2013年8月31日土曜日

ここにも日本とアラブの繋がりが・・・

  
 日本刀の登場と武士の世の始まりは機を同じくし、尚且つ、日本刀はアラブ刀(ダマスカス製)を原型としている・・・即ち、武士の基盤を築いたのは、アラブ地域からの渡来民である・・・というのが、ワタシの「トンデモ史観」なワケですが、その他にも、アラブと日本の古い繋がりを示すものが


鷹狩り


・・・です。


アラブの鷹狩りも日本流


2年前、「アラブの鷹狩り(ARAB FALCONRY)」という本が英国で出版された。

Arab Falconry (Revised English Edition)
£35.00


ROGER UPTON という英人の鷹狩り研究家が、アラブ首長国連邦を中心に、アラブの鷹狩りを50年以上、現地で調査して、まとめた224頁にわたる成果だ。

(中略)

アラブの鷹狩り文化は、ユーラシアの草原の鷹狩り文化とは、一線を画していることが分かった。

ある意味、日本は、アラブ系に含まれる。

前に言ったように、中国で、現存している鷹狩りは、モンゴル・トルコ系。

インドは、ムガール帝国時代の絵画を見ると、やはりモンゴル・トルコ系を示している。

(中略)

思いっきり、仮説を立ててみよう。

左手の鷹狩り文化
エジプト―アラブ~海の道~日本、朝鮮


右手の鷹狩り文化
ユーラシア草原、ペルシャ~草原の道~中国


(以下略)


 正確には、日本の鷹狩りはアラブ流・・・と、言った方が正しいのかも・・・。


日本における鷹狩


古代

日本では支配者の狩猟活動は権威の象徴的な意味を持ち、古墳時代の埴輪には手に鷹を乗せたものも存在する。日本書紀には仁徳天皇の時代(355年)には鷹狩が行われ、タカを調教する鷹甘部(たかかいべ:鷹飼部)が置かれたという記録がある。古代には鷹場が禁野として一般の出入りが制限され、天皇の鷹狩をつかさどる放鷹司(大宝令)/主鷹司(養老令)が置かれた。正倉院に放鷹司関係文書が残っており、長屋王邸跡から鷹狩に関連する木簡が出土している。平安時代には主鷹司が廃止され、蔵人所が鷹狩を管掌する。奈良時代の愛好者としては大伴家持や橘奈良麻呂が知られる。

平安時代においては、初期の桓武天皇、嵯峨天皇、光孝天皇、宇多天皇、醍醐天皇らとその子孫は鷹狩を好んだ。嵯峨天皇は鷹狩に関する漢詩を残しているほか、技術書として『新修鷹経』を編纂させている(818年)。現存する鷹狩技術のテキストとしては世界で2番目に古い。中期以降においても、一条天皇、白河天皇などの愛好者が現れたが、天皇自身よりも貴族層による鷹狩が主流となる。坂上田村麻呂、在原行平、在原業平は鷹狩の名手としても知られた。

鷹狩は文学の題材ともなり、『伊勢物語』、『源氏物語』、『今昔物語』等に鷹狩にまつわるエピソードがある。和歌の世界においては、鷹狩は「大鷹狩」と「小鷹狩」に分けられ、中世にいたるまで歌題の一つであった。「大鷹狩」は冬の歌語であり、「小鷹狩」は秋の歌語である。


 4世紀には既に鷹狩りが行われていたそうですが、鷹狩りの証拠?と思われるのは、古墳時代に作られた埴輪に見られ、飛鳥時代以前から、アラブ系の渡来民が日本に定住していたと考えられます。


群馬県太田市オクマン山古墳(6世紀後半頃)出土埴輪鷹匠


 武士の世の基礎を築いた「平家」は、ペルシャ系ではなかったのか?・・・というTVレポートもありますが、それにしても平安時代末期(1100年頃)からの話で、「鷹狩り」が既に「古墳時代後期」≒「飛鳥時代」にはアラブから伝わっていたとすると、アラブ人の日本への渡来は、イッタイどれだけ遡るのか?


古墳時代





福岡・珍敷塚古墳壁画(6世紀後半頃)



エジプトのセン・ネジェム古墳壁画(紀元前1300年頃)
(茂在寅男著『古代日本の航海術・小学館』)から


 紀元前からアラブ人が日本に渡来していた・・・という可能性も否定しませんが、古墳などの「物的証拠」から確かなことは、「平家」が武士の世の基礎を築いたとしても、それより遥か以前からアラブ系の渡来民が日本にいた痕跡が見受けられ、先の「珍敷塚古墳」が九州・福岡に存在することからも、九州地方にはアラブ系渡来民のコミュニティーが点在し、熊本の菊池氏などは「鷹の羽」を家紋とするところなどからも、アラブ系の血筋を引く氏族であったのかも知れません。


【家紋World】 鷹羽紋


・・・鷹の羽は、古来武人の象徴とされてきた。たとえば元日の節会や御即位の式などには、左右近衛の両陣に鷹の羽を掲げたといわれる。中国においては、武人は冠に鷹の羽をさすことが慣わしともされていた。鷹は俊敏で、その姿は数いる鳥のなかでも群を抜いて誇りに満ちた姿であったことから、武士の間で尊ばれた。

 また、古くより鷹狩りがスポーツとして行われ、それは武を練ることにも通じ、戦国時代では武将のたしなみの一つともされていた。このように、鷹は武士を表すものとして、紋にも取り入れられたようだ。

 「蒙古襲来絵詞」と呼ばれる絵巻が伝わっている。これは文永・弘安の役に活躍した肥後の武士、竹崎季長の戦功を描いた絵巻物で、当時の風俗、武具、旗印、家紋などが、ありし日の姿のままに見られる重要な資料である。この中に、菊池次郎武房が「二枚並び鷹の羽」をかかげて異国の敵に立ち向かっている。これが、もっとも古い鷹の羽紋の記録で、かまくら時代から用いられていたことが知られるのである。

 菊池氏は、肥後国菊池郡に住んでいた大宰少監藤原則隆から起こっている。九世紀から十一世紀の前半にかけて宗家が有力府官として活躍したとされる。そして菊池氏は阿蘇神社の氏子で、阿蘇神社の神紋である「鷹の羽」を紋として用いたようだ。もちろん、阿蘇神社の神官である阿蘇氏も鷹の羽紋を用いていた。

 こうして、鷹の羽紋は菊池氏・阿蘇氏の一族をはじめとして、武士の間に広まっていったようである。徳川氏に仕えた、西郷氏も菊池氏の一族を称し、鷹の羽紋を使用した。・・・


 ま、「鷹羽紋」アラブ系発祥であったにしろ、「武人」のシンボルとして広まり、アラブ系ではない氏族にも浸透したであろうことは想像に難くありません。

 と、ここまで書いて来てフト思い出したのが、「神武東征」の逸話です。


神武天皇


 神武天皇の東征を助けた動物は「烏」と「鳶」ですが、「烏」は道案内をしただけであり、実戦においてその力を振るったのは「鳶」です。「鳶」とは「鷹科」の鳥であり、この神話を読み解けば、アラブ系の渡来民が神武天皇に加勢したとも取れます。




 神武天皇は九州から東征を始めたという通説?を受け入れるなら、先の「菊池氏」のような九州在住のアラブ系氏族が、神武天皇に加勢することは十分考えられますし、さらに言えば、神武天皇はアラブ系の氏族と非常に親しいか、自身がアラブ系であった可能性すら浮上してきます。

 天皇制は天武天皇から始まる制度であり、それ以前の大王(大君)制とは一線を画するのです。したがって、天武天皇以前の歴史を改竄し、天皇制というものを人工的に権威づける必要性から、神武天皇の東征にアラブ系の渡来民が関わっていた・・・もしくは、神武天皇その人自身がアラブ系?であることを秘匿するために、「鷹」を「鳶」へと卑しめた?


天武天皇(673~686年)


 そしてこのことは、明治維新を迎えて「国家神道」が国策になるまで、神武天皇の墓稜は人知れず捨て置かれたという事実と、その周辺に暮らす人たちが被差別部落民であったという事実を鑑みれば、アラブ系の渡来民・・・それも、神武天皇に近しいアラブ系渡来民は、歴史の闇に葬り去られてしまった・・・と。


おおくぼまちづくり館と洞村跡地より


・・・留意しておきたいが、もともと天皇陵より前に洞村はすでに存在していた。歴史の彼方に消えていた神武陵が現在の地に比定されたのはやっと幕末の頃である。

 「畝傍山の東北陵」という書紀の記述より、近在の塚山、丸山(洞村の最上部)、神武田(じぶでん・ミサンザイともいう)の3カ所が候補地とされ、当初は塚山が比定されたがこれは後に二代綏靖陵へ変更され、結局、神武田が神武陵となったが、丸山もなお可能性が残るということで「宮」の文字を入れた石柱で囲まれ祀られていた。

 しかしこの神武田にしても、洞村の古老の話では「ここは直径10mくらいの小塚が2つ並んでいて、もともと地元では糞田(くそだ)と呼んでいた。ひょっとすると牛馬の処理場で、掘ると牛や馬の骨が出るかも」というくらいで、そもそも紀元前660年に即位して127才まで生きたなどという伝説上の人物の墓がどこにあるかなんて分かるはずもない。

 現在ではうっかりすると、二千年以上の神代の昔からあの地に鎮座していたように錯覚してしまうが、亡き住井すゑ氏がかつて言っていたようにまこと「嘘も長いことつき続ければ本当になる」のである。・・・

・・・この江戸時代にはささやかに祀られていた神武田が、俄に現在のような立派な形に整備されていくのは明治維新後であって、そこには無論、天皇制を軸とした国家権力装置としての象徴的な目論みがあったことは言うまでもない。・・・

「驚くべし。神地、聖蹟、この畝傍山は無上極点の汚辱を受けている。知るや、知らずや、政府も、人民も、平気な顔で澄ましている。事実はこうである。畝傍山の一角、しかも神武御陵に面した山脚に、御陵に面して新平民の墓がある。それが古いのではない、今現に埋葬しつつある。しかもそれが土葬で、新平民の醜骸はそのままこの神山に埋められ、霊山の中に爛れ、腐れ、そして千万世に白骨を残すのである。どだい、神山と、御陵の間に、新平民の一団を住まわせるのが、不都合この上なきに、これを許して神山の一部を埋葬地となすは、ことここに至りて言語道断なり。聖蹟図志には、この穢多村、戸数百二十と記す。五十余年にして今やほとんど倍数に達す。こんな速度で進行したら、今に霊山と、御陵の間は、穢多の家で充填され、そして醜骸は、おいおい霊山の全部を浸蝕する。」

後藤秀穂「皇陵史稿」(1913・大正2年)

・・・実際に、昭和天皇崩御の際には機動隊が村中を巡回したり、天皇が参拝のときに乗ってくる「お召し列車」の線路沿い(現在の部落に接している)に警官と近鉄の職員が立ち並んだりと、いまもこの村が権力の監視の対象となっているという話なども聞く。「ここほど天皇制を日常的に感じられる場所はない」とも。 ・・・

・・・せっかくだからと、帰りしなに神武陵も見ておくことにした。かつて「糞田」と呼ばれた小さな塚が、いまでは巨大な権力の衣を幾重にもかぶって、神々しく鎮座している。

 もちろん、それは空虚でひどく愚かしいまぼろしである。立ちつくした私の目の前で、それらの空間はたちどころに色褪せてかき消え、代わりに山のふもとの樹の間から、共同浴場の湯が沸いたと村中に告げる威勢のいい声が聞こえてくる。

 神武陵地に隠された旧洞村の静謐な跡地は、この国の闇を照らし出す貴重なスポットである。機会があったらぜひ一度、立ち寄られたい。・・・


 ま、あくまでも、ワタシの個人的推測です。推測www。





人間ナメんなよ!


