2007年1月31日水曜日

お恥ずかしい!

昨年(2006年)大晦日にダイヤモンドプラザで
映画「日本沈没」を観た感想の中で、

「あと、対策本部にナゼか徳川家の家紋が?・・・。何ででしょ?」

とホザいたワタシは、大タワケであったので恥ずかしながら訂正いたします。
そもそも、その家紋(紋章)とはコレw


   
日本国政府・内閣の紋章「五七の桐」

ということで、とんでもない勘違いでした。
というか無知・無学でお恥ずかしい!

恥かきついでに補足しますと、この紋章は本来皇室の紋章で、
中国では古来、桐の木には鳳凰がきて鳴くめでたい木とされました。
そして鳳凰は「聖天子誕生」と鳴いたそうです。
(「空耳アワ~」ですかい?)

それゆえ桐は天子のシンボルになり、この思想が日本に輸入されて
皇室の紋章として鎌倉時代の終わり頃までに定着したそうです。
また、皇室は特によく仕えた将軍家にも桐紋を下賜しています。
(足利氏も織田氏も豊臣氏もこの桐紋を賜っています。)
 


 


                
織田信長さん

と・こ・ろ・が、徳川家康が将軍になる際に、
 
「家に伝わる葵の紋があるゆえ」
 
と皇室が桐紋を下賜しようとしたのにそれを辞退したもんだから、
これに面目を失した皇室は以後「桐紋」を下賜しなくなりました。とさ。
(先に豊臣秀吉が皇室より「桐紋」を下賜していたのでこれを嫌ったらしいっス。)
 
それじゃ、わたしたちが慣れ親しんでいる(?)「菊の紋章」は?というと・・・
 
鎌倉時代には「桐紋」が皇室に定着していたのですが、
時の後鳥羽上皇が「菊」を好み、「菊」を自らの印とし、
その後、後深草天皇・亀山天皇・後宇多天皇が「菊」を印として継承し、
慣例のうちに「菊花紋(十六弁八重表菊紋)」が天皇・皇室の「紋」となったそうです。
  
で、江戸時代には徳川家紋章「三つ葉葵」は幕府に一般使用が禁止されたのですが、
なんと!「菊花紋」の使用は自由で、
各地で「菊花紋」をあしらった製品がつくられたそうです。
(江戸時代は「菊花紋」の敷居が低かったのですねぇ~・・・フムフム。)
   
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錦の御旗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
太平洋戦争回避か
(キャッシュ)
(以下抜粋)
 
(前略)
 
明治維新の西郷、大久保、岩倉らが行った手法を踏襲する。つまり、彼らは親幕府派の孝明天皇に代え幼少の明治天皇を擁立し、また鳥羽伏見の戦いでは大村益次郎がかねて用意した偽物の錦の御旗を掲げて幕府軍の交戦意欲を萎えさせ、局面を逆転させた。そして、詔勅を乱発、官軍の立場を取得、維新の大業を完遂した。
 
(後略)
 
(以上)
 
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「錦の御旗」菊花章官軍指揮旗
 
たぶん「菊花紋」を勝手に使用することに罪悪感なんて無かったんでしょうネ。
薩摩、長州藩は「錦の御旗」を、今風に言えば「捏造」して
天皇の詔勅を受けずに明治維新を始めちゃったワケですから。
(ま、結果オーライならいいんですけど・・・結果オーライなら・・・)
 

「桐紋」のいわれからすると「菊花紋」より「桐紋」の方が
皇室にふさわしいように思うのですが、実は!
皇室の古来の紋章は実は「日月紋」とよばれる紋章らしいです。
 
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週刊少年タケシ皇室のきょうかしょ
http://www.fujitv.co.jp/takeshi/column/takedatsuneyasu/takedatsuneyasu12.html
 
(以下抜粋)
 
(前略)
 
元来皇室の御紋は、「日月」(じつげつ)でした。現在でも天皇が即位なさる際には 、「日の 丸」と「月」がそれぞれ錦の御旗(にしきのみはた)に掲げられます。太陽は天照大御神(あま てらすおおみかみ)、月は月読尊(つきよみのみこと)を表しています 。
 
(後略)
 
(以上)
 

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しかしながら、明治維新政府は「錦の御旗」を掲げて事を成した以上、
「菊花紋」を明治天皇の紋章として正当化する必要があったのでしょう・・・

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菊花紋章
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/菊花紋ç«
 

(以下抜粋)
 
(前略)
 
明治2年に明治政府によって天皇の紋章として十六弁八重表菊紋が、その他皇族の紋章として十四弁一重裏菊紋がそれぞれ定められ明治4年に皇族以外の菊花紋の使用が禁止されました。なお、現在は「菊花紋」を商標として登録は不可ですが使用は禁じられていません。
 
(後略)
 
(以上)
 
