2007年2月25日日曜日

ナゼ人を殺してはイケナイのか?

・・・ナゼ人を殺してはイケナイの?戦場でたくさん敵を殺せば英雄なのに。

アナタは人を殺したいのですか?

・・・よく分かりません

じゃ、アナタは人に殺されたいですか?

・・・イイエ、ワタシは殺されたくないです。

自分が殺されたくないのなら、きっと相手も同じ気持ちのはず。

自分と同じ気持ちの人を殺す。ということは


「アナタ自身を殺す。」ともいえるのでは?



<記事>

ベトナム帰還兵が語る 本当の戦争
2004年2月5日(東京新聞)
http://homepage.mac.com/ehara_gen1/jealous_gay/real_war.html

戦場のストレスからイラク駐留米兵の自殺率が高まっている。ベトナム戦争に従軍した元海兵隊員アレン・ネルソン氏(56)も、かつて戦争後遺症で自殺未遂を繰り返した。

「本当の戦争はまだ始まったばかり」

惨劇の悪化を予測する。人を殺すことは簡単だ、とネルソン氏は語る。だが、殺した後に本当の地獄が待っているとも。来日中の「戦場の語り部」にイラク戦争、自衛隊派遣を聞いた。(田原拓治)

「(イラクという)第2のベトナムはまだ始まったばかりだ。イラク人が占領を甘受できない以上、米国や連合国に勝利はない

今月2日、東京・大東文化大。ネルソン氏の話はリアルだった。黒板には人間の絵。どこを撃つべきか、と約50人の聴衆に聞く。

「頭は的が小さい。外れれば反撃でこちらが殺される。腕や足、心臓でもない。正解はここ」指したのは下腹部だった。「ここが最も当てやすく、相手が苦しむ。苦しみ抜いて死んだ同僚もたくさん見た」

意思を消し、殺人マシンになること。兵士に共通した宿命と彼は語る。

「人を殺すのはとても簡単だ。悩む暇なんてない。ただ、訓練で撃つのとは全く違う。殺した瞬間、1つの境界を越えて別世界に入らざるを得ない

ベトナム派遣が決まった瞬間、うれしかった。何のための苦しい訓練だったのか、がもうすぐ分かる。自分の価値もこれで認められるだろう。同じセリフは、イラク派遣に加わる自衛隊員も口にしていた。

「撃った後、そこに死体がある。やつが殺そうとしたからだ、と自分を正当化しようとした。しかし、吐き気がこみ上げる。上官はそれを見て一人前とほめる。慣れようと、もっと人を殺す。終戦後、外国の傭兵(ようへい)部隊に志願した仲間もそうした心理からだ。人を殺すことで自分を殺していた

ベトナム戦争で、米国は5万8000人もの犠牲者を出した。にもかかわらず、その後もグレナダ、パナマ、湾岸などを経て、イラク戦争を勃発(ぼっぱつ)させた。反戦運動にむなしさはないのか。

■外交より銃が先に出る米国

「戦争には複合的な要因があるとはいえ、米国が暴力的な国家であることは米国人の私が知っている。外交より、銃が先なのだ。ベトナムは間違いだったとみんなが思っている。そこでこう考える連中がいる。よし、今度は間違えずに帝国を樹立してやろうと」

「この発想は9.11事件を悪用して力を発揮した。私たちはこのグローバリズムという帝国の発想を否定する。かつてと違い、反戦運動もまた、米国の枠を超え、広がっている。民主主義という建前幻想だ。欧米型の民主主義はイラクのようなイスラム世界で受け入れられようがない」

多くの帰還兵戦争後遺症で苦しんでいるにもかかわらず、声を上げているのはネルソン氏を含めて一握りの人々にすぎない。

「ベトナムを語れるようになるまで18年間かかった。帰国後、自分は変わっていないと信じていたが、他人には奇行が分かる。毎夜の雄たけび、いら立ち。妻は夜中、ベッドから出られなかった。夜になると、心がジャングルに逆戻りする私が襲いかねないからだ」

退役軍人局は眠り薬をくれただけだったが、私はその後、名医に出会えた。ラッキーだった。しかし、多くの者はいまも麻薬や酒におぼれる。私の属する『平和のための帰還兵たち』の調査でも、全米8割の路上生活者がベトナム帰りだ。イラクにいる若者たちも早晩、同じ境遇を経験するだろう」

1996年にネルソン氏は、約30年ぶりに沖縄を訪れた。昔、地元の女性タクシー運転手を平気で殴った。でも、基地に一歩でも入れば逮捕されない。

■現地の人間はネズミと同じ

「基地の司令官は日本の当局に形の上では謝罪していたが、本音では“野蛮で理性のない理想的な海兵隊員に仕上がった”と喜んでいたはず。ジャップ(日本人のべっ称)もラッツ(ネズミ)と同じとみんな思っていた。ちなみにイラク人“砂漠のサル”。人間以下という認識では同じだ」

その日本から第2次大戦後、初めて戦地に自衛隊が派遣される。

日米同盟小泉首相は言うが、それはただの勘違いだ。基地を見ればいい。同盟じゃない。日本は米国の占領地だ。彼は白人になりたいのかな。でも、それは無理な相談だ。米国しか頼りにできない? どうして中国や韓国、アジアとの関係を築けないのか

