大概の人はやくざ=暴力団とお考えでしょうが、少し違います。過去、清水の次郎長や国定忠治が庶民に愛されたのは何故でしょう?彼らが「義人」であったから、「任侠」であったからに、他ならないからではないですか?国家権力に楯突き、弱き者の味方になってくれたからではないですか?
国定忠治
<抜粋>
天保の大飢饉がこの地方を襲った時、賭場の収益金を貧乏人や食うに困っている民百姓に分け与えたとも言います。そんなわけで幕府に追われる身でありながら、長期に渡って容易に捕まらなかったのは、これらの人に常日頃から目をかけ助けていたおかげだとも言えます。人望厚き渡世人だったようです。
民百姓が困った時、救済の手をさしのべなければならなかったのは関八州を預かる幕府であり、それぞれの領地を預かる大名であったはずでしたが、これらは助けるどころか、逆に絞り上げたと言います。民百姓にしてみれば国定忠治は正義の味方であり、神様のような存在であったろうと思います。こうして忠治は赤城の山を根城にして関八州ににらみを利かす伝説的な大親分に成長していったのです。
しかし、一方の幕府の役人にしてみれば目の上のたんこぶのような存在であり、幕府の威信を失墜させる存在でした。何かと罪状を作り、忠治捕縛に向けて本格的に動き始めたのです。こうして忠治はやむなく赤城の山を下り、会津に落ち延びるのです。別れ別れになった子分達は大きな拠り所を失い、次々捕縛され刑場の露となって消えていきました。
忠治はほとぼりの冷めたのを待って生まれ故郷に帰ってきますが、そこにはすでに昔の礎はなく、頼りにしていた名うての子分達もいませんでした。
忠治自身も中風に倒れ、一時は口の利けないほどになったのです。こうして一代の英雄「国定忠治」もついには幕府の手によって捕縛され江戸送りになりました。これだけの大物ともなると地方では裁けなかったのです。罪状は関所破り、老中達の決済を得て再び生まれ故郷近くまで戻り、張り付けの刑になりました。
幾度となく槍を突き立てられましたが、弱音を吐くことなく命尽きたと言います。刑場には忠治を慕う多くの人が駆けつけました。人々は忠治の壮絶な死を目の当たりにして何を考えたのでしょうか。権力に従うしかなかった当時の人々にしてみれば、権力に逆らって最後まで屈服することのなかった忠治の中に、自分たちの英雄の姿を重ね合わせたのではないでしょうか。
「男心に男が惚れて・・・♪♪♪」
名月赤木山の歌にも歌われた任侠の世界、今も忠治は日本人の心の中に脈々と生きています。
</抜粋>
清水次郎長
<抜粋>
だが、もしも次郎長が単なるのゴロツキの集まりの大将であったなら、天下の大親分なんて決して云われなかったであろう。その子分衆がまたすごくて、それぞれの地区を代表するような大変な輩ばかり。手のつけられない暴れん坊、森の石松や、槍の使い手怪力無双、大政。念仏唱えて人を切る法印大五郎などなど、その人一人でも充分物語りになってしまうような実に多彩なキャラクター揃い。これらを束ねていたことからだけでも次郎長という御人にその人望人徳と並みならぬ器量を感じざるをえない。
<中略>
次郎長の前半生を「義理の人」とするならば後半生はまさに「人情の人」と言えよう。彼の後半生は明治維新の最中、政府の要人との関わり合いの中で花開いた。特に有名な話に、「咸臨丸の事件」がある。時は明治元年(1868)9月18日、徳川幕府の軍艦であった「咸臨丸」が新政府の官軍によって清水港内で攻撃を受け沈没した。次郎長は傷つく徳川方の軍人を官軍の目の届かぬよう密かに逃がし、また湾内に浮遊する屍を拾い集め、手厚く供養し葬ったのだった。
これらの行為が駿府藩の耳に止まり、出頭、詰問を受けたがそこで次郎長は「死ねば仏だ。仏に官軍も徳川もない。仏を埋葬することが悪いと言うのなら、次郎長はどんな罰でもよろこんでお受けします。」と答えたのだった。抗争で人を殺し、自分も生死の狭間を生きた一人の博徒が初老にしてたどりついた境地であった。このいきさつをあとで聞いた山岡鉄舟は、ただの博徒に過ぎない次郎長が一番高いところからものを見ていることを知っていらいいたく感服し、鉄舟が明治21年に亡くなるまで親交が続き、また次郎長も自分より17歳も年下の鉄舟に心酔し数多くのことを学びおおきな感化を受けたのである。
</抜粋>
やくざ者とは世間のはみ出し者ですが、では「世間」とは?言葉を変えれば、権力者が作り出した「システム」です。そのシステムにほとんどの人は順応しているのですが、中にはどうしても順応出来ない人たちがいる。それを「落ちこぼれ」と切り捨てるのが正しいのでしょうか?
