2011年7月9日土曜日

空白の台座

 このたびの「東日本大地震」にて被災された方々にお見舞いを申し上げるとともに、災害にてお亡くなりになられた方々のご冥福を、心からお祈り申し上げます。


 日本は今、大変キビシイ状況に置かれ、東北の人たちは辛酸を舐めているというのに、イッタイ国会では何をやってるんですかね?イイ年してプロレスごっこですか?


<転載>

前原氏、鳩山前首相に「菅降ろし」共闘呼びかけ

 辞任を表明しながら具体的な時期を明示していない菅直人首相に対し、早期辞任を求めている民主党の前原誠司前外相が今週前半、鳩山由紀夫前首相に電話し、「菅降ろし」で共闘するよう呼びかけた。鳩山氏は回答を留保しているという。

 前原氏は7日にあった自らの議員グループの会合で「代表経験者で集まり、首相に話をしたらという考えもある」と発言した。今後、小沢一郎元代表や岡田克也幹事長に同調を呼びかける可能性もある。

</転載>


 ところで国会議事堂の中央広間には、日本の憲政に貢献した政治家が四隅に鎮座しているワケですが、その一角だけ、台座が空白なのはご存知でした?ワタシは割りと最近知りました。


国会議事堂

中央広間

<抜粋>

広間の四隅には、日本の憲政に貢献した板垣退助、大隈重信、伊藤博文の銅像と、像の立っていない空の台座が置かれている。空の台座が存在する理由については諸説あり、誰の銅像を置くか話がまとまらなかったという説、政治は常に未完であることを象徴しているという説、もっと偉大な政治家になれという戒めの意味で空けてあるという説、皇居にお尻を向けるので避けているという説などがある。空の台座の上には、議会召集の日には、松の大きな盆栽が置かれる。

</抜粋>


 明治維新が薩長土肥の連合によって成されたことは、歴史の時間に習ったことと思いますが、そこから、板垣退助(土佐)、大隈重信(肥前)、伊藤博文(長州)、と台座を分け合ったと考えるならば、当然最後の台座には薩摩の人物が割り当てられても不思議は無いのですが、それに相応しい人物となると・・・大久保利通とか?

 ただ薩摩藩は、「西南戦争」で維新政府にミソつけちゃいまいましからねえ・・・。本来であれば西郷隆盛だって十分にその資格はあるのかも知れませんが・・・。

 で、ワタシとしてはそれとは別に、坂本龍馬の「新政府綱領八策」の一節が、想い起こされたりもするワケです。 


「新政府綱領八策」

第一義
 天下有名ノ人材ヲ招致シ顧問ニ供フ


第二義
 有材ノ諸侯ヲ撰用シ朝廷ノ官爵ヲ賜ヒ
 現今有名無実ノ官ヲ除ク


第三義
 外国ノ交際ヲ議定ス


第四義
 律令ヲ撰シ新ニ無窮ノ大典ヲ定ム
 律令既ニ定レバ諸侯伯皆此ヲ奉ジテ部下ヲ率ス


第五義
 上下議政所


第六義
 海陸運局


第七義
 親兵


第八義
 皇国今日ノ金銀物価ヲ外国ト平均ス


右預(あらかじ)メ二三ノ明眼士ト議定シ
諸侯会盟ノ日ヲ待ッテ云々
○○○自ラ盟主ト為リ 
此ヲ以テ朝廷ニ奉リ
始テ天下万民ニ公布云々 
強抗非礼公議ニ違フ者ハ断然征討ス 
権門貴族モ貸借スルコトナシ


 慶応丁卯十一月 坂本直柔


 最後の、「○○○自ラ盟主ト為リ」の一文がテレビドラマなどでも良く取り上げられ、去年放送されたNHKの大河ドラマ「龍馬伝」でも、この「○○○」に入るのは誰かと問われた龍馬が、「みんなじゃ。」と答えていましたが、ジッサイ龍馬本人の口からは、本当のところは語られなかったのでしょう。

 後年の歴史研究者がアレコレ推測はしていますが、どれも推測の域を出ていません。ならばワタシも便乗して推測するならば、龍馬が編纂に携わった「藩論」のなかでは「投票による選挙」を想定していた事実を踏まえれば、「○○○」を埋めるのは個人名ではなく、「選挙」によって選ばれた「被選者」となるのが妥当に思えます。


近代日本の反権力思想
龍馬の『藩論』を中心に
関家 新助 (著)


 龍馬が「新政府綱領八策」を書き起こした時点では、維新連合にしても幕府連合にしても、「選挙」をすんなりと受け容れるだけの度量も無く、従来の封建的な価値観の延長にあったに過ぎず、真に新しい社会体制を想い描けたのは龍馬ただ一人だけだったのかも知れません。

 そこで、新政府樹立に向けて余計な刺激を与えたくなかった龍馬は、「○○○自ラ盟主ト為リ」とし、みんなの気を待たせるように腐心しつつ、新政府設立を急いだとも推測できます。

 ま、この推論からすれば、テレビドラマなどで龍馬に、「○○○とは、みんなじゃ。」と言わせるのは正しいということになるのですが、そこまで新政府の、そして国政の未来を見据えていた龍馬であれば、「国会の生みの親」として件の「空白の台座」に鎮座する資格は、誰よりもあるように思える次第です。はい。

 思えば・・・と言うか、明治の新政府になってから、坂本龍馬は「忘れられた存在」であったワケですよね?龍馬の数々の功労からすれば、真っ先に新政府によって表彰されるか、業績を政府の公文書として残されてもオカシクないですよね?幕府に政権を返上させたのですから、朝廷がその業績を称えてもイイくらいです。

 恐らく、龍馬は先に行き過ぎていたが故に、封建制度に慣れ親しんだ新政府には理解が出来なかったのでしょう。今のワタシたちには、龍馬の考えた「選挙」というものが当たり前の様に理解できますが、それもこれも、龍馬の意思を継ぐ先人の苦労があったからこそでしょう。

 ハナシが長くなりましたが、ワタシの推論・・・というか希望?の結論として、あの、国会議事堂中央広間の「空白の台座」の上には、坂本龍馬が立っている。・・・と信じます。そして龍馬がワタシたち庶民ひとりひとりに向かい、「おまはんも上がりいや。眺めがイイきに。(適当な土佐弁デス)」と、笑顔で手招きしているように思えます。


ワシと一緒に議会を見守るぜよ。
(適当な土佐弁デス)


・・・と。 


でわっ!