2013年2月28日木曜日

イタリア人は正気だ

     
 ロイターに、「イタリア人は正気か」というコラムがあったので、「イタリア人は正気だ」という反論を述べたいと思います。


コラム:ユーロ圏再び混乱、イタリア人は「正気か」
2013年 02月 27日 16:16 JST

By Hugo Dixon

イタリア人は正気なのか──。ユーロ危機の再燃を招きかねないイタリア総選挙の結果を見て、金融市場やユーロ圏各国はこう思ったに違いない。イタリアの有権者の半数以上が、2人の「コメディアン」のどちらかに投票したからだ。

1人は本物のコメディアンであり、市民団体「五つ星運動」率いるベッペ・グリッロ氏。そしてもう1人は、イタリアを崖っぷちに追い詰めたベルルスコーニ元首相だ。両者は反ユーロを掲げるポピュリストでもある。

だが、この「喜劇」はあっさりと「悲劇」に転じてしまう可能性もある。今回の選挙結果は、幾分昨年のギリシャにも重なるところがある。政治が膠着(こうちゃく)し、経済が縮小し、債務が膨らんでいる。欧州委員会は先週、2013年のイタリアの国内総生産(GDP)が、昨年に続いてマイナス成長になると予測した。公的債務残高は年末までに対GDP比128%に達する見込みだという。

ユーロ危機は、欧州中央銀行(ECB)のドラギ総裁が昨夏、単一通貨のユーロを守るためなら「何でもやる」と発言したことをきっかけに鎮静化の方向へと進んでいた。しかし、この重要な時にイタリアが制御不能な状態になれば、ECBの安全網も役には立たないだろう。

投資家はすでに神経をとがらせつつある。イタリアの10年物国債の利回りは26日午前、0.4ポイント上昇して4.7%となった。スペイン国債の利回りも、この影響を受ける形で0.2ポイント上昇し5.3%となった。ただいずれも「危険水域」とされる7%にはまだ余裕がある。

リスクは、ベルルスコーニ氏やグリッロ氏が首相になることではない。安定した政権を誰も樹立できないということが危険なのだ。今回の選挙は3つ巴の戦いとなった。まずベルルスコーニ氏率いる中道右派連合、グリッロ氏の「五つ星運動」、そしてベルサニ民主党党首が率いる中道左派連合だ。ベルルスコーニ氏の失態からイタリアを救ったモンティ首相の中道連合は、緊縮政策が世論に嫌われ4位に終わった。

イタリアの下院は、得票率が首位となった勢力に、自動的に過半数の議席が与えられる仕組みになっている。つまり、中道右派連合に僅差で勝利した中道左派連合のベルサニ氏に、まず首相となる機会が与えられることになる。

上院と下院は同じ権限を持っているが、上院でのシステムは異なっている。今回の選挙では上院で過半数を獲得した勢力はなかった。選挙前から予想されていたことではあるが、ベルサニ氏はモンティ首相の中道連合と連立を組んでも過半数には至らない状態だ。

では次に起こるのは何か。1つのシナリオは、ベルサニ氏とベルルスコーニ氏による左派と右派の大連立だ。しかし両者が掲げる政策は全く相入れないため、イタリアが瀬戸際まで追い込まれない限り、現実する可能性は低いだろう。また、そんな政府を一体誰が運営していくのかも見えない。モンティ首相がこれほど大敗しなければ、中道連合との連立も自然と浮上していただろうが、首相の信頼は崩れてしまった。

グリッロ氏はいかなる連立も組まないと明言している。したがって「五つ星運動」との連立は選択肢としては消える。一方でベルサニ氏は、ケースバイケースでグリッロ氏からの協力を得ながら政権を運営していく可能性にも触れたが、これでは極めて軟弱な政権が生まれることにもなりかねない。

もう1つ考えられるのは、ギリシャと同じように再選挙を実施することだ。だが、互いに協力したがらない3勢力が拮抗している状態を考えれば、再選挙が実施されたからと言ってこの行き詰まりが解消されるとは限らない。

一部の専門家は、選挙制度そのものを変えることが解決につながると指摘する。選挙制度改革が実現すれば、古びた政治階級を一掃でき、フィレンツェのマッテオ・レンツィ市長のような若手政治家や新たな政党が生まれる可能性もある。しかし、イタリア議会では何年にもわたってこの問題について議論を重ねているが結論は出ておらず、現状ではコンセンサスに至ることは難しいだろう。

