2009年1月5日月曜日

半分、ドン・イー(同意) 2

おそまきながら・・・

あけまして、おめでとうございます。

ま、今年もダラダラと取り留めのないことを
気の向いたときにUPしていく所存デス。はい。

BLOGとわ、「WEB LOG」のことであり、
「LOG」とは「記録」のことですよね?
自分の想いなり、考えをWEB上に「記録」し公開する。
その「記録」を第三者がどう思おうと、どう利用しようと
どうぞご自由に。というのがワタシのBLOG観です。

いわば、WEBという道の上に無数に転がっている
「石ころ」でいいと思うんですわ。「BLOG」とわ。
ワタシなんぞは「石ころ」のひとつ。
それでいいと思うんですわ・・・

例えば人生において出会う様々な人たち・・・
些細な出会いもあれば、生き方を変えるような
強烈な個性を持った人との出会いもあることでしょう。
それでも、ワタシの人生の主役はワタシであって
出会った人たちはあくまでも「キッカケ」にすぎないように、
「BLOG」も多分そんなもんかなぁwww。と。

・・・で、昨年からの続きなのですが、

「半分、同意」ということについて考えてみるに
よく引用させていただく養老先生のお言葉を借りれば、

「あんたが100%、正しいと思ったって、寝ている間の自分の意見はそこに入っていないだろう。3分の1は違うかもしれないだろう。67%だよ。あんたの言っていることは、100%正しいと思っているでしょう。しかし人間、間違えるということを考慮に入れれば、自分が100%正しいと思っていたって50%は間違っている」
(バカの壁 P.194)

というわけで、他人の言うことは50%(半分)くらいに
受け止めておくのが正しい接し方なのかな?と・・・

ちなみに養老先生にしても、「一元論(原理主義)」を超え
多様な価値観の受容を唱えているワケですが、

人はなぜ「一元論」に陥ってしまうのか?

その辺のフォローがワタシには物足りないっス。

「知るということは根本的にはガンの告知だ」
(バカの壁 P.60)

ガンを告知されたことによって、旧い自分が死に
新しい自分に生まれ変わって世界がまったく別に見える。
でも、どう見えるかは人それぞれなんでしょうな。
生きる気力を失ってしまう人もいれば、
残りの人生を使い切ろうとするタフな人もいるでしょう。

であるならば、「ガンの告知」を受けても揺るがない
しっかりした精神力がない限り、「知る」という行為は
精神に変調をきたす(心を乱す)余計な行為でしかなく、
「真実」を伝えるということが良いとは限らないワケで
「ガンの告知」をしない家族がいるのも、また事実。

「心の変化」、「生活の変化」を嫌う「本能的な心理」
それこそが、「一元論(原理主義)」への落とし穴カモ?

すなわち、新しい時代、新しい社会、新しい世界を
渇望するのであれば、人の心も新しくならないと。ネ?
どんなに時代が変わろうと、人は「社会」という群れで
生活、行動していくしかないのだろうから・・・


でわっ!