2012年7月31日火曜日
山口県知事選の感想
つい先日、山口県知事選の投票が行われ、無所属新人の元国土交通審議官山本繁太郎氏(63)が当選し、脱原発を争点に選挙戦を戦っていた飯田哲也氏(53)は落選してしまいました。しかし当選した山本氏にしても、原発計画の凍結方針を示したということですから、上関原発の建設は白紙となり、祝島の島民の方々もひとまず胸を撫で下ろしたのではないか?と。
上関原発を建てさせない
祝島島民の会 ホームページ
原発反対野郎
ワタシ、飯田氏が負けるような気がしていたんです。IWJが編集した選挙前演説の録画映像を見て。
【IWJ特番】2012年7月山口県知事選挙直前特番 全候補演説ダイジェスト
山口知事に山本氏 「脱原発」飯田氏善戦
東京新聞 2012年7月30日 朝刊
もっと正直に言うならば、飯田氏が落選して「ホッ...。」と、している部分もあります。飯田氏の支持者の方には申し訳ないのですが...。
反原発を繰り返すワタシが何故?飯田氏を支持できないかと言うと、「再生可能エネルギー」というものに信用を置いていないからです。具体的には、「太陽光発電」であるとか、「風力発電」であるとか、「シューエルガス」であるとか、「メタンハイドレート」であるとか...。
あとのふたつ、「シューエルガス」と「メタンハイドレート」は「資源」ですが、「再生可能エネルギー」にしろ新たな「資源開発」にしろ、「これからの問題」になるワケですよ。つまり、まだ技術が確立されていないワケです。
じゃあ、技術が確立する迄どうする?という議論になった時に、
「当面、一部は原発に頼りましょう。」
となったら、原発反対野郎のワタシとしては、
ナンじゃ?そりゃwww!
という話になるワケですよ。
「技術イノベーション」は大切ですが、実用に耐える技術となる迄の間、原発を稼動しながらのんびり待ってる場合では無いということです。全ての原発は即時運転停止しなければならないのです。一秒一秒、確実に核廃棄物が増えているのです。大飯原発が再稼動を始めたことにより、核廃棄物の生産も再開されたということなのです。
で、飯田氏の主張する「技術イノベーション」による「雇用」の創出では、原発を停止した直後の雇用は保証されません。雇用を保証する産業は未整備なワケですから。
そうではなく、「既存の技術の流用」で電力を補う方向を提示すべきなのです。例えば、大飯原発が再稼動できなかった場合の関西地区の電力不足に対して、一部の企業からの電力供給の協力の申し出もありましたが、現在停止中の火力発電所を稼動させてもイイし、そもそも大飯原発の再稼動と電力の需給とは関係無いと、関西電力では明言しています。
<転載>
関電社長、次の原発再稼働に言及
「国は早く審査を」
大飯原発4号機がフル稼働に達した25日、関西電力の八木誠社長が、“次の再稼働”について「高浜3、4号機が最有力」と発言した。時期は明言しないものの「(国には)できるだけ審査を早くしてもらいたい」とも口にし、電力会社トップの前のめりな姿勢を見せた。
関電は、大飯原発3、4号機を含め八つの原発の安全評価(ストレステスト)の1次評価結果を経済産業省原子力安全・保安院に提出している。
福井県おおい町で25日午前に取材に応じた八木社長は「電力需給ではなく、わが国のエネルギーセキュリティーを考え、安全性を確認できたプラントはできるだけ早く動かしていきたい」と強調。
2012/07/25 12:37 【共同通信
</転載>
つまり...
原発を動かしたいだけなのです!
したがって、「原発が止まったら電力が云々...」などという議論自体が不毛なワケで、電気が足りている以上、「技術イノベーションが云々...」という議論も、当面はさほど重要ではなくなるというのが、正常な判断というものです。
そこで「技術イノベーション」を持ち出したり、「資源の開発」を持ち出したりして「脱原発」の方向性をややこしくするのは、「胡散臭い連中」としか思えません(ワタシには)。
さらに言うならば、「技術イノベーション」、「資源開発」は、いまのところ「絵に描いた餅」でしかありません。そうしたものに目を向けさせようとする連中は、「新しい利権の創出」を目論んでいるのではないか?とすら思えます。
原発は今すぐ止められるのです。
そこに、感情論もイデオロギーも関係ありません。数字的に見てハッキリとした事実なのです。
広瀬隆講演会 後半
人民新聞社 2012/7/26更新
「電気が足りない」は
ヤッパリウソだった
まず知るべきは、「電気は足りている」という事実。よしんば足りなくても、「既存の技術で楽勝で賄える」という事実。この二点です。
そして、「節電要請」だとか「計画停電」だとか「電気料金値上げ」などが行われるのは、電力会社による「電力統制」が行われているからであり、それをワタシたちが許してしまうのは、電力会社による「市場独占」が行われているからです。
斯様に、「脱原発」を巡る状況は、実はシンプルなのであり、「エネルギーの安定供給」だとか、「CO2が云々...」などという議論は、とってつけた様な詭弁に過ぎません。だいたいが、原子力発電をすれば「石油」を輸入しないで済むワケですか?違いますよね?ガソリンや工業製品の原料としての「石油」は、この先も必要とされるワケです。
すでに十分な技術はある!
にも拘らず、それらを飛び越えて、「技術イノベーション」とか、「再生可能エネルギー」とかを語る連中に対しては、「新たな利権村の創出か?」と、懐疑的な目を向けざるを得ないワケですよ。ま、元よりひねくれた性格ではありますが...。
「原子力発電」は、一部の人たちの為の技術でした。それが「市場独占」や「国民軽視」の元凶となっている現状を鑑みれば、もうこれ以上、同じ過ちを繰り返さない為にも、「みんなの為の技術」に道を開く時なのです。そしてそれは、「利益にならないから。」と、埋もれたままでいる「既存の技術」で、明日にでも実現可能なのです。
繰り返しになりますが、「技術イノベーション」だの「資源開発」だのは時間が掛かるし、実用化されるまでは「絵に描いた餅」に過ぎません。日本はいま、そんな悠長なことをやっている場合ではないのです。「既存の技術」で、原発を停止させた分の電気はスグに賄えます。てか、電気は足りているワケですが...。
最後に、とんち?をひとつ...。「原発が嫌なら電気を使うな!」という間抜け?な批判がありますが、大飯原発が再稼動するまでの間、一基の原発も発電してなかったワケですよね?だとすると、原発=電気というこの批判は、まったく的外れな批判であり、それでもなお同じ事を言うのであれば、
電気を原発分と火力分とに分けてくれ。
と、答えるしかないですな。(by 一休さんが屏風に描かれた虎を捕まえる話より)
人間ナメんなよ!
でわっ!
