうと、商売をする人間のモラル次第だということです。これは小売業・・・八百屋や肉屋や魚屋から、世界に名だたる大企業まで全く同じ事が言えます。

お客様あっての商売

 実に単純な基本です。(神様とまでは言いませんが・・・)

 ま、「グルーポン」にしろ何にしろ、ワタシが危惧するのは流通を独占しようとする勢力です。もしこの先、従来の通貨がその絶対的な地位を失い、「地域通貨」とか、
「お米券」とかが活用されるような時代に突入した場合、重要なのは「現物」の流通手段なのだと思うワケです。



 その「流通手段」の一翼を担いうるのが「クーポン券」でもあるワケで、「お米券」などは今更入り込む余地は無いにしても(日本では)、「クーポン券」であれば、様々な業種に食い込む余地のあるビジネスチャンスだと、多くの企業が参入してくることでしょう。もちろん「お米券」
「図書券」のように、販売者同士がスクラムを組んで、一企業による「現物」の流通の独占を阻止してくれるのが、庶民、消費者としては望ましいワケですが・・・。


でわっ!

2011年1月5日水曜日

因習と陰習

 NHKの「プロフェッショナル」という番組や、日テレの「世界一受けたい授業」などで、その存在を広く知られた脳生理学者の茂木健一郎氏ですが、氏のブロク「クリオア日記」の最新記事の終わりにこんな一節が・・・


<転載>

2011/01/05
プリンシプルの人

<抜粋>

「小沢一郎という人の真価は、日本の因習を離れ、国際的文脈の中にあって初めて明らかになるのではないかと思う。小沢さんが表舞台に登場することを、楽しみに待ちたい。」

</抜粋></転載>


 で、ワタシにとしては「小沢一郎」という「政治家」はどうでもよくて・・・と、言うと語弊がありますので補足しますが、重要なのは、小沢氏が掲げる「理念・信念」なワケです。

 「小沢一郎」という人間だっていずれは死にます。人間なのですから当然です。ひょっとしたら、明日には病気、不慮の事故で亡くなるかも知れません。その時、「小沢一郎」という個人に全てを託していたら、どうなりますか?小沢氏が掲げる民主主義も一緒に消えて、無くなってしまうのですか?

もうダメだmmm!・・・orz

・・・と、絶望に打ちひしがれるだけですか?それじゃあ亡くなった小沢氏(勿論現在はご健在です)も、浮かばれないでしょmmm。
英雄の危険性について

 ワタシの目からですよ?現在の小沢氏を取り巻く状況を見るに、小沢氏の政治理念に賛同するのはいいのですが、では、その政治理念を共有できているのか?・・・という疑問があるワケです。他人を持ち上げるだけなら簡単です。

 政治理念が共有できていれば、何も小沢氏ひとりに民主主義の砦になって貰う必要は無いワケです。みんなが、庶民一人々が、民主主義の砦になればいいのです。これは小沢氏を支持する他の政治家についても同じ事が言えます。
菅首相側50人、小沢氏側120人が出席、元日の新年会対決は小沢氏に軍配

 小沢氏を支持するのであれば、小沢氏と同じ行動が取れるはずです。小沢氏の・・・

政治理念が共有できていれば!

それも無く、ただ勢いに乗って集まっただけの集団であれば烏合の衆に過ぎません。情勢が変われば、サッサと態度を変えることでしょう。

 クドイようですが、重要なのは小沢氏では無く、小沢氏が掲げる理念・・・「民主主義」の在り様なのです。そして、「民主主義」の名の如く、主役は庶民であることを自覚しなければなりません。
「我が為し得る程度を。」

 そして彼は微笑(ほほえ)みながら考えた。

「そうだ……それでもやはり……十分だ。」


 我が成し得る程度・・・自分の能力でできる事。それはワタシの様な凡人にはたかが知れている事ですが、同じ庶民の中にも、ワタシより遥かに優れた能力を有した人が必ず居ます。もしその人が、ワタシと同じ理念を持って行動したら、ワタシより遥かに多くの成果をあげるでしょう。ワタシが言うところの「面の力」とは、そういった事です。

