2010年1月31日日曜日

権力への欲望 25

とあるブログの去年の記事なのですが・・・


<転載>

2009年08月28日
忌野清志郎と爆笑問題大田

選挙ですね。
私の尊敬するミュージシャンが彼のブログに転載してた記事です。

以下転載----------------

爆笑問題 太田光

 清志郎さんと初めて会ったのは、この雑誌の連載で、私が政治について、「投票率なんか低い方が良い。興味がなければ、選挙なんか行くな」と書いたとき、その文章に清志郎さんが怒り、一度会いたいということで、対談という形でお会いすることになったときだった。

 指定された店で私は、怒られるんだろうなぁと思い、少し憂鬱で、それでも清志郎さんと会えることは楽しみで、緊張しながら待っていた。そこへ清志郎さんは、ホラ貝を吹きながら突然現れて、「キミはケシカラァ~ン! あんなことを言っちゃイカァ~ン」と、とても照れくさそうに、下を向きながら言った。私は楽しくて、大爆笑してしまった。清志郎さんは、「キミのような影響力のある人が、若者にアンナこと、言っちゃイカァ~ン」と言っていた。私がそれに反論すると、清志郎さんは、「…うん。…うん」とジッと聞いてくれた。私は、政治家なんかに世の中は変えられない。それよりもRCの、たった一曲の歌の影響力の方が全然強い。政治なんかに期待することなんかないじゃないですか、と熱弁した。清志郎さんは、私の話を全部肯いて聞いてくれて、私が話し終わったあとに、「…それでも、あれは、イカン!」と、またホラ貝を吹いて笑わせた。その調子だから、論争なんかになりはしなかった。

 今から考えれば清志郎さんは、私と論争するつもりなど、最初から、さらさらなかったのだとわかる。私はあのとき、自分ばかり言いたいことを言って、いい気持ちになっていた。“清志郎に、言ってやった”つもりでいた。しかし私があのとき言ったことなんて、清志郎さんは百も承知だったハズだ。自分が影響力があるからこそ、清志郎さんは真っ直ぐに若者に向かって、「意識を持て」というメッセージを送っていた。だから、無責任な主張を垂れ流してる私の言葉と態度が許せなかったのだ。でも、だからと言って、あの場で私を“言い負かすこと”なんかに、清志郎さんは何の興味も持っていなかった。だから、私がどうケンカを吹っかけても、その度にホラ貝を吹いて笑わせた。勝負だなんて思っていたのはこっちだけで、清志郎さんは青臭い若造と勝負しようなんて気は、初めからさらさら、なかったのだ。(後略)

(「テレビブロス」2009年5月30日号より

</転載>


「意識を持て」

言葉をかえれば、

「あきらめるな!」

とゆうことですかね?

「政治家なんかに世の中は変えられない。」

だから・・・

「投票率なんか低い方が良い。興味がなければ、選挙なんか行くな」

とゆう展開なワケですか?爆笑問題の太田さんわ。
ま、その気持ちも分からなくはないのですが・・・

物事すべからず、上手く行く時と、何をやってもダメな時があるものです。
上手く行く時は、人間誰しも前向きな気持ちになれるものですが、
もう、ドツボにはまってドッピンシャンとなると、

現状から逃避したくなるからか、

「・・・だから、・・・だから、・・・だから、」

と、マイナス要因を自分の外に求めがちになるものです。はい。
たしかに物事の「潮時」の様なものがあるのは、

ワタシのつたない人生経験からも
ある程度は理解できるのですが、でも、それだけじゃ無いだろう?・・・と。
だいたいが、これだけの人間が暮らす社会の中で、全てが

自分の思い通りになる

ワケが無いだろう!と。

独裁者にでもなるつもりか?

みんなそれぞれに自分の想い、自分の生活を抱えている事を考えれば、
自分の思い通りに事が進まない方が当然だろう。・・・と。

で、自分の思い通りに事が進まないからと投げ出してしまったり、
自分の殻の中に閉じこもってしまったりするのって、ドwwwなのよ?
世の中なんて、自分の思い通りに行かないのがデフォなのよ。
それでも関わりあう意思を持たないとヤッて行けないのよ。ジッサイ。
夏目漱石のような文豪でさえも言ってますwww

兎角この世は生きにくい。

で、関わりあうからには、改善出来る事であれば少しでも良くしようと、
アリンコの如く、自分の出来る範囲で黙々と営みを続ける。
ワタシが言うとことろの

ヤラレテたまるかっ!