そうこうしている間にも、投資家は自分の判断を下すことになる。ECBは無制限の国債購入を決定しているが、重要なのはイタリアがまだECBの支援をあてにできるかということだ。ECBの措置は非常に強力な特効薬ではあるが、そこには重要な但し書きがある。ECBの買い入れプログラム(OMT)の対象は、ユーロ圏諸国と改革案の合意に至った国に限るという条件だ。

安定した政府もないイタリアがそんな改革案で合意することは考えにくい。言い換えれば、ECBの安全網も完璧ではないということだ。投資家がこうした方向で思考を働かせ始めれば、国債利回りの急上昇や国外への資本逃避は免れないだろう。危機の想定が本物の危機を呼び込みかねない。

周辺国への悪影響は、いずれ自分の身にあだとなって返ってくることもある。他の国にはイタリアよりも安定した政府があるが、スペインやギリシャ、フランスでさえ、経済の縮小や債務拡大、そして緊縮策への世論の反発といった共通の問題を抱えている。景気後退が長引けば、大衆迎合主義(ポピュリズム)が台頭しやすくなる。

もちろん市場の恐怖感が増せば、イタリア人有権者も正気に戻り、再選挙という運びとなるだろう。これは昨年のギリシャと同じである。ただ、向こう数カ月は激しい混乱に見舞われ、良い結果が生まれるかどうかも定かではない。

(26日 ロイター)

*筆者は「Reuters Breakingviews」のコラムニストです。本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています。

(後略)


 ギリシャの財政危機にしてもそうですが、ベルルスコーニ元首相や「五つの星運動」代表のグリッロ氏が「反ユーロ」の立場を取るのは、自国の通貨発行権を失っているという深刻な状況にあるからです。


【ドイツとユーロの】 ユーロの根本的な問題点 【愉快な仲間たち】

前略

でも、ユーロ圏の場合は、国債の発行権各国にあるのですが、通貨の発行権は各国にはありません。(通貨の発行権は、ECB(欧州中央銀行)にあります)

ですので、いざって時になった時(国債が大ボウラックしてしまった時)、中央銀行が通貨を発行して国債の買い支えができないので、ユーロ圏内で色々な問題が起こってしまいます。

中略

ユーロ圏の国の一つがドボンするときには、アルゼンチンのような単品の国がドボンする時みたいに、

国債がドボン → 通貨もドボン → でも周りの国にはあんまりダメージ無い

・・・と言う具合にならず、

ユーロ圏の国の一つがドボン → ユーロ加盟国の国債もヤバそうなのからドボン (ユーロもドボン)

・・・となってしまい、ドボンの連鎖が発生しやすくなります。

また、加盟国沢山ありますと、ある国はインフレ気味ではあるけど財政状態はそこそこなのに、別の国は破綻しかかっていてインフレどころではないと言う風に、それぞれの国の事情にばらつきが出やすくなります。

ですので、いざという時にはそれぞれの国の思惑が交錯して、上手く対処しにくくなります。

また、自力で生き残れない国が発生してしまった場合、それらの国を救済しようとすると、生き残れそうな国に過剰な負担がかかりやすく、それも各国間の火種になりやすくなります。

後略


 これは、トンデモないことなワケです。自国の通貨を自国で発行することは独立した国の主権ですが、それを放棄してしまい統一通貨体制の下にあるということは、ユーロ圏はひとつの国として看做され、ヨーロッパ連邦国を形成していると言えるワケです。

 ドイツにしてもフランスにしても、実質的には独立国家とは呼べず、表向きはどうであろうと、ヨーロッパ連邦のなかの一自治国・・・というのが、’実情と言えるワケです。そうして見てみると、欧州金融危機の実情がより具体的に感じられます。

 で、ロイターのコラムニストは、ユーロ圏の保護の側に立ってのポジショントークから、「イタリア人は正気か」・・・と、批判的な論説を展開しているワケですが、先にも述べたように、「自国通貨の発行権」を持てないということは、独立した経済運営の体を成していないワケですよ。したがって、独立国の立場を取り戻したいというイタリア人の思いは「100%正当な要求」だと言えます。