2012年7月29日日曜日
意外な繋がり。
ウwさんの、パレスチナ問題に関する記事をチョコチョコっと「検証」してたら、意外な繋がりを発見しました。
ガザの開放、アラブの統合
2012年7月24日 田中 宇
イスラエル建国=パレスチナ問題なワケですが、いつもの癖で、その経緯をつぶさに調べていたところ、「デイル・ヤシーン事件」および、「ダレット計画」なるものの存在を知りました。
デイル・ヤシーン事件
(前略)
1948年4月、エルサレムのユダヤ人は、アブドゥル・カーデル率いる義勇兵部隊「アラブ救世軍」に包囲されていた。そのため、ユダヤ人の武装勢力側はテルアビブからエルサレムへ補給物資を運ぶ作戦を行っていた。その際、エルサレム西部のデイル・ヤシーン村を、ユダヤ人テロ組織イルグン、レヒをベースとする部隊が、ユダヤ人の主力軍事組織であるハガナーの了承の下に攻撃。戦闘に勝利したユダヤ人テロ組織は、老人、女性、子供も含む村民たちを虐殺した。
(中略)
ダレット計画
デイル・ヤシーン事件はそれだけでも忌まわしい事件であるが、実は隠された目的があった。それは、ダレット計画と呼ばれる、英国委任統治領パレスチナのアラブ系住民の大量追放計画の実行である。デイル・ヤシーン事件は、その一環として起こされたものであった。つまり、地下テロ組織エツェル(Irgun Tzvai Leumi=民族軍事組織の意のヘブライ語頭文字Alef Tzadik lamedの略Etzel)はアラブ系住民の中に意図的にパニックを起こすことを意図して行ったのである。
これは、イスラエル独立前後の期間にハガナーが数百のアラブ系住民が住む村々に入り、見せしめの殺戮やレイプを行って恐怖をあおり、短時間の間に百万人を超える「移送」を完成させたことの一部である。
第一次ラビン内閣時のラビン首相の諜報問題アドバイザーであったレハバム・ゼエビは当時ハガナーの常備部隊であったパルマッハに属しており、この「移送」が行われたことを公然と認めている。
しかも、2005年にイスラエル総理府公文書保管局(Ginzach ha-Medina)から発行された、公開公文書集『イスラエル首相イツハク・ラビン、その生涯の一部からの選集』によると、第二次中東戦争開戦直前、当時若き有力将校であったラビンは、エジプトとの開戦を主張するモーシェ・ダヤン参謀総長(当時)の主張に反対してヨルダンとの開戦を主張し、その際、独立戦争中に行われた計画的大量追放と同様に、当時ヨルダン領であったヨルダン川西岸地区のアラブ人を再びヨルダンに「移送」することをベングリオン首相兼国防相に提言している。
イスラエル軍人の使う俗語シン・ギメル(門番の意。Shomer Gaderのヘブライ語の頭文字、Shin-gimel)とは、地位の高い者が都合が悪いときに立場の弱い者のせいにして責任をなすりつけることを意味する。そのようなイスラエル軍の思考は、レバノン戦争時、イスラエル軍がベイルートを囲んで、パレスチナ人に恨みを持っているマロン派民兵たちを意図的に難民キャンプに解き放ち、パレスチナ難民の大虐殺を引き起こした事件(サブラ・シャティーラ事件)の説明をシャロン国防相(当時)がイスラエルの国会で行った際、「イスラエル軍の手は汚れていない」と言ってのけたことにも伺える。
つまり、ダレット計画においては、非主流派のユダヤ人軍事組織「エツェル」はシン・ギメルであって、真の責任者はベングリオンである。
(後略)
ん?「サブラ・シャティーラ事件」て?
パレスチナの歴史
サブラ・シャティーラの虐殺
で、この虐殺行為の実行犯となった「マロン派」民兵とは?
マロン派
(前略)
レバノン国内におけるマロン派とギリシャ正教、アルメニア教会およびシリア教会コミュニティとの関係については、同じキリスト教徒でありながら、常に緊密な関係同士であるとは限らず、例えばアルメニア教会教徒はレバノン内戦において基本的に中立を保つ一方、左派が多いギリシャ正教徒は、しばしばマロン派と対立する関係にあった。レバノン内戦においては増加するイスラム教徒と対立し、同派の民兵組織が、侵攻したイスラエル軍の協力の下でパレスチナ難民に対する大量虐殺を行い国際的非難を浴びた。
(後略)
そして、マロン派に属する著名人として、何と!!日産のカルロス・ゴーン氏のお名前が!?
いやw、以外でした。まさかパレスチナ繋がりで、ゴーン氏のお名前が出てこようとは...。ご両親はレバノンのご出身のようなので、一家代々マロン派なのでしょう。世のなか広いようで狭いというか、意外なところに接点?があるものですなあw。
ひょっとしたらゴーン氏の身内の中に、「サブラ・シャティーラの虐殺」に係わった人がいるかも?...と想像すると、ま、ゴーン氏個人とは無関係だと頭では理解していても、何か...「ダークなイメージ」が沸いてきてしまうのは、ひとえに、ワタシの妄想癖がなせる悪い癖ですw。orz
で、ワタシが言いたいのは、現状だけを取り上げて問題を解決しようとしても、物事はなかなか上手く運ばないということで、「因果」の繰り返しが問題を生んでいるワケですから、「因果の根源」=「問題の根源」を突き詰めないと、「恒久的な問題解決」には至れないだろうと思うワケです。つまり、
ボタンの掛け違い
を、直すところから始めません?...と、いうことです。
パレスチナ問題については、ワタシたちが知らない(無関心な)だけで、ネットで検索するとボロボロと興味深い事実が出てくるので、ウwさんの記事の「検証」は、また日を改めて続けます。
人間ナメんなよ!
でわっ!
2012年7月28日土曜日
ナセルば成る(字余り)。
ずいぶん前に、「アラブの誇り」って何なのよ?と疑問を呈したワケですが、オスマン帝国支配からのアラブ民族の解放を「アラブの誇り」とするならば、イギリスの手助けによってその目的は果たせたワケです。
<アラブ世界>
しかしイギリスが「アラブの誇り」を焚きつけたのは、アラブ独立運動の混乱に乗じて中東の石油利権を手に入れたかったからで、してみると、オスマン帝国にしろ、その支配下にあったアラブ地域にしろ、本来は宗教的に一枚岩であったイスラム教徒は、イギリスによって、まんまと内部分裂を引き起こされた格好になります。
と、いうことは、「アラブの誇り」と「イスラム教」とは、「別問題」だという事ですよね?
キッカケはイギリスの策略であったにしろ、「アラブの誇り」に目覚めたエジプトの故ナセル大統領は、オスマン帝国から独立後イギリスの保護下にあったエジプトの王家から、クーデターにより政権を奪取すると「汎アラブ主義」を掲げ、「社会主義」を導入することでイスラム教宗派間の対立を押さえ込み、宗教よりも、アラブの地に住む全ての民族の共存を目指したワケです。
ガマール・アブドゥル=ナーセル
汎アラブ主義
(前略)
概要
起源は、第一次世界大戦期、ヨーロッパ列強による植民地支配やオスマン帝国の支配に抗して起こった、民族自決運動のひとつである。この時期にイギリスに支援されたアラブ反乱が起き、1940年代に、シリアで汎アラブ主義のバアス党が結成される。
理論的には社会主義にアラブ独自の民族主義が混ぜ合わされたものである。バアス党政権の場合、人民民主主義を憲法で掲げ(en:Constitution_of_Iraq)、党内で「同志」(Rafiq)と呼び合い、総書記が強い権限を持つといったソ連型社会主義と共通するところが多い。宗教との関わり合いは曖昧なものがあり、これがイスラーム主義との摩擦を生む原因となる。
(後略)
ここに来て、漸くシリアおよびアラブが抱える問題の、「本質」らしきものが見えてきた気がするワケですが、ひとつに、「汎アラブ主義」と「イスラム原理主義」とは両立しないということ。そしてイスラム教内部でも、スンニ派とシーア派の間に見られるような、宗派間の対立があること。
さらには、同じ宗派であっても、スンニ派における「ムスリム同胞団」や、シーア派における「ヒズボラ」のように先鋭的?なグループが存在し、謂うなれば、その他のリベラルな教徒との間に「溝」があること。
これらの要因が複雑に絡み合って、シリアの内戦の早期解決を阻んでいると思われるワケです。
<転載>
リビア:リベラル派が「ムスリム同胞団」を追い抜いた?
