2010年10月30日土曜日

ゆっきーの肩をもってみる

まずは・・・

「ゆっきーガンバレ!」

と、エールを送らせていただきます。はい。

 あちこちからボロクソ叩かれていますが、ゆっきーの「国難といえる時に自分だけ辞めて『はい、さようなら』でいいのか」と云う言葉にウソは無いと、ワタシは信じます。

鳩山前首相、「引退撤回批判」に反論 ネットでは袋叩き状態


 よくよく思い返してみれば、マスコミ叩かれるということは「ゆっきーの方が正しいんじゃないか?」などと思う次第です。ここはひとつ、どんなに周りから叩かれようが、再度政界に復帰してもらい、方向性が狂い始めた民主党に喝を入れて欲しいものです。

 確かに在任中は頼りない首相であったかもしれませんが、ゆっきーが闘った相手を思えば、逆に「良く頑張ったな」と。

 在任中は、おぼっちゃん育ちがどうのこうのと批判も受けましたが、首相を辞任する時はもうボロボロだったんじゃないですかね?それでもって大抵の?政治家というか人間だったら、

もう二度とあんな思いはゴメンだ。

と、尻尾を丸めてしまうところなのでしょうが、敢えてまた政界に、民主党議員に復帰する意思を固めたのあれば、それなりの覚悟を胸に秘めているのでしょう。識者からは「鳩山前首相の引退撤回こそ新たな国難だ」との指摘も出ているらしいですが、口先だけで、最終的には自分の保身しか考えていないくせに政治を論じるあまたの「識者」の方がよっぽど

日本にとっての国難

以外の何物でもないように思うのですが?


 ワタシはゆっきーの復帰を応援します。いや、是非政界に復帰し「狂った民主党」を建て直して、ワタシたちが期待した「本来の民主党」に戻して欲しいと切望します。

 確かに、一度引退を表明しながらカッコ悪い、見苦しいという見方をする人が多いのでしょうが、養老先生の「バカの壁」の中に書かれていた一節で目からウロコが落ちたのは

君子豹変す

の解釈でした。それまでずっと悪い意味・・・態度が急に変わるとか、裏表のある人間の例えだとか思っていたのですか、ジッサイは「君子(聡明な人間)ほど、自分の間違いに気が付いたらスグに訂正する」の意であることを知り、方向性を変えることは恥ずべき事じゃないと。

 もちろん普天間基地移転に絡んだゆっきー発言は二転三転し、傍から見ても「言質の軽い人間」と批難されましたし、
ワタシも散々?批難しました。

 しかし逆に見れば、ゆっきーを辞任に追い込んだのは「普天間基地移転」の問題、それ一点のみとも言えるワケで。それも、移転を引き伸ばしに引き伸ばし、逃げ切り辞職とも捉えられるワケで、正直ワタシ、「辞めることはナイダロwww」と思っていましたが、ゆっきーの後を継ぐ者がきっと事態を好転させてくれるんだろう・・・と、甘い期待を抱いていました。・・・が、みなさんご存知のように、日本と日本を取り巻く状況は「普天間基地問題」を含め、ドンドン悪くなるばかりです。

 ゆっきーがもう一度トライしたいと決意を固めたのであれば、ワタシは応援します。今現在権力の座に君臨し好き勝手な事をやっている連中より、ダメはダメなりにも、精一杯庶民の為に力を尽くした感のあるゆっきーの方が、よっぽど信用できます。

 失敗というか、一度レールから外れてしまうと再起のチャンスも得られないような社会。そういう風潮を垂れ流しているマスコミや論者。そんな社会の閉塞感を打ち破り、現在不遇にあえいでいる若者や、その他おおぜいの庶民に希望というか、不屈の魂を見せ、

やり直すことは恥ずかしいことじゃない

という勇気を与えるためにも、無様だろうが、批難を浴びようが、泥まみれになろうが、ゆっきーにはガンバッテ欲しいと思う次第です。はい。

 育ちの良いゆっきーにはかなりシンドイ事だろうと思いますが、それでもなお、「国難といえる時に自分だけ辞めて『はい、さようなら』でいいのか」という任侠心に駆られてのことであれば、もう・・・やれるだけやっちゃってください。

骨は拾いますので

・・・心の中でですケド・・・


でわっ!

2010年10月29日金曜日

すえた匂い

三島由紀夫を読むと、登場人物に「すえた匂い」がする。

す・える【×饐える】
[動ア下一][文]す・ゆ[ヤ下二]飲食物が腐って酸っぱくなる。「御飯が―・える」「―・えたにおい」
Yahoo!辞書 大辞泉



 はじめて三島作品を読んだのは高校生のときだった。
「豊饒の海」第一巻・春の雪に登場する初々しい青年たち。不安にドップリと浸かりつつ、それでも男としての性(さが)である、異性との接触に心ときめかせる、当時の自分と重なる姿に共感しながらも、やはり、彼らの内に「すえた匂い」を感じた。

 容姿端麗、非の打ち所の無い「上流階級」の子弟なのだが、ワタシの感覚とは何かがズレていた。その「すえた匂い」がいったい何によるものなのか、分からないままに年を重ねてきたがフト、この年になって思い起こしてみるに、やはりあれは「腐敗臭」だったのだと思う。外見はどんなに見目麗しい青年であっても、肌が透き通るように白くでも、清潔感の塊の様な潔癖な性格であっても・・・


腐るものは腐るのだ


内側からジワジワと、その精神は腐っていくのだ。内側から腐る事の恐怖をして、三島由紀夫により男性的な肉体、精神を求めさせたのではないかと、今にしてそんな風に思う。

 そしてその腐敗の萌芽は、戦時中という時代に三島由紀夫の内部に植えつけられた萌芽ではなかったのか?時代そのものが「すえた匂い」を放っていたのではないか?表向きは「軍国主義」だの、「滅私奉公」だと社会全般が勇ましい事を言っていたが、その内面は腐っていたのではないか?

 多感な三島由紀夫少年は、その社会の「すえた匂い」を内に宿してしまい、宿命的に、作品に「すえた匂い」を投影し続けたのではないのか?その衝動、原動力として、「内側から腐ることの恐怖」があったのではないか?

 こん日の時代も「すえた匂い」が蔓延しているような気がする。新鮮な果物のように見えても、その内側では腐敗が刻々と進行しつつあり、或る日、腐敗が表面に現われ一挙に崩壊する。

 その崩壊の恐怖に縛られ続けた三島由紀夫という作家は、やはり「茶色い時代」の申し子だったのだ。戦後の日本にはアメリカという新しい価値、新しい太陽がもたらされ、みんながその威光に目を細め、表面的には受け容れたようではあったが、それでも三島由紀夫の内部の腐敗は、止まることはなかったのだろう。

 内なる腐敗、精神の腐敗を食い止めるために、「盾の会」にのめり込んでいった三島由紀夫と、はたしてどれだけの会員が精神を共有できたのだろうか?三島由紀夫は「切腹」しなければならなかったのだ。内なる腐敗を外に吐き出す為に。それしか自分を救う道はないと。

 武士道などではない。三島由紀夫は己にまとわりつく「すえた匂い」と、その原因である内部腐敗を恐れていたのだ。しかしそれは、そのまま三島由紀夫が非凡な才能の持ち主であったことの証明でもある。「腐敗臭」に気付かない作家の方が大多数であったのだから。

 そしてもうひとり、おそらく「腐敗臭」に気付いていたであろう稀有な若者がいた。やはり彼も若くして死んだ。

尾崎豊

そのひとである。


でわっ!

2010年10月25日月曜日

反社会的勢力?

 ワケわかりません。この記事。


<貼付け>

反社会的勢力と関係、相撲案内所1軒を契約解除


 日本相撲協会は25日、大相撲春場所(大阪)のチケットを代行販売している9軒の相撲案内所のうち、1軒について、入場券販売契約の更新を中止した、と発表した。

 協会が実施した内部調査で、代表者が反社会的勢力と関係があることが確認されたという。

 相撲協会は、名古屋場所前の6月にも、暴力団と関係があった相撲案内所1軒と契約を解除しているが、8月に「暴力団等排除宣言」をしてからは初めて。

 放駒理事長(元大関魁傑)は「これで(相撲案内所の問題は)終わると思う。契約の解除は、先方も了解している」と語った。

(2010年10月25日18時17分 読売新聞)

</貼付け>


 ナンなんですかね?この記事の「反社会的勢力」って?ヤクザ、暴力団の類であればそう書くんだろうし、ヒョッとしてあれですか?アルカイダの関係者とか?想像が膨らみます。

 ワタシこの記事を見て、一瞬ですが背筋が冷たくなりました。と云うのも、「反社会的」などと軽々しく公共の媒体?に書く、その神経が恐ろしくて。それともオンラインニュースは私物なんですかね?

 まるで戦時中の特高の如きですな。「反社会的」だなんて。ま、やくざ、暴力団と分けられているようですから、一応、やくざ、暴力団は「社会的」の範疇にあると思ってイイんですかね?

 ハナシは戻って「反社会的」ですが、何がどう「反社会的」なんですかね?ハッキリ書けないのなら、「反社会的」などと云う威嚇的な表現は使わず、もう少し別な表現があったんじゃないんですか?例えば・・・違法行為団体とか、脱法行為団体とか?

 ワタシ思うんです。「法律」と「社会」とはイコールじゃないと。もしも人の集団である社会が法律でガンジガラメだったら、非常に住み難い社会だと思うワケです。本来人間同士の間では、「情」がほとんどの事は解決してくれるのではないか?と。

 「愛により為される事は善悪の彼岸に在る。」とはニーチェの言葉ですが、善悪の問題は置いておくとして、現実問題として社会には利害が存在します。その利害関係を公平に解決する為に法律が必要だと思うのです。しかも法律の適用にしたって、「情状酌量」ってあるくらいです。

 過ちを犯しても「法律」を遵守すれば社会から阻害される必要はないはずで、「反社会的」となると、いったい・・・

どんだけwww

と、ドン引きしてしまいます。「オーム真理教」並みの団体ですかね?

 ところで、「反社会的」と云う言葉を使いたいのであれば、現在世界中に金融危機を巻き起こし、庶民の生活を苦しめている「金融関係者」こそ、「反社会的」と呼ばれるにふさわしいと思うのですが?

 イラクにとって、アフガニスタンにとって、「反社会的」なのは誰なんですかね?日本にとって本当に「反社会的」なのは誰なんですかね?ぶっちゃけ昨今、検察は十分に「反社会的」な組織のように見えますが?なんせ、「無実の人間」に罪を被せるのがお好きなようですから。

 さらに言えば、「反社会的」なんて言葉を軽々しく使ったり、いいかげんな「世論調査」とかで庶民を煽り、社会不安を掻き立てるようなマスコミも十分、

反社会的

と思わざるを得ませんな。え?まさか相撲協会が「反社会的」なんて言葉を使ったワケじゃないでしょ?

