2011年2月28日月曜日

またやってるよ・・・

 韓国も・・・アメリカも・・・、ワタシから言わせれば、


バッカじゃねぇの?


<転載>
北朝鮮「ソウルを火の海に」米韓合同軍事演習に反発=中国
サーチナ


 北朝鮮の中央通信社によると、朝鮮人民軍板門店代表部は27日、28日から始まる米韓合同軍事演習「キー・リゾルブ」、「フォール・イーグル」に反発し、「韓国がもし挑発を続けるなら、朝鮮は軍事攻撃を展開し、ソウルを火の海にする」と表明した。中国では中国新聞社、チャイナネットなどが報じた。

 朝鮮人民軍板門店代表部は発言中、「米韓合同軍事演習は、北朝鮮の核兵器や核弾道ミサイルに対抗するもの」と反発。「目には目を、歯には歯を」などとして、核攻撃も辞さないとの方針を示した。

 また、声明では、「侵略者が“局地戦”を利用して挑発するなら、朝鮮軍は容赦なく軍事攻撃を展開し、全世界に“火の海戦略”を見せつける」などと警告。昨年11月の、韓国・延坪島(ヨンピョンド)への攻撃に次ぐ武力行使の可能性を示唆した。中国メディアでは、北朝鮮による「ソウルを火の海にする」との過激な発言が、「威嚇」などとして大きく取り上げられた。

 一方、韓国の連合参謀本部の関係者は、米韓による演習「キー・リゾルブ」、「フォール・イーグル」の主眼が、潜在的リスクへの自衛、防御にあると強調。15日にはすでに、板門店を通じて北朝鮮にも知らせてあったとして、今回の米韓合同軍事演習が挑発ではないと主張した。(編集担当:青田三知)

</転載>

 
 一般のアメリカ庶民は、自分の国の軍隊が遥か遠く離れた極東で、「戦争の種」を撒き散している事実を知ってるんですかね?もうね、北朝鮮を叩き潰したくてタマラナイんでしょうな、アメリカ(の一部の人間)は。昨年の「尖閣諸島問題」に絡めたアプローチが上手くいかなかっので、今回は中東を巻き込んだ「民主化運動」を絡めて、北朝鮮を追い込むつもりですかね?

 しかし・・・韓国も韓国だよなぁ、毎月のように軍事演習して湯水のようにお金を使うワケでしょ?そのお金はどこから来るワケ?当然国民の「税金」を使っているワケで、軍事演習で税金をバカスカ無駄使い出来るほど、韓国の経済は潤っているワケ?だったら先の「エジプト革命?」の最中に、自国民救出の為にチャーター機をバンバン飛ばすくらい造作も無かったんじゃないの?


<転載>
<エジプト反政府デモ>韓国政府の粗末な対応に批判=日本や中国を見習え―韓国紙

<抜粋>

「こちらはエジプト・カイロの空港。ここで『野宿』してもう3日になります。おなかが空きました。中国、日本、米国、欧州各国の大使は自国民を保護するために、一晩中空港に滞在していますが、唯一韓国国旗だけ見当たりません」「日本人はお弁当を、中国人はサンドイッチとフルーツを食べています。彼らは食料があまるほどあるので残りを捨てています。韓国大使館職員は数袋のビスケットを持ってきただけですぐに帰ってしまいました

</抜粋>

</転載>


 自国民を蔑ろにして「戦争ごっこ」に明け暮れ、あわよくば、「なし崩し的に本当の戦争が始まったらいいなぁmmm(ワクワク)♪」・・・なんて政府に、よく韓国の庶民は「税金」を納める気になりますなあ・・・。ワタシは・・・


まっぴら御免!


ですわ。

 一方で、アメリカ軍の演習予算はどこから出ているのか?韓国が出している?アメリカ国内ですら財政難の折、
海外の駐留アメリカ軍基地を縮小せよ!という意見が上るなか、さらに演習用の費用を計上するのはヒジョーに難しいのではないか?と。ま、日本の「思いやり予算」も、演習費用に使われているんでしょうから、日本も、韓国とアメリカの「演習」と言う名目の「軍事的圧力」に加担している、


同じ穴のムジナ


なのですね。・・・orz

 「民主化」だの、「演習」だのという状況を演出し、相手を「抗しきれない強制力」の下に置く。このような「人為的に作られる運命」もあり得るということです。「運命」の一言で片付けられるほど、世の中の出来事は簡単には割り切れないのでしょう。先の世界大戦に巻き込まれた多くの国の庶民は、「運命」としてそれを受け容れるしかなかったワケですが、「運命を人為的に創り出した連中」がいた事を認識しなくては、また同じような「運命」に巻き込まれるだけでしょう。

 世界終末論だとか、2012年で終わるマヤ暦の話だとか、旧約聖書の預言だとか、運命的な話にワタシたちが弱いのは、未来を知りたいという欲望があるからです。そしてその欲望を利用し、「運命を人為的に創り出す」ことを画策する連中がいたとしても、何ら不思議ではありませんね。・・・ワタシ的には。


でわっ!

2011年2月27日日曜日

選択と行動

 前回の話の続きになるのですが、ワタシたちの人生は、「運命」と「自由意志」の狭間をウロウロしているワケで、身近なところで例を挙げると、「選挙」も「運命」のひとつと見做せます。

 では何故?選挙が「運命」と見做せるかと言うと、ぶっちゃけワタシたち庶民は自分の仕事、日々いかに生活の糧を得るかが最優先課題で、「政治」なんてメンドウクサイ事に関わっている暇は無いワケです。・・・よね?

 しかしながら、生活の場である「社会」はワタシたちの「共通財産」であり、その財産・・・例えば教育であったり、例えば医療であったり、例えば道路であったりする、所謂、社会的なインフラの「管理者」がどうしても必要になります。で、どうしても必要になるということは、「自由意志」ではなく必然=「運命」とも考えられるからです。

 個人の「自由意志」を貫くということは、「社会」の存続を危うくすることにも繋がり、「社会」の存続を望むのであれば、「管理者」を置かなければなりません。つまり「選挙」はワタシたちにとっては、「社会」を維持する為の、ひとつの「運命」であると考えられますし、選挙においてどの立候補者を選ぶかが「自由意志」に委ねられるワケです。

 これをサンデル教授の例題に当てはめると、ワタシたちはブレーキの壊れた電車(社会)に乗り合わせており、進行方向には分岐点(選挙)があります。選挙立候補者(レール)はそれぞれ、自分に任せてくれれば「社会」を良くします(犠牲者を最小限に抑える)と、街角や駅前のロータリーで演説し、ワタシたちはそれを参考に選挙立候補者(レール)を選びます。で、二番目の例題、線路脇で見ている状態とは、他の国の社会状況(電車)を傍観している状態に置き換えられるでしょう。

 自らが所属する社会に関わる問題は、当事者として「運命」を受け容れるしかないワケですが、他国の社会問題に介入するか否かは「自由意志」です。ま、昨今のグローバル化で、世界中の国々が貿易やら金融やらで相互依存関係を深めている事を思えば、他国の「運命」も広い意味では「運命共同体」として、無関心ではいられないのかも知れませんが・・・。

 しかし、社会という「運命共同体」の内に、個人という「自由意志」が存在し、原則として個人の「自由意志」は尊重されるのと同じで、国際社会においても、基本的には各国の「自由意志」を尊重し、介入は控えるべきなのでしょう。でないと、立場が逆転した場合、こちらが他国から介入される理由付けにもなってしまします。・・・それがフェアな国際関係というものでしょ?
カダフィ大佐、即時退陣を=米大統領が初めて要求


 さて、選挙という「運命」と、投票という「自由意志」の狭間でワタシたちはウロウロしているワケですが、サンデル教授の例題の様に、前方のレールの上に五人居るのか、それとも一人なのか・・・?つまり未来が見えないからワタシたちは悩むワケです。はい。

未来を知ることは出来ない。

この事は好い事なんでしょうか?悪い事なんでしょうか?設問を変えると、未来が判れば社会は必ず良くなるんでしょうかね?

 一方で、「運命」の定義?について考えて見るに、不謹慎を承知の上で例えるなら、自然災害や事故で亡くなられた方々は、

「運」が悪かった。

・・・等と一般的には言われますが、この「運」が、「運命」を指しているという前提に立てば、それがその人の「運命」だったと言っているワケで、そうなると、「運命」の前に個人の「自由意志」は無力であり、「抗いようの無い強制力」が「運命」であるとも意味付けられます。そこで、「抗いようの無い強制力」についてもう少し掘り下げてみるに・・・

 ・・・ま、脳みそが疲れたんで続きはまた別な機会に・・・。


でわっ!

2011年2月26日土曜日

サンデル先生っ!ハイっ!

 先日放送された、「たけしのIQ200 世界の天才が日本を救う」という番組を観た感想をば。

 で、ハーバード大学のマイケル・サンデル教授が提示した例題で・・・

 レールの上を暴走するブレーキの壊れた電車。その前方には分岐点があり、その先はレールが二つに分かれ、一方のレール上では5人の作業員が、もう一方では一人の作業員が線路補修の作業中であり、確実に彼らを殺してしまう状況に陥ったとき、車掌である自分に一人を犠牲にするか、五人を犠牲にするかの選択が迫られ、殆どの回答者は一人を犠牲にする方を選びました。

 次に、線路脇で前述のような状況にたまたま遭遇し、今回は電車の前方には五人の作業員がおり、その状況下で自分の横に立っている大男を線路に突き飛ばせば、五人の作業員が助かるかも知れないという場合に、全くの他人である大男を突き飛ばせるか?・・・という問いには、そんなことは出来ないという意見が大半でした。

 で、このふたつの質問から、大多数の為には個人的犠牲は許されるか?という論点に移るのですが、そもそも例題の条件が異質なワケです。

 最初の質問では運命の内側に自分が存在するが故に、「当事者」の視点であり、次の質問では運命の外側に自分が存在する「観察者」の視点になります。

 最初の質問においては、自分のできる事は二つに一つの選択しかありません。一人の命を救うか、五人の命を救うか?と考えれば、避けられない運命の選択としては、五人の命を救おうと考えるのが妥当な成り行きではないでしょうか。

 次に、自分の隣の大男を線路に突き飛ばすか否か?となると、「観察者」に徹するならば何もせずに、目の前に繰りひろげられる「運命を外側から傍観」する選択もアリでしょう。目の前の「運命」と、ワタシの「運命」は交わらずに存在可能です。そこにはふたつの「運命」が平行した状態にあります。

 大男を線路に突き飛ばすという行為は、ふたつの「運命」が交差することを意味します。「運命」がひとつしか存在しない場合と、ふらつ以上の「運命」が混在する場合とを、ひとつの「命題」の中に押し込めるの不自然ではないか?・・・と、考えた次第です。

 恐らく後者の状況において、大男を線路に突き飛ばす人はまずい無いでしょう。それは、一人の命を犠牲にするか(救うか)、五人の命を犠牲にするか(救うか)の命題とは少しズレます。後者の質問の場合、自分以外の「運命」に関わるかどうかという選択が、余分に存在するからです。

 そして「関わる」と選択した場合でも、大男を突き飛ばさなくても「大声を上げる」など、選択肢には、より幅が生じます。

 後者の問題において、大男を突き飛ばさない理由として「人権」がのぼりましたが、恐らく本質は「運命論」なのです。そして「運命論」こそが哲学の、哲学者の頭痛の種なのです。その弱点?を隠すための
レトリックとして「人権」という命題にすり替えたんですかね?サンデル先生っ!?

