2012年11月29日木曜日

言葉遊びにはウンザリ


 「反原発」だの「脱原発」だの「卒原発」だの、みなさん言葉遊びが好きですなw。ま、言葉遊びは「日本文化」の一端でもあるので、それに目くじら立てるのも野暮ってものかも知れませんか、事、日本の未来を決めるような大事な局面においても言葉遊びに現を抜かすっつーのも、「如何なものか?」・・・と、思うワケですよ。

 野暮を承知で言わせてもらえば、原発の推進を望む勢力の本音


日本の核武装


にあるワケですよね?だったら答えは簡単なワケで、「脱」だの「反」だの「卒」だのゴチャゴチャ言う前に、


核兵器の根絶


で、イイじゃないですか。それを「エネルギー問題」だとか、「経済問題」だとか、「天秤」に掛けるから、進むべき「本筋」がボヤけてしまうワケですよ。

 「ヒロシマ」「ナガサキ」、そして「フクシマ」と、3回も核の実害を受けちゃったワケですよ。日本は。

 戦後ズット、「核兵器の根絶」を願い続けてきた「ヒロシマ」、「ナガサキ」での、アノ、原爆犠牲者に対する「誓い」、「鎮魂」は、全部ウソだったワケですか?だとしたら、民主党を「嘘つき」呼ばわりする資格は誰にもありませんなw。

 何度でも言いますが、「反」にしろ「脱」にしろ「卒」にしろ、その「肝」は、


核兵器の根絶


にあるワケです(少なくともワタシの中では)。それを、「代替エネルギーが云々・・・」とか、「経済発展が云々・・・」とか、お茶を濁すような議論を展開するのは、先の戦争で亡くなった罪無き人々、今回の原発事故で被害を被った罪無き人々に対する


冒涜


に等しいワケですよ(少なくともワタシの中では)。


人間性(理性)の欠如


に等しいワケですよ(少なくともワタシの中では)。

 「原爆」で亡くなった方たち、「放射能汚染」で故郷を追われた方たちの「無念」を偲べば、


もう、馬鹿なことは止めよう!


・・・と、思うのが、正常な理性を持った人間であり、お互いを思いやる「情」というもんじゃないんですかね?え?


地震の年表 (日本)




 そういった「情」が薄くなっているから、年間3万人という自殺者の数が一向に下がらず、社会にも「イジメ」が蔓延するんじゃないんですかね?え?

 「エネルギー」だの「経済」だの、ご立派なゴタクを並べていますが、彼らが先ず口にするのは「国益」であり、「人」では無いワケですよ。もし「人」を見ているのなら、親が子供を守るが如く、


どんな犠牲も厭わない


ワケで、「エネルギー」だの「経済」だのゴチャゴチャ言っている連中にとってワタシたちなんて、


所詮は他人事


としか映っていないのでしょうなw。

 で、今回の選挙は、そうした連中を軒並み落選させてやることに意味があるワケですよ。はい。

 そのためには、「甘言」に騙されない自己信念が必要であり、そうした自己信念を培うにはどうしたらイイかというと、正しい事実認識の積み重ねしかありません。

 なぜ詐欺に引っ掛かるのかといえば、詐欺師の言葉に騙されてしまうからですが、「甘言」に騙されてしまうのは自分が無知である=事実認識が詐欺師より劣っているからに過ぎません。

 したがって事実認識が詐欺師より勝っていれば、詐欺に引っ掛かるワケがないのです。詐欺師の言葉に揺さぶられない自己信念=事実認識の積み重ねである・・・と、なるワケです。

 で、詐欺師は、あの手この手でワタシたちを騙そうと虎視眈々と機を伺っているワケですが、その「騙しの手口」のひとつとして、


歴史の捏造(改竄)


もある。・・・というのがワタシの見解であり、故に「歴史を検証しろ!」と、クドクド繰り返しているワケですw。

 ま、それはアレとして、最近話題沸騰?の「日本未来の党」ですが・・・。


<転載>

かだ由紀子と歩む会

平成24(2012)年11月27日

びわこ宣言

政治は未来をつくるもの。
右か左かではない、私たちが目指すものは日本の未来の安心。

国民のみなさんに日本の未来を選択する、その選択肢を提示したい。

国政への危機感、中央集権体制を変え、現世代につけまわしをしてきた旧体制を変えなければならない。
3.11後初の国政選挙であるにもかかわらず、「原発のない社会」に向けての議論は不透明のまま。自民党はこれまで原発の安全神話をつくり、事故への備えを怠たり福島事故に対する反省は一切なく、原発推進ともとれるマニフェストを発表。

福島の事故は、放射性物質を大気や水中に広げることで地球を汚した、この重い責任を感じることなく、経済性だけで原子力政策を推進することは、国家としての品格を失い、地球倫理上も許されないことである。

原発事故の潜在的リスクが最も高いのは老朽化した多数の原発が集中立地する若狭湾に近い滋賀県、琵琶湖である。琵琶湖は近畿圏1,450万人の命の水源であり、その琵琶湖をあずかる知事として、このまま国政にメッセージを出さないことは、これまで琵琶湖を守ってきた先人に対しても、子や孫に対しても申し訳が立たない。

今、ここに、国民のみなさんの信頼を取り戻し、国民のみなさんが希望を持つことができる、未来への選択肢となる新しい政治の軸を立てる「びわこ宣言」を行います。未来を拓く新しい政治を始めましょう。

</転載>


 これって早い話が、琵琶湖周辺のローカル宣言でしょ?チガウの?「琵琶湖を守ろう」という環境宣言であり、何でそれがイキナリ国政とリンクするのかよく分かりません。

 もちろん琵琶湖の環境保全は大切ですが、そのほかの地域・・・例えば釧路の湿原とか?尾瀬の湿原とか?だって同等に環境保全は求められてしかるべきであり、釧路の自然を、尾瀬の自然を守るために「新党」を立ち上げますかね?