コンスタンチン ガリボフ 18.07.2012, 15:00
Photo: EPA
リビアでは17日夜、カダフィ政権崩壊後初の制憲議会選の結果が発表された。
勝利したのは「国民勢力連合」。「国民勢力連合」は、リベラル派の政党、組織、独立系政治家たちの連合体だ。「国民勢力連合」を率いているのは、リビア国民暫定評議会の前首相ジブリール氏。ジブリール氏はカダフィ政権と緊密な関係を持っていたが、革命側に移った。これにより西側では直ちにジブリール氏の人気が高まった。だがこれは、リビア国民の多くがジブリール氏を面従腹背の人だと考える根拠となった。
一方で「国民勢力連合」の勝利は、ジブリール氏が革命派ならびに前政権側の人々の支持を取り付けることに成功したことを物語っている。「国民勢力連合」は、政党割り当て分80議席のうち39議席を確保した。第2党の「正義開発党」は17議席。「正義開発党」はムスリム同胞団系の政党だ。
リベラル派政党の勝利は、リビアはカダフィ政権崩壊後に宗教過激派の強い影響下に置かれるのではないかと危惧した専門家たちの懸念を払拭した。なぜならそのような過激派の多くは、過去に国際テロ組織「アルカイダ」と関係を持っていたからだ。
(後略)
</転載>
ところで、中東というとイスラム教を連想しますが、ユダヤ教にしてもキリスト教にしても、その発祥は中東であり、これらの宗教を包括するとなると、「汎アラブ主義(アラブ型社会主義)」に頼らざるを得ないように思えます。
欧米型民主主義を不用意に導入し、「イスラム教教義」と齟齬が生じるケースが頻発するような状態になった場合、先に述べたような、複雑な対立を増徴させる危険性が想定されます。
以前、同じイスラム教徒なのに、何故イランとイラクが戦争をしたのか?疑問を呈しました。
イラン・イラク戦争
その時は、シーア派(イラン)とスンニ派(イラク)の対立と理解していたのですが、「イスラム原理主義(イラン)」と「汎アラブ主義(イラク)」の対立という側面も見えてくるワケです。
ところで欧米は、「大中東構想」を想定しているそうですが、「大中東構想」と「汎アラブ主義」とは似て非なるものです。「汎アラブ主義」は社会主義をモデルにしていることもあり、基本的に?欧米は敵意を持っているでしょう。
故ナセル大統領がアスワン・ダム建設の資金援助をイギリス、アメリカに申し込んだ際、両国ともこの要請を反故にします。ま、イギリスにしたら、イギリスの傀儡であったエジプト王家を失脚させたのはナセル大統領なのですから、当然と言えば当然かも知れません。
そこでナセル大統領は、外国資本が管理していたスエズ運河を国有化し、スエズ運河の通行料から、アスワン・ダムの建設費用を捻出しようとしますが、イギリスがすんなり引き下がるワケもなく...
第二次中東戦争
スエズ動乱
という事態になるワケです。そして軍事的に窮地に立たされるのですが、アメリカの心変わり?により九死に一生を得て、目出度くスエズ運河の国有化を成し、ついでに、イギリス+フランス+イスラエルを退けたことで、一躍アラブの英雄となります。
そうした状況を踏まえると、エジプトにとってアメリカは旧来の恩人とも言えるワケで、ナセル大統領の後を継いだ故サダト大統領が、アメリカの仲介を受け入れイスラエルと和平を結んだのも、ま、過去の恩返しと見れば納得できる行動であり、それを、「アラブに対する裏切り」と一方的に糾弾するのもどうか?...とも思うワケです。
アンワル・アッ=サーダート
Sadat Assassination
軍人であればこそ、九死に一生を得たスエズ動乱の恩を忘れず、ムバラク大統領もサダト大統領の路線を踏襲したのでしょうが、同時に、
「汎アラブ主義」はどこに行ったの?
という話にもなるワケで、「汎アラブ主義」の後退は、宗教派閥間の対立の誘発にも繋がり、「汎アラブ主義」の立役者であったエジプトが「現実路線」に比重を置くようになると、「ムスリム同胞団」などがその隙をついて勢力を巻き返すようになるワケです。
ホスニー・ムバーラク
で、混迷の度合いを深めているシリア情勢ですが、シリアは「汎アラブ主義」を堅持しており、「イスラム原理主義」とは基本的に相容れません。
だからこそ、「アルカイダ」などの原理主義勢力が「反体制側」についているワケであり、「汎アラブ主義」に過去痛い目にあったイギリス、フランスが、「反体制派」に武器を供与していることも理解できます。
アラブ連合共和国
ところで、「宗教対立」なんて今までおくびにも出さなかった西側の報道機関が、このところ妙に「宗教対立」を記事にしだしたその意図を推理してみるに、「反体制派」を騙る「原理主義者」による一般人の虐殺が明るみ出るに連れ、一部のスンニ派カルトによる犯罪を、リベラルなスンニ派教徒も巻き込んだ「宗教紛争」にすり替えようと目論んでいる可能性も考えられます。
つまり、従来の「民主化」という大儀が崩れつつあることへの「布石」とも思えるワケですが、そのような記事の書かれ方は、暴力的な手段を好まない大多数のリベラルなスンニ派教徒にしたらイイ迷惑です。ワタシたちにしても、日本政府に不満があるからといって「オーム真理教」に加担しようとは思わないのと一緒です。
シリア虐殺の嘘
2012年6月13日 田中 宇
シリアの宗派対立、周辺国に影響もサウジなどの思惑もからみ 事態の推移、予測できず
2012.7.26 22:29 MSN産経ニュース
シリア アラウィ派とスンニ派、分断の懸念
2012.7.26 22:31 MSN産経ニュース
<転載>
シリア 目撃者が見た現実
24.07.2012, 17:39
ナオワフ・イブラギム、ムンセフ・マトニ 世界の各メディアはシリアの町アレッポでの戦闘が激化していると報じている。実際に何が起こっているのかについて、VOR「ロシアの声」の特派員は現地で生活するアレッポ大学職員、ファーティマ・バナウィさんに話を聞いた。彼女によれば、戦闘についての噂はかなり誇張されたものであるものの、アレッポでの治安は安全ではないという。
-私たちは町に出る回数をできるだけ少なくしています。そこはあまり安全ではありません。常に何かの集会が行われていますし、それはシリア自由軍が組織しているものです。地元の人々はそれらの集会には参加していません。
-集会に出かける人を見たことがありますか?
-およそ15歳とか16歳の若者たちです。イドリブやハマなどから来た人々です。見た目はとても奇妙な感じです。武器を手に持って、空砲を撃ったり、悪態をついたりしています。感じとしては彼らが何かに取り付かれているような感じで、酔っているのか、何らかの薬物に影響されているのかといった印象を受けます。
-町の普通の人々はいまどのように生活しているのでしょう?
-物価は高くなりました。蜂起軍側は定期的に食料を乗せた車両や商品を載せた車両を攻撃しています。それは自分たちが使うためではない様で、捨てたり燃やしたりしています。なぜかは分かりません。多分、住民たちが政府に対して抗議を行うようしむけているのでしょうか。分かりません。それとか今日の朝などは、蜂起軍側はパン屋を脅したりしていました。ガスのタンクをたくさん積んだ車両で乗り付けて、「もしも今日店をオープンしたら、お前らを爆発するぞ!」などと脅していたのです。それからパンがないことを理由に、政府を非難するのです。しかし全体として、私たちは状況に対処できています。お互いの家に遊びに行ったり、お互いを支えあおうとしています。全てが落ち着いて、政府軍が彼ら山賊たちを追い払ってくれると信じています。私たちは動揺などしません!
