今回も懲りずに「特定秘密保護法案(以下、特秘法)」について書きますが、枝葉末節の部分はさて措き、本件の根幹は、
国民主権の危機
・・・に、あると言えます。
「知る権利」、「報道の自由」、「表現の自由」・・・など、日本国憲法で保障された国民の権利は、
国民主権
・・・という大前提の上に成立しています。
「特秘法」については、「条件論争」は無意味だということを何度も書きましたが、それは、「主権」というものは分割できないものだからです。
「条件論争」によって、国民が「半権」、政府が「半権」などという談合はバカげた話で、従来の「国民の権利」を半分放棄します・・・というようなことが、国会で話し合われているワケです。
違うでしょ?
主権は徹頭徹尾国民にあり、政府は国民から許可を得る立場にあるワケですよ、
現行の日本国憲法を遵守するならば!
だから「条件論争」なんて、勘違いも甚だしいということを繰り返し述べているワケですが、どういうワケか?国会議員の皆々様は、「枝葉末節」をこねくり回して悦に入っている観が否めません。
「安全保障問題」、「人権問題」、「情報開示問題」、「財政問題」、etc・・・他にもたくさんありますが、これらを全て括って「特秘法」の問題をシンプルに整理すると、
政府にとって不都合な事実は秘密にする。
・・・ということであり、それを端的に表しているのが、「会計検査院」の囲い込みです。そしてさらには厳罰化によって、
政府にとって不都合な情報提供者は弾圧する。
・・・という、二重構造になっているワケで、
政治家は常に監視される立場にある。
・・・という、日本国憲法の原則=国民主権を、崩壊させてしまうワケです。
【宮内庁】皇后陛下お誕生日に際し(平成25年) 皇后陛下お誕生日に際してのご近影 「5月の憲法記念日をはさみ,今年は憲法をめぐり,例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら,かつて,あきる野市の五日市を訪れた時,郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治22年)に先立ち,地域の小学校の教員,地主や農民が,寄り合い,討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で,基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務,法の下の平等,更に言論の自由,信教の自由など,204条が書かれており,地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が,日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが,近代日本の黎明期に生きた人々の,政治参加への強い意欲や,自国の未来にかけた熱い願いに触れ,深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で,市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして,世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。」 |
で、国民から主権を取り上げてしまえば、あとは「やりたい放題」になるワケで、「特秘法」の最大の争点は、
国民主権の防衛線(防衛戦)
・・・に、あると言えます。それゆえ前回、「国民レベルの運動」・・・という表現をしたワケですが、これは「誇張」でも何でもありません。「特秘法」は日本国民全体の問題であり、未来の表現者である若者にしても、他人事ではないと言いたいワケです。
日本国憲法 第三章 国民の権利及び義務 第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。 第十章 最高法規 第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。 |
もし、「特秘法」が成立するような運びになれば、あらゆる表現活動に規制がかけられ、以下のような映画は、
社会治安上問題あり。
・・・として、即刻上映打ち切りになるか、そもそも、製作段階会で「検閲」が入り、形にすらならないでしょうなw。
「SP 革命篇」
剣呑、剣呑・・・。
国民ナメんなよ!
でわっ!