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ついでながら、なぜパスポートの表紙の紋章が菊なのかというと、
明治時代にパスポートが「日本帝国海外旅券章」と呼ばれ
明治政府の印章であった「菊」の紋章をつけたのが始まりで、
大正時代に「大日本帝国外国旅券」となってからも「菊」の紋章を引き継ぎ、
それが昭和20年の終戦まで続き、
昭和26年に連合軍の占領状態から解放されて、
日本独自でパスポートの発行が出来るようになっても、ヤッパリ、
習慣的に「菊」の紋章を用いる事になりました。
(日本人てホント、慣例とか慣習とかに弱いよねぇ・・・)
 

なお、パスポートの表紙に用いられているのは「十六弁一重表菊紋」なので、
皇室の紋章と似てはいますが「別物」。
 
もとに戻りますが、肝心の日本政府の紋章がなぜ「五七の桐」なのかというと、
 

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首相官邸ホームページ
FQA(お答えします)
http://www.kantei.go.jp/jp/q&a/2004/08/05_1.html
 
(以下抜粋)
 
桐花紋は政府において広く使われてきていますが、桐花紋がいつ頃から使われ始めたのか、また、その由来については定かではありませんが、従前から慣例により使われており、定着してきているものです。 なお、紋章について一般にいわれていることなどを記しますと、
 

(中略)
 

3.明治政府は、明治5年に大礼服(重大な公の儀式に着用した礼服)を定め(太政官布告「大礼服制」)、例えば勅任官(天皇が任命した官吏)は、その上着に「五七の桐」を用いることとされました。明治8年には、勲章の旭日章が制定され、デザインの一部に桐花紋が使われました。
 
(以上)
 

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ということで、結論を言えば
「ナントナク」使っているらしいです。・・・orz
 
もひとつオマケ。
 

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国章
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/国ç«
 

(以下抜粋)
 
日本では、法令上明確な国章は定められていない。その為、慣例的に天皇家の家紋であり、天皇の紋である十六弁八重表菊紋(菊花紋章)が、国章に準じた扱いを受けている。また、首相・政府(内閣)の慣例的な紋章である五七桐花紋も、国章に準じた扱いを受ける。
 
(以上)
 

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この、「国章に準じた扱い」ってのが
いかにも日本的なナアナア感覚。
日章旗にしても1999年の国旗国歌法までは
正式な国旗じゃなかったし・・・と、いうことで

日本には正式な国章はありませ~ん。
(国章に準じたモノはある。)

ジッサイ、国際条約の締結とか、
国家間の公文書とかはどうなっているんですかネ?

「九条」改正もイイケド、先にやるべきことがあるんじゃないの?
と思う次第です。はい。




おぉっ!ベトナム国章!
 
 
ま、今回のことは「無知故に知る」ということで・・・
 
 
でわっ!

2007年1月27日土曜日

カストロ議長危篤?

カストロ議長危篤?
カストロ氏の署名は偽物?=事実なら病状悪化の証拠にも
1月27日15時0分配信 時事通信

【サンパウロ26日時事】スペイン通信(EFE)は26日までに、ベネズエラのチャベス大統領が病床にあるカストロ・キューバ国家評議会議長(80)からこのほど受け取ったという書簡について、「署名はカストロ議長本人のものではない」とするコロンビア人専門家の見解を伝えた。

 コロンビアのラジオ局RCNの依頼を受け、同議長の署名を調べたという筆跡鑑定専門家は偽物とする根拠について、2004年以降の4つの署名を比較した結果、05年までの署名に年相応の震えが見られたのに対し、06年末に公開された新年メッセージと今回チャベス大統領が示した署名は、高齢かつ身体的ダメージを受けているとは思えないしっかりした筆跡だったと指摘。「20~30代」の人物の代筆と結論付けている。

 チャベス大統領は24日、カストロ議長から届いたという書簡を示した上で、同議長が順調に回復し、「ジョギング並み」の速さで歩き回っていると強調していた。時おり発表される書簡の署名は事実上、同議長生存の唯一の「証拠」となっている。仮に偽造が事実であれば、米国などでささやかれる「末期がん説」に有力な根拠を与えることになりそうだ。
  
最終更新:1月27日15時0分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070127-00000065-jij-int
 
いやぁw、カストロ議長がいなくなったらどうなるんですかね?南米。
チャべス大統領もねぇ、威勢がいいのは認めるんですがいまいち役不足の感が・・・
なんか腸の手術の失敗という情報も流れているんで、
ここでブラックジャックみたいな変人の天才外科医が颯爽と現れてカストロ議長を救う。
なんておめでたい話は期待できないっスかねぇ?