-テレビでは町の様子についてどのように放送されていますか?
-もうそれはどのチャンネルを信じていいのか分かりません。例えば反対派を支持する「ハレブ・トゥデイ」などは、現場から爆発や交戦について現場のど真ん中から放送しています。時には事件が起こる前にすでにニュースを報道しています。これは冗談でありません。本当のことです。
-シリア政府の治安機関は町ではどのように行動していますか?
-政府軍はおそらく地元住民が攻撃されないように努力していると思います。一方の蜂起軍は何らかの争いが起これば、めくら滅法に乱射します。彼らにとって誰が死のうと関係ないのです。子供でさえです!その後、殺された子供たちの残虐な写真を、政府軍の仕業としてインターネットに掲載するのです。
-ダマスカスなどのほかの町では、蜂起軍が住民を追い出し、自分たちが住んでいるようですが・・・
-私たちが自分の家を明け渡すことなどありません!略奪兵や武装勢力であろうと、彼らには教育もなければ、信仰もありません。文盲な野蛮人なのです!
</転載>
いまロシアが交渉相手を選ぶとすれば、それはカルト化した「反体制派(自由シリア軍)」ではなく、リベラルなスンニ派教徒の指導層であり、スンニ派教徒内部からの「カルト集団」の分離が急務でしょう。「カルト集団」とリベラルなスンニ派教徒を分離することができれば、ひとまず、リベラルなスンニ派教徒の身の安全は守れます。
あとは「汎アラブ主義」における「宗教」の位置づけの問題、イスラム教の各宗派間における対立の問題、そして、宗派内における「右翼」と「左翼」の対立の問題?などは、アラブ人自身でしか解決できない問題ですし、そうでなければ、
「アラブの誇り」
って何なのよ?という話になるだけです。
物事が拗れたときは、何が混乱を引き起こしているのか?をトコトン追求することであり、「宗教対立」などという安易な答え...あやふやな報道煙幕に流されてはイケナイのです。
シリアに平和を!アラブに平和を!
現在、シリアは「内戦」で、日本は「原発」で苦しんでいるワケですが、このふたつの別々に見える問題の本質は一緒なのです。それ故ワタシには、シリアの人たちの苦境と福島の人たちの苦境が重なって見え、とても他人事とは思えないワケです。
人間ナメんなよ!
でわっ!
2012年7月26日木曜日
消費と生産
当たり前の話でアレですが、人間は食事をしないと死んでしまいます。つまり、生まれついての「消費者」と言えますが、何もこれは人間に限った話ではなく、生物全般が、外部からエネルギーを補給(捕食)しないと生命活動を維持できません。
そうした生物全般の中で、「生産」という行為によって消費分を自給する生物って、人間以外にもいるんですかね?ま、世の中は広いので、他にもいるのかも知れませんが、ひとまず人間以外にはいないと仮定して話を進めます。
ここで、有名な「卵とにわとり」のたとえ話を、「消費と生産」に置き換えて考えてみると、「消費」のほうが遥かに「生産」に先んじてたことは誰でも理解できます。人類の永wwwい進化の過程からすれば、「生産」を始めたのなんてつい最近の話です。
紀元前9000年頃、メソポタミア(チグリス川とユーフラテス川の間の沖積平野)では、シュメール人が移住して来て農耕が始まっていたそうですが、その頃には「農耕」により食糧を「生産」し、消費分を「自給」する社会が成立していました。
それ以前の時代にも「石器」の「生産」は行われましたが、主な使用目的は狩猟であり、食糧の自給までには至りません。
青森県HPより
確かな事は、「消費と生産」の関係においては、
消費が生産に先んじる。
という「原則」であり、したがって、
消費する分だけ生産可能なシステム
を持った社会が、進んだ社会(文明社会)と言えます(よね?)。
そこで現在の社会状況を鑑みるに、消費する分だけの生産を賄うシステムは、すでに確立されています。...というよりも、明らかに生産力が消費力を上回っていることは、例えば、一年間に日本で廃棄される残飯の量であるとか、増え続けるゴミの処理に苦慮する各地方自治体の状況などから、容易に推察できます。
さらに、「消費と生産」の同義語である「需要と供給」のバランスにしても不均衡が見られ、「需要」を満たす分は十分に「生産」されながらも、「需要」のある所に「供給」が行き届かず、そうした「供給格差」が紛争の原因となる場合もあります。
こうした不均衡の問題を、従来は「先進国と後進国」というモデルで捉えていましたが、果たしてそれだけなのか?
「消費と生産」、「需要と供給」は、本来重なり合うものだと思うワケですが、何故バラバラに機能しているのか?その原因を検証してみる必要があると、ワタシ的には思うワケです。はじめに述べたように、
人間は消費しなければ生きられない
のですから、「消費」と「生産」は
人間の持つ業(カルマ)
とも言え、自らの業(カルマ)に無関心であるということは、
人間であることに無関心である
ことに他ならず、人間であることに無関心であるのに、
どうして人間が「進歩」などできようか?
という疑問が生じるからです。
...つづく(たぶん)。
イルカ 「いつか冷たい雨が」.
人間ナメんなよ!
でわっ!
2012年7月23日月曜日
恥の文化
日本の文化は「恥の文化」だなどと言われますが、その裏返しは「誇り(プライド)」だと思う次第です。人は誰しもその強弱の差はあっても、何らかの「プライド」を持っています。では、人はなぜプライドを持つのか?それはプライドが、自分と他人とを区別するものであり、自我の一部?全部?であるからです。
したがって、「誇り」を傷つけられる=「恥」をかかされるとは、自分の存在を否定されるに等しく、特に「誇り」を重んじる武家社会においては、「恥」をかかされた場合には、「切腹」という極端な行動に現れたのでしょう。そして、そういった「武士道」を美化?する日本人意識が、現在においても引き継がれでいるワケです。
「武士道」を美化するに吝かではありません。「欧米から見た日本」にも記録されるように、幕府による治世において、「武士」は華美を戒め質素を旨として暮らしていました。武士も庶民も、その生活レベルに大差は無く、物質的な豊かさは無いにしろ、一応、「公平な社会」が築かれていたからです。
然るに、現代の武士ともいえる「役人」はどうなのか?現在のような政治、社会状況の中で、形骸化した「武士道」ばかりが美化され、「武士」=「お上」に従えというのも、「そりゃ、ご無体!」...な、要求です。「武士道」と「治世」が一体化していた江戸幕府と違い、現在の政府、内閣は、己の不徳を省みることも無く、一方的に権力を行使するのみです。
ま、そのような状況の下でも...というか、そういう状況であるからこそ、「本来の武士道」に対する郷愁がいつまでも失われないのでしょう。
で、本題は「武士道」ではなく、「恥」についてなので話を戻しますが、「恥」と「プライド」と「自己存在理由」は、ほぼ一体と見なせます。「プライド」が高いということは「恥」に対して敏感であり、「恥」を感じることで「自己存在理由」に不安を覚えるのです。
この状況を端的に言い表しているのが、過去何度か引用した、伊丹万作氏の「戦争責任者の問題」の中の、次の一節です。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
何故?「だまされていた」といって平気でいられるのか?その理由が「プライド」にあるからです。
日本国民は必ず戦争に勝つと「洗脳」され、それを信じ、「誇り」をもって家族を戦場に送り出した人たち、そして戦場に向かった若者たち...。社会のすべてが戦争中心に回っていたあの時代、「自己存在理由」とは日本が戦争に勝つことであり、それがひとりひとりの「誇り」であり、戦争に負けるなど「恥」以外の何ものでもなく、
生きて捕囚の辱めを受けず。
という精神状態にあったワケです。
しかし、日本が敗戦し連合国軍が進駐して来ると、「軍部にだまされていた」として、「一億玉砕」ならぬ「一億豹変」するワケですが、これも、敗戦という「恥」を受け入れたくないが故の心理と言えます。「恥」を受け入れてしまえば「プライド」が傷つき、「プライド」が傷つけば「自己存在理由」が揺らぎます。
「自己存在理由」が揺らぐということは、「生きる意欲を失う」ことの原因になり、してみれば、戦場にて「プライド」を賭けて戦っていた兵士が日本の敗戦を知り、戦地から帰還後に「抜け殻」のようになってしまったり、「自棄」になってしまうのも頷けます。
つまり、日本人全体が「だまされていた」ということにして、「恥」を受け入れることを巧妙に避けたのです。これがワタシなりの見解です。
ただ、それを非難する気も、その資格もワタシにはありません。「恥」を「だまされていた」とすり替え、「自己存在理由」を失わなかったおかげで、「生きる意欲」を失わずに、日本が戦後復興を遂げられたのも歴史的事実なのです。
そしていま全く同じ状況が、「原発」を巡って起きています。「経済発展」という「誇り」を賭けて「原発」を推進しようとする政府、内閣は、まるで当時の「軍部」のようです。
福島での「原発事故」により原発が危険であること気付いた多くの人たちは、「だまされていた」...として、反原発を訴えていますが、そもそも、
なぜだまされたのか?
