2006年12月31日日曜日

大晦日

大晦日だというのに、朝からエアコンの修理でゴタゴタしてます。
ナゼに?大晦日だというのに?
ま、ベトナム人にとっては1月1日=元旦なんて単なる休日なワケで、
日本人の様に12月31日=大晦日に対して思い入れは無いんですけどネ。

前々から、エアコンが効いて無いかも?
と感じてはいたのですが、最近朝夕が涼しいのであまり気にしてませんでした。
ところが、先日ノートPCが壊れてデスクトップPCを使う様になって
これのCPUの発熱量もプラスされて、

やっぱりエアコン効いて無いじゃん!

と再認識。
今朝大家が家賃の請求書を持ってきた時に
エアコンが効いて無いことを伝えると、

「いや~、ウチの部屋もエアコン調子悪くてね。今すぐ修理屋呼ぶから。」と。
(イヤイヤ、別な日で良いよ。今日は大晦日だし・・・)


と引いたものの、「スグ来るから。」という大家の言葉を信じて待つことに。
で、修理屋はすぐ来たのですが、修理するために道具を揃えて午後出直しですと。
それじゃあと、出直して来るまでの時間に映画を観に行く事にし、
ダイアモンドプラザで「日本沈没」を観てきました。

いや~、懐かしい!今を去ることン?十年前に
新宿で「日本沈没」の封切りを観たんですよねぇ。
当然リメーク版の方が特撮、映像供に優れているのですが
やはり衝撃度はオリジナル版にかないませんわな。(当人比)
ただし、ダイアモンドプラザの映画館の設備がプアなのも
どうかと思うんですよねぇ。
迫力が半減どころか3分の1くらいになっちゃってるんじゃないでしょうか?
ま、オリジナル版を観たときは小学生だったこともあって
余計に「日本沈没」というストーリーに衝撃を受けたんだと思いますけど。

確かオリジナル版では日本が全部沈んでしまったと記憶しているのですが、
リメーク版ではわずかながらも取りあえず残るんですね。日本。
あと、対策本部にナゼか徳川家の家紋が?・・・。何ででしょ?

上映中に一番ベトナム人観客(若いカップル多し)に受けたのは
草薙剛が柴咲コウにいきなりキスするシーンでした。

べト男 「オォ~!(オレもキメてやるぜ!今夜!)」
べト娘 「キャ~!(ワタシもあんな風にク・チ・ビ・ル奪われた~い!)」

と、いったところでしょうか・・・

さて、映画を観終わり家に戻ると、しばらくして修理屋がやってきました。
エアコンの室内機を洗浄し、室外機にガスを再充填して、

「じゃ、1時間ほど様子見てください。」

と帰っていったのですが、1時間後・・・
 
ゼンゼン冷えないジャン!!!
 

大家に直っていないことを伝えると、「これからまた修理屋呼ぶから。」と。
(もしもし?もう7時近いんですけど?)

それでもまた、スグ来るからと言うので待つことに。
で、またまたスグには来てくれたんですけどチョコチョコっと見て

「直せないから明日の朝また来る。」

ですと・・・orz

明日は元旦なのよ?

日本人にとっては大切な日なのよ?

1年の始まりの日なのよ?
 

ベトナム人にとっての正月は旧正月なのだ
という事をつくづく思い知らされました。
ま、もっとも日本でも最近じゃ元旦から働いている人はいますけどねぇ。


みなさん良いお年を!


でわっ!

2006年12月25日月曜日

メリークリスマス! Bac Ho!

昨日と今日と行って参りました。
Nha Tho Duc Baへ。

クリスチャンというワケではないのですが
家から気軽に歩いていける距離でもあり、
夕方涼しくなってから、先ずはダイヤモンドプラザの
フードコートで腹ごしらえを。で、フードコートは

昨日の人混みがまるでウソみたい!

とは言ってもそれなりに混雑はしていたのですが、
昨日は売り切れで食べられなかった
海老シュウマイを今日はしっかり食べました。満足。

食後に、昨日はあまりの人混みに挫折した
教会横の屋台を食後に見て周り「しずか」?だったか、
「しずえ」?だったか、「しのぶ」?だったか、
そんな名前の屋台が巻寿司を売っていたので
夜食用に1パック買い込み、
交通量が増えてきたバイクを掻き分けながら
最後はマリア様を見て帰宅。

人混みを嫌う人も多いのですが、
(わたしも好きな方ではないのですが・・・)

自分とは、自分以外の存在と交わることによって再発見できる存在なのではないか?

と思えるようになりました。
年をとった証拠ですかね?

そうそう、昨日外から戻ると、GFがニコニコしながら

「クリスマスプレゼントを貰った♪」

と言うので「誰に?」と聞くと下宿の別な階に住んでいる
イギリス人女性の語学教師に貰ったとの事。
たまに顔を合わせた時に挨拶するくらいで特に親しいワケでもなく、

「?????」

という感じなのですが、
まぁ欧米人にというのはクリスマスには
ご近所さんに贈り物をするものなんだろう
と自分の中で強引に納得。GFには

「何でも良いから何かお返しをした方が良いね。」

その後、彼女は夜遅くまでクリスマスカードを手作りして
今日渡したそうです。
クリスマスの良い思い出になってくれることを祈ります。

今年ももうスグ終わり。
いろんな事があったなぁ・・・

・・・とは言ってもまだ数日あるので油断できませんが。
(クリスマス直前に10年来愛用していたノートPCがとうとう逝きまいたワ。合掌)

でわっ。

2006年12月7日木曜日

水俣病と北朝鮮の核実験

一見何の関係も無いように見えますが・・・


水俣病の発生と拡大
http://www.lib.kumamoto-u.ac.jp/suishin/mercury/03/03right.html


明治・大正・昭和のベンチャーたち
http://j-net21.smrj.go.jp/venture/column/


「野口遵――特許をビジネスモデルにした最初の日本人(1)」
http://j-net21.smrj.go.jp/venture/column/20041203-1.html


North Korea Today
野口遵に学べば、北朝鮮は三ヶ年で世界最強国家になる
http://www.pyongyangology.com/index.php?option=com_content&task=view&id=255&Itemid=81


次の日本を舵取りするリーダーは案外、フリーター、ニーズと呼ばれる
今の社会に馴染めない若者の中から現れるのではないでしょうか?

なんか・・・そんな気がします。

そういえば「犬神家の一族」の犬神家も
麻薬を軍部に供給していた財閥だったんですよねぇ・・・

2006年12月6日水曜日

近代日本の原点-明治

格差社会、いじめ、愛国心、少子化、幼児虐待・・・全部リンクしています。
明治時代からの流れを再検証しないと
これからの日本の生き筋は見えてこない様に思える今日この頃。


明治・その時代を考えてみよう
http://homepage2.nifty.com/kumando/index.html#top


富国と強兵
http://homepage2.nifty.com/kumando/mj/mj011217.html


(前略)

彼は、ヨーロッパからの帰国の途中で、アフリカやアジアの人々に対する西欧の人々の態度を見て、驚きそして憤慨したであろう。しかし、かれはこの様に考えたのである。

「・・・福沢は、ヨーロッパ人の態度を非難しながらも、そこにある種の痛快さを感じ、日本もまたそのようなヨーロッパ人と同様の優越的立場に立ちたいと思っている。それは日本を独立国家として西欧諸国と並び立ちたいとの念願と重なり合っている。福沢は、西欧文明の摂取による日本の富強化は最優先の課題であるとし、西欧化=近代化を進めることは、西欧列強のように他地域を植民地化していくことを必然とし、日本が文明化を指向するかぎり、そうした道をたどることは不可避とみた。・・」

そして、このような文章を書くのである。

「『世界各国の相対峙するは禽獣相食まんとするの勢にして、食むものは文明の国人にして食まるゝものは不文の国とあれば、我日本国は其食む者の列に加はりて文明国人と共に良餌を求めん歟(か)、数千年来遂に振はざる亜細亜の古国と伍を成し共に古風を守て文明国人に食はれん歟(か)、猟者となりて兎鹿を狩る歟(か)、兎鹿と為りて猟者の狩らるゝ歟(か)、二者其一に決せざる可らず。』(外交論 『時事新報』83.10.1,9)」

(松永昌三著「福沢諭吉と中江兆民」より引用)

(後略)


アララ・・・

「殖民地ノススメ」デスカ?

食うか食われるかの時代であった事は否めませんが、
だからといって、安直に食う側にまわるというのも
武士道的に見てどうなんでしょうか?
それが品性ある国の振る舞い?


明治村通信/明治の文化3.
明治の学制と教育
http://anny.kinjo-u.ac.jp/~nakata/Nakata/Data/Tsusin/educatio/educatio.htm

-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+

明治政府は、欧米先進国に追い付くために、富国強兵策をとりました。その一環として、1871年(明治4年)に文部省を設立し、その翌年には『学制』を発布して学校教育をスタートさせました。政府は学問を、「その産をおさめ、その業をさかんにし、身を立てる財本(もとで)」として宣言し、また一般の人民、華族・士族・農・工・商、そして男女の区別なく学を修めることを目指すという、教育における四民平等を説きました。

(中略)

この当時の教科書には、福沢諭吉の「学問のすすめ」や「西洋事情」等の啓蒙書などが多く使われました。しかしそれも、明治10年代に自由民権運動が盛んになると、天皇中心の教育内容に統制され始めました。

1886年には「学校令」が出され、文部省が全国画一の国家的教育を行う制度を確立しました。又、同年「師範学校令」により、各県に一校ずつ尋常師範学校が設立されました。明治村一号地にある、三重県尋常師範学校・蔵持小学校もその一つです。

1890年には「教育勅語」が出され、1904年には、小学校の教科書は国で定められたものだけになりました。

(中略)

当初の目的である、「国家のためでなく、自分のため」の教育とは全く反対の教育ではありましたが、不学の人をなくそうという目標は、ここで一応達成されたと言えます。

-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+

ま、どこの国でも国民の教育は最重要課題ですが、
とは言ってもねぇ・・・

「美しい国」 ですか・・・

2006年12月5日火曜日

食べときゃよかった?