でわっ!
 

汎アラブ主義は夢物語であったのか?

  
 「汎アラブ主義」をWikipediaで検索してみると、次のような説明がなされています。


汎アラブ主義


 もともとは、第一次世界大戦前にオスマントルコ帝国の国力を弱めようと、イギリスが血気盛んなアラブの若者に吹聴した「策略」だったワケですが、彼ら・・・若きアラブの指導者たちが、「アラブ民族の自主独立」という純粋な理想に突き動かされたことも事実です。

 オスマントルコ帝国の支配体制が緩やかであったとはいえ、その下には各地の王族の支配体制も敷かれており、そうした「二重の支配体制」の中で、欧米の進んだ社会状況に触れた若者たちが、「閉塞した状況」を打破したいと思うようになるのは、いたって自然な流れと言えます。

 ま、若者はいつの時代もそう変わるものではありません。本質的には「無垢」な存在であり、現代の若者にしても、例えば何かと話題の「在特会」を支持する若者や、「右翼志向」の若者にしても、その行動の本質は


現状を変えたい!


・・・という、かつてのワタシもそうであったように、若者特有の衝動に駆られたものであると理解しています。

 「反原発」にしても何にしても、運動に参加、またはそれを支持する若者は、「現状を変えたい」という心情においては「同等」だということです。

 問題は、そうした衝動がどういった形で「発露」されるかであり、「自愛的」なものなのか?それとも「博愛的」なものなのか?・・・ということです。

 で、イギリスはそうしたアラブの若者たちの心に入り込み、巧みにオスマントルコ帝国の弱体化を図るワケですが、「狡猾な狐」であるイギリスには、やはり「下心」も当然あったワケです。

 イギリスは「汎アラブ主義」を焚きつける前に、多くの学者をオスマントルコ帝国支配下のアラブ各地に派遣し、各地の文化、歴史、部族、人間の関係性などをつぶさに研究した上で、おそらく・・・


アラブ統一など不可能である


・・・という結論に達したのでしょう。

 収集したデータ、研究成果を用いれば、「アラブを自由にコントロールできる」・・・という確信を得た上で、「汎アラブ主義」を大義名分としてアラブの若者を煽り、オスマントルコ帝国の弱体化を成功させ、第一次世界大戦で連合国側を勝利に導いたワケです。

 若きアラブの指導者たちが掲げる「汎アラブ主義」は、高尚な理想ではあるのですが、その実現に向けての「ヴィジョン」に欠けていました。結果を性急に求め、「社会主義」という安易な方向に流れたことで、後日、様々な混乱が発生し、「アラブの統一」も頓挫してしまったワケです。

 イギリスは事前にこの事態を予測していたワケです。長年かけて収集した「アラブ地域のデータ」がそれを導き出しており、即ち、「汎アラブ主義」挫折の最大の原因とは、


アラブ人自身が、アラブについて無知であった


・・・ということです。

 主に遊牧民族が暮らすアラブ地域のことですから、イギリスのように学術調査隊を派遣して組織的に調査しなければ、アラブの全体像はアラブ人ですら把握できないワケで、いうなれば「汎アラブ主義」は、


アラブの理解度


・・・において、イギリスに敗北したと言えます。

 ワタシが歴史にこだわるのは、実はこの点にあるワケで、「外国人排斥デモ」や、いわゆる「右翼」と呼ばれる人たちの運動の行動原理となる「歴史認識」は、


本当に正しいのか?


・・・ということを自己検証しないと、イギリスに翻弄された「汎アラブ主義」のように、何処かの誰かの都合のイイように利用されるだけだ・・・と言いたいワケです。



アラビア半島の「王制国家」と、「非王制国家」

 
 で、いま正にそうした「歴史認識」が、イギリス、フランス、アメリカの、シリアへの軍事介入という局面でも問われているワケです。
 

イラクでの過ちを繰り返すのか?


・・・と。
  
 未来を展望することも大切ですが、いまを生きるワタシに求められるのは


正しい歴史を知る


・・・という、自分の「足場」を固める作業です。これは日本だけに限らず、世界的規模での歴史の再検証も必要です。なぜなら、その時代々の権力者によって、多くの歴史が「捏造」されているからです。



大化の改新はなかった!?


 そのことで世界各地で謂われ無き差別が生まれ、「支配階級」にとっては都合のイイ社会が維持され、その代わりにワタシたちは、「本来の人生の素晴らしさ」からは遠ざけられてゆくワケです。

 「本当の歴史」を知ることによって、従来の既得権益を否定されたり、自己のアイデンティティーが揺らぐ人も現れるでしょうが、それを受け入れ、乗り越えるためにも、先ずは「ひとりの人間としての自分」に立ち戻り、「個としての限界」を理解したうえで、「個を包括する社会」を再構築する・・・というのが、


人間回帰


・・・の言わんとするところなワケです。

 ま、ソレはアレとして、アラブ地域における問題には、次の4点が考えられます。


1.社会制度 2.宗教 3.人種 4.文明


 社会制度は、「王制」と「非王制」の国に別れ、宗教は、大きく分けて「スンニ派」と「シーア派」という、同じイスラム教同士の対立構造があり、人種は、「アラブ人」、「クルド人」、「ペルシャ人」等々・・・と、雑多な民族が混在し、文明は、「シュメール」、「バビロニア」、「エジプト」と、そうそうたる文明が開花した歴史的な地域です。

 こうした諸々の条件を統括する「アラブの統一」なんて可能なのか?・・・と、いう話になるワケですが、例え不可能に見えるようでも、それを見出さない限り、


借り物の歴史認識


・・・に踊らされ、「アラブの統一」はおろか、一国の国内安定さえ儘ならないのが、現在のアラブの状況のように見えてしまうワケです。

 ご存知の方も多いと思いますが、「ユダヤ教」も「キリスト教」も「イスラム教」も、「同根」・・・同じ根っこから伸びた宗教なワケです。大雑把に言えば、


みんな「預言者モーセ」の息子


・・・な、ワケですよ。違うのはその「愛し方」であり、息子たちを平等に愛している「お父さん」が、息子たちが血みどろの争いを繰り返していることを知ったら、さぞかし悲しむでしょうなw。

 そしてそこに、アラブの利権(石油)を目当てに多くの国が介入してくるような事態になれば、アラブの人にとっても「大きな悲劇」となるワケですから、アラブの若者たちには、「フイッター」だの、「フェイスブック」だのと浮かれる前に、


アラブについて勉強し直して頂きたい!


・・・と、お勧めする次第です。そして様々な相違を理解した上で、「何か」・・・そうした相違をも包括する「アラブ独自の遣り方」が見出せたのなら、「アラブの統一」・・・というよりも、争いの無い、平和な共存環境を構築できるものと信じています。要は・・・


知性の勝負


・・・なワケで、感情に流されず、過去、偉大な文明を育んだ先祖に恥じない、現代のアラブの若者の知性を発揮して頂きたいと願う次第です。はい。


シリアに平和を!アラブに平和を!





人間ナメんなよ!


でわっ!
 

2013年8月30日金曜日

わずか3年で崩れた汎アラブ主義の夢

  
 もwwwずいぶん前に引用させていただいた「消滅した国々」さんのトコロから、丸々、シリアとエジプトに関するページを転載させて頂きます。

 できるだけ「オリジナル」に忠実に転載させて頂きますので、ご容赦を・・・orz

 あと、本の宣伝もさせて頂きますので、ここは「バーター」ということでひとつ・・・。


アラブ連合共和国
首都:カイロ 人口:2900万人(1959年末)



その後いろんな経緯があって、この旗は現在シリアが国旗として採用し、「本家」のエジプトはこちらの旗に変わりました


1958年2月22日 エジプトとシリアが合併し、アラブ連合共和国が成立。首都はカイロ

1958年3月 アラブ連邦共和国とイエメン王国(北イエメン)が、アラブ連合を結成

1961年9月28日 シリアがクーデターにより独立

1961年12月 アラブ連合が解散

1971年9月11日 アラブ連合共和国がエジプト・アラブ共和国に改称


アラブの反米勢力といえば、今でこそイスラム原理主義だが、かつてだったら汎アラブ主義(ナセル主義)。前者が「イスラムの大義」を掲げる宗教イデオロギーなのに対して、後者は「アラブの大義」を掲げたナショナリズムだ。

エジプトのナセル大統領はインドのネールやインドネシアのスカルノと並んで、50年代には第三世界のヒーローだった。彼は52年の自由将校団によるクーデターを経て54年に政権を握ると、ナイル川にアスワン・ハイ・ダムを建設して砂漠を農地に変えようと計画したが、ナセルの中立外交に反発したアメリカやイギリスはダム建設の援助を破棄。するとナセルは56年、植民地時代から英仏資本の会社が運営していたスエズ運河を国有化して、その通行料収入で建設費を賄おうとした。驚いた英仏両国はエジプトに侵攻するが、いかにも時代遅れな植民地主義丸出しのこの出兵は国際世論の大反発を受け、英仏両軍はほどなくエジプトから撤退。このスエズ動乱でアラブにおけるナセルの名声は不動のものとなり、ダムもソ連の援助を受けて完成させた。