まで掘り下げて検証しないと、また、「別のうそにだまされる」だけなのです。
先の戦争の総括を日本人は怠りましたが、今回の「原発事故」は、「日本人の意識」を総括するのに絶好の機会のように思えます。
安富センセが終わりのほうで「歴史の勉強」が云々...と、歯切れが悪い物言いをしてますので、ワタシの口からハッキリ言わせて貰えば、今回の原発事故にしろ、現在の政府のありさまにしろ、
責任はワタシたちにある!
ということなのです。
ワタシたちが愚かだった!
ということなのです。
その「恥」を受け入れなければ、今後も何度でも「同じ過ち」を繰り返し、「だまされていた」と言って「イケシャーシャー」としているだけなのです。己の「小さなプライド」にしがみ付いているだけなのです。
死ぬ気で事にあたる。
という例えがありますが、人が死ぬ気で何かをする時、「プライド」なんて消し飛んでしまいます。「必死さ」が足りないのは、何処かに「プライド」が残っているからで、そのような状態では、「プライド」が邪魔をして、「最後の壁」を突き崩すことはできないでしょう。
然しながら先に述べたように、「プライド」=「自己存在理由」=「生きる意欲」であるので、他人が「プライド」を捨てろと言うのは、「生きる意欲」を捨てろと言うのにも等しく、とても強要できる類の問題ではありません。ま、その辺が、安富センセは優しいから、
勉強しなさい。
と、やんわりと言う他はなかったのでしょう。(たぶん)
で、勉強するとどうなるのか?というと、「知識」が増すことによって「自己存在理由」が更新されます。「自己存在理由」が更新されると「プライド」の質も変わります。当然、「プライド」の質が変われば「恥」の質も変わります。
したがって、現在「恥」だと思っていることが、実は取るに足らない些細な事だと気付き、些細な恥や些細なプライドから開放されれば、世界が「ガラッ!」と違う姿に見えてくるはずです。
旧世界は死んだ!
と、誰もが実感できるようになります。そのためにも、
恥をかくことを恐れない
という心構えが必要とされます。
ジッサイのところ、多くの知識人、エリート、言論界、学会、メディアに携わる人たちは、「恥」をかくことを極端に恐れます。自分が長年にわたって努力して積み上げた成果とか、既得の名誉、地位を守るために、「自己存在理由」を守るために、すべてを「自分たちの知識世界の内に矮小化」して処理しようとします。「アップデート」が出来ないのです。「アップデート」を受け入れてしまえば、権威とやらに裏付けられた知識は、その時点で「チャラ」になってしまうからです。
しかし、「権威」に頼らない知識は、いくらでも「アップデート」が可能であり、且つ、安富センセが言うところの「複雑系(バタフライエフェクト)」の世界においては、「アップデート」の繰り返しが、よりダイナミックな世界に適していると言えます。
ま、人は基本、他人からとやかく言われるのを嫌います。それは、自分が自分であろうとする「自己存在理由」からすれば当然なワケで、であるならば、他人からとやかく言われもそれを跳ね除ける、「ゆるぎない自分」を確立するのもまた、「理に適う」ワケですよね?
そのために、「勉強したほうがよろしいんじゃないですか?」と、安富センセはやんわりと言っているワケで、まあ、多摩の田舎者のワタシから見れば、「京都の人間は上品だねwww。」と、ひとしきり感心した次第です。
で、「恥をかくことを恐れない」という点に関して言えば、権威に保護されたおエラい方々よりも、ワタシたちのように「無学の者」の方が、これからいくらでも新しい知識を「アップデート」可能なワケで、いずれ、「旧世界」の固定化された知識人よりも多くの知識を持つようになり、その時ワタシたちは「十全の存在」たりえると、「新世界」の展望を述べたワケです。
人間ナメんなよ!
でわっ!
2012年7月21日土曜日
たかが電気(を発電するだけ)のために
先日の、反原発10万人集会においての坂本龍一氏の、
たかが電気...
という発言が物議をかもしているようですが、ワタシはこの発言を、表題のように受け取りましたけどね?
【赤木智弘の眼光紙背】
忘れ去られてしまった、「お金の大切さ」
音楽業界に永く身を置き、過去にはYMOでシンセサイザーなどの電子楽器を使いまくっていた坂本氏であれば、「電気の大切さ」は十分理解しているでしょ?そう考えますケドね?ワタシは。
そういった坂本氏のプロフィールさえ知らず、「言葉狩り」に走る「知識人」、「メディア」って、一体ナンなんでしょ?
体のどこかに「アザ」があったからと、転んでできた「アザ」かも知れないのに、それを根拠に、
おまえは魔女だ!
と決め付ける、魔女狩りの審判官?のような振る舞いですなあ。もうね?終わってますわ。彼らは。
「終わっている連中」に付き合うのも時間の無駄なので、坂本氏の発言内容、「たかが電気を発電するだけのため」...について検証すると、この発言、区切り方で大きく印象が変わります。
1.たかが電気を、発電するだけのため。
2.たかが、電気を発電するだけのため。
1.の場合、電気そのものに否定的な意味づけが印象付けられますが、2.の場合は、発電の方に否定的な意味が置かれています。日本語は、かくも不思議な?変幻自在な?言語です。
このことは、発言内容を文字に起こすときに、「書き手の作為」によって「内容が正確に伝わらない」危険性を意味します。つまり、ある発言を文字に起こす場合、発言者のプロフィールや背後関係を理解した上でないと、その発言内容を正確には書き起こせないということです。
それなのにまあ、ネット、メディアを問わず、坂本氏の発言を「鬼の首を取った」かの如く騒ぎ立てる連中が多くて、
日本語はここまで劣化したのか?