今回のプノンペン行きの前にチョコッと風邪を引き
プノンペン滞在中も咳が続いていたのですが
そんな私を見かねてか同行したGFが、

「プサー・トマイに買い物に行ってくる。」

と出て行ったので、ホテルで昼寝して待っていたら
小一時間後、風邪薬(咳止め)を買って戻って参りました。
見ると青いビニール袋の中に何やら黒い物体が。

(果物かな?)

否!袋を開けて彼女が手に取ったものは・・・

蜘蛛だ~!

しかもタランチュラ並みにデカイ~!

「これを食べると咳が止まるのよ♪」

ニコニコしながら勧める彼女に間髪入れず

「NO~!そんなもの食えるか~!」

と突き返したのは言うまでもありません。

以前、友人(日本人)とオリンピック市場に行った際、
彼らは市場内の売り子からコレ(タランチュラの佃煮)を買い
二人してパクパク食べていましたが私は×
(一人は沖縄出身なので、虫を食べることには抵抗が無いのカモ?)

せめて、せめてもう少しサイズが小さければ
なんとか食べられそうな気もするのですが、
私の目にはど~見たってタランチュラですよ、タランチュラ!

プサー・トマイでコレ(タランチュラの佃煮)売ってたってことはもう、
日常的にタランチュラ食してるんでしょうね。カンボジア人。
カワイイ顔したクメール娘たちがコレ食べてるのかと思うと・・・
ホビロンを美味しそうに食べているべトナム娘といい勝負ですわな。

日本人(先の友人2名は除く)には立ち入れない食文化の壁を感じつつ、
それでもサイゴンに戻ってからも続いている咳に

(あんとき食べときゃ良かったかな?)

などと少し後悔はしても、
アレ(タランチュラの佃煮)を口に入れる瞬間を想像しただけで・・・orz

地上から食べるものが無くなった暁には
根性入れて食べさせて頂きます。
でも、他に食べるものがある内は勘弁して下さい。
せっかく買って来てくれたのに御免!

ちなみにGFが1匹だけ食べ、2匹残ったので
その残りを枕元の机の上に置いて寝たのですが、
夜中にアレ(タランチュラの佃煮)が袋から這い出して来そうな気がして・・・

わたし小心者なんです・・・。ハイ・・・。

2006年12月3日日曜日

ワレワレは何処から来て、何処へ向かうのか?

金曜日の朝、陸路プノンペンに向かい
翌土曜日に、毛沢東通りにあるMondail Centerにて
「国際貿易フェアー」なる展示会を覗いてきました。

結論から言うとベトナムで開催される展示会に比べ
規模も小さく会場も閑散とした状態で、
カンボジアの経済発展もまだまだこれからという感じでしたが、
出展していた台湾の企業やマレーシアの企業には
結構前向きな姿勢が感じられました。
あ、ベトナムからの出展企業も数社ありました。
今回の展示会直前にたまたまケーブルTV(aliranチャンネル)で
カンボジアの経済状況や工業団地の特集番組があったので、
展示会場に韓国企業の出展が見られなかったのがチョット意外。

ま、ざっと見てチョコチョコッと某台湾企業のブースでお話して
ソソクサと会場を後にした次第です。
(にしてもMondail Center横の携帯電話市場!デカいっ!)

で今日、ホーチミンへ戻るバスの車窓から
広々と広がるカンボジアの水田をボーっと眺めながら、
(これ全部ジャングルを切り開いて作ったんだよなぁ~、スゲ~なぁ~)
などと感心しつつ、先人達の自然との格闘に想いを馳せた次第です。
はい。

太古、自然は常に人間の生活と生命を脅かしていたワケで、
その恐怖心から自然崇拝という宗教が生まれ。
そして木の実などの採集や狩猟といった文明レベルから前進して
農耕という文明を手にしてからも、
自然に対しての従属的な立場には変わりなく、
そんな状態が日本では明治維新まで続いてたワケですねぇ。
   


社会実情データ図録・人口の超長期推移
(縄文時代から2100年まで)


明治の文明開化以降、
新生児の死亡率が激減したということは
西洋の医学のほうが優れていたという事実の表れなんでしょう。
その他にも諸々の西洋の最新技術も日本に輸入され、
最早自然は恐れるに足らず、逆に支配可能な対象となり
ひいては自然破壊的な行為を繰り返しながら今日に至っている?

ま、それはさて置き、戦争などの人災を除けば、
日常的に命を脅かす自然の恐怖をひとまず克服するに至った
我々現代人に残されたこれからの課題とは?

少子化問題を紐解く鍵もその辺にあるような気はするのですが・・・


 
平成16年版 少子化社会白書(全体版)
 
考えをまとめてからまた改めて続きを書きます。
尻切れトンボで御免!
 
でわっ!

2006年11月16日木曜日

トヨタの選択

レクサスのカーナビには独島がない

カーナビに独島がない


 最近、輸入車業界ではトヨタが発売したレクサスLS460が消費者の高い関心を集めています。トヨタは「韓国の地理情報を盛り込んだカー・ナビゲーション・システムを自社開発し、日本でLS460に装着した」と宣伝しました。

 大部分の輸入車業者らがいったん車を韓国に搬入した後、韓国の業者の製作したカーナビを装着して販売しているのとは異なる点です。

 ところが、最近レクサスLS460に装着されたカーナビからおかしな点が発見されました。カーナビの地図上に「独島(日本名竹島)」という地名が表示されていない点です。地名検索で「独島」と入力すれば、独島のような形をした二つの島が地図に現れます。しかし、その島に「独島」という地名は表示されていませんでした。地名がないので、ここが独島なのか、それとも日本の一部の政治家らが主張する「竹島」なのか区別がつきません。

 また、画面を調節し、韓国全体の地図が出るようにすると、鬱陵島は出てきますが、独島は画面から消えてしまいます。

 一方、韓国で製作され、販売されているすべてのカーナビには、「独島」の地図とともに「独島」という地名が鮮明に表示されています。独島の上に太極旗を挿し、この島が韓国の領土であることを強調した製品もあります。レクサスLS460を除き、他の輸入車に装着されているカーナビも韓国で製作されているため、独島の地名が表示された地図が入っています。

 独島は車で行くことはできないので、カーナビにあえて表示する必要はありません。しかし、韓国のカーナビ業者らは、日本の独島領有権主張に対抗し、象徴的な意味で地図に独島を表示しています。

 今回の件をめぐり、トヨタが日本の政治的立場と韓国の消費者の間で、どっちつかずの姿勢をとっているのではないかという指摘が出ています。しかし、これはグローバル企業の姿勢ではないという指摘もあります。これに対し、トヨタは「速やかにカーナビを修正する」と表明しました。できる限り速やかな修正を期待します。

金宗浩(キム・ジョンホ)記者
朝鮮日報/朝鮮日報JNS
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/11/16/20061116000038.html


いっそ装備からカーナビを外した方がイイのでわ?
修正したカーナビなんか搭載したら右翼が黙っちゃいないじゃなかなぁ。

「この売国奴!」

てね。

企業倫理・・・・・難しいですね。

2006年11月11日土曜日

アメリカ中間選挙

民主党勝利の功労者はU2かも・・・

2006年10月28日土曜日

死して屍拾う者有り

つい最近、旧知の知人がまだ若くして亡くなりました。
ほんの一時期でしたが仕事をお手伝いした事もあり、
最近は全く音信不通の状態でしたが
共通の知人から折に触れて噂を聞くたびに
「あぁ、相変わらずだな~」と思う反面、

「じゃあ自分はどうなんだろう?」

「自分は何をしにベトナムに来たんだっけ?」

思い出す事は簡単ですが毎日の生活に忙殺され
初志から大幅にズレている現在に戸惑うと同時に、
これからはもう一人じゃないワケで

「身の振り方をシッカリ考えなきゃイカン。」

などと、シミジミ思う今日この頃。

亡くなった知人にはベトナム人の内縁の妻がおり
彼女が取り仕切って通夜、葬儀が行われました。
知人から連絡を受け通夜の式場に行ってみると
やはり古くからの知り合いから花輪が届けられていて
ベトナム式の作法を教えてもらい焼香をすませてから
遺影に手を合わせていたら不覚にも泣けてきました。

アクの強い人でしたが、人と人は一期一会。
いい人であれ悪い人であれ人生は出会った人との
思い出が積み重ねられ
その思い出で人生がより味わい深いものになるのか?

彼の死に際してそんな風に思いました。

もう一人、日本に帰ると必ず墓参をりする所があります。
以前の仕事の年下の同僚の墓で
彼は若くして交通事故である朝突然帰らぬ人となってしまいました。
当時ベトナムに出張を繰り返していた私に

「今度ボクもベトナムに連れて行って下さいよ~♪」

とよく言っていました。

「次は一緒に行こうな。」

しかし、約束を果たす前に
彼はもっと遠いところに行ってしまったのです。
今でも思い出すのが、満開の桜の花吹雪の舞う中を
彼を乗せた車が火葬場に向かう時の
淡いピンク色と漆黒の車の鮮やかなコントラストです。

生と死。

世界は目まぐるしく変化している。

サイン。

2006年9月30日土曜日

ざくろ

GFがプノンペンに里帰りしてお土産にざくろを買って来てくれました。
自分の知っているざくろは紅い果実なのですが
彼女がプノンペンで買って来たざくろは果実が黄色。

「ベトナムのざくろは酸っぱいけどカンボジアのざくろは甘いのよ。」

と奨めるので食べてみると薄味ながら確かに甘い。
夕食後、デザートにお土産のざくろを食べながら二人でTVを見つつ
頭の中では最近の出来事をとりとめも無く反芻。

来越当初に付合っていたベトナム人の女の子(といってもいい年なのですが)が
とうとう結婚を決意して結婚式の招待状を新郎と一緒に届けに来た事。
(新郎の目に敵意があった様な・・・)

やはり昔付き合った女性(ベトナム人)が
GFが里帰りしている間にいきなり家に訪ねてきた事。
(別にいまさらよりを戻すつもりは無いのですが・・・)

自分よりはるかに給料の安いスタッフに一時的にせよ借金した事。
(君は上司想いの本当に良いスタッフだ・・・)

運転免許の書換え期日の事で日本の実家から連絡の電話があった事。
(わざわざ知らせてくれて感謝。出来れば一時帰国したいんだケド・・・)

GFとの結婚準備に向けた様々な手続きの事。
(カンボジアの場合、何処に手続きに行くのか?どのくらい時間がかかるのか?)

