2008年10月31日金曜日

「バカの壁」再読 第四夜

「バカの壁」 第八章 一元論を超えてより

<抜粋>

虚の経済を切り捨てよ

 ヨーロッパが始めたユーロというのは、いろいろな違った社会体制、国の中で、同じ単位の金を使うということです。ユーロの目指すところは、実は世界統一通貨だと思われます。では、その世界統一通貨の基準は何か。まさか、江戸時代のように米だというわけにはいかない。世界に共通する基準というのは、エネルギー単位以外ないのではないか。これが実の経済の考え方です。

 一方、だれが金を使う権利があるか、その虚のほうの経済、これは本質的に突き詰めて考えていくと意味が無くなってくる。つまり、情報と絡んでいて、正しい金の使い方というものが決まってくれば、だれが持っていようと大して変わりがないないのです。この二つの経済は、区別されていません。が、実はきちんと分けていかなければいけない。経済学者がどう言うかは知りません。しかし、実の経済と虚の経済を区別しないと、よくわからないうちに、お金は動いてますよと言われ、ああそうかと騙されているうちにエネルギーはどんどん消費され、そのうちに地球環境が破壊されていく

 乱暴に言えば、こんなことを心配しても手出しは出来ないのだから、とりあえず人間の脳から出る欲が、外的要因によって否応無く制限されるまで待つしかないのかもしれません。しかし、それをやっているうちに取り返しのつかないことが起こる可能性が高い。その代表例が環境破壊です。それを防ぐには、実の経済に根を下ろさなくてはいけないのではないか。虚の経済とは切り離してしまう。実の経済はきちんと動いているから、金の取り合いはおまえら自由にやってくれ、といいたいところです。

 ところが実際には、無駄にお金を回し続けないと経済は成り立たない、という思い込みが世界の常識になっている。実の経済と虚の経済があるということは常識になっていない。つまり、八つぁんと熊さんの間で金が回っている、金が回っているのが良い状態だ、と。

 しかし、実はそうではないはずなのです。実態が見えない状態で、欲のままにお金だけ回していけば、「経済は好調だ」とか何とか言っているうちに、いつの間にか目の前の酒樽は空っぽ、ということになってしまう。

</抜粋>


チョット前に、「イザナギ景気」を超えたとか
TVの経済ニュースなどで盛んに報道されていましたが、
じっさい、その恩恵を実感した人は
ほとんどいなかったのではないでしょうか?
これこそが、虚の経済と実の経済のギャップですか?
ナルホドwww!よく分かりましたwww!


でわっ!

2008年10月30日木曜日

「バカの壁」再読 第三夜

「バカの壁」 第八章 一元論を超えてより

<抜粋>

実の経済

 もう一つ、昔からあるのが実の経済。これは明らかに、例えば、実際に物資が動いたりするのにコストがかかって、そのコストの対価として払われている金がある。ところが、実体経済に一番大きながあるのはどこかというと、金というのは、政府が自在に印刷できる点です。要するに兌換券ではなくなったために、現物との関係が今、切れている。そのため、完全に信用経済になっている。

 『貨幣論』(筑摩書房)のなかで岩井克人氏は、「『貨幣とは貨幣として使われるものである』というよりほかにない」と書いています。金には何らかの価値の根拠があるわけではない。その金が何で通用するかというと、私が使った一万円を貰った相手が同じ一万円として使えるという思い込み、でしかない、ということです。次に、その一万円を受け取った人が相変わらず一万円として使えると思っているという、「と思っている構造」の中で通用している。これは実は裏付けがない。だから、別な言い方をすれば、紙幣の発行には限度がない。「と思っている構造」が成立する以上は幾ら刷ってもいい。

 こういう状況で、考えておかなくてはならないのは、日本政府なり、世界中なりが、経済統計のみを問題にしているということです。経済統計というのもは非常に不健康な部分を持っている。なぜなら現在のように紙幣が自由に印刷できるという状況だと、統計そのものが「花見酒経済」になっているからです。

 樽が真ん中にあって、八つぁんと担いでいて、八つぁんが熊さんに十文渡して一杯飲む。次には熊さんが八つぁんに十文渡して飲む。そうすると、樽酒はどんどん減っていく。この八つぁんと熊さんの金のやりとりは、実は経済統計を極めて単純化したものです。経済はちゃんと動いている。にもかかわず、ひたすら目の前の酒が減っている。これを経済的な発展と捉えていいのか。