と、目を覆うばかりの惨状ですなあ。もともとね?日本語って「主語」、「述語」が結構いい加減...というか、直接的な言い回しは角が立つので避けるきらいがあるワケですよ。ま、良くも悪くも、「情」を大切にしてきたワケです。「言わなくても分かるでしょ?」とか、「察してよ!」とか、「惻隠の情」とか、「阿吽の呼吸」とか。
そういった「情文化」の、悪い側面も勿論あります。「情」に縛られると「場の空気」に支配され、今回散々叩かれている「原子力村」のような、閉鎖的な共通心理=「情」に縛られた集団が発生するという問題です。
近代以前は、そうした「村」が問題を起こしても、発生する被害は局所に限定されていましたが、テクノロジーの進歩により被害の大きさも格段にあがり、その影響も広範囲に及ぶようになった現在、ちまちました「村意識」だけでは対処できない、もっと大きな問題が発生することを理解しなければなりません。
つまるところ、「旧世界」とはそうした「小さな村意識」から脱却できないし、また、その「小さな村意識」を糧に利権を貪っているが故に、そもそも脱却する気が無い集団とも言えます。だからこそ彼らとは戦うのでなく、
旧世界は死んだ!
...と、ワタシは見なすワケです。よろしいでしょうか?
そして「新世界」とは、「小さな村意識」を越えて、その外側に存在する「さらに大きな村意識」に目覚めよう。...と、いうことで、個人と全体との関係性を明確に理解し、「大きな村意識」に基づいて社会を再構築する必要がある。...とまあ、何度か述べてきたワケです。
3.11の自然災害および原発事故は、日本という国に大きな傷跡を残しましたし、現在もその傷は癒えていません。そんな状況の中で、ワタシたちは多くのことも同時に学びました。いままで無関心であった「原子力発電」というものが、ひとたび事故に見舞われるとどれだけ広範囲にその被害を及ぼすか。
そしてその被害に対して、ワタシたちがどれだけ無力であるか、政府がどれだけ無力であるかを痛感しました。
事故が発生すれば双葉町や福島県だけの問題に留まらず、さらに広範囲の自治体にも被害が及び、「小さな村意識」に凝り固まっていても問題は解決しないのです。「小さい村」だろうが「大きい村」だろうが、
同じ命
だということに、多くの人が気付いたのです(一部には気付かない人たちもいますが)。
「命」という普遍的な価値観を共有した、「大きな村」が形成されつつあるのです。「大きな情」が形成されつつあるのです。全国に広まる反原発運動は、「大きな情」に突き動かされているとも言えます。それは神道における「八百万精神」のような、スピノザが言うところの「万物に宿る神」のような、「より大きなシステムの存在」に目覚めたということなのです。
日本人が培ってきた「情」を捨てる必要はありません。しかし、先の坂本氏の発言に対する「揚げ足取り」のさまを見るに、日本人なら本来持っているはずの、
情と感性
すらも、文部科学省の教育指導の悪弊で失われようとしているのではないか?...と、思わずにはいられない次第です。何で?ダンスが必修科目になるのか、皆目見当がつきません。
<転載>
中学校武道・ダンスの必修化
文部科学省HP
文部科学省では、平成20年3月28日に中学校学習指導要領の改訂を告示し、新学習指導要領では中学校保健体育において、武道・ダンスを含めたすべての領域を必修とすることとしました。
武道は、武技、武術などから発生した我が国固有の文化であり、相手の動きに応じて、基本動作や基本となる技を身に付け、相手を攻撃したり相手の技を防御したりすることによって、勝敗を競い合う楽しさや喜びを味わうことができる運動です。また、武道に積極的に取り組むことを通して、武道の伝統的な考え方を理解し、相手を尊重して練習や試合ができるようにすることを重視する運動です。
ダンスは、「創作ダンス」、「フォークダンス」、「現代的なリズムのダンス」で構成され、イメージをとらえた表現や踊りを通した交流を通して仲間とのコミュニケーションを豊かにすることを重視する運動で、仲間とともに感じを込めて踊ったり、イメージをとらえて自己を表現したりすることに楽しさや喜びを味わうことのできる運動です。
</転載>
ま、武道にしても、「必修」にする必要はないと思いますが、何かね?カン違いも甚だしいです。「創造力」なんて無理やり伸ばすもんじゃないし、強制(必修)される方もたまりません。
ほっといてくれ!
...というのが、偽らざる気持ちじゃなかろうかと?
「創造力」、「想像力」は、自発的に芽生えるものです。その芽が伸びるのを、邪魔しなければイイだけの話です。芽が伸びるのに必要な養分(環境)を与えれば、あとは勝手に伸びます。それを自分好みにしよう(優等生にしよう)と文部科学省がイジクリまわすから、教育現場が歪むのです。まったく...。
発案者!出て来い!
おっと、また話が逸れました。
人間ナメんなよ!
でわっ!
2012年7月20日金曜日
旧世界は死んだ
旧世界は死んだ。マスコミを見ても、政治を見ても、金融を見ても、それは明らかだ。いま世界で幅をきかせているのは、旧世界の「残りカス」にすぎない。
残りカスの知識人、残りカスの学者、残りカスの役人、残りカスの政治家、すべては旧世界の遺物だ。
しかし残念ながら、「新世界」を迎えるワタシたちの準備が不十分である以上、もう暫くは旧世界のゾンビたちと付き合いながら、それとは別に、新しい社会を構築していくしかない。
旧世界のシステムを応急で利用しつつ、改善が急務とされる部分から着実に変えてゆく。そしていずれは、すべてが新世界のシステムに置き換わるのは、現在のひとりひとりの「意識の目覚め」からすれば、当然の成り行きとなる。ワタシたちは既に、旧世界のシステムの弊害に気付いてしまったのだ。
一部の特権層による独善的な政治なんてもうたくさんだし、成長率という数字に踊らされて、現実世界を直視しない経済なんてウンザリだし、それら諸々が原因となる、絶えることの無い騙し合い、奪い合い、争い合いなんて、ワタシたちの求める社会には必要無いのだ。
旧世界は死んだのだ。それは明らかな事実なのだ。ワタシたちは目を見開き、これから何処へ行こうか?と考えている最中だが、テレビを見ても、新聞を読んでも違和感を覚えてしまうのは、旧世界が死んだ証なのだ。マスコミ、メディアが、既に旧世界の遺物と化している証なのだ。
新世界の形は未だ定まっていない。しかしそれは「意識」として、そして「共感」として、全ての善男善女、老若男女の心の中に芽生えた。少なくとも、この日本においては。
新世界において優先されるのは、人間本来の「命の輝き」≒「笑顔」を取り戻そうという意欲であり、「命の輝き」を基準にすべては検証され、構築される。
何万年もの進化の道を辿り、ワタシたちはやっと現代に辿り着いた。そしてワタシたちがここまで来れたのも、
人間はどうあるべきか?
という自問自答を、洋の東西を問わず絶え間なく続けてきた結果であり、ただただ生存競争に明け暮れていたなら、依然として「高等なサル」のレベルでしかなかっただろう。そして、
自分とは何者なんだ?
という疑問を抱いた瞬間から人類の進歩が始まったのだとしたら、人類は長年かけて
自分とは、自分なのだ!
という答えに、やっと辿り着けたに過ぎない。そして、「自分になる」ための新しい時代が、ようやくこれから始まろうとしている。旧世界に抑圧され、隷属を強いられていた自分を解放し、「本来の自分」に戻る時が来たのだ。「自分になる」ことで「命の輝き」を取り戻し、その光で新しい時代、新しい日本は満たされる。
ワタシたちの「光」は輝きを増し、
旧世界はその輝きを失う。
今は未だ暗い。旧世界の残照であろうとも、足元を照らすには役に立つだろう。が、いずれ「自らの輝き」が光を増せば、はるかに明るく、そして遠くまで道を照らし出す。ひとりひとりが独立独歩で道を歩む、「十全の存在」に成り得るのだ。それが新世界の人々の姿なのだ。
ワタシには見える。旧世界は死んだのだ。屍に寄り添っていても、一緒に朽ち果てるだけなのだ。生きる意志があるのなら、前に進む意思があるのなら、まずは声を大にして宣言するのだ。
旧世界は死んだのだ!