これからの生活の事。
(サイゴンとプノンペンのどっちがBETTER?OR日本もアリ?)

そして最近会った日本人とのチョット後味の悪い出来事の事。
(ベトナム人はよく日本人は難しいと言いますが、ある意味同意。)

ETC...本当にとりとめも無く...

ハッキリ言ってGFがサイゴンに居つくようになってからも
金銭的事情もあって、これと言って彼女に買ってあげた物もなく、
もし、彼女がこのままプノンペンから戻って来なかったとしても
自分の甲斐性の無さが原因と受け入れる覚悟だったのですが
彼女はサイゴンに戻って来てくれました。ありがたい事です。

(そんな彼女を大切にしなければ・・・)

ざくろを食べながら、その事だけが何よりも確かな事に思えた
2006年の9月でした。

はい。

2006年9月12日火曜日

きみは「スケルトンマン」を観たか?

GFと一緒に、ケーブルTVの「STAR MOVIE」で
「スケルトンマン」という映画に
不覚にも観入ってしまったのですが
これがもう後味最悪!っていうか腹が立つ?
何が気に入らないってあなた、もう、

「この映画にちゃんとしたストーリーはあるのか?」

という点に尽きますな・・・・

舞台は“と或る森林地帯”なのですが、

ここが人里離れた、秘境のような場所かといえばさにあらず。
釣り人やら長距離トラッカーのドライバーやら、
一般人も気軽に立ち入れるらしく、
なんでそんな所で陸軍特殊部隊が作戦演習をするワケ?
でもって、救出にデルタフォースが(3人は女コマンドー!)が派遣されるワケ?

話の展開として、この森の中で「スケルトンマン」と闘う・・・
というか、一方的に皆殺しにされていくだけなんですけど、
にしても闘い方が見てて「なんだかなぁ~?」って感じで

「陸軍の精鋭のくせにスキだらけだろっ!お前らっ!」

と罵声を浴びせたくなる事、この上なし。100%の筋肉バカ!?
そのくせGPSが使えなくなってウロたえたりして・・・もぅ・・・

「スケルトンマン」も凄いっちゃー、スゴイんですけどね。
いきなり異次元から出たり入ったりで神出鬼没。

(だったら一晩のうちにサッサと部隊皆殺しにしとけっ!)

と、またまたツっ込みを入れたくなるワケで・・・
しかも弓矢でヘリコプターまで打ち落とすし♪
(ランボーか?お前は?)

とにかくディティールに脈絡が無さ過ぎて
ある意味、夢を見ていたようでもありますわな。

1.大昔のインディアンの最凶戦士がナゼ?
  中世の死神マントを着てる?
  (しかも顔はガイコツだし・・・)

2.銃弾あれだけ浴びても死なないんだから、
  爆発くらいじゃ死なないんじゃないの?
  (しかも好きな時に異次元に行けるんだし・・・)

3.冒頭のつかみで、学者を殺した後で心臓を取り出したのはナゼ?
  (プレデターみたいにコレクションするつもりじゃなかったのか?)

4.窪地の累々たる死体はコレクションか?
  (だったらを首チョン切った死体も片付けとけYOwww!)

など等。

そんでもって、ラストでは薬品工場にいきなりスケルトンマンが現れ
(ナゼだ?人里が恋しくなったのか?スケルトンマン?)
工場に居る人間を手当たりしだい殺していくのですが、
ナゼか?その現場に辿り着く特殊部隊の生き残り2名(チーフ+1)。

(おいおい、森林地帯の設定はどこへ消し飛んだんだYO!)

そして工場内で陸軍特殊部隊のチーフとスケルトンマンとの
怒涛のラストバトルが・・・

しつこいようですが、異次元に自由に出入りできるスケルトンマンが
たかが工場の爆発ぐらいでくたばるハズはなく、チーフの

「It’s over.(終わった)」

という言葉に(んなワケねぇ~ダロっ!)と心の中でツっ込んだところで、
アレレレ?あっけなく映画が終わっちゃいました~。

作り手側のあまりのご都合主義に、脱帽・・・orz

ここまでくると最早ギャグ。昔見たモンティー・パイソンの
「サム・ペキンパー」のパロディを彷彿とさせます。
(もしかして・・・そうだったのか?)

この映画を観た人は一人残らずボロクソに言う。・・・と思う。
お暇な人は「スケルトンマン」で検索どうぞ。



Amazon.co.jp: スケルトンマン 史上最悪の死神
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000E42P6Y

2006年9月3日日曜日

実利主義

日本と関係良好、東南アで9割超…アジア7か国調査
(読売新聞)

 読売新聞社は、韓国日報社、ギャラップ・グループと共同で、「アジア7か国世論調査」を実施した。

 東南アジア諸国では、「日本との関係が良い」と見る人が9割以上に達した。「日本を信頼できる」人も7―9割を占め、対日感情の良さが裏付けられた。一方、急速な経済発展を背景に、東南アジアでの中国の好感度も増しており、関係強化の進展が示された。

 調査は、インド、インドネシア、マレーシア、タイ、ベトナム、韓国および日本の7か国で、6月下旬から7月中旬にかけて面接方式により実施した。アジアの複数国で同時に世論調査を行ったのは1995年、96年に続き3回目。

 日本との関係が「良い」は、インドネシアとタイでは「非常に」と「どちらかといえば」を合わせてそれぞれ96%に達し、ベトナムで計92%、マレーシアでは計91%に上った。この4か国では、同じ質問をした95年調査でも「良い」が9割超だった。初めてこの質問をしたインドでも「良い」は計89%に上った。

[読売新聞社:2006年09月03日20時16分]
http://newsflash.nifty.com/news/tk/tk__yomiuri_20060903it13.htm


思うにアジアの国って実利主義。
過去にこだわるよりも今、そしてこれからが大切。
明日ちゃんとメシが食えるかどうか?
それが一番の関心事。
この結果に浮かれて外交政策を誤らないことを祈ります。

実際、経済発展した中国の好感度も上がっている事実は
日本に対する好感度も同じレベルと考えたほうが無難。
今の日本人にアメリカに対しての同様なアンケートを実施すれば

かなりの好結果が得られるはず。
それもこれも、アメリカと親密であるメリットが大きいからでしょ?

おそらくアジア諸国の民衆の意識には
植民地にされた過去の歴史が刻まれており
西欧諸国がアジアの情勢に深く介入することは好まないでいないでしょう。

虎(アメリカ)の威を借りた狐の様に見える日本のままでは
真にアジア諸国と打ち解けるのは難しいように思えるんですがねぇ・・・

最終的に日本はどちら側に立つのか?
白人側なのか?アジア側なのか?
極論ですがいつの日かそう問われる日が
遠からず来るように思えます。

ま、日頃から意識しておいたほうが無難でしょう。
いざという時に心がグラつかない様に。

ところで、話はガラっと変わって、
現在ベトナムは連休の真っ最中で、今日は連休の中日。
朝からGFとあっちこっちのスーパー巡りをしましたがどこも人が多い!
お金が無ければみんな考えることは一緒。

遠くに旅行に出かけて散財するよりは
日頃出来ないチョットした贅沢にお金をまわす。
正しい庶民の在り方ですなw。

ベトナムはバイクが多くて町には活気がある。
と、旅行者(以前のワタシも)は勘違いしますが、
ひとつに、交通機関のインフラが未整備であることと、
お金が無いのでバイクでとりあえず出かけるのが
ベトナム庶民の一番手近なレジャーと言えます。

ま、かくいうワタシもそれを身に染みて感じる次第です。ハイ。

2006年8月27日日曜日

ミツトヨ

(ミツトヨ社HPより)

経営理念
 

1.活動する領域において世界のトップレベルを目指す
 

 ミツトヨは、精密測定機器の先駆的メーカーとして出発し、現在では「精密測定機器のトップメーカー」にまで成長を遂げてきました。「良くて、安くて、長くもつ」という創業当時からのコンセプトを徹底的に追求してまいりましたが、近年、これだけでは必ずしも充分ではなくなってきました。つまり、お客様の急速な技術の発達にあわせた、またはそれを促進するような、測定技術の開発が重要になってきています。ミツトヨは、多くの人々から技術的に優れていると評価されてはおりますが、トップメーカーとしての誇りを持ち、絶えず自らを活性化し、チャレンジ精神を忘れない創造性豊かな企業でありたいと考えています。
 

(外為法に対するチャレンジ精神もご立派!)
 

 
2.仏教伝道活動の支援を通して人々の幸福に寄与する
 

 国内・海外のほとんどのホテルには、各室にキリスト教の聖書がおかれています。最近は、キリスト教聖書と共に英語版を中心とした「仏教聖典」をおいてあるホテルが多くなってきています。和英対照、和文、英文をはじめ各国語に翻訳された700万冊以上の「仏教聖典」を各ホテルに寄贈しているのは、わが国の財団法人仏教伝道協会です。仏教伝道協会は、宗派に関係のない広義の仏教伝道活動を行なっており、仏教聖典の寄贈に加え、ハーバード大学やオックスフォード大学他世界の主要大学に仏教講座を開講するなど、仏教文化を弘めるための活動を行っております。
 
 ミツトヨは、企業理念として、仏教伝道活動を支援しており、具体的にはこの仏教伝道協会の活動に対して、資金的支援を行なっています。1991年12月に、ミツトヨが日本企業として初めてユネスコの関係組織「IIPP」から、国際精密工業賞を受賞(写真のブロンズ像)しましたが、その受賞理由の一つが「産業活動のみならず、仏教伝道活動の基金創出で世界平和と人類の繁栄に貢献していること」があげられました。ミツトヨの仏教伝道活動支援というメセナ活動が国際的に評価された結果です。
 


 
国際精密工業賞ブロンズ像

(国際精密工業賞は返上するんでしょうかネ?)
 
