2009年10月15日木曜日

敗戦処理

「日米安保」を論じる時に、先ず認識しておくべきなのが、

日本は敗戦国

だという大前提、事実だと思うワケです。はい。

あの戦争・・・太平洋戦争に日本は「大義」があったとか、
欧米列強の「罠」にハメられたとか、
「原子爆弾」を投下したアメリカこそが非人道的だとか、
戦争に負けた後でガタガタ騒いだところで、

日本は敗戦国

だという事実は変えようも無いし、
そこから顔を背けるのも無意味な行為。

そもそも、日本は敗者としての誇りを持ち得たのか?

敗者としての誇り

なんて有るのか?と、思われるかも知れませんが、
真にあの戦争に、日本の「正義」、「大義」が存在していたならば、
結果はどうあろうと、日本国民には

天命に従う

ことが日本の筋であることを、受け入れる度量があったはず。
敗者なりの「矜持」を世界に示せたはず。

で、あれば、戦争進行に関わったすべての関係者は
潔く第一線から身を引き、別な人間に未来を委ねるべきであった。

然るに、戦後日本の政界、財界に返り咲いたのは何者か?
A級戦犯とされながら、連合国(戦勝国)側と裏取引した
薄汚れた「裏切り者」どもではなかったのか?
また、そうした連中に日本を任せたワタシたちの父母も
或る意味、「裏切りの共犯者」ではなかったのか?

戦争という極限状況の中で、「死を強要」され、
また、祖国日本から遠く離れた戦地で死んでいった
うら若き多くの命を思う時、ワタシはやりきれなくなる。

犬死にだったのか?

・・・と。

だからこそワタシは、ありとあらゆる戦争に懐疑的であり、
基本、反戦主義を貫き通す所存デス。はい。

話を「日米安保」に戻します。
「日米安保条約」がなぜ必要だったのか?
「朝鮮戦争」が勃発したからであることは既にご承知かと?

アメリカの「共産主義との戦い」という戦略の中で
日本の「再軍備」(アメリカへの後方支援)が必要になった事。
また、日本をアメリカの「軍事拠点」とする必要に迫られた事。
そのための「日米安保条約」であり、けっして、

日本とアメリカの友愛

のために有るワケじゃなwwwい。
アメリカのご都合に沿うかたちで「日米安保条約」は結ばれ、
また、その見返りに「コザ暴動」などの紆余曲折を経て
まがりなりにも1972年に「沖縄返還」がなされたワケだ。


で、こんにち、在日米軍施設の撤退を求める意見が
現職閣僚からも声高に語られるような時代になりましたが、
ワタシは思うワケだ・・・

あんたらに、それを言う資格は有るのか?

・・・と。



在日米軍施設の全てが日本から無くなったその日、
日本国内から「日本の主権の及ばない地」も無くなり、
日本の敗戦処理が完全に終わり、晴れて日本が

独立国

として世界中のいかなる国に対しても堂々と胸を張り、
次の若い世代に、新生日本を託せるのでしょうが、
戦後処理のボタンを掛け違ったままの現在、
ボタンの掛け間違いを、もう一度やり直す気概、勇気が
今の政治家のなかに少しは残っているのでしょうかね?
戦後の敗戦処理の問題点を認めない限り、

新生日本の夜明け

は、いつまで待ってもやって来ない様に思うワケですわ・・・

で、もし民主党がその辺、本気でヤル気なら

スゲwwwな!

・・・と。



でわっ!