2012年7月11日水曜日

あなた自身であれ!


 ワタシは全然たいした人間じゃないし、「知識」「地位」「財産」「名声」も、まったくお話にならないワケですが、それでもひとつだけ、確かに分かることがあります。


大切な人を守りたい。


という、「尊い感情」です。

 それは、対象が子供であれば「種の保存」に根ざした感情と言えるかも知れませんが、逆に、子供が親を守りたいと思ったり、友人や恩師や郷土を守りたいという感情は、自分を度外視した「無私」の感情です。

 そうした「自分を度外視した行動」は、「群れ」を守ろうとする野生動物にもしばしば見られますが、だとしたら、そういう行動すら取れない人間は、


動物以下の存在


という事になります。

 「エンドオブザワールド」という動画を見つけたのですが、福島の原発事故以前にこの映画を見ても、誰もが自分とは関係のない事だと思ったでしょう。しかし、現在この映画を見て「他人事だ」と思える日本人が、どれだけいるでしょうか?


映画 「エンドオブザワールド」 1/2





映画 「エンドオブザワールド」 2/2




 最後の航行に潜水艦が出港する前に、


人生に意味をお与えください!


と、館長が悲痛な「祈り」を捧げます。なぜなら彼は、自分の人生に意味を見出せなかったのです。

 潜水艦の館長という立派な職務にあり、絵に描いたような幸福な家庭を築きながら、核戦争後の「放射能汚染」により全てを失ってしまう。


一体、今までの人生は何だったのか?


 キツイ言い方になりますが、


何の意味も無かった。


 何故?何の意味も無かったのか?それは彼が、


自分自身では無かった。


からです。「借り物の価値観」、「借り物の権威」に自らを委ね、


自分の頭で考えなかった。


からです。自分自身を見失っている状態なのに、その人生に確固たる意味が生まれるワケがないのです。


何故?戦争に反対しなかったのか?


と、後から悔やんでも、もう遅いのです。


何故?原発に反対しなかったのか?


と、後から悔やんでも、もう遅いのです。

 大切な人を守りたいのなら、自分を取り戻さなければなりません。「経済大国」だの、「オール電化生活」だの、「勝ち組・負け組み」だのは、


本当に自分が望む事なのか?


 毎日毎日くり返される「仕事」は、本当に役に立っているのか?もし、「ただ生活のため」であるなら、この映画の中で核戦争を引き起こす軍人のように、「上からの命令に従うだけのロボット」と同じではないのか?

 で、あるならば、「人間」ではなく「ロボット」であるならば、


何の意味も見出せない。


と、最後の最後に「神」に訴えたところで、


それは自分で選んだ事だ。


と、返答されてお終いです。

 日本は不幸な原発事故に見舞われてしまいましたが、幸いにしてまだ、


やり直すチャンス


が残されています。この映画のように「座して死を待つ」だけではありません。これから、いくらでも助け合い、東北を、日本を再生するチャンスが残されています。


まだ日本は終わっていない!


 これからの日本を再生するのは、過去のやり方ではありません。過去のやり方が、現在の日本の状況を招いたのですから、


あたらしいやり方


でしか、過去の過ちを修正できませんし、修正しない限りまた、同じ過ちを繰り返すだけです。


自分自身であれ!


 そこから新しい日本が再スタートするのです。今までの旧いやり方の中で見失っていた、自分自身と向き合う時が来たということです。もし自分を見失っているのなら、今から探し始めればイイんです。そのための環境は十分に整っています。

 ネットを利用するのもイイでしょうし、近所の図書館で、「気になる本」を片っ端から読んでもイイし、とにかく、「無駄な知識」なんてありません。この宇宙はどこまで行っても宇宙であるように、あらゆる情報、知識が、必ずどこかで関連性を持っています。

 そして新しい情報、知識を得た後には、それを「検証」することです。どんなものにも必ず「反論」が存在します。自分の知識を「正論」として押し通すことが「自分自身である」という考え方は、「反論」を排除することであり、「対立」しか生み出しません。

 スピノザ的に言うならば、「正論」にしても「反論」にしても、


同じシステムの内にある


と言え、「正論」と「反論」の間の軋みが解消された状態が、システムとして安定した状態であり、その時には「第3の状態」になる。つまり、お互いに「調和」し、謂わば自分自身が「進化した状態」に落ち着くと、ワタシは考えます。

 その進化のためにも、まずは...


あなた自身であれ!


というワケです。




人間ナメんなよ!


でわっ!