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2013年7月28日日曜日

虚偽が蔓延する世界で真実を語ることは革命に等しい。

  
 原発事故の悲劇を描いた映画、「朝日のあたる家」(監督:太田隆文)が、全国の映画館から上映拒否を受けているそうです。


映画「朝日のあたる家」予告編 NO1



 表向きは、「原発」を扱った映画はお客が入らないというのが理由らしいのですが、ついの先日参院選挙にて当選した山本太郎氏が出演しており、「作品」としての話題性には事欠かないように思えるんですケドね?


原発事故の悲劇を描く映画「朝日のあたる家」監督日記


日本各地の映画館から上映拒否が続く! [映画館公開に向けて]

全国の映画館と交渉を続けている。

原発事故を題材とした映画なので大手映画館チェーンは上映拒否だと分かっていたが、原発ドキュメンタリーを上映する独立系の映画館からも拒否が続いている。

「最近は原発映画に客が入らない」

というのが理由らしい。しかし、湖西市の完成披露上映会では

3千人が来場。浜松の特別上映でも満員御礼。

このフェイスブック、ツイッターには

「どこで上映していますか?」「**市では上映しますか?」

「**館で上映してほしい」

との連絡が日本中から毎日のように来る。

「地元で上映されるときに応援します!」

そういってくれる反原発団体も多い。

さらには、出演者の山本太郎さんが参議院選に当然。

時に人だ。

彼のファンからもコメントを多数頂いている。

「映画も応援します!!」

これだけ条件が揃っていることを伝えても、

「だったら、どこかの映画館で大入りになれば考えます」

との返事。どこもここも同じ答え。

何を考えているのか!

憤慨の日々が続いている......。


 日本人の、文化に対する底の浅さが伺えますなw。文化すら商売のネタでしかないワケですか・・・。作品を観た上でその内容を吟味し、上映に値するかどうかの自己判断をするのならまだしも、


観客が入らないから。


・・・という理由では、あまりに日本の映画人の知的レベルが低すぎて、情けなくなります。

 日本のアニメが世界的に認知されるようになったのは、採算度外視でアニメ製作に打ち込んだ、「オタク」と揶揄される人たちの情熱と、その情熱を支持する「マニア」と呼ばれる人たちの、謂わば


無償の行為の結果


・・・なワケですよ。彼らの情熱が紡ぎ出す「世界観」に、世界中の多くの人が「哲学」を感じ取り、それが現在の日本アニメ隆盛の基層を成していると言えます。

 現在、日本アニメは世界的に受け入れられているワケですが、当初は「マイノリティー」であった黎明期のアニメ関係者たちは、そうした成果を求めていたワケではなく、「創造」に没頭するうちに、周囲の状況が変化したに過ぎません。

 「世界観」・・・即ち、ヴィジョンを持つということは、ひとつの「哲学」を体系化することであり、そうした「精神世界」=「矜持」と金儲けの話とは、


本来、相容れない


・・・と、思うワケです。

 「矜持」と「金儲け」が両立する状態とは、「魂」を売り渡すということであり、いつぞや見たTV番組に拠ると、特に大阪の人は「魂」を売り渡す人を嫌うそうですが、大阪の人に限らず、全国的に「魂」を売り渡す人間なんて信用されません。


クールジャパン


・・・などと政府はホザいていますが、アニメに限って言えば、「金になりそうだぞ」・・・というソロバンづくの考えでしかなく、先人たちの「無償の努力」にタダ乗りしようとしているに過ぎません。

 ま、それでお役に立てるのならと、心優しい「マイノリティー」の人たちは目くじらを立てることも無いワケですが、度を越した商業主義に絡め採られ、作品の内容にまで干渉されるようになれば・・・表現の自由が奪われるようになれば・・・その時点で日本アニメの「世界観」は崩壊し、


文化としては死を迎える。


・・・と、いうことです。

 そして同じことは、アニメ以外の全ての日本文化についても言え、日本の映画文化を築き上げてきた先人たちに想いを馳せれば、今回の「朝日のあたる家」の上映拒否理由は、映画関係者の「矜持」が問われるものであり、日本映画という、ひとつの文化の危機であると言えます。

 日本の映画関係者に、映画人としての矜持・・・映画に対する愛は残っているのでしょうか?「朝日のあたる家」に対する圧力=上映拒否に屈してイイのでしょうか?

 「観客が入らない」・・・というソロバン勘定と、映画自体の芸術性を、同じ天秤に掛けられるのでしょうか?


芸術家とは、所詮その程度


・・・な、ワケですか?日本では?

 ワタシの好きな映画に「惑星ソラリス」という映画がありますが、もうね?100%一般受けしない映画の代表格とも言える映画です。が、それでもワタシはこの映画好きなワケですよ。


惑星ソラリス 

ソ連:1972年


 もし「惑星ソラリス」が、「観客が入らないから」・・・という理由で「お蔵入り」になってしまっていたら、ワタシがこの映画に出会うことも無かったワケですから、恐らく?採算度外視でもこの映画を配給してくれた当時の映画関係者に、


感謝しまwwwす!







人間ナメんなよ!


でわっ!
 

2013年7月26日金曜日

マンガで読む 「改憲」

  
 Blog の模様替えで気分一新。先の参院選結果なんぞにメゲてる場合じゃない!・・・ということで、以前の「ベトナム・カラー」のデザインも気に入っていたのですが、今回増量(推定20%)するのに併せてオサレになりました。

 藤島氏の落選で落ち込んだ気持ちを奮い立たせる?には、このくらい明るい方がイイかと、「テンプレート」の中から選んだのですが、ま、アレです。


失恋した女の子が髪を切る


・・・のと、似たような心境かも知れません。

 さて、参議院選も終わり、今となってはもう後の祭りなのですが、参議院選の前に知っていたら全力で拡散していただろうと確信する、誰にでも分かり易く、「日本国憲法」の本質を突いたマンガが、「暗黒夜考」さんのトコロで紹介されていたので、ワタシも便乗して拡散させていただきます。



豊橋いのちと未来を守る会
http://nabeho.com/inomira/have_to_know.html



















 言葉では伝わらない事実も、マンガという媒体だとスンナリ伝わることもあるもので、雄弁な政治家よりもよっぽどマシ?なようにも思えるワケですが、こうした、人間の「創造力」とか「表現力」を恐れるのが、時の為政者だったりするワケです。

 で、「言論の自由」とか「表現の自由」を、何かと押さえ込みたがるワケですよ。







人間ナメんなよ!


でわっ!
 

2013年7月5日金曜日

ロシアは日本人(東日本人)の故郷

  
 ・・・とか書くと、ヒステリーを起こす人もいるでしょうが、ま、事実は事実として受け止めてください。日本人のルーツを手繰ると、ロシアの「バイカル湖畔グループ」と、中国の「華北グループ」に大きく大別されるのです。


バイカル湖から押し寄せた東日本人の祖先


 ま、「ロシアが故郷」と言うとアレですが、少なくともバイカル湖畔に「縁(えにし)」があるのは事実なワケで、ロシアという国家のことはさておき、バイカル湖には何の罪も、恨みもありません。

 逆に旅行会社が、「日本人の源流ツアー」とか企画してバイカル湖観光をアピールしたら、結構な参加者が集まるんじゃないですかね?ワタシも行ってみたい気がします。


100年前のアイヌ人の写真www
 



ギリシャ人か何かか?


 北方領土問題が露日二国間の問題としてありますが、それでは北方領土問題が解決したら、両国は友好的な関係を強固なものに出来るのですか?