 社会とは庶民が集い暮らす、庶民の為の場所であり、したがって庶民の中から「反社会的」という言葉が上がるのは納得できますが、マスコミや政治家といった、所謂「権力者側」が「反社会的」という言葉を使うとき、何らかの意図を感じずにはいられません。はい。


でわっ!

2010年10月23日土曜日

鹿男PART6

 藤原不比等とは何者なのか?調べ続けているのですが、明快な答えが得られません。確かな事は、ものすごく頭が良かったらしい・・・と。元々の名前は「史(ふひと)」らしいのですが、その人並み外れた能力に敬意を表して後年、「不比等(比べ等しき者ではない)」と称されたのでしょう。

 さて、その不比等ですが、ワタシが思うに彼の一番の業績は何と言っても、
「古事記」と「日本書紀」の編纂でしょう。現代においてなお、多くの歴史学者および、多くの歴史マニアがその内容に悩まされ続けているワケです。

 そんななかでワタシ思ったんですケド、何で「古事記」と「日本書紀」と二種類編纂したんですかね?つまり、二編の歴史書を編纂したワケで、意味が無いとは言いませんが、天皇家の正統性を書き記すのであれば、一編で十分だったんじゃないか?・・・と。逆に考えれば、
二編の歴史書を編纂する必要があったとも考えられます。

 そこで!気になる記事を見つけたのですが・・・

32.江戸川乱歩も驚いた!? シュメール語訳『古事記』の謎(1998.6.18)


上記のリンク先に拠れば、「古事記」はシュメール語で読む事も可能らしいです。はい。


<引用>

古事記より

「豊玉姫(トヨタマヒメ)の歌」

(原文)
阿・加・陀・麻・波・袁・佐・閉・比・迦・礼・杼・斯・良・多・麻・能・岐・美・何・余・曽・比・斯・多・布・斗・久・阿・理・祁・理

(読み)
あ・か・だ・ま・は・え・さ・え・ひ・か・れ・ど・し・ら・た・ま・の・き・み・か・よ・そ・お・し・た・ふ・と・く・あ・り・け・り

(文節1)
あかだまは/えさえひかれど/しらたまの/きみがよそおし/たふとくありけり
>赤玉は 緒さへ光れど 白玉の 君が装し 貴くありけり

(文節2)
アカ/ダマユ/サエ/ヒガ/レジ/シ/ラジ/ダマ/キン/ガ/ユ/グシ/タブ/トク/アルケル
>AKA DAM’U SUR GIG RAG SI LIG DAM KIN GI U GUSH TAB TUKU UR KIL

(シュメール語訳)
私の愛した夫よ、宮中の僧侶は(あなたが)病気だから祈祷をすると、布施をせがみます。私の大君よ、もっと度重ねて消息を聞かせて下さい。手紙を頂くのを、心待ちに致しております。


「火々出見命(ホホデミノミコト)の返歌」

(原文)
意・岐・都・登・理・加・毛・度・久・斯・麻・邇・和・賀・韋・泥・斯・伊・毛・波・和・須・礼・士・余・能・許・登・碁・登・邇

(読み)
お・き・つ・と・り・か・も・ど・く・し・ま・に・わ・が・ゐ・ね・し・い・も・は・わ・す・れ・じ・よ・の・こ・と・ご・と・に

(文節1)
おきつとり/かもどくしまに/わがゐねし/いもはわすれじ/よのことごに
>沖つ鳥 鴨著(ど)く島に 我が率寝(ゐね)し 妹(いも)は忘れじ 世の事毎に

(文節2)
オツキン/ドル/ガン/ドク/シム/ア/ガ/イネジア/イメ/ハ/ス/ラジ/ユ/ノクダ
>UK-KIN DUR GAN DUG SIM I GI EN-GIA IMME-LI GAZ SU-LUG IL’NI-KUDDA

(シュメール語訳)
水は皆清く、光り輝いている。私は酒浸りになっている。里帰りの人(豊玉姫)よ、思い返しなさい。(今は)憂さ晴らしに人民の税金を高くして、酒に歓楽を求めている。

</引用>


ま、この一例を以って判断は出来ませんので、全体を通して、どれだけの割合でシュメール語か隠されているかに拠るか?と。で、かなりの割合でシュメール語が隠されているならば、不比等はシュメール人、もしくはシュメール語に関する知識があったと見なせるでしょう。そしてシュメール語の歴史書?「古事記」の編纂の必要性も。

 では何故?不比等にシュメール語の知識があったのか・・・。さらに辿れば
中臣氏(シャーマン氏族)とはどういった氏族だったのか?そして天智天皇と天武天皇の確執と、藤原氏の相関関係とは?

 ・・・そういった諸々の史実が「日本書紀」、「古事記」からはスッポリと抜け落ちているワケですよ。まるで隠すかのように・・・。
 
 そこで参考までに、韓国・・・というか、朝鮮半島の古記、「桓檀古記」の中にシュメール人の記述があるのですが、「偽書」と見なしている韓国人学者も多く、資料としての価値は未だ未知数?かと。はい。


<引用>

『桓檀古記』中「三聖紀全 下巻」より

「『古記』に云ふ、

「波奈留山が下(もと)に桓仁氏の国有り。天海以東の地は亦、波奈留国と称す。其地広さ南北五万里、東西二万余里也。総言すれば桓国(韓国)也。分言すれば則(すなは)ち卑離国、養雲国、寇莫汗国、勾茶川国、一群国、虞婁国(一に畢那国と云ふ)、客賢汗国、勾牟額国、売勾余国(一に稷臼多国と云ふ)、斯納阿国、鮮稗国(一に琢韋国と称す。或ひは通古斯国と云ふ)、須密爾国、合はせて十二国也。天海は今、七世に伝へ、年を歴(へ)ること共に三千三百一年、或ひは六万三千一百十二年と云ふ。未だ孰(いず)れか是なるを知らず」と。」(原漢文、以下略)

この中に登場する「須密爾国」(スミル)こそが、シュメール(スメル Sumer)の事なのです。しかし、これでも、「シュメール人が日本に移住した等と信じられるか!?」とおっしゃる方もおありでしょう。そんな方の為に、更に証拠をお出ししましょう。それは「国名」です。何と古代日本とシュメールの国名は同じだったのです。


古代日本とシュメールの国名は同じ?

古代日本 葦原之中津国
(アシハラノナカツクニ)


シュメール Ki-En-Gi-Ra
(キ・エンギ 「葦原之中津国」の意味)


どうでしょう? 両者の国名は同じ意味を持っていたのです。

一般に「シュメール」と呼ばれていますが、シュメール人自身は自分達の国を「キ・エンギ」(葦原之中津国)と呼んでいました。「シュメール」と言うのは、周辺民族側の呼び方で、「ニッポン」を「ジャパン」等と言うのと同じな訳です。

</引用>


 兎に角、日本の歴史を「神話」の世界から引きずり出さない限り、「真の日本の姿」が見えてきません。そんな大昔の事を調べてナンのメリットがあるんだ?と思う人が大多数でしょうが、ワタシとしては、これから「日本」と云う国がどういう「国造り」をするか、未来に向けて重要な示唆を含んでいる問題のように感じるワケです。

 人間だって真っ暗闇の中では上手く歩く事が出来ないように、自分の立ち位置(歴史・アイデンティティー)があやふやな「国」も、明確な未来、進むべき道が見えてこないと思うのです。それが過去、どんな歴史であろうと・・・。

 したがって歴史学者なる人たちは、洋の東西を問わず「国」の将来、未来に対する責任を負っているという自覚が必要なのは、自ずと明らかかと。勝者側から見た歴史だけでなく、敗者側からの視点も無ければ、「歴史」と云う「事件の積み重ね」に、冷静な判断を下せないように思う次第です。

 また、歴史学者じゃなくても、誰もがネットを使って、最新の歴史資料に目を通す事が出来ます。その点で、前回は「虚構世界」とネットの事を揶揄しましたが、ネットの内部だけの世界に留まらず、現実の外部世界に働きかけるキッカケとしてネット情報を利用するのは・・・アリかと。

三武一宗の法難
会昌の廃仏


でわっ!

2010年10月22日金曜日

NO INTERNET. NO LIFE ?

 先週の土曜日の朝からパタリロ・・・もとい、パッタリとネットが使えなくなってしまい、どうしたものか?と、モデムを見ると、点灯しているハズの「INTERNET」と「ADSL」のライトが点いていなかったので、「またか・・・orz」

 過去にも何度かライトが点灯しなくて、ネットに接続できない状態になった事があり、その都度プロバイダのFPTのサービスに持ち込んで、モデムの内部設定を見直してもらっていたのですが、今回はサービスセンターでテストすると問題なくライトが点くんですわ。

 サービスセンターのお兄ちゃんが、問題ないからもう一度自宅で確認して下さいと言うので、モデムを持ち帰り自宅で接続し直しましたがやっぱりライトは点灯しませんでした。

 ここで考えられる原因は何か?と推測してみるに、モデムに供給される電気に問題があるのではないか?・・・と。FPTのサービスセンターには電源安定器が設置されていて、それでさっきはライトが点いたけど、ワタシの家にはそんな物ないので、微妙に電圧が下がっているのかも?・・・と。

 ベトナム・・・特に市街地に住んでいる方ならご存知ですが、兎に角、電線の配線がいい加減なんですわ。もうね?初めて見たときはビックリしました。よく漏電、感電しないもんだと。はい。ジッサイ事故はあるんですけどね。ずいぶん前ですが、夜道端でビールを飲んでいたら、通りの向こう側の木製の電柱が「バチバチッ!」と、いきなり火を噴きまして、

なんじゃこりゃwww!

とまあ、日本じゃまず体験できない思いをしたんですが、あれからかれこれ10年。全く・・・もとい、ほとんど改善されてませんわ。

 そんなワケで家庭に供給される電気も、変動・バラツキがあって当然な状態で、近所で工事でもあろうもんなら、確実に電圧降下を起こしていると思われます。で、間の悪い事に最近、ウチの近所で新築工事をやってるんですwww。

 一応念の為に、近所の雑貨屋にタバコを買いに行ったついでに、雑貨屋のオバちゃん(自称マダム)に頼んで、店先のコンセントからモデムの電源を借りてみましたが、やっぱりライトは点灯しません。

 自宅はダメでもここならライトが点くんじゃないか?と期待していたんですが、電線のみならず配電網もけっこういい加減なので、ここも電圧降下しているものと思い込んでいました。

 対応、対処としては電源安定器を買うしかない。小さいやつでいくらくらいするんだろう?ヤン・シン市場の近くで買うしかないだろうな。・・・と、あきらめていたのですが・・・

 けさ朝食を済ませ一息いれて、ボチボチ安定器を買いに行くか?と準備していたら、ヨメがFPTの人が来たと言うので見に行くと、作業服を着た色の黒い肉付きの良い(一見黒豚?)男がいて、「インターネット使えますか?」・・・と。

 おおっ!何しに来たんだ?と思いつつも、「いやあ、モデムの調子が悪くて先週末から使えないんだ。」と説明すると、「ちょっと確認させてください。」と、ワタシのPCをパチパチいじり、ネットに接続できないのを確認すると、外の相棒に声をかけるのでそちらを見ると、ナンと!相棒が電柱によじ登っているじゃあwwwりませんかっ!