の半分?は、自分自身の心の弱さに対する叱責でもあるワケです。
・・・話が逸れましたが、清志郎さんの

「あんなことを言っちゃイカァ~ン」

は、太田さんを

「あきらめるなよ!」

と、励ましている様にワタシには思えます。愛情です。だからこそ
論争にてやり込める気など、ハナから更々無かったのだろうと・・・

愛し合ってるかwwwい?


でわっ!

2010年1月25日月曜日

権力への欲望 24

どうもね?世論が矮小化されているんじゃないかと・・・
今回の「小沢 VS 特捜」をして、

小沢擁護派

なるものが存在する様な論調が見られますが、
(確かに小沢氏を個人崇拝する御仁もおりましょうが。)
こと、一番重要で、問題とされるべきなのは、

国家権力の乱用(私用?)

ではないでしょうか?であればこそ、

地検特捜部とゆう組織の実態

が問われる。と・・・。
ワタシが
「一点突破」と言ったのはそこなんですわ。

国民目線
国民の生活が第一


と言うのであれば、国民の生活や自由を脅かしかねない
国家権力の乱用(私用?)は許せないハズですよね?

民主党のみなさん。

たとえ小沢氏が相打ちで討ち果たされようとも、
それで社会の公平が守られるなら、社会の正義が守られるなら、

政治家として本望でしょ?

しかも、今現在のグダグダした状況を、次の日本を担う青少年
どんな目で見ているか、考えてみた事がありますか?

子は親の背を見て育つ。

親として子のために残すべきものはお金でしょうか?それとも、

公平、正義に基づいた社会

なのでしょうか?
まず大人から変わっていかなければ社会は、日本は良くなるハズもなく、
それに気付いたが故の、
「民主党」への政権交代だったワケですよね?
そのことを自覚しなければ、ダラダラと政争、権力闘争を繰り返すだけの
不毛な社会に、不毛な国になってしまうだけの話です。
で、あればこそ、覚悟が必要になると思うワケです、

小沢一郎とゆう毒

を喰らい血を吐いても、「前へ、前へ、」と進歩しようとする覚悟が!
当然、
心の葛藤がそこに生じるのは想像に難くないのですが・・・


でわっ!

2010年1月21日木曜日

権力への欲望 23

いやwww!「世に倦む日々」!見直しましたwww!
言葉を弄ぶだけの、「言論の徒」じゃなかったんですネwww!

漢(おとこ)だネエwww!
感服しましたwww!


唐突ですがここで再度、「伊丹万作」氏の

戦争責任者の問題

を引用したいと思います。はい。
少々長いのですが、お付き合いいただけると幸いです。

<引用>

『戦争責任者の問題』

伊丹万作

<前略>

 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。

 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。

 このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。

<中略>

 少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。

<中略>

 しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。

<中略>

 だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。

 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。

 だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からもくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである。

<中略>

 また、もう一つの別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたらとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。

 つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。

 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも雑作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。

 このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。

 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。

 それは少なくとも個人の尊厳の冒涜(ぼうとく)、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。

 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。

 「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人人の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

 「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。

 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱(ぜいじやく)な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。

<後略>

(『映画春秋』昭和二十一年八月号)

</引用>

途中かなりはしょっていますが、なんにせよ「一言一句」
ワタシの胸にせまるワケですわ。
戦時中、大本営に従った言論人、マスコミは口をそろえて、

そうゆう時代だった。

と自己弁護をするワケですが、時代のせいにして
自分には何の責任もないとでも言いたいのか?
今回の民主党への政権交代にしても、

歴史が動いた。

とか言う輩は、都合が悪くなったらやっぱり歴史とか時代のせいにして
ほっかむりを決め込むんでしょうなぁ・・・

チガウダロ?