 小沢氏にしてもパーフェクトな人間ではありません。力が及ばない部分も必ず有ります。そこを攻められれば形勢は不利になるでしょう。その際には、小沢氏と理念を共有する政治家なり、ワタシたち庶民が補助すればいいのです。理念の実現に向けて。

 では、庶民の理念・・・民主主義の根源は何処にあるのか?と問えば、それは生活です。

 簡単に言うと、過去、日本には身分差別がありました。それは日本建国に纏わる歴史的な経緯から生まれたものです。日本が「多民族国家」として産声をあげたことは、今日多くの人の知るところとなり、「単一民族」という従来の教育が、支配層によって作られた幻想に過ぎない事が広く知られるようになりました。
Y染色体の亜型分化



 従来の固定された知識が入れ替えられたとしても、何ができると言うのか?日々の生活は相変わらず続いていくではないか。・・・と、思うのがワタシを含む庶民の感情ですが、その生活が、従来は身分差別などで不利益、不公平を被っていた生活が、「みんなが平等なんだよ・・・と知るだけでも、世界が違って見えるはずです。それが民主主義の社会なのです。

 そして変化は、その変化の元があっての変化です。その意味で昔からの習慣=因習を理解し、それを乗り越えなければ真の変化は達成できないでしょう。因習を離れる事が、正しい道筋とは思えません。過去から連なる因習のドロドロの部分にシッカリ目を向けないと、因習は陰習となり、いつまでも社会の陰の部分に存在し続ける事でしょう。
「千と千尋の神隠し」に出てくる「カオナシ」の様に。


でわっ!

2011年1月4日火曜日

グルーポンが叩かれてますmmm

 やっぱアレですかね?グーグルの買収話をソデにしたんで、その報復というか、嫌がらせを受けているんですかね?

お金は流通の「媒体」である。


<貼付>
米グルーポン、グーグルの買収拒否―米メディアが伝える


グーグル、グルーポンの買収は破談に終わる

12月1日、「グーグル、クーポン共同購入サイト『Groupon(グルーポン)』の買収へ。買収額50億~60億ドル(約4100億~5000億円)か」という驚くべきニュースが発表されたが、その2日後、交渉は破断したと米メディアが報じた。グーグルの提示額は、過去の買収案件として最高額であったが、グルーポン株主の一部が身売りに反対したという。

グルーポンは独立路線へ

このニュースは、米ニューヨーク・タイムズ紙(電子版)などが関係者の話として報じたもので、それによると、グーグルとグルーポンはかなり深いところで交渉を進めていたが、グルーポンへ出資している一部の株主が新規株式公開(IPO)を目指すべきだと主張。グーグルへの身売りに反対した。

この交渉決裂により、グルーポンが独立路線を維持し、将来の株式公開を目指すこととなった。グーグルはグルーポン買収で地域密着型の広告事業を強化する狙いがあったとみられる。

グルーポンにとっても、大きなメリットがあったはずの今回の買収だったが、その大きな買収額を拒否してまでも、グルーポンは独自の展開を目指していくこととなった。今後、グルーポンがどのようにビジネス展開をしていくか、注目していきたい。

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Googleが再度、クーポン事業者に買収提案


米インターネット検索最大手グーグルが、クーポン共同購入の最大手グルーポンの買収提案が立ち消えとなった件で、同業他社の買収交渉を進めていることが22日わかった。

 ニューヨークポスト紙の報道によると、グルーポンより規模が小さい同業種の他社の名前が挙がっているという。「リビングソーシャル」「バイウィズミー」などだ。

 シカゴに拠点を置くグルーポンは設立わずかで年商30億ドルを達成。それに対して、グーグルが提案した60億ドルという金額は、あまりにも安すぎると見られていた。これからの成長力や、新規株式公開した方が大きくなることは見えていた。