 そもそもスイスなどは、ユーロ圏加盟の是非を国民投票に掛けて反対を受け、加盟を見合わせているワケです。ヨーロッパの・・・いやさ、世界の金庫番とも呼べるスイスがユーロ圏に加盟しなかったのは、スイス国民が「永世中立国」としての自国の独自性を自負していたからでしょう。


欧州連合加盟国

 
 極論を言えば、ユーロ体制で得をするのは「銀行家」に他なりません。通貨が統一されることによって、欧州の金融市場をよりいっそう操作し易くなるだけの話です。また海外の金融市場に対しても、通貨統一によって巨大になった金融市場を後ろ盾に介入し易くなるワケです。

 一時的に「魔が差し」ユーロ圏に加盟してしまったものの、自国の通貨発行権が無い・・・すなわち、「自律的経済政策」をおこなう権限を奪われてしまっていることに気づいたイタリア国民が、国家の自主性を取り戻すためにユーロ圏を脱退する道を選んだとしても、それは全く「正常な判断」・・・と、ワタシには思えるワケですが?


ユーロ上昇、底堅いイタリア国債入札が追い風=NY市場


 で、イタリアにユーロ圏脱退を思い留まらせようと、市場ではアレコレ画策するワケですが、イタリア人て「ただの女好き」じゃないワケで、政治思想に関しては.日本人よりも遥かに成熟しているワケです。そういえば「御用地震学者」が起訴されたのもイタリアでしたなw。




金子勝(慶大教授)TPP


 斯様に、「理を重んじる」という社会風潮が、ギリシャ、ローマの時代からイタリアには綿々と引き継がれているワケですよ、一般市民に至るまで。その市民に向かって「大衆迎合(ポピュリズム)」などと批判するのは「如何なものか?」・・・と、思ったりもするワケです。はい。

 ま、イタリア国民が自由主義経済の幻想から目覚めた以上、ユーロ圏からの脱退は避けられないでしょうし、先のローマ法王の異例の辞職にしてもそうですが、イタリア周辺の動きが、今年一年の大きなポイントになりそうな気配です。


2013-02-27
子供5万人大虐殺の罪!!悪魔教の全貌が曝かれるか?!


 「大衆迎合(ポピュリズム)」という言葉の意味は、あまりイイ意味では受け取られません。基本的に、「大衆は愚かだ」・・・という前提の下に政治、経済が語られ、そして一部のエリートによる「社会支配」が永らく続けられてきたワケですが、その過程で、「大衆を賢くしよう」・・・と考えた権力者、指導者はひとりも現れませんでした。「ひとりも」・・・です。

 確かに「教育」は行き届くようになりましたが、それは「労働力」としての大衆の「飼育」の一環でもあり、大衆に自由を与えるためではないのです。「勤勉」し、「勤労」し、「納税」するためのロボット。それが「支配層」にとっての、「正しい大衆の在り方」なワケです。




奴等がほしいのは「従順な労働者だ!


 しかし何度も言うようですが、ネット社会に突入し、ワタシたちは「自発的学習」の機会を得ることが可能になり、あの3.11以降、多くの偽善・欺瞞・詭弁に気付くことができました。これは素晴らしい進歩なのですよ。太平洋戦争中、どれだけの人が「大本営発表」の偽情報を見破れたか?それを思えば、現在のワタシたちは恵まれた環境にいることを感謝しなければなりません。

 「政治」について語ることを嫌う人もいますが、逆に、「政治」について何のわだかまりもなく、「日常会話」の一部として語る人が増えているのも事実です。いずれは、誰もが「政治」について語ることが当たり前になる社会が到来します。それは、はじめは乗れない自転車でも、練習して乗れるようになると、「乗れることが当たり前」・・・と、思えるようにようになるのと一緒です。

 だから・・・「考えることを止めるな」と繰り返すワケです。ペダルを漕がなければ自転車は前に進みません。同様に、考えなければ事態・・・「政治」は前進しないのです。そして、「大衆迎合(ポピュリズム)」などという、「支配層の負け惜しみ」を跳ね除け、ワタシたちが「政治の主役」になる時代に差し掛かっていると思うワケですし、日本国憲法にも、「主権は国民にある」・・・と、明記されているワケですよ。
 

ペダルを漕がなきゃ進まない。

ブログは書かなきゃ続かない。





人間ナメんなよ!


でわっ!