ワタシがワタシの意思で、アナタがアナタの意思で、
現状の政権を選択したということを自覚しない限り
いつまでも「運命」とか、「時代」の奴隷でいるしか無いワケです。

自分の道を切り開く。その為に何を成すべきか?
「世に倦む日々」氏の様に、政治家にメールを送るも善し。
不条理な現状に負けない気概を持つも善し。
だまされないように勉強するも善し。
ひとりひとりに、必ず「自分の持ち場」があるハズです。

自分の持ち場で、日々ベストを心がける。
(ベストを尽くせとは言いません。心がけで十分。)
それが「チーム・ジャパン」の心意気。
日本を遠く離れているワタシではありますが、

日本の独立

を願う「チーム・ジャパン」みなさんと、心はひとつです。

「独立と自由ほど尊いものはない。」

とは、かのホー・チ・ミン国家主席の言葉ですが、
日本を離れて長く暮らしてみて、はじめて日本とゆう国が

敗戦国

だという事実を実感しましたし、また、世界が「戦勝国」
「連合国」のご都合で動いていることも・・・

しかし、日本の未来には希望が見えます。恐らく

世界中で一番政治的に覚醒している

のが日本国民だと、ワタシの目には映るからです。
そして、「アメリカのくびき」から解放されるためにも、

声を上げるべき時には、声を上げる。

その「時」を見誤らないようにしなければ・・・
か様に思う次第です。はい。


でわっ!

2010年1月19日火曜日

権力への欲望 22

正直ね?ワタシは小沢氏を胡散臭く思っています。
ま、イチバン大きいのが、
2007年の夏の選挙後の

自民党との連立騒動

ですわな。思えばあの頃、鳩山邦夫元法務大臣の

友達の友達がアルカイダ

発言なんてのが飛び出して、あの時期ってひとつの

政治の転換期

だったのかも知れません。いや、
あの選挙から

日本の独立

の芽が、芽生え始めたのかも知れません。
国民が、「明確な意思」を選挙に託した

最初の一歩

だったのかも知れません。で、まぁ、国民の基本的な意思は、
昨年、
2009年の衆議院議員総選挙にて、
再度表明されるワケですが、 ここに来て、
ワタシが危惧した「禍根」が現れたか?と。

小沢氏が居なければ「票」が取れないなんぞとホザく
アホ?な議員しか民主党に居ないのだとしたら、
トンだ思い違いだと、小一時間。
民主党が政権を取れたのは小沢氏のおかげなのか?それとも、

国民のおかげなのか?

さぁ、ドッチなんでしょうかね?
国民が民主党に投票をしたのも、あくまでも、

もう、自民党はいいかげんにしろ!

とゆう、消去法から選ばれたに過ぎないとゆうことを、
深く、深wwwく、理解しないと、スグに自民党の二の舞
踊る羽目になるとゆうコトは、聡明な民主党議員の方々なら
ご理解できるかと?

あと付け加えるなら、先日「カンブリア宮殿」のなかで小沢氏が、

革命

とゆう言葉を連発していましたが、革命とは、

1.若く
2.無名で
3.貧しい


者から始まるもので、(確か・・・毛沢東語録)
既に政権の座に着いた者が口にすべき言葉では、

断じて無い!

革命はたやすいが、本当の試練は革命後にある。
あのチェ・ゲバラでさえ、キューバ革命後の国政運営に苦慮し、
結局、政治の道を退き一革命家の道に舞い戻ってしまった。
革命なんて、一時的な花火の様なものかも・・・
だからみんな、その美しさに見とれ、ロマンを感じ取るのか?

しかし、祭りの後に日常の生活に戻るのと同じ様に、
革命後にも、確実に日常生活が待っている。
革命後の日常生活をどうするかが政治家の仕事。
と、か様にワタシは思うワケです。はい。

で、革命を起したのは誰か?とゆうならば、
今まで物言わずじっと耐えてきた

日本国民

であり、革命はすでに2度も成されたワケで、
その革命を成就させるのが、いま政権にある政党の責任でしょ?

