ちょっと前に転載させていただいた「街の弁護士日記」さんですが、直近でこんなことも書いています。
【2013年12月 5日 (木)】超安心 秘密保護法なんて怖くない! 憲法は最強の切り札なのだ 何か、このまま秘密保護法が成立してしまうと、いっぺんにみんな気落ちしないか心配になってしまったので、マチベンからのアドバイス。 憲法21条の「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」には「過度に広範ゆえ無効の法理」とか「不明確ゆえ無効の法理(あいまいゆえ無効の法理)」とかウルトラマジックな切り札が用意されているんです。 これは大学生でも知っている法理だけど、法学部生でないと知らない可能性があるから、書いておくね。 要するに、表現の自由は民主主義を支える重要な権利だから、表現行為が萎縮するような法律は厳に慎まなければならないんですね。 過度に広範だったり、曖昧だったりすると、表現行為が萎縮してしまうわけ。 そうなると民主主義自体が機能しなくなって、誤った政治が行われても、民主主義による是正ができなくなっちゃうので、表現行為はとりわけ厚く保護されてるんですね。 (後略) |
「特定秘密保護法」が企業・・・とりわけ、グローバル企業にとって都合のイイ法律であることを示唆していただき、その慧眼には恐れ入りましたが、この見解は・・・
チョッと甘いんじゃないの?
・・・と。
企業ファシズムと「特定秘密保護法案」
まずは、良く知られた「詩」?を。
彼らが最初共産主義者を攻撃したとき (『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』は、ドイツのルター派牧師であり、反ナチ運動組織告白教会の指導者マルティン・ニーメラーの言葉に由来する詩。ニーメラー自身は原稿のないスピーチの中で成立してきた言い回しで、詩として発表されたものではないとしており、厳密な意味でのオリジナルは存在しない。この言い回しはおそらく1946年頃に生まれたと見られ、1950年代初期にはすでに詩の形で広まっていた。) 日本語訳 彼らが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから 社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義ではなかったから 彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった |
教訓: 転ばぬ先の杖
と、いうことで、高を括ってはイケマセン。日本人の悪い癖です。
モラトリアム症候群
・・・とでもいうものに、日本人全体が罹っていると言えます。「街の弁護士」さんのような、分別をわきまえた人間でさえこの、
日本人病
・・・とも言うべき「宿病」から逃れられないのか?・・・と。
ひとえに「農耕民族」と「狩猟・採集民族」の生活スタイルの違いが、このジレンマを生み出しています。「農耕」は、作付けから収穫までの間、人間を一箇所に縛り付ける生活形態なのです。つまり、時間的ロスの危険性を孕んだ生活スタイルであるのに比べ、「狩猟・採集」は、悪く言えば「その日暮らし」ですが、危険に対しては「機敏」に反応できるという利点もあります。
集団が大きくなると、「狩猟・採集生活」はその生活スタイルが社会システムの維持に適さないので、やがて近代化の過程で廃れてしまいましたが、同時に、「危機管理」に対する本能も失われしまったというのがワタシの考えです。
モラトリアム社会=農耕社会の危うさ
・・・とは、危険に対しての反応速度の問題であり、「マルティン・ニーメラー」の詩?が、そのことを暗示しているとワタシは理解しています。
で、「日本国憲法」があるからダイジョウブだ・・・と、高を括っているのも、この「モラトリアム症候群」に拠るものだと考えられるワケです。
前回書いたように、太平洋戦争の開戦日も、いつものように清々しい冬の青空が広がり、世の中は平穏だったワケですが、それから4年後に広島、長崎と立て続けに原爆が投下され、日本中の主要都市が空襲で焼け野原になると、誰が想像できたでしょうか?