...と。
人間ナメんなよ!
でわっ!
2012年7月18日水曜日
日銀商品引換券
池上彰氏のスペシャル番組で「お金」を取り上げていましたが、見ていて
ナニ言ってんだ?こいつらわ?
と、頭がクラクラしました。もうね?考え方の根本が「金融市場主義」にドップリ漬かってて、そこから抜け出せないワケですよ。
まず痛いのは、「お金の本質」を忘れてしまっていることです。「お金」は物々交換の手段(媒体)なのです。ということは、別な交換手段があれば「お金」に拘らなくてもイイんです。
「お金」なんて、「お」を付けて呼んでいるからアレですが、要は「銀行券」なワケで、その役割は「商品引換券」と何ら変わりません。「商品引換券」の発行を国が銀行に認可し、その効力を保障しているに過ぎません。
で、「通貨」=「日銀商品引換券」の保証人は「日本国政府」ですが、保証人に対する信用が無ければ、「国内取引」はアレとしても、「国際取引」は成立しません。「日銀商品引換券」は、あくまでも日本の「ローカル商品引換券」なワケです。
そうすると、「国際取引」において「日銀商品引換券」を使おうとするならば、ローカル性を超えた「普遍的な何かの裏づけ」が求められます。簡単に言うと、「担保」がシッカリ存在しているか?ということで、その基準とは、その国に埋蔵されている「資源」であったり、産業界の「技術力」であったり、風光明媚な「環境」=「不動産価値」であったり、ま、あとは「金」などの資産ですかね?
となると、天然資源は「日本人共有の資産」だし、「技術力」とか「国家資産」などの資源は、ワタシたちひとりひとりの、日々の営みの中で積み上げられてきたものですから、「日銀商品引換券」の国際的な効力を保障しているのは、結局のところ「日本国政府」ではなく、「ワタシたち」ひとりひとりの活動ということになります。
で、確か?「日本国政府」は過去、アジア通貨危機の際には「韓国商品引換券(ウォン)」の保証人も引き受けたように記憶していますが、ま、困ったときはお互い様の精神で、「保証人」を引き受けるのも吝かではありませんが、あの時、もし韓国が破綻していたら、その負債を日本も=ワタシたちも被る事になっていたでしょうなあ。
日韓通貨スワップ協定を拡大しても感謝されない日本
300億ドルが踏み倒される可能性もゼロではない
2011.10.28(金) 日本ビジネスプレス
池上氏の番組の話に戻りますが、ギリシャの経済破綻とユーロ離脱についても語られ、ギリシャがユーロを離脱し「ギリシャ銀行商品引換券」=「ドラクマ」を印刷するようになると、世界的な経済破綻が発生する可能性があると「脅す」ワケです。
ギリシャの問題を簡単に整理すれば、「借金苦」に陥っている状態なワケで、それも、タチの悪い仲間(ユーロ)に加わったせいで、「借金漬け」にされてしまった観が否めません。本来の「自分のフトコロ具合」を超えて、ユーロ圏の合コンとかパーティーに付き合わされた結果、見栄を張った代償として借金が嵩んだという、日常よくある光景です。
で、「ハッ!」...と、ワレに戻ったギリシャが、
このままじゃいけないわ!
と、ジタバタしているのが現在の状況なワケで、ここで、ひとりの人間としてどういう選択をするのか?考えてみるに、
1.このまま、お付き合いを続けながら借金を返済する。
2.一旦お付き合いを断ち、借金の総額を明確にした上でボチボチ返済する。
3.自己破産申告をして借金をチャラにするが、同時に信用も失う。
の3通りが考えられます。3.の道を選ぶのは「楽」ではありますが、「一個人」ならイザ知らず、「一国家」が、国際的な「禁治産者」になり、この世界に居場所が無くなる恐れもある以上、まず3.の選択はありえないでしょう。
そうすると、1.か、2.になるワケですが、1.を選択した場合、「借金を返済するために借金をする」という
ローン地獄
に陥ることは、経験者の方であればスグに予想がつきます。そして行き着く先は「資産差し押さえ」であることも。
そうなったら、「もうお終い」です。先に述べたように、そうなってから「ギリシャ銀行商品引換券」を印刷しても、その裏づけとなる「担保」が無いワケですから、「こども銀行」のお札と同じで「紙切れ」でしかありません。
確実なのは、2.という選択肢になります。つまり、
ユーロ離脱
がギリシャにとって正しい選択だとワタシには思えます。
LIBORスキャンダル:悪徳銀行家
JB PRESS 2012.07.09(月)
で、次に、どうやって借金を返済していくか?という難問に直面するのですが、先に述べたように、「資源」、「技術」、「特産品」などで、
物々交換すればイイ
だけの話です。「銀行商品引換券」の最終目的は、「現物との交換」にあるワケですから、直接物々交換をすれば、「銀行商品引換券」が無くても構わないワケです。
曖昧な記憶でアレですが、以前北朝鮮で「デノミ」に失敗した影響か何かで、チェコスロバキアだったか?あの辺から輸入した「食糧」の代金の支払いが出来ずに、相当分の「石炭」だか「鉄鉱石」で支払った経緯があります。
同様にギリシャも、「天然資源」なり、「特産物」などで借金を返済すればイイんです。100%自国産の物であれば、他国からこれ以上の借金を重ねることも無く、ま、細々とではありますが、いつか必ず「借金完済」の日が訪れます。日本にしたって、「日露戦争の借金」を完済したのは、昭和40年代に入ってからです。
そして、日本が借金を完済できたのも、国内の生産力の維持できたからなワケで、日本の天然リソース、人的リソースがあったればこその話なのですが、恐ろしいのは、福島での原発事故により、天然リソースにも人的リソースにも悪影響を及ぼしているという現状です。
「人間、体が資本」とよく言われますが、国にしても全く同じです。国も「国土が資本」であり、メタンハイドレートだとか、レアメタルだとかの資源があれば、「物納」で借金の返済は可能だし、「最高の米」とか「おいしい野菜」を生産すれば、世界中の消費者がそれを求めるでしょう。
また、日本にしかない技術であれば、「技術費用」として借金の返済にも組み込めるでしょうし、もうね?借金返済の方法はいくらでも考えられるワケですよ。日本が国として健全であれば。だから何度でも繰り返し言うワケです。
原発はヤメロ!!
と。
何でも?経済産業省傘下の資源エネルギー庁では、「2030年に原発廃止」とかフザけたことを言ってるらしいですが、ちょっと想像してみて下さい。あなたが「禁煙運動家」だとして、タバコを吸う人が
2030年までに禁煙しますよ
とあなたに言ったら、「そうですか、それはよかった♪」と喜びますか?ワタシはタバコを吸うのでアレですが、「禁煙運動家」の人であれば、「明日にでもやめなさい!」と言うんじゃないですかね?
ま、多少ズレているかもしれませんが、ワタシの原発に対する考え方は、禁煙運動家の喫煙に対する考え方に重なる部分もあると思うワケですよ。だから、「2030年までに禁煙(原発廃止)」なんて
まったくナンセンス!
でしかありません。
「2030年原発比率」についてのパブリック・コメントの書き方
カレイドスコープ
で、話はギリシャに戻りますが、ユーロを離脱した後の借金返済の方法は、当然ギリシャ自身が考えるしかないのですが、その手助けをすることは、日本にだってできます。
外務省HP
ギリシャ共和国
例えばですよ?日本がギリシャに、観光資源の維持・管理・補修として援助をします。これは文化的に見ても有益な援助と言えるでしょう。そしてギリシャは、観光産業の収入から借金をボチボチ返済するワケですが、日本からの援助への感謝として、観光地の宿泊施設に「日本人割引」を設定したとしたらどうです?悪い話じゃないでしょ?
