2012年1月11日水曜日

人は歴史を創る


 昨年の「東日本大地震」にて被災された方々にお見舞いを申し上げるとともに、災害にてお亡くなりになられた方々のご冥福を、心からお祈り申し上げます。



 先週末から仕事で慌しく、尚且つ、ネットの接続状況も不安定だったので更新する気になれなかったのですが、月曜日に仕事が一区切り付いてホッとしたので、まだ状況が改善されないながらもネット上を徘徊していたら、


100年前の中国の写真


という記事を見つけ、その中の一枚の写真にいたく心を惹きつけられた次第です。はい。

 下がその写真なのですが、モノクロームの写真ながら、いえ、モノクロームの写真であればこそ、荒涼とした大地に築かれた城壁の偉容が引き立ちます。


 「歴史の重さ」・・・なんて在り来たりの言葉ですが、ワタシたちが今ここに存在するまでに、イッタイどれだけの時間が流れたことでしょう・・・。

 写真の城壁にしても、異民族の襲来を防ぎ、自分たちが生き残る為に造られたワケで、中国大陸には同様の城壁都市が何箇所も有り、その中には世界遺産に指定された処もあります。

 また、城壁都市とはだいぶスケールが違いますが、多くの家族(一族)が共同生活をする為の「土楼(どろう)」と呼ばれる建造物も見られます。


福建土楼




 中国の世界遺産というとスグに「万里の長城」が頭に浮かびますが、世界遺産だと持ち上げられる前は、草ボーボーで荒れ果てていたワケですよ。既にその役目を終え無用の長物でしかなかったワケで、「時の流れ」とはそういったものです。


 ワタシが初めて訪れた中国の地は「開平」でした。香港からボートで河を遡り、小さな入国審査施設から「上陸」したワケですが、そこから目的地まで車で移動する最中に目にした「紅い大地」に、まず驚かされました。日本の・・・つまり地元の多摩の黒い土に生まれた時から親しんで来たワタシとしては、まるで、「火星」の表面にでも連れて来られた様だと。

 「紅い大地」に比べ、空は日本と同じくどこまでも青く、その「紅」と「青」のコントラストが、人間の思惑など寄せ付けない自然の圧倒的な存在に感じられ、確か小学校の「国語」の教科書に載っていた、荒野の古墳から宝石を盗み出す話がフラッシュバックで蘇り、ワタシがイメージしていた話の情景と重なり合ったのでした。(もしかしたら学級文庫だったかも?)

 よくよく考えてみるに、中国という「国」の歴史は浅く、モンゴル族(元)だの満州族(清)だの多くの民族が、中国大陸の中でその場所を入れ替えていたワケで、異民族による国家を同一中国として歴史に数えるのは・・・如何なものか?・・・とも思うワケです。

 それよりも、「中華文化」が綿々と受け継がれている事が重要なワケで、中華文化を受け継ぎ続けた「民衆」の存在こそが、中国を中国たらしめていると思うワケですし、それは日本も同様かと。

 中国やヨーロッパでは民族の入れ替え戦が何度も繰り返され、故に城壁都市も同じ目的・・・民族・一族の存亡を賭けた建造物であった事が伺えますが、翻って日本ではどうだったのか?不勉強なのでアレですが、日本においては城壁都市は皆無だったのではなかろうかと・・・。

 そういえば、大阪城は庶民の生活圏も含めて壁が巡らされていたそうですが、「夏の陣」の後で一番外側の壁は取りは払われてしまったとか?結果、庶民が戦乱に巻き込まれてしまったと。

 ま、思い当たるのはそれぐらいで、他の城の築城例を見ても、「城を守る」ことに重点が置かれ、どうもヨーロッパや中国のような、「一族・民族」の存亡という視点が薄いみたいですなあ。

 で、そこから浮かび上がる日本の歴史の姿とは、「支配層」と「被支配層」の「血の繋がりの薄さ」なんですけど、如何でしょうか?つまり「支配層」にしてみれば、


自分さえ助かればイイ!

 
といった思考が基本なのではないか?・・・と。

 でで、さらに考えを推し進めるに、現在日本で起こっている事・・・「増税」だの「原発推進」だの「TPP」だの?全部が全部、ワタシら庶民にしてみたら迷惑千万な事案でしか無いワケですよ。そこに「支配層」と「被支配層」の、断絶された関係すら感じ取れるワケです。

 しかし、もう時代が違います。「支配層」&「被支配層」という社会通念が通用する時代ではないのです。全ての人が平等に「政治参加」できる時代なのです。政治を司る連中が「支配者意識」を以って日本を導くような真似は・・・


言語道断! 

 
 日本国憲法前文を、その頭に叩き込んで欲しいものです。

 
日本国憲法前文

<抜粋>

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、

その権威は国民に由来し、

その権力は国民の代表者がこれを行使し、

その福利は国民がこれを享受する。

これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。

</抜粋>


歴史が人を創ったのではない、
人が歴史を創ったのだ!



 最後に有名な「兵馬俑」の写真と、その発見者となったおじいさんの写真をば。


<転載>

西安の旅と台風

<抜粋>


●兵馬俑内部
最初行ったときガイドから撮影禁止で見つかった場合、フィルムを没収されます、と言われたのですが、2回目はフランス人と見える観光客のストロボがあちこちに光り、それでも公安が無視しているので、安心して撮影したものです。左奥に柵のように見えるところから、右に横断できますが、後ろに行くほど痛みが激しく原型を留めていない「傭」もたくさんありました。


1974年3月井戸掘りしていた農民の「揚培彦」「揚志発」等数人により発見されたものでその「揚培彦」さんご本人です。今はお土産屋さんにいて「永恒の戦士」という写真集を買いサインと握手してくれました。2回目の時、「又あなたに会えて嬉しいです」と言うと
満面の笑みを浮かべ嬉しそうでした。85歳前後の方でしたが、今もお元気なのでしょうか。

</抜粋>

</転載>


人間ナメんなよ!


でわっ!