ベトナムも中国もアメリカと仲良くやってゆこうというこのご時世、
(仲良くやるのはいいことなんですよ。好き好んで喧嘩することないですから。)
カストロ議長の存在はこの世界において結構大きいのではないでしょうか。
頑なに反米、反資本主義を標榜するカストロ議長のその姿に
武士(もののふ)の姿を重ね合わせるのは甘っちょろいロマンですかねぇ?

カストロ議長の回復を祈りつつ、盟友チェ・ゲバラの肖像を捧げます。
(にしてもチェ・ゲバラはカッコええなぁ!)

子供のようないい笑顔です。


昔はぼくたち若かった。


「おぉ~い。みんなぁ~、聞いてくれぇ~!」


フィデル・・・


(ブラピ?)


ところで、チェ・ゲバラの著書「革命戦争の旅」って若い頃に文庫本で読んだ時は「革命闘争の通り道」とかいうタイトルだったように記憶してるんですけど、(キューバ革命はとても戦争と呼べるようなもんじゃないっス。)もう老化が始まっちゃったのかな?やだねぇw。年はとりたくないくわぁw。今度日本に帰ったときに本棚ひっくり返して確かめよう・・・

 
でわっ!

2007年1月26日金曜日

「国益」=「民益」デスカ?

自民党のセンセイ方はどうも「国益」という言葉がお好きなようで、
何かというと「国益、国益」と呪文のように繰り返しますが・・・

(誰が広めたんですかね?「国益」なんて無粋な言葉。)

しかし、「我が国の「国益」のために貴国とお付き合します♪」
というのもナメた話で、

-「国益」の見込めない国とはお付き合いしませんよ。-

と、いうことなんですか?えええぇ!?

言葉尻を捕らえてイチャモンをつけるようでアレですが、
例えば、例えばですよ、中国が・・・

「アイヤw、わが国は「自国の国益の為」に日本との関係を強化するアルよ。」

なんて言いながら寄ってきたら「熱烈歓迎!!」となるんですかい?
でもって、ガンガン資金援助しちゃったりするんですかねぇ?
そして「自国の国益」にならなくなった途端、

「ハイ、サヨwナラw♪」

にはならないと誰かお約束できるんですか?
安部さんですかい?麻生さんですかい?

あんまり「国益」、「国益」と口にしないのが
「品格」ある「国家」のたしなみのような気が。

「国益」とは「国」の「利益」ですが、
そもそも、その「国益」って具体的に何なんですか?え?

(マグロがたくさん食べられるとか・・・)

その「利益」は一体どこに還元されるんですか?え?

-「美しい国」には経済力が不可欠。-

と安部さんが国会で力説しておりましたが、
経済力が無ければ「美しい国」にはなれないんですか?
お金があれば「美しい人」になれるんですか?
そりゃ、整形したり、きれいな服を着たり、
外見の見た目は繕えるんでしょうが、
なんかねぇ・・・。

もっとも、愛国心教育が浸透すれば、
きっと国民一人一人が「国益、国益」と
「国益」=自分の利益が増えることのように
さぞかし喜ぶんでしょうねぇ。

いやw、素晴らしいっ!

世界中の指導者が羨むような国民ですねぇ。
わたしの如き輩は「非国民!」
罵詈雑言を浴び袋叩きとなるんでしょうが、
それでも一介の浪人として言わせていただくならば、

「今の日本は明治時代からの悪弊の延長線上にある。」

この「国益」という言葉も形を変えた
「富国強兵」の匂いがプンプンしますよ。奥さん。(誰?)

ま、日本に限らずどの国も自国の「国益」を先ず優先するワケで、
だからこそ当然の如くいつまでも戦争・紛争が絶えない。
してみると兵器産業は将来に渡っての安定成長産業なのだなぁ。
なワケで、お宅のお子さんの就職先にいかがですか?奥さん?(・・・て誰?)

ところで以前「格差」について私見を述べ、

「金持ち」のルールに従いたくなかったら従わなければイイのです。「金持ち」にルールの変更を要求したところで、所詮は「金持ち」のルール。「後天的格差」は永久に無くならないでしょう。

と能書きを垂れましたが・・・


<記事>

世界の失業者、過去最悪の1億9520万人

【ジュネーブ=渡辺覚】国際労働機関(ILO)が25日発表した世界の雇用情勢に関する年次報告によると、2006年末時点の世界全体の失業者は、前年を約50万人上回る推計約1億9520万人にのぼり、過去最悪を記録した。

 失業率は、前年から0・1ポイント改善したものの、6・3%の記録的な水準で高止まり。報告は「世界各地の経済成長が雇用情勢の改善につながっていない」と指摘し、失業者数・失業率ともに、07年も同様の水準で推移すると予測している。

 また、若年層(15~24歳)の06年の就労率は46・8%。高学歴化による就労年齢の上昇に加え、各国で仕事に就けない若者が増加している事実も背景にあり、特に先進諸国では、若年層の失業率が、25歳以上の層の2倍以上に上っていると指摘。「若年層の労働力を活用できないのは、社会の潜在的損失だ」と各国政府に警告した。