もちろんその他の産業でギリシャ特有のものがあれば、それにもドンドン出資・投資すればイイんです。ギリシャ近海で水揚される「新鮮な地中海魚」が輸入され、日本の食卓やレストランに出回るのも、夢がありますなあ。
海鮮ポセイ丼
とか、
ネプチューンの盛り合わせ
とか、
ゼウスの蒲焼
とか...。
ま、そういったワケで、ワタシはギリシャにユーロからの離脱をお勧めしますが、そのためにも天然リソースと人的リソースの二本柱は、ギリシャに限らず如何なる国にとっても、疎かにしてはいけない「基本中の基本」だと思っています。
つまり、「銀行商品引換券」の存在意義は、交換できる「現物」があってはじめて成立するということです。よね?
あと、件の番組の中では、中国が「金」を買い漁っているとレポートされていましたが、中国人は食料が不足したら、「金」を食べるつもりなんですかね?もうね...
アホか?
と。
人間ナメんなよ!
でわっ!
2012年7月15日日曜日
想像力の翼をくれ...的な?
イヤイヤ...orz 土曜日、日曜日と停電に苦しめられました。ま、停電には馴れっこなのですが、住んでいる下宿の電気工事だったので、或る時間帯だけ電気が止まり、その後は通常通りというのとはワケが違い、電気が切れたり入ったりが一時間に一回くらいの頻度で起きるワケですよ。
貧乏人なもんで「UPS:無停電装置」を持っていませんので、その度にPCが落ち、ハードディスクがクラッシュするんじゃないかと、心臓に悪いです。
土曜日は、終日電気工事が入っているようなので、もうね?あきらめて昼間はPCを立ち上げず、夕方工事が終わってから立ち上げましたが、ヤッパリ...ナンカ...変です。ハードディスクの認識が悪くなっています...orz
恐らく...というか、一部のデータに支障が発生してしまったのですが、追々、修復可能かどうかトライしますわ。
で、そんな事があったもんだから、
「自家発電機」が欲しいなあ...。
と、ようつべの動画をアレコレ見ていたら、いくつか面白い動画がありました。何しろ、「モーターでモーターを回す」ことで発電しようってんだから、ほぼ?「永久機関」のようなお話です。
動画 1
動画 2
動画 3
配置図
で、こういうのって、「頭のイイひと」たちって、真っ先に否定するんですよねえ。
そんなの無理だ!
ってね...。でもね?「ライト兄弟」が飛行機を製作したときに、「飛ぶワケがない」と否定したのは当時の名だたる学者たちだったワケですよ。それが今ではどうです?
つい最近、日本でも同じような事がありましたよね?
そういったワケで?ま、ワタシはもともと子供の頃から、「権威」に寄りかかる知識に胡散臭さを感じる性格でもあったので、おかげさまで「夢見がち」な少年期を過ごし、歳月を経て想像力(妄想)にも磨きがかかった次第です。はい。
いまでもTV番組で、「知識人」という職業人が
「~博士の学説によると云々...。」
などと得意気に話しているのを見ると、(「腹話術」の人形のほうが、もっと気の利いたことを話すんじゃねえか?)と、哀れみさえ感じてしまいます。ま、ひねくれた性格なもんで、よしなに。
さて、いくつか見た動画の中でケッサクだったのがコレ。何がケッサクかというと、動画に登場するオジサンはパキスタン人?らしいのですが、コレを撮影した場所が日本だと気付いたからです。
きっと日本に出稼ぎに来て、現在は定住しスクラップ工場を営むまでに成功したのでしょうが、異国の地での不慣れな生活の傍らで、自動車の廃品を利用した発電機を作ってしまうという、その、
想像力の自由さ
に感服した次第です。はい。
FREE ENERGY POWER GENERATOR
「ワタシは3台の自動車用オルタネーター(発電機)を使って、43アンペア/12ボルトの直流を発電し、40分で6個のバッテリーを充電しちゃうよ(ワイルドだろwww?)。でもって、4kw対応のインバーターを追加すれば、バッテリーチャージャーとしても、自家発電機としても使えちゃうんだぜえwww。」
「ゼヒ、ワタシにメールしてください。e-add: masoodpic@yahoo.com」
「ドゾ、ヨロシク。」
というワケで、興味のある人は連絡をとってみたらいかがでしょうか?
ベトナムに暮らすワタシとしても同じような立場にあるワケですが、経済的な制約もあり、オジサンのように「自家発電機」を作っちゃおう!...というバイタリリティーは沸いてきませんわ。
以上の動画の真偽は不明ですが、脳みそに「刺激」を与えてくれたことは確かです。そしてその「刺激」が、更なる想像力の飛躍の原動力になるのです。
したがって、「刺激」を受け入れることのできない「こり固まった脳みそ」では、周りから評価される「優等生」にはなれても、「優等生」の殻を打ち破って、更なる飛躍をするのはムズカシイでしょう。
たまたま目にしたのですが...
<転載>
国際生物学五輪で銀4=日本代表の高校生ら-文科省
時事ドットコム
文部科学省は14日、シンガポールで開かれた第23回国際生物学オリンピックで日本代表の高校生4人全員が銀メダルを得たと発表した。代表は宮崎県立宮崎西高3年荒木大河さん(17)と桜蔭高(東京)3年野田夏実さん(17)、筑波大付属駒場高(東京)3年依田和樹さん(17)、灘高(兵庫)2年前田智大さん(16)。
今大会には59カ国・地域の計236人が参加し、成績上位者1割に金、2割に銀、3割に銅の各メダルが贈られた。日本の参加は8回目。(2012/07/15-01:24)
</転載>
日本の高校生4人が銀メダル 生物学オリンピック
朝日新聞デジタル 2012年7月15日1時17分
高校生の生物学五輪、日本代表の4人が銀
日本経済新聞 2012/7/14 23:15
文部科学省は「銀メダル」という点を強調して、日本の教育は=文部科学省の仕事は素晴らしいといでも「宣伝」したいのでしょうが、オリンピックと違いこの「銀メダル」は2番目というワケではありません。「金メダル」受賞者が24人いるのです。
したがって、成績上位から25番目以下70番目くらいまでが「銀メダル」であり、じゃあ、24番目までにどの国が入っていたの?と考えるに、まず近年宇宙進出が著しい「中国」は入っているだろうと。そして恐らく「韓国」も?
その他、「ロシア」、「アメリカ」、「インド」あたりも常連でしょから、それを考えれば、「日本の教育」は失敗した。...とワタシには見えます。そしてそれは文部科学省の指導が失敗したことの現れであるにも拘らず、
「銀メダル」です!
などと詭弁を弄し、自らの失態を隠そうとしている姿は正に、「優等生」であることに固執する「こり固まった脳」の成せる業といえるでしょう。
そしてこれからも、「こり固まった脳」による教育が続けられ、「こり固まった脳」のコピーが量産されるようでは、
日本の将来はまっ暗です。
一刻でも早く、若者の「フレキシブルな脳」を活かし、ひとりひとりの「無限の想像力」を飛躍させる教育環境の整備が必要とされているのです。おそらくそれは、現在の文部科学省の役人では無理でしょうが...。
あ、「自家発電」の話から逸れてしまいましたが、これも「想像力の飛躍」ということで。
人間ナメんなよ!
でわっ!