■ブッシュの犯罪放置させない

憲法9条は美しい。私は最初読んだとき、これはガンジーキング牧師が書いたのか、と思った。9条は日本人を戦争から守ってきた。今度は皆さんが9条を守る番ではないか」

米国では大統領選が近づいている。日本の自衛隊派遣は最近、防戦一方のブッシュ大統領にとって再選へ向けての最大のエール、とネルソン氏は話す。

ブッシュは再選するかもね。ただ、支持率ははるかに落ちてきた。私は戦場で人々を殺し、多くの戦友の死も背負っている。再選しようがしまいが、生き残った者として彼のような戦争犯罪人を放置させない義務を負っている

AP通信によると、昨年自殺したイラク駐留米兵は21人で、18人が陸軍3人が海兵隊所属。自殺率は10万人当たり13-5人で、2002年陸軍全体の自殺率10.9人を大幅に上回る。米軍は精神医療専門家からなる調査団を現地に派遣。米誌ニューズウィーク最新号によると、調査団は原因として戦闘のストレス心的外傷後ストレス障害(PTSD)が広がっているうえ、身近に銃器がある環境も指摘。専門家は「非戦闘中の死者10-15人をなおも調査中」としており、さらに多くの兵士が自殺している可能性もある。深刻なのは、兵士の帰還後の自殺や家庭内暴力、薬物・アルコール依存症だ。ベトナム帰還兵のうち、自殺者は6万-10万人にも上るとみられている。

イラクに派遣される自衛隊にはどういう事態が予想されるか。軍事評論家神浦元彰氏は

自衛隊員は戦闘の極限状態を想定した訓練を受けていない。例えば戦闘に巻き込まれた場合、激しく損壊した遺体をどう処理するのか。また米兵は負傷して痛みをこらえられなくなったときに備えてモルヒネを携帯しているが、それを持たない自衛隊員はどう対処するのか。訓練していないだけに、現地の状況が悪化した場合、自衛隊員が受ける不安とショック米兵以上に大きくなることが懸念される」

と話す。

アレン・ネルソン
1947年7月、ニューヨーク・ブルックリン生まれ。貧困家庭に育ち、高校中退後、18歳で海兵隊に志願入隊。翌年、ベトナム戦争の最前線に派遣された。70年1月に除隊するが、精神的後遺症に悩まされ、一時は路上生活者に。平和運動家の精神科医から治療を受け、18年間かけ回復した。平和主義のクエーカー教徒として「戦争と暴力」をテーマに講演活動を続ける。著作に「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」(講談社)。長男と長女は独立し、ニューヨークで妻と2人暮らし。

</記事>
 

戦場に行った当事者(兵士)にもいろいろなタイプがいたと思いますが
ワタシたちは先ず、彼らの現場の声に耳を傾けなければならないのでは?
オエラ方の言葉よりも、戦場で生死の境をくぐり抜けてきた彼らの
命をかけた言葉に・・・

それにしても、一見平和な社会でさえも間接的に人を殺せるようで。
耐震構造偽造マンションとか、水俣病とか、アスベストとか・・・)

ま、そんな中から一例として・・・



<参照>

ジェラス・ゲイ
『ダーウィンの悪夢』
http://www.darwin-movie.jp/

ストーリー

ヴィクトリア湖畔。巨大な魚を運ぶ人や水揚げする漁師たちで活気にあふれている。この巨大魚こそが、半世紀ほど前に湖に放たれたナイルパーチだ。肉食の魚・ナイルパーチは湖に元々いた魚たちを餌にして、たいへんな勢いで増えた。そして、淡白な白身で加工もしやすく、海外への輸出にぴったりだったナイルパーチ"大金になる魚"になった。皆がナイルパーチ漁にむらがり、加工・輸出の一大魚産業が誕生した。魚加工工場のオーナーに言わせれば、ナイルパーチ救世主だ。

ナイルパーチで仕事をしているのは、漁師や加工工場の人間ばかりではない。最大の輸出先であるEUの国々に魚を空輸するパイロットもそうだ。彼らは旧ソ連地域からやってくる。1回につき55トンもの魚を飛行機の腹に詰めて、タンザニアとヨーロッパを頻繁に往復する。そして、彼らパイロットを相手に町の女・エリザたちは売春で金をかせぐ。

農村などからもお金を得ようと多くの人がやってきた。彼らは湖畔に漁業キャンプをつくった。漁に出てナイルパーチを獲り、工場に売って金を稼ぐために。だがボートのない彼らは、誰もが漁に出られるわけではない。工場の仕事にありつくのも難しい。彼らの中に次第に貧困がはびこり始める。同時にキャンプの男たちを目当て売春をする女たちも増えた。そこからエイズが広がり、病気で働けなくなる者も多い。漁業キャンプの牧師によれば、毎月10-15人が死ぬと言う。それでも牧師「教会はコンドームを勧められない」。キャンプのリーダーは、「貧困が悪循環している。強い者だけが生き残る、弱肉強食なんだ」と言う。

町にはストリートチルドレンが目につく。画家のジョナサンも、かつては路上で生活していた青年だ。エイズで親をなくしたり、貧困アル中で子どもを育てられない親たちに放り出されたり、路上で生活せざるを得ない子どもたち。暴力空腹を忘れるため、粗悪なドラッグを嗅いで眠りにつく夜もある。ドラッグはナイルパーチの梱包材などを溶かしてつくる。

