2011年3月26日土曜日

エネルギー問題の本質

 
 
このたびの「東日本大地震」にて被災された方々にお見舞いを申し上げるとともに、災害にてお亡くなりになられた方々のご冥福を、心からお祈り申し上げます。

 いつものように
ヒロシさんトコの「つぶやいたー」を覗いたら、「新型原子炉」とか、「小型原子炉」とかの文字が見えたのですが、


<原発>中国が先進的な小型原子炉に高い関心 2009/08/07(金) 08:52:45 [サーチナ]:
http://bit.ly/hGNxVO via @addthis ほんとうに安全なのかねえ・・・・


about 10 hours ago webから .東芝、ビル・ゲイツ氏と次世代原子炉開発を検討 国際ニュース : AFPBB News:
http://bit.ly/fixwXs via @addthis
about 10 hours ago webから


オバマ米政権の小型原子炉開発計画、雇用と輸出に寄与も-商務省 - Bloomberg.co.jp:
http://bit.ly/erWPoI via @addthis
about 10 hours ago webから


米WH、小型原子炉開発へ-政府に補助金申請:日刊工業新聞:
http://bit.ly/dR5NND ジェイムズ・アワーは新型炉についてずいぶん詳しいな。原子力業界のロビーでもやっているのだろうか。
about 10 hours ago webから


ナンダカなmmm・・・

という感は否めないのですわ。テレビで垂れ流される原子炉事故のニュースを見てると、原発の問題は「施設の安全性」にあると思い込んでしまいますが(もちろん安全であることは大切です)、では現在、なぜ原発が危険なのかとその根本を考えるに、決して安全管理が杜撰だったから、施設の設計がイイカゲンだったからではありません。発電燃料その物が危険だったからです。

 放射性物質には、人体に影響を及ぼすものと、そうでないものがあります。人体に影響を及ぼさない放射性物質を燃料に使用していれば、今回に様に自然災害に見舞われ発電施設が損傷し、放射性物質が外部に漏れ出る様な事態になっても、あわてる必要はなかったワケでしょう?・・・それがまず第一。

 二番目に、新型原子炉が従来のタイプより格段に安全だとしても、また、害の少ない燃料を使用するタイプであったとしても、結局は「燃料の争奪戦」は起こり得るだろうという事。従来の石油を巡る争奪戦が、今度はウラン?などを巡る新しい争奪戦に取って代わるだけで、

結局、何にも変らない

のではないでしょうかね。

 そして三番目に、電気・電力の独占支配が今後も企業によって続くという事です。みなさん今回の原発事故の影響で、嫌というほど思い知ったんじゃないんですかね?生活の根幹が第三者に委ねられている現実を。電気は停まるは、電気料金は値上される?わで、電力会社はやりたい放題ですなあmmm。

 
「独占から分散」という考え方、それに基づいた社会インフラの再整備が、これからのワタシたちには必要とされるのではないでしょうか?自家発電中に酸欠でお亡くなりになった方のニュースを見て心が痛みますが、そういったリスクは常にワタシたちの生活にはつきまとっています。自動車を運転中に事故に見舞われる可能性は、誰にも平等に存在するのです。

 「独占から分散」という考え方の背後には、責任やリスクも分散されるという覚悟が必要なのです。電力会社の「独占」を非難したところで、その「独占」を許してきたのはワタシたちの怠慢・・・「責任の回避」に他なりません。してみると、現在原発事故で矢面に立たされている関係者から責任感が欠如しているように感じられるのは、彼らもワタシたちと同じような思考回路・・・「責任を取りたくない」という気持ちが根底にあるからかも知れませんなあ。電力会社の「国営化」という話も見られますが、恐らく同じ事でしょう。

 「独占から分散」という考え方は、例えるなら「ピラミッド型」から「アメーバ型」への社会変革とも言えます。ピラミッド型の社会・・・頂点(独裁・独占)が存在する限り、底辺は頂点に従わなければなりません。服従しなければなりません。階層・階級が存在し、そのことによって底辺は常に、「抵抗しようの無い強制力=運命」を一方的に受け容れざるを得ないのです。早い話が「奴隷」です。それが100人だろうと、1000人だろうと、1億人だろうと、

奴隷であることに変わりはない。

のですが、アメーバ型の社会においては、横の繋がりが基本となります。インターネットの様に。

 従来のピラミッド型の社会においては「奉仕する者」と「奉仕される者」は階層・階級によって分かれており、所謂「先進国による途上国の搾取」もそのひとつです。そして、そのシステムを構築している根幹が「お金(マネー)」なのです。したがってピラミッド型の社会においては必然的に「お金」も「独占」・・・ピラミッドの頂点へ収束して行くのです。このようなピラミッド型の社会システムを維持していく為には・・・

底辺層がどうしても必要なのです。

 この事は逆に、底辺層は創り出されるという事も意味します。そしてそれは上層の人間?にとっては造作も無い事なのです。何故なら殆どの庶民は「抵抗しようの無い強制力=運命」に従う事しか知らないのですから。今回の停電のように・・・。

 で、話を原子炉に戻しますが、以前書いた様に原子炉が小型化されて、究極には各家庭に設置できるくらいの大きさになったとしても、ワタシは自宅に原子炉を置く気にはなれないのですが、それが「原子力アレルギー?」であることも事実でしょう。「核」とか「原子力」という言葉に、特に日本人は敏感に反応します。ユダヤ人が「アウシュビッツ」という言葉に敏感に反応するように。

 しかしながら最近、放射能、放射線の人体や自然への実質的な影響を調べ進むうちに、「実はまだ良く解って無いんじゃないか?」という思いが強くなりつつあります。だからといって原子力発電に賛成する気にもなれないのは、前述の理由によるものと、良く解らないものであるならば、キチンと解るまではまでは手を付けないで、先ずは検証するのが「フェイルセーフ」「リスク管理」根本的な考え方だと信じるからです。

 一か八かの、博打のような見切り発車をするにしても、じゃあ「GO」の指令を出した人間が、後々トラブルが発生した場合に責任を取るのか?・・・という状況を考えると、現在の東電、保安院、委員会、そして政府の対応をニュースで見て、みなさんはどう感じるでしょうか?・・・ね?


 したがって、福島の事故原発をコンクリートで「石棺」にしてしまえという考えに変りはありませんし、その他の原子炉も即座に停止した方がイイという考えも変りません。


ヤラレてたまるかっ!


でわっ!