日本 ロシアに対する偏見を捨てるべき
アンドレイ イワノフ 25.06.2013, 13:53
 
・・・ロシアでもソ連時代、日本が米国と協力してソ連に対する軍国主義復活を非難するような風潮がありました。日本文化や風習に関する書籍がソ連共産党中央委員会のイデオロギー検閲を通過することは至難の業でした。いまでもロシア政治エリートの一部は日本に対して無関心もしくは「北方領土」問題で否定的な態度をとっています。

 もちろん、常識も失われていませんでした。それゆえに、公式プロパガンダにも関わらず、ロシア人の日本人に対する態度は、日本人のそれよりもより良好なものでした。・・・


 偏見を捨てるのはムズかしいです。一度他人に騙されると人間不信に落ちってしまうのも偏見の一種であり、戦火を交えた国同士が、胸襟を開いて膝を交えるのが難しいのもまた同じです。

 しかし偏見に囚われていては、新しい可能性を見失ってしまうこともあるでしょうし、それによって、「より良い未来」を棒に振ってしまうかも知れません。

 偏見とは「過去の残像」のようなもであり、それは「経験」とも呼べるのかも知れませんが、未来は常に「未知」であり、いつかは「覚悟」を決めて、「新しい経験」を上書きする時が来るでしょう。

 今がその時なのか?・・・残念ながらワタシには判断できませんが、いつ「その時」が来てもいいように、「心構え」があるに越したことはありません。

 ちなみに・・・「巨人、大鵬、卵焼き」・・・と、昭和の子供から絶大な人気を誇った伝説の?名横綱大鵬ですが、父親はウクライナ人であり、そのせいか?大鵬も若かりし頃はソートーなイケメン(デップ・チャイ)ですw。


大鵬幸喜

誕生~入門

1940年(昭和15年)に、ロシア革命後に樺太へ亡命したウクライナ人のコサック騎兵隊将校、マルキャン・ボリシコの三男として、樺太の敷香町(現・ロシアサハリン州ポロナイスク)に生まれた。当時樺太は日本領だったため、外国出身横綱には数えない。出生の直後に激化した太平洋戦争によってソ連軍が樺太へ侵攻してきたのに伴い、母親と共に最後の引き揚げ船だった小笠原丸で北海道へ引き揚げることとなった。最初は小樽に向かう予定だったが、母親が船酔いと疲労による体調不良によって稚内で途中下船した。小笠原丸はその後、留萌沖で国籍不明の潜水艦(ソ連の潜水艦との説がある)から魚雷攻撃を受けて沈没したが、大鵬親子はその前に下船していたため辛くも難を逃れた。

北海道での生活は母子家庭だったことから大変貧しく、母親の再婚によって住吉姓に改姓した。その再婚相手の職業が教師だったことから学校を毎年異動していたこともあり、しばらくは北海道各地を転々としていた。あまりの貧しさから大鵬自身が家計を助けるために納豆を売り歩いていた話は有名である。再婚相手とは大鵬が10歳の時に離婚したため、大鵬は納谷姓に戻った。 中学校卒業後は一般の同世代の若者と同じ中卒金の卵として北海道弟子屈高等学校の定時制に通いながら林野庁関係の仕事をしていたが、1956年(昭和31年)に二所ノ関一行が訓子府へ巡業に来た時に紹介され、高校を中途退学して入門した。入門時に母親から反対されたが、親子で相撲部屋を見学した時に所属力士の礼儀正しさを見た叔父が母親を説得した。


 どうしても偏見を捨てられない(捨てない)人がいる一方で、世界は毎日めまぐるしく変わっており、日本とロシアの交流が政治レベルを超えて活性化するのは、避けられない・・・というか、


自然の成り行き


・・・のように思えます。そして、そうした「自然の成り行き」を阻害するかのような政治的プロパガンダ(公式プロパガンダ)には、露日両国民が協力して対抗していく必要があるのかも知れません。

 勿論このことは露日の二国間に限った話ではなく、さまざまな民族ルーツを持つ「多民族国家」としての日本を再認識することで、日本国憲法第9条の「武力に頼らない平和の構築」・・・という精神にも適うワケです。

 それが・・・


ハイブリット民族としての日本人


・・・の、正しい在り方だろうと思うワケです。


 


人間ナメんなよ!


でわっ!
 

2013年3月22日金曜日

食について考えた朝

   
 今朝、昨日のお店(Ha:ハー)にまたフォーを食べに行ってみたら、出されたフォーのスープが昨日と違い濁っていて、(1日ももたなかったか・・・orz)と、ガックリしていると、お店の女主人(ハーさん?)が、「どうですか?」・・・と、聞いてきたので、「昨日の方が美味しかったです。」・・・と、歯に衣着せず答えたら、「そうですか・・・。」・・・と、悲しそうな顔になってしまい(ま、当然か?)、もう少しソフトな言い方をすればよかったかな?・・・と。

 それにしても、昨日のアノ美味しさを知ってしまっただけに、今日の味との落差にこっちのほうが悲しいワケで、(ソノへんも分かってよ)・・・と、思っていると、「昨日、日本人のお客さんから、味が薄いと言われました。」・・・と。(オイオイ、ワタシも日本人なんですけど?)・・・と、思いつつ、考えてみれば同じ日本人でも、関東人と関西人では味の好みが違うワケだし、関東にしろ関西にしろ、その地方地方でまた独特の味覚を持っているワケです。

 関東は「濃い味」、関西は「薄い味」と大別されますが、関東人のワタシでも「薄い味」の美味しさは分かりますし、つまり、味の「濃い」、「薄い」は料理全体の造形であり、「旨味」はそれとは別なものではないかと思うワケで、味が「濃い」、「薄い」は料理の「入り口」であり、その奥に「旨味」があるかどうかが重要なのではないか?・・・と。

 前にも話したように、ワタシは「グルメ」でもなければ「食通」(同じか?)でもないので、これ以上はどう説明したらイイのかその術を知らないのですが、ま、「子供」のように先入観を持たずに料理を食べ、それで美味しければイイだけの話しです。

 そういうワケで、今朝のフォーは、(味を濃くしたせいで「旨味」を殺しているのではないか?)・・・と、思えたので、ついついストレートなもの言いになってしまったワケですが、その後に女主人(以後ハーさん)から聞いた言葉に、(我が意を得たり!)・・・と、ひざを叩いた次第です。曰く・・・


「雑貨屋のおじさんにも、同じことを言われました。」


 (でしょ?x ∞)・・・と、心の中で納得しつつ、本当に美味しいものは日本人だろうとベトナム人だろうと、普遍的に伝わるものなのだと、確信した次第です。

 (もしかしたら自分が「舌バカ」なのかも?)・・・と、多少不安ではあったのですが、フォーの本家本元のベトナム人が、同じことを言っているワケですよ(おじさんも「舌バカ」だったらアレですが)。

 で、話はその先に発展するワケですが、ベトナムでフォーを食べた経験のある人はご存知ですが、フォーを「素のまま」食べるベトナム人はマズいません。みんなテーブルにある調味料を好みで入れ、野菜なども自分勝手にトッピングして、「自分好みの味」にして食べます。



 もちろん日本でも、ラーメン屋などに行けば調味料がおいてありますが、基本は、「出されたものをそのまま食べる」・・・であり、ラーメンに限らずほとんどの料理が「料理する側で完結」していて、食べる側は「ただ黙って食べる」・・・というのが日本式?と言えるかも知れません。

 でも考えてみると、ナンか変な気もします。金銭のやり取りは一旦、脇に置いておくとして、料理人(料理)と食べる人の関係性だけに着目すれば、「王様と奴隷」の関係のようにも思えます。絶対的君主(料理人)に出されたものを、不平不満を言わずありがたく頂く。もしくは、絶対的君主(お客)が奴隷(料理人)にたいして、完璧な仕事を要求するとも置き換えられます。

 それにひきかえベトナム流の食事は、出された料理は「食事という行為」の中における「一要素」であり、料理に自分好みの味付けを加えることによって、料理を、自分の「食事という行為」の中に同化させ、その行為を経ることで、料理人とお客という「身分差別」も存在しなくなる。

 ・・・などと考えさせられたワケです。

 「いい仕事をしてますねw。」・・・などと、職人を誉め称えたりりますが、そこには「褒める側」と「褒められる側」の間に、無意識の「身分差別」が隠されている場合もあります。ワタシからすれば、


ふんぞり返って何様のつもり?