 仮に兌換券という考え方が正しいとすれば、最終的な兌換券の根拠となるのは何か。それはエネルギーになるのではないか。例えば、一定量の石油に対して一ドルというふうにドルを設定すると、それが恐らくは最も合理的な兌換券なのです。

 石油の絶対量に比例していますから、石油が切れたらアウトだということはわかっている。石油だけじゃなくて、原発一基当たりでも何でもいい

 要するに都市生活、つまり経済というものは、エネルギーがない限り成り立たない。これは大前提です。すると、一エネルギー単位が実は一基本貨幣単位だというのは、実体経済のモデルとして考えられるのではないか。

<抜粋>


ま、ワタシも都市生活者のひとりなワケで・・・

でわっ!

2008年10月26日日曜日

「バカの壁」再読 第二夜

「バカの壁」 第八章 一元論を超えてより

<抜粋>

経済の欲

 よく似た現象が、経済の世界にも存在しています。百万円がないと首をくくった人もいれば、何億円も一瞬で稼いで、ドブに捨てるみたいに使っているやつもいる。金額の大きい方は、お金を触ってすらいない。武器でいえばミサイルとか原爆と同様の世界になっている。欲望が制御されないと、どんどん身体から離れたものになっていく。根底にあるのは、その方向に進むものには、ブレーキがかかっていない、ということです。

 金というと、何か現実的なものの代表という風に思われがちですが、そうではない。金は現実ではない

 金は、都市同様、脳が生み出したものの代表であり、また脳の働きそのものに非常に似ている。脳の場合、刺激が目から入っても耳から入っても、腹から入っても、足から入っても、全部、単一の電気信号に変換する性質を持っている。神経細胞が興奮するということは、単位時間にどれぐらいのインパルスを出すか、単位時間にどれだけ興奮するかということです。

 これはまさに金も同じです。目から入っても耳から入っても、一円は一円、百円は百円と、単一の電気信号に翻訳されて互いに交換されていく、ある形を得たものです。これは、目で見ようが耳で聞こうが同じ言葉になるのと同じで、どのようにして金を稼ごうが同じ金なのです。金の世界というのは、まさに脳の世界です。

 ある意味で、金ぐらい脳に入る情報の性質を外に出して具体化したものはない。金のフローとは、脳内で神経細胞の刺激が流れているのと同じことです。それを「経済」と呼称しているに過ぎない。この流れをどれだけ効率よくしようか、ということは、脳がいつも考えていることです。経済の場合にはコストを安くしてやろうという動きになる。

 かつては、金を貯めて大きな家を作りたい、車を買いたいと、金と実物が結びついていた。もちろん、今でもそういうことはあるにせよ、どんどん現実から遊離していって、今は信号のやりとりだけになっている。

 結果として、経済の世界には、実体経済に加えて、ほかの言葉がないのですが「虚の経済」とでもいうべきものが存在している。虚の経済は何かというと、金を使う権利だけが移動しているということです。

 ビル・ゲイツが何百億ドルかを持っているということは、彼が何百億ドルかを使う権利を持っているということに過ぎない。その権利が他人に動いたって、第三者から見れば別に痛くも痒くもない。

 それが個人に集まろうが、集まるまいが、実は、大勢から見れば大して変わりが無い。その権利のやりとりという面が非常に大きく扱われてしまう。それが虚の経済です。

 お互いに話し合って、「おまえ、そんなに金を持っていたって使いようがないだろう。おれのほうは要るんだから、ちょっと回せ」という話し合いがつけば、それだっていい。それは虚の経済と考えられる。

</抜粋>


カミさんが「早く寝ろ!」とうるさいので、このへんで・・・



でわっ!

2008年10月24日金曜日

「バカの壁」再読 第一夜

本を読んで、いっときは分かった気になるものですが、
この、「分かった」という自己了解は、
養老センセイ風に言うなら、「脳の一時的な興奮」
程度のモノなんですかネエwww?

読めば読むほど、何と言うか、「滲みてくる」んですよ。
「バカの壁」。

一時的な刺激としての「知識」ではなく、
脳の中で、「思考」として自分のものにする為には、
本は何度も繰り返し読まないとダメなのかも・・・

でもって、繰り返し読んでもそのつど得るものがある本が
いわゆる「いい本」なんだろうなwww

その意味で「バカの壁」、ワタシにとっては「いい本」ですぅ!