 

 
「精密測定で社会に貢献する」
 創業者 沼田 惠範
 

「良い環境、良い人間、良い技術」
 

 創業間もない頃にマイクロメータの国産化にあたって、自ら陣頭に立って物作りを体験した創業者沼田惠範は、それに係わる人の心構えが如何に大切かを痛感したのです。信頼される製品を作り出す為には、それに係わる人の教育に意を尽くさねばならぬ。又良い人材は、良い自然環境、良い職場環境のもとに育つという意味が込められています。
 

 創業者沼田惠範は、1939年(昭和9年)東京・蒲田で、マイクロメータの国産化をめざして、わずか30坪の研究所からスタートしました。そして創業から3年後、数々の試行錯誤と技術の研鑽を積み重ね、マイクロメータを完成し、「良くて、安くて、長くもつ、世界一 三豊のマイクロ」という言葉を手拭いに刷り込み、全国に配りました。そしてそれを現在、現実のものにしております。
 

(蒲田にはCIAの下請けをやってる町工場もあるらしいですな。)
 

 
人間として立派になるには、
 

智・仁・勇の三つが揃わねばなりません。
 

智だけではつめたいし、仁だけでは弱くなるし、
 

勇だけでは行き過ぎる場合があります。
 

そこで、智・仁・勇の三つが揃って、
 

初めて立派に完成した人間といえます。
 

また、事業として成功するには、天・地・人の三つが必要です。
 

天のとき、地の利、人の和を得てこそ、
 

初めて事業として成功します。
 

このうち、どれ一つを欠いても成功はおぼつきません。
 

仏教が弘まるには、仏・法・僧の三宝が基本であり、
 

また、キリスト教では三位一体が根底となっています。
 

立派な人間が沢山育ち、事業も繁栄し、正しい宗教も弘まって
 

世の中が平和で、各人楽しかれと願いを込めてつけたのが
 

「ミツトヨ」という名称です。
 

また、その願いを表したのが「瓢箪マーク」です。

  
(以上ミツトヨ社HPより)
 

 
まぁ、どこの会社も立派なお題目を唱えているものですが
品格があるらしい日本国の一流企業がこの体たらくとは・・・
 

口先だけじゃん!
 

ちなみにワタシ、イランにも核開発の権利はあると思いますよ。
科学技術は万人に公平なのですから。
イランが後天的格差(知的格差)に甘んじなければならない義務はありません。
ただネ、使い道が問題なんですよネ。使い道が。
全ての科学技術は万人の幸福のために使われて欲しいと願う次第です。ハイ。
 
 
でわっ!

2006年8月23日水曜日

何ゆえ?

今日の午後、ウチの事務所が入居しているオフィスビルのスタッフ(♂)
とエレベーターに乗り合わせたらいきなり、

「サムライの絵は要りませんか?」

と話しかけられ面食らっていると、

「ボスに貰ったんですですけど興味ありませんか?」
「どんな絵ですか?」
「あとで事務所に持って行きます。」
「はぁ・・・・???」

事務所のドアの前で彼と別れ事務所のスタッフに

「いや~、今ここのスタッフにいきなりサムライの絵は要りませんかって・・・」
と話が終わるか終わらないウチに彼が事務所に来て

「この絵です。どうぞ。」(おぉ!早すぎ!)

で、彼が持って来たのはサムライの絵じゃなくてサムライの写真でした。
それも桂小五郎、明治天皇、勝海舟、坂本竜馬、伊藤博文など
明治維新に関わったそうそうたる面子が写った記念写真で

(ホンとかいな?)

と思わず疑いたくなるのですが、写真に添えられた写真中の人物の名簿と
写真の人物を見比べると何となくそう見えるし・・・(単純)

他人(ベトナム人)から今までもイロイロ贈り物を貰いましたが
まさかサムライの写真を貰おうとは思っても見ませんでしたワ。
しかし何でまたサムライの写真なんでしょうかネ?しかもベトナムで。
ワタシがサムライみたいに見えたから?(ナンてね・・・)

にしても写真の真贋は別として、
明治の男達の面構え現代の日本人の面構えとはズイブンと違う様な・・・
何と言うか皆さん野性味溢れてまして、脇に携えた日本刀で
混沌とした時代を命がけで切り開いた凄みの様なものがありますワナ。

893屋さんの様な強面の人(西郷隆盛?)も中にはいますが

勝海舟?や坂本竜馬?にしても、どちらかと言えば
オットリとした風貌ながらその肝っ玉のデカさがそこはかとなく感じられます。
(そう思って見るからそう見えるのか?)

翻って、今の時代にしても世界は思っているほど安定しているわけでもなく
不測の状況に遭遇することは十分在り得るわけで、
いざ、その状況に陥ったときにどう切り抜けるのか

「しっかりと自分の道筋と覚悟は決めておけよ。」

というメッセージを図らずも受け取った様に、
明治の、そして近代日本の立役者達の肖像を見ながら感じた次第です。・・・はい。
願わくばその気迫の片鱗でも分けて頂きたいもので・・・



でわっ!

2006年8月21日月曜日

早い話が

中国政府の主導・管理の下で行われてるってことでしょ?反日団体の抗議デモ。
国民の感情なんて関係無く、政治の道具に過ぎないのですかネ?
イヤ、別に反日デモを煽っているわけじゃナイっすけど。


靖国参拝:最初の週末、デモ情報なし 北京の日本大使館

【北京・飯田和郎】 北京の日本大使館によると、小泉純一郎首相が終戦記念日(15日)に靖国神社を参拝してから最初の週末となった19、20の両日、中国国内で参拝に抗議するデモが発生したとの情報はなかった。中国当局は反日活動の封じ込めに成功した。

 反日団体の一つ、愛国者同盟」の関係者を名乗る男性は20日、毎日新聞に対し「一部に『デモ行進を行うべきだ』との意見もあったが、見送った」と語った。反日団体の多くは公安当局と連絡を取り合っており、今後の活動を考慮した団体側が当局の指導に従ったとみられる。

 愛国者同盟が運営するサイトによると、湖北省十堰市で15日、市民らが「国辱を忘れるな」などと書かれたポスターを広げる示威行動があったが、騒ぎにはならなかった模様だ。

 中国当局は昨春、各地で発生し、一部で暴動化した大規模反日デモを教訓に今回、封じ込めを徹底した。対日関係改善を進める上で、市民の反日行動はマイナス要因になるとの判断も働いたようだ。

毎日新聞 2006年8月20日 20時49分
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060821k0000m030068000c.html


ま、台風や旱魃の被害の復旧に人民軍兵士が駆り出されて人手が足りず、
いざ反日デモが暴徒化した場合に抑え切れなくなる可能性もあるワケで・・・
しかも反日デモを押さえ込んだということで日本に恩を売れるのであれば
小泉さん以後の日本政府に対しても強い態度で出れるわけだから
中国政府にしてみれば、まずまずの選択肢だったのではないでしょうか?


でわっ!

 

2006年8月18日金曜日

どうなるっ?!SAMURAI JACK!!

CN(CARTOON NETWORK)がGFのお気に入りナンスけど、
(ま、ベトナム語が分からないからドタバタのアニメを見るしかないのですが・・・)

ワタシもつられて最近何かと良く見てます。
 
で、ワタシのお気に入りは「SAMURAI JACK」
 
(だって日本人ですもの♪)



   

http://www.cartoonnetwork.com/tv_shows/samuraijack/
http://www.cartoon.co.jp/program/jack/index.html
 
見始めの頃はロボットをバッタバッタと斬り倒すサムライの姿に
 

(ザケンナよ!サムライをナメてんのかっ?)
 

と興味も沸かなかったのですが続けて見ているうちにアニメの世界観が見えてきて
それと同時にCOOLで、ときにはオチャメなJACKにハマってしまいました。
GFもワタシのJACK好きを分かってくていて、残業が長引くと、
 
「もうすぐSAMURAI JACKはじまるよ。」
 
と携帯に電話をかけて来てくれます。
(おぉっ!もう8時か?早く帰ってJACK見よ♪)
 

仕事を切り上げ、自宅でJACKを見ながらの夕食のひと時。
一日の中で一番安らげるひと時なのです。
 

が、しか~し!ナ、ナンと!今日は、JACKがAKU
最後のトドめを刺そうとしたその瞬間!
AKUのタイムトンネル?でまたまた異世界にトバされてしまったんですよ~!
 
OH MY JACK!なんてこったい!
 

また一からやり直しですかい?・・・orz
まるで自分の人生を見てるようで、ますますJACKに肩入れしたくなっちゃう~!
明日からの展開が気になって気になって今夜はもぅ~、眠れ無いっ!
 

子供向けのアニメと舐めてましたが、なかなかどうして絵に味がありますし、
状況描写も映画的な芸術性を感じさせます。
 

先日の、ロボットの殺し屋がJACKの命を狙うストーリーでは
雨のシーンの描写が秀逸でした。
また、ロボットの忍者がJACKと対決するストーリーでは
光と影の描写が哲学的でさえありました。
 

宇宙空間の闇から生まれたAKU
光の象徴であるJACKの、いつ果てるとも知れない次元を超越した相克は
まるでグノーシスの2次元論的宇宙観を提示している様でもあり
神話の世界を覗き見ているような感覚さえ覚えます。
 

それにキャラクターもイイっす。
JACKAKUのプリントが入ったTシャツがあったら
ソッコーで手に入れたい最近ミーハーなワ・タ・シ♪
 


でわっ!
 

 
PS.ベトナムのTVでも放映してるんス。「SAMURAI JACK」。
ベトナム人の間でもJACKフリークが増えてくれたらウレシイっす。

2006年8月14日月曜日

おおおっ!HARD DISK炎上 2

はじめはネ、そりゃもう途方に暮れまくりで目の前真っ暗。
働けど、働けど・・・じゃないケド、
手の中のICチップ焼けたHDをじっと見つめてしばし思考停止。
・・・にも拘らず最悪のタイミングでトラブル発生。

(何故だ~?オレが何をした~?)