 しかし、60億ドルはグーグルの買収提示額としては過去最大。動画投稿サイトのユー・チューブよりもはるかに高額となる。

 グルーポンがダメなら、なぜ他に乗り換えるのか。クーポン共同購入サイトはローカル広告に強いと言われ、ネット上で広範囲に広告事業を展開するグーグルだが、ローカルに穴があるとされ、そこを補うに最適だと見られているからだ。

 今後も世界中で伸びる市場だと注目されるクーポン事業。今後は、クーポン共同購入サイトを巡るM&Aが激しくなっていくかもしれない。

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 イヤmmm、グーグルは何が何でもグルーポンを手に入れたい・・・というか、乗っ取りたいらしいですなあmmm。それに対抗してグルーポンは・・・


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米グルーポンが5億ドル調達、自社株買いの原資に


[ボストン 30日 ロイター] クーポン共同購入サイト運営の米グルーポンは30日、株式の売却で5億ドルを調達したことを明らかにした。調達した資金の大半は、投資家からの自社株買い戻しに充てる。
 売却した株式数や売却先は明らかにしていない。同社の広報担当はコメントを控えている。 

 同社は、追加の資金調達を検討していると表明。欧州や中南米の事業拡大のため、総額9億5000万ドルの調達を目指していることを明らかにした。

 グルーポンは3年前に設立。アナリストは、ネット関連企業として過去に例のない急成長を遂げていると指摘している。

 複数の報道によると、グーグル(GOOG.O: 株価, 企業情報, レポート)が60億ドルで同社の買収を提案したが、グルーポンは買収提案を拒否した。

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・・・といった次第で、グルーポンはグーグルの軍門に下る気はなさそうです(熱いねえ)。そうなると、これからますますグルーポン・バッシングが盛んになるような気がしますわ。

 少なくとも今、アメリカで何が起きているのか?知る必要があります。なぜグルーポンが急成長を遂げたのか?ワタシはそこに、「お金の流れ」と「品物の流れ」の流れにギャップを感じたアメリカの庶民の、グルーポンに対する支持があるような気がしますが・・・。

 はやい話が、アメリカ庶民が「ドル紙幣」より「クーポン券」の方に、より利便性を見出して乗り換えている。・・・と。

 お金(通貨)だけがいくら流通しても、生活は成り立ちません。生活して行く上で必要なのは現物です。ジッサイ、お金じゃ尻も拭けなければ、鼻もかめません。・・・はい。ワタシたちが最終的に必要なのは、子供のオムツであったり、道を歩くためのであったり、絵を描くためのであったり、決して、お金が最終目的ではありません。

 生活して行く上で必要なのは「現物」であり、現物を手に入れる過程でお金が存在するワケですが、そこに、お金以外の現物を手に入れる手段があり、それが自分にとってメリットがある手段であれば、そっちを選択してもイイわけでしょ?

 また極端な話になりますが、「お金(通貨)以外を使用して現物のやり取りをしてはならない。」などという法律は、世界中のどの国にも無いはずです。

 これからのトレンドは物流になるとワタシは考えています。というか、物流が本題であり、金融は物流の副産物であったのが、いつの間にか立場が逆転してしまい、みんなが銀行口座の残高ばかり気にするようになってしまった・・・。それが本来の姿に戻るだけなんですけどね。

 まあ、判官贔屓と言われようが、日本のグダグダなグルーポンはさて置き、巨大企業グーグルに立ち向かおうとしている本家グルーポンを、陰ながら応援してますmmm。


でわっ!

レッドオーシャンを往け


新年明けましておめでとうございます。

 新年早々、「レッドオーシャン」を往けとは無粋かもしれませんが、かの一休禅師も・・・

正月は、あの世の旅への一里塚。

などと申しておりますmmm。

 生きるものは全て死ぬ。是必定。今・・・この瞬間すらも、死に臨んで思い出せば、きっと幻の如く思えるのでしょうな。そんな事をフト考えた、この正月でした。

 どんな瞬間も過ぎてしまえば形は残らず、ただ記憶として頭の中に存在するのみ。そうなると、現実にどれほどの意味があるのか?目の前の現実とは、数秒後にはタダの記憶に変わるだけの存在なのに・・・。

