2006年7月25日火曜日

どうもアリゲーター

Saigon滞在中のGFの相手もロクに出来ず、
せめてもと、いつもならダラダラと残業するところを
毎日終業時間が来るとソソクサと仕事を切り上げ
ベンタイン市場横の屋台に食事に行ったり、
チョロンの中華飯店に行ったり、
夜の動物園に散歩に行ったりと、けっこう気を使いました。

(このままずっと居るのか?)

と思われたGFでしたが木曜日にプノンペンのオバサン?から電話があり、
急遽、金曜日にプノンペンに戻ることになって
木曜の夜は彼女が手料理をご馳走してくれました。
(ほとんどは買出しの惣菜だったんですケドね。)

で、胡坐をかいてGFと差し向かいで食事をしながら、

(そういえば片岡義男の短編で「差し向かいのラブソング」とかあったなぁ)

「スローなブギにしてくれ」で片岡義男を知った時期が
丁度バイクを乗り回し始めた頃にも重なり、
かつ、片岡義男の小説の中にもバイクが出てくる場面が数多く、
小説に登場する様なカッコイイ男になりたいものだと夢見る無邪気な年頃でありました。

バイクに乗れば何処でも自分の好きなところに行ける。
あの頃から放浪癖(行き当たりばったり?)が

徐々に芽生えつつあったのでしょうなぁ。
それが尾を引いて今ではベトナムはサイゴンに・・・。

ただし、自分探しの旅」をしてココに来たワケではありません。
「自分」はいつだって確かに「ここに居る」のです。
ここに居る「自分」が自ら進んで「旅」を選んで来たのです。
だから今「自分」がここに居ること、
Saigonで暮らしていることに何の迷いもありませんし、
Saigonでの生活にも概ね満足しています。

経済的には十分な収入(対駐在員比)とは言えませんが、
困った時には快く借金させてくれる邦人の友もいるし、
本当にお金が無い時にメシを奢ってくれるベトナム人もいるし、
結構まわりの人間には良くして貰っているかも?

(金が無くても結構生きていけるのか?)

などと思う今日この頃。
最近めっきり会う機会も少なくなってしまったのですが
古くからの浪人仲間もそれぞれ健在のようで、
何だかんだ言ってシッカリこの地に根を張ってます。

出会ったばかりの頃は本当にイロイロな事を話し合いました。
みんな不安定な生活の中でも志を持ち、
酒を飲んでバカ話をし、

「よし、明日からもガンバロー!」

と・・・

あの頃の楽しい思い出があるからこそ、
志は違っても熱い想いを抱くRonin仲間がいるからこそ、
何とか今までSaigonで暮らして来れた気もします。
この場をお借りして・・・

「みなさん、どうもアリゲーター!」

(お粗末・・・orz)


でわまた。

2006年7月16日日曜日

時の過ぎ行くままに

GFが我が家に腰を落ち着けて早一週間。
こっちは仕事があるので昼間は相手が出来ません。
きっと退屈して早々にプノンペンに帰るだろうと思っていたら
案外、サイゴンの居心地がいい様でまだまだ居る気配。
何でも近所のフーティウのお店にチャービン出身の
クメール語が話せる同年代の女友達を見つけたらしいっス。

GFがサイゴンに着いてから実家に送り迎えするのに2回、
日帰りでソクチャンに行ってきましたが一口にソクチャンと言っても
海に近いビンチャウというド田舎で、東京-名古屋間を
高速道路を使わず日帰りするのと同じ。
正直、車に乗っているだけでも疲れます。
(ドライバーはもっと疲れますが)

それでも、ビンチャウに青々と広がる水田の風景には
メコンに居るんだという事をしみじみ実感させられました。
が、豊かな自然に恵まれているとはいえ、

自然というものは、裏を返せば人間の力ではどうにもなりません。
アメリカの様な最先端の科学技術を持った国でさえも、
一旦ハリケーンに見舞われると都市が壊滅的な打撃を受けてしまいます。

のどかな水田の風景に見とれるなんざ、旅人の一時の感傷に過ぎません。
人間は未だに自然をコントロールできない。
だからこそ自然のバランスを崩すような事を慎まなければ
先ず、食料に窮するのは誰が考えても明らか。
メコンがいつまでも豊かな穀倉地帯であり続けて欲しいと・・・

で、GFの実家。広がる水田の中の小島の様な集落にあり、
家までは細い畦道を行くしかなくて、当然車なんて通れません。
彼女を実家に送り届けた時は無知だった事もあり
無謀にもギリギリまで実家に車で近づいたのですが、
迎えに行った時はサスガにビビッテしまい
少し離れた幹線道路(省道)に車を待たせて
そこから歩いて家へと向かいました。

畦道の先のGFの実家の垣根の前に彼女と家族の姿が見えると
彼女もこっちの姿に気付いて畦道をこっちに向かって来ました。
ちょうど畦道の真ん中あたりで対面し、
そのまま招かれて家の中で親族?一同にもご挨拶。

(ナンデコンナトコロニイルンダロウ?)

