これも、「ナンだかなぁwww」と云う記事なのですが・・・
「人生に失敗ない」発言で美女明暗 ミス・ユニバース審査員不評
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「私の人生に大きな失敗はない」-。「世界一の美女」を決める2010年ミス・ユニバース世界大会の最終選考会で審査員の質問にこう答えたフィリピン代表のビーナス・ラジさん(22)の発言が、米国メディアの注目を集めている。ミス・ユニバースには23日、メキシコ代表のヒメナ・ナバレテさん(22)が輝いたが、話題の中心はラジさんだ。前評判が高かったラジさんだが、ラスト・アンサーは審査員たちの不評を買い、その明暗を分けた。
フィリピン代表のビーナス・ラジさん=19日、米ラスベガス(ロイター)
本命候補の不覚
米国ネバダ州ラスベガスで開かれていたミス・ユニバース世界大会の23日の最終選考会に残ったのは、参加83人中上位の5人だけ。「最後の難関」とされる質疑応答用の質問内容をくじ引きで決めた。問題の質問を引き当てたのがフィリピン代表のラジさんだった。
「あなたの人生最大の失敗は何ですか。そして、あなたはそれを克服するために何をやりましたか」
審査員の男性がこう尋ねると、ラジさんはしばし考えた後で満面の笑みをたたえながら答えた。
「私の22年の人生で、大きな、大きな失敗はありませんでしたし、問題を起こしたこともありません。なぜなら、私は家族、そして家族の愛に包まれ、自信を持って生きてきたからです。この場にいられることに感謝します」
米ABCテレビは24日、ラジさんの質疑応答に焦点を当て、「フィリピン代表には大きな失敗はない。ラジさんは相当にラッキーなのでしょう」と皮肉を込めて報じた。「大きな失敗のない」ラジさんは結局、最終選考会最下位の5位に終わった。
歓喜のメキシコ
一方、メキシコ代表のナバレテさんは、子供のインターネット利用について問われた。ナバレテさんは「ネットは現代人にとって不可欠の道具」としながらも、「子供たちには家庭で学んだ価値観を伝えていくべきです」とまとめ、新女王の座を手にした。
ナバレテさんはミス・ユニバースの栄冠を獲得した後、支援チームの大きな拍手を浴びながら「世界中の人々に私の国とそこにいる人たちのことを知ってほしい」と訴えた。
メキシコのフィリペ・カルデロン大統領(48)は、早速ツイッターで、ナバレテさんに「ふさわしい勝利だ」と祝賀メッセージを送り、麻薬密売組織と血で血を洗う戦争を繰り広げるメキシコのイメージアップにつながるとの期待を表明した。大統領は「彼女が粘り強い努力で手にした栄冠は、全国民の誇りだ」と述べた。
ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)のフェースブックでは、ナバレテさんが「私たちの勝利です、メキシコに栄えあれ」と書き込むと、「おめでとう」「この美しい国を代表してくれたことに感謝します」などのメッセージが寄せられ、1991年以来2回目の勝利の余韻は続いている。
明暗を分けた2人の美女のラストアンサー。「人生で最大の失敗は」と問われたラジさんは、いまならきっと答えられるに違いない。
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22歳の小娘(ワタシから見れば)が、「人生に大きな失敗は無い。」と言ったくらいで、ナニ目くじら立てているんでしょうかね?たかだか22年(ワタシから見れば)の人生の中で、どれほどの失敗があると言うんでしょいうか?これからの人生でいくらでも「失敗」のチャンス?はあります。
美人コンテストは容姿、外見の美しさだけでなく、内面の美しさも審査するなどとホザいていますが、その前提として、審査する側にそれだけの資質があるんですかね?他人の内面を見抜く?仙人の様な力が・・・。
仙人の様な特殊な力が無くても、ある程度の年齢以上(少なくとも40歳以上?)のフツーの庶民であれば、22歳の小娘が「人生に大きな失敗は無い」と言い放ったところで、「これからだよ」とアドバイスするだけで、内面の問題とは考えません。・・・よね?それをワザワザ記事にするってのも、よっぽど記事のネタが無いのか?・・・と。
うがった見方をすればですよ(ワタシはひねくれた中年なんで)?今回優勝したのがメキシコ代表だと云うのがミソかと・・・。勘の良い方はピンと来るかもしれませんが、例のメキシコ湾の原油流出事故に絡んだ政治的な背景があるんじゃねぇの?・・・と。
最終選考に残った5人はいずれも甲乙付け難く、メキシコ代表を優勝させるシナリオを、ごく自然の流れのように見せるために「スケープ・ゴート」が必要だった。そこでフィリピン代表の「失言?」の上げ足を取ることで、メキシコ代表の優勝をごく自然に?演出することが出来た。当然メキシコは大喜びで、原油流出によるメキシコ湾の汚染に対する怒りも一時的に収まる。・・・と。
ミス・ユニバースにメキシコ代表、大統領らが喜びの声
<記事貼り付け>
(CNN) 今年のミス・ユニバース世界大会が23日、米ネバダ州ラスベガスで開催され、メキシコ代表のヒメナ・ナバレッテさん(22)が優勝した。メキシコからはカルデロン大統領をはじめ、多くの国民がインターネット上に喜びの声を寄せた。
ナバレッテさんはミス・ユニバースの栄冠を獲得した後、支援チームの大きな拍手を浴びながら「世界中の人々に私の国とそこにいる人たちのことを知ってほしい」と話した。メキシコ出身者の優勝は、1991年に続き2回目。2位にはジャマイカ代表、3位にはオーストラリア代表がそれぞれ選ばれた。
カルデロン大統領は早速ミニブログのツイッターで、ナバレッテさんに「ふさわしい勝利」を祝い、メキシコのイメージアップにつながるとの期待を表明。「彼女が粘り強い努力で手にした栄冠は、全国民に誇りと充足感をもたらす」と述べた。
ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)のフェースブックでは、ナバレッテさんが「私たちの勝利です、メキシコに栄えあれ」と書き込み、「おめでとう」「この美しい国を代表してくれたことに感謝します」などのメッセージが寄せられた。
審査の難関とされる上位5人への質疑応答で、ナバレッテさんは子どものインターネット利用について問われ、「ネットは現代人にとって不可欠の道具」だが「子どもたちには家庭で学んだ価値観を伝えていくべきだ」と答えた。フィリピン代表のビーナス・ラジさんは「人生最大の失敗」を尋ねた質問にはっきりと答えず、5位に終わった。
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繰り返しますが、たかだか22歳の小娘の「失言」を、世界中?のマスコミがことさら大きく取り上げるなんて、ワタシには不自然に感じます。そしてその、「不自然」と感じた理由を自分なりに突き詰めてみると、ま、上に書いたようなストーリーが浮かんで来るワケです。はい。
若いうちに間違った事をしでかした方がいいんです。ゼッタイ。なんたってやり直しが出来ますから。間違いに気づく、そしてやり直しをする。これはいつの時代でも若者の特権であり、であればこそ、世の中が前進するのだと思うワケです。年を取ってからのやり直しが如何にキツイか、年配の人間ならみんな知っています。
まあ、ライト兄弟が飛行機の製作に取り組んでいるとき、周りの全ての人間、そして科学者さえも「ゼッタイに不可能だ!」と言っていましたが、それがどうです?現在では「鉄の塊」がビュンビュン空を飛んで、多くの人を運んでいます。
そんなワケで、記事を書いている人間は「自分の良識」に基づいて、記事を書いているのかも知れませんが、若者を「良い子」の枠に押し込め、萎縮させてしまう様なこんな記事は、
「百害あって一利無し」
つくづくマスコミとは、世間の常識とか良識とかから離れているなぁ・・・。ナンでだろう?・・・と、思った次第です。はい。
でわっ!