"住民参加型漁業をめざす国際ワークショップ"で、ヴィクトリア湖の自然が壊滅的状況にあることが報告される。ナイルパーチによって湖の生態系が崩れ、やがてはナイルパーチさえいなくなる危険もあるのだ。

一方、魚加工工場で不思議なトラックを見かけた。それはナイルパーチを加工した後の残り物を集めに来たトラックだった。ナイルパーチの切り身は多くの地元民には高くて手が出せない。切り身を輸出した後の残りの頭や骨などを1ヶ所に集め、揚げたり焼いたりして売っている。それを地元民は食べる。残骸の山からはアンモニアガスが噴き出し、そのせいで眼球が落ちてしまった女性もいる。

在タンザニア欧州委員会の代表は、EUがこの国の魚加工産業のインフラを整えたのだと胸を張った。

ジョナサンが興味深い話をおしえてくれた。ヨーロッパからナイルパーチ運ぶためにやってきた飛行機から大量の武器が見つかった。タンザニア政府はそれを知らなかったが、行き先はアンゴラだった。ジョナサンはその話を新聞やテレビで知ったと言う。漁業研究所の夜警?ラファエルが読んでいる新聞には、タンザニアの保安長官が飛行機による武器密売に関与し起訴された、との記事が。その記事を執筆したジャーナリストのリチャードは、魚を運ぶためにやってくる飛行機にはアフリカの紛争で使われる武器が積んであると言う。果たしてそれは真実なのだろうか?

ラファエルが呟く。

「戦争があれば金になるのに・・・皆、戦争を望んでるはずさ」。

魚を積んだ飛行機はヨーロッパ日本へ飛び、

魚は私たちの食卓へやってくる・・・。


</参照>



「だまされるということもまた一つの罪」


とは、伊丹万作氏のキビシイお言葉ですが、
「だましやすい」国民をつくるという、オエラ方による「洗脳」もあるかも?
もっとも、「洗脳」かかりやすい国民もどうか?と。・・・

で、郷土に対する「愛着」は、日々繰り返される自分の生活の中から
自然発生的に生まれるように思うのです。
その、ひとりひとりのごく私的「愛着」が寄り集まって
「日本」という国を作っているように、ワタシは思います。



いきなり「愛国心」を持てと言われましても・・・

 

でわっ!

2007年2月24日土曜日

シアヌークビル PART2

いやw、ズイブン間が開いてしまいましたが続編をば。

じつは今回のシアヌークビル行き、出発を1日延長したんです。
出発当日の朝になって妻が気分が優れないと言うので、
じゃ、ムリをしないで出発を1日延ばした方がイイだろうと
出発時間30分前にバス会社に連絡して出発を翌日に変更してもらい
ヤレヤレと、家で妻の容態を気遣っているといきなり大家が・・・

「これからエアコンの交換に電気屋が来るからヨロシク♪」

と、いつもの如く予告無しの一方的な通告。

(オイオイ、またかよ?しかもコッチは病人がいるんよ?)

妻の顔を伺うと、(ワタシはダイジョウブだからお願いしましょう。)と・・・

ま、去年の年末からのガタガタしてたのでワタシにも依存は無いのですが、
(結局エアコンは修理不可能で新品交換ということになりました。)
にしても、もし今日出かけていたら留守の間に部屋中が
電気屋のお兄ちゃんたちによってシッチャカメッチャカなっていたハズ!

(過去、同様の経験アリ。)
してみると、今日妻が体調を崩したことに感謝しなければ♪

なわけで、1日遅れで翌日には無事出発できたのですが
今回の予定として、1日目でシアヌークビルに着く予定だったのに

読みが甘かった ・・・orz

ネアクルンのフェリー乗り場からプノンペンまでの道が現在激しく工事中。
以前よりも1時間は余計に時間がかかってしまい、
おまけに、フェリーの乗り継ぎのタイミングも悪く
PM1:45にプサートマイから出るシアヌークビル行きのバスに間に合わず
やむなくプノンペンで1泊。で、翌朝シアヌークビルに向かうことに。

プノンペンでの定宿「フォー・デ・パリス」は、
お世辞にもキレイとは言えないのですが、ロケーションがいいのと
プサートマイBIG-Aに近い、1階は和食+中華のレストラン)
エアコンホットシャワーCATV冷蔵庫付きで$10とゆう
お手ごろな値段なので、このところ頻繁に利用しています。

で、翌日もシアヌークビルに行く途中イロイロありましたが、

(バスのエアコンが故障で社内が蒸し風呂とか・・・)
昼過ぎにやっとのことシアヌークビルに到着。(おwww!海だwww!)

(ん?こんなところにステージが?お祭りでもあったのか?)

バスターミナルのど真ん中にナゼかステージがあったのですが
にさして気にも留めずバスターミナル向かいの「フリーダム」にチェックイン。

んで、ひと休みしてからホテルの近くでバイクを借り、
ふたりでさっそく市内の
探索隊。



No.1
シアヌークビル駅



海岸の方から山手の方まで、シアヌークビル市内をぐるりと一回りして
レンタバイクを返すために夕方6時前にホテルに戻ると、
なにやらバスターミナルにスゴイ人だかり。

「お祭りは今夜あるのだ」

という事態をここでやっと飲み込んだのでした。



No.1
山の手から見たシアヌークビルの夕日



「今夜うるさくて寝られないんじゃない?」

・・・妻に言うと、

「10時頃には終わるでしょ?」


トンデモナイっす!