日本との連絡、ローカルのお客さんとの連絡を
プリントアウトした過去の資料ファイルをアレコレひっくり返し
何とか綱渡り状態で切り抜けながら、

(イ、イカン。このままじゃヤバイ・・・)

と焦りを目一杯感じつつ対応策を模索していたのですが、
フト、基板交換すればイイんじゃ?と気付き

(もうこうなったら自力でヤルしかないっ!)

覚悟を決めてヤンシン市場にて特殊工具(トルクドライバー)を購入。

(お前がやれぬ事ならば~♪俺がこの手でヤッてやる~♪)

とばかりに、事務所に戻って一気にHDの基板を外して見ると
ディスクユニット(回転部)と基板とは4本の端子で接触しているのみ。
これならイケるかも?と一筋の明かりが見えてきたところで

次の段階として、全く同じHDの購入にススム。
んで、今度はNTMKのTITANにまたもHD持参で出向き

これと同じHDをくれ~!

と店員に注文しましたが、
ン?店員が持ってきたHDの基板の形状がチョット違う?
ブツ(HD)のID NO.だとか電気的な仕様とかは同じだったので

こうなりゃイチかバチか試してみるしかない!
ソッコー事務所に戻り基板を乗せ代えHDを起動!

ジャ ジャ ジャ ジャ~ン!!

デバイスマネージャーはHDを認識しているのに
OS(WINDOWS XP)がHDを認識しましぇ~ん。
(勿論トラブルシュートの方法はあるのでしょうが・・・)

トホホ・・・・万策尽きたか・・・

しか~し、ここでピン!と閃きました。

(そ~いや、HDもう1台余っているわ!あれの基板どうだったっけ?)

と現在使っていないHDを引っ張り出して基板を見てみると、
ナ~ンとドンピシャじゃ、ア~リマせんかっ!

(おぉ!首の皮一枚残った?)

昂ぶる気持ちを抑えつつ、
ブラックジャック並の冷静な手さばきで再度基板の移植。
そして再度HD起動!・・・戦士ガンダム!(お粗末。orz)

・・・ヤッタ、ヤッタよ、ヤリまくりました。
OSはシッカリとHDを認識。
2日ぶりに愛しいデータちゃん達とご対面~ん。

(燃え尽きたぜ。真っ白だ・・・)

- 今回の教訓 -

「非常事態に備え、HDは同じものを2台買っておけ。」

勿論、経済的な余裕が必要ですが、
今回のように物理的なトラブル(基板の焼損)等が発生した場合
部品が無ければデータ救済の専門ショップでもない限り
そこらのPCショップに持ち込んでもどうしようもありません。
自分の財布の中とHDの内のデータを秤にかけてどちらに重きを置くか?

は、人それぞれですが、現代社会においてコンピュータ無しの生活は考えられず、

(銀行のATMとか、インターネットとか、住民登録とか、道路の交通信号とか・・・)

して見るとデータというのはコンピュータというハードウェアに
存在意義を与えるの様なモノなのだなぁと考えさせられました。

その一方、コンピュータに頼らざるを得ない現代の生活そのものが
便利である反面、非常に不安定な生活になりつつある様な気がした次第です。

・・・ハイ。


でわっ!

2006年8月10日木曜日

おおおっ!HARD DISK炎上

チョット大げさですが、ヤッちまいました・・・

それは2日前の朝のこと・・・

OSがいつ何時ダウンしてもいいようにと
USB接続で外付けにしたHDに仕事のデータを保存しているのです
HD BOXの電源アダプター(MADE IN CHINA)が逝ってしまい
アダプターを交換してもらおうとHD BOXを購入した店に向かいました。

が、お店が閉まっていた(店を開けるのが遅い!)ので
別なお店で已む無くアダプターだけの為に同じようなHD BOXを
もう1台購入する羽目になりました。
んで、事務所に戻り早速購入したHD BOX用の電源アダプターを接続し
これでやっといつも通りに仕事が出来る。とHD BOXのスイッチO~N !

あれっ?HD起動しないんですケド・・・・

インジケータランプも点きましぇ~ん。
ドボジテ?電源アダプターまでは電気来てるのに?
イヤ~な予感がして電源アダプターに貼り付けてあるシールの

電源供給ピンの配置図を見て凍り付いてしまいました。

(キャ~!!!形状は全く同じなのに配列が違~う!)

ハイ。自分の不注意です。そりゃ~もう、反省してまっす。
ケド、全く同じ形状でありながらピンの配列の仕様が違うなんてアリ?

(単なる電源アダプターじゃん。汎用性持たせなさいよっ!)

とボヤいたところで後の祭り。恐る恐るHDをBOXから取り出してみると、

(ん?ナンか焦げ臭いぞ。)

と同時に、HD BOXの中から黒い煙がモクモク
狼煙のように立ち上って来るでア~リマセンカっ!
それを見て頭の中はまっ白。心臓はバクバク。
気を落ち着けて(気が小さいんですワタシ)HDを見ると

基板上のICチップが見事に炎上。熱で溶けちゃってま。

どどどどどどどど、ど~すんの?中のデータちゃん達とはもうお別れなの?
また、いちからシコシコ作り直すんですか?データを?
今までの苦労は一体何だったの?

某所に修理の可能性を聞いてみましたが
優し~く絶望的なお返事しか頂けず、
気分はすっかり朝から黄昏てしまい仕事をする気にもなれないのに
そういう日に限って面倒なトラブルが発生して
否応なしに振り回されてしまうんですわな。

神様の意地悪!イケズ!

などと言えるのも、何とかカントカこの危機を
無事?乗り越えることが出来たからなワケで、
この続きはまた後日♪

2006年8月1日火曜日

POINT OF NO RETURN

プノンペンに一旦帰っていたGFがサイゴンに戻って来て
また二人の生活が始まりました。
戻って来るなり大きい鍋を買うようGFに言われ、
どうやら今回は本格的に腰を落ち着ける様子。

昼間一人きりなので時間を持て余すんじゃないかと心配でしたが、
洗濯したり、掃除したり、昼食、夕食の支度をしたり+TVを見たりと、
時間を潰すのには事欠かない様子でまずは安心。
幸い職場と自宅が近いので、最近毎日自宅で昼食を摂ってます。

正直、今まで食事の時間は苦痛だったんですよねぇ。
その都度何を食べようか考えるだけでも面倒クサくて・・・
で、その苦痛から開放されただけでも、シ・ア・ワ・セ♪
仕事帰りには、水が無いだのガスが切れただのお使いも頼まれてます。
ただ、先のことを考えると不安が・・・


サイゴンに住んでいながらベトナム人の女性でなく
カンボジア人(国籍)の女性と暮らしているワケで、
それならこの先もあえてサイゴンで生活するメリットあんの?とか。

でも、ベトナム、とりわけサイゴンは好きなんですよネ。
みんな良くしてくれるし、波長?が合うんでしょうかネ?
住んでいて苦痛を感じることは全く無いし♪

ベトナム人への苦情は同邦からいろいろ聞かされますが
私、あまり気にならないんです。ハイ。
(彼らの苦情にしても、愛情の裏返しと理解しています。ハイ)

鈍感なんですかね?
それとも既にベトナムに染まってしまったんですかね?
でもそれならそれでもイイっす。
日本に住んでた時に持ってた価値観というものがいかに偏狭だったか
海外に在住するようになって遅まきながら自覚できましたから。

人間が幸福に生きる上で最低限必要なものは何なのか?
先進国からは発展途上国と言われるベトナムですが
そもそも一体何に向かっての発展なのか?
ひとつの国、ひとつの民族が発展するといことは
ただ経済的に豊かになることだけを指すのか?
・・・いろいろと考えさせられます。

突然ですが、最近コスプレが洋の東西を問わずウケていますが、
このコスプレと、村上春樹の著書が海外でも人気がある
ということが私には何処かでリンクしているようにも思えます。

全く関係の無い独立した現象の様に見えますが、
現在および未来に対するモヤモヤした不安のはけ口(回避行動)とか、
不安定な精神状態の理解者を求る潜在的な心理の、
方向性は違えども表現欲求としては同一。
と、いうのは考えすぎでしょうかネ?

で、身近な話に戻るのですが、最近友人(日本人)と話していて、
彼も結婚適齢期(チョット遅め)なのですが
失敗をしたらやり直しが利かない(難しい)年齢なので
将来苦労しない為にも嫁さんは慎重に選びたい。と・・・。
(彼の目には私のしていることは無謀な行為に映るようで・・・)

この言葉、いわば「POINT OF NO RETURN」
最近ズ~~~っと心のどこかに引っ掛かっていて、
大きな目で見れば、実はこの世界全体が

「POINT OF NO RETURN」

に向かって日々進んでいるんじゃないの?と・・・

そのサインは日常のニュースの中にいくらでも転がっています。
インターネット上の情報などに頼らなくても
ニュートラルな心をもってすれば
いくらでもサインを読み取ることは出来るハズです。
在りのままに物事を見るのは、

一番簡単なようで一番ムズかしい。

ところで一言言っておきたいことがあるのですが・・・

「田苦き」は止めておけ。「田苦き」は・・・

でわまた。

2006年7月25日火曜日

どうもアリゲーター

Saigon滞在中のGFの相手もロクに出来ず、
せめてもと、いつもならダラダラと残業するところを
毎日終業時間が来るとソソクサと仕事を切り上げ
ベンタイン市場横の屋台に食事に行ったり、
チョロンの中華飯店に行ったり、
夜の動物園に散歩に行ったりと、けっこう気を使いました。

(このままずっと居るのか?)