追記(8/29)
メキシコ湾海流
・・・で見ると、原油流出被害はどうもメキシコよりもキューバの方がこれから深刻みたいな・・・。にしても、メキシコの漁師にとっても打撃になるんでしょ?違うの? あと世界の食糧事情とか?メキシコ湾で水揚げされる魚も、相当量が日本に向けて輸出されているハズ・・・。
2010年8月29日日曜日
2010年8月27日金曜日
開き直る
最初にお断りしますが、ワタシは経済学者でも金融に明るいワケでもなく、自分が感じた事、思った事をそのまま書いているだけなので、論理が支離滅裂なのは指摘されるまでもありませんが、それでも尚、一庶民としての感想を述べさせて貰うならば・・・
世に倦む日々
古舘伊知郎と山田昌弘の供給サイド要因論 - 内需低迷の理由づけ
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昨夜(8/25)の報道ステーションのテーマは、「輸出に依存しない内需主導の経済」で、どうすればそれを実現できるのかコメンテーターの山田昌弘が意見を言う趣向になっていた。円高と株安の報道をして、その解説と内需主導の打開策を述べさせるのなら、何も文学部教授の山田昌弘ではなくて、適任のエコノミストを出演させるべきだろうし、せめて寺島実郎でも座らせればよいと思うが、狡猾な古館伊知郎にとっては、ゲストのコメンテーターは自分の主張を浴びせて頷かせるだけが使い勝手の操り人形であり、8/23に出演した鳥越俊太郎も、民主党代表選について「政局より政策」の持論を語っているつもりが、古舘伊知郎が途中で巧妙に繰り出す合いの手の横槍に頷いている間に、いつの間にか「早急に規制緩和の経済対策を」、「小沢一郎は古い自民党の利益誘導の政治」という結論に化けていた。山田昌弘の提案は、拍子抜けするほど素人っぽい一般論で、円高になれば海外のモノが安く輸入できるし、企業がもっと努力して消費者に売れる商品を提供すればよいとする議論だった。これは、転向する前の菅直人が竹中時代の政策理論を批判して論じていたところの、「供給サイド重視の理論」そのものではないか。すでに論破され、無効と判定されて退けられた時代遅れの考え方である。日本経済の病因診断においては、供給サイドに問題があるのではなく需要サイドに問題がある。民主党による政権交代は、こうした経済政策のパラダイムの転換をも意味していた。
日本の企業の努力が足りないからモノが売れず、内需が盛り上がらず景気がよくならない。山田昌弘と古舘伊知郎はそう言い、報道の正論として吐いて国民を洗脳する。この結論が、本当に山田昌弘の持説なのか、それとも番組が用意して山田昌弘に口パクさせている御用コメントなのかは判然としない。だが、こうして報道ステーションは、また時代を逆戻りさせ、小泉・竹中時代の常識や正論をテレビの公共空間の常識や正論の位置に据え置いた。(定着していた)デマンドサイドに問題があるとする一般認識を覆しに出た。イデオロギー工作とはこういう現実を指す。時代を逆戻りさせる謀計に抵抗を感じる者は、こうした報道による悪質な観念操作に対して暴露し反駁しなくてはいけない。日本の消費者は、企業が供給する商品に魅力がないからモノを買わないのか。消費が衰えているのは、企業の商品供給に問題があるのか。そうではないはずだ。買いたくても買えないのが本当なのである。家計に余裕がないから消費にブレーキがかかっているのだ。消費支出をアクセラレートするための所得の前提がないのである。分配に問題があり、給料を減らされているために、消費を抑制する生活を強いられ続けているのではないか。マクロの消費支出の伸び悩みはそのグロスの結果である。決して買いたい商品が市場にないからでも、企業の努力不足だからでもない。具体的にグラフで統計を確認してみよう。
サラリーマンの平均年収は、13年前の1997年をピークにずっと減少が続いている。この数字は平均値であり、収入が増えている者も減っている者も両方が含まれている。失職して無収になった者は統計に含まれていない。格差の現実を考慮すれば、一般の労働者の実感としては、ここで出ている数字よりも減少の程度が甚だしいはずだ。また、このグラフには昨年(2009年)の数字が入っていないが、そのことも注意を要する。「構造改革」以降、労働分配率が下がっている事実は誰でも知っている。これが個人消費の低迷に繋がり、景気回復の足を引っ張っていることは、小泉時代の終わり頃からはすでに社会常識の範疇になっていた。問題は、この労働者の年収の減少が、日本一国だけのものであって、他の国はそうではないという事実である。デマンドサイドに問題があるとする論は、この事実によって強力に根拠づけられる。他の先進国で、これほど甚だしく長期間にわたって労働者の所得が奪われ続けている国はない。この日本のサラリーマンの平均年収の推移を示すグラフの下降線は、そのまま日本の一人当たりの国民所得が世界ランキングで下落する下降線と同軌を描いていて、その連関の意味するところは、消費需要の低迷圧殺の一語につきる。GDPの6割近くを占める個人消費の源泉は、労働者の給与収入そのものだからだ。労働者の所得を減らしながら、同時に消費を拡大することがなぜ可能なのか。
ネットの統計情報を使うと、実に有意味で説得的なグラフが簡便に得られる。今世紀に入って、リーマン・ショックで世界同時不況になる直前の2007年までの7年間について、日本と他の先進国を較べてみよう。日本では小泉政権が誕生し、竹中平蔵が労働法制と資本法制の規制緩和に乗り出し、非正規が増え、労働者の賃金が減らされて行った「改革」の時期と重なる。まず、フランスと日本の一人当たりGDPの推移。2006年に追い抜かれ、そのままシェーレを描いて差が拡大している。次に英国と日本の比較。同じように2004年で交差して鋏状に開いている。次にカナダとの比較。両国の経済状態の差が顕著で、カナダは一直線に伸びている。次はアジアの国であるシンガポール。シンガポールには2007年に追い越された。最後に、お隣の国の韓国との比較。韓国と日本の間には未だ相当に差が開いている。だが、グラフの線の角度を見れば、この趨勢が10年間続いた時点で日本は韓国にキャッチアップされる可能性が高い。最近の韓国経済は非常に調子がいい。ネットの中を探したが、一人当たりの個人消費支出の推移とか、労働者の所得の推移を国際比較で示した統計を発見することができなかった。マスコミや論者は、労働者の所得の減少を二言目には「経済のグローバル化」の所為にする。だが、経済のグローバル化に直面したのはどこの国も同じだ。なぜ日本だけ、これほど異常に給料が切り下げられるのか。その異常が問題にされないのか。
マスコミ(古館伊知郎)が、再びサプライサイドの要因で景気低迷を説明し始め、それを常識化させる動きに出たのは、民主党政権が新自由主義に転向し、小泉・竹中の路線に政策を軌道定置させた事情と重なっている。しかし、供給サイドに要因を求める立論でなくても、世間には人を欺く騙しの言説が横行していて、日本経済の内需不振の原因については、専ら「少子高齢化」が犯人指定され、少子高齢化のトレンドだから消費も伸びないという言説で国民全体が納得させられている。その一般論を誰も疑問視せず、労働者の所得減少の事実を原因の第一に措定しようとしない。高齢化が進んでいるから消費が不活発になり、内需が衰退して景気が落ち込むのか。40歳が50歳になれば欲しい商品はなくなるのか。50歳が60歳になれば消費意欲は自然に減衰するのか。あり得ない。60歳が70歳になっても、健康であれば個人が購入したい商品の質と量が減ることはないだろうし、家計に余裕があれば、海外旅行にも行きたいだろうし、子や孫にたくさんの幸福を買い与えたいだろう。高価でも安心できる食材を求めるだろう。思うことは誰でも同じで、人の欲望は誰でも同じだ。少子高齢化は内需不振の理由説明にはならない。それは観念操作(スリカエ)の言説であり、所得を資本が収奪して労働者に分配していない真実を隠蔽する詐術である。内部留保とM&Aと役員報酬と株式配当こそが真犯人で、騙されているだけだ。少子高齢化で苦悩しているのは、英国もフランスも同じではないか。
最近、経済の状況の中で感知するのは、格差が浸透して、一人一人の人間の存在価値に差ができていることであり、さらに言うと、低所得の非正規の人間とか、ハローワークで職探しをしている人間とかが、経済のプレイヤーとして認められてないという社会感覚である。この国の経済政策に口を差し挟む人間として認知されていない。資格が認められていない。経済政策について要求したり、政府に要請できるのは、年収9億円の日産のゴーンであり、年収5億円の古舘伊知郎であり、年収数千万円の外資系証券会社のアナリストとかストラテジストで、彼らの論理が経済政策の正論としてテレビで情報発信される。彼らは、自分たちの利益を守る政策主張が、社会の正論であり、国民全体が選択するべき政策提言だと信じて疑わない。ところが、社会の実態はどうかと言うと、年収300万円以下が労働者の半数を突破し、日本人の2割以上が年収200万円以下で生活している。こうした低所得の庶民は、そもそも経済政策について何か利害と責任を持つ存在として認められていないのだ。単に貧困者として、あるいは貧困予備軍として、国に給付や救済を求めるだけの存在であり、件のストラテジストやアナリストの視線からは、施しを欲しがる物乞い同然の経済的存在なのである。だから、アナリストたちの議論では、低所得層の主張とか、低所得者の利益になる政策は、すべてバラマキ政策と呼ばれて批判と排斥の対象になるのだ。法人税減税はバラマキではなく、有効な対策だとされる。それは正論としてマスコミで撒かれる。
街にダイハツやスズキの車が増えた。ここ数年、地方だけでなく首都圏も本当に軽自動車が増えた環境になった。ホンダも三菱も小さな軽自動車ばかり。トヨタの車が減った。ダイハツやスズキがむしろ大きな顔をしていて、コンビニの駐車場で市場占有率の実績を誇っている。経済政策は、まず年収9億円のゴーンが言う資格があり、次に年収5億円の古舘伊知郎に資格があり、次に年収1億円の一色清にあり、次に数千万円のハゲタカや和製ハゲタカのアナリストにあり、その次に資産1億円以上で株を日常売買し、日産の株主総会にデジカメを持って出席する株主様という秩序と構図になっている。彼らが日本経済のプレイヤーであり、彼らの意見が社会の正統であり、マスコミで正論とされる経済政策の主張だ。菅直人の政府が耳を傾けるべきは、その秩序と順番の要請なのである。ダイハツやスズキに乗って生活する庶民はそこから除外されている。法人税減税や規制緩和が緊急経済対策になるのは、そういう秩序と構図があるからであり、(新自由主義の)レジームがあるからである。年収300万円以下の人間は虫ケラで、年収150万円以下の人間はゴミとして扱われている。しかし、ダイハツやスズキに乗っている一般庶民も、10年前はそうではなかった。パジェロとかハイラックスサーフとかに乗っていた。20年前はマークⅡやアコードに乗っていた。経済政策を語る人間であり、日本経済を担う人間であり、政府が経済政策を考える上で中心に位置する人間たちだった。生産者として消費者として経済の主要プレイヤーだった。資本に無用にカネを溜め込ませるレジームが、日本経済の内需を衰弱させているのである。
代表選では、小沢一郎の陣営に、何よりこの経済論議を主張してもらいたい。
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*「世に倦む日々」氏には、全文無断でコピペさせていただいたことをご容赦いただきたく。はい。
で、上記記事を読んだ感想ですが・・・社会とか庶民生活の変革期にあるんじゃないんでしょうかね?日本も世界も・・・。チョット前には、「日本には物が溢れ過ぎている」なんて論調が良く見られました。そうそう、モータイさんでしたっけ?「日本のもったいない精神は素晴らしい!」と褒め称えてくれたのは(ノーベル賞も受賞したんでしょ?)。そんな人に褒められたんだから、日本人は胸を張って倹約・節約に勤しんでイイんじゃないんでしょうか?どだい、消費が増える(GDPが増加する)と云う事は、地球を汚すと云う事と同意儀なワケで、アレじゃないですか?今じゃ夢の島に持ち込まれるゴミの量も、だいぶ減ったんじゃないんですか?良いことですよ。地球と東京都清掃局にとっては。
日本並の消費社会を支えるために必要な地球は「2.3個」、
地球の全人類の消費生活レベルを、アメリカ人の平均的な消費生活と同じレベルにした場合、地球4.5個分もの生物生産性が必要となります。
まwwwアレです・・・アメリカの半分くらいの生物生産性とやらで、アメリカと同等か、チョイ上くらい?の文化的生活を送っているワケでしょ?日本人は。是すなわち、日本人の方が効率的な生活を営んでいるワケですよ。そして「地球にやさしい。」・・・と(もちろん地理的な条件とか諸々ありますが)。
自慢出来ますよね?