・・・とも、思えたりするワケですが。

 こうした「食の封建制度」とも呼べるものが、日本古来の文化なのか?それとも、やはり明治期に欧米から輸入された文化なのかは、その道の専門家にお任せることにして、じゃあ、日本にはベトナムのような「食の民主制度」らしきものが無いのかというと、そんなことはありません。

 みなさん、冬場は特に大好きなアレ、「鍋物」が日本にはあります。もちろん、ベトナムでも「鍋物」は大人気です。「鍋物」はスープと素材だけが用意され、あとは自分たちで好きなように調理して食べますが、これって「完成した料理」じゃないですよね?自分が調理に参加しているワケですから。



 したがって日本人にしても、ベトナム人と同じように「食の民主制度」を・・・「食事という行為」そのものを楽しむ文化風土を持っているワケですが、昨今は「グルメブーム」とやらで、乱暴な言い方をすれば、


「美味いものを食わせろ!」


・・・という、「食の封建制度」が蔓延っているのではないか?・・・と、たかだかフォーの味付けひとつで考えさせらた次第です。はい。


楽しく食事をするのが一番!


・・・ですよね?

 ま、ソレはアレとして、ハーさんのフォーが、以前の味に戻ることを願って止みません。





人間ナメんなよ!


でわっ!
 

2013年2月14日木曜日

あなたの心は誰のもの?

    
 前回は生意気にも武田センセに異を唱えましたが、今回は「全く同感!」・・・と、胸のすく思いです。ベトナム語で言えば、「ドン・イー(同意)」といったトコロです。はい。


インドの「巨人の星」


 以前、アメリカにおける「大衆心理操作」の歴史を追った、イギリスBBC放送製作による「自我の世紀(the CENTURY of the SELF)」という動画を紹介しました。


大衆心理操作(洗脳)の歴史 1


大衆心理操作(洗脳)の歴史 2


大衆心理操作(洗脳)の歴史 3


 これを観れば、所謂「洗脳」というものが、例えば「オーム真理教」のように、特別な環境の下、特別な人たちによって、特別な人たちに対してのみ、行われるものではないことが分かります。

 現代社会においての「洗脳」の方法は、ますます洗練され、そして表面的には見えにくくなることで、既に日常化しているとも言えますし、そうした日常の中で、自分の心を見失っているとも考えられます。

 で、アニメを日本の主要輸出産業にしよう・・・と言った首相が、過去にいたように記憶していますが、海外で日本のアニメが人気があるからといって、国税を投入して輸出産業として育成することに、ワタシとしては違和感を覚えたワケです。

 ま、単なるワタシの郷愁なのかも知れませんが、「あしたのジョー」にしても、「銭ゲバ」にしても、あと・・・「光る風」とかにしても、主人公は常に反体制派でした。そのことはつまり、作者自身が反体制派であり、マンガというものが「カウンターカルチャー」であったと言えます。


 大人たちには、「マンガを見るとヴァカになる!」・・・と、叱られながら、それでもコッソリとマンガを読み耽ったものでしたが、それに比べると現在は「隔世の感」があります。マンガ、アニメがもてはやされ、映画やドラマの原作になる時代ですから、過去の「日陰者」=「カウンターカルチャー」の時代が、まるでだったかの様にも思えます。

 が、ワタシに言わせれば、「つまらない時代」になったものです。「カウンターカルチャー」であることにマンガ、および作家の存在意義を感じるワタシとしては、彼らと彼らの作品=マンガが権力側・・・もしくは「多数派」と迎合するということは、大いなる喪失?損失?としか言えません。

 つまり、「多数派」に対しての「カウンターカルチャー」が消失すれば、残るのは「モノカルチャー」であり、文化の多様性という観点からすればマイナスとなり、文化そのものを、単調でツマラナイものにするであろうからです。

 「権威」を振りかざす「多数派」に対しての、ホンのささやかな「レジスタンス」。それこそが、次なるステップへと文化が上昇する上での「創造の原動力」になるのだとワタシは思うワケです。

 したがって「体制」に取り込まれたマンガに、「企業」に取り込まれたマンガに、何が生み出せると言うのか?生活のためにマンガを描くというのなら、原発のPRマンガだけ描いてればイイんじゃないですか?政府の広報に「四コマ」マンガを連載させてもらえれば、税金で収入が得られるワケですよね?


マンガ家は権力者のイヌなのか?


・・・と、苦言を呈したいワケですよ。昔からのマンガ愛好家としては。


マンガ家としての矜持を持て!


・・・と、奮い立って欲しいワケですよ。ま、マンガ家に限らず、すべての「カウンターカルチャー」の担い手に対してですけれども・・・。


特にロックミュージシャンは酷い!


・・・と言っておきます。「キヨシロー」以外、誰一人として公然と「反体制」を歌にするロッカーが現れないワケで、


日本のロックは死んだ! 


・・・としか言いようがありません。





 しかし、その「魂」は・・・「キヨシロー」が示してくれた「矜持」は、多くの有名・無名を問わず多くの「ブロガー」に受け継がれ、「カッコだけのロックミュージシャン」より、遥かに、「魂がロックしている」と言えるでしょう。

 本題に戻ります。武田センセが仰られるように、マンガ、アニメに企業PRを挿入するのは、れっきとした「サブリミナル」であり、過去の「ポケモン事件」からしても、その効果を狙っている(というか、NHKがそれを明言している)ことは明らかですが、残念ながらインドでの放送ゆえ、公共広告機構消費者センターはそれを指導することが出来ません。

 であれば、日本心理学会であるとか、脳生理学会であるとかが、「学者の良心」を以って諌めるなり、歯止めをかける方法もあるワケですよ。それとも「企業」とグルになって、彼らも「御用学者」ですか?

 最近テレビを見ていると、出演者の着ているTシャツのロゴがボカされていたり、飲み物や調味料の商品名がボカされているのが妙に目障りに感じるワケですが、「そこまでスポンサーに気を遣っているのか?」・・・と、「番組スポンサーでない企業名は隠すのか?」・・・と、穿ってしまうワケです。

 もうね?どこのテレビ局も下り坂なのは、「再放送枠」の増加からも見て取れます。新しいコンテンツを生み出す力がないワケですよ。財政的な面もあるでしょが、なにより「創造力」がなくなっているのが一番の原因でしょう。

 そうした衰退の道を歩みつつあるメディアにとって、「税金」は魅力的な収入源なワケで、喜んで政府のプロパガンダに協力するでしょうし、「原発推進」にも協力するでしょうよ。

 いつぞや「産経」の記者が「緑の風」の記者会見の席で、「我が社の世論調査では緑の風の支持率が低いが、それをどう思うか?」・・・と、得意気?に質問していましたが、それを見て(オイオイ、チョット待ってくれよ)・・・と。(一介の個人企業の世論調査に、どんだけ価値があんの?)・・・と。

 社会の、民意の代弁者のように振舞っていますが、マスコミは全て個人企業です。何ら公的な権限を持っているワケではありません。あくまでも企業の利潤を追求しているに過ぎません。そんな個人企業が、「ウチの世論調査がw」・・・と高飛車に出たところで、なんぼのもんじゃい!・・・と。


フツーに考えれば分かることです。 
  

 で、話は戻りますが、もしインドでそうした「サブリミナルアニメ」を日本企業が放送しているのだとしたら、即刻中止、もしくは打ち切るのが、アジア各国が日本に寄せる信頼を貶めないためにも得策でしょう。

 同じアジア人でありながら、植民地主義、グローバリストの片棒を担ぐような真似をするのは、アメリカの半植民地的な日本の現状からしても、「侍」の「矜持」からしても、「国家の品格」からしても、ワタシにも恥ずべき行為にしか見えないワケですw。orz




人間ナメんなよ!

でわっ!
 

2013年2月3日日曜日

製造業から創造業へ

   
 武田センセが仰るまでも無く製造業の海外移転が著しいワケですが、お話の中で引き合いに出てきた本田宗一郎氏について思うところを述べてみたいと思います。


本田宗一郎




 その前に、同じくお話の中に出てきたアップルの創設者、スティーブ・ジョブス氏ですが、彼は何を為したのでしょうか?アップルコンピューター、i - Pad、i - Phone、と、ハードウェアを生産したのは勿論ですが、それらの道具によって消費者が得られたものは何か?