そんなナセルに急接近したのがシリア。シリアでは46年の独立以来、クーデターの繰り返しで政情不安定が続いていたが、やがて汎アラブ主義と国家社会主義を掲げるバース党(アラブ復興社会主義党)が権力を握っていった。そして「スエズ動乱」を契機に、シリアはナセルの下でエジプトと統合することを決め、58年にアラブ連合共和国を結成する。「アラブ連合」という国名にしたのは、やがてアラブ諸国が次々と合流して、アラブ統一が実現することを期待したから。バース党が合併の道を選んだのは、当時シリアで勢力を伸ばしていた共産党や、イギリスと結びつこうとした右派に対抗するために、アラブ・ナショナリズムを高揚させて民衆の支持を集めようとしたからだった。


エジプトとシリアの合併調印式(1958年)

こうしてエジプトはエジプト州、シリアはシリア州になったが、実際には中央政府はエジプト側に握られ、シリアはエジプトの飛び地になったようなものだった。政府や軍の幹部でシリア出身者が更迭され、エジプト人の登用が増えるとシリア州では反ナセルの声が高まり、ついにクーデターが発生してアラブ連合共和国からの離脱を宣言。統一アラブを掲げた新国家はわずか3年で破局を迎えた。

エジプトは国土の大半を砂漠が占めるが、シリアは穀物輸出をしている農業国で商業も盛んと、経済状況はまるで違った。シリアのほうが断然豊かなのに、政治的にはエジプトの支配下に置かれてしまったのだ。今はアラブ人だといっても、歴史を遡ればエジプト文明の国とメソポタミア文明の国。一時の政治的熱狂で合併しちゃっても、もとからうまく行くわけなかったですね・・・と思いきや、ナセルは1963年4月に再びエジプトとシリア、さらにバース党が政権を握ったイラクも加えて「アラブ連合共和国連邦」の結成を宣言する。もっともこの時はシリアとイラクのバース党同士が手を結び、主導権をエジプトに渡すまいとしたので、正式発足する前にナセルは結成を取り消した。


シリアの分離独立(1961年)


ちなみに58年のアラブ連合には北イエメンも加わっていた。ただしアラブ連合共和国には加わらなかった・・・どういうことかというと、アラブ連合共和国(エジプト+シリア)とイエメン王国(北イエメン)という2つの主権国家で、国家連合の「アラブ連合」を結成したということ。ちょっとヤヤコシイですね。

北イエメンがアラブ連合に加わったのは、当時イギリス植民地だった英領アデン(後に南イエメン=イエメン人民民主共和国として独立)を併合しようと英軍に攻撃を仕掛けていたからで、北イエメンはアラブ連合に加盟すると、すぐに武力支援を求めている。しかしナセルが北イエメンに兵を送ったのは、アラブ連合が破綻した後の62年のこと。北イエメンでクーデターによって王制が倒れ、ナセル主義を掲げる「イエメン・アラブ共和国」が誕生したが、国王派がゲリラとなって内戦になったからだ。北イエメンの内戦は泥沼化し、王制打倒を支援したナセルは王制を維持するアラブ諸国を敵にまわすことになった。

その後、エジプトはひとりで「アラブ連合」を名乗りつづけていたが、70年に死去したナセルを引き継いだサダト大統領は、翌年今度はエジプトと再びシリア、そしてリビアとも組んで「アラブ共和国連邦」を成立させる。加盟3カ国は国旗を統一し、国名を「×××・アラブ共和国」で揃えたので、エジプトも「エジプト・アラブ共和国」に改称した。この連邦はイスラエル包囲網を結成するために作ったもので、軍事や経済、外交の実権は各国に残したままだった。73年にエジプトとシリアは、第三次中東戦争(67年)でイスラエルに奪われた領土(シナイ半島とゴラン高原)を奪還すべくイスラエルに奇襲を仕掛けるが、緒戦はうまくいったものの失敗し、アラブ共和国連邦は77年にリビアとエジプトが対立して消滅した。

「アラブ統一」を掲げ続けることに疲れたエジプトは、78年にイスラエルと和平協定を結んでシナイ半島を返してもらうが、アラブ諸国から大ひんしゅくをかうことになり、サダト大統領は暗殺されてしまう。一方シリアのバース党政権は汎アラブ主義から大シリア主義に転換して、レバノン内戦やパレスチナ紛争に積極介入した。そしてイラクのバース党政権はといえば、サダム・フセイン大統領を最高指導者に仰ぐ「大フセイン主義」になった。もっとも、フセイン大統領はクウェートを併合しようとしたり、イスラエルにミサイル打ち込んだりしたけど、これも汎アラブ主義のつもりだったのか?






歴史ナメんなよ!


でわっ!
 

2013年8月29日木曜日

「プランC」

  
 エジプトの騒乱とシリアの情勢はリンクしている・・・というのが、ワタシの見立てであり、エジプトの「ムスリム同胞団」によるデモの在り方が、あまりに犠牲を強いるやり方であることに世界的な疑問が呈され、「ムスリム同胞団」が派手な行動を取れなくなった途端、今度はシリアでの情勢が急変したワケですよ、状況的に観ると。

 そういう観点からワタシは、エジプトの騒乱はやはり、シリアへの介入の下準備であったとの思いを強くしたワケです。

 もう一度流れを整理しますが、「ムスリム同胞団」はシリアの反政府軍=アルカイダを支持していたワケで、もし、エジプト軍部によるムルシー大統領の排除がなければ、エジプトという強い味方を得て、シリア攻略も「アラブ自身の手によって」完遂することになり、これが「プランA」と考えられます。



 イギリス、フランス、アメリカにとっては、自らの手を汚さずにシリアを攻略できればそれに越したことはないワケで、ムルシー大統領が身柄を拘束された後も、おそらく「ムスリム同胞団」の巻き返しを期待していたのでしょうが、どうも状況的に「同胞団」がスグに巻き返しを図るのは難しい・・・と、判断したのでしょう。

 そこで、「化学兵器使用」という「偽旗作戦」を演出することで、自らが乗り出すことに切り替えたのが「プランB」となるのですが、いかにも動きが性急なのは


時間的余裕がない


・・・という風に受け取れるワケです。

 何に対して時間的猶予が残されいないのか?何度か言っているように


欧州の金融破綻


・・・が差し迫っていると考えればスジが通りますし、ひょっとしたら


独議会選「ギリシャ」で温度差 野党が追加支援主張
2013/8/22 1:25 情報元 日本経済新聞 電子版

【ベルリン=赤川省吾】9月22日投開票の連邦議会(下院)選挙まで1カ月となったドイツで、ギリシャ支援の見直しを巡る与野党の温度差が浮き彫りになっている。最大野党の社会民主党(SPD)は追加支援の必要性を主張するが、議論を選挙後に先送りしたいメルケル首相は立場を明示しようとしない。野党はメルケル陣営の財政政策も批判するが決め手を欠いており、与党がややリードする状況が続く。

(以下略)


・・・という、ドイツの政治的事情が影響している可能性も否めません。

 と、すれば9月22日までにシリア政府を転覆させる・・・というタイムテーブルが組まれているかも?

 9月22日といえば、9月22日以降、アメリカから海外への送金が出来なくなるという情報もあります。


米JPモルガンチェースは、9月22日から海外送金を禁止します。
2013年08月26日14:35


 短い記事ですが、これはアメリカ国内の話です。JPモルガンチェースに口座を持つ個人の預金者に対して、以下のような連絡が届いたそうです。

 つまり、9月22日以降、口座から海外送金ができなくなるそうです。

 これまで、銀行の口座から海外送金ができなくなるなんて。。。聞いたことがありません。アメリカは、この秋から何かとてつもない重大なことが起きそうな予感がしていますが、銀行側(この場合はJPモルガンチェースだけです)も、預金者の口座を凍結しようとしているのでしょうか。何かいやな感じがするのは私だけでしょうか。それと。。。TPP交渉も年末までにアメリカ主導でまとめようとしていますね。なぜ、そんなに急いているのでしょうか。TPPは絶対に交渉がまとまりませんように!

追記:ヨーロッパでは、フランスがかなり危ないらしいです。ギリシャの次にデフォルトするのはフランスではないかと言われているくらいです。世界中の国々が財政破たんしそうです。


 ま、JPモルガンの件は、あくまで一情報に留めておくにしても、現在、ハンガリーでも金融改革が実行されており、「金融カルテル」のグループは追い詰められつつあるのかも知れません。


ハンガリーは銀行の足かせを捨て去る
◆8月28日

 ハンガリーは一級の歴史的ステップを踏みつつある。

 1930年代のドイツ以降、ヨーロッパの主要な国がロスチャイルドが支配する国際的銀行カルテルの支配から逃れようとすることは無かった。これは驚くべきニュースであり、金融的専制から自由になるための戦いを世界的に拡大させるよう愛国的民族主義者に勇気を与えるものとなろう。 
 
 既に2011年、ハンガリーのヴィクトール・オルバン首相は、国際通貨基金(IMF)とテロ国家のイスラエルのの鞭の下に、無限に続く債務にあえぐ奴隷状態に国民を売り飛ばした彼の社会主義者の前任者に対して、正義で応えると約束していた。以前の行政は責任ある立場にあるイスラエル人によって穴だらけにされていたため、大衆の怒りを買い、それで大衆はオルバンのフィデス党を選択した。
 
 ドイツ語サイトの「National Journal」によれば、オルバンはこの高利貸し達を彼らの王座から追い出す動きを始めた。この人気があり民族主義者である首相はIMFに対して、ハンガリーはロスチャイルドの所有する連邦準備銀行の代理者から、更なる「支援」を受けたいとも思わないし必要ともしていないと告げたのだ。これでハンガリー人は民営で訳の分からない中央銀行に高利を搾り取られることがなくなることだろう。

 その代わりに、ハンガリー政府は通貨に対する主権を発揮し、必要に応じて負債なしの通貨を発行する。その結果は顕著なものである。国家の経済は、以前は債務のために停滞していたものだったが、急速に回復しつつあり、国家社会主義のドイツ以来見られなかったものになっている。


 経済大臣は、厳格な予算政策のお陰で、IMFから借りていた22億ユーロは約束の2014年3月よりかなり前倒しして2013年8月12日に支払いを済ませたと宣言した。オルバンは「ハンガリーは投資家から信頼を得ている」と語り、それはIMFでも連邦準備銀行でも、その他のロスチャイルドの金融帝国の手先のことではないと語った。むしろ彼は、それはハンガリー人のためにハンガリーで何かを製造している者たちで、真実の経済成長を生み出している者たちのことを言っているのだ。これは、金権政治の海賊どもの「紙上の繁栄」ではなく、実際に人々を雇用し彼らの生活を向上させる何らかの生産的なものである。