ダイハツやスズキのどこに問題があるのでしょうか?ステータスとかですか?大昔に恐竜が滅んで、小型の哺乳類が生き残ったのと同じリクツでしょ?環境の変化に順応出来なければ、消え行くのが運命(キツイ様ですが)。蒸気機関が発明された時の産業構造の変化と同じ様なモンでしょ?もしトヨタがですよ?社会環境の変化に順応出来なくて倒産してしまったら、そりゃあ社員の皆さんは当然困ります。でもね?トヨタを選んで入社したのは自分自身なのですから、倒産が嫌ならば会社に、社会環境の変化に順応するように働きかけるしかないでしょう?それが出来ないのであれば、会社と運命を共にするしかありませんな。JALにしても然り。それをムリヤリね?企業の都合で高級車、大型車に乗れと言うのも・・・何だか「まんが日本昔話」の、沈んだ夕日を呼び戻した「わらび長者」をホーフツとさせます。はい。
ま、皮肉に聞こえるかもしれませんが、「年収300万円以下の人間は虫ケラで、年収150万円以下の人間はゴミとして扱われている。」と言われましても、無駄を無くせばそれだけで何とか暮らせるという事でもあり、年収が9億だ、5億だといった10%の人間を物差しに経済を語られても、ハナっから庶民の感覚とズレまくってしまっているワケで・・・不毛です。
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全国消費者物価指数、17か月連続下落
総務省が27日発表した7月の全国消費者物価指数(2005年=100)は、値動きの大きい生鮮食品を除く総合指数が前年同月比で1・1%下落の99・0と、1993年3月の水準まで落ち込んだ。
下げ幅は前月の1・0%下落から拡大した。マイナスは17か月連続で、物価が継続的に下落するデフレ状況が続いている。
品目別では、値下げ競争の激しい薄型テレビが前年同月比で29・4%下落したほか、猛暑効果で売れ行きが好調なエアコンも15・0%下落した。
全国の先行指標となる東京都区部の8月の消費者物価指数は、生鮮食品を除く総合指数が98・6で、前年同月比で1・1%下落し、前月の1・3%下落から下げ幅は縮小した。
(2010年8月27日11時37分 読売新聞)
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ここでワタシもひとつグラフを紹介したいのですが、日本と主要国の失業率の推移です。
社会実情データ図録
図録▽失業率の推移(日本と主要国)
欧米の主要国に比べて日本の失業率はまだまだ低い方です。現実問題として派遣切り、リストラなどが行われていますが、生き残っている会社の中には、給料は下げざるを得なくても社員をクビにはしない。と頑張っている会社もあるのではないでしょうか?まあ、ごく少数の会社かも知れませんが、一部の社員の給料を上げる事で他の社員を解雇するよりも、給料が目減りしてもみんなで持ちこたえようと、謂わば「天と地と」の米沢藩のように頑張っている会社も、まだまだあるんじゃないでしょうか?
何よりワタシが一番に注目したのが、グラフ線の折れ曲がりです。日本以外の国がグニャグニャ折れ曲がっているのに比べ、失業率は上昇傾向にあるとはいえ日本の線はなだらかな線です。ここから推察するに、欧米では日本以上に、労働者が軽く扱われているのではないか?と云う事です。ですから景気の左右によって、いとも間単に従業員を解雇したり、少し景気が持ち直したら再雇用したりと、労働者を部品のように扱っている様子が想像出来ます。
それに比べ、日本の線がなだらかなのはやはり、まだまだ多くの会社に「家族主義」的な考えが残っているからではないか?と。もともと日本は豊かな国ではありませんでした。少ない資源を工夫してヤリクリして来たワケですよね?そもそも、「日本」と云う単一国家意識が形成されたのも明治以降です。それまで全国の各藩は、それぞれ独立国の様相を呈していました。徳川家という「大王」の下に、「各諸侯国」が独立採算制で連立していたのです。ですから、それぞれの地方における人のつながりは濃いワケです。ま、それが日本全体で見た場合、今日の政治的な混乱要因のひとつでもあるのでしょうが・・・
それはそれとして、大企業以外の日本全国に散らばった各企業には、か様な「同郷人意識」が依然根強く残っており、それ故に従業員を交換部品の様には扱わない。従って失業率の曲線にも急激な変化が現れない・・・。と、ワタシは推察したワケです。はい。
要は、給料の多い少ないだけでは計れない、「生活の質」を見直す社会に、世界に先駆け日本社会が移り変わろうともがいているのではないか?・・・と。そしてそれは本来日本人が持っていた資質なのではないか?であれば、日本人が、本来の生き方を取り戻そうとしているだけなのではないか?と。そしてその原動力となるのは、中央の古臭い経済学者や企業家やその取り巻きの政治家ではなく、全国に散らばる庶民であり、庶民と共存することを旨とする、「新しい時代の企業家」であろう。・・・と。
「経済プレイヤー」になる?戦争に善い悪いが無い様に、経済に善いも悪いはありません。経済戦争と言うくらいですから、「始めた時点で、どっちも悪。」・・・らしいです。「経済プレイヤー」になれというのは、「経済戦争に加担しろ。」、「経済戦争の兵士になれ。」ということでしょ?経済戦争にしろ実際の戦争にしろ、「戦後」に残るのは庶民の暮らしなのですから、結果から逆算して先ず、庶民の暮らしが重視されるべきなんじゃないでしょうか?
庶民の感覚から乖離した「大本営」の経済学者やマスコミ、グローバル論者に踊らされる必要なんてありません。踊りたい時は、自分の意思で踊ればイイんです。その方が他人に踊らされるよりよっぽど楽しいでしょ?思うに、日本人が日本人らしくしていれば、ナンにも恐れる事は無いんじゃ無いんでしょうかね?確かに今は苦しい最中ですが、庶民同士が助け合わなくて、どうしてこの苦境を乗り越えられるでしょうか?
でわっ!
世に倦む日々
古舘伊知郎と山田昌弘の供給サイド要因論 - 内需低迷の理由づけ
<貼り付け>
昨夜(8/25)の報道ステーションのテーマは、「輸出に依存しない内需主導の経済」で、どうすればそれを実現できるのかコメンテーターの山田昌弘が意見を言う趣向になっていた。円高と株安の報道をして、その解説と内需主導の打開策を述べさせるのなら、何も文学部教授の山田昌弘ではなくて、適任のエコノミストを出演させるべきだろうし、せめて寺島実郎でも座らせればよいと思うが、狡猾な古館伊知郎にとっては、ゲストのコメンテーターは自分の主張を浴びせて頷かせるだけが使い勝手の操り人形であり、8/23に出演した鳥越俊太郎も、民主党代表選について「政局より政策」の持論を語っているつもりが、古舘伊知郎が途中で巧妙に繰り出す合いの手の横槍に頷いている間に、いつの間にか「早急に規制緩和の経済対策を」、「小沢一郎は古い自民党の利益誘導の政治」という結論に化けていた。山田昌弘の提案は、拍子抜けするほど素人っぽい一般論で、円高になれば海外のモノが安く輸入できるし、企業がもっと努力して消費者に売れる商品を提供すればよいとする議論だった。これは、転向する前の菅直人が竹中時代の政策理論を批判して論じていたところの、「供給サイド重視の理論」そのものではないか。すでに論破され、無効と判定されて退けられた時代遅れの考え方である。日本経済の病因診断においては、供給サイドに問題があるのではなく需要サイドに問題がある。民主党による政権交代は、こうした経済政策のパラダイムの転換をも意味していた。
日本の企業の努力が足りないからモノが売れず、内需が盛り上がらず景気がよくならない。山田昌弘と古舘伊知郎はそう言い、報道の正論として吐いて国民を洗脳する。この結論が、本当に山田昌弘の持説なのか、それとも番組が用意して山田昌弘に口パクさせている御用コメントなのかは判然としない。だが、こうして報道ステーションは、また時代を逆戻りさせ、小泉・竹中時代の常識や正論をテレビの公共空間の常識や正論の位置に据え置いた。(定着していた)デマンドサイドに問題があるとする一般認識を覆しに出た。イデオロギー工作とはこういう現実を指す。時代を逆戻りさせる謀計に抵抗を感じる者は、こうした報道による悪質な観念操作に対して暴露し反駁しなくてはいけない。日本の消費者は、企業が供給する商品に魅力がないからモノを買わないのか。消費が衰えているのは、企業の商品供給に問題があるのか。そうではないはずだ。買いたくても買えないのが本当なのである。家計に余裕がないから消費にブレーキがかかっているのだ。消費支出をアクセラレートするための所得の前提がないのである。分配に問題があり、給料を減らされているために、消費を抑制する生活を強いられ続けているのではないか。マクロの消費支出の伸び悩みはそのグロスの結果である。決して買いたい商品が市場にないからでも、企業の努力不足だからでもない。具体的にグラフで統計を確認してみよう。
サラリーマンの平均年収は、13年前の1997年をピークにずっと減少が続いている。この数字は平均値であり、収入が増えている者も減っている者も両方が含まれている。失職して無収になった者は統計に含まれていない。格差の現実を考慮すれば、一般の労働者の実感としては、ここで出ている数字よりも減少の程度が甚だしいはずだ。また、このグラフには昨年(2009年)の数字が入っていないが、そのことも注意を要する。「構造改革」以降、労働分配率が下がっている事実は誰でも知っている。これが個人消費の低迷に繋がり、景気回復の足を引っ張っていることは、小泉時代の終わり頃からはすでに社会常識の範疇になっていた。問題は、この労働者の年収の減少が、日本一国だけのものであって、他の国はそうではないという事実である。デマンドサイドに問題があるとする論は、この事実によって強力に根拠づけられる。他の先進国で、これほど甚だしく長期間にわたって労働者の所得が奪われ続けている国はない。この日本のサラリーマンの平均年収の推移を示すグラフの下降線は、そのまま日本の一人当たりの国民所得が世界ランキングで下落する下降線と同軌を描いていて、その連関の意味するところは、消費需要の低迷圧殺の一語につきる。GDPの6割近くを占める個人消費の源泉は、労働者の給与収入そのものだからだ。労働者の所得を減らしながら、同時に消費を拡大することがなぜ可能なのか。
