2009年4月13日月曜日

進歩か、後退か 12

NHKで『象徴天皇 素顔の記録』
という番組を放送したらしいのですが、
残念ながら、ここベトナムで見ることは叶いません。
で、番組の内容を
『反米嫌日戦線「狼」』さんトコから
一部引用させてもらうに、
(どうにもスゴいブログタイトルですな・・・こりゃ)


<引用>

今朝の新聞に金婚式に先立ち記者会見された両陛下の会見内容が紹介されたが、注目されるべきお言葉が両陛下からあった。
今上陛下は、祝ってくれたことを 「国民生活に影響を与えている厳しい経済情勢の中で、心苦しくも感じています」としたうえで「大日本帝国憲法下の天皇のあり方と比べれば、日本国憲法下の方が天皇の長い歴史で見た場合、伝統的な天皇のあり方に沿うと思います」 と象徴天皇制を肯定し話されました。

</引用>


ここで、「伝統的な天皇のあり方」というのが
どういうことなのかというと、こういう↓ことなんでしょうなぁ・・・


帝國電網省
古くて新しいシステム 「象徴天皇制」


で、ハナシはタイ国に跳ぶのですが、
在タイ日本国大使館HPにある
タイ国の略史によれば、

<前略>

アユタヤ滅亡後、アユタヤ朝の地方長官であった潮州系のタクシンは、1768年、チャオプラヤー川の河口付近のトンブリーを都としてトンブリー朝を開く。軍事的天才とされたタクシン王は各地に遠征し、ビルマを駆逐し、瓦解した国内を再統一するとともに、チェンマイやマレー諸国、カンボディア、ラオス諸王国を征服する。しかし1782年、タクシン王は旧アユタヤ朝貴族勢力のクーデターによって処刑され、トンブリー朝は一代15年で滅亡した。

トンブリー朝の将軍であり、旧アユタヤ貴族勢力の中心的存在であったチャオプラヤー・チャクリー(ラーマ1世)は、国王に推挙されて即位、都をトンブリーの対岸のバンコクに定めラタナコーシン朝を開いた。

<後略>

というワケで、初代タイ国王自身が軍人の出自。
しかも、クーデターによって即位したのだから、
基本的にクーデターが好きなんじゃないの?
などと、つまらぬ想像をしたりして・・・

現タイ王室が1782年からだとして、
日本ではすでに江戸時代(天明)。
1867年が明治維新のはじまりと言われていますから、
タイ王室と同じ、もしくはそれ以上に歴史の旧い
老舗の造り酒屋なんて日本中にゴロゴロあるような気が。

別に、何が言いたいワケでもないんですが、
格式だとか・・・伝統だとか・・・ネタを明かせば、
勝手に一人歩きしてるだけなんじゃないの?・・・と。






でわっ!