バカの壁 (新潮新書) (新書)
養老 孟司 (著)


「バカの壁」 第八章 一元論を超えてより

<抜粋>

欲望としての兵器

 欲にはいろいろ種類がある。例えば、食欲とか性欲というものは、いったん満たされれば、とりあえず消えてしまう。これは動物だって持っている欲です。ところが、人間の脳が大きくなり、偉くなったものだから、ある種の欲は際限がないものになった。

 金についての欲がその典型です。キリがない。要するに、そういう欲には本能的なというか、遺伝子的な制御がついていない。すると、この種の欲には、無理にでも何か制御をつけなくてはいけないのかもしれない。

 近代の戦争は、ある意味で欲望が暴走した状態です。それは原因の点で、金銭欲とか権力への欲望が顕在化したものだから、ということだけではない。手段の点において、欲が暴走した状態である。

 なぜなら、戦争というものは、自分は一切、相手が死ぬのを見ないで殺すことができるという方法をどんどん作っていく方向で「進化」している。ミサイルは典型的にそういう兵器です。破壊された状況をわざわざ見にいくミサイルの射手はいないでしょう。自分が押したボタンの結果がどれだけの出来事を引き起こしたかということを見ないで済む。死体を見なくてもよい。

 原爆にいたってはその典型です。「おまえがやったことだよ」とその場所を、爆破後一日たって見せてあげたら、普通はどんなパイロットだって爆弾を落としたがらなくなるでしょう。何せ何万、何十万という被害者が目の前に転がっているのですから。

 その結果に直面することを恐れるから、どんどん兵器を間接化する。別の言い方をすれば、身体からどんどん離れていくものにする。武器の進化というものは、その方向に進んでいる。ナイフで殺し合いをしている間は、まさに抑止力が直接、働いていた。目の前にいる敵を刺せば、その感触は手に伝わり、血しぶきが己の手にかかり、敵は目の前で倒れていく。

 異常者でもなければ、それに快感を感じることはない。だからこそ、武器は出来るだけ身体から離していきたい。その欲望を実現していき、結果として、武器による被害の規模はおおきくなっていくばかりです。

</抜粋>


一人一人が自分自身と向き合わなければ、
これからの時代、様々な問題に対処できないような気がするんですわ。


でわっ!

2008年10月21日火曜日

ナルホドねwww

<記事借用1>

株式日記と経済展望より

世界金融危機の直撃を免れたカナダ 大紀元日本 10月19日

</記事借用1>


そこで次に「AMERO」の出番なワケですね。


<記事借用2>

浅川嘉富の世界より

アメリカの陰謀

</記事借用2>


であるならばだ・・・ドルの崩壊という芝居はだ・・・
既に、全部シナリオが出来上がっている。と?

世界経済が持ち直すの、持ち直さないのなんて、

全て茶番である!

と?

イチバン可哀想なのはアメリカ市民なんでしょう。
トンデモナイ人間大統領になったバッカリに・・・

日本だって、いわんや、「世界中の善良な市民」にとっても、
指導者を選ぶときにはホント、気をつけないとタイヘンだわwww



でわっ!

2008年10月13日月曜日

人事ですけど・・・

<記事貼付>

タイ発ニュース速報

黄vs赤 タイ政府支持派が大規模集会
2008/10/13 (11:46)| トップニュース 政治

【タイ】反タクシン元首相派団体「民主主義のための市民同盟(PAD)」に対抗するためタクシン氏支持者が結成した団体「独裁追放民主主義同盟(UDD)」が 11日にバンコク近郊のイベント会場、12日にバンコク都内の王宮前広場で政治集会を開き、支持者1万人以上が集まった。14日まで王宮前広場で集会を継続する方針という。PAD支持者と衝突する可能性があり、政治混乱の火種がまた一つ増えた格好だ。

 UDDはタイ国旗で国民、国家を表す「赤」がイメージカラーで、集会場は赤シャツ姿で埋め尽くされた。演壇にはナタウット首相府報道官、不敬罪容疑で5月に辞任したジャクラポップ前首相府相(41)らが登場。ジャクラポップ氏は「料理番組に出演した首相(サマック前首相)が解任され、首相府を襲撃・占拠したPADがわがもの顔で歩き回っている」と現状を批判し、「正しい情報が伝わればPADへの支持は失われるはず」と主張した。