 No.3

 No.4

 「シアヌークビル・トレード・フェア」とか?いうイベント



歌手コメディアンが入れ替わり立ち替わりステージに上がって
夜中の12時まで盛大に盛り上がってましたわ。
ま、ホテルのベランダから見物できたのでそれなりに楽しみましたが
それにしてもシアヌークビル中の人が集まったんじゃないでしょうかネ?
(人口多くなさそうですから。ハイシーズンには観光客の方が多いんじゃ?)



 N0.5
ベトナム並みの人だかり



ま、昼間バイク乗り回して疲れてたんで、
その晩はグッスリ眠れましたが・・・



No.6
一夜明けると・・・



でわっ!

2007年2月23日金曜日

世界に散らばる日本人

エwっと、たまたまこんな記事を見かけたもので・・・


<記事1>

丸紅・三井物産、ベネズエラから原油15年購入権

丸紅と三井物産は23日、ベネズエラ「ベネズエラ国営石油会社」(PDVSA)から、15年間の原油の長期購入権を獲得したと発表した。

ベネズエラは、世界第8位の原油生産国で、南米産原油の日本向けの長期購入契約は初めてとなる。南米産原油は、日本までの距離が遠く輸送費がかさむため、これまで日本にはほとんど輸入されてこなかった。今回は原油価格の上昇で、相対的に輸送コストの負担が減ったため、丸紅と三井物産は権利獲得に踏み切った。

総額35億ドル(約4200億円)をベネズエラ側に融資し、返済の代わりに年間約700万バレルの原油を受け取る。

融資資金は丸紅が18億ドル、三井物産が17億ドルを負担する。

(2007年2月23日23時18分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20070223ib23.htm

</記事1>


で、過去何度か南米に関する記事をネタにしましたが、
実際のところ「南米はヨクワカラナイ」というのが正直なところ。(遠いし・・・)
かといってマスコミが伝える情報を鵜呑みにするのもナンだし、
マスコミ自体にしても、それぞれの立場によって記事がズイブン違うし・・・
そこで記事内容の真偽のひとつの目安となるのが、現地在住の邦人の情報。

というわけで、こんなブログを。
ただし、ご本人は既に帰国済みなので情報が若干ふるいのですが・・・


<引用>

ベネズエラ刻々

◇終わりに…◇

日本に帰ってくるとベネズエラは、遠い国です。
帰ってからは、あまり情報を得ていないが、状況が良い方に向かっているとは思えない。

<中略>

確かに今、実行力のありそうな人に頼ってしまいたいのはわかるけど・・・その言葉に呪文をかけられたように投票してしまう人々・・・。いいのでしょうか一つの党が過半数を完全に超えて何でも変えられる状況。

<中略>

やはり人は、絶対ではない。民主的に多数決でみんなで決めるとしてもみんなで間違ってしまうこともある。

<後略>

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5456/end.html

</引用>


若い頃チェ・ゲバラの著作なんて読んだもんだから
南米における資本家の搾取ばかりに目が行きがちなワタシですが、
だからといって、金持ち=悪人。貧乏人=善人。
なんて簡単な図式で割り切れる程、世の中は単純じゃないっス。
金を持っていようが持っていまいが、人間は等しく愚か。
(もちろん人格者の金持ち、人格者の貧乏人もいるハズですが・・・)

「ベネズエラ刻々」の陣野さんはおそらくワタシと同年代?
かくいうワタシもサンダーバード(国際救助隊)を見て育った世代です。
(ずいぶんプラモデルも作りました。ちなみに2号のファン♪)
だから彼女の憂えることについても同感する部分は多いです。

そりゃwww「コンバット」ごっことかしましたよ。子供のころは。
むやみに大きい(消防車、バス、飛行機、戦車、etc.)ものに憧れるのは
たんなる子供の好奇心。やがて他人を傷つけ、自分も傷つけられるようになると、


「大きな力には大きな責任が宿る。」

 by スパイダーマンのおじいちゃん


と、自然に自覚するようになるものです。(チョッと大げさですか?)
いずれにせよ、チャべス大統領はこの先どういう方向に進むのか?
2002年のクーデターで政権の座を追われそうになったチャべス大統領。
(クーデターの顛末は下記リンク先を。)


<参照>

ベネズエラ…何が起きたのか?
http://www10.plala.or.jp/shosuzki/edit/otherla/chavez.htm


「チャベス政権」を襲ったクーデターの裏側
http://atfox.hp.infoseek.co.jp/xfile/terro/venezuela.htm


米国はベネズエラから手を引け!
http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Bushwar/hands_off_venezuela.htm

</参照>


これらを読むとチャべス大統領がアメリカの陰謀に打ち勝った英雄のようですが、
その後のベネズエラ国内の混乱状況が、先の陣野さんのブログに書かれた如くなら
チャべス大統領の指導者としての器にも疑問を抱かざるを得ません。

そんな中での日本商社によるベネズエラ産石油の買い付け。
アメリカの神経を逆なで?するようなマネして問題ないのでしょうか?
ま、もっともベネズエラが・・・


<記事2>

米国への石油販売停止はない=ベネズエラ
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/world/070212220317.s051ykdp.html

</記事2>


・・・らしいのでアメリカ側も黙認済?
それともこの買い付けは「北朝鮮」絡み?
(ナンテネ・・・)

世界はナゾだらけナノダぁwww!

