2010年8月27日金曜日

開き直る

 最初にお断りしますが、ワタシは経済学者でも金融に明るいワケでもなく、自分が感じた事、思った事をそのまま書いているだけなので、論理が支離滅裂なのは指摘されるまでもありませんが、それでも尚、一庶民としての感想を述べさせて貰うならば・・・


世に倦む日々
古舘伊知郎と山田昌弘の供給サイド要因論 - 内需低迷の理由づけ



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昨夜(8/25)の報道ステーションのテーマは、「輸出に依存しない内需主導の経済」で、どうすればそれを実現できるのかコメンテーターの山田昌弘が意見を言う趣向になっていた。円高と株安の報道をして、その解説と内需主導の打開策を述べさせるのなら、何も文学部教授の山田昌弘ではなくて、適任のエコノミストを出演させるべきだろうし、せめて寺島実郎でも座らせればよいと思うが、狡猾な古館伊知郎にとっては、ゲストのコメンテーターは自分の主張を浴びせて頷かせるだけが使い勝手の操り人形であり、8/23に出演した鳥越俊太郎も、民主党代表選について「政局より政策」の持論を語っているつもりが、古舘伊知郎が途中で巧妙に繰り出す合いの手の横槍に頷いている間に、いつの間にか「早急に規制緩和の経済対策を」、「小沢一郎は古い自民党の利益誘導の政治」という結論に化けていた。山田昌弘の提案は、拍子抜けするほど素人っぽい一般論で、円高になれば海外のモノが安く輸入できるし、企業がもっと努力して消費者に売れる商品を提供すればよいとする議論だった。これは、転向する前の菅直人が竹中時代の政策理論を批判して論じていたところの、「供給サイド重視の理論」そのものではないか。すでに論破され、無効と判定されて退けられた時代遅れの考え方である。日本経済の病因診断においては、供給サイドに問題があるのではなく需要サイドに問題がある。民主党による政権交代は、こうした経済政策のパラダイムの転換をも意味していた。  

日本の企業の努力が足りないからモノが売れず、内需が盛り上がらず景気がよくならない。山田昌弘と古舘伊知郎はそう言い、報道の正論として吐いて国民を洗脳する。この結論が、本当に山田昌弘の持説なのか、それとも番組が用意して山田昌弘に口パクさせている御用コメントなのかは判然としない。だが、こうして報道ステーションは、また時代を逆戻りさせ、小泉・竹中時代の常識や正論をテレビの公共空間の常識や正論の位置に据え置いた。(定着していた)デマンドサイドに問題があるとする一般認識を覆しに出た。イデオロギー工作とはこういう現実を指す。時代を逆戻りさせる謀計に抵抗を感じる者は、こうした報道による悪質な観念操作に対して暴露し反駁しなくてはいけない。日本の消費者は、企業が供給する商品に魅力がないからモノを買わないのか。消費が衰えているのは、企業の商品供給に問題があるのか。そうではないはずだ。買いたくても買えないのが本当なのである。家計に余裕がないから消費にブレーキがかかっているのだ。消費支出をアクセラレートするための所得の前提がないのである。分配に問題があり、給料を減らされているために、消費を抑制する生活を強いられ続けているのではないか。マクロの消費支出の伸び悩みはそのグロスの結果である。決して買いたい商品が市場にないからでも、企業の努力不足だからでもない。具体的にグラフで統計を確認してみよう。

サラリーマンの平均年収は、13年前の1997年をピークにずっと減少が続いている。この数字は平均値であり、収入が増えている者も減っている者も両方が含まれている。失職して無収になった者は統計に含まれていない。格差の現実を考慮すれば、一般の労働者の実感としては、ここで出ている数字よりも減少の程度が甚だしいはずだ。また、このグラフには昨年(2009年)の数字が入っていないが、そのことも注意を要する。「構造改革」以降、労働分配率が下がっている事実は誰でも知っている。これが個人消費の低迷に繋がり、景気回復の足を引っ張っていることは、小泉時代の終わり頃からはすでに社会常識の範疇になっていた。問題は、この労働者の年収の減少が、日本一国だけのものであって、他の国はそうではないという事実である。デマンドサイドに問題があるとする論は、この事実によって強力に根拠づけられる。他の先進国で、これほど甚だしく長期間にわたって労働者の所得が奪われ続けている国はない。この日本のサラリーマンの平均年収の推移を示すグラフの下降線は、そのまま日本の一人当たりの国民所得が世界ランキングで下落する下降線と同軌を描いていて、その連関の意味するところは、消費需要の低迷圧殺の一語につきる。GDPの6割近くを占める個人消費の源泉は、労働者の給与収入そのものだからだ。労働者の所得を減らしながら、同時に消費を拡大することがなぜ可能なのか。