 こういった西欧的な「論理展開」に日本人は本当に弱いです。なぜ弱いかと言えば、言葉や思考を体系化しなかったからでしょう。ではなぜ言葉や思考を体系化しなかったのかと言えば、言葉や思考よりも「霊性」を重んじたからです。これは日本人に限らず、アジア全般に見られる傾向かと。

 過去、アジア諸国は西洋に植民地とされましたが、その際に何が西洋の原動力であったかと言えば、「哲学」に他ならないのでわ?

 西洋の「体系化された哲学」に、東洋の「霊的な哲学」が負けてしまったが故に、アジア諸国は植民地化されたのではないでしょうか。西洋の「体系化された哲学」からすれば、東洋の「霊的な哲学」は未熟で野蛮に見え、そしてそれが西洋の優位性を、行動を裏付ける原動力になったのではないかと。・・・はい。

 良くも悪くも日本は「皇国史観」で国内を統一することで、西洋の哲学的な攻勢を、日本の植民地化を、退けられたという一面も否めません。

 もちろんワタシは西欧の哲学を否定するワケではありません。しかし矛盾があるのも事実です。そのひとつが「運命論」なのです。「運命」と「自由意志」に関しては、
ギリシャ以来、西洋哲学のジレンマであり続けているのです。

 翻って東洋人は「運命」を自然に受け容れてきました。もちろん運命を体系付けるなんて不可能ですが、運命の裏側に存在する「神仏」の存在を無意識に受け容れることで、運命の問題も解決?して来たのです。・・・してみると案外、植民地化された国々は、植民地化すら「運命」として受け容れていたのかも知れません。
問題を包括するのが東洋哲学

問題を創造するのが西洋哲学



・・・という我流の括りからすれば、要となるのは「運命」に対する考え方の差かも知れません。

 で、最後に言いたいのは、西洋の「哲学」を学ぶにしても、レトリックに簡単に引っ掛からないようにしましょう。・・・ということですかね。


でわっ!

卒業

「卒業」 尾崎豊


校舎の影 芝生の上 すいこまれる空
幻とリアルな気持ち 感じていた

チャイムが鳴り 教室のいつもの席に座り
何に従い 従うべきか考えていた

ざわめく心 今 俺にあるもの
意味なく思えて とまどっていた

放課後 街ふらつき 俺達は風の 中
孤独 瞳に 浮かべ 寂しく 歩いた

笑い声とため息の飽和した店で
ピンボールのハイスコア 競いあった

退屈な心 刺激さえあれば
何でも大げさにしゃべり続けた

Oh Oh~ Oh Oh~~~~

行儀よくまじめなんて できやしなかった

夜の校舎 窓ガラス壊してまわった

逆らい続け あがき続けた

早く自由になりたかった

信じられぬ大人との争いの中で

許しあい いったい何 解りあえただろう

うんざりしながら それでも過ごした

ひとつだけ 解かっていたこと

この支配からの 卒業





誰かの喧嘩の話に みんな熱くなり
自分がどれだけ強いか 知りたかった

力だけが必要だと 頑なに信じて
従うとは負けることと言いきかした

友達にさえ 強がってみせた
時には誰かを傷つけても

やがて誰も恋に落ちて 愛の言葉と
理想の愛 それだけに心 奪われた

生きる為に 計算高くなれと言うが
人を愛すまっすぐさを 強く信じた


大切なのは何 愛することと
生きる為にすることの区別迷った

Oh Oh~ Oh Oh~~~~

行儀よくまじめなんて クソくらえと思った

夜の校舎 窓ガラス壊してまわった

逆らい続け あがき続けた

早く自由になりたかった

信じられぬ大人との争いの中で

許しあい いったい何 解りあえただろう

うんざりしながら それでも過ごした

ひとつだけ 解かっていたこと

この支配からの 卒業

卒業して いったい何 解かると言うのか

思い出のほかに 何が残るというのか

人は誰も縛られた かよわき子羊ならば

先生あなたは かよわき大人の代弁者なのか

俺達の怒り どこへ向かうべきなのか

これからは 何が俺を縛りつけるだろう

あと何度自分自身 卒業すれば

本当の自分に たどりつけるだろう

Oh Oh Oh Oh Oh Oh Oh~ Oh~
Oh Oh Oh Oh Oh Oh Oh~ Oh~

仕組まれた自由に 誰も気づかずに

あがいた日々も 終わる

この支配からの 卒業

闘いからの 卒業

U U U~ U U~~~ U~U~U~


・・・もうすぐ「卒業」のシーズンですなあmmm。


でわっ!

2011年2月24日木曜日

コリャ・・・サイコー!

 飯山一郎さんのトコにサイコーにイカした動画があったので、便乗して拡散させていただきます。

タイマーズ 税




ついでに・・・

タイマーズ 総理大臣




もう一丁・・・

タイマーズ ロックン仁義




 言葉は要りません。心が何かを感じればイイんです。


でわっ!

2011年2月23日水曜日

背筋がゾッとした!

 「私の闇の奥」というカナダ在住の邦人の方のブログがありまして、その見識の深さにワタシなんぞは只ただ敬服する次第なのですが、人生経験が豊富で、尚且つ博識であられるからか、世俗を離れた超然とした風格を持ち、時事問題に関わるよりも、学問の深遠を探求する方の様にお見受けしていました。

 で、時々ブログを拝見しては自分自身の「器の小ささ」を痛感し、勝手ながら「心の師」と仰いでいたのですが、その藤永先生の最新記事で「エジプト革命」について触れていまして、多少驚いた次第です。はい。


 
So This Is America

<抜粋>

 ところがまことに皮肉で滑稽な事件が講演の現場で起りました。クリントン長官が会場に入ってくると聴衆は立ち上がって拍手で彼女を迎え、着席したのですが、一人の老人男性が背中を講壇に向けて立った姿勢のままで着席しませんでした。講演はそのまま始まったのですが、老人は無言のままで立った姿勢を変えませんでした。しかしクリントンがにんまりと気持ちの悪い微笑を浮かべて「世界中の何百万人かがエジプトの人々に味方するメッセージを送った時、政権は崩壊したのです」と言ったすぐ後に、私服と制服の二名の警官が老人を捕えて手錠をかけ、力づくで会場から引きずり出しました。
“So this is America, this is America, who are you!”
場外に引き出されながら、老人が発する叫びがはっきりとCNN ニュースのYouTube に録音されています。

</抜粋>

Hillary Clinton interrupted by protester 15.02.2011



 
 この、元CIAのご老人が警備員によって外に連れ出されようとするその瞬間、ヒラリー・クリントン長官は勝ち誇ったように薄笑いを・・・本当に・・・嫌mmmな笑みを浮かべるのです。これこそ!「サタン」の微笑み!

 そこに人間的な、血の通った感情は見出せません。まるで、「不潔な下等動物を始末してやった。」と言わんばかりの満足げな微笑みに、生理的嫌悪感を覚えずにはいられませんし、斯様な人間?が世界の指導者としてドヤ顔で大手を振り、また、日本の前原外相が彼女と懇意であることを考えると、前原外相も「同類」の人間なのだろうと思わざるを得ません。

 本当にゾッとする「嫌な薄笑い」です。

 してみると、このような人間が褒め称える「エジプト革命」の実態とはイッタイどういうものなのか、みなさんも薄々お気付きになっているのではないでしょうか?今は多くを語れませんが・・・。


でわっ!

2011年2月22日火曜日

現物差し押さえ

 極東ブログさんトコのコメントを読んで概ねワタシも同じように思うのですが、更にその先を憶測するに、現在の中東における「民主化運動」のウラの意図である、西側諸国による「油田」の差し押さえの意味するトコロは、金融システムの崩壊・・・とまでは行かなくても、世界的な金融システムの行き詰まりの様相が伺えます。

 ありていに言えば、お金が当てにならなくなるので、現物を抑える方向に西側諸国(アメリカが音頭取り?)が動いているのではないか?・・・と。

 もし近い将来、旧来の金融システムが機能しなくなったとしたら、いままで財を溜め込んだ金融資本家は、その資産の殆ど・・・銀行の残高(単なる数字)や、手持ちの債権(単なる紙切れ)が、あっという間に・・・本来の「無」に帰ってしまうワケです。そういった事態を回避するために、


現物(油田)を差し押さえる


方向にシフトチェンジした可能性は十分に考えられます。現物さえ抑えておけばこの先も、彼ら金融資本家連中が経済の主導権、イニシアチブを握ることが出来ますからねえ。つまり現在の中東における一連の民主化運動は、やっぱり「詐欺」になるのか?