ネットの統計情報を使うと、実に有意味で説得的なグラフが簡便に得られる。今世紀に入って、リーマン・ショックで世界同時不況になる直前の2007年までの7年間について、日本と他の先進国を較べてみよう。日本では小泉政権が誕生し、竹中平蔵が労働法制と資本法制の規制緩和に乗り出し、非正規が増え、労働者の賃金が減らされて行った「改革」の時期と重なる。まず、フランスと日本の一人当たりGDPの推移。2006年に追い抜かれ、そのままシェーレを描いて差が拡大している。次に英国と日本の比較。同じように2004年で交差して鋏状に開いている。次にカナダとの比較。両国の経済状態の差が顕著で、カナダは一直線に伸びている。次はアジアの国であるシンガポール。シンガポールには2007年に追い越された。最後に、お隣の国の韓国との比較。韓国と日本の間には未だ相当に差が開いている。だが、グラフの線の角度を見れば、この趨勢が10年間続いた時点で日本は韓国にキャッチアップされる可能性が高い。最近の韓国経済は非常に調子がいい。ネットの中を探したが、一人当たりの個人消費支出の推移とか、労働者の所得の推移を国際比較で示した統計を発見することができなかった。マスコミや論者は、労働者の所得の減少を二言目には「経済のグローバル化」の所為にする。だが、経済のグローバル化に直面したのはどこの国も同じだ。なぜ日本だけ、これほど異常に給料が切り下げられるのか。その異常が問題にされないのか。
マスコミ(古館伊知郎)が、再びサプライサイドの要因で景気低迷を説明し始め、それを常識化させる動きに出たのは、民主党政権が新自由主義に転向し、小泉・竹中の路線に政策を軌道定置させた事情と重なっている。しかし、供給サイドに要因を求める立論でなくても、世間には人を欺く騙しの言説が横行していて、日本経済の内需不振の原因については、専ら「少子高齢化」が犯人指定され、少子高齢化のトレンドだから消費も伸びないという言説で国民全体が納得させられている。その一般論を誰も疑問視せず、労働者の所得減少の事実を原因の第一に措定しようとしない。高齢化が進んでいるから消費が不活発になり、内需が衰退して景気が落ち込むのか。40歳が50歳になれば欲しい商品はなくなるのか。50歳が60歳になれば消費意欲は自然に減衰するのか。あり得ない。60歳が70歳になっても、健康であれば個人が購入したい商品の質と量が減ることはないだろうし、家計に余裕があれば、海外旅行にも行きたいだろうし、子や孫にたくさんの幸福を買い与えたいだろう。高価でも安心できる食材を求めるだろう。思うことは誰でも同じで、人の欲望は誰でも同じだ。少子高齢化は内需不振の理由説明にはならない。それは観念操作(スリカエ)の言説であり、所得を資本が収奪して労働者に分配していない真実を隠蔽する詐術である。内部留保とM&Aと役員報酬と株式配当こそが真犯人で、騙されているだけだ。少子高齢化で苦悩しているのは、英国もフランスも同じではないか。
最近、経済の状況の中で感知するのは、格差が浸透して、一人一人の人間の存在価値に差ができていることであり、さらに言うと、低所得の非正規の人間とか、ハローワークで職探しをしている人間とかが、経済のプレイヤーとして認められてないという社会感覚である。この国の経済政策に口を差し挟む人間として認知されていない。資格が認められていない。経済政策について要求したり、政府に要請できるのは、年収9億円の日産のゴーンであり、年収5億円の古舘伊知郎であり、年収数千万円の外資系証券会社のアナリストとかストラテジストで、彼らの論理が経済政策の正論としてテレビで情報発信される。彼らは、自分たちの利益を守る政策主張が、社会の正論であり、国民全体が選択するべき政策提言だと信じて疑わない。ところが、社会の実態はどうかと言うと、年収300万円以下が労働者の半数を突破し、日本人の2割以上が年収200万円以下で生活している。こうした低所得の庶民は、そもそも経済政策について何か利害と責任を持つ存在として認められていないのだ。単に貧困者として、あるいは貧困予備軍として、国に給付や救済を求めるだけの存在であり、件のストラテジストやアナリストの視線からは、施しを欲しがる物乞い同然の経済的存在なのである。だから、アナリストたちの議論では、低所得層の主張とか、低所得者の利益になる政策は、すべてバラマキ政策と呼ばれて批判と排斥の対象になるのだ。法人税減税はバラマキではなく、有効な対策だとされる。それは正論としてマスコミで撒かれる。
街にダイハツやスズキの車が増えた。ここ数年、地方だけでなく首都圏も本当に軽自動車が増えた環境になった。ホンダも三菱も小さな軽自動車ばかり。トヨタの車が減った。ダイハツやスズキがむしろ大きな顔をしていて、コンビニの駐車場で市場占有率の実績を誇っている。経済政策は、まず年収9億円のゴーンが言う資格があり、次に年収5億円の古舘伊知郎に資格があり、次に年収1億円の一色清にあり、次に数千万円のハゲタカや和製ハゲタカのアナリストにあり、その次に資産1億円以上で株を日常売買し、日産の株主総会にデジカメを持って出席する株主様という秩序と構図になっている。彼らが日本経済のプレイヤーであり、彼らの意見が社会の正統であり、マスコミで正論とされる経済政策の主張だ。菅直人の政府が耳を傾けるべきは、その秩序と順番の要請なのである。ダイハツやスズキに乗って生活する庶民はそこから除外されている。法人税減税や規制緩和が緊急経済対策になるのは、そういう秩序と構図があるからであり、(新自由主義の)レジームがあるからである。年収300万円以下の人間は虫ケラで、年収150万円以下の人間はゴミとして扱われている。しかし、ダイハツやスズキに乗っている一般庶民も、10年前はそうではなかった。パジェロとかハイラックスサーフとかに乗っていた。20年前はマークⅡやアコードに乗っていた。経済政策を語る人間であり、日本経済を担う人間であり、政府が経済政策を考える上で中心に位置する人間たちだった。生産者として消費者として経済の主要プレイヤーだった。資本に無用にカネを溜め込ませるレジームが、日本経済の内需を衰弱させているのである。
代表選では、小沢一郎の陣営に、何よりこの経済論議を主張してもらいたい。
</貼り付け>
*「世に倦む日々」氏には、全文無断でコピペさせていただいたことをご容赦いただきたく。はい。
で、上記記事を読んだ感想ですが・・・社会とか庶民生活の変革期にあるんじゃないんでしょうかね?日本も世界も・・・。チョット前には、「日本には物が溢れ過ぎている」なんて論調が良く見られました。そうそう、モータイさんでしたっけ?「日本のもったいない精神は素晴らしい!」と褒め称えてくれたのは(ノーベル賞も受賞したんでしょ?)。そんな人に褒められたんだから、日本人は胸を張って倹約・節約に勤しんでイイんじゃないんでしょうか?どだい、消費が増える(GDPが増加する)と云う事は、地球を汚すと云う事と同意儀なワケで、アレじゃないですか?今じゃ夢の島に持ち込まれるゴミの量も、だいぶ減ったんじゃないんですか?良いことですよ。地球と東京都清掃局にとっては。
日本並の消費社会を支えるために必要な地球は「2.3個」、
地球の全人類の消費生活レベルを、アメリカ人の平均的な消費生活と同じレベルにした場合、地球4.5個分もの生物生産性が必要となります。
まwwwアレです・・・アメリカの半分くらいの生物生産性とやらで、アメリカと同等か、チョイ上くらい?の文化的生活を送っているワケでしょ?日本人は。是すなわち、日本人の方が効率的な生活を営んでいるワケですよ。そして「地球にやさしい。」・・・と(もちろん地理的な条件とか諸々ありますが)。
自慢出来ますよね?
ダイハツやスズキのどこに問題があるのでしょうか?ステータスとかですか?大昔に恐竜が滅んで、小型の哺乳類が生き残ったのと同じリクツでしょ?環境の変化に順応出来なければ、消え行くのが運命(キツイ様ですが)。蒸気機関が発明された時の産業構造の変化と同じ様なモンでしょ?もしトヨタがですよ?社会環境の変化に順応出来なくて倒産してしまったら、そりゃあ社員の皆さんは当然困ります。でもね?トヨタを選んで入社したのは自分自身なのですから、倒産が嫌ならば会社に、社会環境の変化に順応するように働きかけるしかないでしょう?それが出来ないのであれば、会社と運命を共にするしかありませんな。JALにしても然り。それをムリヤリね?企業の都合で高級車、大型車に乗れと言うのも・・・何だか「まんが日本昔話」の、沈んだ夕日を呼び戻した「わらび長者」をホーフツとさせます。はい。
ま、皮肉に聞こえるかもしれませんが、「年収300万円以下の人間は虫ケラで、年収150万円以下の人間はゴミとして扱われている。」と言われましても、無駄を無くせばそれだけで何とか暮らせるという事でもあり、年収が9億だ、5億だといった10%の人間を物差しに経済を語られても、ハナっから庶民の感覚とズレまくってしまっているワケで・・・不毛です。
<貼り付け>
全国消費者物価指数、17か月連続下落
総務省が27日発表した7月の全国消費者物価指数(2005年=100)は、値動きの大きい生鮮食品を除く総合指数が前年同月比で1・1%下落の99・0と、1993年3月の水準まで落ち込んだ。
下げ幅は前月の1・0%下落から拡大した。マイナスは17か月連続で、物価が継続的に下落するデフレ状況が続いている。
品目別では、値下げ競争の激しい薄型テレビが前年同月比で29・4%下落したほか、猛暑効果で売れ行きが好調なエアコンも15・0%下落した。
全国の先行指標となる東京都区部の8月の消費者物価指数は、生鮮食品を除く総合指数が98・6で、前年同月比で1・1%下落し、前月の1・3%下落から下げ幅は縮小した。
(2010年8月27日11時37分 読売新聞)
</貼り付け>
ここでワタシもひとつグラフを紹介したいのですが、日本と主要国の失業率の推移です。
社会実情データ図録
図録▽失業率の推移(日本と主要国)
欧米の主要国に比べて日本の失業率はまだまだ低い方です。現実問題として派遣切り、リストラなどが行われていますが、生き残っている会社の中には、給料は下げざるを得なくても社員をクビにはしない。と頑張っている会社もあるのではないでしょうか?まあ、ごく少数の会社かも知れませんが、一部の社員の給料を上げる事で他の社員を解雇するよりも、給料が目減りしてもみんなで持ちこたえようと、謂わば「天と地と」の米沢藩のように頑張っている会社も、まだまだあるんじゃないでしょうか?