ひとつだけ言えることは、今、世界中に日本人が散らばっているおかげ?で、
フィルターを通らない「ある程度リアル」な現地の情報が得られるってことですかネ。
(なんせブログには書き手のイデオロギーも多少ブレンドされてますから。ワタシのように。)
 

でわっ!

2007年2月22日木曜日

伊丹万作氏の言葉

「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。

伊丹万作氏は、『お葬式』『マルサの女』等の作品で知られる伊丹十三氏の父親デス。

先日ワタシは・・・

(かくいうワタシも小泉純一郎氏にはまんまと騙されたくちですが・・・orz)

などと気安く言いましたが、伊丹万作氏のこの言葉に自らを省みる次第です。
・・・はい。

全文は長いので、伊丹万作氏の『戦争責任者の問題』
かいつまんで紹介します。


<引用>

『戦争責任者の問題』

伊丹万作

<前略>

 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。

 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。

 このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。

<中略>

 少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。

<中略>

 しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。

<中略>

 だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。

 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。

 だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からもくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである。

<中略>

 また、もう一つの別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたらとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。

 つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。

 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも雑作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。

 このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。

 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。

 それは少なくとも個人の尊厳の冒涜(ぼうとく)、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。

 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。

 「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人人の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

 「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。

 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱(ぜいじやく)な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。

<後略>

(『映画春秋』昭和二十一年八月号)

「ジェラス・ゲイ」
http://homepage.mac.com/ehara_gen1/jealous_gay/itami_mansaku.html

</引用>
 

ナンカねぇ・・・小泉フィーバーの頃を思い出すと、

(あぁ、この道はいつか来た道?)

なんて思えてしまうのですよ。

「自分の身を守るためには、自分がシッカリしていなければならない。」

と思えるようになったのも、ベトナム人にもまれて生活しているから?
その点ではベトナム暮らしは自分にとってプラスになっていると思いたいっス。
それにしても万作氏の言葉・・・

重いわぁw。
 


でわっ!

2007年2月21日水曜日

もうw、強引なんだから

夕方、妻に仰せつかってトイレットペーパーを買いに外に出て、
近所のカフェ(自宅改造)の前を通りかかると・・・

「まぁ、ココに座って一杯(カフェ)やってけ!」

と、カフェしていたオジサンにいきなり呼び止められ、
腕をつかまれ強引にカフェにつれこまれて、

話し相手させられちゃいました。・・・orz

このオジサン、クメール語が達者で、
お構い無しにクメール語で話しかけてくる。

オジサン(以下オ):「クメール語話せるんだろ?」

ワタシ(以下ワ):「少しだけなら・・・」

オ:「オレはクメール語を書くことも出来るんだぞ。ホラホラ。」

ワ:「オジサン、スゴ~イ!(パチパチ)ところでオジサンベトナム人?」

オ:「ベトナム人だ。ポルポトロンノルがドンパチはじめた時に

   ベトナムに戻ってきたんだ。」

ワ:「へぇ~!じゃ、それまでカンボジアで育ったんだ。

   それでクメール語が書けるワケね。」

オ:「もう、30年になるか。いまじゃすっかり忘れちゃったけどな。」

・・・ところでオジサン。すっかりデキアガッテいて、息が酒臭いんですけど。

オ:「クメール語話せるんだろ?」

ワ:「なんで知ってるの?」

オ:「おぉ、お前んトコの大家と話したときそう言っていた。」

ワ:「いや、ちょっとしか話せないっス。」(大家めぇw・・・)

ちなみにウチの大家もこのカフェの常連で、いつも誰かとダベってます。
で、ワタシたちの横では、ごみ収集のオバサン2人が

仕事の合間に一息入れていて、
そのオバサンたち相手にワタシを話のネタにして

ひとり、盛り上がっているのですが、明らかにオバサンたちも

(何なの?このヨッパライ?)

と明らかに引き気味。

そんな事にはお構い無しにオジサンのテンションはますます上がり

オ:「オレの仕事はЄφύΞξαЙなんだ。」

ワ:「

オ:「お前の恋人はベトナム語は話せるのか?

   ドイツ帰りのベトナム人はΨЯЭлΔだ。」

ワ:「??

オ:「ベトナム語はフランス人が作ったんだゾ。

   日本語とベトナム語はБфΪЊЖだな。」

ワ:「???(ダメだっ!援軍を呼ぼう!)」

ピ・ポ・パ・ペ・ポ。

妻:「アロー。」

ワ:「アロー。手が開いてたらいつものカフェまですぐ来てくれw!」

妻:「チャー。

・・・数分後。妻到着。

ワ:「このオジサン、クメール語で話しかけてくるんだけど良くワカラン。」

妻:「プー、何を話していたの?」

オ:「おぉ、カンボジア人かっ!オレは昔カンボジアにいて・・・(以下省略)」

オジサンはクメール語の話し相手が出来て嬉しそう。

(ってオジサン、ベトナム人でしょ?)
で、丁度いい?タイミングで知り合い(日本人)がその場に現れたので、

ワ:「オジサン、ソームトー。チョッと知り合いと話があるんで失礼します。」

と、妻にオジサンの話し相手を押し付けてしまったワタシは悪い夫デス。はい。
でもね、ウチの妻もクメール語が思う存分話せたからヨカッタのではないかと。

(自己弁護)

で、夕食の時、妻とオジサンのことを話し合いながら・・・

ワ:「あのオジサンの言ってたこと良くワカんなかったよ。

   どこの方言?ラオス近く?」

妻:「教科書のクメール語じゃなくて、口語のクメール語だったのよ。」

ワ:「えぇwwwっ!?そっ、そうなの?」

妻:「ワタシがアナタのクメール語に合わせてるから

   本当のクメール語はワカラナイのよ。」

ワ:「ガwwwン!