ネットの統計情報を使うと、実に有意味で説得的なグラフが簡便に得られる。今世紀に入って、リーマン・ショックで世界同時不況になる直前の2007年までの7年間について、日本と他の先進国を較べてみよう。日本では小泉政権が誕生し、竹中平蔵が労働法制と資本法制の規制緩和に乗り出し、非正規が増え、労働者の賃金が減らされて行った「改革」の時期と重なる。まず、フランスと日本の一人当たりGDPの推移。2006年に追い抜かれ、そのままシェーレを描いて差が拡大している。次に英国と日本の比較。同じように2004年で交差して鋏状に開いている。次にカナダとの比較。両国の経済状態の差が顕著で、カナダは一直線に伸びている。次はアジアの国であるシンガポール。シンガポールには2007年に追い越された。最後に、お隣の国の韓国との比較。韓国と日本の間には未だ相当に差が開いている。だが、グラフの線の角度を見れば、この趨勢が10年間続いた時点で日本は韓国にキャッチアップされる可能性が高い。最近の韓国経済は非常に調子がいい。ネットの中を探したが、一人当たりの個人消費支出の推移とか、労働者の所得の推移を国際比較で示した統計を発見することができなかった。マスコミや論者は、労働者の所得の減少を二言目には「経済のグローバル化」の所為にする。だが、経済のグローバル化に直面したのはどこの国も同じだ。なぜ日本だけ、これほど異常に給料が切り下げられるのか。その異常が問題にされないのか。

マスコミ(古館伊知郎)が、再びサプライサイドの要因で景気低迷を説明し始め、それを常識化させる動きに出たのは、民主党政権が新自由主義に転向し、小泉・竹中の路線に政策を軌道定置させた事情と重なっている。しかし、供給サイドに要因を求める立論でなくても、世間には人を欺く騙しの言説が横行していて、日本経済の内需不振の原因については、専ら「少子高齢化」が犯人指定され、少子高齢化のトレンドだから消費も伸びないという言説で国民全体が納得させられている。その一般論を誰も疑問視せず、労働者の所得減少の事実を原因の第一に措定しようとしない。高齢化が進んでいるから消費が不活発になり、内需が衰退して景気が落ち込むのか。40歳が50歳になれば欲しい商品はなくなるのか。50歳が60歳になれば消費意欲は自然に減衰するのか。あり得ない。60歳が70歳になっても、健康であれば個人が購入したい商品の質と量が減ることはないだろうし、家計に余裕があれば、海外旅行にも行きたいだろうし、子や孫にたくさんの幸福を買い与えたいだろう。高価でも安心できる食材を求めるだろう。思うことは誰でも同じで、人の欲望は誰でも同じだ。少子高齢化は内需不振の理由説明にはならない。それは観念操作(スリカエ)の言説であり、所得を資本が収奪して労働者に分配していない真実を隠蔽する詐術である。内部留保とM&Aと役員報酬と株式配当こそが真犯人で、騙されているだけだ。少子高齢化で苦悩しているのは、英国もフランスも同じではないか。

最近、経済の状況の中で感知するのは、格差が浸透して、一人一人の人間の存在価値に差ができていることであり、さらに言うと、低所得の非正規の人間とか、ハローワークで職探しをしている人間とかが、経済のプレイヤーとして認められてないという社会感覚である。この国の経済政策に口を差し挟む人間として認知されていない。資格が認められていない。経済政策について要求したり、政府に要請できるのは、年収9億円の日産のゴーンであり、年収5億円の古舘伊知郎であり、年収数千万円の外資系証券会社のアナリストとかストラテジストで、彼らの論理が経済政策の正論としてテレビで情報発信される。彼らは、自分たちの利益を守る政策主張が、社会の正論であり、国民全体が選択するべき政策提言だと信じて疑わない。ところが、社会の実態はどうかと言うと、年収300万円以下が労働者の半数を突破し、日本人の2割以上が年収200万円以下で生活している。こうした低所得の庶民は、そもそも経済政策について何か利害と責任を持つ存在として認められていないのだ。単に貧困者として、あるいは貧困予備軍として、国に給付や救済を求めるだけの存在であり、件のストラテジストやアナリストの視線からは、施しを欲しがる物乞い同然の経済的存在なのである。だから、アナリストたちの議論では、低所得層の主張とか、低所得者の利益になる政策は、すべてバラマキ政策と呼ばれて批判と排斥の対象になるのだ。法人税減税はバラマキではなく、有効な対策だとされる。それは正論としてマスコミで撒かれる。

