2007年5月28日月曜日

クメール正月3

もう遠い過去の記憶になりかけちゃってるんですケド、気を取り直して・・・

市場の周りを一回りした後で海を見に行く予定だったのですが、
まぁ、セオムとゴタゴタしたのに懲りたのか、妻が先ずは実家に行こうと。
実家にバイクがあるからそれで海を見に行こうと言うのです。
セオムと値段交渉するに疲れたのでしょう。
(そういうことならホテルを出るときにお土産もって出たのに・・・orz)

成り行きだからしょうがないと諦め、とりあえず妻の実家に向かったのですが、
実家に着くころにはあたりはもう薄暗く、海を見に行く気も萎え気味。
しかも丁度バイクが家に無くて、(これで行かなくてもイイや)と内心ホッ♪
しかしぃ~!妻がワザワザ親戚からバイクを借りてきて、もう行くしかない。と。

で、街灯も無い田舎道をビクビクしながらバイクを走らせること約20分。
妻は海に着いたと言うのですが、波の音が聞こえない???

「本当に海に着いたの?」と聞くと、

「水があるところはもう少し先。」


というので、暗闇の中をバイクのヘッドライトだけを頼りに先に進んだのですが、
どうも・・・ナンか・・・変な感じ???
砂浜らしい気配がゼンゼン無く、泥地の上をひたすら走っているのです。
しかもそのうちに泥地が湿気を帯びてきて、ハタと気がつきました。

「ここの海岸は潟だ!」と。

このまま先に進んで潟にタイヤを取られて抜け出せなくなったらヤバイ!
というワケで、ソッコーUターンしていま来たルートに沿って引き返しました。
まわりはすでに真っ暗。バイクのヘッドライトだけが頼り。
救援を求めても助けが来る可能性は限りなく0%・・・
イヤ~・・・もうね・・・バイクのハンドルさばきには細心の神経を集中しました。
ま、そのかいあって無事に潟から帰還できたんでケド。

で、妻の実家に戻っても近所の人が、なんで日本人がこんなところにいるんだ?
という感じで入れ替わり立ち代り見に来て、落ち着かないことこのうえ無し。
ひと通りご近所さんにご挨拶したところで妻に、「お寺に行こう。」と耳打ちし、
近所のお兄ちゃんにセオムを頼んで、妻の実家から10分ほどの所にある
小さなクメール寺院に向かいました。

お寺は正月を祝うクメール人で結構な込み様。出店もたくさん。
クメール語の正月を祝う読経?がスピーカーからガンガン流れ、
境内は初詣の人と線香の煙とでいっぱい。
境内には盛り土された場所がいくつかあって、初詣に来た人は盛り土に
線香を何本も立ててお祈り(お願い)していました。
盛り土に仏像が飾られていたので、

この盛り土は、須弥山を表しているのだなぁ・・・。


と、納得した次第です。はい。

境内では寺院増築の寄進も募っていて、ワタシも僅かながら寄進しました。
妻いわく、この寺の寄進台帳にワタシの名前が載るとか?
こんなヘンピな場所にあるクメール寺院の寄進台帳に
日本人の名前があるといのもまた酔狂
(そういえばアンコールワットに自分の名を残した日本人がいたような・・・)

プノンペンに比べてソクチャンの正月はロアム(踊り)が無いからつまらない。
と、妻は正月前に言ってましたが、お寺の境内には舞台が設えられ、
カラオケ(クメール語)をやったり、踊りを踊ったり、なかなかおもしろかったっス。
カンボジアの田舎の正月もこんな感じなんだろうなぁ~・・・と思いながら、
人が生きるという事において、

国家というものに、どれだけの意味があるのか?


などと考させられもしました。

ここの人たちはベトナムという国家の中ではよそ者のような存在。
実際、ポルポト時代にカンボジアからこの地に逃げてきた人も多くいます。
そのような難民を快く受け入れてきたベトナムであればこそ、
経済の市場化が進み、田舎にまで投資や開発の手が伸びようと
この地は彼らのために、このままそっとしておいてあげて欲しいと願うのです。

国家と国民。
 
約束の地。

民のために国家があるのか?
国家のために民があるのか?