 黒豚ちゃんが相棒と一言二言やり取りすると、相棒は何やら電柱のインターネット用TB(ターミナルボックス)の配線をやり直している様子。で、配線を手直しした結果、無事ネットに接続できたのですが、原因は・・・

そっちかよ!・・・orz

それにしても、電気にしろネットにしろ、もう電柱の電線がグチャグチャなのをイイ加減どうにかしなさいよ。・・・と、ひとりでブチブチ・・・

 ま、ひとまず電源安定器を買わないで済んだので、それはそれでウレシかったんですケドね。それにしても、出張も重なって5日間ネットから離れてみて思うのは、ネットが無くてもワリと大丈夫かも?・・・と。

 逆にネットが無いと生活が成り立たない人もいるでしょうが、ネットの無い生活をしてみて感じたのは、ネットの世界って、やっぱり「虚構空間」なんじゃなかろうか?・・・と。ま、そんな世界にブログ立ち上げて、もう何年も経つワケですケドね。


でわっ!

2010年10月17日日曜日

鹿男PART5

 どうも「鹿島」に関してゴチャゴチャになって来ているのですが、確かな事は「奈良の鹿は鹿島から来た」と云う事くらい。しかしそれ以外の、武甕槌命(たけみかつちのみこと)が鹿島の地に天孫降臨より先に入植していた事や、藤原氏が鹿島出身であると云う事、そして藤原氏は本当に中臣氏出身なのか?・・・が、今更ながら分からなくなってきました。

 と、云うのも、
甕星香香背男、または星神香々背男(ほしかかせお?)という、常陸の国の土着豪族の存在があるからです。「日本書紀」によれば、武甕槌命(たけみかつちのみこと)と経津主神(ふつぬしのみこと)が東国侵攻の際にこの甕星香香背男と一戦交えるのですが、なんと!二人は敗れてしまうワケです。そこで次に建葉槌神(たけはつちのみこと)が派遣され、なんとか平定を成するらしいのです。

 この、甕星香香背男は、地元の古老によると
「カウラザメ」と呼ばれ、久慈郡大甕山の倭文神社の伝承によれば、「常陸国久慈郡大甕山の東端に居住していて、太平洋に面する北日本一帯の制海権を握っていた」との事。

 しかも、「星の神様」「目の神様」として祀られていると云う事から推測すれば、甕星香香背男の率いた部族は「海洋民族」であったと考えられます。海洋民族、つまり船を操る民族にとって必要不可欠なのは、夜空の星を見て海上での自分の位置を把握する技術。そして、いち早く陸地を見つける優れた視力だからです。

 そうなると、武甕槌命が鹿島の地に入植する以前に、渡来していた海洋民族が既にその地、常陸の地に居た事になります。

 ストーリーとしては、先に住んでいた「海洋民族」を、後から来た「騎馬民族」が追い出した。・・・となります。しかし、それさえも天孫降臨以前のハナシでしょうから、イッタイ何世紀辺りの出来事になるんですかね?

 それと、中臣氏の存在。多氏系中臣氏がオボである事は間違いないと思うのですが、天孫降臨に従って来た天児屋根命(あめのこやねのみこと)系中臣氏と同じ氏族なのか?

 中臣氏とはシャーマンであり、ひとつの部族が移動する時、必ずシャーマンも遂行したはずです。特に古代においては、シャーマンの存在無しでは戦も儘ならなかったでしょう。そうすると、鹿島の中臣氏は天孫降臨以前の古中臣氏。そして天孫降臨に随行してきた天児屋根命系中臣氏は新中臣氏と考えられます。

 そうした場合、古中臣氏と新中臣氏の間での確執(シャーマンの格争い)も考えられ、藤原不比等が鹿島から鹿を勧請した史実からすれば藤原氏は古中臣であったが、朝廷内では新中臣氏(遅れて来た宗家?)が力を持っていたと云う状況も考えられます。ただ、中臣氏のもう一つの系統、神八井耳命(かんやいみみのみこと)は神武天皇の皇子とされていますから、天孫降臨からずっと後になり、その系統がオボと云うのも解せないです。

 中臣鎌子・・・藤原鎌足は「乙巳の変」で仏教派の蘇我入鹿を亡き者とし、中大兄皇子(天智天皇)と共に「親百済」の朝廷をつくるのですが、「白村江の戦い」に敗れて「壬申の乱」を引き起こし、今度は
天武天皇に親百済派が排除されてしまうワケです。

 藤原氏も当然排除される事になると思うのですが、
鎌足の子不比等は、どういうワケか天武天皇に庇護されたとの事です。「壬申の乱」の当時、13歳と幼かったので処罰の対象にもならなかったらしいのですが、現在の13歳と当時の13歳では状況が少し違うように思えます。元服(大人の仲間入り)が14歳くらいですから、幼少と言うにはムリがある様に思われ、何故?天武天皇が不比等を庇護したのか疑問です。

 天武天皇に関して言えば、その和風諡号「天渟中原瀛真人天皇(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)」
道教的であるらしく、加えて双六を好んだという事から中国文化の影響を受けていたようです。・・・にも係わらず、新羅との関係を重視(新羅と唐の対立)するが故に遣唐使の派遣を中止します。

 「天皇」という称号を最初に名乗った天皇ともされ(それ以前は大王)、天皇と云う称号も、
唐の三代目皇帝、高宗が称していたのをパクッたものかと?更には陰陽道にも入れ込んでいたようで、その業績を見ると、その後に引き継がれる事業を次々と打ち出すのですが、これらを一人で考えたとなるとスーパーマンです。はい。

 話がまた逸れましたが、藤原不比等は天武天皇在位期間中(673年-686年)は雌伏の時期を過ごし、689年31歳の時、持統天皇の代になって再び歴史に現れます。その時既に直広肆(従五位下)の高位にあったそうですから、それ以前より天武天皇のブレーンとして活躍していた事が伺えます。

 しかしそうであれば、天武天皇はなぜ不比等を重用したのか?天武天皇と不比等の関係とは?・・・と、堂々巡りに陥るワケで・・・。そこで可能性の一つとして考えられるのが、不比等の妻が蘇我氏の出自だという事でしょうか?

 でもそうなると、父、鎌足は蘇我氏を謀殺したのですから、父の遺志(反蘇我)に背く?ような行為になるのではないか?・・・とも。

 とは言っても、蘇我氏の中でも殺された蘇我入鹿だけが特別で、乙巳の変の後も他の蘇我氏が朝廷から排除された形跡も無いようなので、それ程の問題じゃなかったのかも知れません。

 いずれにせよ不比等以降、
藤原家から多くの天皇が出ている事実を鑑みれば、天武天皇と不比等の関係を明白にすれば、「奈良の鹿」の謎も解けるんじゃないかと?あと、どうしても避けては通れないのが、半島・大陸との関係でしょう。百済、新羅、高句麗、渤海、唐・・・。

 思うに、日本人というのは元々居た人間(原人)なんてホンの少数で、ワタシたちの先祖はいろんな所からやって来て、長い時間をかけてワタシたちは「日本人になった」という気がします。そして大切なのは、過去をシッカリ理解した上で、これからの日本をどうするか?いまをどう生きるか?・・・ではないかと。

 最後に、ワタシたちが日本人になる為に、その拠り所となったのが「天皇家」と云う存在であったと思うのです。時代時代で日本を支配しようと欲する者は、何らかの形で「天皇家」を利用して来ました(薩長風に言えば)。謂わば「天皇家」は歴史に翻弄された被害者でもあるとも言えるのではないでしょうか?しかし雲の上の存在であるが故に、その事実にワタシたちは気が付かない。そしてワタシたちの・・・日本に暮らす全ての民族の・・・


罪の贖罪


をただ黙々と担われている。そういった意味で、
「ノーパンしゃぶしゃぶ野郎」が宮内庁の長官だなんて、陛下がお気の毒過ぎます。そして現在、検察官僚やマスコミの目に余る横暴振りに、陛下がどれだけ心を痛めていることか・・・。

 そういった意味で、陛下の肩の荷を軽くして差し上げる為にも、ワタシたちはもっと賢くならねばと・・・。


でわっ!

2010年10月15日金曜日

鹿男PART4

中臣氏


1.姓(かばね)は連(むらじ)。

2.物部氏とともに仏教受容問題で蘇我氏と対立した。

3.中臣鎌足は645年の大化の改新で活躍し、669年の死に臨んで、藤原姓を賜った。

4.以後鎌足の子孫は藤原氏を名乗ったが、本系は依然として中臣を称し、・・・


つまり、神八井耳命(カンヤイミミノミコト)を祖とする多臣系中臣氏が本系ということでしょうか?なれば、オボ系(国津系)が本系だと?そして連(むらじ)とは、
『日本書紀』などにおいては、連姓の多くは天皇家以外の神の子孫としている。・・・と、あることから、天皇家同様に神格を持った集団であったことが伺えます。

 これは「或る集団」の中の、リーダー的なグループが天皇家であり、その他のグループが「連」であると解釈することができ、であればこそ、「連(むらじ)」=「連・なる(つらなる)」という姓(かばね)であることが納得できます。

 中臣氏の本系がオボで、しかも「連」であるという事は、天皇家も同様にオボ(国津系)である事になります。そこで、
天皇家欠史八代に照らし合わせると・・・


四代 懿徳天皇
- 大日本彦耜友天皇(おおやまとひこすきとものすめらみこと)

七代 孝霊天皇
- 大日本根子彦太瓊天皇(おおやまとねこひこふとにのすめらみこと)

八代 孝元天皇
- 大日本根子彦国牽天皇(おおやまとねこひこくにくるのすめらみこと)



「大(おお)」にオボ(多・大・太・意富・於保)の形跡が推察されます。はい。

 ところが、当初天皇家と同格扱い(神の子孫)であったとされた「連」が、その地位を大きく下げる事態が発生します。それは・・・40代天皇、
天武天皇(大海人皇子)が684年に制定した

八色の姓(やくさのかばね)


です。その中で「連」は、上から7番目(下から2番目)まで、一挙にその地位を貶めるのです。この事は大規模な「権力の入れ替え」があった様に思われます。旧来の勢力が駆逐され、新興勢力が政権を奪ったと見るのが自然です。で、具体的に言うと672年に・・・

壬申の乱


が起き、それまでの「朝廷」が潰されてしまったのではないかと。早い話が、国津系(オボ)が朝廷から駆逐されてしまった。・・・と。

 663年の「白村江の戦い」が敗戦に終わり、百済からの難民が大挙して日本に流れ込んで来た。時の天皇、天智天皇は親百済であったので難民を手厚く保護し、居留地もあてがったのでしょう。しかし、元からの地方豪族にすれば、朝廷の命とはいえ、自分たちが開拓した土地にいきなり余所者が住み付くのですから、憤懣やるかたないのは容易に想像がつきます。その不満が起爆剤になって、大海人皇子(天武天皇)は壬申の乱=朝廷に対するクーデターを成し遂げられたのでしょう。

 藤原鎌足に戻ります。中臣鎌子・・・後の藤原鎌足も中大兄皇子(天智天皇)と共に645年、

乙巳の変


を起こし、仏教派(新興勢力)の蘇我氏を宮中にて斬殺に及びます。中臣氏は古式の祭礼を司る家柄だったので、仏教派を敵視していたのは想像に難くありません。
  
 で、蘇我氏を討ちその後再び旧勢力が力を盛り返したのか?鹿男(藤原氏)の運命や如何に・・・


でわっ!