[読売新聞社:2007年01月25日 12時26分]
http://newsflash.nifty.com/news/te/te__yomiuri_20070125i105.htm 

</記事>


記事文中に・・・

「各国で仕事に就けない若者が増加している事実も背景にあり、特に先進諸国では、若年層の失業率が、25歳以上の層の2倍以上に上っていると指摘。」

とありますが、先進国に限った場合、仕事に「就けない」のではなく、
仕事に「就かない」のマチガイなんじゃないんでしょうか?
お宅のご子息にはもうバレバレなんですよw。
親の働く姿を見ていれば嫌でも分かりよすよ。奥さん。(くどいっ!)

「いち抜けたw!」とっ。

日本限定で言えば、明治時代以降の「白人(欧米人)の真似っコ」は
もういい加減止めた方がよろしいんではないでしょうか?
日本近代化のスタート時点で既得権益を手に入れた階級は必死ですが、
所詮日本人の気質、体質、DNAには合わないんだと思いますよぉ~。ジッサイ。

この世界は限界のある閉じられた世界なワケで、
その中で各国が「国益だwッ!ウォwッ!」と限られたパイに群がったら
結果は子供の椅子取りゲームのように明らか。
椅子を手に入れることに血眼になっている連中につきあって心中ですか?
いやぁ・・・「負け組」と呼ばれてもいいから個人的にはカンベンして欲しいっす。
マグロが食べられなくても、私には私の生活とか都合とかがありますんで・・・。

(あぁw、マグロ好きの国民からの「非国民」の非難の声がw。)

そもそも、国民があってこその「国家」。
国民に選ばれた政治家が国民不在の「国益」を論じるのはナンセンス。
その「国益」ってやつを具体的に国民に説明するのがスジってもんでしょ?
絵に描いたマグロじゃ家計の足しにならいですよね?ね?奥さん?(・・・orz)

昨今の南米における反米(反資本主義)政権の隆盛、
今回の宮崎県知事選挙の結果などは
危険信号を感じ取った庶民の本能の現れ(サイン)なんじゃないかと・・・。

前・田中康夫長野県知事もボヤいてました。

「既得権益のピラミッド構造は想像以上に根が深い。」と。

今回当選を果たした東国原新知事と宮崎県民の方には
宮崎県を他県の手本となるような、
新時代の日本の指標となり得るような、
そんな県政を敷いていただきたいものであります。・・・はい。

「サイは投げられた。」 By ジュリアス・シーザー
 

でわっ!

2007年1月25日木曜日

シアヌークビル PART1

観光地とかにはあまり興味がなく
今までプノンペン以外行ったことが無かったのですが、
縁あってシアヌークビル行くことになったもので・・・。

ま、例によっての行き当たりバッタリ。
いろいろハプニングもあったのですが、
今日のところは疲れてるんでボチボチUPしていきます。

とりあえず参考までに・・・

用意:
カンボジアVISA($24)

初日:
サイゴン→プノンペン バス移動($12)
午後プノンペン着 同地宿泊($10)

2日目:
プノンペン→シアヌークビル バス移動($4)
午後シアヌークビル着 同地宿泊($12)

3日目:
シアヌークビル市内探索 
レンタルバイク使用($4/日)
シアヌークビル宿泊($12)

4日目:
シアヌークビル-プノンペン バス移動($4)
午後プノンペン着 同地宿泊($10)

最終日:
プノンペン-サイゴン バス移動($12)
午後サイゴン着

というわけで移動・宿泊の合計$104/人でした。
(全て自分で手続きした場合)


シアヌークビルに行く途中にある「ウシ横断注意」の標識。


シアヌークビルの青い空と青い海と白い砂浜。(うぉ~い!誰もいないのか~?)


あっ、イヌだっ!イヌがいた~っ!イヌ、イヌぅ~!

PS. UVクリームはゼッタイ必需品ですっ!


でわっ!

2007年1月19日金曜日

史観と史実

エェw!?日本でも外国との奴隷貿易があったんですかw!?

