2006年7月6日木曜日

OH!MY ダーリン!

なにしろ6月は慌しかった。もう、頭の中がパニック状態。
とは言っても、やることやらないとスケジュールは待った無し。
マジで体がふたつ欲しかったス。

(パーマンみたいにコピーロボットがあればなぁ~・・・)

などと無意味なことを夢見つつ
何とか6月をアップアップで乗り切り一息つく間もなく、
プノンペンのGFをサイゴンに連れて来るために
忙しい中を無理言って日曜日を入れて4連休取っちゃいました。
ベトナム人スタッフに、

「この忙しいときに休むんですかっ?」

と、非難を浴びつつ・・・

「いつも遊ぶことばかり考えているんですか?」

と、追い討ちをかけるキツ~イ一言。
(ン~、その言葉、キミ達には言われたくないゾ~。)

もうね、逃げるようにサイゴンを後にしましたよ。
プノンペンのGFは既にパスポートを取得済みなので

GFがベトナムマルチVISAを取得するのを手助けして、
サイゴンの我が家に無事に連れ帰るのが今回の予定。

何はともあれ、GFと一緒にモクバイの国境を抜けた時は感無量。
(やっとここまで漕ぎつけたか・・・)と。

つづく・・・


・・・ところでワールドカップ。
戦いすんで日が暮れて、代表メンバーは
それぞれ胸に去来する想いを抱いている事でしょうが
戦い終えた者に、戦わざる者はかける言葉を持ち得ません。


中田英寿 現役引退を表明 “新たな自分”探しの旅にと
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060704-00000000-maip-spo

(前略)

 ◇中田英選手のホームページから

 “人生とは旅であり、旅とは人生である”  
2006・7・3~1985年12月1日-2006年6月22日~ 

 俺(おれ)が「サッカー」という旅に出てからおよそ20年の月日が経った。8歳の冬、寒空のもと山梨のとある小学校の校庭の片隅からその旅は始まった。 あの頃(ころ)はボールを蹴ることに夢中になり、必死でゴールを決めることだけを目指した。そして、ひたすらゲームを楽しんだ。サッカーボールは常に傍(かたわ)らにあった。 

(中略)

 プロになって以来、サッカー、好きですか?」と問われても「好きだよ」とは素直に言えない自分がいた。責任を負って戦うことの尊さに、大きな感動を覚えながらも子供のころに持っていたボールに対する瑞々(みずみず)しい感情は失われていった。

 けれど、プロとして最後のゲームになった6月22日のブラジル戦の後、サッカーを愛して止まない自分が確かにいることが分かった。自分でも予想していなかったほどに、心の底からこみ上げてきた大きな感情。

 それは、傷つけないようにと胸の奥に押し込めてきたサッカーへの思い。厚い壁を築くようにして守ってきた気持ちだった。

 これまでは、周りのいろんな状況からそれを守る為、ある時はまるで感情が無いかのように無機的に、またある時には敢えて無愛想に振る舞った。しかし最後の最後、俺の心に存在した壁は崩れすべてが一気に溢(あふ)れ出した。

 ブラジル戦の後、最後の芝生の感触を心に刻みつつ込み上げてきた気持ちを落ち着かせたのだが、最後にスタンドのサポーターへ挨拶(あいさつ)をした時、もう一度その感情が噴き上がってきた。

(中略)

 ワールドカップがこのような結果に終わってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。俺がこれまでサッカーを通じてみんなに何を見せられたのか、何を感じさせられたのか、この大会の後にいろいろと考えた。正直、俺が少しでも何かを伝えることが出来たのか……ちょっと自信がなかった。

 けれどみんなからのmail(メール)をすべて読んで、俺が伝えたかった何か、日本代表に必要だと思った何か、それをたくさんの人が理解してくれたんだと知った。それが分かった今、プロになってからの俺の“姿勢”は間違っていなかったと自信を持って言える。 

(後略)


私とて、いい年こいてまだまだ旅の途中なワケで、
願わくば良き旅の道連れが得られん事を祈りつつ。