報道過熱で米投資家への販売中止!?
ゴールドマン・サックスが富裕層に用意した
フェイスブック・ファンドの光と影



 「革命の先にあるもの」をシッカリ見据えずに、一時的な感情に身を任していては、「サタン」の口車に乗せられてしまうだけでしょう。「サタン」は甘い言葉で囁きかけます。「悪意は常に隠されいる」ものなのです。


独裁者を倒しましょう。

自由を手に入れましょう。


 で、独裁者を倒して・・・自由を手に入れて・・・その後どうするんですか?独裁者が居なくなれば・・・自由が手に入れば・・・生活は必ず良くなるんですか?誰がそれを保障するんですか?「民主化」を応援してくれた国々が助けてくれると?「国連」が何とかしてくれると?それとも自力で国を再建する覚悟があるんですかね?その為の「グランド・デザイン」は既にあるんですかね?・・・ま、ワタシは斯様に思うワケです。

 「軒先を貸して母屋を取られる。」という、ことわざがありますが、ウマイこと言いますね。中東の国々が、「民主化」に浮かれていたら「国」を乗っ取られていた。・・・などという事態にならないことを祈る次第です。そして日本にしても、「開国」に浮かれていたら「アヘン中毒」になっていた。・・・などという事態にならないこと祈る次第です。

 中東の民主化運動の裏に、「油田」を差し押さえるという「意図」が働いているとしたら、その「意図」の意味するトコロは、現在の金融システムの断末魔の悲鳴のようにも聞こえるワケです。そこで賢明な庶民としては、よしんば金融システムがある日突然「心臓麻痺」を起こしても、生き残れるだけのネットワークの構築をしておく必要があるのではないかと。

 一例として、都市部の自治体と農村部の自治体の直接交流=パートナーシップ制度が考えられます。現在でも「姉妹都市」関係を結んだ自治体同士はありますが、それをさらに推し進め、平時から農村部の姉妹都市関係にある自治体の「特産品」や「野菜」などを、都市部の自治体の「直販所」などで販売する、自治体独自の流通システムを構築しておくとか、人的交流として農村部に「開拓農地」を確保しておき、定期的に都市部から研修や課外授業で人員、学生を派遣し、イザ!という時の為の「疎開先」としても確保しておくとか、自治体独自でやれる事はいくらでもあります。

 要は、本当に世界的なカタストロフィー(崩壊)が始まれば、政府に出来ることなど限られているということです。そういったときに頼りになるのは、やはり自分が所属する地域の自治体でしょう。何たって、直接顔を見知っているワケですから・・・。そして自分が所属する自治体であれば、ボランティアであれ、選挙立候補であれ、参加するにもハードルは低いワケでしょ?となれば、若者が政治に参加するチャンスは大いにあります。

 いきなり国政の舞台を目指さなくてもイイじゃないですか。地方自治の方が庶民にとってはより切実な問題です。日本の政治家の老害を嘆く前に、若者はどんどん政治に参加すればイイんです。この先の日本をより長く生きるのは、老人ではなく若者なのですから・・・。自分の未来は自分で切り開く気概を持って欲しいものです。


でわっ!

チャンスだmmm!

<記事転載>
世界の原油相場急騰 リビア情勢緊迫化、先行き不透明

 【ロンドン=有田哲文、ニューヨーク=山川一基】世界の原油相場が急騰している。中東の政情不安が原油産出国のリビアに及び、先行き不透明感が高まったためだ。市場では、最大産油国のサウジアラビアなどに波及することへの懸念がくすぶっている。世界的に警戒感が広がるインフレがさらに進むおそれもある。

 21日の米国市場は祝日で休みだが、ニューヨーク商業取引所の米国産WTI原油の先物価格は、時間外取引で一時1バレル=94.30ドル台をつけた。前週末の通常取引の終値を8ドル以上上回り、2008年10月以来、約2年4カ月ぶりの高値水準となった。

 同市場ではエジプトの混乱が深まった1月末、スエズ運河が閉鎖されるとの観測などから原油相場が高騰。その後は下落傾向にあったが、リビア情勢の緊迫化で21日に大きく値を上げた。

 欧州の指標である北海ブレント原油の先物価格も一時、1バレル=105ドルを上回り、ロイター通信によると約2年半ぶりの高値をつけた。

 日本向けの原油価格の指標となる「ドバイ」の21日のスポット価格(東京市場)は、1バレル=100ドルと約2年5カ月ぶりに100ドル台の高値となった。

 リビアでは石油関連企業の活動に影響も出始めている。英PA通信によると、国際石油資本の英BPが砂漠での原油掘削に向けた準備作業を中止する方向。ロイター通信によると、ノルウェーのスタットオイルや英・オランダ系のロイヤル・ダッチ・シェルでも従業員を退避させる動きが出ている。

</記事転載>


 現在ね?リビアで頑張っている庶民のみなさんには申し訳ないのですが、こういった石油危機の状況は、日本にとっては又と無い産業・技術イノベーションの機会、チャンスなワケです。去年の中国によるレア・アースの輸出規制の際にもね、レア・アースに頼らない技術が考え出されました。アレが平時であったなら、マスコミにも取り上げられなかったんじゃないかと・・・。

中国に多謝

技術は人の命を救う


 既存のシェアを守ろうとする企業の圧力で、ナカナカ新しい技術、特に企業の利益に貢献しないような技術は、どんなにすばらしい技術であっても日の目を見れないワケですが、こういった非常事態になればね?いやおうなく新技術に移行するしかないワケですよ。企業側がいくらゴネようと。

【日本の技術】水から生まれた新燃料




 企業の利益と庶民の利益を秤にかければ、国民の利益を優先するのがまっとうな政治家というものでしょう。何しろワタシたち庶民の「代理人」であるワケだから、そうでなければ彼らを選挙で選んだ意味が無いです。はい。

自家発電のススメ 2


 まあこれを機に、自国で賄えるものはドンドン自国で賄える体制にしておかないと、先行き不透明な世界に対応出来ません。日本の政治家のみなさんも、それくらいの近未来の「グランド・デザイン」は描けるでしょう?ワタシでも思い付くんですから、みんな同じように考えるんじゃないですかね?

 さらにはアレですな、TPP・・・。安い輸入製品とやらにつられて加盟した結果、国内の食料の自給率がガタ落ち。そこに来て今回のリビアのような国内の政情不安や、異常気象で作物の輸出規制なんてされたら、食品の価格は暴騰し、金持ち連中はイイかも知れませんが、庶民の食べる物が無くなってしまいます。そういった危険性まで考慮しないとね?

弱者を人質に取る


でわっ!

2011年2月19日土曜日

日本人の特殊性

 ナンテ書くと、すぐ「島国根性」だとか、「閉鎖的な国民性」だとか、否定的な意見が寄せられそうですが、ジッサイ、複数の文字を使い分ける民族はそう多くはないと思うワケです。「漢字」「ひらがな」「カタカナ」に加え、漢字の読み方にしても、「音読み」「訓読み」さらには「万葉仮名」まであり、ワタシたちはそれらの複雑な組み合わせを、日常生活の中でごく自然に使用しています。

 東(ひがし)一文字にしても、東京(とうきょう)であり、坂東(ばんどう)であり、東(あずま)であるといった具合に、どうしてこうも様々な読み方があるのでしょうか?そしてワタシたち日本人の「脳」は、それを区別し、使い分けられるのでしょうか?

 ひとつ確かなことは、「文字」が「言葉」の後からやって来たということでしょう。つまり「音」に対して「文字」が嵌め込まれることによって、日本語は成立したのだと。漢字は「表意文字」です。一字一字に「意味」が表現されています。例えば宗教の「宗」は、「ウ冠」の下に「示す」で「家」で「示す」の意であり、宗教とは本来?家での教え・・・家訓の様な形態に近かったのかも知れません。

 で、日本語の漢字の読みが複雑な背景には、漢字が輸入される前に、すでに様々な言語が存在していた。・・・という推論が導き出されます。つまり、多数の異民族が共存していた。・・・と。

 
日本に世界が凝縮されている

 ・・・と、以前に例えましたが、もう一歩推し進めると、

 日本一国で世界が完結している

 ・・・と、言い換えても、あながち的外れでは無いかも知れません。であればこそ、江戸時代に「鎖国」政策が採れたのではないか?・・・と。TPP推進論者は「開国」を旗印に掲げますが、「開国」云々はひとまず脇に置いておくとして、日本が「大陸国家」なのか、それとも「海洋国家」なのかを再考したいと思います。

 TPP推進論者の中には、日本は「海洋国家」だから貿易は日本の生命線だと、国家の在り様としてTPPを論じる向きもあるようですが、果たして日本は「海洋国家」なんですかね?「海洋国家」とは歴史的に、「貿易」をしないと成り立たない国ですよね?であれば、日本は「鎖国」をしていた時期に、とっくに消滅していてもおかしくないワケです。しかし実際は「鎖国」している間、日本国内は「自給自足」で経済が回っており、「大陸国家」のように、生活に必要な分の資源は自給出来たワケです。それだけ日本は恵まれた自然環境にあったワケです。

 もちろん限られた資源ですから、それを効率良く利用するために様々な工夫をしたり、また、無駄にしないために「もったいない精神」も自然発生したのでしょう。そしてそれは、現在も一般的な日本人の根底に受け継がれています。


<参考>
地政学(1):海洋国家と大陸国家はどの程度入れ替わるのか?


 まあ、チョット調べれば誰でもスグに判る事ですが、「日本は海洋国家で云々。」・・・などと吹聴している地政学者なるものは、とんだ・・・

イカサマ師ですmmm。




 で、この過去における日本の経験が、この先の世界の変革に役立つのではないか?・・・と。視野を広げれば、この地球そのものが閉鎖された(鎖国)状態なワケです。資源は限られており、それを如何に有効に使うか?そして効率良く分配するか?・・・「鎖国を実践した日本」には、その素養があるのではないか?
先人たちの知恵を活かせるのではないでしょうか。

 様々な人種、様々な文化がハイブリットされた日本ならではの知恵。それはやはり日本人の特質に他ならない様に思えます。その特質を恥たり、否定したりするのではなく、活かしていくのが日本にとっても、ひいては世界にとってもプラスになるのではないでしょうか。

 八百万精神。万物の存在に「共感」する精神性は、原始宗教や、単なる自然崇拝とは少し違うように思います。例として、ケルト民族の「ドルイド教」などが自然崇拝宗教として、八百万精神と同列視されますが、ワタシは似て異なるものと理解しています。両者の根本的な違いは、
ドルイド教は「生贄」を捧げる儀式が在るという点です。

 「血」を求める神とは、イッタイどういった「神」なのでしょうか?一言で言えば「侵略する神」であり、「絶対服従を求める神」です。翻って八百万の神々は「血」を求めるでしょうか?逆に「血」を「穢れ」として嫌います。争いを好みません。そういった宗教観念が培われたのは、日本人が多民族によるハイブリットでるという必然の結果だと考える次第です。


でわっ!

