2006年12月31日日曜日

大晦日

大晦日だというのに、朝からエアコンの修理でゴタゴタしてます。
ナゼに?大晦日だというのに?
ま、ベトナム人にとっては1月1日=元旦なんて単なる休日なワケで、
日本人の様に12月31日=大晦日に対して思い入れは無いんですけどネ。

前々から、エアコンが効いて無いかも?
と感じてはいたのですが、最近朝夕が涼しいのであまり気にしてませんでした。
ところが、先日ノートPCが壊れてデスクトップPCを使う様になって
これのCPUの発熱量もプラスされて、

やっぱりエアコン効いて無いじゃん!

と再認識。
今朝大家が家賃の請求書を持ってきた時に
エアコンが効いて無いことを伝えると、

「いや~、ウチの部屋もエアコン調子悪くてね。今すぐ修理屋呼ぶから。」と。
(イヤイヤ、別な日で良いよ。今日は大晦日だし・・・)


と引いたものの、「スグ来るから。」という大家の言葉を信じて待つことに。
で、修理屋はすぐ来たのですが、修理するために道具を揃えて午後出直しですと。
それじゃあと、出直して来るまでの時間に映画を観に行く事にし、
ダイアモンドプラザで「日本沈没」を観てきました。

いや~、懐かしい!今を去ることン?十年前に
新宿で「日本沈没」の封切りを観たんですよねぇ。
当然リメーク版の方が特撮、映像供に優れているのですが
やはり衝撃度はオリジナル版にかないませんわな。(当人比)
ただし、ダイアモンドプラザの映画館の設備がプアなのも
どうかと思うんですよねぇ。
迫力が半減どころか3分の1くらいになっちゃってるんじゃないでしょうか?
ま、オリジナル版を観たときは小学生だったこともあって
余計に「日本沈没」というストーリーに衝撃を受けたんだと思いますけど。

確かオリジナル版では日本が全部沈んでしまったと記憶しているのですが、
リメーク版ではわずかながらも取りあえず残るんですね。日本。
あと、対策本部にナゼか徳川家の家紋が?・・・。何ででしょ?

上映中に一番ベトナム人観客(若いカップル多し)に受けたのは
草薙剛が柴咲コウにいきなりキスするシーンでした。

べト男 「オォ~!(オレもキメてやるぜ!今夜!)」
べト娘 「キャ~!(ワタシもあんな風にク・チ・ビ・ル奪われた~い!)」

と、いったところでしょうか・・・

さて、映画を観終わり家に戻ると、しばらくして修理屋がやってきました。
エアコンの室内機を洗浄し、室外機にガスを再充填して、

「じゃ、1時間ほど様子見てください。」

と帰っていったのですが、1時間後・・・
 
ゼンゼン冷えないジャン!!!
 

大家に直っていないことを伝えると、「これからまた修理屋呼ぶから。」と。
(もしもし?もう7時近いんですけど?)

それでもまた、スグ来るからと言うので待つことに。
で、またまたスグには来てくれたんですけどチョコチョコっと見て

「直せないから明日の朝また来る。」

ですと・・・orz

明日は元旦なのよ?

日本人にとっては大切な日なのよ?

1年の始まりの日なのよ?
 

ベトナム人にとっての正月は旧正月なのだ
という事をつくづく思い知らされました。
ま、もっとも日本でも最近じゃ元旦から働いている人はいますけどねぇ。


みなさん良いお年を!


でわっ!

2006年12月25日月曜日

メリークリスマス! Bac Ho!

昨日と今日と行って参りました。
Nha Tho Duc Baへ。

クリスチャンというワケではないのですが
家から気軽に歩いていける距離でもあり、
夕方涼しくなってから、先ずはダイヤモンドプラザの
フードコートで腹ごしらえを。で、フードコートは

昨日の人混みがまるでウソみたい!

とは言ってもそれなりに混雑はしていたのですが、
昨日は売り切れで食べられなかった
海老シュウマイを今日はしっかり食べました。満足。

食後に、昨日はあまりの人混みに挫折した
教会横の屋台を食後に見て周り「しずか」?だったか、
「しずえ」?だったか、「しのぶ」?だったか、
そんな名前の屋台が巻寿司を売っていたので
夜食用に1パック買い込み、
交通量が増えてきたバイクを掻き分けながら
最後はマリア様を見て帰宅。

人混みを嫌う人も多いのですが、
(わたしも好きな方ではないのですが・・・)

自分とは、自分以外の存在と交わることによって再発見できる存在なのではないか?

と思えるようになりました。
年をとった証拠ですかね?