そもそも権力者によって作られた「システム」が正しいなんて保障が、どこにあるんでしょうか?権力者によって作られた「システム」は所詮、権力者の為にあると考える方が自然なのではないでしょうか? そういった権力者側の「システム」に皮肉を込めた映画で「兵隊やくざ」という映画がありました。
<転載>
兵隊やくざ殴り込み - goo 映画
あらすじ
激戦の度を増す大陸の最前線で、友情から堅く結ばれた有田上等兵と無鉄砲で女好きの大宮一等兵の二人は、悪徳上官に盾ついて過酷な制裁を受けながらも、その正義一徹ぶりに上官をけむたがらせていた。
二人はそんな中で連隊旗手の香月少尉の毅然とした態度に好感を持った。香月も軍旗祭の相撲大会で赤池曹長によって不利な判定を受けた大宮を助けるなど、何かと二人の味方になるのだった。ある日、大宮と有田は女郎屋でインテリ娼婦さつきの口から赤池や影沼少佐の一派が女郎屋で私腹を肥やしていることを知ったが、有田が暗号教育の名目で転属を命ぜられ、大宮一人ではその調査は出来なかった。
そんなとき大宮は、稼ぎが悪いと赤池にヤキを入れられているさつきを助けたことから上官暴行罪で営倉にぶち込まれてしまった。しかも、上官影沼の女明美といい仲になって重営倉に移される有様。そんなうちに香月の尽力で有田が原隊に復帰してきた。有田は事情を知り、軍の機密を握る暗号兵の特権を利用して、影沼一派が二重帳簿で軍票をごまかしていることをつきとめた。それをネタに影沼一派を脅した有田は大宮を営倉から救い出したのである。
やがて、戦況が逼迫し、香月隊は全滅した。香月は軍旗の奪還を大宮に託して息をひきとった。大宮は巧みな変装とクソ度胸で敵陣に潜入し、無事軍旗を奪還するという大殊勲をたてて戻ってきたが、彼を迎えた有田は、戦争が終ったことを告げた。それを聞いた大宮は有田と共に副官室に乗り込み、逃げ仕度に懸命な影沼たちに痛快な鉄拳制裁を加えると、軍にサヨナラして大陸の彼方に駆け去って行った。
</転載>
まあwww何ですな・・・。多感な小学生の頃にこんな映画を見た(TVで)ばっかりに人生を間違えた?のかも知れませんので、まだ無菌培養されている人たちにはあまりお勧めはしません。じつはワタシの小学校時代の同級生に、やくざになった同級生がいまして、成人してから立川の駅前で声をかけられた時はびっくりしました。彼も「兵隊やくざ」を見て道を誤ってしまったのかな?と。
翻って「暴力団」とは言葉のまま、暴力を振るう集団です。その意味で言えば、警察だって、機動隊だって、立派な暴力団と言う事が出来ます。勿論、法律で正当化された暴力ですが・・・。
で、やくざと暴力団の違いって、庶民生活との距離のように思うワケです。やくざは本来、庶民と共存する存在であったのです。家族も手が付けられない乱暴者とか、社会=システムに馴染めない若者を引き取ってくれる、或る面、ありがたい存在であったと思うのです。
怖い存在ではあっても、「堅気には手を出さない。」と云うルールがあったのは、庶民と共存していかなければならないという自覚があったからではないでしょうか?自分たちも庶民の一部であるという自覚があったからではないでしょうか?
そういったやくざの正道?を踏み外したやくざも沢山いたのでしょうが、そもそもやくざのルーツとは、権力者に、侵略者に反抗し続けた、先住日本民族にまで遡る事ができ、であればこそ、時の権力者が作り上げた「システム」に反抗するのが彼らの、レゾンデートル=存在理由でもあるのです。ま、キツネ目の宮崎親分の方がワタシなんかよりずっとその辺は詳しいでしょう。
そこで、今回の弘道会に対する手入れですよ。
弘道会系幹部ら逮捕=全国最大ヤミ券売り場事件-大阪府警
指定暴力団山口組の中核組織「弘道会」傘下組織が全国最大のヤミ券売り場を運営していた事件で、大阪府警捜査4課などは7日、モーターボート競走法違反などの容疑で、新たに大阪市住吉区長居、弘道会系組幹部木村充容疑者(50)ら4人を逮捕した。ほか1人の逮捕状も取り行方を追っている。同課によると、木村容疑者らは容疑を認めているという。
同課は、1カ月で1億5000万~1億8000万円を売り上げたとみて、資金の流れを調べている。同市西成区のヤミ券売り場は広さ約600平方メートル、隠し部屋もあり、中は迷路のようになっていたという。
逮捕容疑は6日午後、同区のヤミ券売り場で、公営の競艇や競輪を利用してノミ行為をした疑い。(2010/10/07-11:32)
検察警察庁VS弘道会
<抜粋>
山口組総本部は兵庫県警管轄だが現在の山口組組長は名古屋にいたでござるの巻
サラ金闇金利益を弁護士が脅し取り、大相撲野球賭博で検察OBが相撲協会に天下る。
やくざ利権を合法的に脅し取る検察日弁連。
検察裏金問題で大阪高検公安部長三井環氏を暴力団利用して逮捕起訴し務所にぶち込んだ。
利用してポイ捨てはできんよ。おまわり。
検事は司法試験に通っただけの世間知らずのクソ餓鬼集団。
文武両道のやくざさんには敵わない。
これから検察VS弘道会の全面対決が始まるのか。
自称正義の味方VS他称反社会勢力の仁義なき戦い。
クソ餓鬼集団叩きのめすことができるのは・・・
</抜粋>
名古屋と言えばおりしも名古屋市で、「市議会解散署名運動」の真っ最中。もともと名古屋、三河と呼ばれる地域周辺には先住日本人の末裔が多く、八切止夫氏の「サンカ生活体験期」にその様子が書かれていますが、今回の警察=国家権力の行動が、どの辺までを見越しての事なのか?やがて弘道会と河村市長との関係が取りざたされ、減税を掲げた市長派は総崩れとなり、名古屋市民の願いは叶わぬ夢と消えてしまうのか?
であればこの時代になっても、律令制から続く支配体系に日本中の庶民が未だに苦しめられている。・・・と、云う事の証明にもなり、日本の為にならない連中の正体を炙り出せるのではないか?と。
でわっ!
(今回はかなり妄想たくましく書いてみました。)