2011年2月17日木曜日

挑戦者mmm!出て来いやmmm!

 都知事選に「ワタミ」とかいう企業の社長が立候補するそうですが、

東京を経営する

というスローガンを目にして、都民のみなさん(江戸っ子)はどう感じるのでしょうか?彼が都知事になった暁には、ワタシたちは東京都という「企業」の、「社員」か何かになるワケですかね?

 ワタシは大いに違和感、嫌悪感を感じますね。如何なる共同体・・・「村」であれ、「町」であれ、「市」であれ、「区」であれ、「都道府県」であれ、「国」であれ、共同体の根幹は「互助意識」に他なりません。そこに「企業意識」を持ち込むことは、共同体の崩壊、破壊を招きます。

 強い者も居れば、弱い者も居る。それが共同体であり、競争原理を持ち込んで、強い者だけが生き残る社会や都政を目指すが如き立候補者を、ワタシは受け容れられません。(と言っても、現在ベトナム在住ですが・・・)

 時は今、あたかも「下克上」の時代。旧来の権力システムが揺らぎつつあるワケですが、それに「引導」を渡せるか否かは、ワタシたちの意識次第です。心ある都民であれば、「我こそわ!」・・・と、是非!都知事選に名乗りを挙げて欲しいものです。

 政治の知識・経験が有ろうが無かろうが、庶民の声を真摯に受け止めることが出来る者であれば、市井に身を沈めている有能な人物が、必ずや助っ人に現れるでしょう。官僚なんかに頼らなくても、人材には事欠かないはずです。星の数ほど居る庶民の一人一人が個性と才能を持っており、いわば有機的な「巨大データベース」のようなものです。その「巨大データベース」を活かすも殺すも、共同体への帰属意識・・・「共感」が持てるか否かにあります。

 「東京を経営する」なんぞは、金融資本主義者が口走る台詞。金融資本主義が現在の世界をいかに歪めてしまったか・・・即ち「人の心」を、「地域共同体」を、どれだけ歪めてしまったか、グラミン銀行の例からも推察できます。

噂のマイクロファイナンスが破綻!?




 先の、エジプトの「革命サギ」にしても、中東に伝染しつつある新たな「革命サギ」にしても、「民主化」などという美辞麗句の裏には、生活に窮した庶民の不満の爆発があります。で、そういった不満の元を作ったのは、独裁政権だけの責任ではありません。独裁政権に寄生して甘い汁を吸っていた「金融資本」の方が、より根本的な貧富の格差の原因なのです。資本主義だろうと共産主義だろうと、

庶民が、庶民の生活をまっとう出来る社会

であれば、ワタシは気にしないと以前に書きましたが、ひとつだけ確かなことは、「金融資本」だけは、庶民を食い物にすることしか考えてないだろうという事です。そういった類の人間に東京を任せるワケにはいかないのです。東京ローカルとしてわ。・・・となれば、

挑戦者mmm!出て来いやmmm!

・・・と、都知事選に立候補する強者(つわもの)、江戸っ子の登場を、遠く異国の地より切に願う次第です。・・・はい。

でわっ!

2011年2月16日水曜日

電気を止められた朝

 朝からパソコンに向かっていると呼び鈴が鳴り、階下に降りて行くと紺色のデニムの作業着と黄色いヘルメットを被った男が立っていました。電気公社の作業員が停電でも知らせに来たのか?と思っていると、案の定・・・「COP DIEN(コップ・ディエン)=電気を止める。」と言うので、「何時から?」と聞くと「今直ぐ。」と言うやいなや、家の中に入ろうとするではありませんか!「チョイ・オイ?何なの?」と、押し留めると、「電気代払ってないから。」

 確かに未払いでしたmmm。テト前に一度、集金人が来たのは知っていたのですが、集金人が来たのが朝早く、ワタシは未だ熟睡中。で、玄関のシャッターに電気使用量の伝票が挟んであったので、そのうちまた出直してくるだろうと放っておいたのです。

 その間も、インターネットと携帯電話の集金人は来たのですが、電気代の集金人は現れず、「来月分に繰越か?」と思っていたら・・・イ・キ・ナ・リ!

「電気を止めます」

ワタシ(以下「ワ」): 「いあや、それは困ります。コンピューターが使えなくなります。」

ワ:「今ここで電気代を支払えますか?」

作業員(以下「作」):「ワタシは只の作業員なので、ココに支払いに行ってください。」

・・・と、伝票に書かれた「電力公社」の住所を示し、

ワ:「支払いが済んだら、電気は直ぐ復帰しますか?」

作:「会社から直ぐに別な人間が来て対応します。」

・・・と言いながら、ブレーカーに手をかけたので、

ワ:「チョット!待ったmmm!コンピューターの電源を切ってからにしてmmm!」

作:「早くお願いしますよ。」

・・・と、いった次第で、大急ぎで「電力公社」に電気代を支払いに・・・。

 幸い「電力公社」は自宅から歩いて5分のご近所。不幸中の幸いというか、電気代は即効で支払いを済ませられたのですが、窓口の女性職員に「いつ電気が使えます?」と尋ねると、「夕方5時前には復帰します。」

ワ:「それじゃあ遅すぎますよ。仕事が出来ません。」

女性職員(以下「職」):「多分、午後2時か3時には復帰しますから・・・」

ワ:「それでも遅すぎますよ。たった今(午前10時半)切られたばかりなんですよ。」

職:「それでしたら、あちらで相談してください。」

・・・そして年配の職員に向かい、

職:「すみませmmmん。外国人がゴチャゴチャ言ってまmmmす。」

ワ:(・・・orz)

・・・と、責任者とおぼしき男性職員の机に案内され・・・

ワ:「仕事中に電気を止められたんです。直ぐに復旧して下さい。」

課長?(以下「課」):「そうは言われても、作業員はもう移動しているでしょうし。」

課:「アチコチ電気を止めて回ってるんですよ。」

・・・(ほほう?ワタシ以外にもテト前に電気代を払いそびれた人が多いのか。)

ワ:「じゃあ、きっと未だ近所にいます。何せ住宅密集地ですから。」

ワ:「作業員の携帯電話に電話して、居場所を確認してみて下さい。」

課:「判りました、お待ちください。ブツブツ・・・」

・・・で、課長?が連絡を取ると、作業員はやはり近所にいたようで・・・

課:「これから作業員がお宅に向かいます。」

ワ:「ありがとうございます。」

課:「電気代の支払いは、お早めにお願いしますよ。ブツブツ・・・」

ワ:「以後、気をつけまmmmス♪」

・・・と、いった次第で、ワタシが自宅に戻った時には既に作業員が待機していて、電気は無事復旧。こうしてブログを書いている次第です。はい。

 にしても、このところ停電が多くて。テト前、テト中は珍しく?停電も無く、(電力公社がんばってるなあmmm。)と思っていたのですが、テトが明けて電力公社も息切れしたんですかね?まあ、停電には慣れっこではありますが、電気を止められたとなると、アクションのひとつも起こしたくなります。

 それにしても、
「電気=エネルギー」に現代人(ワタシ)がどれだけ依存しているか、身をもって味わったワケですが、「じゃあ、このままでいいのか?」という想いもズットあるワケです。ベトナムがエネルギー争奪を目的とした戦争を引き起こすとは思いませんが、世界にはそういった国もありますからねmmm。ましてやタイなんぞは、遺跡を巡ってカンボジアと紛争中です。なぜ?今のご時世に、そこまで過去の遺物に拘りますかね?

 話が逸れましたが、やはりワタシとしては、
エネルギーは自給自足が一番イイんじゃないかと再確認した、「電気を止められた朝」のひとコマでした。これが日本だったら、たぶん「凍死」してるかも・・・。ま、いずれにせよ、今住んでいるトコが便利なトコ(1区)で良かったですわ(家賃高いケド)。はい。

過去記事:

新しい夜明け
http://saigon-ronin.blogspot.com/2010/07/blog-post_20.html

弱者を人質に取る
http://saigon-ronin.blogspot.com/2010/08/blog-post_24.html


でわっ!

2011年2月14日月曜日

善悪の彼岸

 ワタシは勝手な憶測が得意なのですが、一応、「物証」「状況証拠」を基に憶測を展開しています。

 先の「エジプト革命」にしても、革命に至る周りの状況と、革命終結後の状況を素直に見れば、最終的に混乱を収束させたのは「エジプト軍」であり、現在も「エジプト軍」がフロントで全権を掌握しており、「革命」に参加した庶民は蚊帳の外にいます。

 この状況を冷静に見て、

革命が成功した!

と、持て囃す方が不自然なのではないでしょうか?ご存知のように、エジプト軍のパトロンはアメリカ軍です。あるブログで、今回の革命はアメリカ寄りのムバラク大統領を失脚させる為の、「反米」運動でもあると書かれていましたが、そうであれば矛盾しますよね?少なくともワタシにはそう見えます。

 6ヶ月間の暫定政権だと言いますが、6ヶ月間は旧来の社会システム、ムバラク氏が残した社会システムに甘んじなければならないワケですが、「革命」の本分とは何でしょう?

社会システムを変える

それに他なりません。社会システムを変えることなく、ただ集まって騒いでいるだけでは、結果的には「暴動」と何ら変わりないのです。したがって「暴動」後に、暴動の指導者が処罰される可能性すらあります。それも「合法的」にです。旧来のシステム(法律)はそのまま残り、まだ機能しているワケですから。ムバラク時代に投獄された「政治犯」の釈放の知らせもありません。そういった状況を含めて、

革命、未だ成らず


・・・と、ワタシは見たワケですが、勿論ワタシの見方が間違っている事を願う次第です。はい。

 さて、もうひとつ。延々と報道が繰り返されている相撲の「八百長」問題ですが、この問題についても、「物証」、「状況証拠」を基に意見を述べると、現実問題として・・・

誰が被害を被ったの?