以下長いので心して読んでください。


<引用1>

八切止夫作品集1068 八切日本史  4

奴隷日本人秘話

 日本人が戦国時代に奴隷に売られて、男はインドからマレー半島方面のポルトガル領の植民地に、容色のよい女は、魔女裁判によって多くの女性を焚殺したヨーロッパへ送られていたことは、あまり知られていない。しかし、

「朕、国王は、この勅令をもって布告す」とし、
「従前印度地方における奴隷日本人に関し、朕の得たる報告において正当なる事由なし。よって今後は日本人を奴隷に捕らえたり購入したる者は、その財産没収となしその一半を朕の国庫に納め、一半を告発する者に下付すべし、1571年3月12日」

ポルトガル国王ドン・セバスチャンの勅令も、現存している。
(この年号は日本の元亀二年、織田信長が姉川合戦で勝った翌年で、延暦寺の焼討ちをして僧俗数千を殺した年にあたっている。)

 さて従来の日本史は、『ギネア海岸からのアフリカの黒人を、聖ドミニコ派の宣教師が、現在のリスボンを集散地として、南米へ送りこんでいたが、天文十二年以降は、現在のマカオが、ポルトガル人による日本人奴隷の一大集散地だった』といった事実を隠している。だからして、織田信長が何千人も殺してしまったといった記載など、当時としては、

「奴隷に売れば儲かるものを、もったいない事をしたものだ」

といった受取り方で記録されているのに今の歴史家はそれを知らず、

「信長は残忍だった。だから本能寺で殺されたのは因果応報である」

などと説明する。あまりに不勉強に過ぎないのではなかろうか。ただ歴史家とは認められていない人だが、徳富蘇峰の『近世日本国民史』に、

「後戸(五島)・平戸・長崎にて、日本人を男女を問わず数百人ずつ黒舟が買いとり、手足に鉄の鎖をつけ舟底へ入れて運び去るは、地獄の責苦にもまさって、むごい有様である」

といった実地にみた大村由己の、『九州動座記』の奴隷売渡しの実況が挿入されているだけである。

 由己は豊臣秀吉の祐筆頭で、これは当時の公文書である。そして現在と違い、マカオ九州間の黒舟は百トン以下だった。だからそれに、数百の日本人が奴隷として押しこまれ、ディーゼル・エンジンや蒸気機関のない昔、季節風だけで動くマカオへの旅。そして、そこからインドへの輸送は、アフリカからの黒人奴隷が大西洋一つ渡るだけで済んだのに比べ、もっと悲惨だったろう。そして、こういう秘められた歴史があるからこそ、世界中で一番、黒人びいきなのは、日本人だというのもそのせいかもしれない。

 さて天文十二年以降においても、古くは源平合戦の起因となる神戸福原からの「原住民」を奴隷輸出された事実や、室町時代においても、四国の三次氏や山口の大内氏は、「日本原住民」を捕らえこれを明国や南蛮船に売っていた。また羽仁五郎の『都市の論理』において、

「アテネの人口は市民九万に対して奴隷は三十万いたから、憲兵や警官のごとき仕事は奴隷の仕事であった」

とかかれているのは前述したが、西暦1603年(慶長八年)の、

「ゴア(インド)人民のスペイン国王フェリッペ二世陛下の城砦を守っているのは、白人の五、六倍もいる日本人奴隷で、好戦的な彼らは鉄砲をもち土民を撃退しています」

とある。インドやマカオでは、奴隷の日本人が、「軍人」として使役されていたのである。

 さて、これがスペイン国王の名宛なのは、ポルトガル国王セバスチャンがモロッコで行方不明となり、その妻が代り、のちエンリケ親王が国政をみたが急死していた。この当時はスペイン王がポルトガル王を兼ねていたからである。

 さて、現在のマレー半島は最近まで英領だが、その前はオランダに奪われるまではポルトガル領だった。ということは、マレーの軍人も奴隷日本人だった事になる。そして地図で一目瞭然だが、マレーは南支那海にある。

「和寇とよばれる日本人が南支那海沿岸を侵した。足利政権は明国に取締まり方を申込まれ、犯人の首を切って明国へ塩漬で送っていた」

「八幡船とよばれる彼らは、遠く海南島まで百余にわたって襲っていた」

と、「八幡大菩薩」の旗をたてた五、六人のりの小舟にのったフンドシ一つの男の絵がある。

 歴史家は壱岐対馬を根拠地にしてから、そこから南支那海へ出稼ぎに行ったものと、「海の男」の勇壮さだけをたたえるが、焼玉エンジンもなかった頃に、あの怒涛さかまく南支那海を、夏なら逆風なのに、どうして人力で漕いで行けたか?四日や五日で行けるはずもないのに、呑み水や食料はどうしたのか?