 ジャクラポップ氏はタクシン政権(2001―2006年)で首相府報道官などを務め、2006年9月のクーデターで政権が崩壊した後、プミポン国王側近のプレム枢密院議長(元首相、88)をクーデターの黒幕として糾弾。2007年7月、反クーデター派数百人を率いて議長宅前で警官隊と衝突し、逮捕・拘留された。同年末の下院総選挙を受け発足したタクシン派サマック政権で入閣したが、クーデターへの国王の関与を示唆する発言などで不敬罪に問われ、辞任に追い込まれた。

 UDDはPAD批判のほか、タイで初めて国民参加型で作られた1997年憲法の復活を要求している。同憲法は下院を比例代表・小選挙区併用に、それまで任命制だった上院を公選制に変更するなど、二大政党制の実現と民主主義の拡大を目指したが、2006年の軍事クーデターで破棄された。

 一方、PADは大手タイ字経済紙プージャッカーン創業者のソンティ氏が2005年に設立。2006年春に数万人規模の街頭デモをバンコクで連続開催、政治機能を麻ひさせ、2006年9月の軍事クーデターを呼び込んだ。2007年末の総選挙でタクシン派が政権に返り咲いたため、今年に入り反政府運動を再開。プレム議長の誕生日にあたる8月26日に2万人規模の同時多発デモを実施し、バンコクの首相府や国営テレビ局、南部プーケット空港などを襲撃、占拠した。

 政治的には下院議席の7割を任命制、3割を公選制にする構想を打ち出すなど民主主義に否定的で、民選政権打倒のクーデターを軍に呼びかけている。タクシン派=不敬、汚職という図式を一般に広め、支持者の多くはプミポン国王の誕生日の色である黄色のシャツを着用している。タイでは地上波テレビ全局で毎日夜8時前後に王室の活動に関するニュースが流れ、それ以外にも国王の業績を称える番組が数多い。小中学校での教育もあり、国民の多くは国王に対し宗教的な崇拝の念を抱いている。

 PAD幹部は一般の支持者と異なり、タクシン氏への私怨が根底にあるようだ。ソンティ氏はもともとタクシン氏の協力者だったが、2005年に態度を急変させた。経営破たんしたプージャッカーン・グループへのタクシン政権の支援に不満を抱き、反タクシン派の旧権力層と結びついたという見方がある。 PADのもう1人の指導者であるジャムロン元バンコク都知事(73)はプレム議長の首相時代の秘書。タクシン氏の政界入りを手引きしたが、タクシン政権発足後は事実上無視された。

 PADは5月の活動再開以来4カ月以上にわたり、1日数百―数千人のデモ参加者に食事や医薬品、散髪サービスなどを無料で提供している。専門の衛星テレビチャンネルを持ち、集会のもようを1日24時間、ケーブルテレビで放送するなど、資金は潤沢だ。PAD幹部は小口献金が財源と主張しているが、タクシン派の解体を目指す旧権力層や反タクシン派財閥が「パトロン」という見方が根強い。

</記事貼付>


ボチボチ何らかの動きがあるんですかね?
・・・にしてもまあ、

「黄VS赤」

とはね。これって、

「独裁主義VS共産主義」

もしくは、

「権力者VS庶民」

ていう構図でも暗示されているんでしょうか?
ま、人事ではあるんですけど、全てのタイ国民が
より良い暮らしが得られることを願ってます。

物乞いが免許制になったからといって
貧困が無くなるワケもなく、
地方の貧困層の子女が都市に出稼ぎに来て
ハッポン・タニヤなどの売春地帯で働くワケですが、
地元のタイ人は近づけないんですよね。
外国人御用達だから。
つまり、国営の赤線というワケで、

それって先進国っていえるの?

と、思うわけです。個人的に。

タクシンが受けたのも、地方にカネをバラ撒いたからですが、
いままで娘を身売りするしかなかった貧しい農家が、
それによって少しなりとも生活が救われたのだから、
そりゃw支持しますわな。タクシンを。
絵に描いた餅じゃ腹は膨れませんもの。

で、タイ国民が今後注意すべきなのが、
国民の対立を煽っておいて、タイを自分の都合のいいように
利用しようと画策する外部勢力が在り得るというコト。

同じアジアの一員としてのタイ国民の行く末、
何も出来ませんが、ベトナムにて日々気にかけております。

PS.イロイロありましょうが、カンボジアとも仲良くやって下さい。


でわっ!