 乱暴な言い方になりますが、ヤクザが相撲賭博をして儲けようが、それがワタシたちの暮らしと何の係わりがあるのでしょうか?相撲賭博で稼いだ利益で、どこかの組長がベンツに乗ろうが、ロレックスの腕時計を身に付けようがワタシは一向に気になりませんが、もし相撲賭博が禁止され、別なところから上がりを得ようと、「麻薬商売」に精を出し始めたら、それこそ、庶民の日常生活に深刻な影響を及ぼすでしょう。

 であれば、相撲賭博でも、野球賭博でも、好きな人は自由に賭け事をやればイイんじゃないですかね?博打で身を持ち崩す人も当然現れるでしょうが、「薬物」に汚染されていない健康な体さえあれば、仕事に復帰することは可能です。身を持ち崩した我が身を反省し、仕切り直すしかないです。
ロマン・ロランの言う「良い土地」であれば、再び目を覚ますことは出来るのです。

 しかし、「良い土地」を失ってしまったら・・・「薬物」で体がボロボロになってしまったら、社会復帰は格段に難しくなるでしょう。だからワタシとしては、「薬物商売」をするくらいなら、「相撲賭博」でもしていてくれた方がよっぽど有難いです。ヤクザのみなさんには・・・。それが、ワタシが考えるところの「許容悪」の具体的な一例です。・・・はい。


 しかし世の中には
「八百長」が絶対に許せない人も多いようで、困ったものです。そして、「八百長」を批判する人たちが、相撲が好き故に「批判」するのか?・・・というと、どうもそうではないらしい様です。「相撲」の何たるかも理解せず、「善」と「悪」の二元的な見地から批判を繰り返している様に、ワタシには見受けられます。

愛により為される事は善悪の彼岸に在る。

・・・とわ、確かニーチェの言葉だった様に記憶していますが、ワタシ流にこの言葉を解釈するなら・・・

ニーチェは「バカの壁」を越えていた。

・・・と、受け取れます。「善」と「悪」の間に立ちはだかる「バカの壁」の向こう側に、ニーチェは到達していたのではないか?それがニヒリズムの本質ではないか?・・・と。

 そして、「バカの壁」の向こう側にあるものとは何か?と言えば、

同じ人間だろう?

という、現実に即した「共感」に他ならないのではないでしょうか?
現代人には「共感」が欠如しているのではないか?と、以前にも書きましたが、では、「共感」を失うとどうなるのか?きっと「攻撃的な社会」、「利己的な社会」になるのでしょう。自分以外は「異物」であるワケですから、「異物」を「排除」しようという方向に向かうのは、生物の自然な反応です。

 「タイガーマスク」にしても、ワタシとしては単なる「売名行為?」ではなく、人間の、日本人の、庶民の持つ「共感」の発露であると信じたいです。そしてその「共感」が、日本人のアイデンティティーに裏打ちされたものであれば、この先世界がどんなに激変しようと、ワタシたち日本人は必ずや乗り越えられるだろうと信じる次第です。はい。


でわっ!

洗脳

 洗脳は、繰り返されることで効果を上げる。・・・そうですよね?苫米地英人センセイ?センセイがやっている「サイゾー」のWEB記事を目にしたのですが・・・テレ朝の便乗で泥沼化必至!? 大相撲の八百長問題は当事者の暴露合戦に発展か


記事の結びが、「放駒理事長は自分の発言で自分のクビを締めることになりそうだ。」と、なっているところを見ると、どうやら「サイゾー」としても、角界の「八百長」をネガティブなものに捉えているようです。しかし・・・

自分で自分の首を絞める

とは、片腹痛いですなあ。「悪い事をすれば天罰が下る」とでも言いたいんでしょうか?拡大解釈すれば、マスコミに代わって「神」が天罰を下すと?世論がマスコミに同調しないもんで、今度は「紙」・・・もとい、「神」でも持ち出しますか?


 ワタシの「相撲」に対する見解は既に何度も書いたので、今回は「マスコミ」について・・・

 で、今回の記事の下に、
「誰も書けなかった日本のタブー 」という本へのリンクがありますが、もうね?「角界」がタブーまみれのような「誘導」ですかね?「タブー」を問題にしたいんだったら、マスコミの「タブー」も大いに問題にすべきですね。「角界」の浄化を言う前に、「マスコミ界」の浄化をしては如何でしょうか?

 
「クロスオーナーシップ」とか、新聞販売店に対する「押し紙」の問題とか、マスコミを取り巻く「タブー」はスルーですか・・・。それこそ、「自分で自分の首を絞める」結果になりませんかね?「誰も書けなかった日本のタブー 」という本の内容は存知ませんが、マスコミの「タブー」についても書かれていないと、自分の事は棚に上げっぱなしでは、「社会正義」とやらの説得力がないです。はい。

 で、話は「洗脳」に戻るのですが、人間の脳には・・・

どんな楽曲でも四回聴くと好きになる。

という「癖(くせ)」があるらしく、その辺りは「脳生理学」を勉強した人にとっては、

基本中の基本

 つまり・・・

嘘も100回言えば真実になる

という事です。ただし、重要なのは自分の意識の在り様です。


X51.ORG
閾下刺激 - サブリミナル効果は人に影響を与えるか

<前略>

脳に記録されるサブリミナル・メッセージ

<抜粋>

「何より興味深いのは、我々の脳は、我々が意識していないもの、あるいは意識できないものさえも、記録しているということです。

今回の我々の研究では、サブリミナル・イメージを見た際、例えそれを見たという感覚がなくとも、一次視覚野にはサブリミナル画像に対する明確な反応が残り、我々の注意を引いている、ということが明らかになったわけです。つまり、これらの発見は、サブリミナル広告が脳に何らかの影響を与えることを示唆しています。

しかし今回の実験は、果たしてそうして得たサブリミナルの影響が、実際に人を商品の購買へと駆り立てるのかどうかを示すものではありません。私の見解では、サブリミナル広告は我々の決定に影響を与えていると思いますが、現段階では、まだ予測の域を出ないと言わざるを得ません。」
- ScienceDaily: Subliminal Advertising Leaves Its Mark On The Brain

</抜粋>

</後略>


 上記の実験から導き出されるのは・・・

心が無防備な時に洗脳にかかり易い。

という事です。例えばマスコミが庶民を「洗脳」にかけることを目論んだとするならば、庶民の心が無防備な時間帯に、「ディスインフォメーション」を垂れ流せば効果が絶大だという事です。

 朝、出勤前の慌しい時間帯にニュースを「ながら見」したり、洗濯、掃除が終わって、「ホッと一息」ついた時にワイドショー番組を見たり、夕食時に一家で食事をしながらニュースを見たりしていると、向こう(マスコミ)がその気になれば、あっという間に「洗脳=閾下刺激」されてしまう危険性があるという事です。

 ま、日本のマスコミは、
日本放送協会番組基準

の、第11項 表現6

通常知覚できない技法で、潜在意識に働きかける表現はしない。

・・・を遵守していると信じますがね・・・。

 で、「洗脳=サブリミナル」にかからない様に自衛するのは、いたって簡単です。

まず疑ってかかる。

・・・それだけです。

ニュースの言っていることは本当か?

あのタレントの言っていることは本当か?

あの学者の言っていることは本当か?

あの評論家の言っていることは本当か?


 情報を鵜呑みにするのではなく、そこに少しでも自分の考えを混ぜてみる。

情報を疑うところから学習が始まる。

・・・とは、そういう意味です。そして考える癖が身に付けば、自分が見えてきます。自分が見えてくれば、自分のアイデンティティーが生まれます。そうなれば、一個人としての自分と、個人の集合体である社会との関わり方も変わってくるかも知れません。

 そしてさらに、日本という国の未来も今迄とは違って見えるかも知れませんし、自分が何を為すべきかが見えて来るやも知れません。それ故、「未来を描く」為には、一人一人が自分の頭で考えることが重要になるだろうと思う次第です。それを成し遂げるための「個人革命」なワケです。はい。


でわっ!

2011年2月12日土曜日

エジプト・・・革命未だ成らず?

 今までの「流れ」をざっと振り返ると、

>民衆が蜂起、ムバラク大統領辞任要求デモ。

         

>ムバラク大統領、辞任拒否。デモ崩しに私服警官投入?

         

>ムスリム同胞団は、「革命」勢力に協力。

         

>エジプト軍は、武力鎮圧に消極的。

         

>スレイマン副大統領への権限委譲の妥協案。

         

>民衆の妥協案拒否により、デモ鎮静化失敗

         

米海軍、スエズ運河に展開?

         

アメリカは、エジプトの民主化を一貫して支持。

         

>ムバラク大統領、カイロ脱出。

         

>スレイマン副大統領に代わり、
軍部が全権掌握。

         

        今ここ。

 で、最終的に「全権掌握」したのは「軍」なのですねえ。しかも、エジプト軍のパトロンはアメリカ。この事が何を意味するのか・・・。アメリカがエジプトの「革命」を煽ったワケも見えてきます。表向き「反米」を装いながら、蓋を開けてみたら・・・。

 まあ、ワタシの勝手な憶測なのでご容赦いただくとして、状況的に見て、誰が最後に利を得たかというと、「軍」≒「アメリカ」ですmmm。(現状でわ)


<追記>

NY株、2年8カ月ぶり高値 エジプト情勢好感
米景気回復、期待高まる

2011/2/12 7:29

(確か今月、新ドル札への切り替えが行われる予定でしたよね?)