 その時代、香港側のマカオから、日本の堺や九州の口の津に、「定期航路」が開設されていたのは、フロイスの日本史にも明記されているが、それは、「季節風」にのって行くのだから、日本発はどうしても毎年十二月ときまっていた。

 さて、百トン位の大きな帆船でさえ、冬でなくては出航できないのに、なぜ八幡船ごとき五、六人のりの小さな舟の乗組員が、その反対の夏の出発をものがたるフンドシ一つのスタイルとは如何?ということになる。日本では歴史屋がすこしも疑問符を投げかけないから、代りに私が首を傾げれば、「夏」というのは貿易風が西から東へ吹く季節で、マカオ政庁の司書館の記録でも、

「日本行きは七月または八月、ゴア行きは十二月から正月」

と、これはなっている。

 つまり南支那海へ夏ゆける海流の通る地帯なるものは、それより西に位置する場所しかない。もし中学校か高校の地図をもっていたら、マレー半島の部分をひろげていただきたい。そこの支那郡海に面した部分は今でも、「バハン州」である。そして戦前の地図は「バハン土候国」の文字がシンガポール以北にあり、バタビヤ日記など古いものには、「Pahang」の名になっている。

 私は春にリスボンへ行って来たが、今でもポルトガル人は、マレーと呼ばずに彼らのつけた、「バハン」と呼ぶ。マラッカのベンハーの丘に城砦を築いて同地を占領した「バハン公爵」の名をとったものだそうだ。つまりバハン公爵が軍艦にのり、捕鯨船のキャッチボートのような小舟に、日本人奴隷をのせ略奪をやらせていたのであるらしい。五島列島の王直らのような和寇も、ボスは中国人で末端の消耗品が奴隷日本人だった。それより何故日本人が、こんなに奴隷に売られたのか?これまでの日本史では極秘である。というのは今日の日本史は明治帝国主義の所産だから、これは明治軍部のせいだろう。
 
 真相は天文十二年に銃器が種ガ島へ渡来。 器用な日本人は直ちにそれをまねて精巧な銃も作った。しかし、硝煙とよばれた硝石は、現在でもそうだが日本では一片も産出しない。みな輸入に依存するしかなかった。鉄砲があっても火薬がなくては戦争できぬ立場にあった。

 よって、しめしめとばかり黒人の奴隷売買で味をしめたドミニコ派の宣教師が、マカオよりの火薬と交換に、日本人を牛馬のごとく買ってゆき奴隷転売にしたのである。戦国時代に切支丹大名が多かったのも、信仰の為ではなく火薬入手の手段だった。判りきったこんな明白な歴史事実でさえ、明治軍部は国民を無謀な戦争にかりたてるため、(国内に火薬の原料なし)を隠すために歴史屋を黙らせたのである。

 さて、戦後二十六年。今になっても歴史家は一人も知ってか知らずか、この真実を発表しない。また吾々をどうするつもりなのかと、ここに告発したい。

八切止夫作品集
http://www.rekishi.info/library/yagiri/index.html

</引用1>


明治時代について検索していてこの資料を見つけたのですが、正直ショックです。
八切止夫氏についてはいろいろな評価がありますが、
他にも、キリシタン大名の大友、大村、有馬らの天正少年使節団による報告書で、


<引用2>

行く先々で日本女性がどこまでいっても沢山目につく。ヨーロッパ各地で50万という。肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まる出しに繋がれ、弄ばれ、奴隷らの国にまで転売されていくのを正視できない。鉄の伽をはめられ、同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、もともとなれど、白人文明でありながら、何故同じ人間を奴隷にいたす。ポルトガル人の教会や師父が硝石(火薬の原料)と交換し、インドやアフリカまで売っている。』


株式日記と経済展望
キリシタンが日本の娘を50万人も海外に奴隷として売った事

http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/5a197e856586baf726f6a0e68942b400   
 

</引用2>


といった報告もあり、ま、50万という数字の信憑性はさておいても
相当数の日本人が奴隷としてヨーロッパ方面に売られて行ったのは
先のポルトガル国王ドン・セバスチャンの勅令からしても史実のようです。
みなさん知ってました?他にも、


<資料1>

大西洋奴隷貿易時代の日本人奴隷
http://www.daishodai.ac.jp/~shimosan/slavery/japan.html 


<資料2>

奴隷貿易 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B4%E9%9A%B7%E8%B2%BF%E6%98%93

<資料3>

奴隷 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B4%E9%9A%B7

<資料4>

日本の人身売買に関して考える  前編
http://ameblo.jp/syamo0001/entry-10007074564.html 


・・・などなど。検索すればいくらでも出て来ます。

戦国時代とはいえ鉄砲の火薬欲しさに同じ日本人を奴隷として売りとばす。
しかも武器欲しさにキリシタンに改宗する。
現代のものさしで見れば言語道断ですが、
当時の日本に「日本」という国家とか「日本人」とかいう意識は薄かったのでしょう。
なにしろ血で血を洗い、親兄弟であっても殺しあっていた時代でしょうから。
しかし理由はどうあれ、これが当時の武士の姿だとするとチョッとやり切れませんわな。

ところで、ヨーロッパに渡った日本人奴隷はその後どうなったんでしょうかね?
黒人奴隷の子孫は現在も世界各地に生存していますが日本人奴隷の子孫は?
ヨーロッパの奴隷の人たちは魔女狩りとかに巻き込まれて全滅してしまったんでしょうか?
インドに渡った奴隷の人たちのその後わ?

