2009年11月4日水曜日

権力への欲望 1

人は誰しも、自分以外の誰かを支配したいという欲求を
心の中に抱いているのではないでしょうか?
その欲求の強い人間が、社会的な地位の上を目指し、
その他のほとんどの人間が、権力志向の強い人間に
逆に支配される側に立たされる・・・。

だからといって、支配される側に権力欲が無いかというと、
被支配者は被支配者なりに、被支配者同士で権力闘争に溺れ、
結果として、上(お上)から下(下じも)まで、
全く同じ様な「権力のフラクタル構造」が社会に形成される。

権力の在るところ、閉鎖的な社会が在るのは全く当然なことで、
権力というものは権力の及ぶ範囲、「権力圏」の内部でのみ
その力を発揮できるのだから・・・。
だからして、権力者=権力を発動させたい者は、
自分の「権力圏」を死守することに必死になるワケだ。

さて、この「権力」ってのは、実は見かけは何でもイイわけだ。
「共産主義」だろうが、「資本主義」だろうが、
「動物愛護」だろうが、「環境保護」だろうが、
「自民党」だろうが、「民主党」だろうが、
「貧困」だろうが、「食料問題」だろうが、
「ユダヤの陰謀」だろうが、「ナチの第三帝国」だろうが、
「両親」だろうが、「ノーベル賞」だろうが、
「警察」だろうが、「ヤクザ」だろうが、
みwwwんな、同じ「権力のフラクタル構造」の中に在るワケだから。

この「重層的な権力の構造」の上に在るのが、

「世界の表層」なワケで、
世界を変えるってコトは、「構造」そのものを変えるってコト。
「構造」を変えるってコトは、「自分の心」を変えるってコト。
「自分の心」を変えるってコトは、自分の「心を知る」コト。

そこで、ワタシが言うところの「自分の心との葛藤」の意味とは、
新しい世界(決して、統一世界政府などに拠らない)を、
ワタシたちは迎えることが出来るのか?という自問でもあるワケですわ。


でわっ!