 債務奴隷の足かせ生活から解放されたハンガリーなので、私的な金儲けではなく民間の福利厚生のために政府によって機能するハンガリー中央銀行の会長が、IMFに対して古いヨーロッパの地にあるその事務所を閉鎖するよう要請したことは驚くに値しない。加えて、アイスランドの努力に共鳴して、司法長官が過去三人の首相に対し、多大な負債を国家にもたらしたことで訴訟を起こした。

 ハンガリー内の銀行家らの権力を根底的に破壊するであろう残りのステップは、国家社会主義のドイツにあったような、そして現在ではブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ、つまりBRICS諸国が行っているバーターシステムを導入することである。そしてもしもアメリカがハンガリーの動きを真似るならば、アメリカ人はこの高利貸しの専制から解放され、平和的な繁栄が戻ってくることを期待できるだろう。

ソース:【8月23日 American Free Press】http://americanfreepress.net/?p=12418


 イギリス、フランス、アメリカが揃って強硬な態度に出るのに対して、ロシア、中国が、「売られた喧嘩は買う」・・・というような、軽率な言動、行動は取るのは危険です。迂闊に釣られてしまえば向こう側の「思う壺」・・・「第3次世界大戦」=「金融破綻のちゃぶ台返し」・・・へと引きずり込まれてしまうだけであり、そうなった場合に、その責任をイギリス、フランス、アメリカが、ロシアと中国に擦り付けるであろうことは容易に想像がつきます。

 では、ロシアと中国は、このまま手をこまねいて見ているしかないのか?・・・という話になるワケですが、取り敢えずロシアには「スノーデン氏」という切り札があるワケで、言葉はアレですが、今後、彼を有効に使えるかどうか?・・・という点に掛かって来るように思えます。

 「NSA」の諜報活動を暴露し、世界にアメリカ・・・というよりも、欧州もグルになった情報監視体制を、多くの人に知らしめた「スノーデン氏」に、そして彼の身柄を引き受けたロシアに、次に打つ一手・・・


プランC


・・・はあるのか?となるワケです。

 「プランC」が無いとなると、イギリス、フランス、アメリカは、シリアへの軍事介入を強行するでしょうし、ソレに対してロシア、中国が対峙するのは、


第3次世界大戦


・・・の呼び水になるワケですから、そんなことは世界中のどの国民も望んではいないワケです。

 国と国の衝突、対峙は「戦争」の引き金になるワケであり、そうした「国の暴挙」を押し止めるのは、やはりその国の国論=民意であったり、国際的な世論に頼るしかないワケで、そうした民意、世論を形成するのは「理性」でしかないだろう・・・と。





 勿論、日本としても、シリアへの強行的な軍事介入に対して反対を表明し、世界に対して日本人の意思を明確に示すことが必要であることは、言うまでもありません。


シリアに平和を!アラブに平和を!





人間ナメんなよ!


でわっ!



追記:







【J-CASTニュース】原油高騰、ガソリンは4週連続160円台に シリア情勢を受けて
2013/8/29 14:47

東京商品取引所の原油先物の取引価格が一時、前日比2530円高の1キロリットルあたり6万6750円まで上昇した。2013年8月28日、発表した。シリア情勢の緊迫化などを受けて、2008年9月28日以来、およそ4年11か月ぶりの高値をつけた。

前日の米ニューヨーク・マーカンタイル取引所で、指標となる米国産標準油種(WTI)の10月渡しが前日終値比3.09ドル高の1バレル109.01ドルと、約1年半ぶりに109ドル台に乗せていた。これを受け、東京市場の原油先物と連動するドバイ原油も28日、前日比3.90ドル高の1バレル112.30ドルと、13年2月下旬以来、約6か月ぶりの高値になったため。

一方、資源エネルギー庁が発表した8月26日時点のレギュラーガソリンの店頭小売価格は1リットルあたり160円20銭だった。2週連続の横ばいだが、160円台は4週連続。

灯油も横ばいの100円40銭。軽油は前週に比べて10銭安い137円90銭と8週間ぶりの値下がりに転じた。

調査した石油情報センターは、「シリア情勢を受け、原油に先高観が出ている一方、円高も進んでいることなどから、小幅に値上がりする可能性がある」とみている。


 つまりアレだ・・・イギリス、フランス、アメリカの軍事介入が頓挫すれば、円高の進行も相まって、原油価格は下がり、当然、ガソリン価格も下落する・・・ということでOK?
 

2013年8月28日水曜日

日本刀の形について

  
 シリア絡みの話ではありますが、内戦を離れて、少し歴史的な話をしたいと思います。

 先日ご紹介した「欧米から見た日本」のなかで、ロシア海軍の軍人、ゴロウニンは、次のように述べています。


ゴロヴニン 『日本幽囚記』より

・・・鋼製品はどうかといふと、日本の大小刀は、おそらくダマスク製を除いて、世界中のあらゆる同種の製品を凌駕してゐる。・・・


 この「ダマスク」とは、現在のシリアのダマスカスのことであり、日本刀をも凌ぐ刀剣とは、下の写真のような外観をしています。








ダマスカス鋼


 日本刀の写真も一緒に並べましたが、日本人であれば、「本能的」にふたつの間に何らかの「因縁」を感じません?


日本刀


 ウィキペディアによれば、「日本刀」と呼ばれる、反りを持った刀が日本に現れるのは平安時代末期であり、それ以前は、両刃の直刀が主流でした。


聖徳太子図


平安時代


 平安時代末期を1100年以降とすれば、平氏が勢力を伸ばし始めた頃・・・即ち、武士の世の始まりと符合します。

 八切止夫氏によれば、「武士(ブシ)」とは「不信(ブシン)」が転化したもので、日本刀の始まりとは、従来の両刃の刀の片側を潰したもの・・・だとし、その心は、朝廷、貴族が「武士」を信用してなかったからだ・・・と、いう説だったように記憶しています。

 で、ワタシとしては、この説明には納得できないワケです。「武士」が朝廷から信頼されていたかどうかは二の次として、日本刀の「反り」の説明には説得力に欠けるように思えます。はい。

 ここは素直?に、朝廷、貴族は、「両刃直刀」を奉じる氏族であり、それに仕える武士は、「片刃湾刀」を奉じる氏族であったとする方が、スッキリするワケですw。

 では、そうした「片刃湾刀」を奉じる氏族が、何時、何処から渡来したのか?・・・という話になるワケですが、以前にも少し触れたように、戦国時代に合戦にて「名乗り」を上げて戦う作法は「アラブ流」であり、また、平氏が腰にぶら下げていた刀は「湾刀」であり、しかも「ペルシャ系」であったという証言?を受け入れるならば、中東から渡来した氏族が武士の基盤を築いた・・・と、いうことになります。

 いきなりこんなことを言い出して・・・


頭だいじょうぶ?


・・・と、思われそうですが、先に示したダマスカス鋼製の刃物と日本刀を並べて見て、ワタシの「本能(DNA)」が、シリアと日本の因縁を想起させるワケです。





 また、歴史的時系列からも、日本刀の登場と武士の世の始まりが合致することを鑑みれば、当時の日本の支配氏族が入れ替わったとも考えられるワケです。

 武士の世になったとて、旧来からの土着氏族が、すんなり新参渡来氏族である武士階級(当時は平家)に従うとも思えず、平家としても朝廷の威光を利用することによって、日本の統一(支配)を目指したと考えられます。

 そしてこのことが、現代まで続く「日本の二重構造」を決定付けたとも考えられます。で、ここで話が逸れますが、ワタシ個人としては、「二重構造」というもの対してそれ程否定的ではありません。

 「二重構造」とは、視点を変えれば「相互監視」=「二重チェック」のシステムであり、左右に大きく触れる振り子を、「中道」に引き戻す働があるからです。これは、日本人が歴史上の経験から身に付けた・・・「特有の知恵」・・・と、言えるかも知れません。

 再び、「欧米から見た日本」・・・から引用します。


オールコック 『大君の都』より

・・・どの役職も二重になっている。各人がお互いに見張り役であり、見張り合っている。全行政機構が複数制であるばかりでなく、完全に是認されたマキャヴェリズムの原則にもとづいて、人を牽制し、また反対に牽制されるという制度のもっとも入念な体制が、当地ではこまかな点についても精密かつ完全に発達している。・・・


 物事の決定においては、「迅速性」に欠けるシステムではありますが、その「正確性」を図るには適したシステムであると思うワケです。

 しかし近年、こうした旧来からの「作法」を嫌う日本人が増えたようで、「ねじれ国会」などと、「二重チェックシステム」を批判しているマスコミには、全く困ったものだ・・・と。

 元エンジニアとしての個人的見解ですが、何事にも「フェイル・セーフ」の考え方は大切であり、正に福島第一原発の事故なんぞは


フェイル・セーフの大欠如


・・・であったが故に、被害の拡大を今日まで止められないという、日本人としては世界に顔向けできない、情けない状況に陥ってしまっているワケです。

 ま、ソレはソレとして・・・何の話でしたっけ?

 そうそう、一言で言えば、シリアと日本は古い因縁で繋がっている・・・と、言いたかったワケです。

 少なくともワタシの「DNA」はそう言っているワケで、「DNA」の故郷?であるシリア(中東)に対しての、アメリカ、イギリス、フランスの独善的な軍事介入には、憤懣やるかたないワケですよ!

 で、結局のところ・・・


シリアに平和を!アラブに平和を!


・・・と、いうことで。






人間ナメんなよ!


でわっ!
  

2013年8月27日火曜日

【動画】 参議院不正選挙訴訟記者会見

  
【 1/4 】



【 2/4 】



【 3/4 】



【 4/4 】



 いまさらですが、選挙における投票所の実態を知らなさ過ぎます・・・ワタシたちは。

 選挙方法全般の見直しから始めないと、日本の政治・・・即ち、社会状況を変えることは難しいのかも知れません。

 ま、各投票所の管理運営は、総務省から、各地方自治体の選管に一任されているワケですから、各地方自治体の住民運動(市町村単位)によって状況の改善は図れるワケですし、住民である一般の人たちによる投票所、選挙管理委員会の監視体制が鍵を握っていると言えます。

 というか、「公正な選挙」を実現するには、本来ソレが必要不可欠なワケであり、各地方自治体の住民の方々の、これからの奮起が求められているワケです。

 全国の農民の方々だとか、漁師の方々だとかにしても、原発事故の影響で生活圏を奪われてしまった福島第一原発周辺の同業者の現状を、他人事だと呑気に構えていられますか?