 それらの道具を通しての新たなる創造活動、および生活スタイルの変革であり、とどのつまりは・・・


文化を創造した


・・・と、言えるワケです。おそらくスティーブ・ジョブス氏が新製品を考案する際には、常に新製品が社会及ぼす影響・・・即ち、「文化的価値」までをも製品の「ヴィジョン」として想い描いていたことでしょう。

 それだけズバ抜けた「創造力」を持ち合せている人間がそうザラにいるワケもなく、「エヴァンジェリスト」と呼ばれるアップルの熱烈な支持者たちは、製品の魅力のみならずその「文化」の支持者であり、創造主S・ジョブス氏の「カリスマ性」に心酔していたワケです。





 そうなると、創造主を失ってしまったアップルに未来はあるのか?・・・となるワケですが、アップルの株価の下落はそうした周囲の反応の表れかも知れません。

 で、S・ジョブス氏と双璧を為す・・・というかだいぶ先輩になるワケですが、日本にも本田宗一郎氏という「創造者」が存在します。

 車が好きで、いち整備工からそのキャリアをスタートさせた本田宗一郎氏が、やがてオートバイの製造へと飛躍するのは、確か、奥さんの買い物を少しでも楽にしてあげようと、自転車に取り付ける原動機を開発するのが切欠だったと記憶しています。

 人間は道具を使う生き物であり、道具無しでは何も出来ません。バスに乗り、電車に乗り、飛行機に乗り、コンピュータを使い、スマートフォンで情報を手に入れ、冷蔵庫で食べ物を保管する・・・etc。

 本田宗一郎氏の頭の中にも、そうした道具と人間が織り成す「文化の姿」が、明確なヴィジョンとして描けていたとワタシには思えるワケです。それは「夢」と呼ばれるものかも知れませんが、その夢を追い続けた軌跡が数々の製品として「結実」したのだと。

 創造の原点・・・それは社会を豊かにすることだと思うワケです。言葉を代えれば「公共の福祉」に貢献する事とも言え、最初に奥さんのために原動機を開発したのは、少しでも買出しの苦労を軽くしてあげたいという思いやりであり、その思いやりが社会全般に広がり「本田技研」へと発展するワケですよ。

 ナンカ、「本田」の廻し者か?・・・とも思われそうな持ち上げっぷりで、ワタシ自身書いてて気後れする面もあるのですが、少なくともワタシがそうした「思いやり」がウソではないだろうと思える理由のひとつに、


いまだにカブを製造している


・・・という点が挙げられます。もうね?初期型の生産開始から半世紀生産が続いているワケですよ。


ホンダ・カブ


リトルカブ(2007年モデル・PGM-FI仕様)


 もはやベトナムでは・・・というか、東南アジアでは生活の一部として定着しており、生活の一部であるということは、「文化」の中に受け入れられていると言えます。

 つまり、本田宗一郎氏の最初のヴィジョン=「オートバイのある生活」の考え方が正しかったから・・・普遍的であったから、ここまで「カブ」が普及したと考えられます。

 ここで言いたいのは、製造力(生産力)があったから「カブ」が普及したワケではなく、確かな創造力(文化力)が受け入れられた結果、ここまで「カブ」が普及したということです。

 「本田技研」が自覚してそうしているのかは定かではありませんが、「モノ造りの原点」=「公共の福祉」という本田宗一郎氏の初心を忘れないために「カブ」を生産し続けているのだとしたら、


HONDA恐るべし!


・・・ということで、アップルにしてもS・ジョブス氏の精神=創造力を受け継ぐ者が現れない限り、未来に明るい展望は開けないのではなかろうか?と。

 で、話をまとめると、製造力だけが日本の取り柄ではないということです。単純な製造業であれば、いずれコストの安い海外に移転していくのは必定。そこで重要になるのが技術力になるワケです。

 技術力は、一朝一夕で身に付くものではないのです。経験を積み重ねた「職人技」が日本にはまだ多く残されていますが、そうした技術力(職人技)を失わないために、日本における「モノ造り」の重要性を何度も繰り返し述べてきたワケですし、そうした技術力を活かすのが創造力になるワケです。 

 技術力と創造力の両輪が揃って、「カブ」のような普遍的な製品が誕生すると思うワケですが、現在の日本の産業界はどう考えているんですかね?創造力がインスパイアされ、また、それに応えられるだけの技術力を維持しようとしているのか?逆に、技術力を活かす創造力=ヴィジョンを持ちうる創造者(本田宗一郎氏やS・ジョブス氏)の育成をしているのか?

 技術力を保持するための製造業の国内温存は、経済性を度外視してでもある程度必要だと思う次第ですが、単純な製造工程が海外に移転してしまうのは覚悟しなければなりません。そして重要なのは、技術力を活かせる創造業にシフトして行くことでしょう。

 最近、「個人メーカー」なるものがボチボチ立ち上がっているようで、ワタシとしてはとてもイイ傾向だと思っています。彼らの中から第2、第3の本田宗一郎、S・ジョブスが現れることを願って止みません。

 付け加えるなら、そうした創造者、創造業育成の下地作りという文脈の中に、「ベーシック・インカム」の導入も考えられるワケです。はい。

 況や、生活保護費の削減などは、生活保護を受給している家庭の子供にも不自由を強いるものであり、日本の将来(政治家の将来ではない!)を思えば、どこに天才が潜んでいるかも知れない子供たちの可能性を狭めてしまう・・・


愚策!


・・・としか言い様がありませんなw。





 もひとつ付け加えるなら、私利私欲のために原子力発電を推進しようとしているすべての関係者に向かって・・・


恥を知れ!


・・・と、言いたいくらいです。





人間ナメんなよ!


でわっ!
 

2012年11月18日日曜日

神話の再編


 衆議院が解散され、来月の投票日に向けて日本中で選挙活動が繰り広げられるワケですが、まwwwた例によって例のごとく、立候補者の歯の浮くような「美辞麗句」を聞かされるのかと思うとウンザリするワケではありますが、民主党から学んだことは、


政治家は平気で嘘をつく


という現実です。はい。



 したがって、候補者の演説の巧妙さなどには流されず、ネット上などで意中の立候補者の情報を収集し、そして、自分が望む未来のヴィジョンと照らし合わせて、より良い候補者を選ぶしかありません。

 ハッキリ言って、自民党政権=小泉内閣の自由化路線に辟易していたせいで、民主党を過大評価していた部分は否めませんが、それでも初期の頃はそれなりに頑張っているように見えたんですけどねえ・・・。

 高速道路の無料化なんて結構期待してたんですけど、結局、「利権」のしがらみを断ち切れなかったこと、「官僚」のサボタージュにあったことなどで、実現には至らなかったのでしょう。

 政治家も同じ人間ですから十全を期待するワケにはいきませんし、「理想」の実現には多くの困難があり、理念=公約の達成が一筋縄ではいかないであろうことも理解できます。

 しかしその上で、ワタシたち有権者と交わした「公約」の実行に向けて努力する誠実さが求められるワケですよ。でなければ選挙なんてただの


嘘つき合戦


であり、茶番に過ぎません。

 その外にも、普天間基地の問題も含め、「アメリカからの圧力」も取り沙汰されていますが、最終的には、「圧力に屈しない精神」を持ち得なかった・・・つまりは、民主党の自主独立の気概が低かったとしか言いようがありません。

 さらには、そうした「外圧」を逆に利用して己の保身、利権を謀ろうとした、「獅子身中の虫」の如き政治家、官僚グループがいたのではないか?というのがワタシの見方です。

 早い話が、自分たちの「支配体制」=「既得権益」を死守しようとしている輩が、はるか昔から現在まで日本の政治中枢に存在しているワケで、ワタシが思うに大雑把に見て「3大系統」が挙げられます。

 彼らは歴史の裏に隠れ、何百年にも渡って日本を影から動かしているワケですが、それもこれも、


日本人が歴史に無関心


であることに原因があると思うワケです。歴史を検証せずに「神話」に埋もれたまま、自分は何者であるか?ということを知ろうともせず、永いこと「単一民族」であるなどと教科書に「刷り込まれていた」ワケですが、もう時代が違うワケですよ。

 どんなに支配層が隠そうとしても、「真実(事実)」がネット上に「公開」されてしまうのは止められないワケですし、そうした真実の「断片」を繋ぎ合わせ丁寧に検証すれば、フツーの人でも大学教授以上?の知識すら得られる時代なワケですよ。

 大学教授なんてのは案外頭がガチガチで、自分の利益に反するような説には拒絶反応を示す、「了見の狭い」人間だったりする場合もあるワケですが、でもそれって、


真理の探求


という、学者の本分とはかけ離れているワケですよね?