小沢氏が地検特捜部と対決するのなら、それもいいでしょう。
地検特捜部とゆう組織を、白日の下に晒す
いい機会です。
そしてもし、地検特捜部が日本の為にならない組織であれば、
小沢氏には「人柱」になってもらう覚悟で、小沢氏を楯に、

一点突破

で地検特捜部とゆう組織を解体(改革?)するとゆうのも、
戦術として有効な手段かも知れません。
であれば、もっともっと派手にやっちゃって下さいな。
騒ぎは大きい方が注目が集まりますからwww!

東京地検のみなさんwww!


でわっ!

2010年1月17日日曜日

権力への欲望 21

このところの東京地検の一連の捜査で世の中が騒がしく、
その他の問題への関心が疎かになっているうちに
ナンカ?重大な事が進展しているナンテことはないでしょうネ?


<引用>

[公式] 天木直人のブログ
異常な政治状況と国民の不幸


<抜粋>

 1月19日には日米安保条約改定50周年にあわせて日米共同宣言が発表されるという。

 これほど重要な政治声明にも関わらず、国民は一切知らされていない。

 この政治声明が政治主導の議論を経て作られたものであるという話はまったく聞かない。もはや民主党政権にとってはそれどころではないだろう。

 日米双方の官僚たちによって作られる政治声明が日本の将来を規定することになる。

 こんな事が許されていいのか。

 断片的に報じられる政治声明案はつぎのごとくだ。

 「核兵器廃絶に向けた努力を約束する一方で、核保有国の脅威をにらんだ日米安保体制の『抑止力』としての重要性を打ち出す」という(1月15日東京)。

 「日米同盟がアジア・太平洋地域で果たした役割を評価しつつ、21世紀も引き続き、両国が同盟を基礎として地域の安定と発展に寄与していく姿勢を明確に示す」という(1月16日産経)。

 まるで自民党政権下で発出されるような内容だ。

 つまり自民党も民主党も外務官僚に対米外交を丸投げしているということだ。

 何のための政権交代だったかということだ。

 一事が万事である。

 政治が混迷し、その裏で官僚が息を吹き返す。

 これだけは避けなければならない。そしてその責任は民主党政権にある。

 二言目には、「小沢なき民主党では政権を維持できない」、とか「官僚と戦えない」などと言われる。

 もしそれが事実であれば、民主党に政権を担う資格がないということだ。

 小沢・鳩山なき民主党でもこの国を正しく動かしていける。

 官僚支配から国民支配の政治を実現できる。

 民主党はそれを一日も早く国民の前で示し、行動に移さなければならない。

 私を含めた民主党支持者の多くが思っていることはその事に違いない。 

</抜粋></引用>


ワタシは日米の、協力・同盟を否定しません。(どちらかと言えば肯定)
それでも、旧来「日米安保条約」だけは一旦破棄して、
新たな日米関係に基づく

新・日米同盟

を締結するべきと思うのですが、どうでしょうか?


えっと・・・
東京地検が米国の出先(手先?)機関という情報もありますが、
その出自が米国のGHQの管理下にあったのは、紛れもない事実。

特別捜査部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


で、穿った見方をすれば、

1月19日日米安保条約改定50周年にあわせた、

日米共同宣言

の内容から世間の目を遠ざけるため、
年明け早々から派手なことやってんのか?
などと訝ってみたりしたくもなるもんで・・・
もちろん小沢氏自身の問題もありますが、一石二鳥とゆうコトで。
で、そうなると、日本における最高権力者って結局・・・

アメリカなの?

とゆう、まぁ何とも、情け無い「オチ」ですわな・・・


でわっ!

2010年1月7日木曜日

権力への欲望 20

前回のおさらいになるのですが、国家国民て、

「家」と「住人」

の関係のように思うワケです。はい。

雨風をしのいで、心安らかに心安らかに眠れる場所。
日々の生活を送り、いろいろな思い出のつまった場所。
子供とゆう、次の世代が成長する場所。
それが「家」とゆう場所だとしたら、まさに「国家」とはかく有るべき。

で、「家」「住人」を分けて考えるのは当然の事なのですが、
「家」と「住人」と、ドッチが重要(本質)なのか?となると、
答えは自ずと明らかですよね?