 事故責任を誰一人として問われず、生活に対する保障すらケチろうとしている今の政府は「オカシイ」と思いますよね?

 だったら、「マトモ」な代表を選出し直すしかないワケですよ、現状でわ。そしてそのためには、


全国民による選挙の管理と監視


・・・は、国民の責任と言えるワケです。



日本国憲法

【前文】 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。

これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

(後略)


【第三章】 国民の権利と義務

第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。



 つまり、【前文】の精神・・・「正当なる選挙」・・・を実現し、国民本来の自由、権利を保障する日本国憲法を守るために、ワタシたちは不断の努力をするように・・・と、「国民の義務」の一環として求められているワケです。

 したがって、その「国民の義務」に従って行動する国民を、各地方自治体や総務省が「妨害するような行為」に出るのであれば、


明らかに国側が憲法違反をしている!


・・・と、いうことになるワケです。

 とにかく、現在は未だ「日本国憲法」に守られているワケですから、胸を張って堂々と、「選挙を監視」しようではあwりませんかっ!






人間ナメんなよ!


でわっ!
 

2013年8月26日月曜日

国連は、「ボストンマラソン爆弾テロ」を再調査せよ!

  
 ボストンマラソン爆弾テロは、アメリカの国家ぐるみの自作自演テロ(偽旗)である可能性が濃厚であり、こうした国家ぐるみの犯罪に歯止めを掛けられるのは、やはり「国連人権委員会」、もしくは「国際刑事警察機構」などの、第三国の調査団による取り締まりに頼らざるを得ないワケですよ。

 なぜなら、「9.11」以降に成立した「米国愛国者法」などにより、アメリカ市民の自由な発言は封殺されているに等しく、米国メディアが「オバマ独裁政権」のプロパガンダ機関に過ぎないことは、最近では誰の目にも明らか。

 これ以上「オバマ政権」の非道を黙認すれば、その災いが世界に及ぶことは確実であり、その結果引き起こされるであろう


第3次世界大戦


・・・など、世界中の、どの国の国民も望んではいないワケですよ。

 「大量破壊兵器」の存在を口実にイラクに攻め込んだ「ブッシュ政権」と、「化学兵器(サリン)」の使用を口実にシリアに攻め込もうとしている「オバマ政権」は、


同じ過ちを繰り返そうとしている!


 したがって、世界中の平和を望む全ての国は、「アメリカの蛮行」を見過ごすワケにはいかない!・・・と、いうことです。




ボストンマラソン爆弾テロは「偽旗作戦」だ!





1.爆弾が爆発した直後の状況(第一現場)




2.A、B、C、の3人が、何故か?絡み合っている。Aの手には黒い紐が見え、Cと共同で何か作業中のようである。




3.爆弾が爆発したのは、右側の柵の黄色い丸のあたりで、柵に開いた孔からは、足が吹き飛ぶほどの強力な爆発であったとは思えない。




4.事実、爆心地の直近の人は、血も流していない。また、吹き飛んだはずのCの足からも、全く出血の痕が見られないのは不可解。



4.Bの頭に乗せられたCの足から、出血した様子は全く見えない。尚且つ、Bにも外傷は見当たらず、出血もしていない。




5.何故?A、B、C、の3人は、こうも体を密着させているのか?また、手を上げて合図を送っている相手は誰なのか?




6.A、B、C、の3人がそれぞれの「定位置」についた。他にも、D、E、F、のエキストラがいるようだ。特筆すべきは、爆心地のスグ近くにいたピンクのベストを着た女性は、何事も無かったかのように立っているのに、爆心から離れ、しかも「背を向けている」Eの女性は、足をひどく怪我している。特殊メイクか?

 また、この時点に及んでも、Bの黒人女性に出血の痕跡は見られない。




7.足が吹き飛んだCの男性より先に、Bの黒人女性が搬送されたのは、救急隊にも「演出」が仕込まれていたのか?




8.先ほどまで無傷、無出血であったBの黒人女性が、いきなり?大量出血で瀕死の形相。




9.「偽旗」テロの疑惑が濃い現場の状況(Googlemap)。事件以前の「ストリートビュー」と思われるが、赤丸の郵便ポスト?のあたりで爆弾?が爆発。しかし、柵の壊れ方からも、爆発規模は小さかったと推定されるが、6.の写真を見ると、奥のショーウインドウのガラスが爆風?で割れているのが確認できる。

 しかし、爆風は「歩道側」から来たはずなのに、ガラスの破片が歩道側に散らばっているのは状況と矛盾する。爆発を「演出」するために、別な方法でショーウインドウを割ったのか?




10.現場(第1現場)の上空写真。赤丸の部分が事故現場だとすると、上のビデオが撮影されたのは現場(歩道)に面したホテル?マンションの下層階からと推定される。

 逮捕された兄弟と、逮捕したFBI捜査官(逮捕後、訓練中に事故死)は、「偽旗テロ」の犠牲者である可能性が濃厚であり、


9.11にしろ、今回にしろ


こんな、見え透いたイカサマに付き合うほど、世界はお人好しじゃないということを、「オバマ政権」と、その背後に控える「支援者たち」に解らせなければならないワケですよ。そのためにも・・・


国連は事実調査に乗り出せ!


・・・と、いうワケです。





人間ナメんなよ!


でわっ!
 

2013年8月25日日曜日

「欧米から見た日本」ダイジェスト

  

欧米から見た日本



フランシスコ・ザビエル 『書簡』より
フランシスコ・ザビエル(1506~1552):イエズス会創設メンバー

・・・大部分の人びとは貧しいのですが、武士も、そうでない人びとも、貧しいことを不名誉とは思っていません。・・・



ヴァリニャーノ 『日本巡察記』
アレシャンドゥロ・ヴァリニャーノ (1539~1606):イエズス会宣教師

・・・牧畜も行なわれず、土地を利用するなんらの産業もなく、彼等の生活を保つ僅かの米があるのみである。したがって一般には庶民も貴族もきわめて貧困である。ただし彼等の間では、貧困は恥辱とは考えられていないし、ある場合には、彼等は貧しくとも清潔にして鄭重に待遇されるので、貧苦は他人の目につかないのである。・・・



ドン・ロドリゴ 『日本見聞録』
ロドリゴ・デ・ビベロ・イ・ベラスコ (1564~1636):メキシコ政治家

・・・其國の最大なる不幸は、貧民に對する富者の壓迫酷使なり。然れども小麥、大麥及び米に不作の年なく、収穫多量なるが故に、能く諸人を養ひ、寧ろ外國の人及び船の來りて糧食を輸出せんことを希望せり。・・・

・・・彼等の市政は優良にして、之を治むる者は非常なる注意を以て公事に當れり。家屋は甚だ淸潔にして、市外に至る迄大に淸潔にす。・・・

・・・日本人の政治は世界の諸國に就きて予が知るものに勝れり。デオス(Dios)〔神〕を識らざる國民にして、此の如く完全にして慈悲に適へる法律を有するは忌々しき事と思はる。此國に於ては前に述べたるが如く、惡事は皆罰するが故に、盗賊少く彼等の爲めに道路の不安なる事全然なし。・・・



セバスティアン・ビスカイノ 『金銀島探検報告』
セバスティアン・ビスカイノ (1548~1615):スペイン探検家

・・・貴族は禮儀正しきが、又虚榮心、没常識及び慢心大にして、血統及び武器を重んず。又外見を張るが故に収入多額なれども常に負債を有す。此の如くなるは又皇帝の事〔政策の意なり〕に因る所なり。・・・

・・・一般人民は甚だ惡しく、予は之を誇張することを好まざれども、世界に於て最も劣惡なる者なり。彼等は金錢の爲め子女及び妻女を賣却す。・・・

・・・浮浪人又は無職の人なし。彼等の生活は何に依るか直に明白となり三日以上一所に居ることを得ざるが故にして、職無く主人無き者を發見すれば之を斬る。・・・

・・・此國は長さ及び幅五百レグワを超ゆるに係らず、言語は一にして文字の書方も一様なり。男女共に皆讀み書き又計算をなし、商賣の事に甚だ機敏にして猶太人も彼等には及ばず。・・・



フランソア・カロン 『日本大王国志』
フランソア・カロン (1600~1673):平戸オランダ商館長

・・・この国民は特に迷信的でも無ければ宗教的でも無い。彼等は朝夕、食膳・食後・あるいは時々祈ることも無い。一ヵ月に一度寺院に参詣する者は信心深いと言わざるを得ぬ。・・・

・・・僧侶並に貴族大身中には男色に汚れているものがあるが、彼らはこれを罪とも恥ともしない。・・・

・・・彼らは子供を注意深くまた柔和に養育する。たとえ終夜喧しく泣いたり叫んだりしても、打擲することはほとんど、あるいは決して無い。・・・



ケンペル 『江戸参府旅行日記』
エンゲルベルト・ケンペル (1651~1716):平戸オランダ商館医師

・・・そしてどんな小部屋でもきれいに飾ってあって、そうでないのを見受けることがないのは、国内の材料でこと足りるからである。従ってきれいにしておくことが一層容易なのである。家は杉や松の材木で建てられ、前から後ろへ風通しが良いように開け放すことができるので、大へん健康的な住居と考えてよい。・・・

・・・旅行中、突然の訪問の折りにわれわれが気付いたのであるが、世界中のいかなる国民でも、礼儀という点で日本人にまさるものはない。のみならず彼らの行状は、身分の低い百姓から最も身分の高い大名に至るまで大へん礼儀正しいので、われわれは国全体を礼儀作法を教える高等学校と呼んでもよかろう。・・・

・・・見附の宿場はずれの小さい部落の手前には、ふしだらな女性が大勢いた。戸外には俄雨でずぶぬれになった瀕死の僧侶がうつぶせになっていた。それでもまだ生きている証拠にうめき声を出していたので、みんなは彼のことを死んでいるとは考えず、手荒く扱わないようにしていた。しかし、石も涙を流すかもしれないこうした場面にも、日本人は全く冷淡であった。・・・