「奴隷」として売られたという、屈辱と絶望に耐えつつ生き延びていたとすると、
彼ら、そして彼女ら日本人奴隷の子孫のDNAの中にはきっと日本と
日本人に対する怨念が何代にも渡って引き継がれているかも知れませんねぇ。
今となってはどうしようもありませんが、せめて供養するとか慰霊碑を建てるとか・・・

さて、ヨーロッパ各国は日本人奴隷の存在をはるか昔から知っているわけで、
(わたしも含め殆どの日本人がこの事実を知らないにも拘らず!)
なんか自分の国の歴史を知らないって情け無いっス。

(日本人なんて所詮奴隷の末裔よw)

と思われていえも仕方ないです。事実なんだし。

人も、国も、良い面と悪い面の両方持ち合わせていて当然です。
過去の過ちは過ちとして潔く認めるのが「大人の国」と思うのですが・・・
なぜ学校では教えてくれなかったんだろう?


<追記1>

日本人は勤勉ではない
~本当に新しい歴史教科書・PART1~
http://mazzan.at.infoseek.co.jp/lesson6.html 


<追記2>

アフリカに最初に?渡った日本人
http://homepage2.nifty.com/tankenka/sub1-23.html 


<追記3>

アメリカ黒人の日本人観
http://shupla.w-jp.net/datas/Afro-AmericanViewsOfTheJapanese.html 

(あぁ~疲れた。)


でわっ!


2007年1月7日日曜日

差別の心理 2

まず・・・

「差別する側と、差別される側の、共通の了解があって、差別という状況が表面化する。」

ということに定義しておきますが、じゃあ差別するとは?

「めくら」という言葉は身体的特徴を表す言葉です。
それがナゼ?使用禁止用語となってしまったのか?
そもそもが、生活の中から生まれた実用語だったはず。

Aさんは「つんぼ」です。=Aさんは「聴覚障害者」です。

なら差別にならないというのが現代の学校教育の成果なのでしょう。

Aさんに向かって、「つんぼ!」となじれば、そりゃ立派な差別です。
Aさんの人格よりも「つんぼ」という身体的特徴のみを強調してますから。
それじゃ、Aさんを「聴覚障害者!」となじるのはOK?
当然「NO」ですよね?
じゃあ、じゃあ、もしAさんに向かって「めくら!」となじったら?

(え?そう言われてもボク、「めくら」じゃないし・・・)

と、Aさんも別に気にしないかも知れません。
「めくら」を差別的に使っても、Aさんの身体的特徴には合致しないので
Aさんがそれを不快に感じる確率は低いでしょう。

そこには差別側からの一方的な差別のベクトルが存在するだけで、
双方の間に差別という状況は恐らく成立しないですよね?
あと、農家の人に向かって「百姓!」となじったら

(そうだよ。「百姓」だけど何か問題?

というパターンも考えられます。

この一方的な差別のベクトルを問題化して一般化するのが
被差別側の当事者ではなく、人権擁護団体だったりするんですよね。

「人権意識が高い」人間が教養のある人間である。
という学校教育を否定する気はありません。
明治維新以降、先の世界大戦終了まで政府の富国強兵政策によって
多くの国民が個人の人権を虐げられた事を思えば

人権擁護活動、大いに結構です。

し・か・し・・・

今日、人権擁護活動家はその本来の趣旨を全うしているのでしょうか?
過剰な人権意識?から些細な言葉のアヤからでも訴訟・裁判を繰り返した結果、
「放送禁止コード」などのような企業側のガイドラインを生み出し、
「差別用語」は取り除いてきましたが・・・

本当の差別は取り除いているのか?と。

いままで「差別用語」だと思ってもいなかった言葉がある日突然使えなくなる。
意識していないだけに不条理感も多少生まれます。

ま、それでも決められたことには一応従うのが日本人の「和」の心。
それに差別の心は自己のアイデンティティーと表裏一体でもあり
誰の心の中にも大なり小なり必ずは存在するもの。
教養の有る人たちにとっては「臭い物には蓋をしろ。」となる。

「土人」という呼称は不適切であり、聞いて(見て?)不快である。

の理由は、自分は教養がある人間だという自尊心と、
「和」を乱すなという日本人特有?の感性によって
「土人」という差別用語が生理的に受け入れられないのでは?

時に真実は「和」を乱します。
「和」を尊ぶ心と、「和」を守ろうとする心は別でなければ
「和」は時として人を縛り付けるクサリにも変わるのだなぁ。
と思った次第です。・・・はい。


でわっ!

2007年1月6日土曜日

差別の心理

あけましておめでとうございました。(遅い!)
 