そうそう、昨日外から戻ると、GFがニコニコしながら

「クリスマスプレゼントを貰った♪」

と言うので「誰に?」と聞くと下宿の別な階に住んでいる
イギリス人女性の語学教師に貰ったとの事。
たまに顔を合わせた時に挨拶するくらいで特に親しいワケでもなく、

「?????」

という感じなのですが、
まぁ欧米人にというのはクリスマスには
ご近所さんに贈り物をするものなんだろう
と自分の中で強引に納得。GFには

「何でも良いから何かお返しをした方が良いね。」

その後、彼女は夜遅くまでクリスマスカードを手作りして
今日渡したそうです。
クリスマスの良い思い出になってくれることを祈ります。

今年ももうスグ終わり。
いろんな事があったなぁ・・・

・・・とは言ってもまだ数日あるので油断できませんが。
(クリスマス直前に10年来愛用していたノートPCがとうとう逝きまいたワ。合掌)

でわっ。

2006年12月7日木曜日

水俣病と北朝鮮の核実験

一見何の関係も無いように見えますが・・・


水俣病の発生と拡大
http://www.lib.kumamoto-u.ac.jp/suishin/mercury/03/03right.html


明治・大正・昭和のベンチャーたち
http://j-net21.smrj.go.jp/venture/column/


「野口遵――特許をビジネスモデルにした最初の日本人(1)」
http://j-net21.smrj.go.jp/venture/column/20041203-1.html


North Korea Today
野口遵に学べば、北朝鮮は三ヶ年で世界最強国家になる
http://www.pyongyangology.com/index.php?option=com_content&task=view&id=255&Itemid=81


次の日本を舵取りするリーダーは案外、フリーター、ニーズと呼ばれる
今の社会に馴染めない若者の中から現れるのではないでしょうか?

なんか・・・そんな気がします。

そういえば「犬神家の一族」の犬神家も
麻薬を軍部に供給していた財閥だったんですよねぇ・・・

2006年12月6日水曜日

近代日本の原点-明治

格差社会、いじめ、愛国心、少子化、幼児虐待・・・全部リンクしています。
明治時代からの流れを再検証しないと
これからの日本の生き筋は見えてこない様に思える今日この頃。


明治・その時代を考えてみよう
http://homepage2.nifty.com/kumando/index.html#top


富国と強兵
http://homepage2.nifty.com/kumando/mj/mj011217.html


(前略)

彼は、ヨーロッパからの帰国の途中で、アフリカやアジアの人々に対する西欧の人々の態度を見て、驚きそして憤慨したであろう。しかし、かれはこの様に考えたのである。

「・・・福沢は、ヨーロッパ人の態度を非難しながらも、そこにある種の痛快さを感じ、日本もまたそのようなヨーロッパ人と同様の優越的立場に立ちたいと思っている。それは日本を独立国家として西欧諸国と並び立ちたいとの念願と重なり合っている。福沢は、西欧文明の摂取による日本の富強化は最優先の課題であるとし、西欧化=近代化を進めることは、西欧列強のように他地域を植民地化していくことを必然とし、日本が文明化を指向するかぎり、そうした道をたどることは不可避とみた。・・」

そして、このような文章を書くのである。

「『世界各国の相対峙するは禽獣相食まんとするの勢にして、食むものは文明の国人にして食まるゝものは不文の国とあれば、我日本国は其食む者の列に加はりて文明国人と共に良餌を求めん歟(か)、数千年来遂に振はざる亜細亜の古国と伍を成し共に古風を守て文明国人に食はれん歟(か)、猟者となりて兎鹿を狩る歟(か)、兎鹿と為りて猟者の狩らるゝ歟(か)、二者其一に決せざる可らず。』(外交論 『時事新報』83.10.1,9)」

(松永昌三著「福沢諭吉と中江兆民」より引用)

(後略)


アララ・・・

「殖民地ノススメ」デスカ?

食うか食われるかの時代であった事は否めませんが、
だからといって、安直に食う側にまわるというのも
武士道的に見てどうなんでしょうか?
それが品性ある国の振る舞い?


明治村通信/明治の文化3.
明治の学制と教育
http://anny.kinjo-u.ac.jp/~nakata/Nakata/Data/Tsusin/educatio/educatio.htm

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明治政府は、欧米先進国に追い付くために、富国強兵策をとりました。その一環として、1871年(明治4年)に文部省を設立し、その翌年には『学制』を発布して学校教育をスタートさせました。政府は学問を、「その産をおさめ、その業をさかんにし、身を立てる財本(もとで)」として宣言し、また一般の人民、華族・士族・農・工・商、そして男女の区別なく学を修めることを目指すという、教育における四民平等を説きました。

(中略)

この当時の教科書には、福沢諭吉の「学問のすすめ」や「西洋事情」等の啓蒙書などが多く使われました。しかしそれも、明治10年代に自由民権運動が盛んになると、天皇中心の教育内容に統制され始めました。

1886年には「学校令」が出され、文部省が全国画一の国家的教育を行う制度を確立しました。又、同年「師範学校令」により、各県に一校ずつ尋常師範学校が設立されました。明治村一号地にある、三重県尋常師範学校・蔵持小学校もその一つです。

1890年には「教育勅語」が出され、1904年には、小学校の教科書は国で定められたものだけになりました。

(中略)

当初の目的である、「国家のためでなく、自分のため」の教育とは全く反対の教育ではありましたが、不学の人をなくそうという目標は、ここで一応達成されたと言えます。

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ま、どこの国でも国民の教育は最重要課題ですが、
とは言ってもねぇ・・・

「美しい国」 ですか・・・

2006年12月5日火曜日

食べときゃよかった?

