2012年9月20日木曜日

パラドクス


 上海のユニクロの店舗に「支持釣魚島是中国固有領土(尖閣島は中国の領土)」という紙が貼られ、そのことに日本国内の「愛国者」を自負する方々が激昂しているようですが、まるで最前線の歩兵に「突撃」を命じる、旧日本軍の作戦司令部の体質そのもののようで「反吐」が出ます。


<転載>

上海ユニクロ騒動に見る、暴力に屈せず不偏不党を実践する難しさ
宮島理 2012年09月19日 08:05

 上海ユニクロ店舗に掲げられた「支持釣魚島是中国固有領土」はデマではなかった。プレスリリースでユニクロは不偏不党の立場を主張しているが、結局は、暴力を振るわない日本に対しては強く、暴力を振るう中国に対しては弱いということだろう。グローバル企業が不偏不党を貫くのは難しい。

 反日デモがSNSなどで実況中継されるなか、上海にあるユニクロ店舗のショーウィンドーに、「支持釣魚島是中国固有領土」(尖閣諸島は中国固有の領土であることを支持する)というメッセージが掲げられた画像が投稿されていた。さすがにこれはデマだろうと思った。なぜなら、グローバル企業は外交に口を出さないのが最低限のマナーだからである。

 ところが、本日ユニクロが公表したプレスリリースによると、上海のユニクロ店舗が「支持釣魚島是中国固有領土」と掲げたのは事実だったようだ。


>>「弊社にて調査いたしましたところ、上海郊外の一店舗におきまして、9月15日午後、当該店舗の現地従業員が独自の判断により、上記内容の張り紙を掲示し、約40分後、撤去していた事実が判明いたしました。

 本件は会社の指示によるものではなく、また、他の店舗におきまして、このような事は一切起きておりません。

(株)ファーストリテイリング、並びに、(株)ユニクロは、一私企業が政治的外交的問題に関していかなる立場も取るべきではないと考えており、このような行為があったことは大変遺憾であると考えております」

(「上海のユニクロ店舗における、尖閣問題に関する掲示物の件につきまして」 より)<<


 ユニクロも述べているように、グローバル企業は「政治的外交的問題に関していかなる立場も取るべきではない」というのが鉄則である。しかし、現実問題として、暴徒が尖閣国有化を口実に店舗を襲おうと迫ってきている。襲撃を避けるためには、「(中国的な意味での)愛国」を示さなければならない。そう考えて、現地従業員は「支持釣魚島是中国固有領土」という“魔除けの御札”を掲げたのだろう。

 一方、当然のことながら日本国内のユニクロ店舗において、「尖閣諸島は日本固有の領土であることを支持する」というメッセージが掲げられることはない。日本ではそのような「愛国」を求められることはないからだ。

 同じ外交問題に直面していても、日本人および日本政府は常に理性的であるのに対し、中国人および中国政府はすぐに暴力などの露骨な圧力をかけてくる。所詮、「一私企業」であるユニクロとしては、不偏不党というタテマエとは別に、中国に対しては何かと気を遣う必要が出てくる。しかし、日本に対しては気を遣う必要がない。それどころか、外交問題についてどんどん物申すことさえできる。


>>「『なぜ靖国神社に行くのか分からない。個人の趣味を外交に使うのはまずいんじゃないか』と憤るのは『ユニクロ』を展開するファーストリテイリングの柳井正会長兼社長(56)。『政治が経済の足を引っ張っている』と小泉純一郎首相を厳しく批判した。(略)『隣国として日中は抜き差しならない関係。この関係が破滅的になれば、日本という国だってなくなる可能性がある』と語気を強めた」

(2005年12月26日付時事通信より)<<

 小泉首相の靖国参拝は外交問題であり、「一私企業」およびその代表者が口を出すようなことではない。にもかかわらず、柳井氏は靖国参拝を批判し、結果的に中国寄りの立場を表明することとなった。実質的に当時も反日デモを扇動した中国の圧力に屈し、日本を批判することを選択したと言ってもいい。