何よりワタシが一番に注目したのが、グラフ線の折れ曲がりです。日本以外の国がグニャグニャ折れ曲がっているのに比べ、失業率は上昇傾向にあるとはいえ日本の線はなだらかな線です。ここから推察するに、欧米では日本以上に、労働者が軽く扱われているのではないか?と云う事です。ですから景気の左右によって、いとも間単に従業員を解雇したり、少し景気が持ち直したら再雇用したりと、労働者を部品のように扱っている様子が想像出来ます。
それに比べ、日本の線がなだらかなのはやはり、まだまだ多くの会社に「家族主義」的な考えが残っているからではないか?と。もともと日本は豊かな国ではありませんでした。少ない資源を工夫してヤリクリして来たワケですよね?そもそも、「日本」と云う単一国家意識が形成されたのも明治以降です。それまで全国の各藩は、それぞれ独立国の様相を呈していました。徳川家という「大王」の下に、「各諸侯国」が独立採算制で連立していたのです。ですから、それぞれの地方における人のつながりは濃いワケです。ま、それが日本全体で見た場合、今日の政治的な混乱要因のひとつでもあるのでしょうが・・・
それはそれとして、大企業以外の日本全国に散らばった各企業には、か様な「同郷人意識」が依然根強く残っており、それ故に従業員を交換部品の様には扱わない。従って失業率の曲線にも急激な変化が現れない・・・。と、ワタシは推察したワケです。はい。
要は、給料の多い少ないだけでは計れない、「生活の質」を見直す社会に、世界に先駆け日本社会が移り変わろうともがいているのではないか?・・・と。そしてそれは本来日本人が持っていた資質なのではないか?であれば、日本人が、本来の生き方を取り戻そうとしているだけなのではないか?と。そしてその原動力となるのは、中央の古臭い経済学者や企業家やその取り巻きの政治家ではなく、全国に散らばる庶民であり、庶民と共存することを旨とする、「新しい時代の企業家」であろう。・・・と。
「経済プレイヤー」になる?戦争に善い悪いが無い様に、経済に善いも悪いはありません。経済戦争と言うくらいですから、「始めた時点で、どっちも悪。」・・・らしいです。「経済プレイヤー」になれというのは、「経済戦争に加担しろ。」、「経済戦争の兵士になれ。」ということでしょ?経済戦争にしろ実際の戦争にしろ、「戦後」に残るのは庶民の暮らしなのですから、結果から逆算して先ず、庶民の暮らしが重視されるべきなんじゃないでしょうか?
庶民の感覚から乖離した「大本営」の経済学者やマスコミ、グローバル論者に踊らされる必要なんてありません。踊りたい時は、自分の意思で踊ればイイんです。その方が他人に踊らされるよりよっぽど楽しいでしょ?思うに、日本人が日本人らしくしていれば、ナンにも恐れる事は無いんじゃ無いんでしょうかね?確かに今は苦しい最中ですが、庶民同士が助け合わなくて、どうしてこの苦境を乗り越えられるでしょうか?
でわっ!
2010年8月24日火曜日
弱者を人質に取る
イキナリでアレですが、庶民というものはジッサイ、そんなに多くのものを望んでいるワケでは無いと思うのですよ(注:ワタシを基準にしますが)。株が上がったの下がったの、国際競争力がどうのこうのナンぞと云う話は遠い世界のお話。取り敢えず先ず、毎日ちゃんとご飯が食べられて、それでもって雨風を凌げる寝場所が確保できれば、家族を養っていく上においては、まぁ・・・何とかなります。そこから先の付加要素=贅沢は、人それぞれに個人差があると思うのです。
他人よりも贅沢な暮らしがしたい・・・。と望むのは、それはそれで個人の自由だと思いますが、さて?一体どれだけの比率の人間が、他人よりもいい暮らしをしたいと毎日を過ごしているのでしょうか?もし日本国民の半分がそうだとしたら、ご近所付き合いなんて成り立たない様な気もします。毎日毎日、お隣さんを出し抜こうと、そして出し抜かれまいと、気が休まる時が無いでしょう。ご近所付き合いさえ儘ならないのですから、当然、もっと大きな単位である「村」だとか「町」だとか、最終的には日本社会という「国」さえ成り立つかどうか疑問です。
じゃあそう云う「上昇志向の強い人間」が、全体に対してどれだけの比率以下であったら、世の中が何とか纏まるのか?と思うに、10%程度ではないか?と。
以前、世界の富の90%は10%の人達が握っている。と言う記事を紹介しましたが、見方を変えれば、残り90%の人達が富の集約よりも、平穏な暮らしを望んでいるおかげで、10%の人達が存在出来ている様にも考えられるワケです。世界中の庶民が、10%の人達の我侭?を許容しているからこそ、世界が何とか均衡を保っている様にワタシには思えたりするワケです。はい。
庶民と云うものは、基本的には政治だとかには無関心です(注:ワタシを基準にしますが)。何といっても一番の関心事は、家族を養っていくことではないでしょうか?そして子供の健全な成長を見届ける事ではないでしょうか?それさえ満たされるのであれば、民主主義だろうが、社会主義だろうが、どうでもいいのではないでしょうか?極論ですが・・・。
然るにもし10%の人達が、庶民のささやかな幸福さえ脅かそうと言うのなら、これは黙ってはいられませんよね?国際的な金融崩壊のどこに庶民の責任があるのでしょうか?10%の人達が「マネーゲーム」とやらをしくじって、その付けが庶民にまわって来たワケですよね?それでもって、民間銀行を救う為に庶民の税金が使われましたよね?世界中で。
それらは本来、生活に係わる諸事・・・医療であるとか、教育であるとか、交通機関であるとか、そういった庶民の共通の財産であり、生活に係わる社会的なインフラの整備のために使われるべきで、その為に納税した税金であったハズ・・・。それがですよ?マネーゲームをしくじった、10%の人達の尻拭いに使われたしまった。
その他にも、つい最近のメキシコ湾での石油流出、少し前のセラフィールドでの放射性物質の流出、また日本の原発事故にしても、いつも被害を被るのは、ただ日々を平穏に過ごしたいと願うだけの、無垢な庶民です。
もういい加減にしてくれ!
・・・とワタシは思いますし、世界中に同じ事を思っている庶民が、たくさん居るのではないでしょうか?
話は変わりますが、陰謀論とやらで言われる「人類間引き計画」。多くなり過ぎた世界人口を減らすと云うオッソロシイ計画が、○ックフェラーだとか、○スチャイルドだとかの陰謀によって進行していると云うハナシ。ワタシには何とも捕らえどころの無い話なのですが、思うに、全体の10%までが或る意味、「庶民以外の人達=異常に欲の深い人達」の生物学的な「許容限度」だとしたら、今の世界人口を半分にしたら、現在存在している10%の人達も、その半分しか存在出来なくなるのではないでしょうか?
まあ、誰がその10%からはじき出されようが、庶民をないがしろにした報いですから、その覚悟があるのなら「人類の間引き」でも何でもやったらよろし。ただし、庶民側(ワタシを基準にしますが)から言わせて貰えば、そう簡単に・・・
ヤラレてたまるかっ!
・・・と。
で、権力の移動が起きる時には、庶民を味方に付けるというのが権力者側の常套手段になるのですが、その際に気をつけなければならないのが、庶民の代表を騙る連中です。分かりやすい所ではマスコミの報道などです。よく庶民の意識調査だの、政党支持率だのが報道されますが、「アレ?」っと思った人も多いのではないでしょうか?「何か・・・自分の周囲と全然違う。」・・・と。
庶民の味方=弱者の味方・・・的な「大義名分」を掲げられると、「へへーっ!」と、「錦の御旗」よろしく盲従してしまうクセ?がどうも日本人にはあるのですが、それはもう昔の話でしょ?今の時代、その気になればインターネットで簡単に「事の真偽」を確かめる事が出来ます。それが本当に「正統な大義」なのかを。
思い出せば・・・もとい、思い出さなくても、アメリカ軍がイラクを侵攻した際の・・・
イラクに大量破壊兵器がある
と云う「大義名分」が全くのデタラメだった事は、既に世界中に知れ渡っています。恐らくですが、イランにしても同じ様な事を考えているのでしょう。アメリカの指導部=10%の人達は。北朝鮮にしても?真相はどうなのか、情報が入り乱れている現状では迂闊に判断は出来ません。
8月に中東で核戦争が勃発しそうだなんて記事も目にしましたが、「ちょっと待ってくれ!」と。それで被害を被るのは誰なんだ?結局、庶民じゃないの?と。同じ庶民として・・・特に被爆国である日本の庶民としては、他人事じゃないワケでしょ?被爆の苦しみを良く知っているワケだから。
10%の人達の横暴を、増長させてはいけないのですよ。90%の庶民のおかげで彼らは存在出来るのですから。その事に世界中が目覚めつつある様に思えます。この世界は庶民中心に構成されていると云う事に。そして10%の人達は、謂わば寄生しているに過ぎないと云う事に。そしてワタシたち庶民(注:ワタシを基準にしますが)は、10%の人達を受け容れ共存する事も出来ます。ただし、90%の庶民が、庶民としての生き方をまっとう出来る限りにおいて。
【日本の技術】水から生まれた新燃料
もし10%の人達が庶民の生活を踏みにじる様な真似をするのであれば、生物学的に彼らは排除されるでしょう。そして、庶民と共存可能な次の10%の人達に、その場所を譲る事になるのでしょう。その意味において、庶民は決して弱者などではないと云う事をワタシは確信します。更に、「庶民=弱者」的な論調によって庶民をたぶらかし、味方につけようと画策する全ての論者に対しては、疑いの眼差しを向けずにはいられないワケです。はい。
でわっ!