</追記>


 この先、事態はどう推移するのか?ムバラク氏が権力の座に固執できたのも、彼一人の力ではない様に思います。一緒に「甘い汁」をすすっていた「エジプトの特権階級」の後押しがあったればこそ、ずるずると辞任を引き伸ばしていられたのでしょうが、「ムバラク氏に代わる権力の後押し」が現れれば、「金勘定に長けた人たち」は、サッサと「損切り」をするでしょう。まるでイラクの故フセイン大統領のようですな。

 つまり、ムバラク氏一人に責任を被せて、既存のシステム(特権階級)は温存される可能性が非常に高いということです。そして彼ら特権階級の保護者がアメリカ=エジプト軍だとしたら、今回の民衆による「革命」は完全に「失敗」と見ることができます。ワタシ的には。「早熟」であったと。

 ま、これからエジプトでは選挙が行われるはずですが、エジプトの庶民が未来を描けるか?という点に全てが掛かっているでしょう。そして選挙によって、庶民の声を政治に反映させることが出来たときこそ、「真の革命」、「真の民主主義」が達成されたと言えるのでしょう。

 もうね?聞き飽きた(見飽きた)かも知れませんが、シッカリした「未来」を描くためにも必要なのが「学習」であり、「自分の頭で考える」とういう姿勢です。その為にインターネットを活用しましょうと、繰り返しているワケですが、ツイッターや、フェイスブックは、基本は情報交換のツールであり、情報=学習ではありません。情報を疑うところから学習は始まるのだと思う次第です。はい。

 いずれにせよ、ムバラク氏の追放は、「真の革命」に向けてのチャンスを掴んだという点においては、とても価値のあることには間違いないのですが・・・。


でわっ!

2011年2月10日木曜日

続:相撲に関するアレコレ

 「阿修羅」を覗いたら、「相撲」を非難する記事があったので・・・


相撲の秘密-c
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/221.html
投稿者 asy8 日時 2011 年 2 月 09 日 01:05:11: 3ati27iqg4fYY

>どうやら例によって例のごとく、日本相撲協会は、官僚方式ですべてをうやむやにし、隠蔽する気のようだ。さすがに暴力団組織と長年、深いつながりがあるだけに、隠ぺい工作も熟練している。まるでこの腐敗した日本八百長相撲協会は、どこかの政党のようだ。あるいは、日本経団連のようでもある。すべてをうやむやにして、時の流れのままに世間がすべてを忘れる事を待っている。

「まるでこの腐敗した日本八百長相撲協会は、どこかの政党のようだ。」

 まあ、相撲協会とどこかの政党は同じようなものかも知れませんが、「相撲」と「政治」は別物なので、そのところは混同しないようにお願いしたいです。

>そもそも犯罪捜査を同じ組織内部の人間に任せるということは、隠蔽工作を早くやれと支持命令を出しているようなものだ。組織ぐるみで長年やっている不正行為を、一部の人間だけに押し付け、それで他の処罰を免れようという、トカゲの尻尾切りの典型である。ただ、一部の力士は、正直に八百長の不正行為を告発している。携帯電話のデータは、証拠隠滅のために破壊され、隠され、もはや残っていない。後は証言のみだが、それは期待できない。

>つまり、いつものパターンで、すべて闇に葬られるということだ。今回の不祥事もすべて忘れ去られ、また済ました顔で、何事もなかったかのように相撲は再開されるだろう。そして八百長芝居を今後も続けるだろう。もはやだまされない人もいるが、だまされる人は、何度でもだまされる。むしろだまされたいのだろう。再び相撲は復活する。そして茶番劇を続ける。猿芝居の猿相撲だ。すべてが嘘だらけで、いんちきであり、でたらめである。政治の世界や、役所の世界と同じだ。

「政治の世界や、役所の世界と同じだ。」

 どうも「相撲」と「政治」を一緒にしたいようですが、「相撲」の八百長はワタシたちの生活に影響ありませんが、「政治」の八百長は確実に実被害を及ぼします。

>すべては幻想であり、駆け引きであり、真実は隠されている。常に一般大衆はだまされ続ける。だが、今後の日本相撲協会は変化するだろう。全世界の周囲の見方が違ってくる。もはや日本の相撲には、いかなる権威もなく、いかなる名誉もなく、何の価値もない意味のないダンスである。それが面白いと言う人もいるだろう。そういう趣味の人もいる。それはそういう人だけで楽しめばいいだろう。

「常に一般大衆はだまされ続ける。」

 まあ、「相撲」を「K-1」だとか、「Dream」だとかと同類に思っている人たちは、「ダマサレタ!」と憤るのかもしれませんが、相撲が「儀式」だと判っている人にとっては、逆に「儀式」にケチをつける人のほうが異常に見えます。で、この「儀式」は何の為の「儀式」かといえば、五穀豊穣であったり、国家安泰であったり、日本人のアイデンティティーを確認する「儀式」なのです。例えるなら、「神楽(かぐら)舞」の様なものかも知れません。そこに「趣味」が介在する余地はありません。「神楽舞」は「神楽舞」として、踊り手がいる限り伝承されます。

>しかし、もはや日本の相撲には、いかなる価値もないし、いかなる権威もないし、いかなる名誉もない。番付にも意味はない。勝ち負けにも意味はない。それらはすべて事前に決められている。つまり、相撲の試合には意味がない。相撲の稽古にも意味はない。いったい何の稽古なのか。八百長の稽古か。これはまったく見る価値はない。相撲を中継してNHKが放送する価値はない。それはNHKが、プロレス中継をするようなものだ。それはそれで面白いかもしれないが、そういう趣味の人だけである。相撲も趣味ではあるが、もはや勝ち負けには一切意味はない。そんなものは茶番劇であり、猿芝居だ。何というかあほらしい。

「そんなものは茶番劇であり、猿芝居だ。」

 猿に芝居は出来んでしょう。すばらしい「神楽舞」を上演するには、すばらしい「舞手」が必要なように、相撲が「儀式」であったとしても、否、「儀式」であればこそ、力士という「舞手」の稽古は欠かせないのです。

>真剣に見ている側が馬鹿みたいだ。そんないんちきの八百長試合を誰が応援するのか。そんなものを応援する価値があるのか。また支援する意味があるのか。はじめから勝敗が決まっているのなら、事前に数年先の分まで番付票を印刷して配布するべきだ。事前に勝負が決まっているなら、あらかじめビデオで今後の放送分まで録画しておいたほうが良い。その方が便利だ。もう誰が勝って、誰が負けるのかわかっているのだから、そのスケジュールでやればいいだろう。

「はじめから勝敗が決まっているのなら、事前に数年先の分まで番付票を印刷して配布するべきだ。」

 「神楽舞」は、「神の世界」と「人間の世界」の接点を表現しています。プロレスと相撲の違いは正にそこなのです。相撲は神との関係性の上にありますが、プロレスは?力士の土俵上での取り組みは、神に捧げられるものなのです。つまり、「神」>「力士」>「観客」と、接点が繋がるのです。そして力士は、名勝負=舞を土俵で繰り広げ、観客は興奮し、神との一体感を体験する。そのためには力士の稽古は欠かせないでしょう?

>だいたいにおいて、もはや相撲の稽古などは一切必要ない。稽古などをしても無駄だ。事前に試合前に勝敗が決定されているのだ。相撲の稽古などをしても無意味だ。また筋力トレーニングとか、精神論とか、その他の修行とか、儀式を学ぶ必要もない。そんなものに意味はない。そもそも力士の体さえも必要ない。普通の一般人のままでよい。事前に勝敗が決まっているからだ。ちょんまげとか、まわしも必要ない。そんな格好は、相撲の衣装であり、芝居だ。スーツ姿でネクタイを締めたまま相撲をとってもいいだろう。どういう格好でも変わりはない。事前に勝敗は決まっているからだ。

「稽古などをしても無駄だ。事前に試合前に勝敗が決定されているのだ。」

 全ての取り組みが事前に決まっていたら、ワザワザ外国から力士を呼ぶ必要なんて無いと思いませんか?誰でもなれるんですから。日本人だけでやっていた方がずっと効率的です。新弟子試験も必要ありません。誰でもなれるんですから。

 でも違うでしょ?シロウトには勤まらないから、力士の素養の在るものをスカウトするのです。で、力士の素養とは、土俵上で名勝負を繰り広げられるか否かに尽きるのです。ひょろひょろのサラリーマンにそれが出来ますかね?だれが見たがりますかね?

 二元論的な思考、「全てかゼロか」的な思考に捉われているようですが、人の心も、この世界も、そんなに単純なものではありません。0から1の間には、無限の数字が存在するのです。全てが八百長ではないし、全てが真剣勝負でもない。現実問題として、「儀式」をいかに盛り上げるか。それだけです。

 二元論的な思考=欧米的な思考とは違う、日本的な、東洋的な思考を現在の日本人は忘れかけているのではないでしょうか?日本人のアイデンティティーを自分で否定してどうするのでしょうか?何の得があるのでしょう?アイデンティティーを持つ国と、アイデンティティーを持たない国とでは、どちらが本質的に強いか自ずと明らかです。

 したがって、「相撲」の本質を理解もせず、攻撃や非難を繰り返すマスコミや一部の論客にはガッカリです。日本を破滅に追い込みたいとしか思えません。それが無意識であれ、意識的であれ。

 ・・・それはそうと、陛下のご健康をお祈りいたします。

<転載>
天皇陛下が心臓検査へ 運動負荷で「心虚血」判明
2011/2/9 22:40

 宮内庁は9日、天皇陛下が定期健診で一定以上の運動負荷がかかった際、心臓の血流が悪くなる「心虚血状態」となることが分かり、11日に東大病院(東京・文京)で冠動脈の造影検査を受けられることになったと発表した。

 同庁によると、検査のため11日の宮中祭祀(さいし)を取りやめられるが、日常生活に支障はないという。陛下は定期健診の一環として1月22日に同病院で心機能検査を受けられた。

 心虚血は、心臓を取り囲むように走る冠動脈が狭くなったり詰まったりして、心臓を動かす筋肉に血液や酸素が十分に行き渡らない状態。再検査では造影剤を使って冠動脈の状態を詳しく調べ、今後の治療方針を決める。

 天皇陛下は9日も、ウズベキスタン大統領夫妻との会見など予定通りの公務をされた。

</転載>


でわっ!

2011年2月9日水曜日

逆じゃね?

