2010年10月17日日曜日

鹿男PART5

 どうも「鹿島」に関してゴチャゴチャになって来ているのですが、確かな事は「奈良の鹿は鹿島から来た」と云う事くらい。しかしそれ以外の、武甕槌命(たけみかつちのみこと)が鹿島の地に天孫降臨より先に入植していた事や、藤原氏が鹿島出身であると云う事、そして藤原氏は本当に中臣氏出身なのか?・・・が、今更ながら分からなくなってきました。

 と、云うのも、
甕星香香背男、または星神香々背男(ほしかかせお?)という、常陸の国の土着豪族の存在があるからです。「日本書紀」によれば、武甕槌命(たけみかつちのみこと)と経津主神(ふつぬしのみこと)が東国侵攻の際にこの甕星香香背男と一戦交えるのですが、なんと!二人は敗れてしまうワケです。そこで次に建葉槌神(たけはつちのみこと)が派遣され、なんとか平定を成するらしいのです。

 この、甕星香香背男は、地元の古老によると
「カウラザメ」と呼ばれ、久慈郡大甕山の倭文神社の伝承によれば、「常陸国久慈郡大甕山の東端に居住していて、太平洋に面する北日本一帯の制海権を握っていた」との事。

 しかも、「星の神様」「目の神様」として祀られていると云う事から推測すれば、甕星香香背男の率いた部族は「海洋民族」であったと考えられます。海洋民族、つまり船を操る民族にとって必要不可欠なのは、夜空の星を見て海上での自分の位置を把握する技術。そして、いち早く陸地を見つける優れた視力だからです。

 そうなると、武甕槌命が鹿島の地に入植する以前に、渡来していた海洋民族が既にその地、常陸の地に居た事になります。

 ストーリーとしては、先に住んでいた「海洋民族」を、後から来た「騎馬民族」が追い出した。・・・となります。しかし、それさえも天孫降臨以前のハナシでしょうから、イッタイ何世紀辺りの出来事になるんですかね?

 それと、中臣氏の存在。多氏系中臣氏がオボである事は間違いないと思うのですが、天孫降臨に従って来た天児屋根命(あめのこやねのみこと)系中臣氏と同じ氏族なのか?

 中臣氏とはシャーマンであり、ひとつの部族が移動する時、必ずシャーマンも遂行したはずです。特に古代においては、シャーマンの存在無しでは戦も儘ならなかったでしょう。そうすると、鹿島の中臣氏は天孫降臨以前の古中臣氏。そして天孫降臨に随行してきた天児屋根命系中臣氏は新中臣氏と考えられます。

 そうした場合、古中臣氏と新中臣氏の間での確執(シャーマンの格争い)も考えられ、藤原不比等が鹿島から鹿を勧請した史実からすれば藤原氏は古中臣であったが、朝廷内では新中臣氏(遅れて来た宗家?)が力を持っていたと云う状況も考えられます。ただ、中臣氏のもう一つの系統、神八井耳命(かんやいみみのみこと)は神武天皇の皇子とされていますから、天孫降臨からずっと後になり、その系統がオボと云うのも解せないです。

 中臣鎌子・・・藤原鎌足は「乙巳の変」で仏教派の蘇我入鹿を亡き者とし、中大兄皇子(天智天皇)と共に「親百済」の朝廷をつくるのですが、「白村江の戦い」に敗れて「壬申の乱」を引き起こし、今度は
天武天皇に親百済派が排除されてしまうワケです。

 藤原氏も当然排除される事になると思うのですが、
鎌足の子不比等は、どういうワケか天武天皇に庇護されたとの事です。「壬申の乱」の当時、13歳と幼かったので処罰の対象にもならなかったらしいのですが、現在の13歳と当時の13歳では状況が少し違うように思えます。元服(大人の仲間入り)が14歳くらいですから、幼少と言うにはムリがある様に思われ、何故?天武天皇が不比等を庇護したのか疑問です。

 天武天皇に関して言えば、その和風諡号「天渟中原瀛真人天皇(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)」
道教的であるらしく、加えて双六を好んだという事から中国文化の影響を受けていたようです。・・・にも係わらず、新羅との関係を重視(新羅と唐の対立)するが故に遣唐使の派遣を中止します。

 「天皇」という称号を最初に名乗った天皇ともされ(それ以前は大王)、天皇と云う称号も、
唐の三代目皇帝、高宗が称していたのをパクッたものかと?更には陰陽道にも入れ込んでいたようで、その業績を見ると、その後に引き継がれる事業を次々と打ち出すのですが、これらを一人で考えたとなるとスーパーマンです。はい。

 話がまた逸れましたが、藤原不比等は天武天皇在位期間中(673年-686年)は雌伏の時期を過ごし、689年31歳の時、持統天皇の代になって再び歴史に現れます。その時既に直広肆(従五位下)の高位にあったそうですから、それ以前より天武天皇のブレーンとして活躍していた事が伺えます。

 しかしそうであれば、天武天皇はなぜ不比等を重用したのか?天武天皇と不比等の関係とは?・・・と、堂々巡りに陥るワケで・・・。そこで可能性の一つとして考えられるのが、不比等の妻が蘇我氏の出自だという事でしょうか?

 でもそうなると、父、鎌足は蘇我氏を謀殺したのですから、父の遺志(反蘇我)に背く?ような行為になるのではないか?・・・とも。

 とは言っても、蘇我氏の中でも殺された蘇我入鹿だけが特別で、乙巳の変の後も他の蘇我氏が朝廷から排除された形跡も無いようなので、それ程の問題じゃなかったのかも知れません。

 いずれにせよ不比等以降、
藤原家から多くの天皇が出ている事実を鑑みれば、天武天皇と不比等の関係を明白にすれば、「奈良の鹿」の謎も解けるんじゃないかと?あと、どうしても避けては通れないのが、半島・大陸との関係でしょう。百済、新羅、高句麗、渤海、唐・・・。

 思うに、日本人というのは元々居た人間(原人)なんてホンの少数で、ワタシたちの先祖はいろんな所からやって来て、長い時間をかけてワタシたちは「日本人になった」という気がします。そして大切なのは、過去をシッカリ理解した上で、これからの日本をどうするか?いまをどう生きるか?・・・ではないかと。

 最後に、ワタシたちが日本人になる為に、その拠り所となったのが「天皇家」と云う存在であったと思うのです。時代時代で日本を支配しようと欲する者は、何らかの形で「天皇家」を利用して来ました(薩長風に言えば)。謂わば「天皇家」は歴史に翻弄された被害者でもあるとも言えるのではないでしょうか?しかし雲の上の存在であるが故に、その事実にワタシたちは気が付かない。そしてワタシたちの・・・日本に暮らす全ての民族の・・・


罪の贖罪


をただ黙々と担われている。そういった意味で、
「ノーパンしゃぶしゃぶ野郎」が宮内庁の長官だなんて、陛下がお気の毒過ぎます。そして現在、検察官僚やマスコミの目に余る横暴振りに、陛下がどれだけ心を痛めていることか・・・。

 そういった意味で、陛下の肩の荷を軽くして差し上げる為にも、ワタシたちはもっと賢くならねばと・・・。


でわっ!