他人よりも贅沢な暮らしがしたい・・・。と望むのは、それはそれで個人の自由だと思いますが、さて?一体どれだけの比率の人間が、他人よりもいい暮らしをしたいと毎日を過ごしているのでしょうか?もし日本国民の半分がそうだとしたら、ご近所付き合いなんて成り立たない様な気もします。毎日毎日、お隣さんを出し抜こうと、そして出し抜かれまいと、気が休まる時が無いでしょう。ご近所付き合いさえ儘ならないのですから、当然、もっと大きな単位である「村」だとか「町」だとか、最終的には日本社会という「国」さえ成り立つかどうか疑問です。
じゃあそう云う「上昇志向の強い人間」が、全体に対してどれだけの比率以下であったら、世の中が何とか纏まるのか?と思うに、10%程度ではないか?と。
以前、世界の富の90%は10%の人達が握っている。と言う記事を紹介しましたが、見方を変えれば、残り90%の人達が富の集約よりも、平穏な暮らしを望んでいるおかげで、10%の人達が存在出来ている様にも考えられるワケです。世界中の庶民が、10%の人達の我侭?を許容しているからこそ、世界が何とか均衡を保っている様にワタシには思えたりするワケです。はい。
庶民と云うものは、基本的には政治だとかには無関心です(注:ワタシを基準にしますが)。何といっても一番の関心事は、家族を養っていくことではないでしょうか?そして子供の健全な成長を見届ける事ではないでしょうか?それさえ満たされるのであれば、民主主義だろうが、社会主義だろうが、どうでもいいのではないでしょうか?極論ですが・・・。
然るにもし10%の人達が、庶民のささやかな幸福さえ脅かそうと言うのなら、これは黙ってはいられませんよね?国際的な金融崩壊のどこに庶民の責任があるのでしょうか?10%の人達が「マネーゲーム」とやらをしくじって、その付けが庶民にまわって来たワケですよね?それでもって、民間銀行を救う為に庶民の税金が使われましたよね?世界中で。
それらは本来、生活に係わる諸事・・・医療であるとか、教育であるとか、交通機関であるとか、そういった庶民の共通の財産であり、生活に係わる社会的なインフラの整備のために使われるべきで、その為に納税した税金であったハズ・・・。それがですよ?マネーゲームをしくじった、10%の人達の尻拭いに使われたしまった。
その他にも、つい最近のメキシコ湾での石油流出、少し前のセラフィールドでの放射性物質の流出、また日本の原発事故にしても、いつも被害を被るのは、ただ日々を平穏に過ごしたいと願うだけの、無垢な庶民です。
もういい加減にしてくれ!
・・・とワタシは思いますし、世界中に同じ事を思っている庶民が、たくさん居るのではないでしょうか?
話は変わりますが、陰謀論とやらで言われる「人類間引き計画」。多くなり過ぎた世界人口を減らすと云うオッソロシイ計画が、○ックフェラーだとか、○スチャイルドだとかの陰謀によって進行していると云うハナシ。ワタシには何とも捕らえどころの無い話なのですが、思うに、全体の10%までが或る意味、「庶民以外の人達=異常に欲の深い人達」の生物学的な「許容限度」だとしたら、今の世界人口を半分にしたら、現在存在している10%の人達も、その半分しか存在出来なくなるのではないでしょうか?
まあ、誰がその10%からはじき出されようが、庶民をないがしろにした報いですから、その覚悟があるのなら「人類の間引き」でも何でもやったらよろし。ただし、庶民側(ワタシを基準にしますが)から言わせて貰えば、そう簡単に・・・
ヤラレてたまるかっ!
・・・と。
で、権力の移動が起きる時には、庶民を味方に付けるというのが権力者側の常套手段になるのですが、その際に気をつけなければならないのが、庶民の代表を騙る連中です。分かりやすい所ではマスコミの報道などです。よく庶民の意識調査だの、政党支持率だのが報道されますが、「アレ?」っと思った人も多いのではないでしょうか?「何か・・・自分の周囲と全然違う。」・・・と。
庶民の味方=弱者の味方・・・的な「大義名分」を掲げられると、「へへーっ!」と、「錦の御旗」よろしく盲従してしまうクセ?がどうも日本人にはあるのですが、それはもう昔の話でしょ?今の時代、その気になればインターネットで簡単に「事の真偽」を確かめる事が出来ます。それが本当に「正統な大義」なのかを。
思い出せば・・・もとい、思い出さなくても、アメリカ軍がイラクを侵攻した際の・・・
イラクに大量破壊兵器がある
と云う「大義名分」が全くのデタラメだった事は、既に世界中に知れ渡っています。恐らくですが、イランにしても同じ様な事を考えているのでしょう。アメリカの指導部=10%の人達は。北朝鮮にしても?真相はどうなのか、情報が入り乱れている現状では迂闊に判断は出来ません。
8月に中東で核戦争が勃発しそうだなんて記事も目にしましたが、「ちょっと待ってくれ!」と。それで被害を被るのは誰なんだ?結局、庶民じゃないの?と。同じ庶民として・・・特に被爆国である日本の庶民としては、他人事じゃないワケでしょ?被爆の苦しみを良く知っているワケだから。
10%の人達の横暴を、増長させてはいけないのですよ。90%の庶民のおかげで彼らは存在出来るのですから。その事に世界中が目覚めつつある様に思えます。この世界は庶民中心に構成されていると云う事に。そして10%の人達は、謂わば寄生しているに過ぎないと云う事に。そしてワタシたち庶民(注:ワタシを基準にしますが)は、10%の人達を受け容れ共存する事も出来ます。ただし、90%の庶民が、庶民としての生き方をまっとう出来る限りにおいて。
【日本の技術】水から生まれた新燃料
もし10%の人達が庶民の生活を踏みにじる様な真似をするのであれば、生物学的に彼らは排除されるでしょう。そして、庶民と共存可能な次の10%の人達に、その場所を譲る事になるのでしょう。その意味において、庶民は決して弱者などではないと云う事をワタシは確信します。更に、「庶民=弱者」的な論調によって庶民をたぶらかし、味方につけようと画策する全ての論者に対しては、疑いの眼差しを向けずにはいられないワケです。はい。
でわっ!
2010年8月17日火曜日
庶民のファンファーレ
前回の締め?で、庶民が、庶民としての生き方をまっとう出来る世の中こそが、望まれる世界なのではないか?とホザいたワケですが、全然脈絡も無く、そう云えば昔、ELP(エマーソン・レイク&パーマー)が「庶民のファンファーレ」って曲やってたなぁ…。と思い出し“Youtube”で検索したらありましたわ。
Emerson, Lake & Palmer
- Fanfare for the Common Man
で、この曲のリズム聴いてたら、脊髄反射?で「THIN LIZZY」なんてのも思い出しまして、結構好きだったんですよ。「THIN LIZZY」
Thin Lizzy
- Jail Break
シビレルwww!オカワリwww!
Thin Lizzy
- The Boys Are Back In Town
そんでもって、何が「ELP」とか「THIN LIZZY」を知るキッカケになったかと言うと、ピーター・バラカン(敬称略)と岡部マリ(敬称略)の二人でやっていた音楽番組だった様に思うワケです。
という訳でついでに最近ピーター・バラカンはどうしているのか?と、またもYoutubeで探してみたらこんなのが…
ピーター・バラカン コメント
イヤwww!ピーターさんも「反原発」だったんですねっ!嬉しいです。そう云えばピーターさん、暴漢に襲われたことが以前ありましよね?ピーター・バラカン=スパイ説なんて記事も以前目にしましたが…
まあ、本当のところは分かりません。ワタシには。ただ、久しぶりに会った旧友が、同じ志を持っていてくれた様で、ただ単純に嬉しいだけです。それ以上の事は、情報の撹乱戦に巻き込まれそうなので、自重しますデス。はい。ちなみにビデオの中で語っているセラフィールドの原発事故とは…
英セラフィールド再処理施設で深刻な放射性液体漏れ事故―どうしてマスゴミは報道しない?
に詳しく書かれているので、是非ご一読下さい。
で、ワタシがクドイくらい原発に反対なのも、「それ」が庶民の生活に有害だからに尽きるのです。キレイな水、キレイな空気、キレイな土壌さえあれば、人は、庶民は、生きることが出来ます。しかし、その反対のことをやってしまったら…
でわっ!
Emerson, Lake & Palmer
- Fanfare for the Common Man
で、この曲のリズム聴いてたら、脊髄反射?で「THIN LIZZY」なんてのも思い出しまして、結構好きだったんですよ。「THIN LIZZY」
Thin Lizzy
- Jail Break
シビレルwww!オカワリwww!
Thin Lizzy
- The Boys Are Back In Town
そんでもって、何が「ELP」とか「THIN LIZZY」を知るキッカケになったかと言うと、ピーター・バラカン(敬称略)と岡部マリ(敬称略)の二人でやっていた音楽番組だった様に思うワケです。
という訳でついでに最近ピーター・バラカンはどうしているのか?と、またもYoutubeで探してみたらこんなのが…
ピーター・バラカン コメント
イヤwww!ピーターさんも「反原発」だったんですねっ!嬉しいです。そう云えばピーターさん、暴漢に襲われたことが以前ありましよね?ピーター・バラカン=スパイ説なんて記事も以前目にしましたが…
まあ、本当のところは分かりません。ワタシには。ただ、久しぶりに会った旧友が、同じ志を持っていてくれた様で、ただ単純に嬉しいだけです。それ以上の事は、情報の撹乱戦に巻き込まれそうなので、自重しますデス。はい。ちなみにビデオの中で語っているセラフィールドの原発事故とは…
英セラフィールド再処理施設で深刻な放射性液体漏れ事故―どうしてマスゴミは報道しない?
に詳しく書かれているので、是非ご一読下さい。
で、ワタシがクドイくらい原発に反対なのも、「それ」が庶民の生活に有害だからに尽きるのです。キレイな水、キレイな空気、キレイな土壌さえあれば、人は、庶民は、生きることが出来ます。しかし、その反対のことをやってしまったら…
でわっ!
