2013年2月11日月曜日

憲法考 2

   
 憲法とはイッタイどのような法律なのか?その内容ではなく、その存在意義?意味?について考えてみます。

 
憲法概論

 憲法は、現代日本では英語の“Constitution”の訳語とされている。“Constitution”とは、辞書を繰ると「構成、構造、組織」とあるのが普通だ。「体質、体格、気質」というのもある。そして法や政治の文脈で使われると「国制、憲法」ということになる。


 これを平たく言うと、「仕組み」ということになるんでしょう。その仕組み・・・「国の制度」=「国制」を定めたものが、「憲法」と呼ばれているワケです。


憲法のない国


 現在日本では、「司法権(法律の執行)」、「立法権(法律の立法)」、「行政権(内閣)」と、「三権分立」を国制の基盤としています。新たな法律を作る権限は「立法府(国会)」に委ねられ、「司法府(裁判所)」は、「国会」にて新たに制定された法律を司る任務を負います。





 しかし、時の為政者にとって都合のイイ法律ばかりが立法されたら、いずれは自由を奪われた独裁国家になるであろうことは容易に想像がつくワケで、したがってソレを阻止するために「司法府」には、新しい法律が「憲法」に違反していないかをチェックする任務もあるワケです。それが「日本国憲法」、第十章-第九十八条-第一項に謳われた、


「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」


に準じるものです。

 全ての「法律」の「幹」としての「日本国憲法」の存在が先ずあり、その「幹」から様々な「法律」分岐していると例えられるワケです。

 「日本国」が、大地に根を張り風雪に耐えている一本の木であると想像すると、その枝は大きく三つ・・・「司法」、「立法」、「行政」に分かれ、さらにその先が小枝に分かれていて、「日常生活(葉)」となります。

 生産活動(光合成)をしているのは一枚一枚の末梢の葉であり、木(日本国)の生命維持に不可欠ですし、極論を言えば、幹や枝は単なる水分の「導管」であり、「政府」の役割とは本来そのようなものと言えるのではないでしょうか?

 そして過酷な自然環境に負けないために、シッカリと根を張る必要があるワケですが、その「根」とは、民主主義、主権在民に根差したものであり、そして降り注ぐ太陽の光とは、「理性の光」に他ならないワケです。



森林と生き物(しんりんといきもの)


 以上がワタシが思い描く「憲法」=「国制」の在り方であり、主権在民(人権)という土壌の上に「憲法(幹)」があり、そこから三本の枝・・・「司法」、「立法」、「行政」が枝分かれし、「理性の光」を浴びて一枚一枚の葉が存分に活動(光合成)をする。

 水分・・・主権在民が欠如したり、光・・・理性が欠乏したりすると、木・・・国は衰弱への道を辿るワケです。

 自民党の憲法の考え方にしても、その他の論者の考え方にしても、ワタシには「幹」の部分までしか考えていないように感じられます。「木(国)」が立っているのに一番大切な部分は「根」なワケですよね?そこをシッカリ認識する必要があるワケです。

 つまり、日本国の「根」とは何であるのか?それがハッキリすれば、自ずと「憲法」も理解できるのではないでしょうか?

 ワタシの自論を述べるならば、二度と政府・メディアの過失による戦争の惨禍を繰り返さないために、日本国は主権在民に深く根差し、その養分・・・即ち「人権」を確保し、保障された人権に基づく創造活動を「理性の光」の下に実践することで「日本国」という木を維持し続け、次の世代(若芽)に引き渡していく・・・。

 ・・・という、「ヴィジョン」が見えるワケですが、みなさんはどうなんでかね?「持たざるものは、持つ者に負ける」と以前にも述べましたが、「原発推進」というヴィジョンを持つ者に対しては、それを凌駕する「反原発」、「反核利用」のヴィジョンを持たなければ対抗できません。

 「憲法」にしても、日本の「国制」の在り方をひとりひとりがヴィジョンとして持てなければ、一部の人間が想い描く望まないヴィジョンに押し流されるだけなのです。だから何度でも言うワケです。


ヴィジョンを持て!


・・・と。

 ま、イキナリ憲法論をブチかましても面食らうだけでしょうし、また、「東大話法」じゃないですが、「詭弁」に絡め取られるのが関の山・・・と、なりかねないので、「木」を例に視覚的?に憲法の基本概念を延べましたが、勿論考え方はそれぞれの自由です。




原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語― [単行本]安冨 歩 (著)


 で、「主権在民」とは何か?といえば、先ず「ひとりひとりが人権に目覚める」ということであり、「人権に目覚める」とは何か?といえば、「自分の価値を自分で確認する」ということであり、他人から、社会から押し付けられた「あなたの価値」から脱却し、本来の自分を再確認すること・・・即ち「人間回帰」であり、その回帰の過程で旧来の価値観を捨て去るのは、自分ひとりの孤独な・・・


個人革命


・・・によるしかない!・・・と、延々と繰り返し述べてきたワケです。

 どうです?「筋が通っている」でしょ?





人間ナメんなよ!


でわっ!