 その点、フツーであるワタシたちには「守るべき権威」なんてものが無いので、自由に知識のアップデートが可能なワケです。はい。

 と、いうことは、プライドや権威が邪魔をして「知識のアップデート」ができない大学教授とか知識人よりも、「真実」をありのままに受け入れることのできるワタシたちのほうが、一足お先に賢くなってしまうんですかね?

 妙なカンジではありますが、ワタシが考える「新世界」とは、そうした「知識の共有」が行き届いた世界であり、現在のような歪んだ情報形態(メディア・アカデミズム)は、じきに「旧世界」の遺物となりその役目を終えるか、もしくは新しく生まれ変われないと、その存在価値を失うことでしょう。

 で、前置きが長くなりましたが、先に述べた「日本を裏で動かす」いくつかのグループのうち、代表的なものとして「高句麗系」、「新羅系」、「百済系」が存在すると、ワタシは考えています。

 以下、「目からウロコの地名由来」というブログからの引用です。


<引用>

渡来人ゆかりの地名

(前略)

○渡来人関係の記録を年表で見よう(参考)「新編日本史図表」第一学習社

4C中ごろ
 王仁(わに)、阿知使主(あちのおみ)ら渡来。

404
 倭軍、高句麗に敗北。

4C中~5Cごろ
 朝鮮半島の戦乱で渡来人が増加。

513
 百済より「五経博士」渡来。

540
 渡来人の戸籍を編む。

577
 百済から造仏・造寺工が渡来。

608
 新羅人が多く渡来。

609
 肥後国に80人の百済人漂着。

610
 高句麗から曇徴(どんちょう)が渡来し、紙の製法を伝える。

660
 百済滅亡

663
 白村江の戦いで、日本・百済連合軍大敗。

666
 百済人2千余人を東国に移す。

668
 高句麗滅ぶ。

669
 近江国蒲生郡に百済人700余人を移す。滋賀県日野町から東近江市にかけて百済人が配され、旧愛東町には名高い「百済(ひゃくさい)寺」がある。

676
 新羅が半島を統一。

684
 百済人23人を武蔵国に移す。

687
 高句麗人56人を常陸国、新羅人14人を下毛野国に置く。

689
 新羅人を武蔵国、下毛野国に置く。

711
 上野国に多胡郡設置。

※712
 古事記成立。

715
 新羅人を移し、美濃国席田郡設置。岐阜県本巣市席田(むしろだ)として、地名に残っている。

716
 高句麗人1779人を、東国の七国に置く。同年武蔵国高麗郡設置。埼玉県日高市から飯能市南高麗あたりが「武蔵国高麗郡」であった。日高市には「高麗山聖天院」と「高麗神社」、JR[高麗川駅」、西武線「高麗駅」がある。東京都狛江(こまえ)市には、高句麗系とみられる「亀塚古墳」がある。


※高麗神社の参道


 神奈川県大磯町高麗は花水川の右岸にあり、付近には「高来神社」がある。また、相模一ノ宮のある「高座(こうざ・たかくら)郡」は高句麗系渡来人によって開拓された地である。

 山梨県巨摩(こま)郡や東京都狛江(こまえ)市も高句麗系にゆかりの地名だ。

 狛江市には多摩川左岸に駒井(こまい)町があり、「こまえ」から派生した地名だろう。

※720
 日本書紀成立。

758
 新羅人74人を武蔵国に移し、新羅郡設置。埼玉県新座市・和光市・朝霞市・志木市周辺がこの「新羅郡」とされている。「新羅郡」は後に「新座(しらぎ)郡」と表記され、新座の字面からやがて「にいざぐん」と言うようになった。

760
 新羅人131人を武蔵国に移す。

(後略)


 ※はワタシが加筆しましたが、誰が古事記や日本書紀を編纂したのか?は、日本の歴史を再検証する上で重要なポイントです。歴史書の編纂は、時の権力者の一大事業なのですから・・・。

 新羅は最終的に朝鮮半島を統一したものの、「失政」により、やがて「後高句麗(高麗)」、「新羅」、「後百済」へと再分裂し、9C前半には「高麗国」に併呑され消滅してしまいます。(韓国・東北アジアの歴史より

 で、こうした過去の経緯を見ると、「関東」と「関西」のライバル意識?というもの、「西の百済」、「東の高句麗+新羅」という構図で見ることもできます。

 つまり朝鮮半島での対立関係を日本国内に持ち込んだのが、後世までズッと尾を引いていると解釈することもできるワケです。

 しかしそれは、「天皇制」を要(かなめ)とした日本という国の成り立ち方とは違うように思うワケですよ。日本に暮らす諸民族が、「天皇(大君)」という「一枚看板」の下に平等に暮らす・・・。それこそが、「卑弥呼」の時代からの日本に住む諸民族の在り方であったと思うワケです。

 ま、ジッサイは「日本」と「倭国」は別物で、「倭国」の統治方式を「日本」が引き継いだのでしょうが・・・。

 誰がエライとか、どの民族が優れているとか、「神話」の世界に住んでいる思考停止した人たちならいざ知らず、現代を生きるワタシたちは充分な「理性」を備えているワケで、同じ人間であることを当然の事として受け入れられるワケです。

 そこで一例ですが、橋下氏の出自が差別問題としてつい最近騒がれましたが、理性を兼ね備えているならば「差別の本質」を理解し、


それがどwしたの?


・・・と、堂々としていればイイだけの話しで、記事にする方の浅薄な理性を、逆に哀れんでやるくらいの余裕が欲しかったワケですが、ツイッターなどで過激な発言を繰り返しているのを見て、


あwあ、この程度かよ・・・。


・・・と、残念www!な気持ち(元から期待してませんが)だったワケです。ワタシ的には。

 前回書いたように、人間の脳は3重構造になっていて、この脳の構造によって、人は時として獣のような振る舞いもするワケですが、それを「無意識」というブラックボックスに押し込めたままでは、いつまで経っても「進歩」できないワケですよ。



 脳の構造を理解し、「理性(大脳新皮質)」、「感情(大脳辺縁系)」、「本能(脳幹)」の関連性を理解することで、「理性を主体とした人格」の形成という、人間を人間足らしめる進歩?進化?が意識的に可能になる。・・・というのが、「新時代」におけるワタシたちの在り方の、ワタシなりのヴィジョンなワケです。はい。

 歴史にしても他の学問にしても、「神話」の中で思考停止してしまうのではなく、「神話」の構造を検証し「神話」を再編することで、「新世界」への扉は開かれるものとワタシは考えます。

 「過去の遺恨(例えば差別)」を乗り越える「神話の再編」なくしては、差別にしても、利権に群がる旧世界のゾンビーズにしても、この先もズットのさばり続けるでしょうし、政治を変える、日本を変えるとは正に、


己自身を知る=個人革命


というトコロから始まるワケで、


己の闇を暴き、日本の闇を暴く!


・・・という、覚悟が必要だと思うワケです。はい。




人間ナメんなよ!


でわっ!
 