誰も未来を予測できません。
だから、過去の失敗から学ぶのです。
もしくは、考えられる最悪のシチュエーションを想定し、そうならないためにはどうするか?・・・という、
転ばぬ先の杖
・・・を用意しておくのが、真の「安全保障」の考え方だとワタシは思います。
で、「日本国憲法」が守ってくれると、高を括っている人たちにワタシは言いたい、
日本国憲法 第三章 国民の権利及び義務 第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。 |
日本国憲法は確かに自由、人権を保障していますが、それは日本国憲法が在り続ける限りにおいてであり、日本国憲法は日本国民の総意・・・すなわち「国民主権」の上に立脚しているということです。
であればこそ、「国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」・・・に繋がるワケです。
つまり、日本国憲法は国民を守ると同時に、国民によって守られる存在であり、国民が日本国憲法を守ることを疎かにすれば、日本国憲法は国民を守れない・・・と、いうことです。
したがって、「日本国憲法が在るから大丈夫だ」・・・というような安易な考え方は、空から勝手に自由や人権が降って来ると考えているに等しく、「愚か」・・・とまでは言いませんが、国民が日本国憲法を守る立場にあることを忘れているに他なりません。
ここで具体的な例をあげるならば、「特定秘密保護法」が真っ先に攻撃するのはインターネットでしょう。表面には見え難いステルス領域、もしくは社会的に関心の薄い領域から攻撃を始めるであろうことは、ニーメラーの詩からも読み取れる教訓です。
エネミー・オブ・ジャパン
Brzezinski Decries “Global Political Awakening” During CFR Speech 三百人委員会の共同設立者は、全世界の人類の覚醒によるエリートへの闘いが世界統一政府への移行を妨げていると語った。 Paul Joseph Watson Prison Planet.com Wednesday, May 19, 2010 最近、モントリオールで行われた外交評議会のスピーチで、デヴィッド・ロックフェラーと共に三百人委員会を設立し、ビルダーバーグ会議の常連出席者でもあるズビグニエフ・ブレジンスキーは、支配エリートに対しての闘いと結びついた、「世界的な政治の目覚め」は、世界統一政府に向かう道筋を阻止していると警告した。 ブレジンスキーは、「世界の政治指導部が以前とは違い、最近明らかに多様化している」と説明した。地政学のパワーとしての中国の勃興と、G20絡みの国際指導力が「双方の敵意から内部の統一を欠いている」とも述べた。 「人類は今までの歴史上ではなかったこと、すなわち、はじめて政治的に目を覚ましてしまった。これは新しい現実だ」と述べた。 Watch the clip. 加えて、ブレジンスキーは、「人々は、全世界にはびこる不公平や不平等、そして敬意の欠如、と搾取され続けている現実を意識し、政治的に目を覚ましてしまったのだ」と続けた。 (中略) ブレジンスキーは1970年に執筆した本(Between Two Ages: America’s Role in the Technetronic Era)の中で以下のように書いている。 「情報化時代の時代というものは、よりコントロールされた社会の様相を必然的に含んでいる。そのような社会では、伝統的な価値体系を持つエリートたちに支配されると思われる。 市民同士がお互いに監視し合い、重要な個人情報の記されているファイルをも簡単に管理できる時代がすぐに来る。」 ブレジンスキーがここで言っている「エリート」というのは、彼のCFRでのスピーチの席に出席した人の多くを含んでいる。 ブレジンスキーの言う世界的な政治意識の目覚とは、彼らが人類に対して課した「さらにコントロールされた社会」・・・世界統一政府の追及という、「超エリート」による社会支配とコントロールシステム、征服と監視に抵抗する勢力である。 This article was posted: Wednesday, May 19, 2010 at 10:16 am るいネット「三百人委員会の支配エリート=ブレジンスキーが語る「人々の覚醒」への恐怖」より |
ある日突然、政府に都合の悪いブログ、サイト、アカウントが閉鎖されても、ほとんどの人は気付かずに、毎日の生活で忙殺されることでしょう。「日本国憲法」が侵害されていることに気付かずに。
そして、「特定秘密保護法」による逮捕者は出なくても、政府からの圧力、命令によりネット上の情報が制限されるようになれば、社会は徐々に・・・気付かれないうちに「変質」していくワケです。
その結果が、広島、長崎への原爆投下であり、大都市空襲であり、災害が秘匿された、終戦間際に発生した愛知県の大地震であったワケです。
もう既に「特定秘密保護法」は動き出していると考えた方が無難でしょう。それは「デモ」を「テロ」と言い放った石破自民党幹事長の発言からも伺えます。であれば、
日本国憲法が守ってくれるからダイジョウブだw♪
・・・などという「お花畑思考」は、即刻、改める必要があるということです。
現状でさえ、「日本国憲法」=「国民の主権」は侵害され続けているワケですよ?
【宮内庁】皇后陛下お誕生日に際し(平成25年) 皇后陛下お誕生日に際してのご近影 「5月の憲法記念日をはさみ,今年は憲法をめぐり,例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら,かつて,あきる野市の五日市を訪れた時,郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治22年)に先立ち,地域の小学校の教員,地主や農民が,寄り合い,討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で,基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務,法の下の平等,更に言論の自由,信教の自由など,204条が書かれており,地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が,日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが,近代日本の黎明期に生きた人々の,政治参加への強い意欲や,自国の未来にかけた熱い願いに触れ,深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で,市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして,世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。」 |
いつ政治を変えるの?
今でしょ?!
人間ナメんなよ!
でわっ!