鹿男PART3

 「常陸(茨城)風土記」によれば、鹿島の地は神郡と呼ばれ中臣氏が管轄し、中臣部や卜部などが居住していたとのこと。そしてこの中臣氏から中臣鎌足、後の藤原家の創始者となる藤原鎌足が現れると。

 であれば、前回の疑問、「藤原不比等が鹿島から鹿を勧請した理由」も明快です。自分の故郷の氏神様を呼び寄せたと云うだけの事ですから。はい。

 さらに
同書には、天地草昧以前に八百万の神が高天の原に集まった時、諸祖神に命じられて天降って来たのが武甕槌命(たけみかづちのみこと)であると書かれているそうで、「国譲り」の際に出雲に行ったのではなく、先に常陸国に単独で入植した先遣隊であった可能性が高くなります。ま、ワタシが不勉強なだけだったんですケドね?

 でもそうすると、八切止夫氏の言う四姓、「源平藤橘」の藤=唐、つまり
「白村江の戦い」の戦いに勝ち、日本に進駐して来た唐の郭務悰(カクムソウ)将軍が、その名を藤原鎌足に改名してそのまま日本に居座った。・・・と云う説と相容れないんですけど?
 
 「白村江の戦い」が663年、
「常陸風土記」の成立が713年ですから、「常陸風土記」を捏造しようと思えば捏造出来るんですけどね?でもそうだとしたら、藤原不比等が郭務悰(カクムソウ)の子供だとしたら?今度は710年に氏神として「鹿島から鹿を呼ぶ」その根拠が見えなくなっちゃいます。
 
 八切氏には申し訳ありませんが、ここは「常陸風土記」の方が、整合が取れるか?・・・と。ワタシ的には。

 ただ、中臣氏にしても、関東平氏、関西平氏のように二系統があり、ひとつは、神八井耳命(カンヤイミミノミコト)を祖とする多臣系中臣氏。もうひとつは、天児屋根命(アメノコヤネノミコト)を祖とする
中臣部・卜部の系統になります。

 で、中臣氏・・・後の藤原鎌足は天児屋根命を祖とする流れらしいのですが、ここで多臣系中臣氏に目を向けてみると、
多臣氏(大・太・意富・於保)すなわちオボのことであり、国津系の渡来民族となり、当然オボ(スキタイ)と鹿とは、切っても切れない関係なので、ここに藤原氏と鹿の関係は完結します。

 ですが、藤原鎌足が属していたのは
天児屋根命系なんでどうなんでしょ? と云うところで・・・


でわっ!

2010年10月13日水曜日

鹿男PART2

 随分前に「鹿男あおによし」という記事を書いたんですけど、その後分かった事を自分用に残しておこうかと。


<引用>
武甕槌命 - たけみかづちのみこと

伊邪那岐命の御子。天照大神が前後二回にわたり豊葦原中津国統一のために特使を派遣されたが、二回とも失敗に終わり、三回目の特使として選ばれたのがこの神である。武甕槌命は大国主命およびその御子事代主命との交渉に成功、さらにもう一人の御子建御名方命(たけみなかたのみこと)との力競べにも勝って、見事国譲りの大業を成し遂げられた。武甕槌命の「武」は武勇を表し、「甕槌」は御雷(みかづち)の意で、文字通り「神鳴り」に比せられる猛々しさを表す。武勇・戦勝・勝運の神としての信仰のほか、その業績から開拓・平和外交の神としても崇められている。

</引用>


 「豊葦原中津国」とは日本の事ですから、そこを「統一する」と云うことは、日本はまだ統一された国ではなく、何カ国もに「分裂していた」とい云う事実の裏返しでしょう。そして「高天原」アマテラスは日本統一の為のパートナーとして「出雲」を選んだ。

 ナゼ出雲を選んだかは想像するしかありませんが、恐らく「高天原族」「出雲族」は遠戚関係にあったのではないかと。つまり、先に日本に移住して一国を築いてた「出雲族」に対し、後発であり、本家筋の「高天原族」が、


これから乗り込むからよろしく♪


・・・と、使者を寄越してきた。「出雲族」としては面白くないワケすよ。今迄自分たちが苦労して築き上げてきた国を、本家にいきなり乗っ取られてしまうのですから。

 そこで二度目まではのらりくらりとやり過ごしたものの、三度目の使者が武力による制圧をチラつかせたものだから、大国主命とその息子、事代主命は戦になったら敵うまいと、「国譲り」を受け容れるのですが、もう一人の息子、建御名方命はあくまでも抵抗の姿勢を貫き、力比べ(戦争)に敗戦して国を奪われてしまった。

 ・・・と、ワタシには読めるのですが、さてここで、「出雲族」「高天原族」とはいったいどんな部族だったのか?が、疑問になるのですが、手掛かりとして武甕槌命と鹿の係わりをヒントに追ってみると・・・


<引用>
世界遺産 春日大社 公式HP

ご案内/ご由緒

春日大社は、今からおよそ1300年前、奈良に都ができた頃、日本の国の繁栄と国民の幸せを願って、遠く鹿島神宮から武甕槌命(タケミカヅチノミコト)様を神山御蓋山(ミカサヤマ)山頂浮雲峰(ウキグモノミネ)にお迎えした。やがて天平の文化華やかなる神護景雲2年(768年)11月9日、称徳天皇の勅命により左大臣藤原永手によって、中腹となる今の地に壮麗な社殿を造営して香取神宮から経津主命様、また枚岡神社から天児屋根命様・比売神様の尊い神々様をお招きし、あわせてお祀り申しあげたのが当社の始まりです。

御祭神である武甕槌命様・経津主命様は、日本の国を秩序ある国にするためにあらゆる神々と交渉され、平和裡に治められた功績ある神様であります。また天児屋根命様は神事と政治を守り導かれる神様として、比売神様は天照大御神様だとも天児屋根命様の妃神とも伝えられています。平和と愛の尊い神様であり、それぞれの霊験を仰ぎ御加護を頂いてまいりました。この四柱の神々様は、それぞれ端正な春日造の御本殿(国宝)に鎮座されており、最も尊崇すべき神々として春日皇大神と申しあげ、また、春日四所明神、春日大明神と申しあげてまいりました。

</引用>


とあるだけで、春日大社と「鹿」との係わりに付いては明記されていません。そこでさらに調べてみると、
和銅13年(710)年藤原不比等が氏神として春日大社を創建する際に、鹿島(茨城県鹿島神宮)から勧請した神が白鹿に乗って春日山に入ったという言い伝えから、神の使いとして大切に保護されてきたとあり、春日大社は藤原氏が創建したものである事が分かりました。

 ここでまた疑問なのですが、ナゼ藤原氏は鹿島神宮(茨城)から神(武甕槌命)を勧請したのか?もっと近場にも神はいたはずなのに。茨城といえば当時の都があった近畿地方からすれば、はるか遠方、それこそ地の果て様な場所であったはずなのに。

 そこでさらに調べてみると・・・


<引用>
鹿~シカ  鹿島神宮の祭神「武甕槌命(タケミカヅチノミコト)」の鹿

◆鹿島神宮と鹿
鹿島神宮の祭神である武甕槌命(タケミカヅチノミコト)ところに、天照大神(アマテラスオオミカミ)から使者が来て、「香取神社(千葉県佐原市)の祭神、経津主命(フツヌシノミコト)と共に出雲の国へ行って、大国主命に、出雲国を自分(天照大神)に譲るように説得してきなさい」とのことだった。

この時の天照大神の使者、天迦久神(アメノカグノカミ)は、鹿の神霊だったとされ、これに因んで、鹿島神宮の神使は鹿とされるようになった。神社名(地名)も「香島」が「鹿島」になった。

なお、武甕槌命、経津主命は共に「剣の神」(武神)で、出雲国に出向いての強談判(コワダンパン)の結果、大国主命に「国譲り」をさせることに成功した。

◆春日大社と鹿
春日大社の社伝によると、称徳天皇のとき(767年)、平城京鎮護のため、鹿島神宮の武甕槌命を春日大社の祭神に勧請した。この時、武甕槌命は白鹿に乗って御蓋山(三笠山)に来られたという伝説から、鹿を神鹿として保護敬愛した。すなわち、春日大社(奈良)の鹿は、鹿島神宮(茨城)から連れてこられたといえる。祭神は、武甕槌命(鹿島神宮の祭神)、経津主神(香取神宮の祭神)、天児屋命(枚岡神社北第一殿祭神)と比売神(枚岡神社第二殿祭神)を祀っている。

</引用>


という記述に当たり、ここで初めて、武甕槌命は「高天原族」の本拠地?から来たのではなく、先に茨城、もしくは北関東に定住していた先遣隊?の可能性があることが分かりました。従って「高天原族」「出雲族」「鹿島族」も、その源郷は同じだったのではないかと推測されるワケです。もしくは、イキナリ侵略と云う形を取らず「交渉」と云う選択肢を選んだということは、言葉が通じる間柄ではあったはずです。

 「高天原族」の過去二度の国譲り交渉が失敗に終わったのは、「本国」からの使者を送り交渉に臨んだので「出雲族」にしてみれば、船に乗ってやって来る「高天原族」の兵力などたかが知れていると士気も昂ぶっていたのでしょうが、三度目の使者が同じ豊葦原中津国(日本)内に居を構える「鹿島族」の武甕槌命だったので、即刻、陸上戦を覚悟しなければならず形勢不利と見て「国譲り」に応じた。

 そして「出雲国」を日本統一のパートナー・・・というか、侵略拠点に選んだ理由も、「大陸」に近かったから。例えるなら「ノルマンディー上陸作戦」ならぬ、「豊葦原中津国上陸作戦」の拠点にしたかったからでしょう。

 ・・・そう考えれば辻褄が合います(ワタシ的には)。そして、武甕槌命の下に訪れた天迦久神は鹿の神霊であったとの事ですが、彼?がわざわざ大陸から訪れたとするなら、「鹿」とは「スキタイ」の比喩に他ならないでしょう。と云うことは、「高天原族」「出雲族」「鹿島族」も、鹿を部族のシンボルとする騎馬民族集団
「扶余」の構成部族だった可能性が高いように思うのです。

 奈良の鹿に戻るのですが、先の疑問・・・ナゼ藤原氏は鹿島神宮(茨城)から神(武甕槌命)を勧請したのか?・・・が未だ残ります。
八切止夫氏によれば、「源平籐橘」の四姓とは源=元、平=ペルシャ、籐=唐、橘=契丹(スキタイ)との事で、ナゼ?唐の藤原氏が鹿(スキタイ)を呼び寄せたのか今のところ見当がつきません。もし藤原氏が「高天原族」の末裔?であったなら理に適うんですケドね。

 ま、調べ出すとキリが無いんで、このくらいで・・・


でわっ!

