三島由紀夫を読むと、登場人物に「すえた匂い」がする。
す・える【×饐える】
[動ア下一][文]す・ゆ[ヤ下二]飲食物が腐って酸っぱくなる。「御飯が―・える」「―・えたにおい」
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はじめて三島作品を読んだのは高校生のときだった。「豊饒の海」第一巻・春の雪に登場する初々しい青年たち。不安にドップリと浸かりつつ、それでも男としての性(さが)である、異性との接触に心ときめかせる、当時の自分と重なる姿に共感しながらも、やはり、彼らの内に「すえた匂い」を感じた。
容姿端麗、非の打ち所の無い「上流階級」の子弟なのだが、ワタシの感覚とは何かがズレていた。その「すえた匂い」がいったい何によるものなのか、分からないままに年を重ねてきたがフト、この年になって思い起こしてみるに、やはりあれは「腐敗臭」だったのだと思う。外見はどんなに見目麗しい青年であっても、肌が透き通るように白くでも、清潔感の塊の様な潔癖な性格であっても・・・
腐るものは腐るのだ
内側からジワジワと、その精神は腐っていくのだ。内側から腐る事の恐怖をして、三島由紀夫により男性的な肉体、精神を求めさせたのではないかと、今にしてそんな風に思う。
そしてその腐敗の萌芽は、戦時中という時代に三島由紀夫の内部に植えつけられた萌芽ではなかったのか?時代そのものが「すえた匂い」を放っていたのではないか?表向きは「軍国主義」だの、「滅私奉公」だと社会全般が勇ましい事を言っていたが、その内面は腐っていたのではないか?
多感な三島由紀夫少年は、その社会の「すえた匂い」を内に宿してしまい、宿命的に、作品に「すえた匂い」を投影し続けたのではないのか?その衝動、原動力として、「内側から腐ることの恐怖」があったのではないか?
こん日の時代も「すえた匂い」が蔓延しているような気がする。新鮮な果物のように見えても、その内側では腐敗が刻々と進行しつつあり、或る日、腐敗が表面に現われ一挙に崩壊する。
その崩壊の恐怖に縛られ続けた三島由紀夫という作家は、やはり「茶色い時代」の申し子だったのだ。戦後の日本にはアメリカという新しい価値、新しい太陽がもたらされ、みんながその威光に目を細め、表面的には受け容れたようではあったが、それでも三島由紀夫の内部の腐敗は、止まることはなかったのだろう。
内なる腐敗、精神の腐敗を食い止めるために、「盾の会」にのめり込んでいった三島由紀夫と、はたしてどれだけの会員が精神を共有できたのだろうか?三島由紀夫は「切腹」しなければならなかったのだ。内なる腐敗を外に吐き出す為に。それしか自分を救う道はないと。
武士道などではない。三島由紀夫は己にまとわりつく「すえた匂い」と、その原因である内部腐敗を恐れていたのだ。しかしそれは、そのまま三島由紀夫が非凡な才能の持ち主であったことの証明でもある。「腐敗臭」に気付かない作家の方が大多数であったのだから。
そしてもうひとり、おそらく「腐敗臭」に気付いていたであろう稀有な若者がいた。やはり彼も若くして死んだ。
尾崎豊
そのひとである。
でわっ!