S・ワクセル 『ベーリングの大探検』
S・ワクセル (1701~1762):ロシア海軍軍人

・・・スパンベヤ司令は、その後さらに数日にわたって日本の沿岸をまわって、つぶさにその実態を観察した結果、この国は容易ならない国であることを知った。彼は、よくもこの国を目ざして来たものと喜びにたえなかった。その一端をあげてみるとしても、まずその無数の船舶を見ただけでもわかることで、ヨーロッパで見られるものと比較しても、けっして見おとりのしない優秀なものが少なくない。同じく貨幣を収集してみても、十分にその優秀な文化を反映している。その他はいうにおよばず、その能力はあなどれない国民性をもっている。彼は口をきわめて、よくもこの国に来ることができた、日本こそ、やがて親交を結ぶべき国であると叫んだ。・・・



C・P・ツュンベリー 『江戸参府随行記』
C・P・ツュンベリー (1743~1828):スウェーデン医学者・植物学者

・・・地上の三大部分に居住する民族のなかで、日本人は第一級の民族に値し、ヨーロッパ人に比肩するものである。しかし、多くの点でヨーロッパ人に遅れをとっていると言わざるを得ない。だが他方では、非常に公正にみてヨーロッパ人のうえをいっているということができよう。・・・

・・・通詞は洋書の大愛好家であり、日本へやってくる商人から毎年一冊ないし数冊の洋書を購入する。彼らは本を所有しているだけでなく、それを熱心に読み、かつ学んだことを記憶する。その上、ヨーロッパ人から何かを学ぼうという意欲に燃えており、あらゆる事柄、とくに医学、物理学、自然誌に関してたえず多くの質問をあびせるので、しばしばうんざりさせられる。・・・

・・・日本人には平気で放屁するという悪癖がある。ヨーロッパならば大変な不作法となるが、日本人は恥ずべきこととは思っていない。他の点では、礼儀をわきまえた他民族と同じくきちんとしてる。・・・

・・・注目すべきことに、この国ではどこでも子供をむち打つことはほとんどない。子供に対する禁止や不平の言葉は滅多に聞かれないし、家庭でも船でも子供を打つ、叩く、殴るといったことはほとんどなかった。まったく嘆かわしいことに、もっと教養があって洗練されているはずの民族に、そうした行為がよく見られる。・・・

・・・私はここで、ほとんど種蒔きを終えていた耕地に一本の雑草すら見つけることができなかった。それはどの地方でも同様であった。このありさまでは、旅人は日本には雑草は生えないのだと容易に想像してしまうだろう。しかし実際は、最も炯眼な植物学者ですら、よく耕作された畑に未知の草類を見いだせないほどに、農夫がすべての雑草を入念に摘みとっているのである。・・・

・・・自由は日本人の生命である。それは、我儘や放縦へと流れることなく、法律に準拠した自由である。・・・

・・・日本人は、オランダ人の非人間的な奴隷売買や不当な奴隷の扱いをきらい、憎悪を抱いている。身分の高低を問わず、法律によって自由と権利は守られており、しかもその法律の異常なまでの厳しさとその正しい履行は、各人を自分にふさわしい領域にとどめている。・・・

・・・この国民は必要にして有益な場合、その器用さと発明心を発揮する。そして勤勉さにおいて、日本人は大半の民族の群を抜いている。・・・

・・・節約は日本では最も尊重されることである。それは将軍の宮殿だろうと粗末な小屋のなかだろうと、変わらず愛すべき美徳なのである。節約というものは、貧しい者には自分の所有するわずかな物で満足を与え、富める者にはその富を度外れに派手に浪費させない。・・・

・・・日本人は、自国の繁栄と存続のために最も必要にして有益なものは農業であると考えており、世界で日本ほどことさら農業に重きをおいている国はない。・・・

・・・農民が作物で納める年貢は、たしかに非常に大きい。しかしとにかく彼らはスウェーデンの荘園主に比べれば、自由に自分の土地を使える。・・・



ゴロヴニン 『日本幽囚記』
ワシリー・ミハイロヴィッチ・ゴロヴニン (1776~1831):ロシア海軍軍人

・・・日本人は節儉ではあるが、吝嗇ではない。その證據として、彼らが常に守錢奴を大いに卑しみ、吝嗇ものについて彼等の仲間うちに辛辣なアネクドートが澤山できてゐることを擧げることが出來る。・・・

・・・日本人は農業、園藝、漁業、狩獵、絹および綿布の製造、陶磁器および漆器の製作、金屬の研磨については、殆んどヨーロッパ人に劣らない。・・・

・・・日本人はあらゆる階級を通じて、應對が極めて鄭重である。日本人同志の禮儀正しさは、この國民の本當な教養を示すものである。・・・

・・・市民は誰でも好きな宗教を信じ、また好きなだけ幾らでも宗旨を代へる權利を持つてゐる。また良心に覺るところがあるとか、また何かの都合があるとかで轉宗しても、誰も何とも云はないのである。・・・

・・・とはいへ日本人の嫉妬ぶりは他のアジヤ民族のそれとは全然比較にならない。私から見ると、日本人は嫉妬ぶかいとは云へない。彼らは用心ぶかいだけだ。いやもつとあつさり云へば、日本人は西洋人よりも嫉妬ぶかくないとさへ考へてゐる。・・・

・・・しかし一等大切な點は、日本人が幼年時代から子弟に忍耐、質素、禮儀を極めて巧みに教へこむことである。われわれは實地にこの賞讃すべき日本人の資質を何度もためす機會を得た。・・・

・・・しかし日本家屋の最上の装飾であり、最も賞賛すべき装飾と認むべきものは、上下を通じて守られてゐる小ざつぱりと清潔なところであらう。・・・

・・・鋼製品はどうかといふと、日本の大小刀は、おそらくダマスク製を除いて、世界中のあらゆる同種の製品を凌駕してゐる。・・・

・・・日本人は手工にかけて仕事ずきであると同様に、産業にかけても倦むことを知らない國民である。ことに漁業は巧妙で、非常に熱心にこれに從事してゐる。・・・

・・・日本の水夫は仕事が多難で危険なだけ報酬も澤山とつてゐるけれども、金使ひの荒らさはイギリスの船員に似てゐる。何ケ月も生命がけで稼いだ金を、酒店や賣笑婦に數日の中に使つてしまふのである。・・・



シーボルト 『江戸参府紀行』
フランツ・フォン・シーボルト (1796~1866): ドイツ医学者・博物学者・日本学者

・・・しかし[小倉]藩の下級武士の家族や召使が住んでいる町はずれでは、裕福な暮らしというのは当てはまらないように見える。・・・

・・・しかも日本には、測り知れない富をもち、半ば餓え衰えた階級の人々の上に金権をふるう工業の支配者は存在しない。労働者も工場主も日本ではヨーロッパよりもなお一層きびしい格式をもって隔てられてはいるが、彼らは同胞として相互の尊敬と好意とによってさらに堅く結ばれている。・・・

・・・まったく江戸にみるよりひどい貧困と甚しい贅沢とはこの国のどこにも見受けられない。・・・



M・C・ペリー 『日本遠征記』
M・C・ペリー (1794~1858):アメリカ海軍軍人

・・・普通教育制度に似たものもあるやうである。何故ならばメイランが、あらゆる階級の男女兒童は差別なく初等學校に通學せしめられると述べてゐるからである。それが國家によつて維持されてゐるものかどうかについては語つてゐない。その學校で生徒等は全部讀み書きを教はり、自國の歴史についての知識をすこし手ほどきされるのである。かやうにして、最も貧しい農夫の子供にも大抵は學問が出來る仕組なのである。・・・

・・・琉球人は明かに、日本人よりもよい生活をしてゐた。・・・

・・・下流の人民は例外なしに、豊に滿足して居り、過勞もしてゐないやうだつた。貧乏人のゐる様子も見えたが、乞食のゐる證據はなかつた。・・・

・・・最下流の階級さへも、氣持ちのよい服装をまとひ、簡素な木綿の衣服をきてゐた。・・・

・・・日本の手工業者は世界に於ける如何なる手工業者にも劣らず練達であつて、人民の發明力をもつと自由に發達させるならば日本人は最も成功してゐる工業國民[マニュファクチャ-リング・ネーションズ]に何時までも劣つてはゐないことだらう。・・・

・・・教育は同帝國到る所に普及して居り、又日本の婦人は支那の婦人とは異つて男と同じく知識が進歩してゐるし、女性獨特の藝事にも熟達してゐるばかりでなく、日本固有の文學にもよく通じてゐることも屡々である。・・・



ゴンチャロフ 『フリゲート艦パルラダ号』
I・A・ゴンチャロフ(1812~1891):ロシア作家

・・・その他の點ではこの國民は、ヨーロッパ人と比べなければ、相當に開けて居り、應待も氣樂で氣持がよく、又あの獨特の教養は極めて注目すべきものがある。・・

・・・まづ眼につくのは、中庭や、茣蓙を敷いた木造の階段や、それから當の日本人のなみはづれた淸潔さである。この點は全く感服せざるを得ぬ。彼らは身體も、衣服も、淸潔でこざつぱりとしてゐる。・・・



ハリス 『日本滞在期』
タウンゼンド・ハリス (1804~1878):米国外交官

・・・柿崎は小さくて、貧寒な漁村であるが、住民の身なりはさっぱりしていて、態度も丁寧である。世界のあらゆる國で貧乏に何時も附き物になっている不潔さというものが、少しも見られない。彼らの家屋は、必要なだけの淸潔さを保っている。土地は一吋もあまさず開墾されている。・・・

・・・このような男女の混浴は女性の貞操にとって危檢ではないかと、私は副奉行に聞いてみた。彼は、往々そのようなこともあると答えた。そこで私は、處女であると思われている女と結婚して、床入りの時そうでないことを知ったときには、男の方はどうするかと問うた。副奉行は、「どうにも」と答えた。・・・

・・・私は、日本人のように飲食や衣服について、ほんとうに儉約で簡素な人間が、世界のどこにもあることを知らない。・・・

・・・日本人は至って欲望の少ない國民である。・・・

・・・なんとかして眞實が囘避され得るかぎり、決して日本人は眞實を語りはしないと私は考える。率直に眞實な囘答をすればよいときでも、日本人は虚偽をいうことを好む。・・・

・・・この國では、大名の邸宅の家具ですら、アメリカの謹直で堅實な職工の家に見られるものの半分の値打ちもないといって憚らない。・・・

・・・私は時として、日本を開國して外國の影響をうけさせることが、果してこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるか、どうか、疑わしくなる。・・・

・・・日本は鎖國政策を抛棄せねばならなくなるだろう。日本の國民に、その器用さと勤勉さを行使することを許しさえするならば、日本は遠からずして偉大な、強力な國家となるであろう。・・・



