2010年11月28日日曜日

いかに「恐怖」はつくられるか?

 恐怖は人の正常な判断を誤らせます。しかがって、他者を自分の支配下に置こうと画策する者は、恐怖を上手に使って、相手の心をコントロールしようと考え、実行します。

 では、「恐怖」とは何なのでしょうか?それは「無知」から生まれてくることもあります。人類がまだ雷の正体を知らず、「神の怒り」だと思い込んでいた時代、神の代理を語る者が、「神の怒りを恐れよ、そして神を信じよ。」「さもなくば雷に打たれるであろう!」と吹聴すれば、みんなが神の代理人に、

へへwww!

とひれ伏した事でしょう。雷の正体を知っている現代にして見れば、全くバカげた事ですよね?しかしそれと同じ事が、現代社会においても行われていないという保障がどこにあるでしょうか?

お金は絶対に必要である!

・・・とか。

経済は成長しなくてはならない!

・・・とか。

新聞、テレビのニュースが正しい!

・・・とか。

北朝鮮は悪の枢軸である!

・・・とか。

 「神の代理」を気取ったちょっとばかり頭にイイ連中が、この世界を自分の好きなようにしようと画策しているのかも知れませんよ?

 陰謀がどうとかこうとかの次元の話ではなくて、この世界(主に欧米)にはサタニストが厳然と存在することは事実なのです。そして彼らが自分たちの欲望を満たすために、ありとあらゆる手段を用いているであろうことも・・・。

 彼らがサタンを崇拝するのは、自らの欲望を肯定するための「自己弁護」に過ぎません。そんなものは居ないのです。ただひたすらに、利己的な自分の魂に勇気を与えるためにサタンを創造し、偶像を崇めているに過ぎません。

 キリスト教徒が神を信仰する上において、「自らの良心を護る」ために神の助力を求めるように、サタニストも、「自らの利己的な心を護る」ためにサタンを崇拝します。

 それはつまり、人間は完全な善でもなければ、完全な悪でもないという事実を教えてくれます。

 どんな善人の心の中にも必ず悪の種が存在し、どんな悪人の心の中にも、必ず善の種が存在するのです。

 で、ワタシは宗教家ではないので、その種をどうすればいいのかという問題については、宗教家のみなさんにお任せします。ワタシはワタシ自身の信念に従って生きるだけですが、その基となったのは、若かりし頃に読んだ本の数々であったのは事実です。

 文学、哲学、科学、何でもカンデモ興味を引かれた本は読みましたが、その繰り返しが、ワタシという人間を創り上げたのでしょう。もちろん恋愛もしました。失恋もしました。そういった諸々の経験が、年を取るに連れてジグソーパズルのように自分の中で組み上げられ、自分の世界観が出来上がってきたように思います。はい。

 で、本題の「恐怖」ですが、何を恐怖するかも人によって様々だと思います。「生」「老」「病」「死」あたりがメジャー?(仏教において)な恐怖になるのでしょうが、それらの恐怖から逃れたいと人は神仏にすがるワケです。

 例として高度な医療を受けたいと仮定しましょう。ワタシはすぐ高額な医療費が頭に浮かぶのですが、ではそのお金は、医者が対価として求めているお金なのでしょうか?恐らく医者に尋ねてみれば、経費として高額な費用がかかるという答えが返ってくるでしょう。つまり、医療自体とは別な部分で発生するお金だと。

 では、高度な医療の治療費の基となる高額な薬や医療機器が何故?そうも高額なのかと尋ねれば、開発費用に経費がかかったと答えるでしょう。では開発費用とは何なのかと尋ねてみれば、治療機器や新薬に使われる原料や新素材の価格であったり、人件費や手続き上の経費であったり・・・。

 つまりワタシたちが高額な医療費をイメージした時、例えば薬なり器具なり、その原料・開発の段階から、実用化されるまでの全ての工程の経費も含めて心配しているということに他ならないのです。

 なんかバカバカしく思えません?

 しかしそれが現実なのです。そして現実であるから、変えることが可能なのです。みんながその気になれば。そして、韓国のように軍事費に1024億円も突っ込む代わりに、それを医療の分野に振り分けるとどうなります?ある程度は「病」の恐怖から開放される社会になるんじゃないんですか?

 これは一例に過ぎませんが、ワタシは「恐怖」は克服されるべきものだと思うワケです。「恐怖」を「恐怖」としてずっと抱え続ける限り、「恐怖」を利用しようとする者たちの支配から逃れる事は出来ないのです。そのためには、もっともっと賢くならなければならないでしょう。他人の意見に流されない、自分自身を確立する必要があるでしょう。

 あなたの「恐怖」を再確認してみてはいかがでしょうか?


ショック・ドクトリン




ヤラレてたまるかっ!


でわっ!