2010年8月15日日曜日
私論 アジア開放
ネットゲリラさんとこでこんなエントリーがあったのですが…
大東亜戦争の本当の勝者は日本http://shadow-city.blogzine.jp/net/2010/08/post_4ff4.html
以前ワタシの叔父の話を少しばかりしましたが、戦地からの帰還者の胸の内にあったものを、現在のワタシタチが推し量るのは難しいと思います。
それでもなお想像力を働かせて、もし自分が同じ立場に置かれたら?と、考えてみるに、戦時中と戦後で180度変わってしまった日本の姿に、「俺達は何の為に戦ったのか?」と云う想いが生まれたとしても何ら不思議ではありません。
滅茶苦茶な軍指導部、ひいては日本という国に対して失望してしまった軍人も多かったのではないでしょうか?もしかしたらワタシの叔父もその一人だったのかも知れません。
そういった軍人達、云わば「植民地化されたアジアの解放」という、本来?の純粋な「大義」を失わなかった一部の人達が、日本軍だの、日本国だのと云う枠を離れて、勝手に手弁当でベトナムとかインドネシアとかの独立戦争に協力したのではないかと?
斯様なごくごく一部のサムライ魂を持った人達の、孤高の戦いを引き合いに出し、まるで自分の手柄のように「日本がアジアを開放した」の如き発言をするのは如何なものか?と。
何と言うか…人の手柄を横取りする、ただの世渡り上手な人間の詭弁にしか聞こえまへんわ。ワタシには。
旧日本軍人で、「戦争は愚かで、悲惨な行為だから止めろ。」と言い続けている方々のほうが、戦友の死を心から悔やみ、弔っているに違いないと、ワタシは信じますし、鬼籍に入ってしまった叔父の供養の為にも。
何て事を思ったのも、バンコクからの帰り、出国カウンターがエライ混んでて、前回とは違い今回は、ヘビのトグロのように一列にみんな並ばされていたのですが、そのおかげ?で列に並ぶ人達全部がどういった人達なのか、嫌でも目に入ってくるワケです。
で、結論を言えば列に並ぶ人達は、国籍も性別も年齢も全てがバラバラで、それでも恋人同士、友達同士、家族同士で楽しそうに語り合ってる様子は
日本人と何ら変わりない
ワケで、更に言えば世界中何処でも一緒なワケで、世界中の一般市民が何故?WW2の様な戦争に巻き込まれたのか?お互いを憎しみあったのか?その必要があったのか?・・・などと取りとめも無く考えていたワケです。はい。
で、現在…アメリカの日本支配がだんだん浮き彫りにされつつあるようですが、間違ってはいけないのは、それは「アメリカ市民」が望んでいる事では無い。と云う事です。ホンのごく一部の、アメリカ軍の上層部であったり、安保マフィアと呼ばれるグループが、日本への影響力を失いたくないと居座っているに過ぎないのです。
悪事を成す連中と云うものは、その実態を隠す為に「愛国心」だとか「歴史」だとか「文化」とか云うものに、その姿を隠し人々を騙そうとします。
でもよく考えて見ると、「今を生きる」上において、先の要素はそんなに重要でしょうか?毎日毎日「愛国心」が無いと、「歴史」が無いと、「文化」が無いと生きられないのでしょうか?
おそらく違いますよね?平和であれば、他人と(他の国と)いがみ合わなければ、足りなくなった味噌、醤油を融通しあうことも出来ます。それが正しい庶民の在り方のように思うワケですわ。ワタシわ。
してみれば、世界中の庶民が、庶民としての生き方をまっとう出来る世の中こそが、望まれる世界なのではないか?…と。
でわっ!
大東亜戦争の本当の勝者は日本http://shadow-city.blogzine.jp/net/2010/08/post_4ff4.html
以前ワタシの叔父の話を少しばかりしましたが、戦地からの帰還者の胸の内にあったものを、現在のワタシタチが推し量るのは難しいと思います。
それでもなお想像力を働かせて、もし自分が同じ立場に置かれたら?と、考えてみるに、戦時中と戦後で180度変わってしまった日本の姿に、「俺達は何の為に戦ったのか?」と云う想いが生まれたとしても何ら不思議ではありません。
滅茶苦茶な軍指導部、ひいては日本という国に対して失望してしまった軍人も多かったのではないでしょうか?もしかしたらワタシの叔父もその一人だったのかも知れません。
そういった軍人達、云わば「植民地化されたアジアの解放」という、本来?の純粋な「大義」を失わなかった一部の人達が、日本軍だの、日本国だのと云う枠を離れて、勝手に手弁当でベトナムとかインドネシアとかの独立戦争に協力したのではないかと?
斯様なごくごく一部のサムライ魂を持った人達の、孤高の戦いを引き合いに出し、まるで自分の手柄のように「日本がアジアを開放した」の如き発言をするのは如何なものか?と。
何と言うか…人の手柄を横取りする、ただの世渡り上手な人間の詭弁にしか聞こえまへんわ。ワタシには。
旧日本軍人で、「戦争は愚かで、悲惨な行為だから止めろ。」と言い続けている方々のほうが、戦友の死を心から悔やみ、弔っているに違いないと、ワタシは信じますし、鬼籍に入ってしまった叔父の供養の為にも。
何て事を思ったのも、バンコクからの帰り、出国カウンターがエライ混んでて、前回とは違い今回は、ヘビのトグロのように一列にみんな並ばされていたのですが、そのおかげ?で列に並ぶ人達全部がどういった人達なのか、嫌でも目に入ってくるワケです。
で、結論を言えば列に並ぶ人達は、国籍も性別も年齢も全てがバラバラで、それでも恋人同士、友達同士、家族同士で楽しそうに語り合ってる様子は
日本人と何ら変わりない
ワケで、更に言えば世界中何処でも一緒なワケで、世界中の一般市民が何故?WW2の様な戦争に巻き込まれたのか?お互いを憎しみあったのか?その必要があったのか?・・・などと取りとめも無く考えていたワケです。はい。
で、現在…アメリカの日本支配がだんだん浮き彫りにされつつあるようですが、間違ってはいけないのは、それは「アメリカ市民」が望んでいる事では無い。と云う事です。ホンのごく一部の、アメリカ軍の上層部であったり、安保マフィアと呼ばれるグループが、日本への影響力を失いたくないと居座っているに過ぎないのです。
悪事を成す連中と云うものは、その実態を隠す為に「愛国心」だとか「歴史」だとか「文化」とか云うものに、その姿を隠し人々を騙そうとします。
でもよく考えて見ると、「今を生きる」上において、先の要素はそんなに重要でしょうか?毎日毎日「愛国心」が無いと、「歴史」が無いと、「文化」が無いと生きられないのでしょうか?
おそらく違いますよね?平和であれば、他人と(他の国と)いがみ合わなければ、足りなくなった味噌、醤油を融通しあうことも出来ます。それが正しい庶民の在り方のように思うワケですわ。ワタシわ。
してみれば、世界中の庶民が、庶民としての生き方をまっとう出来る世の中こそが、望まれる世界なのではないか?…と。
でわっ!
2010年8月7日土曜日
「法輪功」を読む
前回、中国の明朝は、白蓮教(ミトラ教)による紅巾の乱によって打ち立てられた事を述べましたが、最後に追記として、中国建国の父孫文が、中華民国建国後に、明朝初代皇帝朱元璋の廟を詣でた故事を引き、孫文には「辛亥革命=紅巾の乱」という意識があったのか?…と。
そこで辛亥革命を調べてみると、それに先立つ義和団の乱に、先の白蓮教が関係していることが分かりました。このことは、モンゴル人の元朝、女真族(満州人)の清朝という異民族の征服王朝を倒したのは、白蓮教と云う宗教団体の存在があったればこそ。…とも言えるワケです。はい。
白蓮教の教義について詳しくは知りえないのですが、ミトラ教の亜流であるならば、その理念には「友道」があったと思われます。そこで「友道」とわ…
①万人が等しく対等になる。⇒絶対平等・万物一体
②友道の力で自分を変え、社会を変える。⇒白陽大同
③日々成長、日々研鑽〔けんさん〕し、神々とともに育つ。⇒七大天使
④一人ひとりが神、生類、地球に対して責任を持って、自由に生きる。⇒孔雀時代の課題
というのが四大ポイントとの事で、ここで取り上げたいのは②の、「白陽大同」です。これは…
1) 神の思いを実現させるのは、選ばれた個人ではなく、全人類の集合体、すなわち、ぶどうの房〔ふさ〕である。
2) 全人類を対話によってつなぐことで、調和した平和な社会が生まれる。豊かな暮らし、たしかな未来が生まれる。
3) 互いに助け合うことで、生きていてよかった、人生は楽しかったと言えるようになる。そう言える社会にする。
と云う事らしく、何となく「ゆっきー」の「友愛」精神を彷彿とさせますし、ワタシも1)については、重ね重ね繰り返している「個人革命」の考え方に通じるものがあると、ワレながら思う次第です。はい。
で、この1)の部分は、逆に権力者にとっては、ケシカラン!となるワケですよね?あと、インテリ気取りでいる人たちも…
思うにミトラ教は、非常に民衆的な宗教であり、であればこそ民衆の間に爆発的に広まり、それらの民衆の力が元朝とか清朝とかを打ち倒した。…と。
これは権力を欲する側から見れば、「敵に回すと怖い」という事に他ならず、従って、表題に戻りますが、現在、中国共産党員よりも多くの会員を抱える?と言われている「法輪功」は、国家を転覆させかねない脅威に映るワケです。共産党指導部には。だからこその「弾圧」と。
しかしこの事は、過去の事例を鑑み、モンゴル人の元朝、満州人の清朝と、異民族の支配を跳ね除けて来た経緯に重ね合わせると、現在の中国は、異民族の支配を受けているのか?…と。
大きな目で見れば、グローバル化と云うのも、異民族の支配形態のひとつなのかも知れません。中国が外国資本の草刈場となり、貧富の格差が広がり、その事に不満を抱く民衆が、第二の紅巾の乱や義和団の乱を引き起こさないとも限りませんわな。その素養は十分にありますから。
もし「法輪功」に、白蓮教≒ミトラ教の影が見え隠れするとしたら…。事は現代における「カルト宗教」とかの問題では無く、歴史の流れの中に脈々と続いている問題になるワケです。言葉を変えれば、歴史を無視し、封印して来た結果が今、表面化しつつあるとも言えます。
ま、ワタシ的には日本を含め、世界の歴史は嘘だらけだと、半ば思っていますので、ボチボチ調べて行きますわ。本当の歴史ってやつを。
取り敢えずはこの前ダウンロードした「法輪功」の教義書?を読み解きながら、ミトラ教との接点を探ってみようか?と。で、今回はその序章と云うか前書きのつもりだったのですが、エラく長くなってしまいました。フランス革命とミトラ教の関連も近いうちに。
歴史って奥が深いですwww!
