リオ会議(Rio+20)なるものが、今年の6月20日~22日の3日間に渡りブラジルで開催されたらしいのですが、恥ずかしながら全く知りませんでした。
「RIO+20」レポート第1回
--多様な価値観との出会い
福井エドワード (ルビーインベストメント) 2012/07/20 12:30
<抜粋>
「RIO+20」が6月20日~22日の3日間にわたり開催された。
RIO+20は、10年に1度開かれる国連の環境・サステイナブル分野の会議だ。名称は日本語に訳せば「持続可能な開発のための国連会議」となろう。1992年にリオデジャネイロで開催された同趣旨の会議から20年目にあたるため、「リオ・プラス・ツェンティー」と呼ばれている。
</抜粋>
で、その会議で終盤(最後?)にスピーチをした、ウルグアイのムヒカ大統領(世界で最も「貧乏」な大統領)の演説内容が素晴らしいと多くの人が拡散しているようなので、ワタシも遅まきながらその末席に加えさせていただくことにしました。
<転載>
ムヒカ大統領のリオ会議スピーチ
(訳:打村明)
会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。
ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。
しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。私たちの本音は何なのでしょうか?現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?
質問をさせてください:ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。
息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億~80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?可能ですか?それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?
なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?
マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。
私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?
このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?
このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。
現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。
ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。
このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。
石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。
昔の賢明な方々、エピクロス、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています
「貧乏な人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」
これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。
国の代表者としてリオ会議の決議や会合をそういう気持ちで参加しています。私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。
根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。
私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、1300万頭の世界でもっとも美味しい牛が私の国にはあります。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。
私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。なぜか?バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。
そして自分にこんな質問を投げかけます:これが人類の運命なのか?私の言っていることはとてもシンプルなものですよ:発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。
幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であるということを覚えておかなくてはなりません。
ありがとうございました。
</転載>
こう言っちゃアレですが、どこにでもいるフツーの爺さんに見えます。最初に、「世界で最も貧乏な大統領」と刷り込まれちゃったんで、ナンとなくそう見えてしまうのかも知れませんが、でも、見ようによっては?映画「スパイダーマン」に登場する「ベン爺ちゃん」の姿にも重なります。
大きな力には、大きな責任が宿る。
過去何度も引用した、ワタシのお気に入りのベン爺ちゃんの台詞ですが、この言葉を、いまの日本の「原子力産業」に連座する全ての関係者に問い掛けたい。
あなたたちは責任が取れるのか?
・・・と。
ま、それはソレとして、ウルグアイのムヒカ大統領(エル・ぺぺ)がフツーに見えるのは、悪いことじゃないと思うワケです。だって、エル・ぺぺの言っていることは、少なくともワタシには真っ当なこと(フツー)のように思え、フツーの人がフツーのことを語るのは、ゼンゼン不思議じゃないと思うワケです。
ということは、日本人だってフツーの人は同じように考えているんじゃないか?・・・と。
ここベトナムにしたって、フツーの人は沢山います(市場原理主義者もいますが・・・)。よく利用するセ・オム(バイクタクシー)のオッチャンにしても、エル・ぺぺの演説に同意(ドン・イー)するんじゃないですかね?
ウルグアイの実情を知らないのでアレですが、こういったまとも(フツー)な考え方を持った大統領がいるのであれば、経済的には貧しくても、国民を蔑ろにするような政治は行われないように思うワケですよ。
NEWSポストセブン
復興予算15兆円のうち約6兆円が使われず1兆円を役人ネコババ
2012.07.30 07:00
ま、遠く離れた国の大統領ではありますが、一国の指導者にワタシたちと同じフツーの考え方を持った人がいるという事実に、何となく勇気づけられません?
イカすぜぇw!エル・ぺぺ!
それにね?実は、世界はそういったフツーの人たちが殆どだから、日本のフツーの人たちによる「原発抗議集会」に、アチコチの国でも呼応する動きが現れているように思うワケですよ。
つまり、首相官邸前の集会は日本国内はもちろん、世界中のフツーの人たちと連携する運動としても、その存在と継続意義は十分に有ると思うワケですよ。
野田首相と「首都圏反原発連合」の代表者が会談するらしく、そのことで賛否両論?が見られますが、ワタシに言わせればそんなの
ちいせえ!ちいせえ!
ワタシたちが目指す先は、野田首相だの日本政財界だのよりもっとデカイのです。いま世界中のフツーの人が日本の動向に、ワタシたちの動向に注目しているのです。ここでワタシたちが、
フツーの人間の気概
を世界に見せつけることができれば、世界を丸ごと大きく変革することだって可能なところにまで来ているワケです。
あとは、その自覚が持てるか否か・・・。
人間ナメんなよ!
でわっ!