2012年11月5日月曜日

赤ひげ


 名匠、故黒澤明監督の作品に、「赤ひげ」という映画があります。




赤ひげ
製作年度: 1965年
製作国・地域: 日本 上映時間: 185分

解説:  山本周五郎原作の『赤ひげ診療譚』を基に、巨匠・黒澤明監督が三船敏郎、加山雄三主演で映画化したヒューマニズム溢れる人情ドラマ。江戸時代の小石川養生所を舞台に、そこを訪れる庶民の人生模様と通称赤ひげと呼ばれる所長と青年医師の心の交流を描く。長崎で和蘭陀医学を学んだ青年・保本登は、医師見習いとして小石川養生所に住み込むことになる。養生所の貧乏くささとひげを生やし無骨な所長・赤ひげに好感を持てない保本は養生所の禁を犯して破門されることさえ望んでいた。しかし、赤ひげの診断と医療技術の確かさを知り、また彼を頼る貧乏な人々の姿に次第に心を動かされていくのだった……。(allcinema ONLINE)


 で、前回触れた「iPS細胞」にしてもそうですが、ワタシは、「医学」は「数学」と並ぶ普遍的な学問であると思っています。「医学」の前には、


全ての人間は平等


な存在になるワケですから。

 「政治学」だの、「経済学」だの、「哲学」にしても、時代により潮流は変化していきます。つまりそれは、「思想」が「実在(時代)」の後追いをしているからのように思え、であれば、「思想」は「実在」に先んじることは無い。・・・とも言えます。

 もしそのような事態が起こり得るとしたら、それは「プロパガンダ」などによる「社会操作」である可能性が考えられ、個人の自由を否定しようとする危険な状態にあると言えます。

 それはさて置き、「V.O.R.(ボイス・オブ・ロシア)」に、現代の「赤ひげ」の記事がありました。


医療に国境なし
アーラ・ソロヴィヨワ .5.11.2012, 14:44



<転載>

 日本の山口芳裕博士の両腕によって命を救われたロシア人はひとりではない。杏林大学高度救命救急センター救急医学教室の山口博士は、既に10年以上にわたり、ロシアのハバロフスク地方の医者たちと緊密な協力を行っている。山口先生にとって、ヒポクラテスの誓いは空文に過ぎないものではない。博士は、自身の研究室が今日最も現代的な設備と最新のテクノロジーを備えており、それはハバロフスクの同業者たちにまだないものだと知りながら、無関心にとどまっていることは出来なかった。

 ロシアの患者たちに自身の医療センターで治療をほどこす傍ら、山口先生は極東連邦管区の医師・医療従事者のためのセミナーを開催した。10月末、山口博士は休暇を利用してハバロフスクに入り、現在彼の医療センターで用いられている火傷治療の新技術に関する無料セミナーのシリーズを開いた。「より多く知ったなら、その知ったことを同僚たちと分け合わなければならない」と山口先生は語る。「なぜなら、私たちは、住んでいる場所や働いている場所に関りなく、公共の事業に取り組んでいるのだから」。

 セミナーに参加したロシア人たちは、山口博士に心からの感謝を表した。なぜなら、火傷治療の分野で、日本は誰もが認めるリーダーであり、博士は誰もが認める権威者なのだから。セミナーとレクチャーの終わりに、参加者らもまた、ハイテク医療には国境があってはならず、万人の手に届くものでなければならない、と深い確信を表した。

</転載>


 ま、医者にもイロイロな人がいるワケで、ナチスドイツの「Dr.メンゲレ」や、旧大日本帝国軍の「731部隊」など、


悪名高い医者


も存在するワケですが、ほとんどの医者は「患者の命を救うため」に日々尽力しているワケですし、人の命を救うことのみならず、「世界を変える」ことすら可能な力を持っているワケです。

 繰り返しになりますが、「iPS細胞」の研究と治療法が一般化すれば、


臓器売買


という忌まわしい「犯罪」を、世界中から「根絶」できる日が来るワケですよ。放射線の影響で機能低下かした「甲状腺」を、正常な状態に「再生」できる日が来るワケですよ。

 そうした恩恵を受ける人は世界中にいます。原発事故が未だに収束せずに苦しんでいる日本はもとより、チェルノブイリ原発事故の影響を受けた人たちにしても、湾岸戦争で使われた「劣化ウラン弾」による被爆に苦しむ中東の人たちにしても、アメリカや中国の核爆弾実験場周辺の健康障害に苦しむ人たちにしても、


同じ人間なのです。


 したがって日本が研究成果を囲い込むことは、世界の進歩を妨害するにも等しい愚行だと言いたいワケです。事、「iPS細胞」の研究に限って言えば、「著作権フリー」にして全ての研究者の「共有財産」に位置づけ、研究から派生する全ての成果も「著作権フリー」として、一部の国や企業による独占を許さない「iPS国際条約」のひとつも、日本が率先して提案すべきでしょう。

 下世話な話になって恐縮ですが、誰でも「命の恩人」に対しては恩義を感じるものです。そしてどういうワケか、この「恩義」という観念は世界共通の観念なワケです。ワタシが何を言いたいのか、勘のスルドイ方はもうお気づきかも知りませんが、これ=「iPS細胞」の研究のオープン・ソース化は、


日本の安全保障


にも貢献し得るという側面を持ち合わせているワケです(「蒼井そら」ほどではないかも知れませんが)。


痛いニュース
2012年04月19日
【サッカー】 「尖閣諸島は我々中国のもの、蒼井そらはみんなのもの」…広州サポーターが横断幕


 考えてもみてください。「核兵器」で武装して、周辺国を威嚇しながら日本の安全保障を確保するのと、日本という存在が世界中に必要とされ、スイスのように「各国の紳士協定」により安全保障を確保するのと、どちらが「日本国憲法」の精神に適っているか?

 ま、「日本国憲法」を引き合いに出すまでもなく、本質的に日本人は、「排他的」「好戦的」な民族ではなく、どんな状況にも対応可能な「ハイブリット民族」のDNAを持っているワケで、そもそも「核武装」なんて、日本人の「美意識」からはズレているように感じるワケです。

 したがって「核武装」をしたがる政治家や知識人には、本来の日本人とは違う「異質」なものを感じてしまうワケですが、ワタシだけですかね?そんな風に感じてしまうのは・・・。




人間ナメんなよ!


でわっ!
 

2012年11月3日土曜日

フィリピンの憂鬱


 南沙諸島での周辺各国入り乱れての領土係争にて、フィリピンは基本的にアメリカと歩調を合わせているようですが、その胸の内?を察するような事実を知ってしまいました・・・。

 「知ってしまいました」というのは、できれば知りたくなかったからでもあるワケですが、以下、ショッキングな写真が含まれていますので心して見て下さい。


タイ政治ナビゲーション
2012年10月21日
【アブダビ】虐待されたメイド。顔面もズタズタに切り裂かれて死んでいく


新・アラビア半島定点観測
2011年07月10日
写真は語るシリーズ:家政婦虐待事件が外交問題に発展


 ま、知る人ぞ知る・・・「アラブの裏の顔」・・・と、いったトコロなのでしょうが、それにしても、同じ人間に対してよくもまあ、ここまで「無慈悲な仕打ち」ができるものですわ。

 フィリピン人、インドネシア人の出稼ぎ家政婦に対するアラブの常軌を逸した「虐待」に対しては、インドネシア政府、フィリピン政府でなくとも声を大にして抗議したくなります。

 中東では「おしん」が大人気だということですが、イッタイどういう目で「おしん」を見ていたのか?


日本人はイジメ甲斐がありそうだ♪


・・・とでも思いながら見ていたのか?と、想像すると、背筋が寒くなります。


一般財団法人アジア・太平洋人権情報センター
現代の奴隷制ーインドネシア家事労働者の人権問題ー


 出稼ぎ労働者からの送金で経済が回っているような国にとっては、出稼ぎ労働者の身分保障は国の責務であると言っても過言ではないワケで、少なくともフィリピン、インドネシアにしてみれば、中東で働く自国の出稼ぎ労働者の身の安全を確保するのに、中東に睨みの効くアメリカの後ろ盾は心強いワケですよね?

 例え南沙諸島に資源が埋まっていようと、フィリピン、インドネシアには自国でそれを開発するだけの人材がいません。であれば、事を急いで領土問題を騒ぎ立てるメリットは無いように思うワケです。

 そこにアメリカが登場して、「中国封じ込め?」のために協力を仰いできたならば、引き換え条件として中東地域(特にサウジアラビア)で働く、自国の出稼ぎ労働者の「人権保護」を申し出ることでしょう。

 いやね?もしワタシであったら、そういう取引をするだろうという話です。はい。

 自国民を守ろうとする心情は誰にも責められないワケで、アメリカの力が役に立つと思えば、アメリカとも手を組むでしょうよ。

 それにしても、フィリピンはキリスト教国なのでイスラム圏において虐待の対象にされ易い?のは何となく分かりますが、同じイスラム教徒であるインドネシア人までもが虐待の被害に遭うのが解せません。ま、イスラム教徒の場合、スンナ派とシーア派のように抗争を繰り返している宗派もありますが・・・。


アラブとは、イスラムとは何なのか?