国家が無くても民はたくましく生き続けるでしょう。
でも、民無くして国家が存続することは出来ません。

やたら国益、国益と力説してる某国の政治家の姿や
基本的に「寄らば大樹の陰」気質の某国の国民の姿を思い浮かべながら
ソクチャンの片田舎で、そんなカンタンなことに得心したクメール正月でした。


でわっ!

2007年5月1日火曜日

クメール正月2

・・・てか、伊藤四郎じゃないけどバタバタしちゃってだいぶ間が空きましたが
気にしない気にしない。
昼寝から目覚めたら外もボチボチ涼しくなっていて妻に、

「ソクチャンの海を見に行きたいなぁ~。」
「で、その後お母さんに新年の挨拶をしてからお寺に行こう。」

とリクエストをして取りあえず外に出ました。
妻が先ずは市場に言ってみようと言うので流しのセオムに乗ったのですが
値段交渉でひと悶着。

妻は3千丼のつもりで”バイガン”と言ったのに、
セオムの運ちゃんはベトナム語の7千丼、”バーイガン”と受け取ったらしく
市場でお金を払うときに妻が文句を言ったのですが
コテコテのベトナム人の運チャンに妻の片言のベトナム語では敵わず
ワタシとしても、

「しょ~がない。あきらめよう。」

と妻をなだめたのでアリマス。
いくらクメール人の多い地区だと言っても、

やっぱり、ここはベトナム

なのですから・・・


市場周辺の一等地?はベトナム人や華僑で占領され、
クメール人は田園地帯に寄り添って住んでいるのですが
まぁ、個人的にはクメール人には農耕生活の方が向いているように思えます。

ワタシは都市生活というものは非常に危ういもののように思うのです。

お金が無ければ何も出来ない。

電気がなければ何にも出来ない。

食べ物が無くなっても、作ることが出来ない。

戦時中や戦後に、田舎に食料の買出しに行っていかにつらい思いをしたか
わかる人にはわかるでしょう。

人は、先ず食べなければ生きていけません。
コンピューターがなくても、車がなくても、家がなくても、人間は生きられます。
でも食べ物が無くなったら100%死にます。
そんなワケで妻の実家が畑を持っているのはとても良いことです。はい。
で、いざ世界的な食糧危機が起きたときにタダ飯食べさせもらうのもアレなんで

(耕運機のひとつでも買っておこうか~?)

と最近HONDAの耕運機にLOVEなワ・タ・シ♪
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FG201。(「プチな」というネーミングがかわいいっス。)
http://www.honda.co.jp/tiller/products/fg201.html


団塊世代の定年組みにも、農業を第二の人生として選ぶ人が多いらしいですが
ワタシとしては大正解だと思います。
自分の口に入れるものに関しては神経質なくらいでないと、
いずれ、狂牛病の牛肉だの、農薬まみれの野菜だのを
なし崩し的に食べさせられるようになるのは明らかです。
自力で食物を生産できない以上、売られている物を買って食べるしかないでしょ?
金儲けばかりを考えている企業がどんな食べ物を供給するのか
誰でもカンタンに分かるはずだし、またすでに”それ”を見てきてるはずです。

人間の生活の根本は食から成り立っているのですから
人間の集まりである国の土台は農林水産業にあると言えるでしょう。
国民に安全な食べ物を供給することが出来ない政府は政府として失格。
ま、国民だってそんな政府を支持しませんが・・・
極論を言えばこの世界の経済システムが崩壊しても
食べ物を作る土地さえあれば女房子供を守ることが出来ます。

ウランは食えませんし、原発は農林水産業を破壊します。
バイオエタノォル穀物相場に悪影響を及ぼすだけしょ?
それが巡り巡って食肉相場にも悪影響を及ぼし
結局、一般市民が危険な肉を食べざるをえなくなる。と・・・
(もちろん金持ちは別です。ナントカウォーターを飲んでいる議員さんみたいに。)
とにかく安全なものを食わせろ!とワタシは言いたい。

で、話が農業問題にまで発展してしまいましたが、
それはさておき、ソクチャンの陽はつるべ落とし。
まわりはどんどん暗くなってきて

(おぉ~?暗闇の中海を見に行くようかぁ~?)

と、ちょっとビビリモードに入ったところでこの続きはまた・・・
(暇があるときに更新しますんで気長にお付き合い下さい。)

 


でわっ!