2012年1月13日金曜日

どこまでも「理詰め」で闘うしかない。


 昨年の「東日本大地震」にて被災された方々にお見舞いを申し上げるとともに、災害にてお亡くなりになられた方々のご冥福を、心からお祈り申し上げます。



 もし、「この世は道理(スジ)が通らない。」・・・と絶望感や無力感に苛まれているのだとしたら、それは未だ「道理」を見失っていないということです。「正気を失っていない」ということです。

 そして「道理」を理解したり、「正気を失わない」ためには健全な精神が必要であり、健全な精神を維持するには健全な肉体が必要だと思う次第です。ま、ワタシの持論ですが、


精神は肉体を超えられない。


・・・というワケで。

 勿論、「遺志を継ぐ」・・・という、個人の肉体の限界(死)を超えた「思想の伝達」もあるワケですが、思考という脳の生理的な活動は、あくまで「個人の生体活動の範囲(人生)」に限られます。

 例えば「吉田松陰の教え」にしても、オリジナルはあくまで吉田松陰の「思考の産物」であり、吉田松陰の「思考」は吉田松陰の「脳の活動」からしか生まれません。吉田松陰が病弱で短命であったなら、恐らく自分の思想の完成=脳内からのアウトプットを終了する前に死んでしまい、「吉田松陰の教え」というものはこの世に存在しなかったでしょう。

 そんなワケで、「健全な思考活動」には「健全な肉体」が必要だろうと考えるワケです。ま、中には「苦行僧」の如く?肉体を痛めつけることに価値観を見出す人たちもいますが、「苦行」は強制的に脳内ホルモンの分泌を促す行為であり、「思考」という「脳内活動」とは別次元の行為です。そして大多数の人にとって、社会生活を営む上で必要なのは「健康な肉体」である。・・・と、ワタシは確信?していますし、それは「苦行」に価値を見出せなかった釈尊の教えとも合致します。

 ところで、ワタシも長々と反原発・脱原発を訴え続けて来たワケですが、現在の様な事態になる前に止めて欲しかったというのが、全ての反原発・脱原発論者のみなさんの苦々しい思いでしょう。それなのに、この期に及んでまだ「原発推進」を口にする輩がいることが信じられません。「原発推進論」は既に破綻しているのです。どこからどう見ても、「原子力発電」のメリットは見当らないのに何故?この上「原発推進」を口に出来るのか理解に苦しみます。



 政府や電力各社が無理矢理「原発」を推進するような真似は、断じて許されません。この日本は、政府の物でも、電力会社の物でもありません。日本で暮らす全ての人の共通財産です。しかも日本は「民主主義国家」を標榜しており、みんなの「合意」=「調和」が優先されます。その「調和」を乱すということは、「不調和」=「悪」なのです(ワタシの中では)。  

 で、みんなの「合意」が何に基づくかといえば、それは「道理(スジ)」であり、それを見失わない「正気」であり、「正気」を維持する健全な肉体である。・・・というのがワタシのロジック(論理)なのですが、如何でしょうか?

 健全な肉体を維持するために必要なもの・・・きれいな空気、きれいな水、きれいな土壌、そこから採取される食べ物。それらを守らなければ、ワタシたちは生きていけないどころか、「道理」さえ見失ってしまうでしょう。「原発」以前、この日本はワタシたちに多くの恵みを与えてくれました。何人をも差別することなく、無条件に自然の恵みを分け与えてくれました。

 それが現在はどうです?お金持ちは安全な食品を食べ、そうでない者は「放射能汚染」された食品を食べる。こんな状況を、ワタシたちの先人たちが知ったらどう思うでしょう?先の大戦で日本を守るために命を落とした先人たちに顔向け出来きますか?「靖国」に何と報告する気ですか?戦争の是非はともかく、日本を守ろうと戦場に散った先人たちの想いを無駄にする真似は許されません。 

 政府、電力各社がみんなの意思に反して原発事業を推進しようというのなら、少なくともワタシはトコトン反対します。何の力も有りませんが、ドクター根銘路が示してくれたように、「理詰め」でトコトン闘うしかありません。民主主義の大儀の下に、自分の意見を主張し続けるのみです。

 日本人は「理(ことわり)」を尊重する民族だと、彼のフランシスコ・ザビエルの記述にもあるように、ワタシたちには本来、正しいロジックを求める気質が備わっているのです。
 

欧米から見た日本

フランシスコ・ザビエル『書簡』
河野純徳訳『聖フランシスコ・ザビエル全書簡』東洋文庫579-582, 平凡社, 1994.

<抜粋>

彼らは道理にかなったことを聞くのを喜びます。彼らのうちで行なわれている悪習や罪について、理由を挙げてそれが悪であることを示しますと、道理にかなったことをすべきであると考えます。 (3巻, p. 98)

</抜粋>


日本国憲法前文

<抜粋>

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、

その権威は国民に由来し、

その権力は国民の代表者がこれを行使し、

その福利は国民がこれを享受する。

これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。

</抜粋>


 ワタシの叔父が南方戦線に出兵したことは以前にも書きましたが、先の大戦で無念の死を遂げた多くの先人の想いに報いる為にも、これ以上、日本を汚してはならないのです。そしてワタシたちの最強の武器になるのは、一時的な感情の爆発などではなく、民主主義に則った「意見」、「道理」の調和なのだと信じる次第です。はい。


人間ナメんなよ!


でわっ!