正月は、あの世の旅への一里塚。

 一休禅師は、「全ては過ぎ行く」ことを理解してらしたんですねmmm。命が消え行く過程の一里塚としての正月。謂わばそれは、物差し、定規の目盛の様なものだと。

 一年という時間の物差し。その上を私たちは、死に向かって毎日歩み続けているワケですが、そうなると、歩むという行為が人生そのものかも知れません。死ぬまで終わることの無い歩みが、「人生」なのだと。

 この年末年始、虎舞竜・・・もとい、トラブルに巻き込まれ若干疲れているのですが、これも仕方の無い事と、頭を切り替えている最中です。この世界は、自分を中心に廻っているワケではありませんから・・・。

 話が飛躍しますが、物体の分子の活動が活発になると個体から液体になり、さらに活発になれば気体になりますよね?その際に発生するのは「熱」ですよね?

 社会も同じように思えるのですよ。人間が活発に活動すればそこに「熱気」が生まれ、社会も熱くなっていく。そして、個体>液体>気体と状態が変化するにつれて、分子の自由度が高くなっていくように、「熱い社会」においては、人間の活動の自由度も上がるのではないか?・・・と。

 それは言葉を換えれば、社会の中の「競争状態」が高いレベルに移行するとも考えられます。「競争社会」と聞くと悪いイメージが思い浮かびますが、スポーツの世界はれっきとした「競争社会」です。「競争社会」は否定されるべきだと、スポーツを否定する人はいませんよね?

 人はひとりひとり、自分の能力(SPEC)を備えています。それ自体は何ら批難されるものではありません。逆に、その能力を最大限に発揮することが、人生を充実したものに変えてくれるのではないでしょうか?

 しかしながら、稀有な能力を持った人は極少数です。能力の団子状態の中から抜け出られないワタシの如き凡人は、同程度の能力の他者と競い合わなければならないのです。そしておそらく多くの人が、同じような境遇に在るのではないか?とも思います。

 であれば、この世に生まれ出た瞬間に、この競争の海、「レッドオーシャン」に投げ出されたようなものです。そして人生は、「レッドオーシャン」を往く過程の中に在る。・・・と。故に、「レッドオーシャン」とは「生きること」そのもの。・・・と、換言可能なワケで、それから目を逸らすという事は、人生を直視しないという事にもなるのでは?

 誰もが平穏無事な人生、「ブルーオーシャン」を望みます。ワタシにしても同じです。しかし原則として、自分以外の存在と共存する上で、ある種の「生存競争」が生まれるのは事実なのです。少なくとも人間は、鶏、牛、豚などの肉を喰らい、殺生を重ねることで生きています。その時点で、「レッドオーシャン」にドップリ浸かっているようなものです。

 スポーツの世界は純然たる「レッドオーシャン」であり、その世界が一握りのスター・プレイヤーと、その他の平凡なプレイヤーによって成り立っていることは、みなさんも認めるところでしょう。それでもみなさんは、その「レッドオーシャン」の世界が好きですよね?

 逆に言えば、サラリーマンだとか公務員だとかは、会社、役所に保護されることで、擬似的に「ブルーオーシャン」に浴しているのかも知れませんが、会社をリストラされれば、いきなり「レッドオーシャン」の中に放り込まれてしまうワケです。・・・よね?そしてその精神的ショックから、自殺を考えてしまう人もいます。・・・よね?

 であれば、「レッドオーシャン」をと心得、他人に委ねることなく生きる覚悟をした方が良いのではないか?・・・などと、この虎舞竜まみれ・・・もとい、トラブルまみれの正月に思い至った次第です。はい。

 ま、「レッドオーシャン」を往くにしても、仲間とか、家族とか、力を合わせて闘う方法もありますからmmm。それに、仲間や家族と力を合わせて「レッドオーシャン」を往けば、お互いの絆も深まり、人生にも深みが増すんじゃないですかね?

 そういったワケで・・・

ヤラれてたまるかっ!

・・・と。


でわっ!