   (そういえば妻の親戚が来たときも、何言ってるのか良くワカラナカッタ・・・)

あ、そうそう、話し相手のお礼?として

カフェの飲み代はオジサンのオ・ゴ・リ♪
まぁ、そんなカンジ(どんなカンジ?)で

正月は過ぎて行ったのでありました。


でわっ!

2007年2月20日火曜日

気になるひと言

『はだしのゲン』より

ゲンの父ちゃんがゲンにこぶしを振るいながら・・・

<抜粋>

「ばかたれっ 朝鮮の人をばかにするようなことをいうなっ」

「戦争をはじめた日本のオエラ方がばかだとおしえこんだんだ。日本人がすぐれていて朝鮮人や中国人はばかでダメな人間だとな。よその国の人間はみんなだめで鬼みたいなやつだとおしえ、弱い相手だから日本は戦争に勝てるとしんじさせるためだ。おまえたちはだまされるんじゃないぞ。朝鮮の人や中国の人みんなと仲よくするんだ。それが戦争をふせぐたったひとつの道だ

</抜粋>


美辞麗句に酔いしれて、自分の身の丈を忘れることほど愚かしいこと無し。

「美しい国」・・・ですか・・・

「品格のある国」・・・ですか・・・

「民度の高い国」・・・ですか・・・

だれが本当のことを言っているのか、見極めなければなりません。
オエラ方に騙されないように。
(かくいうワタシも小泉純一郎氏にはまんまと騙されたくちですが・・・orz)

間違いを間違いのまま放っておいたら必ず将来に禍根を残します。
そのときに痛い目を見るのはオエラ方やオエラ方の取り巻きでは無く
騙され続けた無垢な一般市民であることは確実。

今必要なのはオエラ方に世界を任せることではなく
世界中の一市民同士が相互理解を深め、
人為的に作られた「バカの壁」を乗り越える事ではなかろうか?

と思う次第です。はい。


<記事>

米副大統領、午後に来日=対テロで協力要請へ
2007/02/20-05:33
http://www.jiji.com/jc/zc?k=2007022000022

 米国のチェイニー副大統領が20日午後、羽田着の特別機で来日する。21日に安倍晋三首相と会談し、北朝鮮やイランの核問題、イラク情勢などについて意見交換、日米同盟の重要性について再確認する見通しだ。

 副大統領の来日は2004年4月以来。首相との会談は、首相が自民党幹事長代理だった05年5月にワシントンで行って以来となる。イラクへの米軍増派に反対する決議が16日に下院で採択されるなど、ブッシュ政権が中東外交で厳しい国内状況にある中での来日で、テロとの戦いで日本の一層の協力を求めるとみられる。22日まで滞在し、この後オーストラリアを訪問する。

</記事>


<参照>

北朝鮮の核兵器を作ったチェイニー副大統領
http://alternativereport.seesaa.net/article/31126549.html#more


核抑止論は人殺しの論理
http://alternativereport.seesaa.net/article/34122924.html

</参照>


なんども繰り返すようでアレですが、
ミンナそれぞれに家庭の事情とか自分の都合とかあるわけで、
「非国民!」といわれてしまえばそれまでですが、
先ずは自分の生活を守りたいのが本音。ワタシは多くは望みません。
「負け組」と呼ばれようと気にしません。(所詮、浪人ですから)
ただオエラ方に勝手に生活を引っ掻き回されるのはカンベンして欲しいっス。

もし、日本国「政府」オエラ方
日本国「国民」の生活をないがしろにするのであれば
「自分の生活」守るために何をなすべきなのか?
覚悟を迫られているのは「外交」ではなく
日本国内の「内政」にあるように思える今日この頃。

以前、明治維新の見直しの必要性を述べましたが、それに絡んで・・・


<引用>

【明治維新】大逆のテロリストは「美しい国」の伝統だ
http://anarchist.seesaa.net/article/24417519.html

<抜粋>

国を興すも滅ぼすもである。歴史はすべて人間によって作り出される。そして一時も休むことのない、その悠久の流れの中には、動かすことの出来ない真実がある。

誤れる歴史は悲劇を招く。今次大戦における日本の敗戦も、実に仮面を被らされた国史にあった。

アナトール・フランスは「顕微鏡は肉眼の誤診を拡大する」といったが、この特集は正しい史眼により歪曲された史実を正して、歴史を動かし、創造を担った人々の真姿を探求したものである。

</抜粋>

</引用>


でわっ!

2007年2月19日月曜日

腰が、腰がぁwww!