2010年10月12日火曜日

ピンフ ピンフ

 この秋スタートしたTBSのドラマで、「SPEC(能力)」というドラマの第一回放送を観てナカナカ面白かったので、ドラマの中の未詳事件特別対策係係長の台詞、「ピンフ、ピンフ、(平和、平和)」をタイトルに使ってみました。

 ストーリーの展開は、超能力者による犯罪をやはり超能力?を持つ女刑事が追い詰める。・・・となるのでしょうが、超能力に対する考え方、捉え方が旧来とは少し違い、
脳生理学的見地からその実在を前提にしているところが斬新かと。

 で、実はワタシも超能力・・・と言うか、常人以上の能力(SPEC)を秘めた人間が、実はこの世界には結構いるんじゃないか?と思っているクチなので、ワタシには無い能力を持っている人が、まあ、羨ましいです。ジッサイ。

 そこで超能力の無いワタシのヒガミと言ったらナンですが、身体的な超能力(第一話)?はひとまず置いといて、予言とか念力とかいった「因果律」を無視した現象について思った事を少し・・・。

 或る現象が発生するという事は、現象を生成する「場」が存在しなくてはなりません。ワタシが何も無い場所を、いくら力いっぱい腕押ししても何も起こりません。そこにワタシの力を受け取る何かが存在する事で、初めてワタシの「力=働き」現象として表れるワケです。

 と云う理屈から言えば、超能力が存在するという事実(あくまでもワタシの中で)から導き出されるのは、ワタシたちの周囲には超能力を発生させる「場」が遍在しているという事ではないでしょうか?

 そこで「場」の候補として挙げられるのが
「エーテル体」なのですが・・・。アインシュタインも初期の頃はエーテル体の存在を考えていたようです。しかし、その存在が証明が出来ない事から否定派にまわり、それによってニュートン以降、エーテル体の存在は無視されてしまいました。

 しかし、証明出来ないから存在しない。と云うのも科学者にあるまじき短絡的思考の様にも思います。「ま、ひとまず後回しにしようか?」・・・で、良かったんじゃないか?・・・と。

 込み入った物理学的話は、京大物理学部卒の当麻刑事に任せるとして、エーテルがどうこうではなく、超能力などの超常現象が発現する「場」が確実に存在するという事実に目を向ければ、いずれ超能力とかオカルトとか呼ばれるものの類は「場」の解明によって、誰もが自動販売機でジュースを買うが如く、いたって日常的な風景に変わるんじゃないでしょうか?(そうなると所謂「超能力者による犯罪」も日常的になるのでしょうが。)

 ま、ワタシのような凡人は、その「場」アクセスする方法を知らないワケで、超能力者と呼ばれる人たちは、本能的にアクセス方法を身につけたんだろうなぁ。でも、「場」の存在が解明されれば、次のステップとして「場」へのアクセス方法も解明されるんだろうなぁ。・・・などと思った次第です。はい。


でわっ!

公共という概念 2

 電車内などで携帯電話を使用する側(恐らく若い世代が多いのでしょうが・・・)の心理を推察してみるに、まず第一に、行動を起こす前に、他人や周囲に配慮する。・・・と云うステップが欠如している様に思うのです。

 当人の感覚では電車内も、自宅も、同一世界に在り、従って「誰に遠慮が要るものか。」となるワケです。これはワタシのような小心者からすればスゴイですわ。内と外の区別無く、この世界の全てが自分の為の空間だと思っているんだとしたら。そうなると当然、他人の視線なんて気にするワケも無く、例えばコンビ二の前とかで女の子が、パンツ丸見えでしゃがみ込んでいるのに遭遇したりもするワケです。はい。

 また、普段は(ひとりでいる時は)お行儀いいのに、友だちから電話が架かってきた瞬間、友だちとの会話に没頭してしまい周りが見えなくなる・・・。もしくは、「周囲を遮断モード」に切り替わってしまうのかも知れませんが、それだけ友だちとの会話が重要なんでしょう。

 ワタシにしても、思春期には「この世界の何よりも、友だちが大切だ。」と思っていた時期がありますから(勿論今でも友だちは大切です)、今の若い世代も似たようなモンだとは思うのですが、今にして思えばあの、「友だち第一主義」の裏には孤独に対する恐怖もあったように思えるのです。そしてそれは、突き詰めれば自分のエゴであった・・・。

 その「恐怖」から逃れる為に、携帯電話の無かったワタシたちの世代は、盗んだバイクで走り出したり(ウソ)、本を読んだりして「恐怖」とか「不安」を押さえ込もうと足掻いたものですが、結果として「友だち同士」だけでは得られない、より「広い視野」を持ち得たんで良かったんじゃないかと?

 その点、いつでもどこでも?携帯で友だちとコミュニケーションが取れる今の若者は、幸せなのかも知れません。が、読書などで見識を広めるチャンスが減っているのも事実でしょう。

 テレビ、新聞、雑誌などで見識を広めるのもアリでしょうが、昨今のマスコミの劣化具合を見るに、見識を広めるどころか、逆に見識を狭めてしまうのでは?と危惧する次第です。はい。

 ま、それはそれとして・・・。過去ずっと、人間自体が恐怖と共に生きて来たのも事実です。「飢えの恐怖」「災害の恐怖」「病の恐怖」等など・・・。そして現在、一応はそれらの恐怖から解放された、「文化的生活」を送っています。しかし逆に、便利になったことで失ったモノがあるのに、気が付かないと云う事はないでしょうか?

 携帯電話の話に戻りますが、若者が思春期の「孤独と云う恐怖」から逃れんが為に、「友だち世界に埋没」し周囲が見えなくなる状況とは、周囲の人間の「存在を無視」してるのと同じですよね?周囲の人間の「尊厳を軽く見ている」・・・のと同じ事ですよね?

 
世の中が「便利」になる事で人間の尊厳が軽くなるなんて、正しい進歩の在り方なんでしょうか?


 「公共という概念」に照らし合わせれば、「公共の場」とは、決して人間性を軽んずる場では無いはずです(少なくともワタシの中では)。逆に、ひとりひとりの尊厳を尊重するからこそ、「お互いに我慢しましょうや。」と云う合意がそこにあるように思うのです。そしてこの「合意」は、都市部に限らず日本中で効力を発揮すると思うのです。

 で、その合意が崩れる場合とは、「力による支配」が生じた時じゃないか?と。そこで話は戻るのですが、その、「力による支配」=「合意破り」に、多くの人は不快感を抱くのではないでしょうか?と・・・。


でわっ!

2010年10月10日日曜日

公共という概念 1

 電車やバスの車内での携帯電話使用に、日本人は何故過敏なのか?よくよく考察してみると、日本と云う国の姿が現れてくるように思うのです。もちろんワタシも、他人が電車内などで大声で携帯電話で話しているのに遭遇すると、あまりいい気持ちはしない方です。

 この気持ちは一体何なんだろう?と自分の心を整理してみるに、自分としては「公共の場」=「力関係が平衡している場」=「上下関係の無い場(無礼講とは違う)」と認識しているので、「自分勝手な行動をしない」=「お行儀良くしている」とブレーキが掛かるのです。勿論これは親の「躾」によるものでもあります。

 然るに、その様な「公共の場」で傍若無人な行いに遭遇すると、こちらは自制しているのに相手は自制しないと云う状況に、力関係に於いて相手よりも下位に自分を感じてしまう。つまり相手の「縄張り」に自分が入り込んだような錯覚を覚える。そしてそれが、心理的な不快感となってイライラしてしまう。

 ・・・と、まあ、そんなところでしょう。で、ここで重要になるなのが「縄張り意識」です。ほとんど全ての生き物が自分の縄張りを守ろうとします。何もやくざに限ったことではありません。普通の人間でも
「腕を伸ばした距離」本能的なテリトリーであるらしいです。はい。

 そうなると、満員電車とかバスの車内と云うのは見知らぬ他人がスグ横にいるワケですから、お互いに相手を自分のテリトリーの中に立ち入らせる事になり、本能的にはそれだけでストレスを感じてしまう事になります。

 が、現代社会においてそんなことを気にしていては、毎日の生活が成り立ちません。そこで「公共の場」=「上下関係の無い場」を想定して、お互いに相手を立ち入らせるワケです。上下関係が無ければ、相手がこちらに危害を加える可能性も低いですからね。

 同じ公共の場でも、例えば美術館のロビーとかだったら、他人が携帯電話を使用してもあまり気にならないのは、自分の周りに十分なテリトリーが確保されているからでしょう。

 で、外国に比べて日本の方が電車内とかでの携帯電話の使用にウルサイと云う意見も見られますが、それこそが、日本人の縄張り意識は強いと云う事の裏返しでもあると思うのですが、何故なのか?それは日本と云う国の成立に係わっているのではないでしょうか?

 
過去何度も書いてきましたが、日本は本来・・・と言うか、今でも多民族国家なのです。紀元前から(後期氷河期後退後)大陸から多種多様な民族が何世紀にも渡って渡来し、日本各地に散らばって定住していた痕跡があり、おそらくそれは、一村一部族と言っても過言では無いレベルだったのではないかと?

