何だかなwww、ウォルフレン氏と孫崎氏の共著、「独立の思考」にて、ウォルフレン氏が憲法9条の改正を勧めていますが、その草案はこうだそうです。
「日本は主権国家として他国と同様に交戦権を有する。しかし、過去の歴史の反省に立ち、自らの領土がおびやかされた場合を除き、武力に訴える行為は取らない」
孫崎 享/ウォルフレン,カレル・ヴァン【著】
国際法における交戦権 - Wikipedia 戦争が原則として違法化されている今日、戦争に関する国際法(戦争法)においては、従事する国家の政府は、一定の権利義務が定められている。具体的には ・ 敵戦力の破壊および殺害 ・ 中立国の船舶に対しての国防上の要請から、もしくは戦時禁制品の取り締まり等のための海上封鎖、臨検や拿捕 ・ 捕虜の抑留 ・ 占領地では軍政を敷いて、敵国民やその財産についての一定の強制措置 などである。 これらの権利のうち最も重要なのは敵国の艦隊や港の封鎖を政府が宣言する権利である。叛乱者や革命家は交戦団体となるまでこの権利を保有しない。これら非政府・反政府勢力による紛争をめぐる情勢が叛乱から内乱に移ったことが明らかとなった場合のみ交戦権が認められる。しかし、交戦権を付与する明確な規則については今日、存在していない。 |
は?「交戦権」て、別に明確な規定があるワケじゃないんだ?・・・ということは、「交戦権」を主張するだけで、簡単に武力を行使することができちゃうワケだから、好戦的な国家にとっては都合のイイ「権利」だわなw。
ウォルフレン氏はそのことを理解した上で、敢えて日本に「交戦権」を持てと勧めているんですかw?
交戦権と自衛権 - Wikipedia 防衛省では、交戦権について自衛権とは別個の概念であるとして区別している。防衛白書では、交戦権を「戦いを交える権利という意味ではなく、交戦国が国際法上有する種々の権利の総称」であり、「相手国兵力の殺傷と破壊、相手国の領土の占領などの権能を含むもの」であるとしている。 さらに自衛権の行使については、「わが国を防衛するための必要最小限度の実力を行使することは当然のこととして認められる」としており、日本が自衛権を行使して相手国兵力の殺傷と破壊を行う場合、外見上は同じ殺傷と破壊であったとしても、それは交戦権の行使とは別の観念のものであるとしている。ただし、相手国の領土の占領など、自衛において必要最小限度を超えるものは認められないとしている。 |
ウォルフレン氏は、「自衛隊」は軍隊と位置づけ、それに従い「自衛権」と「交戦権」は同一のものとして見ていますが、それは明らかに間違いであり、防衛省の解釈の方が正しいと言えます。
先ず、「自衛隊」は外国から見れば「軍隊」である・・・というウォルフレン氏の主張ですが、「外見」だけで判断して欲しくない・・・というのが、ワタシの意見です。
「軍隊」が全て同じワケじゃないですよね?「軍隊」というだけで「米軍」と「ナチス」を同列に扱えますか?ま、扱う人もいるかも知れませんが、「米軍兵」にしてみたら
ナチスと一緒にすんな!
・・・と、怒ることでしょう。なぜなら、その「精神性」が違う・・・つまり、ユダヤ人虐殺というような非道な真似はしないという、「誇り」が彼ら(米兵)にはあるからで、例え「自衛隊」が外国からは「軍隊」と見られようと、その誇りは、日本国の防衛(自衛)にあるワケであり、ウォルフレン氏は、自衛隊の存在意義を尊重する必要があるんじゃないですかね?
尚且つ、「自衛権の行使」はサンフランシスコ講和条約でも認められた「権利」であり、「自衛権の行使」においては、誰憚ることの無い「日本の権利」であるワケです。
しかもナンですか?ウォルフレン氏は、「自国の領土が脅かされた場合には、交戦権を行使する」・・・と、していますが、「竹島」、「尖閣諸島」、「北方領土」のように、領土紛争が解決していない地域での対応はどうなるんですかね?
「交戦権」などという「好戦的な権利」が認められてしまえば、偶発的な「交戦状態」に突入する可能性が高くなるワケで、ウォルフレン氏は日本にそれを望んでいるんですかね?
逆に見れば、中国、韓国にはれっきとした「軍隊」があり、当然の如く「交戦権」も憲法?で認められているでしょうから、日本が自国の領土を侵略したとイチャモンをつけ、武力行使に出ることだって可能なワケですが、ま、いまのところ直接的な武力行使に発展しないのは、「交戦権」が有ろうと無かろうと、現代世界ではどの国もできれば戦争なんてしたくないワケで、「交戦権」という権利そのものが、既に「有名無実」の概念になってしまっていると言えます。一部の「好戦的な国家」を除いては・・・。
そんな「ゾンビ概念」をいまさら持ち出すウォルフレンさんて?
ウォルフレン氏を崇拝する信者のような知識人が多いのですが、彼の論も決して100%正しいワケではなく、「ウォルフレン流の独立の思考」を持つことよりも、「日本流の独立の思考」を持つことが大切だと思うワケです。はい。
ウォルフレン氏の思考は、「国家」というものを基軸とした思考であり、その意味で、国家よりも上位にある「日本国憲法」の精神とは、相容れない部分があるのかも知れませんが、いずれにしても、「日本国憲法」は日本国国民のためにあるワケで、改憲するにせよ、しないにせよ、日本国民全員で十分に議論するのが先決であり、
さすが、ウォルフレンさん!
・・・とか、
目からウロコが落ちました!
・・・とか、自分の考え(思考)も無しに、スグに感化されてしまうのは・・・
いかがなものか?
・・・と、思う次第です。はい。
人間ナメんなよ!
でわっ!