と思われたGFでしたが木曜日にプノンペンのオバサン?から電話があり、
急遽、金曜日にプノンペンに戻ることになって
木曜の夜は彼女が手料理をご馳走してくれました。
(ほとんどは買出しの惣菜だったんですケドね。)

で、胡坐をかいてGFと差し向かいで食事をしながら、

(そういえば片岡義男の短編で「差し向かいのラブソング」とかあったなぁ)

「スローなブギにしてくれ」で片岡義男を知った時期が
丁度バイクを乗り回し始めた頃にも重なり、
かつ、片岡義男の小説の中にもバイクが出てくる場面が数多く、
小説に登場する様なカッコイイ男になりたいものだと夢見る無邪気な年頃でありました。

バイクに乗れば何処でも自分の好きなところに行ける。
あの頃から放浪癖(行き当たりばったり?)が

徐々に芽生えつつあったのでしょうなぁ。
それが尾を引いて今ではベトナムはサイゴンに・・・。

ただし、自分探しの旅」をしてココに来たワケではありません。
「自分」はいつだって確かに「ここに居る」のです。
ここに居る「自分」が自ら進んで「旅」を選んで来たのです。
だから今「自分」がここに居ること、
Saigonで暮らしていることに何の迷いもありませんし、
Saigonでの生活にも概ね満足しています。

経済的には十分な収入(対駐在員比)とは言えませんが、
困った時には快く借金させてくれる邦人の友もいるし、
本当にお金が無い時にメシを奢ってくれるベトナム人もいるし、
結構まわりの人間には良くして貰っているかも?

(金が無くても結構生きていけるのか?)

などと思う今日この頃。
最近めっきり会う機会も少なくなってしまったのですが
古くからの浪人仲間もそれぞれ健在のようで、
何だかんだ言ってシッカリこの地に根を張ってます。

出会ったばかりの頃は本当にイロイロな事を話し合いました。
みんな不安定な生活の中でも志を持ち、
酒を飲んでバカ話をし、

「よし、明日からもガンバロー!」

と・・・

あの頃の楽しい思い出があるからこそ、
志は違っても熱い想いを抱くRonin仲間がいるからこそ、
何とか今までSaigonで暮らして来れた気もします。
この場をお借りして・・・

「みなさん、どうもアリゲーター!」

(お粗末・・・orz)


でわまた。

2006年7月16日日曜日

時の過ぎ行くままに

GFが我が家に腰を落ち着けて早一週間。
こっちは仕事があるので昼間は相手が出来ません。
きっと退屈して早々にプノンペンに帰るだろうと思っていたら
案外、サイゴンの居心地がいい様でまだまだ居る気配。
何でも近所のフーティウのお店にチャービン出身の
クメール語が話せる同年代の女友達を見つけたらしいっス。

GFがサイゴンに着いてから実家に送り迎えするのに2回、
日帰りでソクチャンに行ってきましたが一口にソクチャンと言っても
海に近いビンチャウというド田舎で、東京-名古屋間を
高速道路を使わず日帰りするのと同じ。
正直、車に乗っているだけでも疲れます。
(ドライバーはもっと疲れますが)

それでも、ビンチャウに青々と広がる水田の風景には
メコンに居るんだという事をしみじみ実感させられました。
が、豊かな自然に恵まれているとはいえ、

自然というものは、裏を返せば人間の力ではどうにもなりません。
アメリカの様な最先端の科学技術を持った国でさえも、
一旦ハリケーンに見舞われると都市が壊滅的な打撃を受けてしまいます。

のどかな水田の風景に見とれるなんざ、旅人の一時の感傷に過ぎません。
人間は未だに自然をコントロールできない。
だからこそ自然のバランスを崩すような事を慎まなければ
先ず、食料に窮するのは誰が考えても明らか。
メコンがいつまでも豊かな穀倉地帯であり続けて欲しいと・・・

で、GFの実家。広がる水田の中の小島の様な集落にあり、
家までは細い畦道を行くしかなくて、当然車なんて通れません。
彼女を実家に送り届けた時は無知だった事もあり
無謀にもギリギリまで実家に車で近づいたのですが、
迎えに行った時はサスガにビビッテしまい
少し離れた幹線道路(省道)に車を待たせて
そこから歩いて家へと向かいました。

畦道の先のGFの実家の垣根の前に彼女と家族の姿が見えると
彼女もこっちの姿に気付いて畦道をこっちに向かって来ました。
ちょうど畦道の真ん中あたりで対面し、
そのまま招かれて家の中で親族?一同にもご挨拶。

(ナンデコンナトコロニイルンダロウ?)

思えば不思議。

ホンの成り行き、些細な行きがかりのハズだったのに、
時の流れるままに自分でも想像しなかった方向に
事がドンドン進んで行く。

(コレッテ、イワユル「運命」?)

などと考えなら、「運命」ならそれはそれで受け入れるのも
また自然に沿った生き方の様な気がして・・・
それに、全く想像していなかったのかと自問すれば、
こうなる事はある程度覚悟の上だった気もするし。

ナンか人間の浅はかな考えを超越した、
本来の人間の在り方が存在するような気もするのデス。
それ(サイン)を受け取るか見逃すかは
それぞれの人の生き方、考え方次第なワケですが、
最近のイロイロなニュースを見るにつけ、
世の中何かが歪んでいるんだろうケド
誰もその事に気が付かないか、
きっと見て見ぬフリをして毎日生活しているのだろうなぁ。

(それが大人?って事なのでしょうか?)

2006年7月6日木曜日

OH!MY ダーリン!

なにしろ6月は慌しかった。もう、頭の中がパニック状態。
とは言っても、やることやらないとスケジュールは待った無し。
マジで体がふたつ欲しかったス。

(パーマンみたいにコピーロボットがあればなぁ~・・・)

などと無意味なことを夢見つつ
何とか6月をアップアップで乗り切り一息つく間もなく、
プノンペンのGFをサイゴンに連れて来るために
忙しい中を無理言って日曜日を入れて4連休取っちゃいました。
ベトナム人スタッフに、

「この忙しいときに休むんですかっ?」

と、非難を浴びつつ・・・

「いつも遊ぶことばかり考えているんですか?」

と、追い討ちをかけるキツ~イ一言。
(ン~、その言葉、キミ達には言われたくないゾ~。)

もうね、逃げるようにサイゴンを後にしましたよ。
プノンペンのGFは既にパスポートを取得済みなので

GFがベトナムマルチVISAを取得するのを手助けして、
サイゴンの我が家に無事に連れ帰るのが今回の予定。

何はともあれ、GFと一緒にモクバイの国境を抜けた時は感無量。
(やっとここまで漕ぎつけたか・・・)と。

つづく・・・


・・・ところでワールドカップ。
戦いすんで日が暮れて、代表メンバーは
それぞれ胸に去来する想いを抱いている事でしょうが
戦い終えた者に、戦わざる者はかける言葉を持ち得ません。


中田英寿 現役引退を表明 “新たな自分”探しの旅にと
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060704-00000000-maip-spo

(前略)

 ◇中田英選手のホームページから

 “人生とは旅であり、旅とは人生である”  
2006・7・3~1985年12月1日-2006年6月22日~ 

 俺(おれ)が「サッカー」という旅に出てからおよそ20年の月日が経った。8歳の冬、寒空のもと山梨のとある小学校の校庭の片隅からその旅は始まった。 あの頃(ころ)はボールを蹴ることに夢中になり、必死でゴールを決めることだけを目指した。そして、ひたすらゲームを楽しんだ。サッカーボールは常に傍(かたわ)らにあった。 

(中略)

 プロになって以来、サッカー、好きですか?」と問われても「好きだよ」とは素直に言えない自分がいた。責任を負って戦うことの尊さに、大きな感動を覚えながらも子供のころに持っていたボールに対する瑞々(みずみず)しい感情は失われていった。

 けれど、プロとして最後のゲームになった6月22日のブラジル戦の後、サッカーを愛して止まない自分が確かにいることが分かった。自分でも予想していなかったほどに、心の底からこみ上げてきた大きな感情。

 それは、傷つけないようにと胸の奥に押し込めてきたサッカーへの思い。厚い壁を築くようにして守ってきた気持ちだった。

 これまでは、周りのいろんな状況からそれを守る為、ある時はまるで感情が無いかのように無機的に、またある時には敢えて無愛想に振る舞った。しかし最後の最後、俺の心に存在した壁は崩れすべてが一気に溢(あふ)れ出した。

 ブラジル戦の後、最後の芝生の感触を心に刻みつつ込み上げてきた気持ちを落ち着かせたのだが、最後にスタンドのサポーターへ挨拶(あいさつ)をした時、もう一度その感情が噴き上がってきた。

(中略)

 ワールドカップがこのような結果に終わってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。俺がこれまでサッカーを通じてみんなに何を見せられたのか、何を感じさせられたのか、この大会の後にいろいろと考えた。正直、俺が少しでも何かを伝えることが出来たのか……ちょっと自信がなかった。

 けれどみんなからのmail(メール)をすべて読んで、俺が伝えたかった何か、日本代表に必要だと思った何か、それをたくさんの人が理解してくれたんだと知った。それが分かった今、プロになってからの俺の“姿勢”は間違っていなかったと自信を持って言える。 

(後略)


私とて、いい年こいてまだまだ旅の途中なワケで、
願わくば良き旅の道連れが得られん事を祈りつつ。

2006年6月19日月曜日

ジーコ監督の怒りが目に浮かぶ

やっぱり「サムライ」返上決定ですニャ。
なんですかぁ~?あのプレイは?
所詮、サッカーは日本人にとっては単なるスポーツ
娯楽のひとつでしかない事実が露呈した感アリ。

まず、クロアチアに比べて明らかに
ボールをキープすることの貪欲性に欠けてます。
パス回しにしてもワザワザ相手に進呈するような場面も多かったし・・・

(ヒョットしてボールが嫌いなのか?コノ人たちわ?)

と勘ぐりたくなるくらい。

大勝負の舞台ですからね。
ビビッてしまうのも分からないではありません。
が、そもそも、あんたら好きでサッカーやってるんじゃないの?
それとも自分の思い出作りの為のワールドカップなんですかい?
だとしたら、そんな輩の為に


「サムライ」

なんてキャッチコピーをつける
日本の安っぽいマスコミ連中の頭の中もソートーおめでたいやねぇ。

もう一度繰り返しますが、気安く「サムライ」名乗られちゃ
真の「サムライ」の方々が迷惑します。
少なくとも私はベトナム人に聞かれても

彼らが「サムライ」だなんて認められません。

「あぁ、あれはサムライの真似してるだけなんだよ。」

と私は答えることにしますので悪しからず。
私はサッカーについては素人なのでこれ以上は控えますが、

「サムライ」

を名乗るのだけは止めてくれと。
出来ればユニフォームの色もこの際変えちゃって下さい。
それであれば、あとはどうぞご自由にサッカーを楽しんで来て下さい。

ま、私が監督だったら茶パツは

「日本男児らしく黒髪にせい!」

と、その上で全員頭丸めさせて気合を入れ直させます。
そのぐらい気合を入れている姿勢を見せてくれてもイインジャナ~イ?