街にダイハツやスズキの車が増えた。ここ数年、地方だけでなく首都圏も本当に軽自動車が増えた環境になった。ホンダも三菱も小さな軽自動車ばかり。トヨタの車が減った。ダイハツやスズキがむしろ大きな顔をしていて、コンビニの駐車場で市場占有率の実績を誇っている。経済政策は、まず年収9億円のゴーンが言う資格があり、次に年収5億円の古舘伊知郎に資格があり、次に年収1億円の一色清にあり、次に数千万円のハゲタカや和製ハゲタカのアナリストにあり、その次に資産1億円以上で株を日常売買し、日産の株主総会にデジカメを持って出席する株主様という秩序と構図になっている。彼らが日本経済のプレイヤーであり、彼らの意見が社会の正統であり、マスコミで正論とされる経済政策の主張だ。菅直人の政府が耳を傾けるべきは、その秩序と順番の要請なのである。ダイハツやスズキに乗って生活する庶民はそこから除外されている。法人税減税や規制緩和が緊急経済対策になるのは、そういう秩序と構図があるからであり、(新自由主義の)レジームがあるからである。年収300万円以下の人間は虫ケラで、年収150万円以下の人間はゴミとして扱われている。しかし、ダイハツやスズキに乗っている一般庶民も、10年前はそうではなかった。パジェロとかハイラックスサーフとかに乗っていた。20年前はマークⅡやアコードに乗っていた。経済政策を語る人間であり、日本経済を担う人間であり、政府が経済政策を考える上で中心に位置する人間たちだった。生産者として消費者として経済の主要プレイヤーだった。資本に無用にカネを溜め込ませるレジームが、日本経済の内需を衰弱させているのである。

代表選では、小沢一郎の陣営に、何よりこの経済論議を主張してもらいたい。

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*「世に倦む日々」氏には、全文無断でコピペさせていただいたことをご容赦いただきたく。はい。


 で、上記記事を読んだ感想ですが・・・社会とか庶民生活の変革期にあるんじゃないんでしょうかね?日本も世界も・・・。チョット前には「日本には物が溢れ過ぎている」なんて論調が良く見られました。そうそう、モータイさんでしたっけ?「日本のもったいない精神は素晴らしい!」と褒め称えてくれたのは(ノーベル賞も受賞したんでしょ?)。そんな人に褒められたんだから、日本人は胸を張って倹約・節約に勤しんでイイんじゃないんでしょうか?どだい、消費が増える(GDPが増加する)と云う事は、地球を汚すと云う事と同意儀なワケで、アレじゃないですか?今じゃ夢の島に持ち込まれるゴミの量も、だいぶ減ったんじゃないんですか?良いことですよ。地球と東京都清掃局にとっては。



日本並の消費社会を支えるために必要な地球は「2.3個」、
地球の全人類の消費生活レベルを、アメリカ人の平均的な消費生活と同じレベルにした場合、地球4.5個分もの生物生産性が必要となります。


 まwwwアレです・・・アメリカの半分くらいの生物生産性とやらで、アメリカと同等か、チョイ上くらい?の文化的生活を送っているワケでしょ?日本人は。是すなわち、日本人の方が効率的な生活を営んでいるワケですよ。そして「地球にやさしい。」・・・と(もちろん地理的な条件とか諸々ありますが)。


自慢出来ますよね?

 ダイハツスズキのどこに問題があるのでしょうか?ステータスとかですか?大昔に恐竜が滅んで、小型の哺乳類が生き残ったのと同じリクツでしょ?環境の変化に順応出来なければ、消え行くのが運命(キツイ様ですが)。蒸気機関が発明された時の産業構造の変化と同じ様なモンでしょ?もしトヨタがですよ?社会環境の変化に順応出来なくて倒産してしまったら、そりゃあ社員の皆さんは当然困ります。でもね?トヨタを選んで入社したのは自分自身なのですから、倒産が嫌ならば会社に、社会環境の変化に順応するように働きかけるしかないでしょう?それが出来ないのであれば、会社と運命を共にするしかありませんな。JALにしても然り。それをムリヤリね?企業の都合で高級車、大型車に乗れと言うのも・・・何だか「まんが日本昔話」の、沈んだ夕日を呼び戻した「わらび長者」をホーフツとさせます。はい。

 ま、皮肉に聞こえるかもしれませんが、「年収300万円以下の人間は虫ケラで、年収150万円以下の人間はゴミとして扱われている。」と言われましても、無駄を無くせばそれだけで何とか暮らせるという事でもあり、年収が9億だ、5億だといった10%の人間を物差しに経済を語られても、ハナっから庶民の感覚とズレまくってしまっているワケで・・・不毛です。