 当然自分たちが開拓した土地に対する縄張り意識は強く、郷土史の中などに見られる、村同士の水をめぐる争いなどはそのいい例でしょう。

 それがヤマト朝廷の東征によって中央の権力下に入って行くのですが、ヤマト朝廷にしても村同士のイザコザまでは管理し切れません。逆に縄張り意識を利用して、各地の豪族を取り込んでいったと考える方が自然でしょう。従って「縄張り意識」は後世まで延々と引き継がれ、「差別」といった形でも残っているワケです。はい。

 そしてヤマト朝廷が各地の豪族の長を招集した場合、各族長が集まった場は「公共の場」とされ勝手な振る舞いは許されず、各族長も「力関係の上下無し」と云う事でそれに従ったハズです。 

 この、過去から続く日本人の「公共の場」に対する意識が、電車内やバス内での携帯電話使用に拒否反応を示すのは、全く当然の事だとワタシは思うのです。日本の歴史、日本人の歴史を正しく学べば。

 道徳がドウタラ・コウタラ言って若者を諭そうとしても、現在の大人にそれを言うだけの資格を有する者がどれだけいるんでしょうか?国を率いるべき政治家からして、道徳が欠如した連中ばかりじゃないですか?

 であれば、正しい歴史的事実を教え、「コレコレこう云うワケで、「公共の場」と謂うものがあるんだよ。」と、説明した方が若者も納得し易いだろうと思う次第です。それと、これから子育てをする次世代の親御さんたちも、子供に対して明確に「道徳」の根拠を説明する事が出来るんじゃないかと?

 以上は、例によって
ヒロシさんとこのつぶやきを見て思った事なのですが、もう少し補足したい事があるので続きは次回に。


<抜粋>
 
amneris84 なるほど RT @vivatescamillo 日本でも、携帯が迷惑がられたのは当初は東京都市部だけだったのに、東京の常識が日本の常識とばかりに全国に押し付けられていった経緯があります。都市の人は人のプライベートに立ち入りたくないから人の携帯の通話を煩わしく感じると分析…
about 2 hours ago webから
bilderberg54と7人がリツイート

</抜粋>


でわっ!

2010年10月9日土曜日

結婚式場で花嫁をタイwwwホ

 今回、中国人人権活動家の劉暁波(リウ・シアオポー)氏がノーベル平和賞を受賞し、いろいろと波紋を広げている様ですが、その件に関してワタシの思うところを少し・・・。

 はじめに、リウ氏のノーベル平和賞受賞に関しては、祝辞を送りたいと思います。ただ、時期がね?

 
天安門事件が起きたのが1989年の事ですから、実に21年目にしての受賞と云う事です。ま、事件後すぐの受賞もありえないでしょうから、多少の活動期間を考慮しても、10年前には受賞しててもオカシクなかったなんじゃないの?などど思った次第です。はい。人権問題と云う「問題」に対処する目的でノーベル賞を与えると言うのであれば、「問題」への対処は早ければ早いほどイイ。・・・のは、みなさん当然の事として納得でしますよね?


 何故今なのか?

 みなさんご承知のように、現在中国では「上海万博」の開幕中で、謂わば祝賀ムードに包まれているワケです。そう云う国民が浮かれている時に水を差す如き真似は、ワタシの感性からすれば、


 無粋な輩だ


と、映るのです。サスペンスドラマの見過ぎかも知れませんが、或る犯罪の犯人を刑事が突き止めたところ女性だった。そこで身柄確保の為に女性の元に向かうと、おりしも彼の女性の結婚式の真っ最中。式場には両家の親族、友人が集い新郎新婦の門出を祝して祝辞が述べられ、いよいよウエディングケーキにナイフを入れようと云う段になって、刑事が式場に現れ新婦の手にその場で手錠を。

 ・・・何てのは、日本人にはウケないワケですよ。この場合、刑事は式が終わるのを待ち、花嫁が思い残す事の無いように計らってからタイwwwホするのが王道です。それが日本人の情に訴えますし、タイwwwホされた花嫁も、素直に罪を認めるでしょう。もう思い残す事は無いワケだから。確か松本清張の「砂の器」も、似た様なエンディングでしたわ。

 よく言われるし、ワタシも思うことですが、「中国人は面子を重んじる。」・・・のであれば、今回のノーベル賞委員会のヤーグラン委員長の決断は、全くの逆効果であると思えるのですが?

 西洋人の思考では、「結婚式場で花嫁をタイwwwホ」はアリなのかも知れませんが、東洋人、少なくとも日本人の感性では、「結婚式場で花嫁をタイwwwホ」はいくらなんでも「ちょっとカワイソwww。」・・・と云うのが偽らざる感覚ではないでしょうか?


でわっ!

追記:

「日本人」がノーベル平和賞受賞 36年ぶり

2010年10月7日木曜日

やくざのレゾンデートル

 大概の人はやくざ=暴力団とお考えでしょうが、少し違います。過去、清水の次郎長国定忠治が庶民に愛されたのは何故でしょう?彼らが「義人」であったから、「任侠」であったからに、他ならないからではないですか?国家権力に楯突き、弱き者の味方になってくれたからではないですか?


国定忠治

<抜粋>

 天保の大飢饉がこの地方を襲った時、賭場の収益金を貧乏人や食うに困っている民百姓に分け与えたとも言います。そんなわけで幕府に追われる身でありながら、長期に渡って容易に捕まらなかったのは、これらの人に常日頃から目をかけ助けていたおかげだとも言えます。人望厚き渡世人だったようです。

 民百姓が困った時、救済の手をさしのべなければならなかったのは関八州を預かる幕府であり、それぞれの領地を預かる大名であったはずでしたが、これらは助けるどころか、逆に絞り上げたと言います。民百姓にしてみれば国定忠治は正義の味方であり、神様のような存在であったろうと思います。こうして忠治は赤城の山を根城にして関八州ににらみを利かす伝説的な大親分に成長していったのです。

 しかし、一方の幕府の役人にしてみれば目の上のたんこぶのような存在であり、幕府の威信を失墜させる存在でした。何かと罪状を作り、忠治捕縛に向けて本格的に動き始めたのです。こうして忠治はやむなく赤城の山を下り、会津に落ち延びるのです。別れ別れになった子分達は大きな拠り所を失い、次々捕縛され刑場の露となって消えていきました。

 忠治はほとぼりの冷めたのを待って生まれ故郷に帰ってきますが、そこにはすでに昔の礎はなく、頼りにしていた名うての子分達もいませんでした。
忠治自身も中風に倒れ、一時は口の利けないほどになったのです。こうして一代の英雄「国定忠治」もついには幕府の手によって捕縛され江戸送りになりました。これだけの大物ともなると地方では裁けなかったのです。罪状は関所破り、老中達の決済を得て再び生まれ故郷近くまで戻り、張り付けの刑になりました。

 幾度となく槍を突き立てられましたが、弱音を吐くことなく命尽きたと言います。刑場には忠治を慕う多くの人が駆けつけました。人々は忠治の壮絶な死を目の当たりにして何を考えたのでしょうか。権力に従うしかなかった当時の人々にしてみれば、権力に逆らって最後まで屈服することのなかった忠治の中に、自分たちの英雄の姿を重ね合わせたのではないでしょうか。

「男心に男が惚れて・・・♪♪♪」
 名月赤木山の歌にも歌われた任侠の世界、今も忠治は日本人の心の中に脈々と生きています。

</抜粋>



清水次郎長

<抜粋>

 だが、もしも次郎長が単なるのゴロツキの集まりの大将であったなら、天下の大親分なんて決して云われなかったであろう。その子分衆がまたすごくて、それぞれの地区を代表するような大変な輩ばかり。手のつけられない暴れん坊、森の石松や、槍の使い手怪力無双、大政。念仏唱えて人を切る法印大五郎などなど、その人一人でも充分物語りになってしまうような実に多彩なキャラクター揃い。これらを束ねていたことからだけでも次郎長という御人にその人望人徳と並みならぬ器量を感じざるをえない。

<中略>

  次郎長の前半生を「義理の人」とするならば後半生はまさに「人情の人」と言えよう。彼の後半生は明治維新の最中、政府の要人との関わり合いの中で花開いた。特に有名な話に、「咸臨丸の事件」がある。時は明治元年(1868)9月18日、徳川幕府の軍艦であった「咸臨丸」が新政府の官軍によって清水港内で攻撃を受け沈没した。次郎長は傷つく徳川方の軍人を官軍の目の届かぬよう密かに逃がし、また湾内に浮遊する屍を拾い集め、手厚く供養し葬ったのだった。

 これらの行為が駿府藩の耳に止まり、出頭、詰問を受けたがそこで次郎長は「死ねば仏だ。仏に官軍も徳川もない。仏を埋葬することが悪いと言うのなら、次郎長はどんな罰でもよろこんでお受けします。」と答えたのだった。抗争で人を殺し、自分も生死の狭間を生きた一人の博徒が初老にしてたどりついた境地であった。このいきさつをあとで聞いた山岡鉄舟は、ただの博徒に過ぎない次郎長が一番高いところからものを見ていることを知っていらいいたく感服し、鉄舟が明治21年に亡くなるまで親交が続き、また次郎長も自分より17歳も年下の鉄舟に心酔し数多くのことを学びおおきな感化を受けたのである。

</抜粋>

 
 やくざ者とは世間のはみ出し者ですが、では「世間」とは?言葉を変えれば、権力者が作り出した「システム」です。そのシステムにほとんどの人は順応しているのですが、中にはどうしても順応出来ない人たちがいる。それを「落ちこぼれ」と切り捨てるのが正しいのでしょうか?

 そもそも権力者によって作られた「システム」が正しいなんて保障が、どこにあるんでしょうか?権力者によって作られた「システム」は所詮、権力者の為にあると考える方が自然なのではないでしょうか? そういった権力者側の「システム」に皮肉を込めた映画で「兵隊やくざ」という映画がありました。


<転載>

兵隊やくざ殴り込み - goo 映画

あらすじ

 激戦の度を増す大陸の最前線で、友情から堅く結ばれた有田上等兵と無鉄砲で女好きの大宮一等兵の二人は、悪徳上官に盾ついて過酷な制裁を受けながらも、その正義一徹ぶりに上官をけむたがらせていた。

 二人はそんな中で連隊旗手の香月少尉の毅然とした態度に好感を持った。香月も軍旗祭の相撲大会で赤池曹長によって不利な判定を受けた大宮を助けるなど、何かと二人の味方になるのだった。ある日、大宮と有田は女郎屋でインテリ娼婦さつきの口から赤池や影沼少佐の一派が女郎屋で私腹を肥やしていることを知ったが、有田が暗号教育の名目で転属を命ぜられ、大宮一人ではその調査は出来なかった。

 そんなとき大宮は、稼ぎが悪いと赤池にヤキを入れられているさつきを助けたことから上官暴行罪で営倉にぶち込まれてしまった。しかも、上官影沼の女明美といい仲になって重営倉に移される有様。そんなうちに香月の尽力で有田が原隊に復帰してきた。有田は事情を知り、軍の機密を握る暗号兵の特権を利用して、影沼一派が二重帳簿で軍票をごまかしていることをつきとめた。それをネタに影沼一派を脅した有田は大宮を営倉から救い出したのである。