どうなんですかねぇ?日本代表の皆さん?

ジーコ監督!今後の試合も是非ご指導をよろしくお願いしますぅ~!

あ、そうそう・・・
前半、GKの川口に戻したボールがファンブルしてあわや自殺点という場面。
その直前にクロアチアのPKを見事にしのいで
調子に乗っていた川口にはいい薬になったことでしょう。

「試合が終わるまでは気を緩めるな!」

との幸運の女神からのサインのように見えました。私には。
して見ると、引き分けられた事自体が奇跡なのかも?

2006年6月18日日曜日

君死にたまふことなかれ

中国で目立つ邦人自殺
=04年10人、05年7人-本社圧力、抱える仕事の悩み


【北京17日時事】

 中国に滞在する日本人の自殺が2004、05の両年で増加傾向にあることが17日分かった。日本外交筋によると、04年に中国で死亡した邦人93人のうち自殺したのは10人で、海外で邦人が自殺する場所として毎年1位を続けていた米国を抜いた。05年の自殺者も7人に上った。

 日中関係筋は「中国での在留邦人急増も要因だが、仕事の悩みによる自殺が多い」と指摘。中国駐在員らに対する心のケアの必要性も浮上しそうだ。

 中国では、日系企業が多い上海やその周辺で邦人の自殺が多いのが特徴。04年の上海地域での自殺者は5人、05年も3人に達し、北京や広州より多かった。04年には上海総領事館員が女性問題で中国当局に付け込まれ、外交機密を漏らすよう強要されて自殺した。中国勤務の長い駐在員も、邦人の自殺要因として(1)仕事の悩み(2)女性問題-を挙げている。

 日系企業の動向に詳しい専門家は「中国に進出した日系企業は独資(100%外資)が多く、地元政府との税金や許認可などのトラブルを自分で解決する必要がある」と指摘。さらに、「中小の部品企業などの代表は1人で赴任するケースが多い上、もともと技術者出身でセールスが苦手。実績が上がらず、ストレスがたまる」と解説した。

 上海のコンサルタント会社幹部は「本社からの圧力で悩む駐在員が多い」と語っており、「中華人民共和国と『本社共和国』の2つの共和国に挟まれている」(日系企業)と悩む駐在員もいる。ビジネスチャンスを求めた本社の期待を背負って赴任したものの、中国独特の企業風土になじめないケースが多いのも現実だ。2000年に中国で死亡した邦人は57人だったが、自殺者はゼロで、自殺者は近年、増加傾向にある。ただ、上海では今年、これまでのところ邦人の自殺はゼロとなっている。
 
(時事通信) -6月18日7時1分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060617-00000098-jij-int



これなんか、まるで自分の事を言われているよう・・・↓

「中小の部品企業などの代表は1人で赴任するケースが多い上、もともと技術者出身でセールスが苦手。実績が上がらず、ストレスがたまる」
 

でも、私は死にません♪

最後に何が一番大切なのか自分で分かってるから。
何か?


「自分」

に決まってんでしょ!
みんなドンドン会社から逃げ出したらいいのに。

殺されるくらいなら・・・

きょう一日、私はベトナムで何とか生き延び、
きょう一日、日本では90人の社会的殺人(自殺)の犠牲者が発生している。
これでいいのか?


軍事的な戦争から経済的な戦争に形は変わっても、
戦争の犠牲者が出ていることに変わり無いのダ。
戦没者の方々のご冥福を心よりお祈りいたします。

と同時に、
一日も早く経済戦争における犠牲者数が減少することを切に望みます。

「国益」だとか「国家の品格」だとか大儀を掲げたところで
「国民」があってこその話。

「金儲け」よりも、経済後退を覚悟してでも「国民優先」の
政策に転換できなければ「日本」という国の未来は暗いような・・・




君死に賜ふ事なかれ


あぁ弟よ、君を泣く  君死に賜ふ事なかれ

末に生まれし君なれば  親の情けは勝りしも

親は刃(やいば)を握らせて  人を殺せとをしへ(教え)しや

人を殺して死ねよとて  二十四までを育てしや


堺の街の商人(あきびと)の  旧家を誇る主にて

親の名を継ぐ君なれば  君死に賜ふ事なかれ

旅順の城は亡ぶとも  亡びずとても何事ぞ

君は知らじな、商人(あきびと)の  家の掟に無かりけり


君死に賜ふ事なかれ、  すめらみこと(皇尊)は、戦ひに

おほみづからは出でまさね  形見に人の血を流し

獣の道に死ねよとは、  死ぬるを人の誉とは、

大御心の深ければ  もとよりいかで思(おぼ)されむ。


あぁ弟よ、戦ひに  君死に賜ふ事なかれ

過ぎにし秋を父君に  おくれ賜へる母君は、

嘆きの中に痛ましく  わが子を召され、家を守(も)り

安しときける大御代も  母のしら髪(が)は勝りぬる。


暖簾(のれん)の陰に伏して泣く  あえかに若き新妻を

君忘るるや、思へるや  十月(とつき)も添はで別れたる

少女(をとめ)心を思ひみよ  この世ひとりの君ならで

あぁまた誰を恃むべき  君死に賜ふ事なかれ。


与謝野晶子




追記↓


<リストラ反動>人手不足で辞められず 組合に相談増える


 「辞めたいが辞めさせてもらえない」といった従業員からの問い合わせが労働組合などの相談窓口に増えている。会社から「代わりを探してから辞めろ」と言われたり、「辞めたら損害賠償を請求する」などと脅された深刻なケースも多い。景気回復による人手不足やリストラで仕事が特定の人に集中している最近の労働環境が背景にあるようだ。【佐藤賢二郎、東海林智】

 NPO法人「労働相談センター」(東京都葛飾区)では、「解雇」や「賃金」に関する相談が01年をピークに減少、この数年は「辞められない」など「退職」に絡んだ相談が増えた。同種相談は昨年559件で、98年の5.5倍だ。プログラマーや看護師など専門知識を必要とする20代後半から30代の若者が多い。会社は、中小企業が大部分だという。

 システム開発会社で働く男性(29)は、3月末に退職を申し出たが「開発案件が終わる9月までは認めない。辞めるなら数百万円の損害を払え」と要求された。幹部から怒鳴られ、「転職先に仕事を放り出して辞めたと伝える」と言われ、辞められない状態が続く。

 老人ホームの運営担当だった男性(32)は、待遇への不満から昨年12月、2カ月後の退職を申し出ると「辞めるなら10人入居者を増やせ」と言われた。労働基準監督署に相談して辞めることができたという。

 また、スーパーなど流通系の労組幹部は「スーパーでは人手不足で職場が崩壊寸前の所もある。パートも仕事量が増えても賃金は上がらず、『辞めたい』と言う人が増えている」と話す。

 こうした状況について、「労働組合ネットワークユニオン東京」(同渋谷区)の古山亨書記長は「02年ごろから『働きすぎ』が深刻化し、このままでは死んでしまう』という相談が増えた。リストラ時代をこうして頑張った人たちが退職や転職を希望しても、会社側が『辞めさせない』という対応に出ている」と話している。

 
(毎日新聞) -6月14日 15時21分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060614-00000091-mai-soci


要らない時には首を切り、
人手が足りなくなったら奴隷のようにコキ使う。
私たち労働者は利益を生み出すための部品に過ぎないんでしょうか?

こんな状況じゃ労働に、
そして日々の生活に喜びを見出すなんて無理無理。
それがひいては少子化問題の要因の一因になっているのでは?

仕えるべき主君(会社)を見極めるのも大切かと、
Roninの身としては思うワケで・・・

2006年6月17日土曜日

NO WAY OUT

高円宮妃 W杯応援でドイツへ


 日本サッカー協会の名誉総裁を務める高円宮妃の久子さまは、日本代表のユニフォームにちなんだ鮮やかなブルーの洋服を来て成田空港に到着されました。そして、関係者の見送りを受けたあと、ドイツの国旗の色を使った人形を手に、午後1時すぎにドイツに向けて出発されました。
久子さまは、17日から9日間の日程でドイツを訪問し、イギリスに留学中の長女の承子さまと合流したあと、日本代表のキャンプ地のボンで選手たちを激励し、練習を視察されます。また、18日の日本とクロアチアの試合や22日のブラジルとの試合を観戦されます。

 久子さまは「日本代表は、この4年間、ジーコ監督のもとで、言葉では言い尽くせないほど多くのことを学んできました。選手たちには一丸となったプレーを期待しております」と述べられています。
 今回のドイツ訪問で、久子さまは、このほか、環境問題に取り組むドイツ最大のNGOとともに鳥類の保護区などを視察し、今月25日に帰国されることになっています。

6月17日 16時25分

こりゃ~、てえへんダ~!宮様が直々に「喝!」を入れに来るナンて・・・。
ダイジョウブなんでしょうか?
自称「サムライ」の皆さん?

