2012年3月6日火曜日

また始まったよ・・・。


 昨年の「東日本大地震」にて被災された方々にお見舞いを申し上げるとともに、災害にてお亡くなりになられた方々のご冥福を、心からお祈り申し上げます。



どこに「真実」はあるのか?

だれが「公正な判断」を下すのか?


 「真実」なんて「相対的」なもので、ひとりひとり違うのだと言う人もいますが、ワタシにはそうは思えません。やはり「真実」は厳然と存在する・・・気がするワケです。

 恥ずかしながら、ワタシも青二才だった(今でも?)頃には、世界は相対的関係にあり、絶対的な真実など存在しないのだmmm!・・・と、思い上がっていましたが、この年になって、「アホか?」・・・と。

 ひと言で言えば、ワタシたちひとり々は「盲人」と同じなのです。そして「盲人」が象に触れ、一部分を「全体」と思い込んでいるようなモノなのです。

 考えてみれば、これは至極当然です。ワタシたちの「認識」は何に拠るかといえば、「感覚」です。で、人間である以上、この「感覚」には「個人差」があります。

 「食べログ」でしたっけ?ヤラセだの、ステマだの騒がれましたが、同じ料理を食べてオイシイと思う人もいれば、マズイ・・・とまではいかなくても、それ程でも?と、感じる人がいて当然でしょ?人間だもの。

 個人々の感覚の「嗜好性」が違うのに、どうしてみんなが100%同じ認識が得られでしょうか?極論?を言えば個人々の「嗜好性」の違いは即ち、個人々の「脳の機能」の違いを意味しているワケです。

 もし「真実」が、薄っぺらな板のようなモノであったとしたら、苦も無くワタシたちの感覚で認識することも可能でしょう。しかし、「真実」がそんな単純なモノだとしたら、現在の世界の在り様も、きっと、もっと単純な姿であった・・・とも思えるワケです。どうですかね?

 まあ世界は、今日まで文明が進歩しても相変わらず複雑怪奇?なワケで、と、いうことは、「真実」とやらも複雑な形をしているのかも知れませんなあ。

 象の各部に触れて、各々が勝手な論評をするうちは象の「全体」は見えてこないのと同じように、いま世界で起きている事の一面だけを・・・自分に都合のイイ部分だけを見ていたら、「真相」とやらには辿り着けないでしょう。

 尤も、「真相」とか「真実」に辿り着きたいのであれば・・・という前提の上ですが、もしそれを拒むのであれば、中世の魔女狩りをしていた頃と、現在・・・2012年とは、実はたいして変わらないという話です。

 尖閣諸島の、例の流出ビデオにしても、シリアの「弾圧」にしても、そして今度はロシア大統領選の不正投票疑惑?にしても、一貫してワタシが言いたいことはひとつです。


ちゃんと検証しろ!


 このひと言に尽きます。


<転載>
 
露大統領選、不正あったと認識…国際監視団

 【モスクワ=緒方賢一】プーチン首相(59)が勝利した4日のロシア大統領選をめぐり、現地に国際選挙監視団を派遣していた全欧安保協力機構(OSCE)は5日、選挙には「幾つかの重大な問題があった」との声明を発表し、選挙に不正があったとの認識を示した。

 反プーチン派勢力も5日、「不正選挙」に抗議する大規模デモをモスクワ中心部で決行すると表明しており、今後、混乱が拡大する恐れがある。

 OSCEは、「政府の職権が乱用され、最終勝者は揺るがぬよう仕組まれていた」と指摘。また、「視察した投票所の約3分の1で集計過程などに不正が目撃された」としている。

 一方、AP通信によると、ロシアの独立系選挙監視団体「ゴーロス」は、有権者がバスで大量動員され、一人が同じ投票所で何回も投票する「回転投票」が頻発していたと発表した。次点に終わったゲンナジー・ジュガーノフ共産党議長(67)も、投票は「非合法で、不公平で不透明だ」と記者団に語り、争う姿勢を示した。

 一方、プーチン陣営幹部はAPに対し、一連の不正疑惑は「ばかげた言いがかりだ」として否定した。

(2012年3月5日21時24分 読売新聞)

</転載>


 ワタシが、シリアのアサド政権を100%支持する立場ではない事は既に書きました。アサド大統領が属するイスラム教アラウィ派ですか?この宗派はもともとシリアにあった土着宗教と、後から入ってきたイスラム教が混同された宗派らしいじゃないですか。

 ま、キリスト教にしても、世界布教の過程で様々な地域の土着宗教と合体してますから同じようなもんでしょう。エチオピアのキリスト教(ラスタファリズム)がバチカンに認められたも、つい最近の事のような気がします。

 で、正統?イスラム教徒からしたら、アラウィ派は「カルト」のように見えるのかも知れません。日本で言えば、例えば「創価学会」とか、「幸福の科学」とかが政権を取ったかのような。

 しかし問題なのは、何処の誰が政権を取ったかではなく、そこで「弾圧」が行われたか否かであり、「弾圧」の定義もハッキリさせなければなりません。

 つまり、「武装蜂起」した反体制軍と戦闘状態に陥ったのを、「弾圧」と呼べるのか?また、その「武装蜂起」はみんなの支持の上での行動なのか?それとも、一部の不満分子の暴走なのか?

 基本は「民族自決」なワケで、たとえ「独裁政権」であろうと国民の支持があれば、それは「民主的」に選ばれた政権と言えます。

 したがって、調停者、仲裁者に出来ることは、先ず事態を「検証」する事。その際には「公正」な判断が求められる事。そして「公正」を期する為に、特定の嗜好性を排除する事。

 「盲人」が象の全体像を掴むには、満遍なく象の周りに人を配置するのが良い。・・・という事です。みんなが鼻だけ触っても、みんなが耳だけ触っても、象の「全体」は見えてこないワケです。よね?

 ひとりの人間にとって、「真実」は手に余るものかも知れませんが、みんなが「真実の断片」を持ち寄れば、「真実の全体像」も見えてくるんじゃないですかね?武田センセイが仰るところの、


大知


という言葉の意味とは、きっとそういう事なんでしょう。ウラを返せば、ワタシたちひとりひとりが、


真実の断片


という事になるんですな。これが・・・。


人間ナメんなよ!


でわっ!