思えば不思議。

ホンの成り行き、些細な行きがかりのハズだったのに、
時の流れるままに自分でも想像しなかった方向に
事がドンドン進んで行く。

(コレッテ、イワユル「運命」?)

などと考えなら、「運命」ならそれはそれで受け入れるのも
また自然に沿った生き方の様な気がして・・・
それに、全く想像していなかったのかと自問すれば、
こうなる事はある程度覚悟の上だった気もするし。

ナンか人間の浅はかな考えを超越した、
本来の人間の在り方が存在するような気もするのデス。
それ(サイン)を受け取るか見逃すかは
それぞれの人の生き方、考え方次第なワケですが、
最近のイロイロなニュースを見るにつけ、
世の中何かが歪んでいるんだろうケド
誰もその事に気が付かないか、
きっと見て見ぬフリをして毎日生活しているのだろうなぁ。

(それが大人?って事なのでしょうか?)

2006年7月6日木曜日

OH!MY ダーリン!

なにしろ6月は慌しかった。もう、頭の中がパニック状態。
とは言っても、やることやらないとスケジュールは待った無し。
マジで体がふたつ欲しかったス。

(パーマンみたいにコピーロボットがあればなぁ~・・・)

などと無意味なことを夢見つつ
何とか6月をアップアップで乗り切り一息つく間もなく、
プノンペンのGFをサイゴンに連れて来るために
忙しい中を無理言って日曜日を入れて4連休取っちゃいました。
ベトナム人スタッフに、

「この忙しいときに休むんですかっ?」

と、非難を浴びつつ・・・

「いつも遊ぶことばかり考えているんですか?」

と、追い討ちをかけるキツ~イ一言。
(ン~、その言葉、キミ達には言われたくないゾ~。)

もうね、逃げるようにサイゴンを後にしましたよ。
プノンペンのGFは既にパスポートを取得済みなので

GFがベトナムマルチVISAを取得するのを手助けして、
サイゴンの我が家に無事に連れ帰るのが今回の予定。

何はともあれ、GFと一緒にモクバイの国境を抜けた時は感無量。
(やっとここまで漕ぎつけたか・・・)と。

つづく・・・


・・・ところでワールドカップ。
戦いすんで日が暮れて、代表メンバーは
それぞれ胸に去来する想いを抱いている事でしょうが
戦い終えた者に、戦わざる者はかける言葉を持ち得ません。


中田英寿 現役引退を表明 “新たな自分”探しの旅にと
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060704-00000000-maip-spo

(前略)

 ◇中田英選手のホームページから

 “人生とは旅であり、旅とは人生である”  
2006・7・3~1985年12月1日-2006年6月22日~ 

 俺(おれ)が「サッカー」という旅に出てからおよそ20年の月日が経った。8歳の冬、寒空のもと山梨のとある小学校の校庭の片隅からその旅は始まった。 あの頃(ころ)はボールを蹴ることに夢中になり、必死でゴールを決めることだけを目指した。そして、ひたすらゲームを楽しんだ。サッカーボールは常に傍(かたわ)らにあった。 

(中略)

 プロになって以来、サッカー、好きですか?」と問われても「好きだよ」とは素直に言えない自分がいた。責任を負って戦うことの尊さに、大きな感動を覚えながらも子供のころに持っていたボールに対する瑞々(みずみず)しい感情は失われていった。

 けれど、プロとして最後のゲームになった6月22日のブラジル戦の後、サッカーを愛して止まない自分が確かにいることが分かった。自分でも予想していなかったほどに、心の底からこみ上げてきた大きな感情。

 それは、傷つけないようにと胸の奥に押し込めてきたサッカーへの思い。厚い壁を築くようにして守ってきた気持ちだった。

 これまでは、周りのいろんな状況からそれを守る為、ある時はまるで感情が無いかのように無機的に、またある時には敢えて無愛想に振る舞った。しかし最後の最後、俺の心に存在した壁は崩れすべてが一気に溢(あふ)れ出した。

 ブラジル戦の後、最後の芝生の感触を心に刻みつつ込み上げてきた気持ちを落ち着かせたのだが、最後にスタンドのサポーターへ挨拶(あいさつ)をした時、もう一度その感情が噴き上がってきた。

(中略)

 ワールドカップがこのような結果に終わってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。俺がこれまでサッカーを通じてみんなに何を見せられたのか、何を感じさせられたのか、この大会の後にいろいろと考えた。正直、俺が少しでも何かを伝えることが出来たのか……ちょっと自信がなかった。

 けれどみんなからのmail(メール)をすべて読んで、俺が伝えたかった何か、日本代表に必要だと思った何か、それをたくさんの人が理解してくれたんだと知った。それが分かった今、プロになってからの俺の“姿勢”は間違っていなかったと自信を持って言える。 

(後略)


私とて、いい年こいてまだまだ旅の途中なワケで、
願わくば良き旅の道連れが得られん事を祈りつつ。