 「卒原発」の具体的な指標として、近畿地方の水がめである琵琶湖を持ち出すのはイイとしても、それじゃ他の地域は?・・・という話になるワケですよ。「卒原発」は、琵琶湖周辺だけの話なの?・・・と。だとしたら「日本未来の党」は、潜在的な原発容認なのか?・・・と、膝を交えて小一時間。

 ま、ワタシは性格が歪んでいるもんで必要以上に勘ぐっているのかも知れませんが、そんなワタシからも僭越ながら・・・。 


平成24(2012)年11月29日

サイゴン宣言

 人が政治をつくり、政治が未来をつくるのであれば、ひとりひとりの思いが未来をつくると言えます。

 未来は「選択するもの」などではなく、「自分の手でつくるもの」だということを、わたしたちひとりひとりが実感できる社会を築くためには、有権者ひとりひとりの社会参加への意欲が求められます。

 旧来の政治体制による弊害である、財政・環境・医療・市場経済などの諸問題の本質は、有権者の社会参加への意欲の低さに起因するものであり、政治・行政に無防備に主権を委ねてしまったことにあります。

 未来は政治主導、行政主導に拠るものなどではなく、民意主導に基づくものであり、選挙において選ばれた「代議士(公人)」には、主権を一時的に委譲しているに過ぎず、そのような立場である公人が「未来の選択」を主権者に迫るなどとは、不遜な態度であると言えます。

 ひとりひとりが幸福や未来について熟考し、その実現のために「代議士(公人)」に主権を委譲し、そして彼らの働きを常に「監視」するという、主権者としての当然の権利を失わないためにも、ひとりひとりの社会参加への意欲が求められています。

 政治を監視することを怠り、他人任せにしてしまったその結果が、財政の赤字であり、原子力発電所の事故であり、少子化という社会現象を引き起こしてしまったことを自覚する時にあるのです。

 「強力なリーダー」などを求める心の内には、社会参加への意欲の低さが隠れているのだと自覚する時にあるのです。

 「英雄」の時代は過ぎ去ったのです。なぜなら現代においては、ひとりひとりが「英雄」たりうる資質を備えているからです。それはひとえに、インターネットの普及による「見識」の広がりによるものです。

 過去の時代においては、「英雄」などのごく一部の限られた者だけが「広い見識」を持ち、その見識によって世界観を確立して社会を治めていましたが、現代では誰もが「広い見識」を持つことができます。

 そうした旧来の、一部のエリートによる社会統治という手法の破綻は、アメリカ国内での「オキュパイ・ウォールストリート」などに、既に顕れているのです。





人民の、
人民による、
人民のための政治



 第16代アメリカ合州国大統領、エイブラハム・リンカーンのあまりに有名な言葉ですが、この言葉ほど、一般有権者の社会参加への必要性を訴えている言葉はありません。

 旧来の政治手法を改める「種」は、既にリンカーン大統領によって160年前に蒔かれているにもかかわらず、未だに世界中のどの国においてもその「芽」が出ていないのは、ひとえに有権者の社会参加への意欲の低さによるものであり、その原因として「見識の狭さ」が挙げられます。

 しかし、時代は変わりました。誰もが「広い見識」を持てるようになった現代においても尚、リンカーン大統領の言葉が実現できないのだとしたら、それは「怠慢」のせいだと言えるでしょうし、社会参加への意欲の欠如と言えるでしょう。

 今ここに皆様の社会参加への奮起を願い、国政の主権はわたしたちにあるのだという日本国憲法の原点立ち戻り、リンカーン大統領も目指した全員参加政治の実現に向けて「サイゴン宣言」を行うものであります。

以上。


 で、これから選挙戦に入るワケですが、各党、口では何とでも言うワケですよ。「愛国」だの、「発展」だの、「品格」だの、「人に優しい」だの、抽象度の高い話で有権者を煙に巻こうと・・・悪く言えば騙そうとアレコレ手を尽くすワケです。メディアも動員して。

 そうした抽象論に騙されないためにも、「反原発」、「反TPP」、「反増税」は、譲れない最後の一線なワケですが、先の「びわこ宣言」びおける「卒原発」にしても、琵琶湖周辺ローカルの話なのか?それとも日本全国の話なのかという点が曖昧なように、「反TPP」にしても「反増税」にしても、どこかに言葉の仕掛け(レトリック)が埋め込まれていることに注意しなくてはなりません。




人間ナメんなよ!


でわっ!