やたら「国家」を持ち出す連中って、「家」しか見てないワケで、
その家を建てたのは誰かとゆう視点が抜けてません?
とゆうか、「住人」を無視してんジャないの?・・・と。

「住人」が居なくなっても、「家」は残りますワナ。
で、そのまま放っておけば「廃墟」になってしまいますから、
「家」を維持しようと思う連中は、新しい「住人」が必要になります。
つまり、「家」を第一に考える連中は・・・極論を言えば、

「住人」は誰でもイイ。

とゆう結論に辿り着くワケですわ。
そう考えると、「1000万人移民受け入れ構想」なんつーのは、
「家」を維持するためには必要な事なん
でしょうな。なんせ、

国家とは、税金の徴収機関

なワケですからwww!

とは言っても、「国」レベルで考えた場合にですよ?
「日本」とゆう国の「国民」の大部分が、外国人になってしまって、
文化やら、伝統やらが失われしまった場合でも「日本」と呼べるのか?

ダイジョwwwブです。

「天皇陛下」がおわします。

「国家」大好きの連中にとって、最後の切り札が「天皇陛下」なのです。
「日本」とゆう国の「正統性」を諸外国に示す為に。

「天皇陛下」さえ居れば、「国民」はドwwwでもイイんです。
だからして、事有る毎に連中は、「皇室」の威光をかさに着たり、
持ち出したりするワケなんでしょ?(違うの?)

精神論的に見れば(あくまでもワタシの見方ですが)、天皇家とは日本人の

罪の贖罪

を担っており、で有るが故に、日本人の心の深層部に宿ると思うのです。
教会において、信者の「懺悔」を聞き入れる神父の様に。

しかし、日曜日に「懺悔」し、月曜日からまた悪事を繰り返す様では、
「懺悔室」の存在とは、ある種の「偽善」に見えなくも無いワケで、
一番大切のは、過ちを繰り返さないとゆう「覚悟」ではないかと?
「日本国民」として天皇陛下を本気で敬う気持ちが有るのなら、

陛下の肩の荷を軽くしてさし上げる。

これこそが正しい行いなのではなかろうか?・・・と。


その為には、「国民」はもっと目覚めなければならないのでしょう。
もっと「賢く」にならなくてはならないのでしょう。


「陛下」私利私欲の為に利用せんと蠢いている、
「ノーパンしゃぶしゃぶ長官」とか・・・
「国民」を軽んじて、「国家」、「政局」ばかりをタラタラ論じる、
偽愛国ブロガー、偽善ブロガーとか・・・
毎日毎日、飽きる事無くディスインフォメーションを垂れ流している、
マスコミ全般とか・・・に、踊らされない様に。

じゃ、何を信じたら?

先ずは自分の良心を信じなさい。としか言えません。
そして、人に甘えることを止め、自分の足で歩き出すしかないのでしょうな。

光あるうち光の中を歩め
by トルストイ


でわっ!

2010年1月4日月曜日

権力への欲望 19

まいど!ネットゲリラさんの記事、「アジア情勢が動いている」の、
コメント欄から引用させていただきました。よしなに・・・orz
(最近、「ネットゲリラ」の文字がどんどん大きくなってない?)


<引用>

周辺諸国とは仲良くしないと駄目だ的な
小児的情緒的で臭い人類愛を標榜する腐臭の漂うブサヨとは異なり
常に外国は利用できないか、という地政学の観点から
日本は北とロシアに接近するべきだと思いますよ
勿論中国を牽制するためですが何か
北もロシアも中国の軍事的人口的圧力に晒されているので、連携する余地はあるでしょう


>台湾人はおいらもバンコクでずいぶん会ったし、
前から薄々感じていたけど、ブログ主のこのコメントで分かりました
ブログ主は国家間の関係を個人の交流の延長で捉えてしまう方なんですね
ブサヨにありがちな
道理で眼を曇らせる筈だ