カッテンディーケ 『長崎海軍伝習所の日々』
カッテンディーケ (1816~1866):オランダ海軍軍人

・・・日本人はたとい死は鴻毛のごとく軽く見ているとはいえ、かりそめにも暴虐と思われることは、いっさい嫌悪する。・・・

・・・ラウツ教授は知識欲に燃えているのが日本人の特徴であると言っているが、まことに至言である。・・・

・・・日本人は物解りは早いが、かなり自負心も強い。我々のしていることを見て、直ぐさま他人の助けを藉らずともできると思い、その考えの誤りであることを諭されても、なかなか改めようとはしない。その上、非常に頑固で、陳腐な観念にコビリついている。・・・

・・・彼等の年長者に対する尊敬心および諸般の掟を誠実に遵守する心掛けなど、すべて宗教が日本人に教え込んだ性質であり、また慈悲心が強く惨虐を忌み嫌うのは、日本人の個性かとさえ思われる。・・・

・・・日本では婦人は、他の東洋諸国と違って、一般に非常に丁寧に扱われ、女性の当然受くべき名誉を与えられている。・・・

・・・日本人の悠長さといったら呆れるくらいだ。我々はまた余り日本人の約束に信用を置けないことを教えられた。・・・

・・・この国が幸福であることは、一般に見受けられる繁栄が、何よりの証拠である。百姓も日雇い労働者も、皆十分な衣服を纏い、下層民の食物とても、少なくとも長崎では、申分のないものを摂っている。・・・

・・・下層の日本人は、互いに礼儀というものを全然知らない。男も女も、また男の子と娘も、一つの同じ大きな風呂に入っていることが往々ある。・・・

・・・これに反して、町人は個人的自由を享有している。しかもその自由たるや、ヨーロッパの国々でも余りその比を見ないほどの自由である。・・・

・・・上流家庭の食事とても、至って簡素であるから、貧乏人だとて富貴の人々とさほど違った食事をしている訳ではない。・・・

・・・日本人が他の東洋諸民族と異なる特性の一つは、奢侈贅沢に執着心を持たないことであって、非常に高貴な人々の館ですら、簡素、単純きわまるものである。・・・

・・・日本人の死を恐れないことは格別である。むろん日本人とても、その近親の死に対して悲しまないというようなことはないが、現世から彼の世に移ることは、ごく平気に考えているようだ。・・・

・・・人は何と言おうが、とにかく日本人ほど寛容心の大きな国民は何処にもいない。・・・

・・・日本人は一般にすこぶる軽率である。・・・

・・・日本人は敏捷であるから、必要だとさえ感得するならば、如何なる学問でもごく僅かな時間のうちに、ただ上っつらの知識だけではあるが、苦労なしで覚えることができる。しかし悪いことには、ちょっと始めると直ぐさま彼等の好奇心は満腹して、忽ち他の変わったものに目をつける。何事でも徹底的に学ぶ辛抱というものが、彼らには欠けている。・・・

・・・日本人の悪い一面は不正直な点である。私はこれを始終経験した。・・・

・・・私は彼等を高慢な、うわべを飾る、すれからしの、何でもむずかしいことは嘘をついて片づけてしまうという手合いと思っている。・・・

・・・私はこうした、まんざら不良でもない日本人観を持って日本を去った。ああ日本、その国こそは、私がその国民と結んだ交際並びに日夜眺めた荘厳な自然の光景とともに、永く愉快な記憶に残るであろう。・・・



オールコック 『大君の都』
ラザフォード・オールコック (1809~1897):英国外交官

・・・いたるところで、半身または全身はだかの子供の群れが、つまらぬことでわいわい騒いでいるのに出くわす。それに、ほとんどの女は、すくなくともひとりの子供を胸に、そして往々にしてもうひとりの子供を背中につれている。この人種が多産系であることは確実であって、まさしくここは子供の楽園だ。・・・

・・・日本人は、いろいろな欠点をもっているとはいえ、幸福で気さくな、不満のない国民であるように思われる。・・・

・・・日本では、ただひとりの代表だけと交渉するということは不可能だ。元首から郵便の集配人にいたるまで、日本人はすべて対になって行動する。・・・

・・・かれらが軽蔑とか侮辱に敏感であるのにまったく正比例して、他人を腹立たせたり、他人の気にさわることを避けるために、ひじょうに気を使う。・・・

・・・日本人はむしろ、ヨーロッパとアジアをつなぐ鎖の役をしていた古代世界のギリシア人のように見える。かれらのもっともすぐれた性質のある点では、ヨーロッパ民族とアジア民族のいずれにもおとらぬ位置におかれることを要求するだけのものをもっているのだが、両民族のもっとも悪い特質をも不思議にあわせもっている。・・・

・・・どの役職も二重になっている。各人がお互いに見張り役であり、見張り合っている。全行政機構が複数制であるばかりでなく、完全に是認されたマキャヴェリズムの原則にもとづいて、人を牽制し、また反対に牽制されるという制度のもっとも入念な体制が、当地ではこまかな点についても精密かつ完全に発達している。・・・

・・・住民のあいだには、ぜいたくにふけるとか富を誇示するような余裕はほとんどないとしても、飢餓や貧乏の徴候は見うけられない。・・・

・・・自分の農地を整然と保っていることにかけては、世界中で日本の農民にかなうものはないであろう。田畑は、念入りに除草されているばかりか、他の点でも目に見えて整然と手入れされていて、まことに気持ちがよい。・・・

・・・民族のある体質的な特徴は、ある道徳的な特徴とともに、世代から世代へと伝えられる。日本人のばあいにもこの例外ではなくて、うそをつくその性癖はなにか最初の体質が完全に身についてしまったに相違ない。それでもなおその上に、日本人はその性質のなかになにか上品で善良なものの痕跡を多くとどめている。・・・

・・・まったく日本人は、一般に生活とか労働をたいへんのんきに考えているらしく、なにか珍しいものを見るためには、たちどころに大群衆が集まってくる。・・・

・・・わたしは、この著者の説にまったく賛成であって、日本人の悪徳の第一にこのうそという悪徳をかかげたい。そしてそれには、必然的に不正直な行動というものがともなう。したがって、日本の商人がどういうものであるかということは、このことから容易に想像できよう。・・・

・・・日本政府がとっている制度ほど、思想・言論・行動の自由を決定的に抑圧する制度は、ほかに考えることが困難だ。さらにわたしは、日本の政治制度は、人間の最上の能力の自由な発達と相いれず、道徳的・知的な性質が当然熱望するものを抑圧する傾向にあり、正常にして根絶しがたいすべてのものをつちかい、発揮する手段を与えないと信じる。・・・

・・・逆に日本人は、どういう点で外国製品がすぐれているか、どうすれば自分たちもりっぱな品をつくり出すことができるか、ということを見いだすのに熱心であるし、また素早い。・・・

・・・かれらには建築と呼びうるようなものはない。・・・したがって、世界最大の都市のひとつである江戸の街路ほど、むさくるしくみすぼらしいものはない。大名の屋敷でさえ、同じような建て方の低い一列のバラックにすぎず、ただ屋根が高いだけだ。・・・

・・・漆器については、なにもいう必要はない。この製品の創始者はおそらく日本人であり、アジアでもヨーロッパでもこれに迫るものはいまだかつてなかった。・・・日本人はきわめてかんたんな方法で、そしてできるだけ時間や金や材料を使わないで、できるだけ大きな結果をえているが、おそらくこういったばあいの驚くべき天才は、日本人のもっとも称賛すべき点であろう。・・・



アーネスト・サトウ 『一外交官の見た明治維新』
アーネスト・サトウ (1843~1929):英国外交官・日本学者

・・・日本の商人も、往々同様な手段で相手に返報されたが、不正行為を差引きすれば日本の方がはるかに大きかった。そんなわけで、外国人たちの間に、「日本人と不正直な取引者とは同義語である」との確信がきわめて強くなった。両者の親善感情などは、あり得べくもなかったのである。・・・

・・・また、彼らは、天皇(訳注 孝明天皇)の崩御を知らせてくれ、それは、たった今公表されたばかりだと言った。噂によれば、天皇は天然痘にかかって死んだということだが、数年後に、その間の消息に通じている一日本人が私に確言したところによると、毒殺されたのだという。この天皇ミカドは、外国人に対していかなる譲歩をなすことにも、断固として反対してきた。そのために、きたるべき幕府の崩壊によって、否が応でも朝廷が西洋諸国との関係に当面しなければならなくなるのを予見した一部の人々に殺されたというのだ。・・・

・・・私たちには、さして高官でもない伊藤のような人物がこうした二役の兼任に適していると考えられたり、また一般の人民が容易にそれらの人間に服従するということが奇妙に感じられたのだが、私の日記にも書いてあるように、日本の下層階級は支配されることを大いに好み、権能をもって臨む者には相手がだれであろうと容易に服従する。・・・

・・・もしも両刀階級の者をこの日本から追い払うことができたら、この国の人民には服従の習慣があるのであるから、外国人でも日本の統治はさして困難ではなかったろう。・・・



ハインリッヒ・シュリーマン 『シュリーマン旅行記 清国・日本』
ハインリッヒ・シュリーマン (1822~1890):ドイツ考古学者

・・・日本人が世界でいちばん清潔な国民であることは異論の余地がない。どんなに貧しい人でも、少なくとも日に一度は、町のいたるところにある公衆浴場に通っている。・・・

・・・日本の玩具のうちとりわけ素晴らしいのは独楽で、百種類以上もあり、どれをとっても面白い。・・・

・・・他国では、人々は娼婦を憐れみ容認してはいるが、その身分は卑しく恥ずかしいものとされている。だから私も、今の今まで、日本人が「おいらん」を尊い職業と考えていようとは、夢にも思わなかった。ところが、日本人は、他の国々では卑しく恥ずかしいものと考えている彼女らを、崇めさえしているのだ。・・・

・・・日本の宗教について、これまで観察してきたことから、私は、民衆の生活の中に真の宗教心は浸透しておらず、また上流階級はむしろ懐疑的であるという確信を得た。ここでは宗教儀式と寺と民衆の娯楽とが奇妙な具合に混じり合っているのである。・・・



グリフィス 『明治日本体験記』
ウィリアム・グリフィス (1843~1928):アメリカ牧師・東洋学者

・・・けれども日本人は石鹸を表す言葉を知らないし、今日になってもそれを使ったことがない。にもかかわらず、どのアジア人よりも身なりも住居も清潔である。・・・

・・・日本の法律は乞食を人間とみとめていない。乞食は畜生である。乞食を殺しても訴えられも罰せられもしない。道路に死んで乞食が横たわっている。いやそんなことがあろうかと思うだろうが、事実そうなのである。・・・