2007年1回目のお題は或る掲示板で目にした
「土人」という呼称について差別発言だという人と、
なぜ「土人」が差別発言に当たるのか?不快になるのか?
という人とのやり取りを見てわたしなりに考察してみようかと。
 
まず、「土人」は差別発言だから止めろという側の言い分ですが、
 
1.「土人」という呼称はあいてを蔑んだ(差別した)呼称である。
2.それに「土人」と呼ばれた方も不快なはずである。
3.したがって「土人」という呼称は不適切であり、聞いて(見て?)不快である。
 
という事のようです。大体。
 
めくら(視覚障害)、つんぼ(聴覚障害)、どもり(吃音障害)、びっこ(歩行障害)
百姓(農家)、ちびくろサンボ(黒人蔑称?)、その他もろもろ・・・・
 
余談ですが、「座頭一シリーズ」(勝新太郎主演)とかがリバイバル上映されると
もう差別用語のオンパレードで、
スクリーンの中で俳優の口だけがパクパク動いているお間抜けなシーンが多いとか・・・
 
・・・本題です。
 
1.は差別を行う側の意識の問題でしょう。
 
差別はふつう優位のグループから劣位のグループに対して行われるもので
「土人」という呼称が本来差別的な意味での使用法であれば当然差別になります。
ゆえに「土人」という呼称は差別のために使われたのか?
ということをハッキリさせなければならないのですが・・・
 
少なくともわたし(日本人)には「土人」という日本語が
近代的な人たちを指している様には聞こえませんから
「土人」と呼ばれる人たちよりも「土人」と呼ぶ人のほうが優位にある
という意識(優越感)を持っているように思えます。
 
しかし、だからといって「土人」と呼ばれた側が
それを差別として受け止めるかどうか?は、また別問題。
 
そもそも差別用語は同じ価値観を有する共同体の中でのみ作用するのでは?
異なる文化、異なる価値観の間では固有の差別用語は
あまり意味の無い単なる記号にしか過ぎないようにも思えます。(まして日本語だし)
そこに相手を差別する意識、尊厳を軽んじる意識、侮辱する意識や態度が介在して
はじめて「土人」という言葉は差別用語なんだと、
民族・文化を超えた共通の了解事項になるのではないでしょうか?
 
逆に差別用語だとは思ってもいない言葉が相手の尊厳を傷つけることも。
 
その昔、ポール・マッカートニーが日本公演に来日した際、
麻薬不法所持かなんかで警察に捕まっちゃったんですよ。
んで、日本公演は中止になりポール氏は国外退去に。
 
それで一件落着かと思いきや、その後にまた一騒動。
ポール氏、事件後すぐにニューアルバムをリリースしたんですが、
その中に「フローズン・ジャップ」(邦訳:冷たい日本人)
なんて曲を入れたもんだからもう、タ~イヘン。
 
「日本人を馬鹿にしている!」
 
ポール氏は「富士山をイメージした曲なんだ。」と釈明していましたが・・・
多くの日本人ファンを失ったんじゃないでしょうか?ポール氏。
 
あとブリジストンだったでしょうか?タイヤのトレッド・パターン(溝)が
コーランの中の文字に似ていると
以前サウジアラビアかどこかで大騒ぎになりかけたのは。
 
今こんな問題が起きたら間違いなくテロの標的にされちゃいます。
 
差別とは差別を受ける側の尊厳を傷つけること。
それは言葉だけでは無く、相手に対する意識だったり、態度だったり・・・
 
おもしろかったのがコレ

-20年ぐらい前に出版された本だけど今のウタリ協会の人たちかな。旅行会社が『毛深いアイヌに会えます』みたいなキャッチコピー作って宣伝したんだよな。その公開討論で謝罪する旅行会社に対して『私達は実際毛深いですよ、見せましょうか』なんて言ってる。この意味分るかな?-

以前見たバラエティー番組で職業を聞かれた農家のおじさんが
「百姓です!」と胸を張って答えたノリに近いのかな?
 
毒蝮三太夫が「このクソババア!」と言っても
おばあちゃんは誰一人怒りませんでしたとサ。ナゼか?
毒蝮三太夫の語りには親愛が満ちていましたから。
 
言葉だけじゃないんだと思います。差別の本質は。
 

ま、それはさて置き「土人」という呼称に戻ると、
明治維新の富国強兵政策によって西欧化を押し進めた日本から見た
西欧化(近代化)に乗り遅れた地域の民の呼称であった以上、
差別的である一面は否定のしようが無く、公共の場では使わない方が無難。
 
なぜならグローバル化された現代の世界においては
その言葉の持つ意味が異なる民族間でも十分に共通認識なされるであろうし、
そしてそれは「相手の尊厳を傷つける可能性がある」わけで、
2.の「土人」と呼ばれた方も不快である(であろう)。
という思いやりなのでは?
 
この後続けて、3.の、「なぜ差別用語に不快感を持つのか?」
ということを考察しようと思うのですが後日また改めて。
 
 
でわっ!