投稿 ネッツ羽翼 2010/01/04 08:44




>ブログ主は国家間の関係を個人の交流の延長で捉えてしまう方なんですね

それのどこがいけないんだ。
一私人にできることはたかが知れているが、タイでの生活も日本人であることを深く意識しながらタイ人と接してきた。
今はつぶれて無いが10人足らずの会社の人間にはそれなりに誠実に対応してきたつもりだ。通訳アシスタントの娘には日本から帰国ごとにお土産をあげてきた。
その甲斐あってか中国系タイ人の娘なのに学校で中国語じゃなく日本語を選択した。
実に細かいことだが親日の土壌をタイで耕しているわけだ。
このような姿勢を

>ブサヨにありがちな道理で眼を曇らせる筈だ

だけで批判してもらいたくないな。ネッツ羽翼さん。
あなたはさぞかし外国政策に影響力を持つ地位にいらっしゃるのでしょうね。それとも引きこもりの夢想ネトウヨ?

投稿 じろう@今はリタイヤ、ひきこもり。 2010/01/04 11:48




>じろう@今はリタイヤ、ひきこもり。さんへ

俺は国家と個人は切り分けて見るべきだと言ってるんだが?
民間交流結構なことですね
日本人と日本国の安全と繁栄に害を及ぼさない範囲で勝手にやってて下さい

国家としての中国の東シナ海における資源独占
尖閣諸島などに対する領土的野心を喪失させる事が出来たら
民間交流とやらは評価に値すると言えるでしょうよ

民間交流が実れば、↓こういう事もなくなるのでしょうね
○2中国人と口論…警察官が線路に突き落とされ足切断
http://turenet.blog91.fc2.com/blog-entry-2327.html

投稿 ネッツ羽翼 2010/01/04 12:29

</引用>


ま、アレだ・・・「国家」「国民」を分けたがる輩とゆうのは、
「国民は国家に従え。」とゆう論法なワケだ。あくまでも、

親方日の丸のほうが偉いんだぞ。

とゆうことを誇示したいとしか、ワタシの目には映りません。
中国がナゼ?反日教育を「国家レベル」で行うのか?
答えは簡単ですよね?国民に反日感情を植え付け、

一般レベルでの相互理解を妨害する。

中国国民の心が、権力者から離れない様に繋ぎ止めておく為に。

日本でも、嫌中だの嫌韓だのがネット上で繰り返されているワケですが、
世界中の権力者には「僕(しもべ)」が必要なのですよ。何故なら、

「僕」の居ない「権力者」なんてカス。

だからして、国家に寄生する輩どもは敢えて「危機」を演出して、
国民を苦しめ、不安に陥れてまでも、
国民を繋ぎ留めておく「鎖」を手放したくないワケでしょ?
もうね?これは世界中の全ての国に云える事だと思います。はい。

「じろう」氏にしても、その他の数え切れない「海外組」の日本人にしても、
日本の外交に貢献できる事ナンてほんの些細な事に過ぎないのは、

自分が一番よく分かっています。

それでも、一滴の雨粒も集まればやがて小さな流れとなり、
いずれは大きな河の流れになるだろうとゆう事を期待して、
日々、海外において、

日本人であることに襟を正している。

ワケですわ。(及ばずながらワタシも・・・)
外務省の役人に、鷹の爪・・・もとい、爪の垢でも煎じて飲ませたいわ。
まったく・・・

名も無き人たちの努力によって日本が支えられているとゆう事実。
そして、無償の自発的愛国心が、日本を日本たらしめている事実。
国家べったりの、権力大好き御仁には・・・

わかるかなwww?
わかんねぇだろうなwww。


ま、国家とゆうものが、ごくフツーに暮らしていた人たちを、
いままでどれだけ苦しめて来たことか・・・
ユーゴスラビアの事例を見ても、よく分かりますwww。
身も蓋も無い言い方をすれば、

国家とは、税金の徴収機関。

国民は金づるなのよ。
税金でメシ食ってる連中としては・・・ねぇ?


でわっ!

2010年1月1日金曜日

タイムトラベル野郎

時間が止まった世界では、人は生きているのか?
それとも死んでいるのか?