・・・私は一八七一年の日本の真の姿を描く。・・・

・・・日本の住民や国土のひどい貧乏とみじめな生活に私は気がつき始めた。日本はその国について書かれた本の読者が想像していたような東洋の楽園ではなかった。・・・

・・・日本人のように遊び好きであったといってもいいような国民の間では、子供特有の娯楽と大人になってからの娯楽の間に境界線を引くのは必ずしも容易ではない。・・・

・・・日本の女性はより大きな自由を許されていて、そのためより多くの尊厳と自信を持っている。・・・

・・・普通の職人や農民は精神的におとなしい羊である。実際に商人は知能が平凡で、道徳的性格が低く、この点で中国人以下である。・・・



モース 『日本その日その日』
E・S・モース (1838~1925):アメリカ動物学者

・・・日本人がいろいろな新しい考案を素速く採用するやり口を見ると、この古い国民は、支那で見られる万事を死滅させるような保守主義に、縛りつけられていないことが非常にハッキリ判る。・・・

・・・いろいろな事柄の中で外国人の筆者達が一人残らず一致する事がある。それは日本が子供たちの天国だということである。・・・

・・・外国人は日本に数ヶ月いた上で、徐々に次のようなことに気がつき始める。即ち彼は日本人にすべてを教える気でいたのであるが、驚くことには、また残念ながら、自分の国で人道の名に於て道徳的教訓の重荷になっている善徳や品性を、日本人は生れながらに持っているらしいことである。・・・

・・・日本人の清潔さは驚く程である。・・・

・・・日本人が丁寧であることを物語る最も力強い事実は、最高階級から最低階級にいたる迄、すべての人々がいずれも行儀がいいということである。・・・

・・・日本人のこれ等及び他の繊美な作品は、彼等が自然に大いなる愛情を持つことと、彼等が装飾芸術に於て、かかる簡単な主題(Motif)を具体化する力とを示しているので、これ等を見た後では、日本人が世界中で最も深く自然を愛し、そして最大な芸術家であるかのように思える。・・・

・・・日本人の特性は、米国と欧洲とから取り入れた非常に多数の装置に見られた。ある国民が、ある装置の便利さと有効さとを直ちに識別するのみならず、その採用と製造とに取りかかる能力は、彼等が長期にわたる文明を持っていた証例である。これを行い得るのは、只文明の程度の高い人々だけで、未開人や野蛮人には不可能である。・・・

・・・国中が朝鮮の高圧手段に憤慨し、日本の軍隊が鎮南浦まで退却することを余儀なくされた最中に、私は京都へ行く途中、二人の朝鮮人と同じ汽車に乗り合わした。私も、朝鮮人はめったに見たことが無いが、車室内の日本人達は、彼等がこの二人を凝視した有様から察すると、一度も朝鮮人を見たことが無いらしい。二人は大阪で下車した。私も、切符を犠牲にして二人の後を追った。彼等は護衛を連れていず、巡査さえも一緒にいなかったが、事実護衛の必要は無かった。彼等の目立ちやすい白い服装や、奇妙な馬の毛の帽子や、靴やその他すべてが、私にとって珍しいと同様、日本人にも珍しいので、群衆が彼らを取りまいた。私は、あるいは敵意を含む身振か、嘲笑するような言葉かを発見することが出来るかと思って、草臥れて了うまで彼等の後をつけた。だが日本人は、この二人が、彼等の故国に於て行われつつある暴行[壬午軍乱]に、まるで無関係であることを理解せぬ程莫迦ではなく、彼等は平素の通りの礼儀正しさを以て扱われた。自然私は、我国に於る戦の最中に、北方人が南方でどんな風に取扱われたかを思い浮かべ、又しても私自身に、どっちの国民の方がより高く文明的であるかを訊ねるのであった。・・・

・・・粗野で侵略的なアングロ・サクソン人種はここ五十年程前までは、日本人に対し最も間違った考を持っていた。男性が紙鳶をあげ、花を生ける方法を学び、庭園をよろこび、扇子を持って歩き、その他女性的な習慣や行為を示す国民は、必然的に弱くて赤坊じみたものであると考えられていた。・・・



イザベラ・バード 『日本紀行』
イザベラ・バード (1831~1904):イギリス旅行家・探検家

・・・日本ほど女性がひとりで旅しても危険や無礼な行為とまったく無縁でいられる国はないと思う。・・・

・・・これほど自分の子供たちをかわいがる人々を見たことはありません。だっこやおんぶをしたり、手をつないで歩いたり、ゲームをやっているのを眺めたり、いっしょにやったり、しょっちゅうおもちゃを与えたり、遠足やお祭りに連れていったり、子供がいなくては気がすまず、また他人の子供に対してもそれ相応にかわいがり、世話を焼きます。・・・

・・・小佐越は高原にある小さな村で、とても貧しく、家々は貧困に荒れています。子供たちはとても汚くて、ひどい皮膚病にかかり、女性たちは重労働のせいで血色が悪くて顔つきが険しく、木を炊く煙を大量に浴びているのでとても醜くて、その体つきは均整がとれているとはとてもいえません。・・・

・・・幼い子供たちはひもに下げたお守り以外なにも見につけていません。人も衣服も家も害虫でいっぱいで、不潔ということばが自立して勤勉な人々に対しても遣われるなら、ここの人々は不潔です。・・・

・・・とはいえわたしが日本人と交わした会話や見たことから判断すると、基本的な道徳観念はとても低く、暮らしぶりは誠実でも純粋でもないのです。・・・

・・・日本人は子供がとにかく好きですが、道徳観が堕落しているのと、嘘をつくことを教えるため、西洋の子供が日本人とあまりいっしょにいるのはよくありません。・・・

・・・吉田は豊かで繁栄しているように見え、沼は貧しくてみすぼらしいものの、山腹から救出された沼のわずかな農地は吉田のそれと同じようにすばらしく整然として手入れが行き届き、完璧に耕されています。また日当たりのいい米沢の平野の広い農地と同じように、気候に合った作物をふんだんに産します。そしてこれはどこでもそうなのです。「無精者の畑」は日本には存在しないのです。・・・

・・・この丁重で勤勉で文明化された人々に混じって暮らしていると、彼らの流儀を何世紀にもわたってキリスト教の強い影響を受けてきた人々のそれと比べるのは、彼らに対してきわめて不当な行為であるのを忘れるようになります。わたしたちが十二分にキリスト教化されていて、比較した結果がいつもこちらのほうに有利になればいいのですが、そうはいかないのです!・・・

・・・黄色い肌、馬毛のように硬い毛髪、弱々しいまぶた、細長い目、平たい鼻、へこんだ胸、モンゴロイド特有の顔立ち、脆弱な肉体、男のよろよろした足取り、女のよちよちとした歩き方など、総じて日本人の外見からは退化しているという印象を受けますが、それに対しアイヌからはたいへん特異な印象を受けます。・・・

・・・伊藤が夕食用に鶏を買いましたが、一時間後に絞めようとしたら、嘆き悲しんだ売り主がここまで育ててきた鶏が殺されるのを見るのはしのびないとお金を返してきました。ここは未開の辺鄙な場所ですが、勘は美しいところだと告げています。・・・



グスタフ・クライトナー 『東洋紀行』
グスタフ・クライトナー (1847~1893) はオーストリア軍人・外交官

・・・日本女性の地位は、たった今述べたことからも明らかなように従属的である。女性の役割は受動的なもので、夫は、妻とか娘の心の動きなどはまったく無視し、自分の好きなように、そして自分の欲する通りに家庭内をとりしきる。・・・

・・・日本の田舎の人は富の恩恵を受けていない。生活は惨めなものである。米を食べることのできる裕福な家庭は数える程ほどしかない。・・・

・・・東京は大きな村という感じだった。そして、町の無数の貧弱な木造家屋の中に高々と聳え立っている帝の居城さえも、宮殿というよりもむしろバラックといった趣であった。・・・

・・・文化の発展の基礎は、公衆道徳にある。しかし、日本人には公衆道徳がまったく欠如している。この面での日本人の考え方は、ヨーロッパ人のそれとはまったくかけ離れている。ヨーロッパ人たるわたしは、一挙手一投足ごとに、ヨーロッパ人の風俗や習慣の概念とはまったく相容れない場面に出くわすのである。・・・

・・・日本の発展と、強い影響を及ぼすその文化とには多くの賞讃が寄せられている。が、わたしは、日本讃美にとりつかれるのは、たいていの場合、深い基盤を欠いた、一時の浅薄な熱狂にすぎない、と見ている。・・・



ラフカディオ・ハーン(小泉八雲) 『日本の面影』
ラスカディオ・ハーン (1850~1904):ギリシアジャーナリスト・作家

・・・日本がキリスト教に改宗するなら、道徳やそのほかの面で得るものは何もないが、失うものは多いといわねばならない。これは、公平に日本を観察してきた多くの見識者の声であるが、私もそう信じて疑わない。・・・

・・・かわいい子供たちは、真っ裸だ。腰回りに、柔らかく幅の狭い白布を巻いただけの、黒々と日焼けした男や少年たちは、家中の障子を取り外して、そよ風を浴びながら畳の上で昼寝をしている。・・・

・・・この村落は、美術の中心地から遠く離れているというのに、この宿の中には、日本人の造型に対するすぐれた美的感覚を表してないものは、何ひとつとしてない。・・・

・・・この国の人はいつの時代も、面白いものを作ったり、探したりして過ごしてきた。・・・

・・・日本人は、野蛮な西洋人がするように、花先だけを乱暴に切り取って、意味のない色の塊を作り上げたりはしない。日本人はそんな無粋なことをするには、自然を愛しすぎていると言える。・・・

・・・しかし、心得るべきことは、どんなに貧しくて、身分が低いものであろうと、日本人は、不当な仕打ちにはまず従わないということである。日本人が一見おとなしそうなのは、主に道徳の観念に照らして、そうしているのである。・・・

・・・日本人のように、幸せに生きていくための秘訣を十分に心得ている人々は、他の文明国にはいない。人生の喜びは、周囲の人たちの幸福にかかっており、そうであるからこそ、無私と忍耐を、われわれのうちに培う必要があるということを、日本人ほど広く一般に理解している国民は、他にあるまい。・・・






人間ナメんなよ!


でわっ!