2007年1月31日水曜日

お恥ずかしい!

昨年(2006年)大晦日にダイヤモンドプラザで
映画「日本沈没」を観た感想の中で、

「あと、対策本部にナゼか徳川家の家紋が?・・・。何ででしょ?」

とホザいたワタシは、大タワケであったので恥ずかしながら訂正いたします。
そもそも、その家紋(紋章)とはコレw


   
日本国政府・内閣の紋章「五七の桐」

ということで、とんでもない勘違いでした。
というか無知・無学でお恥ずかしい!

恥かきついでに補足しますと、この紋章は本来皇室の紋章で、
中国では古来、桐の木には鳳凰がきて鳴くめでたい木とされました。
そして鳳凰は「聖天子誕生」と鳴いたそうです。
(「空耳アワ~」ですかい?)

それゆえ桐は天子のシンボルになり、この思想が日本に輸入されて
皇室の紋章として鎌倉時代の終わり頃までに定着したそうです。
また、皇室は特によく仕えた将軍家にも桐紋を下賜しています。
(足利氏も織田氏も豊臣氏もこの桐紋を賜っています。)
 


 


                
織田信長さん

と・こ・ろ・が、徳川家康が将軍になる際に、
 
「家に伝わる葵の紋があるゆえ」
 
と皇室が桐紋を下賜しようとしたのにそれを辞退したもんだから、
これに面目を失した皇室は以後「桐紋」を下賜しなくなりました。とさ。
(先に豊臣秀吉が皇室より「桐紋」を下賜していたのでこれを嫌ったらしいっス。)
 
それじゃ、わたしたちが慣れ親しんでいる(?)「菊の紋章」は?というと・・・
 
鎌倉時代には「桐紋」が皇室に定着していたのですが、
時の後鳥羽上皇が「菊」を好み、「菊」を自らの印とし、
その後、後深草天皇・亀山天皇・後宇多天皇が「菊」を印として継承し、
慣例のうちに「菊花紋(十六弁八重表菊紋)」が天皇・皇室の「紋」となったそうです。
  
で、江戸時代には徳川家紋章「三つ葉葵」は幕府に一般使用が禁止されたのですが、
なんと!「菊花紋」の使用は自由で、
各地で「菊花紋」をあしらった製品がつくられたそうです。
(江戸時代は「菊花紋」の敷居が低かったのですねぇ~・・・フムフム。)
   
-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-
  
錦の御旗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
太平洋戦争回避か
(キャッシュ)
(以下抜粋)
 
(前略)
 
明治維新の西郷、大久保、岩倉らが行った手法を踏襲する。つまり、彼らは親幕府派の孝明天皇に代え幼少の明治天皇を擁立し、また鳥羽伏見の戦いでは大村益次郎がかねて用意した偽物の錦の御旗を掲げて幕府軍の交戦意欲を萎えさせ、局面を逆転させた。そして、詔勅を乱発、官軍の立場を取得、維新の大業を完遂した。
 
(後略)
 
(以上)
 
-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+
 


           

「錦の御旗」菊花章官軍指揮旗
 
たぶん「菊花紋」を勝手に使用することに罪悪感なんて無かったんでしょうネ。
薩摩、長州藩は「錦の御旗」を、今風に言えば「捏造」して
天皇の詔勅を受けずに明治維新を始めちゃったワケですから。
(ま、結果オーライならいいんですけど・・・結果オーライなら・・・)
 

「桐紋」のいわれからすると「菊花紋」より「桐紋」の方が
皇室にふさわしいように思うのですが、実は!
皇室の古来の紋章は実は「日月紋」とよばれる紋章らしいです。
 
-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+
  
週刊少年タケシ皇室のきょうかしょ
http://www.fujitv.co.jp/takeshi/column/takedatsuneyasu/takedatsuneyasu12.html
 
(以下抜粋)
 
(前略)
 
