・・・の確保が最優先課題ですな。腹が減れば、寒さもひとしお身に凍みるでしょうから。
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仙台市内、食品店に数百人が列 暖房無く寒さに耐え
2011/3/12 23:58 日経経済新聞
沿岸部数キロが大津波にのみ込まれ、遺体200~300体が見つかった仙台市若林区。全域が停電し一部を除き断水が続く。区内の小中学校など約30カ所に用意された避難所で、12日昼時点で約2万人が不自由な生活を強いられている。
区災害対策本部によると、避難所にはあらかじめクラッカーなど非常食や水が備蓄されているが、1日持つかどうかの量。被災者の数も「想定しない規模」(同本部)だ。12日になって生協や自衛隊などから食料や毛布が届き始めたが、1000人以上が身を寄せる避難所もあり、「自転車操業。もっと早く物資が欲しい」(同本部)。
携帯電話など連絡手段も寸断され、無料で使える区役所1階の公衆電話1台には、同日夕になっても約30人が行列。昼にめいに連絡した後、再び列に並んだ区内で夫と暮らす稲垣福代さん(72)は、息子の妻の実家が大規模火災が発生し壊滅状態とされる宮城県気仙沼市にあり、連絡が取れていない。「早く何とかして」と早期復旧を願う。
仙台市内では停電などで飲食店のほぼすべてが営業を取りやめ、スーパーやコンビニエンスストアなど玄関口で細々と食料品を売る店には数十~数百人が列をなした。
若林区内の飲料品店に並んだ男性会社員(50)は、同居する家族3人のために1リットル入り飲料水を計12本購入。「いつまでこんな不便な生活が続くのか」と顔を曇らせる。
妻(38)と長男(2)と足を運んだ会社員、佐藤光晴さん(38)は同じアパートに住む5世帯と残る食料を持ち寄り、共有しているという。自宅ではまだ水が使えるが、「間もなく止められると聞いた。先々を考えないと……」と不安げに飲料水を18本買い込んだ。
約700人が避難する若林区内の沖野中学校の体育館。停電のため、薄暗く暖房器具が使えない館内で、同区に住む女性(37)が寒さに耐えながら夕食の混ぜご飯の支給を受けた。被災から2日目という心身ともに疲労が蓄積する時期だが、この日の支給は想定した1人1パックでなく半パック。避難所生活を共に送る息子2人は15歳、11歳と食べ盛りだけに、「長い避難生活に耐えられるか不安はある」。
この学校は地震で下水管が破裂したためトイレが使用不能で、用を足すには5つしかない簡易トイレを使わざるを得ない。「女性にとっては本当に不便」と不満を漏らす。
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被災地での行方不明者の捜索は勿論最優先事項ですが、災害を免れた人たちへのケアも怠れません。まず避難生活を送る人たちに十分な食糧の供給できなければ、放射性物質を避けながらの「移動避難生活」での体力がもちません。みなさんもボランティアで「炊き出し」に現地入りしたいところでしょうが、いかんせん放射性物質に被爆する可能性がある以上、「立入制限」される可能性も在ります。というか、されるでしょう。確実に。
であれば、政府が指導して外食チェーンに協力を仰ぎ、大量のレトルト食品を現地に送る手筈を至急に整える必要があります。どのみち原発付近一帯の食べ物は一切口にできないと思った方がいいので、生活水も併せて大至急送るということで。
電気、ガスは当然?止まっているでしょうから、打ち捨てられた自動車のバッテリーを外して使うというのはどうですかね?とりあえず集めてみれば、いくつかはまだ使えるかも知れません。キャンプ用の蛍光灯くらいなら十分使えるはず。あと、都市ガスが来ていない地区であれば、当然各家庭プロパンガスなワケですよね?であれば、ガスコンロがあればお湯が沸かせるでしょうし、そうなればレトルト食品はありがたいと思うのですがね。
いずれにせよ、1次災害が過ぎたにせよ、2次、3次の災害(放射能災害とか・・・)が予想される中で、サバイバルしていくことをそれなりに覚悟しなければならないでしょう。そして政府は、苦境の中でサバイバル生活を送る人たちに対して、最大限のサポートをする事です。とうぜん庶民は節電に心がけ、少しでも多くの電力を被災地に振り向けるように協力しますので、お役人も「お役所根性」は捨てて、困っている人たちの為に何が出きるか、何をするべきかという、「公僕の本来の使命」に立ち戻っていただきたいものです。はい。
でわっ!
追記:
ちなみにベトナムでは、プロパンガスがデフォ。停電もしょっちゅうあるので、サバイバルには強いかも知れませんなあ。何と言ってもアメリカを追い出したあの、「ベトコン」の国ですから・・・。