2012年8月5日日曜日
新政府綱領八策を読む
新政府綱領八策
第一義
天下有名ノ人材を招致シ 顧問ニ供フ
第二義
有材ノ諸侯ヲ撰用シ 朝廷ノ官爵ヲ賜イ 現今有名無実ノ官ヲ除ク
第三義
外国ノ交際ヲ議ス
第四義
律令ヲ撰シ 新タニ無窮ノ大典ヲ定ム 律令既ニ定レバ諸侯伯皆此ヲ奉ジテ 部下ヲ率ユ
第五義
上下議政所
第六義
海陸軍局
第七義
親兵
第八義
皇国今日ノ金銀物価ヲ 外国ト平均ス
右預メ 二三ノ明眼士ト議定シ 諸侯会盟ノ日ヲ待ツテ云云
○○○自ラ盟主ト為リ 此ヲ以テ朝廷ニ奉リ 始テ天下萬民ニ公布云云
強抗非礼 公議ニ違フ者ハ断然征討ス 権門貴族モ貸借スル事ナシ
慶応丁卯十一月 坂本直柔
近代日本の原点がここにあると思うワケです。いま日本は「混迷」のなかにあり、
「何でこうなったんだろう?」
と、心に不安を抱いている人も多いかも知れません。ワタシもそのひとりです。
そういう時は、素直に「歴史」から学ぶに限ります。100年前の人間も現代の人間も「同じ人間」です。ましてやワタシたちは、そうした「歴史の教訓」の上に現代を築き上げているのですから、よもや疎かにはできません。
明治維新は、「欧米の侵略」から日本を守るために避けては通れない道だったのです。そう考えた先人たちの「先見の明」があったからこそ、「日本」は結果的に「欧米の植民地」にされずに済んだワケです。
幕末の動乱期に100年後のことを見据えていた「志士」たちが、現代の日本の姿を見たらきっと、
何をやってるんだ!?
と、嘆くことでしょう。怒りに震えることでしょう。
有名無実の政治家や官僚が幅を利かせ、「自己利益の追求」ばかりが横行し、坂本龍馬らが思い描いた「万民が平等な国」とは、雲泥の差があることでしょう。
真に有能な人材は登用されず、利益を囲い込むための「村」は上から下まで蔓延し、そして、そうした「利権村」に入ることを「勝ち組」だなどと、マスコミやメディアが持て囃している時代です。
ワタシたちは100年後のことを想像できるでしょうか?それとも、
もう死んでるから関係ない。
と、開き直るのでしょうか?
幕末には当然インターネットなどありませんから、「志士」と呼ばれた、「十分な知識」を持った人たちはホンの一握りでしたが、いまはどうです?誰もが「志士」たりうる「素養」を持っています。足りないのは「勇気」なのです。
閉塞した現状を変えるという勇気
なのです。「個人革命」を実行する勇気なのです。
以前、「国会議事堂の空白の台座」について、「あの場所は坂本龍馬のために空けてある。」と、私見を述べましたが、首相官邸前の抗議集会を見続けているうちに、その思いは確信に変わりつつあります。
「○○○自ラ盟主ト為リ」の空白の部分を、NHKのドラマの中では「みんな」だと坂本龍馬に語らせていましたが、ワタシもその解釈に大筋で同意します。
ま、「みんな」というよりも「諸侯」とした方が、その後に続く「朝廷ニ奉リ」とシックリくるようにも思うのですが、広い意味で見れば「諸侯」も「みんな」も同義です。
したがって、坂本龍馬のために用意された(と、思わしき)あの「空白の台座」は、龍馬にすれば
ワタシたちに用意された台座
でもあるワケで、坂本龍馬もきっとそれを望んでいると信じる次第です。はい。
人間ナメんなよ!
でわっ!