2009年9月26日土曜日

故郷を想う

ネットゲリラさんトコで、「多摩」のことが話題
のようなので、多摩出身のワタシとしても自分の想いを
少しばかり語ってみようかと・・・

ま、ネットゲリラさんトコでは新撰組がメインの話題なのですが、
新撰組よりも先に存在した、武蔵七党の存在を無視しては
多摩は見えてこないと思うワケです。はい。


武蔵七党
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


で、この武蔵七党は、血縁関係を持った武士集団だったのですが、
その本家筋となるのが、平頼任を始祖とする村山党なワケですネ。


平頼任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

村山党
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


さらに遡っていくと、平高望にルーツがあるワケですが・・・


平高望
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


武蔵七党平氏の血を受け継いだ武士集団だったワケです。


平氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

<抜粋>

 一般的に「東国の源氏、西国の平氏」と言われるが、東国に平氏が全くいなかったわけではない。むしろ親王任国が集中した東国が平氏系武士の盤踞地で、その一族がその後、中央(朝廷)に勢力を伸ばし、西国にも平氏勢力が広がっていったという方が適切である。著名な平氏出身者としては例えば東国に独立政権を樹立しようとして失敗した下総国・常陸国の平将門、時代が下って貴族政権で台頭した平清盛の先祖も東国出身の土着平氏であり、これを倒した源頼朝を支えた坂東平氏も同じ土着系平氏の末裔であった。この時の源平氏族のこと争いを「源氏と平氏」ではなく、「源氏と平家(平清盛の一族)」と呼ばれ区別されるのはこのためでる。

</抜粋>


はやい話が、腐れ切った宮廷政権に見切りをつけ、
東国に新天地を夢見たフロンティアな平氏の末裔が多摩の人間
だから権力者の圧制に対する「反骨精神」はDNAレベルかと。

高校生時代の思い出話で恐縮ですが、
下校時に同じクラスのチョッとツッパリ気味の友人が、
暴走族に絡まれて追い掛け回された事がありまして、
たまたまその現場を一緒に下校していて目撃した
普段はおとなしいワタシの友人が、ものすごい勢いで

「ひとりを大勢でフクロ叩きにするなんて卑怯だろう!」

と、暴走族のリーダーらしき男に喰ってかかったんですわ。
そのとき向うは4人。こっちはボコられたのを入れて4人。(実質3人)
正直、「終わった!」と思いましたが、居合わせた以上、
もう後には引けないので玉砕覚悟だったのですが、
向うも彼に「漢気」を感じたのか、その場は無事開放。

ホント、普段はおとなしい多摩の人間ですが、
その血の中には坂東平氏のDNAが脈々と受け継がれ、
押し付けがましい為政者には反旗を翻しかねない。
そのことを恐れたが故、明治政府は多摩を分断することを
いろいろやったんじゃなかろうか?と。 (想像)

で、新撰組ですが、ジッサイ、日野を中心とした南多摩では
郷土の英雄あつかいされているかも知れませんが、
北多摩西多摩、ついでに奥多摩では、


新撰組?あ、そう・・・


くらいにしか思われていないのが実情かと。
日野出身で多摩のヒーローといったら、


忌野清志郎


に尽きますね。はい。
逆に、多摩に何のゆかりもない人たちが
どうして新撰組にアツくなれるのかが不思議。

ちなみに、武蔵七党の末裔九州とか奥羽とか

(そういえば、山形にある村山市って村山党の関係か?)
西国とかに散らばっているらしいので、
子孫の同窓会とかやったら面白そうだなwww。
(かくいうワタシはベトナムにいるワケですが。)

今回は全部「ウィキペディア」から引っ張ってきた資料なので
どの程度正確な資料なのか自信は持てませんが、
ま、「当たらずとも遠からず」という事で・・・



でわっ!