ジーコがヒデがピッチで大激論
 


 日本代表は16日、ボン市内のスタジアムで紅白戦を行ったが、クロアチア戦に臨む布陣の4ー4ー2が攻守ともに機能せず、不安を残す内容となった。ハーフタイムには、緊急ミーティングを行う輪が何カ所にも出来上がった。
 
 紅白戦の前半を終えたときだった。ジーコ監督とMF中田英が激しくぶつかりあった。両手を使って、指示を出す指揮官に、中田英が反論する。約3分間、2人の口が止まることはない。結局、議論を終えた中田英は、首をひねった。
 
 サブ組に苦戦した。右サイドを何度も突かれ、クロスを上げられた。試合も、主に自陣で展開された。前半26分に、DF三都主からのセンタリングを、FW高原が頭で決めたが、見せ場はそれだけ。戦術のすり合わせは急務だった。
 
 後半になっても、改善されることはなかった。後半25分には、サブ組のFW玉田にボレーシュートを決められ、同点で紅白戦を終えた。勝たなければ、先が見えてこない第2戦。決戦の2日前、焦燥感は最高潮に達しているようだった。
 
(デイリースポーツ) -6月17日 11時1分更新
 
 
いまは只ただ、サムライ」らしい戦いっぷりを見せてくれることを
切に祈るのみっス。
 

2006年6月12日月曜日

おまけ

北方領土 露TVで四島返還論 専門家発言「対日同盟が国益」
2006年5月31日(水)03:28

【モスクワ=時事】

二十八日放映されたロシア国営「文化チャンネル」の討論番組で、日本はロシアの死活的なパートナーだ」として、北方四島の日本への返還を主張する意見が表明された。メディア統制の進むロシアで、政府方針に反する四島返還論が展開されたのは近年では異例。

 ロシアのアジア政策をめぐる学者らの討論で、ベテランの中国専門家、ワシリエフ高等経済研究所研究部長が語った。同部長は「日本は十年後にロシアにとって地政学的かつ戦略的に極めて重要な存在となる。小さな四島の領有にこだわらず、返還すべきだ。日本が同盟国となることがロシアの国益につながる」と力説した。日本との同盟によって中国の脅威を抑えることを狙った発言。

 番組では、保守派のコシキン戦略策定センター研究員が「四島周辺の漁獲量は年間十五億ドル(約千六百五十億円)。世論調査では82%が四島返還に反対している」などと反論した。ワシリエフ部長は放映後、時事通信に対し、強力な大国になりつつある中国との関係強化には毒があるが、日本との関係強化は無害だ。今は少数派でも、やがて賛成論が増えると思う」と話した。

http://news.goo.ne.jp/news/sankei/kokusai/20060531/m20060531011.html


↑コレがあって、

コレなんだろうな・・・↓


胡錦濤主席の訪日意向、安倍官房長官が「歓迎」

 安倍官房長官は12日午前の記者会見で、中国の胡錦濤国家主席が、条件が整えば訪日したいとの意向を示したことについて、日中関係重視の発言として基本的に前向きに受け止めている。日本側は常に扉を開いており、胡主席(の来日)を歓迎したい」と述べた。

 条件に首相の靖国神社参拝中止が含まれるかどうかについては、「主席から言及はなかったと承知している」と述べるにとどめた。

(読売新聞) -6月12日13時54分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060612-00000104-yom-pol


私たちはどちらをより良いパートナーとすべきなんでしょうかね?

2006年6月11日日曜日

サムライねぇ・・・

サムライねぇ・・・

真剣勝負なのよねぇ・・・

チャンバラごっこで「サムライ」気取ってもねぇ・・・

あとは一刻も早く「サムライ」の看板を降ろして欲しいものですにゃ。

これ以上、「サムライ」の名に対して恥の上塗りをしない様に。

まだ、僅かに残っているであろう真の「サムライ」の方々に失礼っす!

気安く名乗れるものじゃないのよ。「サムライ」って。

ソレが嫌なら

「サムライ」らしい戦いをせい!

と、「サムライ」になり損ねたRoninの身としては思うワケで・・・

2006年6月10日土曜日

泣きの竜 その二

木曜の朝、自宅で仕事に出かける身支度をしていたらスタッフからの電話。

「きょう仕事に遅れます。」

「何で~!?」

「昨日の夕方、○edexから連絡がありました。」

「今度はナニ?(チョイ、オォ~イ。もぉカンベンしてくれ~い!)」

「ダイジョウブです。私一人で行って来ます。」

物凄~く不安(何がどうダイジョウブなんだろう?)。でもしょうがないっス。スタッフが戻って来るのを待つしかありません。で、10時頃にスタッフが戻ってきて曰く、

「書類の記入を間違えたので書き直さなければなりません。書き直したらまた行きます。」

(頼むよ~、こっちはベトナムの税関書類なんてチンプンカンプンなんだから~・・・)

書類を修正してからスタッフが出直して、戻ってきたのが昼少し前。戻って来るなり開口一番、

「税金を払わなければなりません。」

(ナニ~っ!あの書類は一体何の為だったんだ!キミは税関の回し者か?!

と、ブチ切れそうになるのをグッと堪え、

「分かった、分かった。とにかく、午後一番でもう一度一緒に行こう。」

午後一番で集配所に到着早々、スタッフが税関職員と何か懸命に交渉しているのですが、この職員がもぅ~、とにかく口が良くまわる職員で(しかも憎めない顔をしているし)、まるでカーニャックの幕間のコメディアンのやり取りを見ている様な思いでした。

で、ひとしきり漫談?をしていたウチのスタッフが振り向き様、

「彼は困っています。税金を払わないと彼の立場が困ります。」

(唖・・・然・・・)

「(・・・ハッ!)ちょっと待ていっ!困っているのはウチなんですケド!?」

「分かってます。でも税金の違いは大きくないですから払った方がイイです。」

「だから、金額の問題じゃないんだって!どっちが間違っているかの問題でしょ?」

「はい。彼も申し訳ないと言っています。でも税金は既に立て替えられて、国家銀行に入ってますから。」

「エェ~!?(絶句)」

「一旦、国家銀行に入ったお金を税金を引き出すことはとても難しいのデス。」

「何で勝手にそんな真似するワケ?」

「だって、郵便局ですら先に連絡があって、受取人の同意があってから税金の請求するでしょ?」

「彼も済まないと言っています。でも先週は上司が忙しかったのでしょうがなかったそうです。」

「だからこの次は協力すると言ってマス。」

(ベトナムにこの次があった例は無いんだYo!・・・脱力・・・)

「もぅ、分かったよ・・・。彼に言ってよ。心配しなくてもイイですと・・・。」

(あの漫談のような百面相は、ウチのウブなスタッフを泣き落としてやがったのか~!)

スタッフが私の意を税関職員に伝えると彼は満身で感謝のを表し、握手を求めて来て何か言ってたのですが、コメディアンの様な顔をした税関職員と握手をしながら私の頭の中は・・・


(何でそうなるの?) by 萩本欽一


スタッフも煩わしい仕事から解放されたのが嬉しかったのでしょう、

「彼は、次回は私たちを助けてくれると言ってマス♪(メデタシ、メデタシ。)」

(フッ・・・。キミもオメデタイねぇ。この次なんて、ベトナムにはネェ~んだYo~!

でもまぁ、少なくとも最後までウチの正当性は貫き通せたワケで・・・。それをせめてもの糧として自分を慰めますデス。はい。

ウチのベトナム人スタッフにはつまらない意地を張っている様に見えたようですが、これが私の生きる道なのさっ!(損してばっかりですが・・・)

にしても、税関職員が泣き落としで来るとわ・・・恐るべし。

2006年6月9日金曜日

泣きの竜 その一

まいど毎度、税関職員には泣かされ(笑わされ)ますデス。はい。火曜日の朝にFe○exから荷物が配達され料金を確認すると、明らかに書類上の税コードがチガ~ウ!!

荷物を運んできた兄ちゃんには税金の計算が間違っているから受け取らないと拒否し、集配事務所にソッコー電話をかけ、

「責任者を出せ!」

・・・と。

「とにかく荷物が集配所に戻ってきたら確認しますので、後で電話をかけ直して下さい。」

との返事で、連絡を受けてFed○xの集配所に乗り込んだのがその日の午後4時半。電話を受けたF○dexのスタッフに

「一体どういうことなんだ?」

とネジ込むと、

「コレコレこうゆワケですから。」

と説明してくれたのですが、勿論、ベトナムのTAXガイドブックには一行たりともそんな事は書いてありまっせん!

そりゃ~、あんたのコジツケだろぉ~。・・・と、TAXガイドブックを根拠に問い詰めると

「今日はもう終業時間だから、明日の朝、税関職員と直談判してくれェ~。」

・・・と。M・むぅ・・・。今日は時間切れで逃げられたが、明日は首を洗って待ってろよ。で翌日、水曜の朝9時。今度は税関職員相手に仕切りなおし。


第一ラウンド。(カーン!)


「これオカシイんじゃないんですか?」

「輸入品には輸入税がかかるのは当然です。」

「しかしサンプル品には輸入税がかからないとココ(TAXガイドブック)に書いてあります。」

「品物がベトナム国内で売買されずに、再輸出されると証明できますか?」

「当然!ここに使用目的の証明書があります。」

「・・・確かに。でも、一度作成した書類を変更するのは難しいのです。」

「そうは言っても、このままではこちらもベトナムの法律に触れてしまいます。」

「じゃあ、書類を修正するための書類を作成してください。」

「そういうことなら喜んで協力します。」


(カーン!) 第一ラウンド終了。


税関職員に詰め寄った後でFede○の職員から必要な書類を受け取り、事務所に戻って必要事項をウチのスタッフが書き込んで、午後3時頃、再度出直しました。第二ラウンドは税関職員ではなく、○edexの職員との交渉。


第二ラウンド。(カーン!)


「書類を用意してきました。」

「ちょっと待って下さい・・・。分かりましたが、取り合えず税金を払って下さい。」

「ナニィ~。それじゃ、納税超過分を後で還付する証明書でも出して貰えるんですか?」

「それはありません。まぁ、この書類がそれを証明してくれます。」

「(M・むぅ・・・。イマイチ信じ難いが・・・。)分かりました。じゃ、荷物を引き取らせて下さい。」

「荷物を渡すのは明日になりますが、先ずは税金を払って下さい。」

チョイ、オ~イ。品物が受け取れないのに金は払えまっせん!」

「じゃあ、明日の朝、引き取りに来て下さい。」

(トホホ・・・)


(カーン!) 第二ラウンド終了。


まぁ、しかしながらこちら側の言い分は受け入れられたものと理解し、今回のトラブルは99%解決済みとタカをくくっていたのですが、この後、あぁ~、とんでもない大ドンデン返しが待っていようとは・・・