2010年2月13日土曜日

祝バンクーバーオリンピック

きっこさんがね?国母とゆうスノボ選手に
随分と肩入れしている様なのですが、

残念なことにワタシは国母選手について何も知りません。
ま、知らない人の方が多いと思うのですが
知らないながらも、きっこさんの文脈から読み取るに、
ワタシは彼を、きっこさんの様に持ち上げる気にはなれません。

若い国母選手に対して批判的なのが、以外?と同世代で、
年長の世代はかえって寛容であるとのコトですが、
ワタシが思うに、この「寛容」はあるイミ

責任の放棄

の裏返しの様に思えてならないのですわ。
大人としての責任の放棄に・・・

国母選手はきっと才能のある素晴らしい選手なのでしょう。
持って生まれた(勿論努力もあるでしょうが)身体能力とゆう
唯一無二の財産に恵まれた、幸運の星の下に生まれたのでしょう。
語弊があるかも知れませんが、努力が全てではありません。
素質プラス努力があって、イチロー選手のような
素晴らしいアスリートが誕生するのではないでしょうか?

さて、そこで・・・
スポーツ選手、アスリートと呼ばれる人たちが結果のみを重視し、
良い結果さえ出せばイイんだろう?と、

結果が全てだ!

とゆう考え方に凝り固まっているとしたら、そこに重なるのは

カネが全てだ!

とゆう、いたって利己的な人たちと変わり無い様に思えるのは
ワタシだけでしょうかね?

きっこさんは外国人力士(朝青龍)を引き合いに出して、
日本的作法を外国人に教える事自体が間違っている様に言いますが
ワタシはそうは思わないワケですわ。

作法、礼儀は形は違えど世界中どこに行ってもあります。
アフリカ奥地のホニャララ族を訪ねたって、礼儀や作法はあります。
なぜなら、礼儀や作法は長い歴史の上で自然発生した、

人間社会の根源を成す

部分があるからと、ワタシは理解しています。それこそ、
「年寄りを敬う」とゆうのは世界共通の礼儀?ですわな。
「礼」の根本とは、自分以外の他人を認めるコト。
でないと、社会が成立しない様に思うワケです。ハイ。

翻って、きっこさんが引き合いに出した朝青龍(敬称略)にしても、
故国モンゴルには
「ナーダム」とゆう、モンゴル相撲の大会があり、
たしか取り組みの前に「鷹の舞」を踊ると記憶しているのですが、
アレですか?最近モンゴルじゃ、

「鷹の舞」なんてダセwww!

とか言って、踊らない若者が増えてて、ホンで年寄りも

若いモンは元気があってエエのぉwww

とかゆう状況になっちゃっているワケ?チガウでしょ?
みんな粛々と、儀式・礼儀に従っているワケでしょ?
「ナーダム」のときにわ。

はずみで朝青龍(敬称略)を引き合いに出していますが、
彼にしたって、礼儀や作法を学ぶ素養はあるワケで。
ま、朝青龍の場合は若くして親元を離れて異国の地を踏み、
親の躾が行き届かなかったとゆう事情もあるのでしょうが・・・

礼儀とか作法とかは、キチンと指導する人が必要で、
そうゆう人が減っている社会の現状がヤヴァいんじゃないの?
指導するからには、まずは自分の身を律する必要があるのに
それが出来ない、口先だけの偽の指導者(大人)ばっかりで、
だから結果的に

元気があってイイんじゃない?

なんて、いい加減な理解者を装ったりして・・・
そうゆう人たちって、自分の子供とかにも同じ事言うのかね?
アホクサ・・・

カネを沢山持っていればエラいのか?
金メダルを取りさえすばエラいのか?


だからと言って過剰にイイ子ちゃん振る輩もハナにつきますが、
結論?として言うならば、イチロー選手と国母選手

ドッチが好きか?

と問われれば、ワタシはイチロー選手が好きです。

(もっとも、イチロー選手はすでに立派な大人ですが)
まぁ・・・そうゆう・・・オチですわ。・・・ハイ。


でわっ!