2012年8月1日水曜日
グラムシと反原発
ちょっと前に「スピノザと反原発」という駄文を書きましたが、「アントニオ・グラムシ」というイタリアの革命家?をつい最近知ったので、懲りずにまた駄文を書きます。
アントニオ・グラムシ-Wikipedia
アントニオ・グラムシ(Antonio Gramsci, 1891年1月23日 - 1937年4月27日)は、イタリアのマルクス主義思想家、イタリア共産党創設者の一人。
戦間期のイタリア、ベニート・ムッソリーニ政権に「この頭脳を止めねば」と危ぶまれて投獄されたが、その獄中で執筆した「ノート」で展開したさまざまな思想概念、例えば「ヘゲモニー」は、イギリスの「カルチュラル・スタディーズ」の論者や、ガヤトリ・C・スピヴァクらインドの歴史研究者らの「サバルタン・スタディーズ」グループ、そして、国際関係学のロバート・コックスやスティーヴン・ギルといった「グローバル政治経済学」などにまで大きな影響を与えている。
(後略)
で、グラムシの革命理論?を物凄くざっくばらんに説明すると、「機動戦」と「陣地戦」という考え方が挙げられます。「機動戦」とは権力奪取のための「正面突破作戦」であり、「陣地戦」とは広範な大衆の支持を得て広げていく「浸透作戦」になります(1)。
グラムシ・セレクション
著者: アントニオ グラムシ
編者: 片桐薫
で、この「陣地戦」という言葉に「ビビッ!」ときたワケです。正に、毎週金曜日に首相官邸前で行われている「抗議集会」は、この「陣地戦」の理論の実践なのではないか?と。
そしてもうひとつ、「ヘゲモニー論」というのがありますが、これは...
「グラムシの思想の第二の特徴は、彼の有名なヘゲモニー論である。グラムシによると、労働者階級は政治権力を奪取する前に文化的ヘゲモニーを確立しなければ勝利することができない、特権階級はヘゲモニー的地位を獲得し、被搾取者を政治的に隷属させるだけでなく、精神的にも隷属させている、つまり精神的支配は、政治的支配の条件なのである。(中略)文化的ヘゲモニーは、政治権力の奪取にとって本質的な前提条件なのだとグラムシはいう。労働者階級の世界観と価値体系が、政治的に同盟できる他の諸階級のものとなり、労働者階級が社会の精神的指導者になるのでなければ、労働者階級は決して勝利することはできない、とグラムシは力説している。」(2)
と、いうことで、「ナンノコッチャ?」と思われるでしょうが、早い話が、「洗脳」を脱して「あなた自身」を取り戻しなさいということです。「政治家は偉い」、「学者は偉い」、「知識人は偉い」...etc。それらは本当ですか?
労働者階級などという堅苦しい用語を使われるとアレですが、ワタシたちは紛れも無く「労働者」です。周りを見渡してください。みんな仕事を持っていますよね?当然です。社会は「仕事の分業」によって成り立っているのです。つまり、労働者によって成り立っているワケです。
くしくも、「3.11」以降の日本国内の知識層の混乱振りを目の当たりにして、多くの人が疑問を持ったのではないでしょうか?しかしそれは「3.11」以降から存在する問題ではなく、「3.11」以前から存在する問題だったのです。
では何故?ワタシたちはそれに気付けなかったのか?そこに「自分自身」が無かったから、「内的ヘゲモニー」が、外部から植え付けられた「洗脳」に過ぎなかったからです。
「ヘゲモニー」=「暗黙の了解」≒「無言の圧力」と考えれば、ファッションなどの「流行」を追うのも、ひとつの「無言の圧力」の下にあると言えます。そして、そうした「無言の圧力」を蔓延させることが、特権階級の文化的ヘゲモニーの獲得であり、それを脱却しない限り、労働者...ま、ワタシたちのことですが、ワタシたち自身が文化的ヘゲモニーを確立する=自分自身を取り戻すことができない限り、特権階級(原子力村など)には勝てないというワケです。
で、「機動戦」と「陣地戦」ですが、旧来のデモや学生運動は「機動戦」の考え方になります。「力」に対して「力」で立ち向かう考え方です。しかし、「力」で立ち向かうということは、相手に勝つためには「より大きな力」でなければなりません。
文化的ヘゲモニーが確立されないままに特権階級に対峙するということは、おそらく上の図のようになります。よしんば武力の行使などを以って「一部」を切り崩したところで、「本丸」に辿りつくのは容易なことではないでしょうし、その前に潰されてしまう可能性の方が高いでしょう。
であれば、文化的ヘゲモニーを確立(洗脳から解放)し、「シーソー」のように重心(ヘゲモニー)の移動による自発的な社会構造の転換を目指そう。...というのが、「陣地論」の考え方であるとワタシは理解しました。
ま、グラムシの理論を掘り下げるともっと置くが深いのでしょうが、とりあえず今はこのくらいに留めておきます。だいたいが「ブルジョアジー」だの「プロレタリアート」だの、外来語を聞いているだけで頭が痛くなるタチなもので。...orz
要点は、現在日本中で展開されている「反原発運動」は、グラムシが言うところの「陣地戦」に他ならず、運動に参加するひとりひとりが「貴重な陣地」であるという事。そして「陣地」のバランスが崩れた時、シーソーが傾くのと同じ原理で社会構造も変化するという事。
したがって、闘いの手を休めず、着実に「陣地」を増やしていくことが、この「反原発運動」の完全勝利=原発の即時停止と廃炉に向けた一本の道筋であり、そのためにも「堅固な陣地」を増やすことは、何よりも優先され、「堅固な陣地」とは即ち、「自己に目覚めた人」であり、「自己に目覚める」には正しい知識を学ばなければならないワケです。
自分の立ち位置(陣地)を揺るぎ無きものとする為に、「勉強」による知識の習得とその理解は不可欠です。「道具(知識)」だけ手に入れてもその「使い方」が解らなければ、自分の陣地を守る為の「防具」にはならない。...というワケです。
特権階級の文化的ヘゲモニー獲得機関である、マスコミ、メディアの情報を鵜呑みにするのではなく、「自分の頭で考える」ことの重要性がここにあるワケで、そうした人間こそ...揺ぎ無い自分に目覚めた人間こそが「揺ぎ無い陣地」となり、社会を変える原動力となりうるのです。
「すべての人間は、『政治的人間』である...。どの人間も活動的であるかぎり、つまり生きているかぎり、自己がそのなかで発展する社会的環境を改変する(特定の諸性格を改変し、他の諸性格を保持する)ことに寄与しているのである」(3)
早い話が、「英雄」とか、「偉大なリーダー」とかいう考え方に固執していること自体、外部から内的ヘゲモニーを操作されている=洗脳されているとも考えられるワケで、グラムシの言うところの「陣地戦論」に、「個人革命」を繰り返し述べてきたワタシとしては「同志よ!」と、抱きつきたい心境ですwww。
参考
(1)花の雑学 三水会便り
第11回「アントニオ・グラムシの思想と現代」
2008年1月 例会幹事:伊藤 公博
http://www.hone-kenko.org/sansuikai/sansui_11.html
(2)『トロツキーとグラムシ』
(社会評論社・1999年)批判Vol.3
http://www2u.biglobe.ne.jp/~ikawag/trogra3.htm
(3)人間・個人・ヒューマニティ―再論・グラムシの人間論
鈴 木 富 久 (桃山学院大学・社会学)
http://www42.tok2.com/home/yasuiyutaka/yasuiyutaka/suzukitomihisa_gramsci01.htm
人間ナメんなよ!
でわっ!