<転載>
タイ・カンボジア紛争:インドネシア仲介へ 外相を派遣

 【バンコク西尾英之】国境の山岳寺院を巡るタイとカンボジアの軍事衝突で、東南アジア諸国連合(ASEAN)議長国のインドネシアは、仲介のためマルティ外相を両国に派遣した。外相は7日にプノンペン、8日にバンコクを訪れ、両国外相と会談した。しかし仲介受け入れに積極的なカンボジアに対し、タイは国際社会の介入を拒否し、効果を上げるのは困難な状況だ。

 カンボジアのフン・セン首相は、衝突現場であるプレアビヒア寺院周辺に国連平和維持部隊の派遣が必要との見方を示している。タイに比べ小国のカンボジアは、国際社会の支持を得たい考えとみられる。

 タイにとっては、衝突が注目を浴びてイメージが悪化すれば、好調な外国からの経済投資や観光産業に悪影響が及びかねない。カシット外相はマルティ外相との会談後、記者団に「解決策はカンボジアとの2カ国協議以外にない」と強調した。

 タイ国内では反タクシン派の「民主市民連合」(PAD)がカンボジアへの強硬対応を求めてアピシット首相への圧力を強めており、首相は国際社会の停戦要求に安易に応えられない事情もある。

 PADは今後抗議行動をさらに過激化させ、国会などへの突入・占拠も辞さない構えだ。不測の事態を恐れる政府は8日、集会規制を容易にする治安維持法を9日からバンコク中心部に適用することを決めた。

</転載>


 いまこの時期に、遺跡を巡る国境紛争が起きるのは偶然ですかね?エジプトの革命=民主化運動に、タイの支配階級が危機感を感じているからじゃないの?・・・と、憶測したりするワケです。国内の不満を国外に転化するのは、支配者側の常套手段ですから。

 昨年の、「反独裁民主主義同盟」の人たちによる「民主化要求」にしても、「妥協案」としての、11月に予定された総選挙が流れてしまった以上、再度「民主化要求運動」が再燃する可能性は十分に在るワケで、先手を打っての「国境紛争」と、治安維持を名目にした「集会規制」を打ち出したんじゃないか?・・・と。


<転載>
赤服、23日の集会はラーチャプラソンに集結後に民主記念塔に向け移動

 反独裁民主主義同盟のウォーラウット報道官代行は12日、23日に予定されている集会では、13:00にバンコクのラーチャプラソン交差点に集結した後に15:00から隊列を組んで民主記念塔に向け移動を開始し、同所に演台を設置した上で同日24:00頃迄を目処に集会を開催する方針である事を明らかにした。

 また、ラーチャプラソン交差点のショッピングセンターを中心とした事業者団体が、ラーチャプラソン交差点上で集会が開催される事に対して懸念を表明した上でアピシット首相に対して適切な措置を講じるよう要求している事に関しては、同盟は平穏を旨に活動を展開しているとした上で、むしろ事業者側は同盟に対する措置を要求する前に同盟及び拘禁されている幹部に対する公正な措置を首相に要求するべきであると指摘した。

</転載>


 恐らくカンボジア側も、薄々はタイの目論見が解っているんじゃないですかね?本格的な国境紛争に発展する可能性は無いと。であればこそ、未だ以ってタイ=カンボジア間のフライトには全く影響が出ていないワケです。


<転載>
タイ・カンボジア国境 8日は戦闘なし 空の便は通常通り

 【タイ、カンボジア】世界遺産のヒンドゥー寺院遺跡「プレアビヒア」周辺のタイ・カンボジア国境係争地域では8日、4日の武力衝突以来初めて、1日中戦闘が起きなかった。

 カンボジア軍はこの日、捕虜のタイ兵1人をタイ側に引き渡した。

 タイでは6日の戦闘で負傷した兵士1人が死亡し、タイ側の死者は3人になった。

 7日にカンボジアを訪れたインドネシアのマルティ・ナタレガワ外相は8日、バンコクでタイのカシット外相と会談し、平和的な解決を呼びかけた。

 タイ―カンボジア間で定期便を運航するタイ国際航空、バンコクエアウェイズ、エアアジアの3社はいずれも通常通りカンボジア便の運航を続けている。バンコクエアウェイズとエアアジアはニュースクリップに対し、7日時点で搭乗率に大きな影響は出ていないとしている。

</転載>


 となると、今回カンボジアはタイに「貸し」を作る形になりますなあ。タイの国内問題のトバッチリとしての「国境紛争」に付き合ってあげているワケですから・・・。調停に名乗りを上げたインドネシアにしてもイスラム教徒の多い国ですから、エジプトの情勢に無関心ではいられないでしょう。自分の尻にも火が点くかも知れません。・・・というか、世界中の支配層はエジプトの事の成り行きを、ハラハラしながら見守っているんじゃないですかね?


でわっ!

2011年2月8日火曜日

古いものを守ることと、古いものに縛られることとは違う

 相も変わらず、相撲の八百長と政治の八百長を、ごちゃ混ぜにして論じる人がいますが、ワタシは、

それは違う!

と考えています。


天木直人のブログ
八百長報道から見えるもの、それはこの国の欺瞞



飄(つむじ風)
大相撲『八百長』と、日本の『八百長』体質!!



 まず、「相撲」と「政治」の立脚点が、根本から違います。繰り返し述べたように、「相撲」は「神事」であり、それに対して、「政治」は「人事」であるという事です。

 「相撲」という「神事」そのものに罪は無いのです。「神事」を司る「人間」が問題なのです。その問題の原因をワタシなりに整理すると、「畏敬の念」の欠如、つまりは、現代人の「思い上がり」ではないか?・・・と。そして、その「思い上がり」が何に拠るのかと推察するに、「今」に対する知識不足ではないか?・・・と。

 ワタシたちは当たり前のように「今」を生きていますが、ワタシたちが「今」在るのは、「ワタシたち以前」が在ったからですよね?ワタシの先祖が遠い過去において、災害なり、戦争で死んでしまっていたら、ワタシは「今」この時代に存在しないワケです。人類誕生からの続くDNAの連鎖の最先端として、みんながこの世界に存在しています。そうですよね?

 そして、逆にDNAの連鎖を成し得ず、この世に存在し得なかった人たちもいます。先の世界大戦で戦死してしまった方々とか、阪神淡路大震災の被災者の方々とか、関が原の合戦で戦死した武士の家系とか・・・。

 ワタシが、あなたが、「今」ここに存在するという事実の背後には、必ず理由、歴史があるのです。ワタシは、それを正しく理解しましょうと繰り返しているだけです。現在日本中で行われている「儀式」には、過去の時代に生きた人たちの、「思い」や「願い」や「メッセージ」が込められています。

 過去の伝統を手放しで賞賛するワケではありません。中には、間違った伝統や、しきたりもあるでしょう。昔の人の情報量は、現代人に比べ格段に少なかったワケですから、「偏見」や「迷信」に拠る「伝統」があっても当然です。しかし現代人であれば、「偏見」、「迷信」の類はスグに解るはずです。キチンと歴史や常識を学んでいれば。

 ワタシは「相撲」について幾許かネット上で学習し、その結果、「相撲」の本来の姿、意味を知り、後世に伝えるべき「儀式」であると理解しました。守る価値のある、日本の伝統であると。

 一方、話を「政治」に移すと、過去、政(まつりごと)を取り仕切っていたのは一部の特権階級、支配者と呼ばれる人たちであり、庶民は蚊帳の外でした。政治を行う者と庶民との間には、圧倒的な「身分」の違いがあました。

 世界に目を向けても、オーストラリアの「原住民狩り」やナチスの「ホロコースト」、アメリカの「インディアン虐待」や欧米の「黄渦論」、冷静な現代人の目から見れば狂気の沙汰です。そんな愚かさが、「差別」として社会に固定化され、現代まで引き継がれている事実もあります。そして、政治の世界においては「既得権益」として受け継がれ、過去のしがらみに縛られた人が多いことも。

 そういった「伝統」は断ち切らなければなりません。その為にはその愚かさや、利己的な思考や、間違った習慣と向き合う必要がありますが、過去の過ちから目を背けていては解決出来ません。「近代理性」を消しゴムのように用いて、過去をリセットしようとするのは、ワタシは・・・違うんじゃないか?・・・と、思う次第です。

 「身から出た錆」という言葉がありますが、今回の人間の手による不祥事で、「相撲」という昔からの伝統ある「神事」が行えなくなるのも、ワタシたち自身の思い上がりが招いた、

身から出た錆

なのでしょう。自分という存在を、人間という存在を、今の時代であればこそ、改めて考える必要があるのではないでしょうか?


でわっ!

2011年2月7日月曜日

軽薄なマスコミの正義が日本を駄目にする

八百長問題:年内の地方巡業中止 地元はショック

<抜粋>

<前略>

皮肉にも、春場所中止の可能性が報じられた5日以降、売り上げが伸びていたという。

<中略>

2日の疑惑発覚後、「ぜひやってほしい」という電話が連日寄せられ、6日も実行委事務所を訪れ「やめないで」と訴えた市民がいたという。

<後略>

</抜粋>


 戦後、娯楽の少なかった時代に、大相撲観戦がどれだけ多くの人の心を癒したことか・・・。ワタシの世代にしても、ようやくTVが日本中に普及した頃で、みんなが大相撲中継に釘付けになったものです。そして、そういった「大相撲」に思い入れのある世代が、戦後の日本復興の礎になったんじゃないんですかね?

 マスコミの言う「正義」とは、一体誰の為の「正義」なんですかね?自分たちで大騒ぎして相撲協会を糾弾し、春場所を中止に追い込んでおきながら、さも、庶民の味方のような振りをする、まったく身勝手な連中です。「地元はショック」・・・?自分たちで騒いでおきながら・・・

反吐が出るわっ!