でわっ!
そこで辛亥革命を調べてみると、それに先立つ義和団の乱に、先の白蓮教が関係していることが分かりました。このことは、モンゴル人の元朝、女真族(満州人)の清朝という異民族の征服王朝を倒したのは、白蓮教と云う宗教団体の存在があったればこそ。…とも言えるワケです。はい。
白蓮教の教義について詳しくは知りえないのですが、ミトラ教の亜流であるならば、その理念には「友道」があったと思われます。そこで「友道」とわ…
①万人が等しく対等になる。⇒絶対平等・万物一体
②友道の力で自分を変え、社会を変える。⇒白陽大同
③日々成長、日々研鑽〔けんさん〕し、神々とともに育つ。⇒七大天使
④一人ひとりが神、生類、地球に対して責任を持って、自由に生きる。⇒孔雀時代の課題
というのが四大ポイントとの事で、ここで取り上げたいのは②の、「白陽大同」です。これは…
1) 神の思いを実現させるのは、選ばれた個人ではなく、全人類の集合体、すなわち、ぶどうの房〔ふさ〕である。
2) 全人類を対話によってつなぐことで、調和した平和な社会が生まれる。豊かな暮らし、たしかな未来が生まれる。
3) 互いに助け合うことで、生きていてよかった、人生は楽しかったと言えるようになる。そう言える社会にする。
と云う事らしく、何となく「ゆっきー」の「友愛」精神を彷彿とさせますし、ワタシも1)については、重ね重ね繰り返している「個人革命」の考え方に通じるものがあると、ワレながら思う次第です。はい。
で、この1)の部分は、逆に権力者にとっては、ケシカラン!となるワケですよね?あと、インテリ気取りでいる人たちも…
思うにミトラ教は、非常に民衆的な宗教であり、であればこそ民衆の間に爆発的に広まり、それらの民衆の力が元朝とか清朝とかを打ち倒した。…と。
これは権力を欲する側から見れば、「敵に回すと怖い」という事に他ならず、従って、表題に戻りますが、現在、中国共産党員よりも多くの会員を抱える?と言われている「法輪功」は、国家を転覆させかねない脅威に映るワケです。共産党指導部には。だからこその「弾圧」と。
しかしこの事は、過去の事例を鑑み、モンゴル人の元朝、満州人の清朝と、異民族の支配を跳ね除けて来た経緯に重ね合わせると、現在の中国は、異民族の支配を受けているのか?…と。
大きな目で見れば、グローバル化と云うのも、異民族の支配形態のひとつなのかも知れません。中国が外国資本の草刈場となり、貧富の格差が広がり、その事に不満を抱く民衆が、第二の紅巾の乱や義和団の乱を引き起こさないとも限りませんわな。その素養は十分にありますから。
もし「法輪功」に、白蓮教≒ミトラ教の影が見え隠れするとしたら…。事は現代における「カルト宗教」とかの問題では無く、歴史の流れの中に脈々と続いている問題になるワケです。言葉を変えれば、歴史を無視し、封印して来た結果が今、表面化しつつあるとも言えます。
ま、ワタシ的には日本を含め、世界の歴史は嘘だらけだと、半ば思っていますので、ボチボチ調べて行きますわ。本当の歴史ってやつを。
取り敢えずはこの前ダウンロードした「法輪功」の教義書?を読み解きながら、ミトラ教との接点を探ってみようか?と。で、今回はその序章と云うか前書きのつもりだったのですが、エラく長くなってしまいました。フランス革命とミトラ教の関連も近いうちに。
歴史って奥が深いですwww!
でわっ!
2010年8月5日木曜日
紅巾の乱とフランス革命と鄭和の沈没艦隊
ヒロシさんの記事と極東ブログさんの記事が、私の中で妙に気になったので、自分用としてまとめる事にしました。
ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報
中国のソフトパワー:鄭和航海とアフリカ資源外交
極東ブログ
フリジア帽はミトラ教の帽子
今回、中国とケニアが共同調査する鄭和の沈没艦隊ですが、中国では「明朝時代」のもので、そもそも「明」とは、どう云う王朝であったかと云うと、白蓮教徒が蜂起した紅巾の乱により、元王朝が打ち倒された後に興った王朝です。
建国の母体が宗教団体であり、「明」という名称も宗教的な理由からで、建国の原動力となった白蓮教とは一体どんな宗教かというと、キリスト教以前にほぼ世界宗教の地位を占めていた…「ミトラ教」です。
「明」という名前は明教=ミトラ教に由来するので、このミトラ教の教義から「朱子学」、「陽明学」が生まれ、日本においては、弘法大師空海が持ち帰った「密教」の秘儀も、ミトラ教に由来し、さらには、弥勒菩薩信仰も、ミトラ教の流れの中にあります。
で…話を鄭和の沈没艦隊に戻しますが、鄭和がどう云ういう人物であったかと言うと、先祖はモンゴル帝国の時代に中国の連れてこられ、その後、元朝の時代に雲南地方に移住したイスラム教徒で、アーリア系(ペルシャ人)の血を受け継いでいた様です。
その当時、日本はどうだったかと云うと、「室町時代」で、明と「勘合貿易(日明貿易)」を行い、結果として、北山文化や東山文化が花開いたという背景があり、明との貿易の恩恵を受けているわけです。
要は、明は貿易に力を入れていたワケで、その理由として、鄭和が「ペルシャ商人」の血を受け継いでいたからと考えれば、アフリカとの貿易も何も特別な事ではなく、ペルシャ商人にとっては「自分の庭先」くらいの感覚だったのではないでしょうか?
まあ現在の中国と、大商船団を組んでいた明朝とは、歴史的、国家的には別物の様に思うんですわ。ヒロシさんが言う様に、今回の沈没船調査はアフリカの利権を狙って中国が云々…とカリカリすることもない様に思えます。謂わば、中国にとっては商売のプロモーションであり、第三者が他人の商売にケチをつけるというのも、いささか大人気ない気がしますです。自由競争の時代ですから…
アフリカの独裁政権を、商売の為に中国がバックアップしている!といった意見も見られますがね?まだカワイイもんでしょ?欧米列強がして来た事、現在している事に比べれば。日本も過去、同じ事をしたワケですよ。欧米列強に習い、「植民地政策」を。
…で、表題の「紅巾の乱」と「フランス革命」に、何の繋がりがあるのか?年代順では、紅巾の乱が1351年~1366年で、フランス革命が 1789年~1794年ですから、紅巾の乱がフランス革命に先んじること430年なのですが、今回はこのくらいにして、この先は改めて続きを書きます。
ヒントは「赤い帽子」と云うことで…
追記:孫文が辛亥革命にて清朝を倒し、中華民国を建国した後に朱元璋の陵を訪れたそうですが、してみると、「辛亥革命=紅巾の乱」という意識があったんですかね?孫文には…
でわっ!
ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報
中国のソフトパワー:鄭和航海とアフリカ資源外交
極東ブログ
フリジア帽はミトラ教の帽子
今回、中国とケニアが共同調査する鄭和の沈没艦隊ですが、中国では「明朝時代」のもので、そもそも「明」とは、どう云う王朝であったかと云うと、白蓮教徒が蜂起した紅巾の乱により、元王朝が打ち倒された後に興った王朝です。
建国の母体が宗教団体であり、「明」という名称も宗教的な理由からで、建国の原動力となった白蓮教とは一体どんな宗教かというと、キリスト教以前にほぼ世界宗教の地位を占めていた…「ミトラ教」です。
「明」という名前は明教=ミトラ教に由来するので、このミトラ教の教義から「朱子学」、「陽明学」が生まれ、日本においては、弘法大師空海が持ち帰った「密教」の秘儀も、ミトラ教に由来し、さらには、弥勒菩薩信仰も、ミトラ教の流れの中にあります。
で…話を鄭和の沈没艦隊に戻しますが、鄭和がどう云ういう人物であったかと言うと、先祖はモンゴル帝国の時代に中国の連れてこられ、その後、元朝の時代に雲南地方に移住したイスラム教徒で、アーリア系(ペルシャ人)の血を受け継いでいた様です。
その当時、日本はどうだったかと云うと、「室町時代」で、明と「勘合貿易(日明貿易)」を行い、結果として、北山文化や東山文化が花開いたという背景があり、明との貿易の恩恵を受けているわけです。
要は、明は貿易に力を入れていたワケで、その理由として、鄭和が「ペルシャ商人」の血を受け継いでいたからと考えれば、アフリカとの貿易も何も特別な事ではなく、ペルシャ商人にとっては「自分の庭先」くらいの感覚だったのではないでしょうか?
まあ現在の中国と、大商船団を組んでいた明朝とは、歴史的、国家的には別物の様に思うんですわ。ヒロシさんが言う様に、今回の沈没船調査はアフリカの利権を狙って中国が云々…とカリカリすることもない様に思えます。謂わば、中国にとっては商売のプロモーションであり、第三者が他人の商売にケチをつけるというのも、いささか大人気ない気がしますです。自由競争の時代ですから…
アフリカの独裁政権を、商売の為に中国がバックアップしている!といった意見も見られますがね?まだカワイイもんでしょ?欧米列強がして来た事、現在している事に比べれば。日本も過去、同じ事をしたワケですよ。欧米列強に習い、「植民地政策」を。
…で、表題の「紅巾の乱」と「フランス革命」に、何の繋がりがあるのか?年代順では、紅巾の乱が1351年~1366年で、フランス革命が 1789年~1794年ですから、紅巾の乱がフランス革命に先んじること430年なのですが、今回はこのくらいにして、この先は改めて続きを書きます。
ヒントは「赤い帽子」と云うことで…
追記:孫文が辛亥革命にて清朝を倒し、中華民国を建国した後に朱元璋の陵を訪れたそうですが、してみると、「辛亥革命=紅巾の乱」という意識があったんですかね?孫文には…
でわっ!