2010年4月3日土曜日

権力への欲望 32


 またまた天木氏を引き合いに出してアレなんですケド・・・


[公式] 天木直人のブログ

<貼付>

トム・ハンクスの作った映画「ザ・パシフィック(太平洋)」の功罪

<抜粋>

・・・しかし人種差別を使って反戦を訴えるのは得策ではない。不要な議論を巻き起こすからだ。反戦はストレートに行うのがよい。いかなる戦争も認められない、人間性の否定だ、と単純、明快に否定すればいいのだ。・・・

</抜粋>

</貼付>


 当然の如くワタシもこの映画は知らないのですが、それでも、天木氏の意見にチョット違和感を持ったので、恐れながら、ワタシの見解を述べるに・・・

 「人間性の否定」と言いますが、でわ「人間性」とは何か?これに明快に答えられる人は、世界中探しても恐らく居ないのでわ?と言うよりも、「人間性」なんて定義不可能な類のもんじゃ無いの?

 天木氏の考えるところの「人間性」とは、恐らく欧米の近代思想家たちの理念の延長線上にある「人間性」かと思われ、知識人と呼ばれる人はそこに何がしかの「普遍性(善性)」を見い出そうとするのでしょうが、ワタシには、「人間性」とはもっと混沌としたものに見え、


不可解なもの


の様に思うわけです。人間が「精神(理性)」と「肉体(本能)」の両面を持っていることは、もう十分に語り尽くされた事ですが、その上で、近代とは「精神」を「肉体」の上位に置く事に、発展の方向を見出してきたと、ワタシには見えるワケです。はい。

 詰まるところ、「秩序」を勿て社会を肥大させて来たと。

 ところで、精神は肉体を超えられないと云うのが持論でして、精神活動=脳の活動(肉体活動)であることを考えれば当然の如く辿りつく結論ですよね?

 そして「精神活動」はその活動を維持するために、同時に「肉体活動」の維持も欲するのだ・・・と。

 まぁ、戦時中インテリと呼ばれる多くの人が大本営に従い、戦意高揚のプロパガンダに加担したのがイイ例かも?


そう云う時代だった。


などと陳腐な言い訳をするくらいなら、


「特高」が怖かった。

家族を養なう必要があった。


・・・と、正直に言ってくれれば良かったのに、きっと、インテリのプライドがそれを邪魔したんでしょう。


我々は庶民とは違うんだ!


・・・と。

 ま、今更過ぎたことを蒸し返しても意味が無いので本題に戻りますが、ハヤイ話が、食うに困れば「人間性」もヘッタクレも無いワケで、だから?「人間性」などと云う曖昧な定義にすがって「反戦」を訴えるより、


人種差別があった

と云う現実の方が、インテリ以外の人には分かり易いと思えるワケです。

 ジッサイ戦争は無垢な庶民が始めるのではなく、インテリが音頭を取って始まるケースの方が多いんでしょ?普段は「人間性」とやらを吹聴しているインテリが!


人種差別があった。

 その事実と向き合い、人種差別の根拠を洗い出し、それが正当であるか徹底的に検証する。それこそが「現代理性」の姿だと思うワケです。
 
 そして正しい教育を受けた人間であれば、大抵の人は「人種差別」と云うものに
何の根拠も無い事はスグに分かる・・・と、信じる次第です。はい。

 であれば、「反戦」=「死にたくない」と云う「本音」の方が共通の感覚として世界中に広がり易いのではないか?・・・と。

 「人間性」と云う美辞のみで、「人種差別」と云う「本音」を、


不要な論議


として片付けてしまっていいものでしょうか?問題の本質を見ずしてその場を取り繕っても、必ず同じ問題は再発します。

 見方を変えれば、権力者は本質を知られるのを嫌がるものです。何故なら、庶民を騙すために本質は隠しておきたいから・・・

 で、トム・ハンクスが「人種偏見」を「開戦」の要因として見ているのなら、
人種差別側からの「告白」として勇気ある行為だな・・・と。

 支離滅裂ではありますが、以上が、天木氏の記事へのワタシ感想です。おつきあいいただき、ありがとうございました。


でわっ!