 やがて、戦況が逼迫し、香月隊は全滅した。香月は軍旗の奪還を大宮に託して息をひきとった。大宮は巧みな変装とクソ度胸で敵陣に潜入し、無事軍旗を奪還するという大殊勲をたてて戻ってきたが、彼を迎えた有田は、戦争が終ったことを告げた。それを聞いた大宮は有田と共に副官室に乗り込み、逃げ仕度に懸命な影沼たちに痛快な鉄拳制裁を加えると、軍にサヨナラして大陸の彼方に駆け去って行った。

</転載>


 まあwww何ですな・・・。多感な小学生の頃にこんな映画を見た(TVで)ばっかりに人生を間違えた?のかも知れませんので、まだ無菌培養されている人たちにはあまりお勧めはしません。じつはワタシの小学校時代の同級生に、やくざになった同級生がいまして、成人してから立川の駅前で声をかけられた時はびっくりしました。彼も「兵隊やくざ」を見て道を誤ってしまったのかな?と。

 翻って「暴力団」とは言葉のまま、暴力を振るう集団です。その意味で言えば、警察だって、機動隊だって、立派な暴力団と言う事が出来ます。勿論、法律で正当化された暴力ですが・・・。

 で、やくざと暴力団の違いって、庶民生活との距離のように思うワケです。やくざは本来、庶民と共存する存在であったのです。家族も手が付けられない乱暴者とか、社会=システムに馴染めない若者を引き取ってくれる、或る面、ありがたい存在であったと思うのです。

 怖い存在ではあっても、「堅気には手を出さない。」と云うルールがあったのは、庶民と共存していかなければならないという自覚があったからではないでしょうか?自分たちも庶民の一部であるという自覚があったからではないでしょうか?

 そういったやくざの正道?を踏み外したやくざも沢山いたのでしょうが、そもそもやくざのルーツとは、権力者に、侵略者に反抗し続けた、先住日本民族にまで遡る事ができ、であればこそ、時の権力者が作り上げた「システム」に反抗するのが彼らの、レゾンデートル=存在理由でもあるのです。ま、キツネ目の宮崎親分の方がワタシなんかよりずっとその辺は詳しいでしょう。

 そこで、今回の弘道会に対する手入れですよ。


弘道会系幹部ら逮捕=全国最大ヤミ券売り場事件-大阪府警

 指定暴力団山口組の中核組織「弘道会」傘下組織が全国最大のヤミ券売り場を運営していた事件で、大阪府警捜査4課などは7日、モーターボート競走法違反などの容疑で、新たに大阪市住吉区長居、弘道会系組幹部木村充容疑者(50)ら4人を逮捕した。ほか1人の逮捕状も取り行方を追っている。同課によると、木村容疑者らは容疑を認めているという。

 同課は、1カ月で1億5000万~1億8000万円を売り上げたとみて、資金の流れを調べている。同市西成区のヤミ券売り場は広さ約600平方メートル、隠し部屋もあり、中は迷路のようになっていたという。

 逮捕容疑は6日午後、同区のヤミ券売り場で、公営の競艇や競輪を利用してノミ行為をした疑い。(2010/10/07-11:32)


検察警察庁VS弘道会



<抜粋>

山口組総本部は兵庫県警管轄だが現在の山口組組長は名古屋にいたでござるの巻
サラ金闇金利益を弁護士が脅し取り、大相撲野球賭博で検察OBが相撲協会に天下る。
やくざ利権を合法的に脅し取る検察日弁連。
検察裏金問題で大阪高検公安部長三井環氏を暴力団利用して逮捕起訴し務所にぶち込んだ­。
利用してポイ捨てはできんよ。おまわり。
検事は司法試験に通っただけの世間知らずのクソ餓鬼集団。
文武両道のやくざさんには敵わない。
これから検察VS弘道会の全面対決が始まるのか。
自称正義の味方VS他称反社会勢力の仁義なき戦い。
クソ餓鬼集団叩きのめすことができるのは・・・

</抜粋>


 名古屋と言えばおりしも名古屋市で、「市議会解散署名運動」の真っ最中。もともと名古屋、三河と呼ばれる地域周辺には先住日本人の末裔が多く、八切止夫氏の「サンカ生活体験期」にその様子が書かれていますが、今回の警察=国家権力の行動が、どの辺までを見越しての事なのか?やがて弘道会と河村市長との関係が取りざたされ、減税を掲げた市長派は総崩れとなり、名古屋市民の願いは叶わぬ夢と消えてしまうのか?

 であればこの時代になっても、律令制から続く支配体系に日本中の庶民が未だに苦しめられている。・・・と、云う事の証明にもなり、日本の為にならない連中の正体を炙り出せるのではないか?と。


でわっ!
(今回はかなり妄想たくましく書いてみました。)

文殊の知恵

<記事貼付>
世銀、方針転換へ 途上国への米国的政策押しつけ終幕

 【ワシントン=尾形聡彦】世界銀行のゼーリック総裁が29日の講演で、米政府と国際機関が、発展途上国に米国的な政治・経済政策を押しつける「ワシントン・コンセンサス(ワシントン合意)」が終幕を迎えているとして、世銀の透明性を向上させる自己改革を表明した。世銀が、過去の手法の終わりを自ら宣言するのは異例で、新興国が台頭し、多極化が進む世界経済に対応するのが狙いだ。

 演説でゼーリック総裁は「世界経済に地殻変動が起きているなかで、思考の枠組みも変わらなければならない」と表明。金融危機後の景気回復では、新興国が、世界経済の成長の半分を占め、世界貿易の回復の先導役になっていることを指摘し、「新たな多極的な世界経済には、多極的な知識が必要だ」と述べた。

 知識が先進国から途上国に流れるという見方はすでに時代遅れだとして、「もはや一つの都市での政治経済政策の合意を、すべてに当てはめることはできない」と表明。

 そのうえで、世銀の持つ開発経済についての膨大なデータなどをネットを通じて公開し、途上国の最前線で働く人々と議論しながら、各国の事情や発展段階に合った開発支援を推進する考えを述べた。

 「ワシントン・コンセンサス」とは1980~90年代を中心に、米財務省、世銀、国際通貨基金(IMF)などワシントンの機関が一致していた「規制緩和」「貿易自由化」「財政規律」などの政治経済政策を、IMFや世銀を通じて途上国に推奨してきたことを指す。金融危機はこうした価値観を米国が世界に広げたことが原因だとの見方がある。

</記事貼付>


 そうですかwww。世界銀行のずぇwwwりっく総裁まで、一元的な価値観の行き詰まりを認めましたかwww。現在の世界の趨勢から見れば妥当な・・・と云うか、今までがオカシかったんだとワタシは思うんですけどね?いよいよ
「八百万精神」の出番が回って来ましたか?時を同じくしてイギリスでも八百万精神のヨーロッパ版、ケルト文化の根源であるドルイド教が認知されたそうです。


<記事貼付>
古代ケルト信仰ドルイド教を史上初めて公認、英国
 
【10月3日 AFP】古代ケルト民族が創始した宗教で、数千年にわたり異端視されてきたドルイド教を、英政府が史上初めて公認した。

 英チャリティ委員会(Charity Commission)が2日、英国内のドルイドの代表組織にあたるドルイド・ネットワーク(Druid Network)について「公益のために宗教を広めるという慈善的目的に特化して創設された」と認め、慈善団体資格を付与したと発表した。主流といわれるほかの宗教と肩を並べる存在となり、税制上の優遇措置も受けられるようになった。

 ドルイド教は古代アイルランドから古代ブリテン周辺に登場し、鉄器時代にはさらに広がって現在のフランスにまで渡ったが、その後は欧州の広い地域でキリスト教に取って代わられた。近年、エコロジー意識が高まるなか、すべての自然に神が宿るとするドルイド教の汎神論的な面に関心が集まっている。(c)AFP

</記事貼付>


 ところで・・・ずぇwwwりっく総裁の言う、


「新たな多極的な世界経済には、多極的な知識が必要だ」


を取り違えると、世界がバラバラになってしまう可能性もあるので注意が・・・と云うか正しい理解が必要になります。

 世界の各地域が内向的独善的になり、資源の分配などで利己的になってしまっては、却って多くの人が不幸になってしまします。そして再び戦争の火種にならないとも限りません。「世界学級」というものを仮定したとき、クラスのルールを或る一人のガキ大将=ジャイアンが決めるか、みんなで決めるかの違いだと思うワケです。はい。

 クラスの中にはイロイロな級友がいます。気の合う奴もいれば、気に入らない奴もいる。前に紹介した級友(アラビヤン焼きそばをご馳走してくれた)もいい奴なんですよ。腹が減ってるだろうと、自ら調理して焼きそばをご馳走してくれたんだから。ただね?その後ワタシがウマイ、ウマイと絶賛したもんだから図に乗ってね?ま、そんなワケで奴の上を行くアラビヤン焼きそばを作ってやろうと・・・。いま思えば、随分ムダな事に情熱を燃やしたなと。はい。

 すみません。悪い癖が出ました。早い話が、個人レベルで見てもいろいろな人間(自分も含めて)がいるワケで、そのバラバラな人間を結び付けているのは何かと言えば、

同じ人間だろ?

と云う事に尽きると思うのです。イスラム教徒だろうと、キリスト教徒だろうと、ドルイド教徒だろうと、ピグミー族だろうと、みんな腹はへるし、眠らなければ生きてはいけません。

 アメリカで、WTC跡地の近くに
イスラム教寺院を建設する事に反対したりコーランを焼き捨てたりする人たちは、当然、イスラム教諸国から産出される石油を拒否して、車にも乗らないんですかね?ま、例えがちょっと幼稚ですが、地球上の資源が限られている事は事実です。それをどう分配するかに、これから世界中が頭を悩ませなければならないように思うワケです。その際に異文化に対する偏見だとか、過去の傷跡を乗り越えて、同じ人間として「シンパシー」が持てるかどうか?

 恐らくみなさん、ワタシがグダグダ言ってる事なんて、とっくに頭では分かっていると思います。が、心が・・・習慣が・・・邪魔をしているのではないかと?故にその
葛藤を乗り越えないと=個人革命が成されないと、

世界は先に進めない。

と云うのがワタシの思いでありまして、ま、「三人寄れば文殊の知恵」とか言うじゃないですが?であれば、世界中の庶民が知恵を出し合えばきっと乗り越えられる。と、ワタシは信じる次第です。はい。


でわっ!