妻の親戚がこの正月に泊りがけ(一泊)で遊びにやって来まして
当然のごとく夜は、妻と妻の叔母とその娘にベットを明け渡し
ワタシは冷たい床の上で寝る羽目になりました。

で、一夜明けてみると・・・腰が痛いっス。
腰の痛さで朝早く目が覚め、寝返りを打っても寝つけません。
ワタシの場合痩せているので、
横向きになると腰骨が当たるんですよね。床に。
もちろん薄い掛け布団を2つ折りにして敷いていたのですが
腰骨の一番出っぱったところが支点になっているのが分かるんです。
寝入りばなは、横になってさえしまえばそれでも寝付けるのですが
目覚めたときに襲ってくるのですよ。痛みが。

腰の痛みで寝直すこともままならず、
朝早く(AM6:30)から近所のカフェ(持ち家改造)
に行ってボwwwっとしてました。(開いててヨカッタ~!)
正月の早朝だというのに既に先客が数名。
もともとが早起きの国民性だから、
正月だろうと生活習慣は変えられないのでしょう。

カフェから戻るのと入れ違いに
女性3人組は朝食(フーティウ)を食べに行くというので
ワタシはお留守番をすることにしてベットの上で一休み。

あぁwww、生き返るぅwww♪

と、思いっきり寛ろいでいるのもつかの間、
妻たちが朝食から戻ってきて

「どこかお寺に行きたい。」

と言うので、ベンタン市場近くのあるヒンズー寺院へGOw!
ちなみに、クメール寺院もあるのですが、
同じ様なもんだろうとカッテに解釈しヒンズー寺院で妥協。
途中、聖母マリア教会にチョット立ち寄ってから
グエンユー通りヒンズー寺院までトコトコ歩いていきました。

幸い天気が曇り気味だったので心地よく?
朝の散歩を楽しみつつ目的地に到着。
で、込んでましたねぇw。ヒンズー寺院。(とくに女性で)

ベトナム人ヒンズー教徒が多いとは思えないのですが
まぁ、うわさ(ベトナム人による)ではココはご利益があるそうで、

「ご利益があればナンでもいいや♪」

というノリと、ヒンズー教仏教の違いなんてよくワカンナイんでしょ。
(もちろんバリバリのインド人ヒンズー教徒の姿もあり)

まw、かくいうワタシも「祈る」という行為においては
その対象がナンであろうと・・・

ドルイド教だろうと、ミトラス教だろうと、キリスト教だろうと、
ゾロアスター教だろうと、イスラム教だろうと、バラモン教だろうと、
仏教だろうと、ユダヤ教だろうと、ヒンズー教だろうと、

もう、なwwwんでもOK。

要は「祈る」という行為は、自分以上の存在との関係を確かめる事ですから。

妻たちがお祈り(お願い?)を終えてから
ついでにベンタン市場まで足を伸ばしたのですが、
正月中に商売しているお店なんて無いだろうという予想に反して
市場の外側にある食材売り場はいつも通りに商売してるし、
市場の中もすでに営業しているお店が何店かあり、
買い物をしている観光客客の姿もチラホラと。
案外、長期在住している人間もこれは盲点かも?
さっそく昼ごはん用の食材を買い込みましたwww。

・・・実は正月前に妻に、食材を買い込んで置くように妻に言ったのに

「心配しなくてもダイジョウブだからw。」

と言って準備しなかったので、いざ正月になって

「どうしよう、近所のお店やってないよぉwww!」

親戚が遊びに来るっチュwのに、
食べるものが何にも無いのはマズいだろぉw!

という状態だったので助かりました。ホント。

買い物帰りは買い込んだ荷物もあって、
さすがに歩くのがキツかった(日差しも強くなってきた)のでTAXIで帰宅。

家に着いて買い込んだ食材で昼食を用意し、
食事を済ませてTVを見て寛いでいると今度は

「スオイテンに行きたい。」

ええwww!?時間はもう午後2時近く。
とてもじゃないけどこれから「スオイテン」に行って、
6時前に家に戻って来るのはかなりキツイ・・・
なので、時間的に無理があるという理由で「ダムセン」に変更して
時間が惜しいのでソッコーで出かけました。はい。
で、「ダムセン」に着くとこれがまた、エライ人の込みよう。

それにしても楽しみ方の気合の入れ方が違いますね。ベトナム人わ。
もう、アッチコッチで芝生にビニールシートひろげ、
入園料(3万5千丼)の元を取ろうと、皆さんキャンプ状態ですわ。

ワタシたちはブラブラ園内散歩を楽しみつつ、
「恐竜館」「氷の館?」なるものを見てきたのですが、
(ワタシは「氷の館?」はパス。寒いのニガテなんで・・・)
「恐竜館」に入る方にはアドバイスがひとつ。

「ボートの先頭の席に座ってはいけない!」

先頭の席に乗った親子が、途中にある滝下り?のとこで
盛大な水しぶきの洗礼を受けてました。(合掌)

その他にも動物園区画を見て回ったり、
獅子舞のショーを見たりしているうちに時間はもうお帰りタイム。
妻の叔母が予約したミニバス?がPM5:30には
ワタシの家の近所で叔母と従妹をPick Upして
そのまま田舎に戻ることになっているのでノンビリできません。
帰り間際に池のほとりで記念写真を2,3枚撮り急いで帰宅。

ミニバスの時間には無事間に合い、叔母と従妹を見送りホッと一息。
と、同時に今まで忘れていた腰の痛みがムクムクと。
考えてみれば今日1日だけで結構な距離を歩いた様な気が。
でもまぁ、これも一年に一度のイベントだからしょうがないっス。

でもって、TET(旧正月)の残りは家でのんびり静かに過ごしたいっス。
 

でわっ!