心臓は鼓動を停止し、血流はその流れを止める。
全ての細胞は活動を停止し、成長も老化も無い。
苦しみも無ければ、喜びも無い。

全ては止まっているのだから。

全てが静止している世界において、全ての存在は
平等だ。
人間も、建築物も、昆虫も、何もかもが止まっているのだから、
その存在、つまり空間の占有領域の差こそ有れ、
存在するとゆう状態において、何ら区別はないのだ。

物理学では一般に時空として扱かわれるが、
仮に、時間と空間の分離が可能であれば、
空間は時間よりも、「より根源的」なのか?
であるのならば・・・

空間を構成、維持している要素とわ?

と、ここまで思いを巡らせたところで、維持とゆう概念に、
既に時間が介在している事を自覚した。
(やはり、時間と空間は不可分なのか?)

時間が止まると、空間も消える。

では逆に、空間を持たない、「純粋時間」は有り得るのか?

これも、そもそも時間とは・・・

観測される事によってのみ存在する。


とゆう時間の性質から、空間が存在しない、つまり、
観測者が存在出来ないので、時間も存在証明出来ない事になる。
時間がその姿を現すためには、空間の存在が不可欠であり、
空間がその姿を維持するためには、時間の存在が不可欠となる。、
つまり、時間とは、空間を内側から支える柱の様なモノと、
考えられるのかも知れない。

時間と空間の重なり合いが存在となる。

話が少しわき道に逸れますが、例えば・・・
「宇宙戦艦ヤマト」に乗って、空間をワープ」するとゆう事は、
同時に、「時間をワープ」するとゆう事にもなりますよね?
(あくまでもワタシの屁理屈の上でわ。)

これって、「タイムトラベル」じゃね?

とゆう、話の展開になるのですが、
で、連想するのが、ヒンズー教「マントラ」「タントラ」の話。

簡単に言うと、「マントラ=経」「タントラ=行」なのですが、
この二つは、「織物」「たて糸」「よこ糸」に例えられます。
「マントラ」「タントラ」を極める事で、「ブラフマン」に至る。と。
確か、「ヴァガヴァット・ギーター」に書いてあった様な・・・
ひょっとしたら、「サイババ」の本だったかも?
もしくは?「バグワン・シュリ・ラジニーシ」のパンフだったか?
(記憶が曖昧ですみません・・・)
で、この事は時間空間の関係にも当てはまるん?と。

時間とゆう「たて糸」と、空間とゆう「よこ糸」によって、
存在とゆう「織物」が織り上げられてゆく。

そう考えると(想像すると)、タイムトラベルの「基本原理」って、
自分がいま居る「たて糸(時間)」と「よこ糸(空間)」の「交点(存在)」から、
別な場所の「交点」にジャンプするとゆう理解でOK?
だけど、先に推察したワタシの理屈(屁理屈)からすれば、
将来、よしんばタイムマシンが完成されたとしても、

タイムマシンは「未来」へは行けない。

とゆう事でわ無いでしょうか?なぜなら、
過去は既に織りあがっており、「交点が存在する。」が、
未来は未だ織りあがっていないので、「交点が存在しない。」

未来への「タイムトラベル」の可能性が有るとしたら、
現在自分が存在している「織物=世界」から、
既に未来が織り込まれた、「別な織物=別な世界」に行く他は無いかと。
でもそれって、所謂、「パラレル・ワールド(多重世界)」って事?
つまり、「本来の自分の未来」を知る術は無く、あくまでも、

何となく似た世界の未来
に移動するのが精一杯なんじゃないの?
つまり・・・自分の「本当の未来」は・・・

誰も知る事は出来ない。

「のび太」が、孫である「セワシ」に出会ったとしても、
本来の自分の世界の時間軸上の未来における、
血の繋がった?孫じゃ無い!と。

タイムトラベルには夢がありますが、下手すると、
永遠に、パラレルワールドの迷子になる危険があるワケです。

で、何で急にこんな事を考える気になったのかとゆうと・・・
ハイデッガーのせい・・・じゃなくて、

JIN - 仁 -
を見た影響なのは、スグにお分かり頂けるかと思いますwww。
ま、新年早々、下らない話にお付き合いいただき感謝。感謝。
ご挨拶が遅れましたが、

新年あけましておめでとう御座います。
ジョン・タイター・・・もとい、saigon ronin 拝


でわっ!