 このように、グローバル企業の不偏不党とは、日本のような自由な社会でなければ担保されない性質のものなのである。仮に、日本人および日本政府が中国同様に暴力を用いれば、グローバル企業は必死になって「尖閣諸島は日本固有の領土であることを支持する」というメッセージを発するだろう。もちろん、日本がそんな社会になることだけは絶対に避けなければならない。

 言ってみれば、グローバル企業は自由な社会においては、その自由な空気を当たり前のように吸って甘えている。一方、中国のような暴力的な社会においては、暴力に屈して自由な社会に敵対するポーズを取ることも厭わない。これはグローバル企業に限らず、残念ながら報道やリークの世界についても一部言えることだ。

 不偏不党を貫くことが難しいのなら、せめて自由な社会に甘えるような姿勢だけは避けるべきだろう。「自由な国土における自由の言論なるものを喰いものにした挙句に首尾よく喰い逃げに成功した徒輩」(中野好之『バークの思想と現代日本人の歴史観』より)とならぬよう、自分自身も含めて強く戒めたいものである。

</転載>


 ワタシも海外在住組ですから、ユニクロ上海店のとった行動は理解でしますし、当然とまでは言いませんが「止むに止まれぬ行為」として捉えています。

 日本国内で「虚勢」を張っているだけの「国士」の方々には、外地において日本経済の「最前線」として奮闘している同胞の心情など汲み取れないのだなあ・・・と、お見受けします。

 自らは安全な場所に身を置き、己が「参謀」か何かだと勘違いしているトンチンカンな輩ばかりで、まったくもって嘆かわしい限りですなw。

 「愛国者」を自負する方々の中には、日本人は「自虐史観」に囚われていると主張する人が多々います。曰く、「旧日本軍は本当は強かったんだ。」・・・とか、「米英の卑怯な策略にハメられたんだ。」・・・とか、「勝てたはずの戦いに運悪く負けてしまったんだ。」・・・とか、もうね?聞いてて見苦しいったらありゃしない。

 例えば試合で「巨人」に負けた「阪神」が(その逆でもイイです)、「いやw、今日の試合は勝てたのに負けちゃいましたw。」・・・と言ったところで、「負けは負け」なワケですよ。強がりを言ったからとて、「試合の結果」が覆るワケもありません。

 負けた試合を反省し、その原因を究明するのが「監督」の役割であるワケですよね?場合に依っては「作戦」の指揮をした監督の責任が問われるのがフツwであり、「勝てた試合だった・・・」などと、過ぎた試合の郷愁に浸っているような監督は


大バカ者


でしかなく、「勝負師」としては全くお話にならないということを、常日頃「真剣勝負」に身を置く方々であればご理解いただけるかと?

 ま、ソレはアレとして、経済戦争の最前線・・・つまり海外で活動する日本企業や邦人ビジネスマンが、自らの身を危険から守るために「方便」を使ったとして、誰に非難される謂れもありません。ましてや、日本国内で「ぬるま湯」に浸かっているだけの「自称愛国者」なんぞに。

 今回のユニクロ上海店の独自の判断は、最前線における臨機応変の戦術・・・「ゲリラ戦術」とも言えるものです。

 実戦の場面においても、物陰に隠れ敵が来るのを待ち構え、十分に罠を仕掛けた上で攻撃する戦法を「卑怯」呼ばわるするんですかね?「愛国者」のみなさんは?

 圧倒的に「戦力」に差があっても、正々堂々と戦い「玉砕」しろと言うんですかね?「愛国者」のみなさんは?