 よく分からなくなりました。というよりも、正直、あまり好意的に見られないワケで・・・。

 アラブ民族が異民族に対して非寛容であり、差別的な民族であるならば、進んで親交を持つ必要も無いようにも思えたりするワケです。おそらく、そうした伝統的価値観はアラブの王族のアイデンティティーであり、他国の介入に拠るものではなく、国民の自発的な意識改革が求められるワケです。


ROCKWAY EXPRESS
バーレーン:集会禁止令で大衆操作


 そうした事情を知ると、フィリピン、インドネシアなどの出稼ぎ労働者に同情してしまうワケでもあり、例の「TPP」の話に繋がるのですが、彼女ら出稼ぎ家政婦をもっと日本国内で雇用できるようになれば、虐待の被害に会う可能性の高い中東に行かなくても済むようになるワケですが、でもそうなると、日本人雇用の問題が発生するワケで、情に流されてばかりもいられないです。はい。

 ただし、同じアジア人として、同じ人間として、中東で日常的に繰り返されている「家政婦虐待」は許せませんし、これを見過し放置することは日本国憲法の精神からしても、いかがなものか?・・・と。


日本国憲法 前文

(前略)われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。(後略)


 中東における出稼ぎ家政婦の虐待問題、それを増長させているのが欧米が肩入れするサウジアラビアなどの、「首長による封建国家制度」にあるのだとしたら、現在の中東の情勢も「アラブの春」とやらも、別な角度から見直す必要があるかも知れません。

 少なくともフィリピン、インドネシアにとっての中東情勢は、自国の海外労働者の安全保障に関わる重大な問題であり、また同時に、南沙諸島の領土係争当事国であるという現状を重ね合わせれば、中東の問題とアジアの問題を切り離して考えるのは「全体観」の欠如であろうかと。

 話は変わりますが、カナダとメキシコが「TPP」の交渉に参加表明したそうで、カナダはアレとしてメキシコの場合は、国内に巣食う麻薬犯罪組織の撲滅にはどうしてもアメリカの手助けが必要で、「経済」と「犯罪」を秤にかけ、麻薬犯罪組織の撲滅を優先させるという国内事情があるのかも知れません。ホンダもメキシコに進出しましたが、ワタシ、ちょっと心配でもあるワケです。治安悪そうだし・・・。


麻薬密売組織セタスの最高指導者を殺害か、メキシコ軍
AFP 2012年10月09日 18:13 発信地:メキシコ市/メキシコ

<転載>

【10月9日 AFP】メキシコ海軍は8日、米国との国境沿いで発生した銃撃戦で、度重なる虐殺行為で知られる麻薬密売組織セタス(Zetas)の最高幹部を殺害した可能性があると発表した。

 同軍の声明によると現在、最終的な検視結果を待っている状態だが、遺体はエル・ラスカ(El Lazca)の異名で知られるエリベルト・ラスカノ(Heriberto Lazcano)容疑者のものとみられるという。

 銃撃戦があったのは「麻薬戦争」の中心地であるコアウイラ(Coahuila)州。国境沿いの小さな町プログレソ(Progreso)で7日、「警ら中の海軍要員を小型爆弾と銃器で襲撃した容疑者2人が、銃撃戦中に死亡した」と発表された。銃撃戦後、軍部隊は、ロケット弾や小型爆弾12個の発射に用いられた発射筒を押収したという。

 ラスカノ容疑者は、分裂したセタスの最高幹部2人のうちの1人。メキシコの最重要指名手配被疑者で、逮捕につながる情報には260万ドル(約2億円)の懸賞金が懸けられていた。また米国も500万ドル(約3億9000万円)の懸賞金を懸けていた。

 メキシコでは2006年に軍による取り締まりが開始して以降、麻薬戦争で6万人が死亡したとされている。(c)AFP

</転載>


 これ、つい先月のニュースなワケで、単純計算で1年に1万人が「麻薬戦争」で死亡しており、日本のような治安のいい国からしたら信じられません。

 で、そうした政治的思惑もあってTPP交渉参加を表明したとしても構わないワケですが、ただね?「麻薬」を誰が買っているのか=「市場」を見極めることも大切だと思うワケです。買い手がいなくなれば商売は成り立たないのが「市場原理」ってやつでしょ?

 現在の「麻薬対策」は「作り手側」、「売り手側」ばかりを叩いていますが、それじゃw「モグラ叩き」と同じで効果が無い・・・とは言いませんが、効果が持続しないように思えるワケです。そこに「市場」がある限り、


新手の参入者


は必ず現われるワケで、したがって「麻薬ビジネス」を根絶するには、「市場」を消し去るのが一番確実なワケですが、さて、どうしたものか?ワタシの頭では思いつきません。orz




人間ナメんなよ!


でわっ!
 

2012年9月20日木曜日

パラドクス


 上海のユニクロの店舗に「支持釣魚島是中国固有領土(尖閣島は中国の領土)」という紙が貼られ、そのことに日本国内の「愛国者」を自負する方々が激昂しているようですが、まるで最前線の歩兵に「突撃」を命じる、旧日本軍の作戦司令部の体質そのもののようで「反吐」が出ます。


<転載>

上海ユニクロ騒動に見る、暴力に屈せず不偏不党を実践する難しさ
宮島理 2012年09月19日 08:05

 上海ユニクロ店舗に掲げられた「支持釣魚島是中国固有領土」はデマではなかった。プレスリリースでユニクロは不偏不党の立場を主張しているが、結局は、暴力を振るわない日本に対しては強く、暴力を振るう中国に対しては弱いということだろう。グローバル企業が不偏不党を貫くのは難しい。

 反日デモがSNSなどで実況中継されるなか、上海にあるユニクロ店舗のショーウィンドーに、「支持釣魚島是中国固有領土」(尖閣諸島は中国固有の領土であることを支持する)というメッセージが掲げられた画像が投稿されていた。さすがにこれはデマだろうと思った。なぜなら、グローバル企業は外交に口を出さないのが最低限のマナーだからである。

 ところが、本日ユニクロが公表したプレスリリースによると、上海のユニクロ店舗が「支持釣魚島是中国固有領土」と掲げたのは事実だったようだ。


>>「弊社にて調査いたしましたところ、上海郊外の一店舗におきまして、9月15日午後、当該店舗の現地従業員が独自の判断により、上記内容の張り紙を掲示し、約40分後、撤去していた事実が判明いたしました。

 本件は会社の指示によるものではなく、また、他の店舗におきまして、このような事は一切起きておりません。

(株)ファーストリテイリング、並びに、(株)ユニクロは、一私企業が政治的外交的問題に関していかなる立場も取るべきではないと考えており、このような行為があったことは大変遺憾であると考えております」

(「上海のユニクロ店舗における、尖閣問題に関する掲示物の件につきまして」 より)<<


 ユニクロも述べているように、グローバル企業は「政治的外交的問題に関していかなる立場も取るべきではない」というのが鉄則である。しかし、現実問題として、暴徒が尖閣国有化を口実に店舗を襲おうと迫ってきている。襲撃を避けるためには、「(中国的な意味での)愛国」を示さなければならない。そう考えて、現地従業員は「支持釣魚島是中国固有領土」という“魔除けの御札”を掲げたのだろう。

 一方、当然のことながら日本国内のユニクロ店舗において、「尖閣諸島は日本固有の領土であることを支持する」というメッセージが掲げられることはない。日本ではそのような「愛国」を求められることはないからだ。

 同じ外交問題に直面していても、日本人および日本政府は常に理性的であるのに対し、中国人および中国政府はすぐに暴力などの露骨な圧力をかけてくる。所詮、「一私企業」であるユニクロとしては、不偏不党というタテマエとは別に、中国に対しては何かと気を遣う必要が出てくる。しかし、日本に対しては気を遣う必要がない。それどころか、外交問題についてどんどん物申すことさえできる。


>>「『なぜ靖国神社に行くのか分からない。個人の趣味を外交に使うのはまずいんじゃないか』と憤るのは『ユニクロ』を展開するファーストリテイリングの柳井正会長兼社長(56)。『政治が経済の足を引っ張っている』と小泉純一郎首相を厳しく批判した。(略)『隣国として日中は抜き差しならない関係。この関係が破滅的になれば、日本という国だってなくなる可能性がある』と語気を強めた」