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全国消費者物価指数、17か月連続下落

 総務省が27日発表した7月の全国消費者物価指数(2005年=100)は、値動きの大きい生鮮食品を除く総合指数が前年同月比で1・1%下落の99・0と、1993年3月の水準まで落ち込んだ。

 下げ幅は前月の1・0%下落から拡大した。マイナスは17か月連続で、物価が継続的に下落するデフレ状況が続いている。

 品目別では、値下げ競争の激しい薄型テレビが前年同月比で29・4%下落したほか、猛暑効果で売れ行きが好調なエアコンも15・0%下落した。

 全国の先行指標となる東京都区部の8月の消費者物価指数は、生鮮食品を除く総合指数が98・6で、前年同月比で1・1%下落し、前月の1・3%下落から下げ幅は縮小した。

(2010年8月27日11時37分 読売新聞)

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 ここでワタシもひとつグラフを紹介したいのですが、日本と主要国の失業率の推移です。



社会実情データ図録

図録▽失業率の推移(日本と主要国)





 欧米の主要国に比べて日本の失業率はまだまだ低い方です。現実問題として派遣切り、リストラなどが行われていますが、生き残っている会社の中には、給料は下げざるを得なくても社員をクビにはしない。と頑張っている会社もあるのではないでしょうか?まあ、ごく少数の会社かも知れませんが、一部の社員の給料を上げる事で他の社員を解雇するよりも、給料が目減りしてもみんなで持ちこたえようと、謂わば「天と地と」の米沢藩のように頑張っている会社も、まだまだあるんじゃないでしょうか?

 何よりワタシが一番に注目したのが、グラフ線の折れ曲がりです。日本以外の国がグニャグニャ折れ曲がっているのに比べ、失業率は上昇傾向にあるとはいえ日本の線はなだらかな線です。ここから推察するに、欧米では日本以上に、労働者が軽く扱われているのではないか?と云う事です。ですから景気の左右によって、いとも間単に従業員を解雇したり、少し景気が持ち直したら再雇用したりと、労働者を部品のように扱っている様子が想像出来ます。

 それに比べ、日本の線がなだらかなのはやはり、まだまだ多くの会社に「家族主義」的な考えが残っているからではないか?と。もともと日本は豊かな国ではありませんでした。少ない資源を工夫してヤリクリして来たワケですよね?そもそも、「日本」と云う単一国家意識が形成されたのも明治以降です。それまで全国の各藩は、それぞれ独立国の様相を呈していました。徳川家という「大王」の下に、「各諸侯国」が独立採算制で連立していたのです。ですから、それぞれの地方における人のつながりは濃いワケです。ま、それが日本全体で見た場合、今日の政治的な混乱要因のひとつでもあるのでしょうが・・・

 それはそれとして、大企業以外の日本全国に散らばった各企業には、か様な「同郷人意識」が依然根強く残っており、それ故に従業員を交換部品の様には扱わない。従って失業率の曲線にも急激な変化が現れない・・・。と、ワタシは推察したワケです。はい。

 要は、給料の多い少ないだけでは計れない、「生活の質」を見直す社会に、世界に先駆け日本社会が移り変わろうともがいているのではないか?・・・と。そしてそれは本来日本人が持っていた資質なのではないか?であれば、日本人が、本来の生き方を取り戻そうとしているだけなのではないか?と。そしてその原動力となるのは、中央の古臭い経済学者や企業家やその取り巻きの政治家ではなく、全国に散らばる庶民であり、庶民と共存することを旨とする、「新しい時代の企業家」であろう。・・・と。

 「経済プレイヤー」になる?戦争に善い悪いが無い様に、経済に善いも悪いはありません。経済戦争と言うくらいですから、「始めた時点で、どっちも悪。」・・・らしいです。「経済プレイヤー」になれというのは、「経済戦争に加担しろ。」「経済戦争の兵士になれ。」ということでしょ?経済戦争にしろ実際の戦争にしろ、「戦後」に残るのは庶民の暮らしなのですから、結果から逆算して先ず、庶民の暮らしが重視されるべきなんじゃないでしょうか?

 庶民の感覚から乖離した「大本営」の経済学者やマスコミ、グローバル論者に踊らされる必要なんてありません。踊りたい時は、自分の意思で踊ればイイんです。その方が他人に踊らされるよりよっぽど楽しいでしょ?思うに、日本人が日本人らしくしていれば、ナンにも恐れる事は無いんじゃ無いんでしょうかね?確かに今は苦しい最中ですが、庶民同士が助け合わなくて、どうしてこの苦境を乗り越えられるでしょうか?


でわっ!