元来皇室の御紋は、「日月」(じつげつ)でした。現在でも天皇が即位なさる際には 、「日の 丸」と「月」がそれぞれ錦の御旗(にしきのみはた)に掲げられます。太陽は天照大御神(あま てらすおおみかみ)、月は月読尊(つきよみのみこと)を表しています 。
 
(後略)
 
(以上)
 

-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+
 

しかしながら、明治維新政府は「錦の御旗」を掲げて事を成した以上、
「菊花紋」を明治天皇の紋章として正当化する必要があったのでしょう・・・

-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+
 
菊花紋章
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/菊花紋ç«
 

(以下抜粋)
 
(前略)
 
明治2年に明治政府によって天皇の紋章として十六弁八重表菊紋が、その他皇族の紋章として十四弁一重裏菊紋がそれぞれ定められ明治4年に皇族以外の菊花紋の使用が禁止されました。なお、現在は「菊花紋」を商標として登録は不可ですが使用は禁じられていません。
 
(後略)
 
(以上)
 
-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+
 

ついでながら、なぜパスポートの表紙の紋章が菊なのかというと、
明治時代にパスポートが「日本帝国海外旅券章」と呼ばれ
明治政府の印章であった「菊」の紋章をつけたのが始まりで、
大正時代に「大日本帝国外国旅券」となってからも「菊」の紋章を引き継ぎ、
それが昭和20年の終戦まで続き、
昭和26年に連合軍の占領状態から解放されて、
日本独自でパスポートの発行が出来るようになっても、ヤッパリ、
習慣的に「菊」の紋章を用いる事になりました。
(日本人てホント、慣例とか慣習とかに弱いよねぇ・・・)
 

なお、パスポートの表紙に用いられているのは「十六弁一重表菊紋」なので、
皇室の紋章と似てはいますが「別物」。
 
もとに戻りますが、肝心の日本政府の紋章がなぜ「五七の桐」なのかというと、
 

-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+
 
首相官邸ホームページ
FQA(お答えします)
http://www.kantei.go.jp/jp/q&a/2004/08/05_1.html
 
(以下抜粋)
 
桐花紋は政府において広く使われてきていますが、桐花紋がいつ頃から使われ始めたのか、また、その由来については定かではありませんが、従前から慣例により使われており、定着してきているものです。 なお、紋章について一般にいわれていることなどを記しますと、
 

(中略)
 

3.明治政府は、明治5年に大礼服(重大な公の儀式に着用した礼服)を定め(太政官布告「大礼服制」)、例えば勅任官(天皇が任命した官吏)は、その上着に「五七の桐」を用いることとされました。明治8年には、勲章の旭日章が制定され、デザインの一部に桐花紋が使われました。
 
(以上)
 

-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+
 

ということで、結論を言えば
「ナントナク」使っているらしいです。・・・orz
 
もひとつオマケ。
 

-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+
 

国章
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/国ç«
 

(以下抜粋)
 
日本では、法令上明確な国章は定められていない。その為、慣例的に天皇家の家紋であり、天皇の紋である十六弁八重表菊紋(菊花紋章)が、国章に準じた扱いを受けている。また、首相・政府(内閣)の慣例的な紋章である五七桐花紋も、国章に準じた扱いを受ける。
 
(以上)
 

-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+
 

この、「国章に準じた扱い」ってのが
いかにも日本的なナアナア感覚。
日章旗にしても1999年の国旗国歌法までは
正式な国旗じゃなかったし・・・と、いうことで

日本には正式な国章はありませ~ん。
(国章に準じたモノはある。)

ジッサイ、国際条約の締結とか、
国家間の公文書とかはどうなっているんですかネ?

「九条」改正もイイケド、先にやるべきことがあるんじゃないの?
と思う次第です。はい。




おぉっ!ベトナム国章!
 
 
ま、今回のことは「無知故に知る」ということで・・・
 
 
でわっ!