(2005年12月26日付時事通信より)<<

 小泉首相の靖国参拝は外交問題であり、「一私企業」およびその代表者が口を出すようなことではない。にもかかわらず、柳井氏は靖国参拝を批判し、結果的に中国寄りの立場を表明することとなった。実質的に当時も反日デモを扇動した中国の圧力に屈し、日本を批判することを選択したと言ってもいい。

 このように、グローバル企業の不偏不党とは、日本のような自由な社会でなければ担保されない性質のものなのである。仮に、日本人および日本政府が中国同様に暴力を用いれば、グローバル企業は必死になって「尖閣諸島は日本固有の領土であることを支持する」というメッセージを発するだろう。もちろん、日本がそんな社会になることだけは絶対に避けなければならない。

 言ってみれば、グローバル企業は自由な社会においては、その自由な空気を当たり前のように吸って甘えている。一方、中国のような暴力的な社会においては、暴力に屈して自由な社会に敵対するポーズを取ることも厭わない。これはグローバル企業に限らず、残念ながら報道やリークの世界についても一部言えることだ。

 不偏不党を貫くことが難しいのなら、せめて自由な社会に甘えるような姿勢だけは避けるべきだろう。「自由な国土における自由の言論なるものを喰いものにした挙句に首尾よく喰い逃げに成功した徒輩」(中野好之『バークの思想と現代日本人の歴史観』より)とならぬよう、自分自身も含めて強く戒めたいものである。

</転載>


 ワタシも海外在住組ですから、ユニクロ上海店のとった行動は理解でしますし、当然とまでは言いませんが「止むに止まれぬ行為」として捉えています。

 日本国内で「虚勢」を張っているだけの「国士」の方々には、外地において日本経済の「最前線」として奮闘している同胞の心情など汲み取れないのだなあ・・・と、お見受けします。

 自らは安全な場所に身を置き、己が「参謀」か何かだと勘違いしているトンチンカンな輩ばかりで、まったくもって嘆かわしい限りですなw。

 「愛国者」を自負する方々の中には、日本人は「自虐史観」に囚われていると主張する人が多々います。曰く、「旧日本軍は本当は強かったんだ。」・・・とか、「米英の卑怯な策略にハメられたんだ。」・・・とか、「勝てたはずの戦いに運悪く負けてしまったんだ。」・・・とか、もうね?聞いてて見苦しいったらありゃしない。

 例えば試合で「巨人」に負けた「阪神」が(その逆でもイイです)、「いやw、今日の試合は勝てたのに負けちゃいましたw。」・・・と言ったところで、「負けは負け」なワケですよ。強がりを言ったからとて、「試合の結果」が覆るワケもありません。

 負けた試合を反省し、その原因を究明するのが「監督」の役割であるワケですよね?場合に依っては「作戦」の指揮をした監督の責任が問われるのがフツwであり、「勝てた試合だった・・・」などと、過ぎた試合の郷愁に浸っているような監督は


大バカ者


でしかなく、「勝負師」としては全くお話にならないということを、常日頃「真剣勝負」に身を置く方々であればご理解いただけるかと?

 ま、ソレはアレとして、経済戦争の最前線・・・つまり海外で活動する日本企業や邦人ビジネスマンが、自らの身を危険から守るために「方便」を使ったとして、誰に非難される謂れもありません。ましてや、日本国内で「ぬるま湯」に浸かっているだけの「自称愛国者」なんぞに。

 今回のユニクロ上海店の独自の判断は、最前線における臨機応変の戦術・・・「ゲリラ戦術」とも言えるものです。

 実戦の場面においても、物陰に隠れ敵が来るのを待ち構え、十分に罠を仕掛けた上で攻撃する戦法を「卑怯」呼ばわるするんですかね?「愛国者」のみなさんは?

 圧倒的に「戦力」に差があっても、正々堂々と戦い「玉砕」しろと言うんですかね?「愛国者」のみなさんは?

 そうした「軍国主義精神」に心酔する「愛国者」のおかげで、先の戦争でどれだけの人間が死ななくてもイイ場面で死に追いやられたのか、ワタシたちは忘れてはならないのです。

 そうした「主義」、「形式」を重んじ、ひとりひとりの「兵」を将棋の「駒」か何かのようにしか思っていない「愛国者」なんぞに、ワタシたちの「命」を、ワタシたちの「日本」を預ける気など1ミリもありません。

 日本は戦争に負けたのです。そしてその責任は、戦争を主導した全ての政治家、官僚、軍人、マスコミにあるのです。戦争に負けたことで「自虐」する必要ありませんが、なぜ負けたのかを徹底的に検証し、その責任の所在は明らかにしなければなりません。

 「東京裁判」は、戦勝国による一方的な裁判であると「愛国者」の方々は非難しますが、当たり前です。日本は戦争に負けたのですから、戦勝国の法律によって裁かれるしかないのです。それが嫌なら、戦争に勝つしかないのです。

 で、「東京裁判」によって戦争の総括ができたのかというと、はなはだ疑問です。本来裁かれるべき、日本国民に対する「戦犯」が巧妙に裁判を逃れています。連合国の手による裁判だけでなく、日本人自身による「戦争裁判」があって然るべきなのです。

 彼らは、日本を敗戦に導いた責任を問われなければならないのです。そうした日本人自身による「自虐」ではなく「自己反省」がキッチリ行われいないが故に、


旧日本軍はホントは強かった。


・・・などという郷愁に浸るだけの「大バカ者」が、「愛国者」などとイッチョ前の顔してのさばっているワケです。

 旧日本軍がどれだけ強かったとしても、戦争に負けたという事実は変わりません。そんなに強かったのなら尚の事、何故戦争に負けたのかを「徹底検証」しなければ進歩しません。よね?

 そもそも「勝てる戦争」だったのかどうか、戦争が始まる前から戦争は始まっていたワケですよ。また、「戦略の基本」からすれば、勝ち負けは二の次にして戦争のもたらす効果と損失を秤にかけ、戦争に負けるにしても最小限の損失で済ませることもできたワケです。

 そうした、「自虐」ではなく「自己反省」、もしくは「自己分析」を、「愛国」だとか「国家」だとかのイデオロギーをまくし立てることで疎かにしているから


愚か者!


・・・と、言いたくなるワケです。「自己反省」することは、より高いレベルに進むためには必要なことなのですよ。

 で、話はユニクロ上海店に戻りますが、件の貼り紙をしたとてそれが何だというのでしょうか?反日中国人側からすれば、そんなもの「本心」じゃないことぐらいお見通しです。しかし、貼り紙を無視して破壊行為に及べば「反日デモの主旨」からして「自己矛盾」に陥るワケです。

 ユニクロ側にしても、「本心」じゃなくても件の貼り紙をすることで身の安全が図れるなら、一種の「ゲリラ戦術」としてその行為を非難される謂れはありません。なにしろ「最前線」にいる自分の身は、自分自身でしたたかに守るしかないワケで、日本国内の「愛国者」のみなさんなんてアテになりませんからw。

 ま、そんなワケで、「本心」じゃないことは両者・・・反日デモ側もユニクロ側も納得済みという構図がそこにあるワケですが、だとしても、反日デモ側はユニクロの貼り紙を無視することはできないワケですよ。


ワタシは嘘つきである。


 こう宣言したワタシが嘘つきだとすると、ワタシは正直者だということになります。また、ワタシが正直者であるのに嘘つきだと宣言したとするとワタシは嘘つきと言うことになり、嘘つきであるワタシが嘘つきだと宣言したのなら私は正直者になり・・・以下、無限ループ。

 と、西洋の倫理学には「パラドクスの落とし穴」があるワケですが、アジア的倫理?には、そうしたパラドクスさえ飲み込んでしまう部分があるワケですよ。「存在を在るがままに受け入れる」という、「道元」などに見られる禅の思想とか・・・。

 ま、小難しい話はアレとして、解決できない矛盾が存在するのなら、その矛盾すらひとつの存在として受け入れてしまえばイイという、少々荒っぽい?叡智と言えるでしょうし、言葉を変えれば「棚上げ」とも言えます。お分かりいただけます?

 そういうワケで、素晴らしい先人に恵まれた日本であれば・・・いわんや、ひとりひとりの日本人の知性は、


日々、着実に進歩している。


・・・と、ワタシなんぞは信じている次第です。はい。




人間ナメんなよ!


でわっ!