皮肉にも、春場所中止の可能性が報じられた5日以降、売り上げが伸びていたという。

 この事実が、大相撲に対する庶民の思い入れを表しているでしょう。みmmmんな、「八百長」なんてどうでも良くて・・・と、言うのは言い過ぎかもしれませんが、結局、相撲が好きなんです。ワタシが特別で、マスコミや両国界隈の人々のように、「正義感」溢れる人たちばかりなのかと思っていたのですが、少し安心しました。


 日本人であれば「秘するが花」という感情は理解出来ると思います。どこかのブログで、「八百長は必要悪」という言葉を見かけましたが、それもチョット違うんじゃないか?・・・と。ワタシは「必要悪」は存在しないと思っています。
在るのは「許容悪」だと。
調和をもたらすものが、「善」であり、
不調和をもたらすものが、「悪」である。


・・・というのが、ワタシが考える「善」と「悪」の基準なのですが、このリクツに基づけば、調和を壊さない程度の「悪」は許容可能なのです。では、「調和」とは何か?と言えば、生活に「笑い」がある事ではないかと・・・。だからみんな「お笑い番組」が好きなのではないかと。

 逆に「不調和」とは、生活から「笑い」を奪い去る行為です。したがって今回マスコミが取った報道姿勢は、「悪」の部類に入るワケです。ワタシのリクツでは。

 大相撲観戦を楽しみにしていた多くの人を悲しませました。つまり「不調和」を社会に与えたワケです。「多くの人が真相の解明を望んでいる。」などと、いかにも庶民の代表のような論調でしたが、実際は、「皮肉にも、春場所中止の可能性が報じられた5日以降、売り上げが伸びていたという。」のであれば、ジッサイは、みんなが大相撲の開催を望んでいたワケです。
「全て明かして」「変わらなきゃ」=相次ぐ不祥事、厳しい声-国技館周辺

 マスコミの全てが「悪意」をもって「八百長報道」を繰り返していたとは言いませんが、「八百長報道」を見て、心を痛めていたいた人も多かったのではないでしょうか?その点でも、今回のマスコミの報道姿勢は「悪」としか映りませんし、マスコミが「悪」であるなら、存在しないほうがマシだと思った次第です。極論ですが・・・。

 ワタシは現在ベトナムに暮らしているので、どうにも歯がゆいのですが、「署名」を集めて、「春場所中止」の翻意を、相撲協会に嘆願したいくらいです。「これだけあなた方は、みんなに愛されているのですよ。」・・・と。そして今回、大相撲春場所を中止にまで追い込んだマスコミの悪行を、庶民は許さないんじゃないでしょうか?




でわっ!

2011年2月6日日曜日

革命の先にあるもの

 相撲と日本人のアイデンティティーにつて、あらかた言いたい事は言ったので、あとは「儀式」を司る当事者の判断に委ねます。ワタシにしても当事者ではないワケですから。だた、相撲の存在意義について、みんながもう一度良く考える機会になった事は、確かではないでしょうか?
春場所中止を正式決定=八百長疑惑で相撲協会-65年ぶり、国技に汚点

 まあ、マスコミの「八百長」批判に対して、相撲協会が毅然とした態度で受け答えできなかったのが、悔やまれてなりませんが・・・。

 さて、イキナリ話はエジプトに移るのですが、「革命」が膠着状態に陥っているみたいで、あまりいい兆候には見えません。昨年、2010年のタイでの民主化運動をホーフツとさせます。タイの場合は「民主化運動」止まりでしたが、エジプトの場合「革命」を標榜してますから、よっぽどの覚悟が無いと大変でしょう。

 で、「よっぽどの覚悟」とは何か?となると、「革命」が長期化してもそれに持ちこたえるだけの「組織作り」ではないか?・・・と。それと、膠着状態を打開する、「次の一手」が打てるか否かになるでしょう。

 
タイの民主化運動の場合もそうでしたが、エジプトにしても「革命」の主体は「庶民」です。それも、経済的な不満を抱える庶民が立ち上がったワケで、日々の暮らしが苦しい中、「革命」に突入したワケですよね?となると、「革命」が長期化すれば、正直、「明日の食べるものをどうしようか?」・・・という逼迫した状況に陥るのは明らかです。

 人間、腹が減れば己の身が可愛くなりますし、それを責める事は出来ません。食べ物を与えてくれる側に寝返る者が出てきたとしても当然です。タイの場合、民主化要求グループを一部のお金持ち?が支援して、運動の長期化にも対応しましたが、エジプトの場合どうなるんでしょうか?

 「イスラム同胞団」という組織が「革命側」に味方しているようなので、エジプト国内のみならず、近隣のイスラム教諸国の同胞(イスラム教徒)からも支援物資が得られるかも知れません。その点では、「革命」が長期化しても持ちこたえられるかと。

 次に、膠着状態を打開する手立てはあるのか?・・・という問題です。人間というものは、同じ事を繰り返しているといつかは「倦み疲れる」ものです。簡単に言うと、飽きてしまうのです。したがって、「革命」を起こすならば「短期決戦」が基本となります。

 過去において「短期決戦」の手段は、「武力」でした。力ずくで「権力者」をその座から引き摺り下ろすのが、一番手っ取り早い方法です。そのいい例が「軍事クーデター」でしょう。軍事クーデターにしても一種の革命です。ただ、庶民が望む社会になるかは別問題ですが・・・。

 現在エジプトは、権力者がその座を降りるのを拒否し、「革命側」も権力者を引き摺り下ろす手立てを欠いているという状況です。傍から見ると、権力の座にしがみ付いているムバラク大統領は見苦しく、いい年をして、まるで聞き分けの無い子供のようです。まるで、どこかの国の総理大臣みたいに・・・。

 最早、ムバラク氏に大統領としての正当性=国民の支持が無いのは明らかです。であれば、臨時にでも新たな指導者を擁立し、新指導者と供に大統領官邸に乗り込むしかない様に思われます。ワタシならそう考えます。

 ま、今回のエジプトを参考にして、指導者の交代が速やかに出来るような国内法の整備が、世界中の国々で必要とされるのではないでしょうか?任期が残っていようがナンだろうが、「不適格」と判断された場合には即刻解任できる国内法の整備が。でないと、時間稼ぎばかりされて、事態は悪くなる一方です。

 そして庶民に求められるのは、一時的な感情に駆られるのではなく、

未来を描け!

ということです。「革命」の、その先にある未来を、生活を、しっかりとデザインした上で行動に当たらなければ、まあ、タイの様に、なし崩し的に「ヘタレ」てしまうのが関の山です。

 そして、未来を描く上で重要となるが、みんなが意識を共有するという事です。おのおのが勝手な未来を描いても、それは徒労に終わってしまうでしょうが、ひとつのグランドデザインに向かえば、必ず実現出来るはずです。で、意識を共有する上で欠かせないのが、知識を共有することです。

 同じ場所をグルグル回っている様で恐縮ですが、ワタシが言わんとする事は、インターネットの普及によって、知識、意識の共有が可能な時代にワタシたちは在る。・・・と、いう事。そして、知識の共有によって、同じ未来図(意識の共有)が描けるか?・・・と、いう事。その為には、「個人革命」によって視野を広められるか?・・・と、いう事。で、全ての基本となる、自己のアイデンティティーを確立出来るか?・・・と、いう事。

庶民が、庶民としての暮らしを全う出来る社会。

そんなにムズカシイ話ではないように思うんですけどね?ワタシ個人としては・・・。


でわっ!

相撲に関するアレコレ

 このところズッと「相撲」に関して書き続けているワケですが、今回もしつこく書きます。

 唐突ですが、「試合」はその昔、「死合」と書いたのをご存知の方も多いかと思います。もうね、読んで字の如く、命のやり取りをしたワケですよ。それが明治期に入って、近代国家らしからぬと、確か?柔道の創始者である嘉納治五郎氏によって、「試合」と書き改められました。

 武道を嗜む方はご存知ですが、武道の「試合」には「作法」が必ずあります。「礼」に始まり、「礼」に終わる。・・・などと言われまして、単なる「礼儀」と、殆どの人は考えているワケですが、では、「誰に対する礼儀なのか?」、「何に対する礼儀なのか?」、よくよく考えたことがあるでしょうか?

 道場などにはよく「神棚」が設えられているので、「神」に対する「礼儀」だと思われがちですが、どうなんでしょうね?先に述べたように、「死合」とは、命を懸けた戦いであり、死ぬ覚悟を持って「死合」に臨んだワケです。昔の武芸者は・・・。自分が勝つという事は、すなわち、相手の命を奪うという事だと理解していました。

 「無益な殺生」という言葉があるように、昔の人は、軽々しく生き物の命を奪うことを戒めました。しかしながら、「死合」の場において武芸者は、「無益な殺生」と知りつつも、お互いに命のやり取りをしなければならない時もあります。その境遇において、「相手の命」に対する尊厳の表れとして、「作法」が誕生した。つまり、武道における「作法」とは、「神」に対してのみではなく、「相手」の「死」に対してもあった。

 ・・・というのが、ワタシの個人的な見解なワケですが、
さて前回、「土俵は神聖な場所」で、女人禁制の場所であることを述べましたが、なぜ女人禁制であるか?ま、日本古来?の考え方ですが、女性は「穢れた存在」だという考え方があります。

 女性の方が不服に思われるのは当然ですが、こればっかりは仕方ありません。何故なら、女性には「生理」があるからです。「生理」の時に女性が流す「血」を以って、女性を「穢れた存在」と考えたワケですが、本質は、「血」なのです。「血」を流すことが、神話の時代より「穢れ」とされたワケです。

 「土俵は神聖な場所である」という事実は、そこで「血」を流すことは厳禁であるという事です。つまり土俵上で、「試合=死合」が行われる事などありえないのです。ガチの取り組みなど、ハナから「神様」は望んでいない。・・・と、いうことです。

 どうでしょう?ここまでで、「相撲」の本質を大体ご理解いただけましたか?相撲は格闘技のように、相手を叩きのめす事を好しとするスポーツとは違うのです。本来は、「神」に五穀豊穣や、国家安泰を願う、「祈りの儀式」であったワケです。国津神と天津神の融和の儀式でもあったワケです。だから「流血」を嫌うのです。ワタシが相撲と日本人のアイデンティティーに拘るのも、日本人がハイブリット民族として自覚を持たなければならないと思うからです。


<参照>
日本人のY染色体亜型の系統は?


</参照>


 「儀式を執り行う当事者以外は儀式に介入するな。」と、ワタシが言っているのは、「力士」がですよ?本気で土俵上で闘ったら、流血どころか、死人だって出かねません。そんな事態になって、各相撲部屋の力士の数が減ってしまったら、「儀式」が執り行えなくなってしまう恐れがあるからです。「力士」の本分は、神に相撲を「奉納」することなのです。本来は。

 まあ、そいった次第で、

春場所中止に断固反対!

するワケです。ワタシわ。
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