 そうした「軍国主義精神」に心酔する「愛国者」のおかげで、先の戦争でどれだけの人間が死ななくてもイイ場面で死に追いやられたのか、ワタシたちは忘れてはならないのです。

 そうした「主義」、「形式」を重んじ、ひとりひとりの「兵」を将棋の「駒」か何かのようにしか思っていない「愛国者」なんぞに、ワタシたちの「命」を、ワタシたちの「日本」を預ける気など1ミリもありません。

 日本は戦争に負けたのです。そしてその責任は、戦争を主導した全ての政治家、官僚、軍人、マスコミにあるのです。戦争に負けたことで「自虐」する必要ありませんが、なぜ負けたのかを徹底的に検証し、その責任の所在は明らかにしなければなりません。

 「東京裁判」は、戦勝国による一方的な裁判であると「愛国者」の方々は非難しますが、当たり前です。日本は戦争に負けたのですから、戦勝国の法律によって裁かれるしかないのです。それが嫌なら、戦争に勝つしかないのです。

 で、「東京裁判」によって戦争の総括ができたのかというと、はなはだ疑問です。本来裁かれるべき、日本国民に対する「戦犯」が巧妙に裁判を逃れています。連合国の手による裁判だけでなく、日本人自身による「戦争裁判」があって然るべきなのです。

 彼らは、日本を敗戦に導いた責任を問われなければならないのです。そうした日本人自身による「自虐」ではなく「自己反省」がキッチリ行われいないが故に、


旧日本軍はホントは強かった。


・・・などという郷愁に浸るだけの「大バカ者」が、「愛国者」などとイッチョ前の顔してのさばっているワケです。

 旧日本軍がどれだけ強かったとしても、戦争に負けたという事実は変わりません。そんなに強かったのなら尚の事、何故戦争に負けたのかを「徹底検証」しなければ進歩しません。よね?

 そもそも「勝てる戦争」だったのかどうか、戦争が始まる前から戦争は始まっていたワケですよ。また、「戦略の基本」からすれば、勝ち負けは二の次にして戦争のもたらす効果と損失を秤にかけ、戦争に負けるにしても最小限の損失で済ませることもできたワケです。

 そうした、「自虐」ではなく「自己反省」、もしくは「自己分析」を、「愛国」だとか「国家」だとかのイデオロギーをまくし立てることで疎かにしているから


愚か者!


・・・と、言いたくなるワケです。「自己反省」することは、より高いレベルに進むためには必要なことなのですよ。

 で、話はユニクロ上海店に戻りますが、件の貼り紙をしたとてそれが何だというのでしょうか?反日中国人側からすれば、そんなもの「本心」じゃないことぐらいお見通しです。しかし、貼り紙を無視して破壊行為に及べば「反日デモの主旨」からして「自己矛盾」に陥るワケです。

 ユニクロ側にしても、「本心」じゃなくても件の貼り紙をすることで身の安全が図れるなら、一種の「ゲリラ戦術」としてその行為を非難される謂れはありません。なにしろ「最前線」にいる自分の身は、自分自身でしたたかに守るしかないワケで、日本国内の「愛国者」のみなさんなんてアテになりませんからw。

 ま、そんなワケで、「本心」じゃないことは両者・・・反日デモ側もユニクロ側も納得済みという構図がそこにあるワケですが、だとしても、反日デモ側はユニクロの貼り紙を無視することはできないワケですよ。


ワタシは嘘つきである。


 こう宣言したワタシが嘘つきだとすると、ワタシは正直者だということになります。また、ワタシが正直者であるのに嘘つきだと宣言したとするとワタシは嘘つきと言うことになり、嘘つきであるワタシが嘘つきだと宣言したのなら私は正直者になり・・・以下、無限ループ。

 と、西洋の倫理学には「パラドクスの落とし穴」があるワケですが、アジア的倫理?には、そうしたパラドクスさえ飲み込んでしまう部分があるワケですよ。「存在を在るがままに受け入れる」という、「道元」などに見られる禅の思想とか・・・。

 ま、小難しい話はアレとして、解決できない矛盾が存在するのなら、その矛盾すらひとつの存在として受け入れてしまえばイイという、少々荒っぽい?叡智と言えるでしょうし、言葉を変えれば「棚上げ」とも言えます。お分かりいただけます?

 そういうワケで、素晴らしい先人に恵まれた日本であれば・・・いわんや、ひとりひとりの日本人の知性は、


日々、着実に進歩している。


・・・と、ワタシなんぞは信じている次第です。はい。




人間ナメんなよ!


でわっ!