2007年2月17日土曜日

花火と火花

大晦日(とは言っても旧暦だと31日じゃないからヘンなカンジっす)に
グエンフエ通りに見に行きました。新年の打ち上げ花火を。

夜11時半ころ家を出て、ブラブラ散歩がてらにグエンフエ通りに向かうと
まず、聖母マリア教会のところで結構な人だかり。
人の集まるところ商売する人も集まってきて、アッチコッチでお店を開いてます。
取り締まり?のおまわりさんの姿も見え、夜中までお仕事ごくろうさん。と。

「花火ってクメール語で何ていうんだっけ?
           プカー・プルーン?プルーン・プカー?

なんて話ながらドンコイ通りグエンフエ通り方面に歩いていくと、
レタントン通りとの交差点から先がもw、スゴイ込みよう。

ドンコイ通りを行くのをあきらめて、
REX HOTELの方に迂回してグエンフエ通りに出ると
これがまたもwwwのスゴイバイクの量。と、いっても走っているワケじゃなくて、
花火を見る為に皆んながもう勝手に路上駐車しちゃってます。
おまわりさんも交通整理を諦め?もうお手上げ。というか臨時駐車場状態。

ま、それでも暗黙の了解というか、とんでもなく迷惑なバイクのとめ方をしている
非常識な輩がいないのはさすがベトナム。(と、ちょっと関心)
ベトナム人て集まるとナントナク規律が生まれるんだよねぇ。
いつぞや日本で花火大会のときに見物人が圧死した事故がありましたが、
ベトナムではそれはナイだろうと漠然と思えるんですよ。
とりあえずお年寄りと子供はいたわるから。

交通事情にしても、外国人が見ると交通ルール無視の勝手な人たちに見えるけど
これで大して事故が発生していないんだから不思議。
東京の都心で同じような状態だったら
確実に100倍以上の事故発生率になるのでわ?
自分勝手な人たちようで、どこかに歯止めがかかっている不思議な国民性。

さてさて、歩道にまで駐車しているバイクを掻き分けつつ
PALCE HOTELの前までたどり着くと、
ちょうどサンワタワーの壁面にカウントダウンの文字が・・・

(あれ?カウントダウン15秒前で止まったままだぞ?)

このまま止まったままなのか?と、
まわりのベトナム人ギャラリーも、とwwwっても不安そう。

(オイオイ、大丈夫か?ま、ベトナムだからアリか・・・)

と、動き出しました、動き出しました。カウントダウンが。

(ホッ・・・)

・・・5、4、3、2、1、0!ドドwwwン!

いやw、無事時間通りに始まってくれて安心しましたw。
とはいっても、カウントダウンと花火がシンクロしたワケであって、
実際の時間は・・・ゲフン、ゲフン。

ま~、それにしても結構な人込みでしたわ。外国人も含め。
ワタシの前が台湾人のオッサンでしょ。(ワタシもオッサンですが・・・)
で、後ろがロシア人のオッサン。(ワタシもオッサンですが・・・)
それが威勢のいい花火が上がる度に、

「ハオwww!」+「ハラショwww!」

の歓声が湧き起こるのでありました。
惜しむらくは花火の打ち上げポイントの辺りにちょうど小さい雲があって
イマイチ花火がハッキリ見えなかったのが残念。
(教会の周りに陣取っていた人たちは殆ど見えなかったんじゃ?)

それでも高く打ち上げられた花火はきれいに見えまして、
シッカリと年越しの雰囲気を満喫させてもらいました。
なんせ、この前の日本の大晦日のときは朝からエアコンの修理でまったく・・・

(にしても花火が終わった途端に人の波が引くのも早いわぁw!)

来た道をまたトボトボと家に戻る途中、
家の近所(グエンティミンカイ通り)まで来たときに
タバコがもうすぐ切れるのを思い出し、道端のタバコ屋台でコンメオを買い
お釣りを受け取っているその時、

ガシャwwwン!ガリガリガリwww!ズザザwww!(飛び散る火花)

親子3人乗りのスクーターを追い越そうとした
学生?2人のドリームが接触して両方とも転倒。
後続の若者2人乗りのバイク1台も巻き込まれて。
計7人が路上に投げ出されたのですが、
それ以上事故に巻き込まれるバイクもなく、
みんな幸い大した怪我でもない様子。
(と、いい方に解釈します。はい。)

本当に目の前でおきた事故だったもんで、ビックリしたのと同時に、
転倒して路上に投げ出されたお母さんが小さい子供をシッカリ抱きかかえ
自分の身を挺して子供を守ったその姿に

感動した!

子供は何が起こったのか分からず、ギャwギャw泣いていたので
ま、打ち所は悪くはなかったのでしょう。
(と、いい方に解釈します。はい。)

タバコ屋台のおばさんも目が点になってて、お互い顔を見合わせ

「ゲwwwワwww!」

・・・下宿に着くと大家さんが中から鍵を開けてくれたので早速

「チュック・ムン・ナン・モイ♪」

と、精一杯の作り笑い。(だって事故見た直後で顔引きつってたし・・・)
そのあと、今そこで見てきた事故のことを大家さんにも話そうかとも思ったケド、
もし縁起の悪い類の話だったら大家さんに後で恨まれそうなので

ヤwwwメた。

なんせ正月に関してはウルサイですからね。ベトナム人わ。
(霊柩車を見るのは縁起がいいらしいのですが、事故は?)

なワケで寝る前に妻と事故のことを話し合いながら、

「今夜は花火を2回見たね。お空の花火と地上の花火。

チャン、チャン。・・・orz
 


でわっ!