2009年10月19日月曜日

心の居心地

「連山」に、「人はなぜエセ科学に騙されるのか」
とゆう記事があり、youtubeから、
「まん延するニセ科学」とゆう動画を引用していました。
で、動画の中の教授(菊池誠氏・大阪大学教授)の結論は、

疑問に明快に答えてくれる。

から、エセ科学を求める人が後を絶たない。とゆうコトで、
ニセ科学を求める人の心が、ニセ科学を蔓延させているらしいです。
ま、不安な心に処方する「精神安定剤」ってトコロですか?

ただ、その見解には同意できるのですが、
ナゼ?心を安定させるのが「ニセ(エセ)科学」なのか?
「宗教」だってあるじゃないか?と思うのですが、
現代では、科学すら宗教めいた部分があるように思う次第です。

ひとつに、科学的であることは「真」、そうでないことは「偽」という
科学原理主義的な思考脳をもった人が増えたせいじゃなかろうかと。
もちろん、それは近代の教育システムが生み出したのですが、
じゃあその、科学そのものが、「完成された学問」なのか?・・・と。

ワタシにはね?とても、そうは思えないワケですわ。
その時代の、「最新の科学理論」というものは、時代が変われば
いともたやすくひっくり返る可能性があるワケで、ワタシたちはそれを

すでに学習してきた。

はずです。
「天動説」と「地動説」のように・・・
つまり、ワタシが思う「科学」とは、

いまはコレで説明がつく。

とゆう程度のものであり、日々更新されているものなのです。
したがって、説明がつかない事象に対面したときに、

「科学的ではない」

と、逆思考停止状態になってしまう人たちは
科学的に進歩することも出来ないでしょう。
件の教授も言っていましたが、

科学者という人たちは断定はしない。
あらゆる可能性について想いを巡らせる。だから、

考えることを止めるな。

それこそが「科学的・合理的思考」なのだ。と。
それって、不安・心配事から目を逸らすな。
しっかりと向き合えってコトでしょ?

まぁ、科学者とワタシたちでは生活のスタイルが違いますが、
基本的な、ナンて言うか・・・人生哲学?みたいなものって
相通じる部分があるんじゃないでしょうか?
科学が未だ、日々進歩をしているのと同様に、
ワタシたちの未来も決定されたものではないハズ。

未来は、いまこの瞬間に変化している。

ということを、ワタシなりに自覚した次第です。はい。

で、「心の居心地」のみを求めるならば、
自分の思考を放棄して、他人のつくった船に乗っかたほうが
ラクチンではあるのですが、それが「奴隷船」だったら・・・
と、思うと、ワタシは嫌でもあるし、「大きな奴隷船」である程、
その船に乗った人たちには、慢心・放漫・不遜な態度があるのでわ?
してみると謙虚であるには、心の安定をただ求めるよりも、
多少の不安をかかえながら日々を送ったほうがいいのかも?

不安を抱えながら、それでも生きてゆく。

昔の人は、それこそ生きるか死ぬかの毎日だったワケですが、
それだけに精神力も、現代人の何十倍も強かったんじゃなかろうか?
と、思ったりするワケです。はい。

安直に心の平穏を求めない。

自分の心との葛藤の繰り返しに終わりはないでしょう。
それでも、あきらめなければ山の頂に少しだけ近づける。
そして未来も少しだけ変えることができる。
そう信じるのはワタシの勝手な意見なワケですが、
ま、勝手ついでに最後にもうひとつ。

2012年、人類の終末なんて来ない。


なぜなら未来はいま、この瞬間から変化しているから・・・



超常現象マル秘Xファイル~2012年予言~






でわっ!