2010年4月17日土曜日

人間性のハナシ

 前回、「人間性」は定義不可能ナンじゃないの?と、ワタシの私見を述べたワケですが、その後ずっと「人間性」についてイロイロ考えていました。で、人間が「理性」「本能」の両方を備えていることは既におハナシしたワケですが、何かまだ足らないような気がしてて、ようやく思い当たったのが「情」ですわ。そこでワタシの私論として人間性の3要素に、「理性」「本能」「情(シンパシー)」の三つを仮定したいと。はい。

 思えば「情」って不思議ですよね?犬や猫などのペットや動物に愛着、情を寄せるのならまだしも、自動車とか、道具とか、生き物以外の物体にも人は時に「情」を寄せます。これって「理性」の働きから見れば全く理不尽なことですよね?だって、ただの「物」なんですから。「本能」の働きから見ても、道具なんて自分の肉体の外側の存在なのですから、傷つこうが壊れようが一向に構わないワケでしょ?ペットにしたって、イザと云う時のための非常食用としての存在価値くらいですか?「本能」的に見れば。

 「理性」と「本能」と「情」の三つが複雑に絡み合ったのが「人間性」ではないか?と思い至ったのですが、この三つの絡まり具合が人それぞれバラバラであるが故に、「人間性」を定義と云うか、ひと括りにしてしまうことが出来ないのではないか?・・・と思う次第です。はい。

で、

人間の人間たる所以は「情」にある。

のではないでしょうか?

 「本能」のままに生きると言うのであれば、それは「獣」と一緒だし、「理性」のみを重んじるのであれば、「コンピューター」には敵いませんワナ。しかし、どんなにAI(人工知能)が発達しても、コンピューターがコンピューターに「同情」するようになるとは思えないのですが、どんなもんですかねぇ?


智に働けば角が立つ。

情に棹させば流される。

意地を通せば窮屈だ。

とかくに人の世は住みにくい。


(草枕 夏目漱石)


 と、夏目漱石(敬称略)も仰ってますが、
ワタシも同感でアリマス。はい。

 ですが、「住みにくい」からこその「人の世」とも考えられるワケですわ。コンピューターや獣には悩みはありませんから。・・・ね?

 ひとりひとりが、お互いの「人間性」をぶつけ合い、そして「妥協」し合ってこその「人の世」。そしてこの「妥協」を得る上で重要になるのが、「情」ではないかと。


お前の立場は分かる。

だが、こっちの立場も分かってくれ。



 これが所謂「民主主義」の基本・根底の概念じゃないでしょか?であればこそ、多数派の意見を先ず尊重したとしても、少数派の意見も汲み上げ「最善の妥協点(落し所)」を導き出す。それこそが民主主義社会であり、これを否定視するような政府、企業は、反民主主義的であると見なされても仕方ありませんワナ。


<貼付>

反対派・中電、緊迫9時間/上関町
2010年04月16日


◆テント撤去に住民抵抗


  9時間近い緊迫の末、中国電力が作業を断念した。上関町の上関原子力発電所建設予定地で、同社は15日、反対派住民らのテントや旗などの撤去を試みたが、住民らの激しい抗議によって、この日は作業を始められないまま終わった。反対派は「これが中電の本質」と反発を強め、16日以降も作業があれば抗議を続ける構えだ。

  中電側は、社員や警備員、作業員ら計約150人が仮桟橋のある砂浜を訪れ、海上から建設資材や重機を陸揚げするための仮桟橋近くに反対派が設置したテントなどを撤去しようとした。

  テントがある砂浜には住民らが早朝から陣取っており、中電社員が移動するよう呼びかけたが、住民らは「まず住民の理解を得てください」などと抗議し、応じなかった。その後、作業員らが強引にテントの周りの土嚢(どのう)をどかしたり、旗を結びつけた竹をのこぎりで切ったりして、現場は騒然とした状態に。中電の敷地から町道への出入り口を作業員が開けようとしたが、住民らが町道に座り込んで阻止する場面もあった。中電側は断続的に説得を繰り返したが、作業は進まないまま、中電側は午後4時45分にこの日の作業を断念した。

</貼付>



でわっ!