2010年8月15日日曜日

私論 アジア開放

 ネットゲリラさんとこでこんなエントリーがあったのですが…

大東亜戦争の本当の勝者は日本
http://shadow-city.blogzine.jp/net/2010/08/post_4ff4.html

 以前
ワタシの叔父の話を少しばかりしましたが、戦地からの帰還者の胸の内にあったものを、現在のワタシタチが推し量るのは難しいと思います。

 それでもなお想像力を働かせて、もし自分が同じ立場に置かれたら?と、考えてみるに、戦時中と戦後で180度変わってしまった日本の姿に、「俺達は何の為に戦ったのか?」と云う想いが生まれたとしても何ら不思議ではありません。

 滅茶苦茶な軍指導部、ひいては日本という国に対して失望してしまった軍人も多かったのではないでしょうか?もしかしたらワタシの叔父もその一人だったのかも知れません。

 そういった軍人達、云わば「植民地化されたアジアの解放」という、本来?の純粋な「大義」を失わなかった一部の人達が、日本軍だの、日本国だのと云う枠を離れて、勝手に手弁当でベトナムとかインドネシアとかの独立戦争に協力したのではないかと?

 斯様なごくごく一部のサムライ魂を持った人達の、孤高の戦いを引き合いに出し、まるで自分の手柄のように「日本がアジアを開放した」の如き発言をするのは如何なものか?と。

 何と言うか…人の手柄を横取りする、ただの世渡り上手な人間の詭弁にしか聞こえまへんわ。ワタシには。

 旧日本軍人で、「戦争は愚かで、悲惨な行為だから止めろ。」と言い続けている方々のほうが、戦友の死を心から悔やみ、弔っているに違いないと、ワタシは信じますし、鬼籍に入ってしまった叔父の供養の為にも。

 何て事を思ったのも、バンコクからの帰り、出国カウンターがエライ混んでて、
前回とは違い今回は、ヘビのトグロのように一列にみんな並ばされていたのですが、そのおかげ?で列に並ぶ人達全部がどういった人達なのか、嫌でも目に入ってくるワケです。

 で、結論を言えば列に並ぶ人達は、国籍も性別も年齢も全てがバラバラで、それでも恋人同士、友達同士、家族同士で楽しそうに語り合ってる様子は

日本人と何ら変わりない

ワケで、更に言えば世界中何処でも一緒なワケで、世界中の一般市民が何故?WW2の様な戦争に巻き込まれたのか?お互いを憎しみあったのか?その必要があったのか?・・・などと取りとめも無く考えていたワケです。はい。

 で、現在…アメリカの日本支配がだんだん浮き彫りにされつつあるようですが、間違ってはいけないのは、それは「アメリカ市民」が望んでいる事では無い。と云う事です。ホンのごく一部の、アメリカ軍の上層部であったり、安保マフィアと呼ばれるグループが、日本への影響力を失いたくないと居座っているに過ぎないのです。

 悪事を成す連中と云うものは、その実態を隠す為に「愛国心」だとか「歴史」だとか「文化」とか云うものに、その姿を隠し人々を騙そうとします。

 でもよく考えて見ると、「今を生きる」上において、先の要素はそんなに重要でしょうか?毎日毎日「愛国心」が無いと、「歴史」が無いと、「文化」が無いと生きられないのでしょうか?

 おそらく違いますよね?平和であれば、他人と(他の国と)いがみ合わなければ、足りなくなった味噌、醤油を融通しあうことも出来ます。それが正しい庶民の在り方のように思うワケですわ。ワタシわ。

 してみれば、世界中の庶民が、庶民としての生き方をまっとう出来る世の中こそが、望まれる世界なのではないか?…と。


でわっ!