2010年4月29日木曜日

私的 「日本論」

「タクシン=小沢」、「国王=天皇」とダブらせて見ている意見をチラと見かけたので・・・

 システムとして見れば「王制」と「天皇制」とは明らかに別物。


現タイ王室はその前の王室をクーデターで倒し成立した王室で、「王制」と云うシステムが基幹。トンブリー王朝と現王朝の間に血の繋がりはありません。支配システムが「王制」なので、新しい王室が取って代わっても何の支障もありませんが、日本の皇室は血の繋がりを重視する「血統」と云うシステムが基幹なので交換が利きません。

 で、なぜ日本でこのようなシステムが機能しているのかと云うと、それはもう
卑弥呼の時代から・・・複数の豪族が「共王」を立てて争いを避けるという、古来の伝統的な統治の考え方があったからではないか?・・・と。

 さらに突っ込んで日本人について基本的な事を言えば、日本はその成立過程で多民族が共存していたという事。そして
多民族の混血の結果として現在の日本人が在ると云う事。

 日本人のルーツについてイロイロ説はありますが、遺伝子レベルで確かなことは人類のルーツが進化(移動)の過程で3つのグループに分かれ、その
3つのグループが混ざり合っているのは、世界でも日本くらいだという事実です。

 おそらく
6世紀頃までは各民族の混血もそれほど進んでおらず、それぞれ独自の「王」の元に日本各地に散らばっていたのでしょう。それらが大和朝廷の力でひとつの「国」として束ねられて行く過程で、日本人にはお馴染みの「和をもって尊きとなす」という共通認識が生まれ、さらに武士階級の台頭以降には、権力外の「権威」としての「天皇制」が日本に根付いたのではないか。・・・と、考える次第です。はい。

 なぜなら、もし本気で「天皇制」を日本から抹殺しようと思ったら、歴史上そのチャンスはいくらでもあった様に思うのです。

 でもそれをしなかった(出来なかった)のは、やはり日本が基本的に多民族国家であり、武士も多民族(他の武士集団)を繋ぎ止める「要」としての「天皇制」の存在を無視できなかったからなのでしょう。

 つまり
「天皇」とは日本人全て(全民族)の「共王」であり、それを一部のグループ(宮内庁のノーパンシャブシャブとか、右翼とか)が私利私欲のために利用しようなどとは


言語道断!


 なのだと思う次第です。はい。
(明治維新期、薩長土肥は上手く利用しましたが。)

 ワタシ自身は「天皇制」があっても無くても構わない立場なのですが、日本がひとつに纏まる為に「天皇制」「要」になるのだとしたらこのまま存続させた方が良いと思うのです。

 ・・・にしても、こんな事ブログに書いたら「不敬罪」で捕まりますかね?タイだと。


支離滅裂にて御免。


でわっ!