今回のプノンペン行きの前にチョコッと風邪を引き
プノンペン滞在中も咳が続いていたのですが
そんな私を見かねてか同行したGFが、

「プサー・トマイに買い物に行ってくる。」

と出て行ったので、ホテルで昼寝して待っていたら
小一時間後、風邪薬(咳止め)を買って戻って参りました。
見ると青いビニール袋の中に何やら黒い物体が。

(果物かな?)

否!袋を開けて彼女が手に取ったものは・・・

蜘蛛だ~!

しかもタランチュラ並みにデカイ~!

「これを食べると咳が止まるのよ♪」

ニコニコしながら勧める彼女に間髪入れず

「NO~!そんなもの食えるか~!」

と突き返したのは言うまでもありません。

以前、友人(日本人)とオリンピック市場に行った際、
彼らは市場内の売り子からコレ(タランチュラの佃煮)を買い
二人してパクパク食べていましたが私は×
(一人は沖縄出身なので、虫を食べることには抵抗が無いのカモ?)

せめて、せめてもう少しサイズが小さければ
なんとか食べられそうな気もするのですが、
私の目にはど~見たってタランチュラですよ、タランチュラ!

プサー・トマイでコレ(タランチュラの佃煮)売ってたってことはもう、
日常的にタランチュラ食してるんでしょうね。カンボジア人。
カワイイ顔したクメール娘たちがコレ食べてるのかと思うと・・・
ホビロンを美味しそうに食べているべトナム娘といい勝負ですわな。

日本人(先の友人2名は除く)には立ち入れない食文化の壁を感じつつ、
それでもサイゴンに戻ってからも続いている咳に

(あんとき食べときゃ良かったかな?)

などと少し後悔はしても、
アレ(タランチュラの佃煮)を口に入れる瞬間を想像しただけで・・・orz

地上から食べるものが無くなった暁には
根性入れて食べさせて頂きます。
でも、他に食べるものがある内は勘弁して下さい。
せっかく買って来てくれたのに御免!

ちなみにGFが1匹だけ食べ、2匹残ったので
その残りを枕元の机の上に置いて寝たのですが、
夜中にアレ(タランチュラの佃煮)が袋から這い出して来そうな気がして・・・

わたし小心者なんです・・・。ハイ・・・。

2006年12月3日日曜日

ワレワレは何処から来て、何処へ向かうのか?

金曜日の朝、陸路プノンペンに向かい
翌土曜日に、毛沢東通りにあるMondail Centerにて
「国際貿易フェアー」なる展示会を覗いてきました。

結論から言うとベトナムで開催される展示会に比べ
規模も小さく会場も閑散とした状態で、
カンボジアの経済発展もまだまだこれからという感じでしたが、
出展していた台湾の企業やマレーシアの企業には
結構前向きな姿勢が感じられました。
あ、ベトナムからの出展企業も数社ありました。
今回の展示会直前にたまたまケーブルTV(aliranチャンネル)で
カンボジアの経済状況や工業団地の特集番組があったので、
展示会場に韓国企業の出展が見られなかったのがチョット意外。

ま、ざっと見てチョコチョコッと某台湾企業のブースでお話して
ソソクサと会場を後にした次第です。
(にしてもMondail Center横の携帯電話市場!デカいっ!)

で今日、ホーチミンへ戻るバスの車窓から
広々と広がるカンボジアの水田をボーっと眺めながら、
(これ全部ジャングルを切り開いて作ったんだよなぁ~、スゲ~なぁ~)
などと感心しつつ、先人達の自然との格闘に想いを馳せた次第です。
はい。

太古、自然は常に人間の生活と生命を脅かしていたワケで、
その恐怖心から自然崇拝という宗教が生まれ。
そして木の実などの採集や狩猟といった文明レベルから前進して
農耕という文明を手にしてからも、
自然に対しての従属的な立場には変わりなく、
そんな状態が日本では明治維新まで続いてたワケですねぇ。
   


社会実情データ図録・人口の超長期推移
(縄文時代から2100年まで)


明治の文明開化以降、
新生児の死亡率が激減したということは
西洋の医学のほうが優れていたという事実の表れなんでしょう。
その他にも諸々の西洋の最新技術も日本に輸入され、
最早自然は恐れるに足らず、逆に支配可能な対象となり
ひいては自然破壊的な行為を繰り返しながら今日に至っている?

ま、それはさて置き、戦争などの人災を除けば、
日常的に命を脅かす自然の恐怖をひとまず克服するに至った
我々現代人に残されたこれからの課題とは?

少子化問題を紐解く鍵もその辺にあるような気はするのですが・・・


 
平成16年版 少子化社会白書(全体版)
 
考えをまとめてからまた改めて続きを書きます。
尻切れトンボで御免!
 
でわっ!