2010年10月6日水曜日

日本における魔女狩り

 ヒロシさんとこの「つぶやき」が盛り上がっているので、勝手に便乗させていただきます。もちろんワタシも大いに同意(ドン・イー)する次第ですが、小難しい政治談議は抜きで行きたいと。はい。


<抜粋>

原口「何かが壊れている。審査会の議決は、一言でいえば検察が起訴しようとした事案を越えて、市民が怪しそうだから”こいつをお白州の前に引き出せ”という文書。」 
about 4 hours ago webから

</抜粋>


 「恐怖」に支配された社会なんてごく一部の人を除いて、大多数の人にとって住みやすい社会だとは到底思えません。しかしこのまま放っておけば
庶民同士が「特高」にタレ込み合うような、そんな戦前・戦中のような社会が再び訪れるよな事態になりかねません。

 小沢氏がどうこう云う次元の話ではありません。日本人が心の底から先の戦争を悔いているなら、つまり、安易に「戦争と云う解決策」を選択した事を悔いているなら、態度で示さなければなりません。それは・・・


民主主義を体を張って守る。

・・・に他ならないのです。
声を上げる。


・・・以外にはないのです。


<抜粋>

hanachancause RT @kikko_no_blog: 日本人の平均年齢は現在「45歳」だが、これは20歳未満の未成年者も含めての数字なので「成人の平均年齢」はさらに高くなって「50代」になる。それなのに検察審査会の11人の平均年齢が「30.9歳」というのはあまりにも変。
約23時間前 ついっぷる/twippleから
bilderberg54と22人がリツイート

</抜粋>


 今回の検察審査会のメンバーは随分若い人が多かったようですが、謂わば、「親さえも戦争を知らない世代」になるワケです。戦前・戦中の「大本営」に管理された社会を知る世代であれば、「国家権力」の理不尽さを、「特高」の恐ろしさを身を待って知る世代であれば、それを親から伝え聞いた世代であれば、また違った判断を下したことでしょう。

 毎年毎年夏になると、「罪滅ぼし」のように終戦特別番組が日本中のTVから流れ、
「あれは軍部が暴走した。」だとか、「言論統制が厳しく、何も言えなかった。」だとか、オウム返しのように繰り返して、イッタイ何年経つんですかね?


反省するなら態度で示せ!

・・・と。


 二度と、戦前・戦中のような社会にしてはいけない。そう誰よりも大きな声を上げる権利があるのは、戦争で多くのものを失った、現在もご存命中の方々でしょう。もちろんワタシも、
今は亡き叔父の無念を浄化させる(タタリを断ち切る)為にも、「国家権力による横暴」を食い止めなければと、現在小沢氏の冤罪を晴らすために奮闘している諸兄に深く賛同し、ベトナムから声援を送る次第です。はい。

 重要なのはこの件が、小沢氏だけの個人的な問題ではないと云う事です。


<抜粋>

柴山 「判例を作りたいから、裁判をやってほしい」 なんという法律家的思考。
about 5 hours ago webから

</抜粋>


 語るに落ちた言うべきか・・・。「判例」さえ作ってしまえば、後はそれを黄門様の「印籠」のように、「錦の御旗」のように、振りかざそうという魂胆が見え見えです。そうなってしまえば、戦前・戦中の社会に逆戻りです。庶民同士がお互いを監視し合い、疑念を抱き合うような、中世の、「魔女狩り」が横行するヨーロッパの如き社会は、どこぞの「独裁国家」みたいで
日本人本来の「八百万精神」からは、遠くかけ離れていると言わざるを得ません。

 どこかの誰かの為の日本ではなく、ワタシたち庶民の為の日本を取り戻す為にもここはひとつ、小沢氏にになってもらい・・・

一点突破


・・・で行くしかないのかも知れませんな。


でわっ!

2010年10月5日火曜日

人間が先か?理論が先か?

 またまた極東ブログさんトコからネタを拝借させて貰います。


<抜粋>
ゲーム理論で考えよう:J国とC国がある海域の漁業資源を争う事例

結局のところ人間は、文明化という段階まで進んでおり、すべてがジャングルの掟に支配されているわけではない。しかも実際には、ゲーム理論を使うと、このような文明化された状態が生まれる経過を説明することができる。ある種を構成しているものにとって、協力やコミュニケーションが安定した戦略となるような状況が、どのように生まれるかを、説明できるのである。ゲーム理論を使わずに、人間の協力的な社会行動を理解することは難しい。

</抜粋>


・・・と云う事で、理路整然とした説明に納得する次第です。はい。

 ところで「ゲーム」そのものも、「人間の思考の産物」であって、所謂「理論」と云う「法則
が元々そこにあり、その上に人間の行動が束縛されているのではなく、人間の行動を説明する為に、自然界の現象を説明する為に、「理論」、「法則」を後付けしたワケですよね?違います?

 ま、対象を人間に限定すれば、「心理」という未だに解明されていない「不確定要素」を内面に抱えており、「理屈だけでは割り切れない」部分が多分にある様に思うワケです。はい。

 だからと言って世界が「混沌の海」の中に浮かんでいると言うつもりは無く、おおむね均衡を保った状態にあるのはそこに「常識」の存在があるからだと、ワタシなりに思う次第です。はい。

 「常識」・・・「常に」+「識る」とは一体どういう事なんでしょう?「常識を打ち破れ!」とか、「常識に囚われるな!」とか、「常識さん」て肩身の狭い思いをしています。でも、「常識さん」自体が語られることってあまりないですよね?なぜなら・・・

そんなの常識だろ?

・・・と言われてしまうと、そこで暗黙の了解が出来上がってしまうからです。はい。

 そこで、「常識さん」をとことんまで突き詰めてみると、最終的に自分が「これだけは確かだ!」と、胸を張って他人に主張出来る事といえば・・・

自分の肉体でしかない

・・・と云う事になるのではないでしょうか?

 今日は頭が痛い、お腹が減った、肩がこる、寝不足で目が腫れぼったい、etc・・・自分が「常に」+「識る」のは、自分の肉体でしかないのでしょうな。結局。

 そして同じ人間であれば、自分の体に起きた現象が他人の体に起きた時に、自分の事として共感する事が出来る。つまり、相手が「腹が減った」と言えば、その状態をすぐさま自分の肉体でシュミレート出来る。その事が人間を「社会」と云う単位に結び付けている、要因のひとつの様に思うワケです。ワタシは。

人間本位

・・・云うなれば「庶民本位」は、ワタシが繰り返し述べている事であって、如何なる「英知」も、人間の存在抜きには語れない事を・・・そんな「常識?」を、ちょっと賢く(頭でっかちに)なったばかりに、みんなが忘れかけている様に思った次第です。はい。


でわっ!

2010年10月3日日曜日

ひょっこりアラビアン焼きそば

 極東ブログさんとこにアザデガン油田に関する記事があったんですケド、記事自体の内容よりもワタシの目はこの一行に釘付けになりました。

<抜粋>

アラビア石油は、1960年から採油を開始した。石油が日本の高度成長を支える姿にアラビア太郎は満足しつつ、1967年、波乱の一生を終えた。同年、アラビヤン焼きそばが発売された。

</抜粋>

 アラビア太郎を偲んで「アラビアン焼きそば」が発売されたのかwww!

 ・・・なワケは無いと思いますが、にしても、

アラビアン焼きそば

 懐かしいですぅwww!





サンヨー アラビヤン焼そば 100g


 アラビアン焼きそばとの出会いは忘れもしない、育ち盛り?の小学生のとき、学校から帰って近所の同級生の家に遊びに行き人生ゲームに興じていたら、「お腹が空いたなwww」と云うことで、同級生が何か作ろうかとご馳走してくれのが・・・

アラビアン焼きそば

 だったのですが一口食べて・・・

ウメエwww!

 それからは、朝昼晩と自宅でアラビアン焼きそば三昧・・・とはなりませんでしたが、その美味しさにハマリ、ヤツ(先の同級生)より美味いアラビアン焼きそばを作ってやるぞと、密かに闘志を燃やしたのでした。

 ま、子供ってものは飽きっぽいものですから、いつのまにやらアラビアン焼きそばに対する情熱?も冷めてしまったのですが、あの独特な「味」だけは今だに舌が覚えています。

 とっくの昔に販売終了になったものと思っていましたが、まだ販売していたとわ!驚き桃の木・・・まるでシーラカンスに遭遇したような気分です。そうと知ったらもうね?次回一時帰国した時は千葉の漁師じゃないけど、

アラビアン焼きそば箱買い

してやるwww!

 ワタシが唯一自信をもって推薦出来る「一品」です。はい。

サッポロ一番 アラビヤン焼そば





 例によって話は変わりますが、アラビア石油って名前もまあ、ストレートな社名ですが、新青梅街道沿いに「ヤマニ石油」って、
ヤマニ石油相の名前そのまんまと似顔絵まで書いたGSが昔あったんですケド、 あれって何だってんですかね?気になって夜も眠れません。で、パーレビ国王ってインタビューを読む限りでは、そんなに悪い人じゃなかったのかも?


でわっ!

シンクロ二シティー

シンクロ二シティー

 最近、世界中で「共時性」現象が、大きい事から小さい事まで、頻繁に発生しているように感じるワケです。

 きっと時代の変わり目って、「共時性」と何らかの関連があるんだろうと思った次第です。はい。

 で、ポリスの歌に「シンクロ二シティー(共時性)」ってのがあったなぁwww・・・と、思い出したもので。

The Police-Synchronicity I

With One Breath, With One Flow
ひとつ息吹に ひとつの流れに
You Will Know君は感じ取るだろう
Synchronicity 共時性を

A Sleep Trance, A Dream Dance,
深い眠りの中 躍動の夢を見る
A Shared Romance,
分けあったロマン
Synchronicityそれが共時性

A Connecting Principle,原理はそこに在り
Linked To The Invisibleひとりひとりに繋がっている
Almost Imperceptibleわずかな人たちだけが知る
Something Inexpressible.
言葉で言い表せない何か

Science Insusceptible
科学は鈍感で
Logic So Inflexible
論理は融通が利かない
Causally Connectible在るがままに接する
Yet Nothing Is Invincible.
「無」こそ最強のものなり





If We Share This Nightmare
もしこの悪夢を分け合えば
Then We Can Dream
僕たちは「世界精神」を
Spiritus Mundi.
夢見る事が出来るだろう

If You Act, As You Think,もし心のままに振舞うなら
The Missing Link,
全ては繋がる
Synchronicity.共時性に

We Know You, They Know Me僕たちは君を知り 彼らは僕を知る
Extrasensory
理屈を超えた感覚が
Synchronicity.
共時性さ

A Star Fall, A Phone Call,星が堕ちる 電話をかけよう 
It Joins All,
全てがひとつになるんだ
Synchronicity.
共時性によって

It’s So Deep, It’s So Wide
それはとても深く それはとても広い
Your Inside君の内に在る
Synchronicity.共時性は

Effect Without A Cause
因果律から離れた
Sub-atomic Laws,量子世界の法則
Scientific Pause
科学は立ち止まる
Synchronicity共時性の前で

(意訳:saigon ronin by:Google 翻訳)


でわっ!